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戦国ちょっといい話30

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0001人間七七四年2011/12/11(日) 21:46:15.43ID:NURhlo81
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1317824861/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1321170836/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0095人間七七四年2011/12/21(水) 22:08:33.50ID:K6rkdsfv
>>94
三斎様の日頃の人徳だなw
0096人間七七四年2011/12/22(木) 01:03:54.54ID:PFNl98In
前、酒田に行った時に聞いた話を

最上義光から、とある商人へのプレゼント


1608年当時、庄内地方は最上義光の領土であった。
義光は庄内の港町である酒田を訪れ、酒田商人の一人、池田惣左衛門にあるものをプレゼントした。
「惣左衛門、お主には「鐙屋」の屋号を授ける」
「ははー!」
鐙とは馬に乗るための道具であり、当時の馬というのは武具である。
つまり武具にまつわるものを与えられるのは大変名誉なことであったと言える。
その武具名が付いた屋号を商人に与えるのだから、この惣左衛門は、よほど義光に信頼されていたのだろう。

この後、池田惣左衛門は鐙屋惣左衛門と名乗るようになる。
鐙屋は近世には廻船問屋として、町の自治衆である三十六人衆に名を連ねるほどになり、
さらに、井原西鶴の『日本永代蔵』に紹介されるほどの繁栄ぶりを築く商人へと成長することとなる。

豪商「鐙屋」の誕生に関わった義光の良い?話
0097人間七七四年2011/12/22(木) 18:39:47.17ID:ZeKlTXhl
鮭ネタいらね
0098人間七七四年2011/12/22(木) 19:49:37.03ID:bRzaU7a+
>>96
元々何屋だったんだろう
何がきっかけで屋号を授けたんだ?
0099人間七七四年2011/12/22(木) 19:58:02.38ID:W64Iegsa
ところでさ、山形は左遷先ってイメージがあるけど幕府の人間にどんなのがきても大丈夫じゃね?と思えるぐらい元が安定してたのかな?
0100人間七七四年2011/12/22(木) 20:31:22.69ID:v0i82vYG
>>99
悪政と言われながらもなんのかんので、鳥居家〜保科正之の間で、中世的勢力潰して
体制を近世化してるからね。
譜代ならシステム的に統治しやすい状況にもなっていたのでしょう。
0101人間七七四年2011/12/23(金) 12:56:24.58ID:4iKk8bBw
>>99
左遷先ってのが間違ってんじゃね?
現代じゃ、東北なんて全域(それこそ東京以外全て)左遷先だろうが。
出羽はズタズタに刻まなきゃならんくらい豊かな地だったんだろ?
逆にほぼ一国丸ごとの会津が、どれだけ貧しい国だったんだろと思った。
0102人間七七四年2011/12/23(金) 13:12:45.30ID:4OzMeUBM
天正13年、吉川元春が娘(益田元祥室)に送った手紙

「今度の伊予への出陣は、今回が家督初めの役目だからって元長が出てくれることになった
 そんなわけで私はこっちに残るので、もうずいぶん会ってないことだし、
 おまえが訪ねてみようと思い立ってくれればいいなと思っています
 馬とか人手のことは心配しなくていいぞ
 迎えをやらせるから、必要なものを教えてくれ
 ここ(隠居館)には初めて来ることになるんだな
 早く来てくれればどんなにどんなに嬉しいだろう!
 まあちょっと考えて、すぐ返事をください
 待ってます

  5月4日      もと春
  七尾 五もじへ

 重ね重ね、なるべくすぐ返事をするように
 そちら(益田家)の出陣に差し障りが出ないように、いろいろ相談しよう」

婿君も留守になるし、お父さんはお休みだから新しい家に遊びにおいで、ってことらしい
鬼吉川で猛将の元春も、父としては現代のそこらのおっさんと何ら変わりはないようで
嫁いだ娘への溢れんばかりの愛情がひしひしと伝わってくる

でもこのおっさん、この一年と半年後には会いたくても会えないところに逝ってしまうんである
親元離れてる人は、たまには顔見せに帰ってやれよ!
もうすぐ正月だし、帰省する人はめいっぱい親孝行してこいよ!
0103人間七七四年2011/12/23(金) 14:42:52.97ID:gmuiD/5F
戦乱の世だけに血の繋がった親子の結びつきはとても強くなりそうに思うけど、
甲斐武田家のような例も多々あるし、
うまく行ってる家族もあれば、
うまく行かない家族もあるのは現代と同じだな
0104人間七七四年2011/12/23(金) 15:39:21.27ID:zxoBPgH4
>>102
なんかじんわりと熱いものが込み上げた
いい手紙だ
0105人間七七四年2011/12/23(金) 17:54:59.99ID:days4KtP
まーくん「まったくだぜ」
0106人間七七四年2011/12/23(金) 19:10:55.89ID:k4Top3bJ
宗麟「ほんとになあ」
0107人間七七四年2011/12/23(金) 20:01:16.23ID:days4KtP
うっきー「家族は大切にするものだ」
0108人間七七四年2011/12/23(金) 21:39:56.50ID:B4z754AO
「もと春」
こういうふうに、一部かなで書くのって現在でいう絵文字みたいなもん?
0109人間七七四年2011/12/23(金) 21:59:09.99ID:CHM1Kl4e
こういう、親が子を思いながら書いてる手紙って良いよね
そういや隆元も息子のお祝い時に戦場からおめでとうコール送ってたな
0110人間七七四年2011/12/23(金) 22:07:31.89ID:oQoX1Z5W
作左「戦場で家族に手紙書くなんて、腑抜けたヤツめ」
0111人間七七四年2011/12/23(金) 22:08:35.09ID:6B9gwRF7
>108
娘宛だし、公文書じゃないし、気楽に書いた結果じゃ?
女性宛の書状って、かなまじりが多いし
0112人間七七四年2011/12/23(金) 22:46:35.75ID:JlrIWAiJ
そういえば、ネカマの元祖は紀貫之って言うしなw
0113人間七七四年2011/12/23(金) 22:50:02.42ID:4OzMeUBM
まだ毛利家関連しか読んでないけど、男性宛でも家族宛や仲のいい家臣宛の書状は
宛名とか差出人名がユルユルになってる印象がある
元就の「もと就」って署名の書状も多いし、隆元も隆景宛で「景へ、もとより」とか、
輝元の吉川広家宛なんて「ひろ家へ、てる元」「ヒイへ、(花押のみ)」とかw
場合によっては本文も、かな文字の含有量が多いときがあるけど、気が緩んだのかな?
0114人間七七四年2011/12/23(金) 23:06:45.28ID:HJ8lQWr+
置塩の妙国寺に、霊験あらたかな日蓮像が一人の苦行の者によってもたらされた。
なんでも、この像を持って現世・当来のことを祈るにその験あらずということ無しというのだ。
置塩城主・赤松則房も「奇なり」とし、則房の奉行人・鳥居安芸守や大路伊賀守によって保護され、寺は大いに栄えたが、赤松氏が阿波に移転すると檀家も減少し、ついには無縁の地となってしまった。

やがて寺は置塩から姫路に移され、河間(こはざま)と言う所に仮の茅舎を結ったのだが、隣家の失火で民家はことごとく焼失、寺も巻き込まれて経典も宝物も全て灰燼となってしまう。
住持の日受はこれを悲しみ嘆いていたが、一両日後に焼け跡から人の声が聞こえるので近付いてみると、聖像が一樹の梢に座しているではないか!
これには万人、感嘆せぬものは無かった。

慶長年中、池田輝政によって寺は現在の場所に移される。
聖像の奇妙を聞いた輝政の令室はこの寺に祈願を修せしめ、毎年佳節ごとに修法の巻数を奉ったためかこの寺にはとにかく奇瑞が多いのだ。
ある時、盗人が寺に侵入した際なども、聖像は声を発し、賊はたちまち逃げ去ったという。
(播磨鑑)
0115人間七七四年2011/12/23(金) 23:55:53.25ID:w2HOH5sO
寺は廃寺、民家は火事、泥棒は逃走しても、
仏像だけは無事(笑)

善くも悪くも日蓮宗らしくて、いい話だな
0116人間七七四年2011/12/24(土) 09:39:20.30ID:RE9w6gXM
夢見る高虎


藤堂高虎は、侍臣に語った。

・・・人、あるいはその妻に馴染めないのは、
特に人情と道理に欠けている。
妻は夫に身を委ねて、たとえ乞食となっても、たとえ乞食となっても、たとえ乞食となっても
連れ添って離れないものである。
人情と道理の重きこと、これに過ぎるものはない。

それをも疎んずるほどの者は極めて不人情であり、
頼みとするに足らない。
心得なければならないことである。(聿修録)


聖夜だしね。
愛があれば、たとえ・・・
0117人間七七四年2011/12/24(土) 12:41:31.57ID:fkjhNVRf
>>113
輝元だったら呑み過ぎて、手元が怪しくなってるのかもw
0118人間七七四年2011/12/24(土) 13:06:51.93ID:zOZUwXu3
>>116
高虎は現実的な話してるだろ
なんで題名が「夢みる高虎」?
0119人間七七四年2011/12/24(土) 13:49:53.76ID:BiM97kaq
>>118
理想論だからじゃね?
0120人間七七四年2011/12/24(土) 13:52:48.41ID:LBvPuyPA
これが現実的と思える>>118は幸福である
メリークリスマス! よい聖夜を!
0121人間七七四年2011/12/24(土) 13:58:27.34ID:oKwsF5D6
真っ先に氏真公を思い出した
0122人間七七四年2011/12/24(土) 13:59:01.99ID:IhOayrgk
そういや、高虎の奥さんてあまり知らないな
0123人間七七四年2011/12/24(土) 14:31:39.68ID:zOZUwXu3
>>120
これクリスマス的な妻に好かれてしょうがないっすわな恋愛の話じゃなくて、
妻や子供は最後は一家の主人を頼るしかないのだから、
家族を疎んじるような男は頼りにならないという現実的な話だろ?

クリスマスに堅い話して申し訳ないが(笑)
メリークリスマス!
0124人間七七四年2011/12/24(土) 15:00:26.19ID:krJdR1d4
∧_∧
( ´・ω・) みなさん、クリスマスということで休戦しませんか?
( つ旦O
と_)_) 旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦
0125人間七七四年2011/12/24(土) 15:45:53.55ID:PyOqZD1e
これはこれは、松永どの(微笑みつつ、お茶には手をつけない)。
0126人間七七四年2011/12/24(土) 18:05:40.17ID:41tc2wXx
赤「レッドサンタ」
白「ホワイトサンタ」
青「ブルーサンタ」
茶「ブラウンサンタ」
黒「ブラックサンタ」
緑「グリーンサンタ」

全員「五人揃って、四天王!」
0127人間七七四年2011/12/24(土) 18:19:22.09ID:RVFW6dxw
赤井直正、白鳥長久、青山忠成、茶屋四郎次郎、黒田孝高、緑…?
0128人間七七四年2011/12/24(土) 18:55:05.06ID:KUt25q55
金光宗高「これっ!ゴールドを忘れておるぞ、ゴールドを!
     地味な緑よりこのワシじゃ!」

直家「・・・・・・・・・・。殺るか。」
0129人間七七四年2011/12/24(土) 18:59:11.73ID:U/N6RtH0
某弾正「緑とは、松がもつ永久に秀でた色、聖誕節でもあるし、わしこそふさわしいかと」

それはそうと調べたら緑弾正という人物が長宗我部元親と戦った武将でいたそうな
0130人間七七四年2011/12/24(土) 19:29:31.41ID:Yl6f52RA
松永、三好三人衆のクリスマス休戦の後に似たようなものってあったの?
0131人間七七四年2011/12/24(土) 20:04:45.43ID:rIXlvlUm
>>130
松永久秀とクリスマス休戦は何も関係ない
当時の松永配下のキリシタンの国人が行ったのであって
松永=クリスマス休戦は尾ひれも良い所
松永久秀だからって本当は関係ないのに何でも結びつけるのは間違いだぞ。
これは松永以外の事でも言えるけど
0132人間七七四年2011/12/24(土) 20:13:45.81ID:fkjhNVRf
>>126
テンプレだけど6人いるだろw
0133人間七七四年2011/12/24(土) 20:16:57.80ID:Sk23NQyx
てっきりブラウンは権現様とばかり・・・
0134人間七七四年2011/12/24(土) 21:20:35.49ID:IhOayrgk
そういや、前田利家はクリスマス生まれなんだっけ?
0135人間七七四年2011/12/24(土) 22:56:30.18ID:71+Rm/no
>>127
黄色、桃色、銀色とか思いつかないな・・・

地黄八幡は反則?
とか思ったら「北条五色備」がいたことに気付いた
0136人間七七四年2011/12/24(土) 23:00:18.83ID:WJGz5thd
すでに悪いスレで似たことやってるんだけどね
まとめサイトでは仙桃院とか、織田信秀(戒名が萬松寺殿桃巌道見大禅定門)とか上がってた

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/05(月) 03:36:31.30 ID:oig6DICa
>>260じゃあ適当に
黒田官兵衛「黒田ブラック」
赤井直正「赤井レッド」
地黄八幡「北条イエロー」
白鳥長久「白鳥ホワイト」
森長可「森ピーチ」
0137人間七七四年2011/12/24(土) 23:26:19.75ID:B4Hp9N1r
銀は信長に追放された斯波義銀で
0138人間七七四年2011/12/25(日) 02:55:48.79ID:fSAjlyie
斯ル波ー義銀
シルバーよしかね
0139人間七七四年2011/12/25(日) 17:26:44.03ID:J0wjrkZB
「赤松さんの墓」

元文3年(1738年)但馬・円山川流域で大洪水が発生し、小佐郷に大きな石が流れ着いた。
その石は墓石にするには理想的な形状をしていたのだが、高さは1,5m、幅は50cmもあるので、村人たちはとりあえず永源寺の住職・了覚和尚に預けることにした。

その翌年、了覚和尚から村人たちへ一つの提案があった。
「お前達もよく知っているとおり、この小佐郷は120年ほど前には竹田城主・赤松広秀(広通)公によって治められておった。
広秀公は民を非常に慈しみ、この郷が凶作となった時など3年間にわたって年貢を全免してくださった。
さらに、氾濫地には桑を植えて養蚕を奨励されたことで、今もこの地は恩恵に浴し、昨年の飢饉も生糸の収入で乗り切ることもできた。
このご恩を忘れぬためにも、あの石で広秀公の供養塔を作ろうではないか。」

「赤松さん、赤松さん」と広秀のことを語り継ぎ、敬愛してきた村人たちのこと、これに反対する者のあろうはずもない。
早速「乗林院殿可翁松雲居士之墓・前竹田之城主赤松左兵衛廣秀」等の文字を刻み込むと、自分達の先祖によって密かに築かれていた、大森(養父市八鹿町)の墓に据えたのであった。
後には、この墓が雨露に濡れることの無いようにと祠で囲い、祭祀を欠かすことなく今も大切に守り伝えられている。
また、収穫を祭祀の費用に当てるための田畑は「赤松散田」として伝えられてきた。

なお、竹田城下ではこの墓の事を「腕塚」と呼んでいるそうで、
赤松の遺臣や竹田の領民が、広秀が自害した鳥取でその片腕(片袖)を下げ渡してもらい、どうにかして竹田へ持ち帰ろうとしたものの、
城接収のために城下には入れなかったので、やむを得ずこの地に葬ったものだという話が伝えられている。

大森にも竹田にも「赤松さん」への思慕は今なお残っている。
0140人間七七四年2011/12/25(日) 19:04:54.50ID:ptZR+4GR
善政でんな
0141人間七七四年2011/12/25(日) 20:26:51.40ID:4Mny2YgA
家康に切腹させられた人としか知らなかったが
おのれ亀井茲矩め
和尚さんGJ
0142人間七七四年2011/12/25(日) 20:28:17.68ID:ekVvFgtH
赤松政秀の子供だったねこの人
0143人間七七四年2011/12/25(日) 21:45:14.33ID:J0wjrkZB
竹田の観光案内所で色々教えてもらっていた時に聞いた
「私たちは今でも、赤松さんに治めてもらったことを誇りに思ってるんです。」
という言葉が忘れられません。
0144人間七七四年2011/12/25(日) 23:10:56.56ID:2LzmoaPT
藤原惺窩がめちゃくちゃ買ってたのも頷ける>赤松さん
0145人間七七四年2011/12/26(月) 03:54:43.43ID:71kzmdJL
竹田城行った時、亀井さんがすげーdisられてて不思議な気分だった
亀井さんが地元の殿様だったから
0146人間七七四年2011/12/26(月) 07:57:58.18ID:d2WqDJyr
こんなの見つけた。
竹田小学校校歌(1番)だって。

「虎臥山に 年ふりて その名も高き 赤松の
葉末の雫 むすびつつ 二葉の小松 茂りゆく
学びの園は 千代八千代」
0147人間七七四年2011/12/26(月) 08:05:29.24ID:Z+T6d6Py
年貢三年免除って、実際有り得るの?
0148人間七七四年2011/12/26(月) 09:20:59.43ID:nCx9g6Lh
当たり前だが支払い能力が無い者に払うことを強要しても
意味が無いどころか逃げ出して将来の収入増の可能性を無くすので害になる
 
3年かどうかは知らないが状況に応じてある程度の期間減免はありうる
0149人間七七四年2011/12/26(月) 10:48:05.39ID:wEUFfWEO
年貢以外にも税収はあるから財政に余裕があれば年貢の免除もある
さすがに領国全域での全面免除はそうないと思うが
0150人間七七四年2011/12/26(月) 11:30:15.96ID:8KH1fnb3
>>146
やっぱ校歌はこういうのがいいよな土地に根ざしてような
おれは新設校の薄っぺらい校歌だったからあほくさかった
大人になって歌詞読んで色々感じられるのがいい
0151人間七七四年2011/12/26(月) 12:41:28.78ID:azna+/Pd
年貢を3年免除しても運営できる藩政だったのだから
非常に優秀な統治をしていたんだろう。
0152人間七七四年2011/12/26(月) 16:52:33.19ID:YOViG9M4
どっかのフォレストさんとは大違いだな。
巷はやれ伊達だ真田だ言ってるけどやっぱりこういう人達が評価されてほしいな・・。
0153人間七七四年2011/12/26(月) 16:55:32.89ID:YOViG9M4
連レス失礼。
決して隻眼や具体的に何したか分からん人をけなしたわけではないのであしからず・・。
森さんについては否定しません。
0154人間七七四年2011/12/26(月) 22:37:58.62ID:oagGq/Hn
なんか珍しく俺の好きな広秀さんの話だが、今投下できるものがない...無念
0155人間七七四年2011/12/27(火) 00:05:55.92ID:q1XTyam5
ラフォーレさんは今日も大人気。
0156人間七七四年2011/12/27(火) 08:53:01.28ID:VpQ0F4Q2
あ薔荼悲畳紗織か


あ薔荼悲畳紗織か




あ薔荼悲畳紗織か




本当にh抜かねらや和末亜ぬやわー。呂な日ぬたに雪見様基地機だに言わん波やぬ針、和マヌやわ。

?leはスク阿智眉夏阿智味ゃらっつぁsな玉置生君か巻きやす湯近間か幕マカ様話チアな湯な比喩てぬそな粉屋な。

巻き右間側沼かいまな体にゃ街化しは山に釜釜釜は可否ら味様様に間は酒屋あや位ユアや草や可否アラ玉さ並木間釜様方マサ隊ユアや穴藤間様に打ち返される。

樓魔寧文へ真帆斃瑜も聾薆を禰伊れ偉ぷ武万葉其方を砂魑ね地魏とぞ廻れ倭嶺、あ蘭魔廼擢と他部釜无劣不ぞ哈密き貯寸那致䄅く釜奴辺戸は善魔慈魔梨た魃厦亜に嘉羅汰鬼戦弥踏み縷魔荼父母夛め都莉鎖圖師苑て魘巍衛恵る木歩雨他琉偉な。


愛がなら浜な沙汰は姉ライや高谷伽耶。新たの白湯쀒נב효효효효효っら픂퐆푶픂풒픞표やな。でもちょっとトゥルリンゲていてもブワジュギ〜

ぬら彩奈棚しまさタサ裏や鮎なさやさならアラleは沙汰またさやな白湯'çaõ白湯穴や否熱美優沼アヤあり得な島さへありタラ荒尾や生は馬•嗎。

原油話庵は兄エア他沙汰し、はリオ無はアラ日は金原荒谷暢気久皮膚さ八幡は逢たは場に棚あり荒畑は差は間様かなあ谷田八幡的たえ。觧?


また硬い粥ぬんん無鮎泡アマ泡川かを乾き、話なユダヤな罠間様やSIM絢爛たる鬨=田畑腹たる多羅について舞まあ身釜か湯屋にかやかも又マカや何もかもハマスやな。
0157人間七七四年2011/12/27(火) 10:26:46.05ID:7CAI3cut
>>156
某大内スレかと思った。
0158人間七七四年2011/12/27(火) 13:12:26.91ID:4VVXyXjS
武田信繁が子供の頃の話。
父親信虎はなぜか長男信晴(信玄)を疎んじ、
信繁を殊の外可愛がり、家督は信繁に譲りたい、とまで言いだすようになる。
こうなると家臣団も晴信派、信繁派に分かれ武田家の行く末も危ういものと思われた。
しかしこんな中、信繁は信虎から珍しい玩具をプレゼントされた時でも、
「これは兄上様のものです」
と、晴信に届けていたという。
長幼の序を守ると同時に、父に疎んじられる兄を哀れむ仁の心情も多いにあったと思われる。
仁なき忠義は心なき礼儀作法であるが、
信繁には形式化したところはなく真心からの礼儀作法であった。
後、信繁が成人した後、自ら直属の家臣たちに言った。
「信玄様は兄ではない。甲斐武田家当主だ。
間違っても我ら信繁家臣団の者たちは、
信玄様の弟直属の家臣団などと誇ってはならぬ。」
と諭し、
有名な99箇条の家訓の第一にも兄信玄への忠義をあげていることは今に伝わる通りである
0159人間七七四年2011/12/27(火) 13:16:29.90ID:4VVXyXjS
〉父親信虎はなぜか長男信晴(信玄)を疎んじ

訂正します
父親信虎はなぜか長男晴信(信玄)を疎んじ
0160人間七七四年2011/12/27(火) 14:02:26.74ID:3dub6oDn
なぜかっていうか、ここまで信繁の出来がいいと後継がせたくなるよなあ。
信繁が家督を継いでいたら武田家の滅亡は無かったような気がする。
0161人間七七四年2011/12/27(火) 16:13:58.02ID:tYipOkiR
可能性だけならどうとでも言える
0162人間七七四年2011/12/27(火) 17:21:39.00ID:7SKW+ANu
>>160
甲斐の国の貧困を考えたら、誰か家督を継いでも同じ。
というか、信玄だから家康ボコボコにして、信長に本気出させようとする事も出来た。
0163人間七七四年2011/12/27(火) 18:02:03.20ID:+XVPbf3Y
てか、幼い頃の晴信は信繁より劣ってたのかね。そういう逸話があるの?
0164人間七七四年2011/12/27(火) 18:23:51.73ID:aHtAteDc
貝の逸話とか賢明とする逸話が多いな>信玄
0165人間七七四年2011/12/27(火) 19:30:11.01ID:7SzPRQKk
生意気な子<素直な子だったわけですね
0166人間七七四年2011/12/27(火) 19:48:42.10ID:2Phlz4nt
どっちも出来のいい子なら、性格もいい方が可愛いわな
0167人間七七四年2011/12/27(火) 20:03:56.25ID:4VVXyXjS
信繁本人は、
「能力的に兄上にはかなわない」
と言っていたと童門冬二の本にあったよ。
ただ歴史にifはないけど、信玄亡き後に信繁いたら、
武田家の分裂をどうにか対処していた気もするな。
信濃は信繁亡き後、反乱が発生するようになった話もあるし
0168人間七七四年2011/12/27(火) 20:18:02.37ID:3j7hy7ZC
ただの優等生だと国人衆を抑えられないんじゃないのか
親父だって追い出されたわけだし、兄も苦労した
0169人間七七四年2011/12/27(火) 20:36:29.48ID:4VVXyXjS
>>168
どう考えてもただの優等生ではないでしょ
信濃はうまく統治していたようだし、
戦場でも勇敢な話が伝わってる
0170人間七七四年2011/12/27(火) 21:05:36.07ID:JblkKiXt
戦場での勇敢さも蛮勇って感じではないよね?
優等生って言い方が悪ければアクの強さがないって感じかなw
有能であることは確かだと思う
まぁ、敢えて目立たないようにしてたのかもしれないけどね〜
0171人間七七四年2011/12/27(火) 23:25:32.17ID:VVj4cljf
左衛門佐「照れるやん」
0172人間七七四年2011/12/27(火) 23:32:15.95ID:AGDGBLr/
信繁のテンキューてどんな意味だったっけ?
0173人間七七四年2011/12/27(火) 23:39:43.03ID:Axa0Gn+0
典厩
0174人間七七四年2011/12/28(水) 00:47:07.68ID:slXoE7q/
左馬頭・右馬頭の唐名
0175人間七七四年2011/12/28(水) 07:07:43.02ID:wlwSe0TW
イモトとか出てるよな
0176人間七七四年2011/12/28(水) 07:15:34.50ID:G5ztUR24
たとえ信玄→勝頼でも、信繁がいれば
敵国諏訪の姫との子だった勝頼にも家中従順だったんじゃないだろうか。

てか信玄は優秀だけどなんだかなぁ。
村上義清や謙信に板垣甘利テンキュー勘助と多くの将失いすぎだろ・・。
駿府に執着するあまり後継者として認知されてた義信と飫富を失ってるし。
信玄だからこそ武田が滅亡したとも言える。
0177人間七七四年2011/12/28(水) 07:55:19.14ID:uWhTuyD7
まあ信虎信玄の親子で武田家を潰した感は否めないよなあ。

優秀でしかも特殊な性格じゃないと戦国で台頭するのは難しいのかなあ。
信長や信玄や謙信や政宗とか。

北条みたいに優秀でしかもまともな人間って結局パッとしないし。
0178人間七七四年2011/12/28(水) 09:01:47.40ID:qFyiZKB8
>北条みたいに優秀でしかもまともな人間

ギャグ?
0179人間七七四年2011/12/28(水) 09:30:50.47ID:uWhTuyD7
北条は領国経営も安定していたし領民にも慕われていた。
法や町の整備、検地もしっかりしていたし、一族や家臣もまとまっていた。
加えて城は難攻不落だし、他国との外交においても下手を打つ事もなく
関東一円では最大の勢力を誇っていた。
優秀でまともと言えるのではないだろうか。
0180人間七七四年2011/12/28(水) 09:52:16.94ID:lC5apNjG
勝頼が長篠の後に織田が持ちかけた和議に乗っていたら、とか
北条がもうちょっと粘って一族助命、相模伊豆の条件で和議結んでいたら、とかは
想像するのが面白い。
0181人間七七四年2011/12/28(水) 11:03:01.84ID:/D0IQFV9
関ヶ原合戦から四日後の九月一九日、徳川家康の本隊は大坂へと進軍していた

そこへ兜を付けず、具足は黒、鹿毛の馬に乗り、金の才槌の指物を指した武者が向かってきた
家康本隊の先手衆は彼は先発した大名の使番と考え、特に心にも留めずにそのまま通した

その時の家康は駕籠に乗っていたが、二〇間(約36m)先に金の才槌がキラリと光るのを見て、
「あの指物の持ち主を改めよ」
と命じ、改めるとその武者が落人であることが判明し、その場で打ち捨てられた

おそらく家康は東軍全ての使番の指物を把握していたのであろう
家康の記憶力はこれまで何度も話題に登ったがこれも一つの例と言える
0182人間七七四年2011/12/28(水) 11:12:44.09ID:ns5/rhHp
頼朝にも記憶力よかった逸話あるよね
0183人間七七四年2011/12/28(水) 11:48:55.04ID:w54SnRVL
>>179
一行目から四行目までは、優秀であることの根拠にはなるけど
人格がまともかどうかの証明にはならんだろ?
0184人間七七四年2011/12/28(水) 12:05:06.69ID:pfUGMORd
後世の創作でなしに、まともでない話とかあったっけ?
0185人間七七四年2011/12/28(水) 12:15:20.88ID:hCXeXDtp
キ○ガイは隠しようが無いから、
そういう逸話がない=まともである
と言えない事もない
0186人間七七四年2011/12/28(水) 12:21:57.15ID:OiC/YMMG
一般的な風潮にとりあえず疑問を感じて俺かっこいいって思うタイプの人間なだけじゃね
0187人間七七四年2011/12/28(水) 12:41:47.56ID:Mws3pA6+
>>181
家康もだけど、昔の人の記憶力は半端ないな
どうすればここまで記憶力持てるんだろう ぜひ教えてほしいもんだ
0188人間七七四年2011/12/28(水) 12:44:22.56ID:NQARnlSh
大名格ともなると誰が活躍したか覚えることが
戦場での仕事と言えないこともないし、大事な能力だよね
0189人間七七四年2011/12/28(水) 12:45:19.91ID:BGxqyKX5
昔の人の記憶力が半端なければ、家康よりも先に、徳川方の誰かが、指物が怪しいと気づく気がするが
0190人間七七四年2011/12/28(水) 12:47:51.92ID:slXoE7q/
ごもっとも
0191人間七七四年2011/12/28(水) 13:01:57.29ID:ytd0werF
日本は紋章官みたいに論功行賞専任の役職が無いんだよな
軍監が複数の仕事を掛け持ちしてる場合が殆どで
0192人間七七四年2011/12/28(水) 14:26:10.51ID:slXoE7q/
軍監という役職の中にの中に色々な仕事をしている人が
含まれてると解釈しても良いんでないか
軍監=派遣本部将校
0193人間七七四年2011/12/28(水) 16:48:51.96ID:/D0IQFV9
東軍は広い範囲から結集しているので、全てを把握するのは難しい
0194人間七七四年2011/12/28(水) 17:58:29.63ID:DNQM9BAk
長尾景虎さんは第一回関東遠征の時に関東諸将の旗をダーッと並べた幕を作って
家名と旗を必死に暗記したみたいで
しかも関東の事は私不案内だからよろしく教えてくださいねとか書いてるから
一気に家臣が増えると偉い人は大変みたいだよ…
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