連投スマソ。立物の話が出たので。

永正(信縄〜信虎期)のころ、甲斐郡内の地侍達は離合集散を繰り返していた。
それが余りに激しくなったので、互いに誰が敵か味方かも分からなくなり、
道を行くのにも贈答を交わすのにも難儀するようになってしまった。

そこで浅間社に季節の供物を納めた時に置く立物に、細い吹き流しをつけるようになった。
この色と立物の置かれた場所を見ることで、国内外の外交関係が一目瞭然になった。

いまでも浅間神社ではこの習慣があり、寺社・商家・部落・馬借等の関係が見て取れるという。

(日国記)