戦国ちょっといい話30
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年
2011/12/11(日) 21:46:15.43ID:NURhlo81戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1317824861/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1321170836/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0811人間七七四年
2012/02/08(水) 12:17:42.71ID:cDmWnN4l諏訪家切腹の作法
諏訪頼重は妻の弟武田晴信に敗れ、甲斐の東光寺に幽閉。ついに切腹の時を迎えた。
神長官守矢氏の残した『守矢頼真書留』によると、
切腹に先立ちサケ、サカナを所望したところ、酒は持ってきたが肴はないと武田の家臣が応
えた。それに対して、頼重は「武田では切腹の作法を知らないと覚える。肴とは刀のこと。わ
れらほどの武士に腹を切らせることは、武田家では今までなかったのであろう。」 といって
作法通りに立派に切腹した。
とのことであった。これは、東勝寺で北条高時とその一門自害の際、得宗御内人だった諏訪
入道直性が「この後に続く人はこれを肴に」と自らの腹を切った刀を長崎円喜入道の前に置
いた故事(太平記)によったものであろう。
0812人間七七四年
2012/02/08(水) 13:07:20.14ID:7sanaMZN,r'"´丿ヽ ̄`ヽ、
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_」 ,′'´r ェェ-、 j;:イェェ、l、 ΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛ
/ ゝ,イ j `ヽ`"´.::;; ト、"´ ヾi / ヽ
! ,イl〈〈 ,ィjハノ。 。,j、、,,. l < ワシが武田家総帥法性院信玄である!!!
| Y」 i; ,r'´r-、ニニニ = i! ,/ ヽ /
! ,' / ,イ,ゞ-j!ーi!ーl-{ i! | V^V^V^V^V^V^V^V^V^V^V^V^V´
,>,イ ,! i/ ,! il,!
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0814人間七七四年
2012/02/08(水) 13:20:37.98ID:7sanaMZN_,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,_
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0815人間七七四年
2012/02/08(水) 15:06:57.19ID:g3j7+yLuしい‐てき【恣意的】
[形動]気ままで自分勝手なさま。
論理的な必然性がなく、思うままにふるまうさま。
「―な判断」「規則を―に運用する」
提供元:「デジタル大辞泉」
気ままなチョイス、という意味なら>>803の使い方は間違ってない
0816人間七七四年
2012/02/08(水) 15:20:13.84ID:TAJigT+Qどのように恣意的かどれが誤用で何が本来の姿なのかを聞きたいのだけど
山梨県民じゃないからさっぱりなので
0817sage
2012/02/08(水) 15:55:21.49ID:+JUVUADs鎧は質実ならば簡素なものでよい。ただし兜は立派なものにせよ。
討死にすれば、首に添えられて敵の大将のお目に掛かるものだからな。
伝鍋島直茂所用の甲冑(佐賀祐徳稲荷博物館蔵)の兜は風格ある
銀箔押の六十二間小星兜で、たしかにその言にふさわしい。
でも、鎧(銀箔押碁石頭札白糸威二枚銅)もけっこうおしゃれなんだよな。
袖も銀箔押札を色々威した大袖だし。
0818人間七七四年
2012/02/08(水) 18:01:52.95ID:/S/nxhT/戦場で個の美意識を表現出来たのは。
幕末にも先祖伝来の甲冑で参陣した武士もいたようだが、
時勢は洋式にあった
0819人間七七四年
2012/02/08(水) 18:05:22.31ID:TAJigT+Q0820人間七七四年
2012/02/08(水) 21:04:38.37ID:7T5LRf9p0821人間七七四年
2012/02/09(木) 00:23:03.96ID:1OB5edw3依田信蕃ェ
0822人間七七四年
2012/02/09(木) 02:15:16.63ID:xXCSSQS+甲冑は機動力を極端に落とすし、鉄砲には負ける。
けど、混戦や切り合いがないわけじゃない。
0825人間七七四年
2012/02/09(木) 12:05:43.58ID:46z8qJoE万の軍勢率いて徳川大逆襲をなんとか止める所まで含めて興味深い期間だな
0827人間七七四年
2012/02/09(木) 13:51:14.97ID:vVozkXvT「お手紙ありがとう。戦勝祈願のお守りが届きとても嬉しく思っています。
こちらももうすぐ暇になりますので帰りましたらまたお話しましょう
追伸:かえすがえすもお手紙嬉しかったです。また字が上手になったようなので、お手本を送りますね」
というものがある。この時に送られた謙信直筆の習字のお手本も現代まで残っている。
美しく丁寧な字でいろはを書いてあり、子の無い謙信の甥への細やかな愛情が伺われる。
謙信に育てられた景勝も後年一人息子の定勝に御手製の習字練習帳を送っている。
ところで謙信の喜平次宛御手製お習字ドリルはこれ一回だけではなく、
現存してるだけでもひらがなカタカナに漢字ドリル(朱で手書きされた読み仮名付き)
書状の書き方講座に家臣達の宛名帳だのあり、
最初のお手本も第一次関東遠征の最中に書かれたものらしいが、案外暇だったのか
よなべしてドリル作ってる謙信を想像するとちょっと面白い。
0828人間七七四年
2012/02/09(木) 13:59:18.86ID:/tKJ1ZfL0829人間七七四年
2012/02/09(木) 14:15:13.54ID:EfqxaWlW0830人間七七四年
2012/02/09(木) 14:33:52.36ID:TXmLzQSp我らが将がこのような柔弱の将に負けるはずがない、正面突撃だ!と仰せです
皆の衆天あ・・・もとい大将の威光を信じて突撃じゃ!
0831人間七七四年
2012/02/09(木) 14:43:37.39ID:Zid33v490832人間七七四年
2012/02/09(木) 14:54:51.33ID:ilcNbu4v0833人間七七四年
2012/02/09(木) 15:55:20.28ID:46z8qJoE勝頼は長篠後に若年や隠居や僧や農民でも戦える者は復帰参加して従軍しろと命令を出し
とりあえず軍を再建して遠江駿河救援戦に向かったのだが
武田軍が農民を連れてきてる、なんだかみすぼらしいと兵が噂してると
家忠日記に書かれちゃうくらいの姿だったらしい
しかしそれによって徳川反攻戦は高天神城と小山城-田中城防衛ラインで停滞し
当代記で手際のいい勝頼は侮れない将だとの評されたと。そんなかんじ
0834人間七七四年
2012/02/09(木) 15:58:39.37ID:46z8qJoE公私じゃ別の顔を見せるもの
0835人間七七四年
2012/02/09(木) 16:08:23.56ID:sdN2f5HR嫁大好き、息子可愛い、孫心配のマイホームじいちゃんだが、
実際やってることは、謀殺戦争大粛正だしなー。
0836人間七七四年
2012/02/09(木) 16:24:34.29ID:ZjV+ohtj0838人間七七四年
2012/02/09(木) 20:05:05.69ID:e6hyZtGCなるほど勝頼かっこいいね
それにしても農民をつれてきてるとか言われてるあたり武田軍は兵農分離した戦闘のプロだったんだろうな
織田厨また敗北
0839人間七七四年
2012/02/09(木) 20:13:02.98ID:Zid33v49この場合は軍装のことだよ。
だいたい兵農分離は現象に過ぎず、それで強いとか弱いとか、兵の動員に至るまで
何の関係もない。
0840人間七七四年
2012/02/09(木) 20:14:46.38ID:46z8qJoE0841人間七七四年
2012/02/09(木) 20:18:30.46ID:e6hyZtGC農民は武具とか持ってないってことだろ つまりそれまでは戦闘のプロだったから武具が揃ってたと
0842人間七七四年
2012/02/09(木) 20:21:24.58ID:Oaf9NwIT0843人間七七四年
2012/02/09(木) 20:43:22.02ID:YXx3abdCつーか農民=武器持ってないってなんだそりゃ〜
0844人間七七四年
2012/02/09(木) 20:54:10.60ID:06GbpPgE0845人間七七四年
2012/02/09(木) 20:56:02.51ID:BSGw/QGL末端の兵士にみすぼらしいと馬鹿にされるようじゃ
立て直せないうちに滅亡か
0846人間七七四年
2012/02/09(木) 20:57:48.39ID:06GbpPgE基本農民は最強だけどな
0847人間七七四年
2012/02/09(木) 21:12:04.79ID:AZZWS2y217歳から戦場で戦い、57歳までの間に40数度の闘いに出て居る。
槍も刀も貸し出し品は一切手にせず、鎌一つで戦ったと記録に有る。鎌一つで一度の戦で7人を殺したとも言われてる。
あまりの残虐性と強さのため武将達から「首切り茂吉」と言われていた。
高禄で召し抱えたいと申し出た織田信長を前に、あさりと断り、年貢を免除して貰いたいと願い出た。
自分の申し出を断られ激怒した信長は斬りかかるも、茂吉は信長相手に蹴りを入れて倒して「やるならやんぞ!!」と 怒鳴りあげたと言われている。
その後信長の領地で唯一年貢を免除された男として首切り茂吉は有名である。
かの秀吉も茂吉を召し抱えようとするも「秋だし狩ろうかな」と言われて引き下がったと言われている。
なぜ茂吉が首切り茂吉と言われるか、その自宅には今まで倒した男達の首が置かれており、その数は500を超えていたと言う。
一体人知れずこの男はどれだけの戦功をあげていたのだろうかと織田家中では伝説的な農民であった。
40数度の戦に出て、生き延びた首切り茂吉。有名ではないがまさに最強であり多数の戦をした男である。
57歳の時、ついに茂吉は関ヶ原にて可児才蔵との激戦の末、首を打たれたと言う。
0848人間七七四年
2012/02/09(木) 21:13:32.21ID:06GbpPgE0849人間七七四年
2012/02/09(木) 21:16:08.74ID:zTl/CmhYまとめスレ見たら茂吉の話がまだ載ってないような気がする
0850人間七七四年
2012/02/09(木) 21:17:18.46ID:Oaf9NwIT0851人間七七四年
2012/02/09(木) 21:18:26.45ID:Qr7bo9BN0852人間七七四年
2012/02/09(木) 21:19:54.31ID:zTl/CmhYさすがにオーバーすぎるけど、元ネタがあると思ってた
0853人間七七四年
2012/02/09(木) 21:23:55.18ID:ro6Nu5fs0854人間七七四年
2012/02/09(木) 21:34:47.54ID:CQCdKDTPまあしょうがないかと。
0855人間七七四年
2012/02/09(木) 22:05:34.63ID:9aBbVzZWまあ、このスレでそう言うのは不粋かもしれんけど
0856人間七七四年
2012/02/09(木) 23:10:41.76ID:zPiE/uGq見送り、秀吉の勘気を恐れず師を見送った二人は、数寄者として大いに名を上げた。
同じく利休の弟子であった蒲生氏郷は、二人に後れを取ったことを、深く後悔した。
そこで氏郷は、利休の養子・千少庵をかくまい、徳川家康・前田利家等、有力者に千家赦免を願い出た。
(早く、早くお許しをいただかねば・・・)
懸命の嘆願が実り、ついに文禄3年(1594)千家再興の許しが出され、秀吉が没収していた利休の家財・茶道具が
少庵に返還された時、氏郷は病の床に着いていた。
文禄3年2月、氏郷重体の報を聞いた少庵は、ただちに伏見蒲生屋敷に駆けつけた。
死相の濃く現れた氏郷を、あえて少庵は激励した。
「ま、まだご回復半ばと見えまするな。貴方様は、まだ若い上に文武両道たる事、日の本に一、二の将におわし、
皆々大切に思っております。失礼ながら、ご養生がおろそかと見えますぞ?ご油断無きよう。」
氏郷はこれに答えず、一首の和歌を少庵に示した。
“限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風”
(花は、いつかは散るものを、この氏郷という『華』を散らさんと、春の山風が吹き付けて来よるわ。
運命とは、気の短いものよ。)
「・・・殊勝なお心掛け。」
氏郷の『辞世』を見た少庵は、思わず落涙し、「さ、されど」その上で涙を押さえ、返歌をしたためた。
“降ると見ば 積らぬ先に 払えかし 雪には折れぬ 青柳の枝”
(貴方様は、散り行く花などでは無く、積る雪にも折れずにしなり、ついには払う青柳にございます!
しっかりなされませ!)
返歌で氏郷を叱咤して、少庵は蒲生屋敷を後にした。(長夜茶話他より)
少庵の激励も空しく2月7日、蒲生氏郷は世を去った。享年40。
少庵の孫・江岑宗左の言行録『江岑夏書』において、蒲生氏郷の名は『利休七哲』の筆頭として書かれている。
0857人間七七四年
2012/02/09(木) 23:12:21.35ID:wQ/wxWSeいやいや、一向衆徒武装してるだろw
本願寺も雑賀衆も金あるし
0859人間七七四年
2012/02/09(木) 23:32:59.50ID:CIsAQyup武装解除は近代以降の概念
0860人間七七四年
2012/02/10(金) 00:28:26.09ID:h92ZWXCD氏郷の辞世の句はこの時代の武将のものとしては屈指のものだと思うけど、
これに対する返歌があったんだなあ。
0861人間七七四年
2012/02/10(金) 00:56:32.02ID:xO0XYn2s花ぞ散る 思えば風のとがならず
時至りぬる 春の夕暮れ
花の散り様にもいろんな捉え方がある
0862人間七七四年
2012/02/10(金) 01:14:25.83ID:N/8HrRSC0863人間七七四年
2012/02/10(金) 11:06:30.08ID:did6RLua0864人間七七四年
2012/02/10(金) 20:07:57.08ID:xO0XYn2sそうとしか思えない当主の戦死率。
爽やかなまでに無常を受け入れる辞世と言い、
鎌倉以来の武家の名門の武士的な上品さがある
0865人間七七四年
2012/02/10(金) 20:34:56.44ID:WTZ3zLJg菊池が没落した後に台頭してきたライバルが大内というのもまた
0866人間七七四年
2012/02/10(金) 21:29:41.09ID:415rCOFC0867人間七七四年
2012/02/10(金) 21:32:16.18ID:U17yYi2S本質だった節は確かにあるw
0869人間七七四年
2012/02/11(土) 04:42:23.16ID:IhwJQFzD逆にゲヒ殿は七哲の中で底辺扱いされたり
下手すると金森長近(こちらは長子の道安を匿った)あたりと入れ替えられてたりで
千家の後嗣からはあんまり好かれて無いっぽいね
利休の気概を一番濃く受け継いだのは織部だと思うんだけどねえ
0871人間七七四年
2012/02/11(土) 07:40:21.05ID:dIJ7p0EAオレの今の心境は少弐政資に同感する・・・
0873人間七七四年
2012/02/11(土) 17:01:18.28ID:5aGtYdHwここで名実ともに毛利家当主となった毛利輝元に対し、一族・家中から新たに輝元への忠誠を誓う
誓紙が提出される。
ここで叔父・小早川隆景からの誓紙の内容を見てみよう
『日頼様(毛利元就)、常栄様(毛利隆元)より続く筋目のこと、勿論忘却するようなことはございません。
別して最近聞き及ぶところには、このような私の心中も、輝元様に相通じているように承っております。
一、私に対し、疎かにする気持ちは毛頭なく、今まで以上に懇意にしたいとのお言葉、忝く思います。
一、私が知っていることは全て申し上げ、毛利家内部の情報は一言も外部に他言しないこと、
これは既にご存知だと思います。
どうぞこれからも思っていることは全て、御心隔て無くおっしゃってください。
私からその情報を漏らすことは断じてありません。
一、当然、我ら一族の者は色々なことを輝元様に申し上げます。ですが、これは許容できないと
お考えになったことは、どうぞお気遣いすることなくそうしてください。
第一私の認識は、こんな事を今更申し上げるのもかえって隔たりがあるようですが、
私は輝元様お一人の他に、頼るべきもののない身上でございます。
私一代に対し、大小のどんな事においても御見放しなく、深重なるご憐憫を
頂いていること、忝く思っております。
毛利家の筋目という意味でも、私個人の冥加という意味でも、輝元様に対し無二の忠誠をなす
覚悟であります。
右の意趣に偽りがあれば、日本国中の大小の神々、特に当国の厳島大明神、八幡大菩薩、天満大自在天、
氏神様、それらの罰を蒙るでしょう。
左衛門佐 隆景(花押 血判)
元亀二年八月五日
輝元様』
輝元に対する隆景の心情、隆景・輝元双方の、お互いへの気遣いがかいま見られる史料であろう。
(毛利家文書)
0874人間七七四年
2012/02/12(日) 01:25:49.67ID:ukR7cFnK0876人間七七四年
2012/02/12(日) 02:10:12.91ID:Ouo+QHEG0877人間七七四年
2012/02/12(日) 05:53:15.01ID:IO/178gk人前に晒して説教は現代でも謀反フラグ。
それやる上司は一気に人望なくす
0878人間七七四年
2012/02/12(日) 11:15:41.72ID:MTzz/Q/x0879人間七七四年
2012/02/12(日) 13:09:42.60ID:1ot4HfJT0880人間七七四年
2012/02/12(日) 17:46:22.85ID:2xBmyiRo0881人間七七四年
2012/02/12(日) 20:25:55.08ID:73pbmnvl勝家と意見を対立させた末に無断で戦線を離脱した。この事に激怒した織田信長から秀吉は謹慎を命ぜられてしまう。
この時秀吉の弟の秀長も謝罪と釈明の為に安土城を訪れた兄に同行し、控えの間で待機していたのだが、共に来ていた浅野長政は
「秀吉は切腹させられるのではあるまいか・・・」
と気が気でなく、蜂須賀正勝に至っては
「もはや生きて城を出られぬかも知れぬ。だが、わしは無抵抗で死ぬつもりはない。」
と短刀を握りしめる始末で、室内の緊張感は高まっていた。すると、兄の窮地であるにもかかわらず冷静さを保っていた秀長は
おもむろに扇を開き、庭に咲く菊の香りを室内に届けるかの様に無言で仰いだのである。続いて竹中半兵衛が
「控えめに咲くあの菊の様に、我々も驕らずにいれば誠意は通じるでしょう。」
と静かに語ったため周囲も落ち着きを取り戻し、やがて秀吉が許されたこと知った一同は手を取り合って喜んだという。
「武功夜話」より、扇で皆を落ち着かせた秀長の逸話である。
0882人間七七四年
2012/02/12(日) 20:57:40.35ID:IO/178gk荒くれ河川労働者と信長じゃ気が合わなさそうだし
0884人間七七四年
2012/02/12(日) 21:45:40.24ID:k1kweMZi荒くれ労働者の後家なら家康にお任せだけど
0885人間七七四年
2012/02/12(日) 21:53:30.47ID:4B0umsjS0887人間七七四年
2012/02/12(日) 22:13:34.71ID:pxMPt5Z8明治天皇に冗談でからかわれはしたけど(笑)
0888人間七七四年
2012/02/12(日) 22:22:54.04ID:9xgL0Bcx0889人間七七四年
2012/02/12(日) 22:26:07.24ID:XQmJY4nL0890人間七七四年
2012/02/12(日) 22:55:37.70ID:pxMPt5Z8「陛下、お言葉ですが、
そもそも蜂須賀の盗賊伝説は江戸中期以降、
絵本太功記の創作でございます。
まして私は徳川から蜂須賀に養子に入った身。」
明治天皇
「・・・・・(いや、実際煙草とられてんだけど)」
な三河武士な展開にしてほしかったなw
0891人間七七四年
2012/02/12(日) 22:57:04.31ID:DQbO/mcF実は明治天皇に蜂須賀小六の血が流れてたという、衝撃の事実が
0892人間七七四年
2012/02/12(日) 23:02:19.91ID:XQmJY4nL0893人間七七四年
2012/02/12(日) 23:25:04.25ID:aZe8Uzdl0894人間七七四年
2012/02/12(日) 23:53:05.26ID:PvSieo2p大名家も養子ばかりだしな。幕末なんか水戸家からの
養子ばっかり
そういう意味で水戸家最強だな。水戸藩は幕末前半で消えたけど
そのあとの将軍や主要な藩の藩主は水戸藩系ばかり会津や桑名の
松平、尾張の徳川も親父かその祖父が水戸家出身だから
それ含めると越前松平を超える最強の連枝集団だな
0895人間七七四年
2012/02/13(月) 00:06:43.93ID:8f2U2jKn0896人間七七四年
2012/02/13(月) 00:30:16.11ID:selISkyR0897人間七七四年
2012/02/13(月) 00:40:15.83ID:TgcyyrdD榊原家なんかも血族は続いていたはず
0898人間七七四年
2012/02/13(月) 02:25:19.42ID:A27AQDfe風流過ぎる
0899人間七七四年
2012/02/13(月) 06:12:44.45ID:LGIIVCVg風流されると戸惑う
0900人間七七四年
2012/02/13(月) 15:58:26.79ID:8f2U2jKn砦を築くように命じられた。異母弟の秀長を従え、木曽川の水運を取り仕切る蜂須賀党(川並衆)の首領であった
蜂須賀正勝の元に赴いて協力を求めた秀吉は旧知の間柄であった正勝を得意の弁舌で説得したが、色よい返事は得られなかった。
場に重苦しい空気が流れる中、それまで無言だった秀長は
「この戦いは兄の出世ばかりではなく、戦乱の世を治める足掛かりになります。大した名声も持たぬ我らはこの度の戦に全てを賭ける覚悟です。
ぜひ協力願いたい。」
と発言。その誠実な人柄を感じさせる切々とした語り口は、秀吉の能弁振りよりも強く正勝の心を動かし、正勝の協力を得た兄弟は
砦を完成させて、信長の美濃平定に貢献したという。 「武功夜話」より、秀長の説得が蜂須賀党を動かした逸話である。
0901人間七七四年
2012/02/13(月) 16:04:25.24ID:+uSZYDLv0902人間七七四年
2012/02/13(月) 16:10:24.14ID:Gp6ex8vX0903人間七七四年
2012/02/13(月) 16:16:37.01ID:nnXPDbvEこう言う控えめ実直な有能bQって日本人の心にきやすいよな
0904人間七七四年
2012/02/13(月) 16:29:33.99ID:8SjeKcY2ある程度は認められてる?
0905人間七七四年
2012/02/13(月) 16:36:09.05ID:huiNTWR00906人間七七四年
2012/02/13(月) 16:38:10.48ID:a2SdNpSM生きていれば兄の死という重大事件によって失態をさらして評価だだ下がりだったかも
0907人間七七四年
2012/02/13(月) 16:38:29.93ID:ENSG7cdHぶっちゃけると資料価値はほぼ0。
よくて江戸後期の創作。
そしておそらくは戦後に創作されたもの。>武功夜話
0908人間七七四年
2012/02/13(月) 16:41:45.03ID:xmvm4Ky7やっぱり両方共いないと機能しない良いコンビだったって事じゃないかな
そんな解釈しちゃうと武功夜話が近世近代の作り話っぽくなっちゃう訳ですが
0909人間七七四年
2012/02/13(月) 17:08:35.17ID:eO402xW+0910人間七七四年
2012/02/13(月) 17:11:47.71ID:Cg0eUmlC秀長が長く生きていれば、と思わずにはいられない
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。