武田家はキチガイ揃いと思っているアナタ!
今に残る「信玄」のつく語彙から、往事の武田家を偲ぼう(かなり恣意的なチョイスです)。


信玄グッズ1

「信玄足(しんげんあし)」

田圃仕事の時に履く、足が沈まないようにするための大きな履き物。
要は田下駄のこと。

むかし信玄の頃、先陣を切った武士が泥田に足を取られ転倒した。
武士は軍令に従って見捨てられ、足場にされて踏み殺されてしまった。

用心下駄・安気足・信玄草履などとも言うが、いまでは信玄足というのが普通である。


信玄グッズ2

「信玄袋(しんげんぶくろ)」

ある時信玄と武将達が弓比べに興じていた。
ところが番の者が余りに遠くに的をやりすぎたので、誰の弓も届かなくなってしまった。

その時なにがしという小者が、「私ならこう致します」といって一目散に的に走っていくと、
番をしていた者の首を刎ね飛ばし、その袴に包んでて持ってきた。人々はなるほどと感心した。

この時、番士の首を包んだ袴が便利だったので、別に信玄袋といって作るようになったという。


陣吉(じんよし?じんきち?)

@今から六十年も前まで、(中略)山人たちが草刈りに出る時は、メンパという気で作った楕円形の
弁当箱に、蓋の方を熱い飯を一ぱいつめて、それを陣吉という袋に入れ、馬の背に付けて行った。

陣吉は麻のさらし布で作って、両方に口を付け麻の縄紐をつけた。背負うにも馬につけるにも大そう
都合良く出来ている。

この陣吉は武田信玄が考え出した者で、戦いに行く時や戦いの場で、たくさんの兵士達の弁当を作る
時に使った。まず陣吉に米を入れ、大きな釜へ袋のままに入れて煮、すぐ戦場へ背負って出かけたのだった。

その後、戦いが無くなって、袋のまま煮る必要もなくなり、麻から紺野木綿布となり、両口袋も片口に
変わってきて、今では本当の陣吉は見られなくなってしまった。

A
武田信玄は信州を攻める時、兵士の食料袋として陣吉という食料袋を作らせた。

それまで兵士達はお互い食料を巡って争い、奪われて殺される者、奪って死罪になるものが多かった。
そこで信玄は(@とほぼ同内容)という袋を作らせ、陣吉と名付けた。

この陣吉に、長沢の弘法水で作った一夜作りの味噌と米を入れ、そのまま煮て食べさせるようにしたのである。
ふつうの味噌は一年くらい経たなければうまく食べられないものだが、一晩で食べられることから、日々の戦に
大そう都合が良く、この味噌さえあればほかに何もおかずはいらなかった。
この地方(高根町)では、この陣場味噌がなまって、じんだ味噌と呼んでいる(以下@とほぼ同内容のため後略)。