伊達家に仕え、その跡取りである伊達正宗の守役を19歳のころから勤めていた片倉景綱には
正宗の養育係であった喜多という異父姉がいた。この喜多は、文武両道に通じ男性にも引けを取らない賢女だったと
伝えられ、一説には、景綱は待遇に不安を感じて

「諸国を巡って名将に仕え、天下に名を広げたく思います。」

と、姉に相談したところ、

「主君を裏切れば天がそれを許さないでしょう。誠意をもってお仕えする事が
 貴殿の幸せにつながります。」

と諭され、景綱は思い留まったという。その後の政宗の飛躍ぶりは言わずもがなである。
以上、姉の見る目は正しかったというお話。