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戦国ちょっといい話30

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0001人間七七四年2011/12/11(日) 21:46:15.43ID:NURhlo81
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1317824861/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1321170836/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0411人間七七四年2012/01/13(金) 11:53:59.86ID:/3eBJAHo
氏真「だよねー」
豊国「そうそう」
0412人間七七四年2012/01/13(金) 14:27:51.70ID:jtoSXHov
>>410
その二人は実力と運と人脈に恵まれて、たまたま生き残っただけで
戦国時代には無数の勝成・宗茂もどきの屍が転がってたと思う
0413人間七七四年2012/01/13(金) 15:11:10.20ID:qzUCVkDt
>>409
直江は上杉と徳川が対立した原因を家康にも景勝にも求められなかった人たちが
江戸時代にスケープゴートにしただけで本人は基本的に忠臣じゃん
直江状も爽快な文章だとして広まったもんだし
水原や安田が直江と対立したような話も
出所は直江を悪臣にして徳川上杉叩きを回避しようとした話が元だし。
0414人間七七四年2012/01/13(金) 15:25:35.16ID:gU7lqkXF
爽快……?
0415人間七七四年2012/01/13(金) 15:34:27.22ID:8NJoN/ZK
何が疑問?
0416人間七七四年2012/01/13(金) 18:14:58.81ID:QXtAUjp+
山城守は地で嫌われてないか?
0417人間七七四年2012/01/13(金) 18:17:25.01ID:AY2+RVW6
そういえば直江状って、「家康を批判したものではない」って説まであるんだよなw
それどころか家康の権威を素直に認めたものだとか何とか。
そうなるともうわけわからんw
0418人間七七四年2012/01/13(金) 18:41:06.31ID:l0leCNf5
武田家における跡部勝資もそうだけど、意思決定に大きく関わる立場にいて、
結果としてその意思決定のために国が害を蒙ったら(武田→国が亡んだり、上杉→石高が激減したり)、
後世非難されたり、嫌われても仕方がないと思う。
国の指導的立場にある人の宿命でしょう。

直江状も、その後がうまくいっていれば、時の権力者に啖呵を切った爽快な文書として素直に受け取れるけど、
結果、主君に土下座させることになったわけだから、
身の程知らずが書いた愚かな文書、と受け取る人がいてもしょうがない。
0419人間七七四年2012/01/13(金) 18:44:15.73ID:Y7hHO2Km
>>409
景勝家臣としては慶次や兼続の方が評価されているけど
水原もいいなって書いただけだよ
0420人間七七四年2012/01/13(金) 20:23:08.83ID:U6GkUUgF
>>418
跡部勝資は本当に可哀想な人間だと思うぞ
側近の同僚だった山県昌景、原昌胤、土屋昌次が一時期にごっそり死んでしまったからな
0421人間七七四年2012/01/13(金) 21:02:47.08ID:l0leCNf5
>>420
基本的に異論はない。跡部勝資の人生は、個人的には気の毒だったと思う。
才幹能力と地位にミスマッチが生じたのは、
偶然と勝頼の人材を見る目のなさに起因していて、そういう意味では跡部勝資の責任じゃないから。

ただ、それなりの地位に就いた人が、その地位に見合うだけの能力がなかったってのは、
現実のステイクホルダーにとって、可哀相で片づけられない不幸だと思う。
前に土屋昌恒の逸話で、跡部勝資の判断の行き当たりばったりさが「無分別」だと激烈に非難されてたけど、
それはやむを得ないことだと思う。
一国の指導者層の人間が、判断を誤って国を滅ぼして、それでも非難されないとしたら
歴史から学ぶことは何もなくなってしまう。

うん。立派な長文スレ違いだw
お詫びに何か出せる逸話がないか、手元史料を探してくるノシ
0422人間七七四年2012/01/13(金) 21:49:40.02ID:HMt5UgOs
>>421
0423人間七七四年2012/01/13(金) 23:11:11.28ID:VwcasYXl
アンカーだけってこいつ何か言いたいけど理論を構築出来ないんだろうな、って思う
0424人間七七四年2012/01/13(金) 23:16:27.34ID:0tof8+z1
>>423
景勝様に無礼なり
0425人間七七四年2012/01/13(金) 23:17:50.33ID:Bgkzh0Vu
ちょっと兼続翻訳家を連れてきてくれませんか
0426人間七七四年2012/01/13(金) 23:18:18.23ID:wLo5rsKe
>>417
兼続の場合は、直江状とかお家の事情とか関係なくて
ブラックエピソードが多いせいじゃないかな。
0427人間七七四年2012/01/14(土) 00:36:51.36ID:SiGmPcGW
天竺人


1550年末、山口に滞在していたフランシスコ・ザビエルは、布教のために京へ向かった。
この年は寒気が厳しく、雪が膝丈まで積もっていた。
道中、この雪で難儀していた男がザビエルに言った。
「あなた方は天竺人なら、なぜもっと雪を少なくするように言ってくれないのか」

当時、日本人の中には『天竺は天にある』と考えている人がいたのである。
0428人間七七四年2012/01/14(土) 00:54:09.70ID:E5oAzekb
>>425
>>422様は「長い。三行で。」と仰せにございます。
04294212012/01/14(土) 01:37:52.74ID:AoiLY2l1
日が変わっちゃったけど、今長いの投下してもいい?
0430人間七七四年2012/01/14(土) 01:46:33.47ID:EdSvQkcw
>>427
天竺といえば仏の住む所だから
天にある・・・ってこと?
0431人間七七四年2012/01/14(土) 01:50:55.78ID:1VYIgHo2
>>429どうぞどうぞ
0432人間七七四年2012/01/14(土) 02:00:34.07ID:WP5ixwv9
アチョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!
0433人間七七四年2012/01/14(土) 02:03:40.78ID:AoiLY2l1
では、お言葉に甘えて、

北条夫人の最期(上)


北条氏康の6女とされる北条夫人は、長篠の戦いに敗れ劣勢に陥った武田家が、
外交関係を立て直すため北条氏との同盟を回復したのに伴い、天正5年に正室として武田勝頼に嫁いだ。
このとき勝頼31歳、北条夫人14歳。親子ほど年が離れた夫婦であるが、その仲は睦まじかったといわれる。
しかし、御館の乱における武田家首脳部による外交判断のミスにより、
北条夫人の実兄上杉景虎は上杉景勝に敗北し自害、北条家と武田家の同盟関係も破綻してしまった。
大名間の同盟に伴って相手国に嫁いだ姫は、
その同盟関係が破綻すると離縁して実家に戻るのが当時一般的であったが、
北条夫人は自らの意思で武田家に残ったといわれる。

そんな仲睦まじい勝頼夫妻にも最期の時が訪れる。
天正10年、織田信長の侵攻により、武田家の統治体制は瓦解、
本拠地韮崎の新府城を脱出し郡内岩殿城へ向かった勝頼主従は、
小山田信茂の裏切りに合い進退窮し、天目山の麓田野で自害することに決した。

勝頼は、ここまで付いてきた北条夫人に、安西伊賀守らを使いに出してこう伝言させた。
「武田家一門の命運は今日を限りとなりました。あなたは女性なのだから自害する必要はない。
 幸いここから小田原へは道も険しくないので、どんなことをしてもあなたを無事にご実家へ送り届けます。」
北条夫人はこれを聞いて、
「なんと嘆かわしいことをおっしゃるのでしょうか。前世の縁が浅くないからこそ、夫婦の契りは深いものなのです。
 たった一夜であっても、お互いのために命を捨てられるのが夫婦の仲なのに、
 私たちは契りを結んで今年で7年にもなります。
 たとえ小田原に落ち延びたとしても、あなたが末の露と消えてしまうのに、
 私だけが残っても何の意味もありません。
 元より夫婦は二世の契りと申します。ここで共に自害して、死出の山も三途の川も手に手を取って渡り、
 来世でも共にありたいと願うのが私の本心です。」
とおっしゃって、全く小田原へ落ち延びようとなさらない。
更に女官に向けて
「長い歳月、一人の子も出来なかったことを悲しんでおりました。
 神や仏に、子が出来ますようにと祈っておりましたが、今となっては、子がいなくて良かったと思っています。
 幼い子がいれば、大層思い悩むことになったでしょうから。」
と穏やかにおっしゃる様を見て、哀れに思わない者はいなかった。
0434人間七七四年2012/01/14(土) 02:05:58.87ID:AoiLY2l1
北条夫人の最期(中)


この時点で、北条夫人の供の者もあらかた逃げ失せており、
早野内匠助、劔持丹波守ら4名が残るばかりであった。
北条夫人は彼らを呼び寄せこうおっしゃった。
「皆が散り散りになるなか、貴方たちがここまで御供してくれたこと大変嬉しく思っております。
 ただ、後の弔いのため、何とかして手紙を小田原に届けたいのです。
 もし手紙を届けてくれれば、貴方達が最後まで御供してくれるよりどれほど嬉しいことでしょうか。」
しかし、早野らも
「妻子を捨て、ここまで御供したのは、姫の最期を見届けるためです。
 ここから小田原へ帰るなど断じて出来ません。」
と首肯しない。
これに対して北条夫人は、
「あなたたちを小田原へ返すのに格別の理由はありません。
 私は女ですので、私がどのような場所でどのように死んだかと、小田原の者達は気にするでしょうから、
 最後の様子をお知らせしておきたいのです。
 それと、北条家は代々武門の家ですので、女ながらも、見苦しい最後ではなかったと、皆へよく伝えてください。」
とおっしゃって、手紙をしたためて、髪を少し切り、手紙に添えて渡そうとなさったので、
早野らは力及ばず受け取るしかなかった。

そうこうしているうちに、勝頼より、北条夫人の御座所は鉄砲の射程距離に入っているので、
少し引いて岩陰に隠れてくださいと使いがあった。
しかし、北条夫人は
「身を惜しみ、命を惜しむときであれば、矢鉄砲から避けもしましょうが、
 一時も早く消えばや、と思っている身の私が、岩陰に隠れてどうするのです。」
とおっしゃって引こうとしなかった。
この思い切った様子に、女性にも関わらず誠に強健なお心をお持ちの方だと、
兵たちは一層勇気づけられ、最後の進軍をしたという。
0435人間七七四年2012/01/14(土) 02:11:45.14ID:AoiLY2l1
北条夫人の最期(下)


やがて、北条夫人は、正面で戦闘が始まったと聞くと、西に向かい念仏を高らかに唱え、
「勝頼様はどこにいらっしゃいますか。私は先に自害いたします。
 お急ぎください。お待ち申し上げております。」
というお声を最後の言葉にして、脇差を胸元に突き立て、
声も立てずに衣で顔隠して御倒れになった。

そのころ勝頼は、4、5人の敵と渡り合って戦っていたが、
秋山紀伊守より北条夫人が自害したと聞き、北条夫人の元へ引き返した。
勝頼は北条夫人の枕元へ立ち寄ると、衣を除けて顔をご覧になった。
北条夫人の雪のような肌は血に染まり、化粧も消えかけ、朝顔がしおれたような風情になっていた。
剛健で知られた勇将の勝頼も、悲しみのあまり北条夫人の顔を二目と見ることが出来ず、
涙に暮れ心乱れたのも無理がないことであったろう。
ややあって、涙を押さえて、北条夫人のお顔をかき抱くようにして自身の膝に乗せ、
北条夫人がまるで生きているかのようにこう語りかけた。
「不意にこの大乱が起きて、
 そうであってもなんとか反撃しようと思っていたが、結局立て直すことができなかったよ。
 それだけでも情けない思いをしていたのだが、
 最後にこのように涙に沈み切ってしまうほどの悲しみを味わうとは。
 暫く待っていてくれ。死出の三途の川を、手を取って共に渡ろうぞ。」
勝頼は北条夫人に突き立てられた柄まで赤く染まった脇差を抜き取ると、
その脇差で自身の腹を十文字にかき破り、
はらわたを掴んで四方へ投げ捨て、北条夫人と同じ枕に倒れ伏し絶命した。

なお、小田原への手紙を託された4名のうち、劔持丹波守は、一人も北条夫人のお供をしなければ、
あまりに聞こえが悪いとして、小田原へ帰らず田野で討死したとも伝わる。
小田原に遺髪と共に届けられた北条夫人の手紙には、以下の辞世の句が詠まれていた。

黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思に消ゆる 露の玉の緒

乱世に消えた彼女の「思」とは、勝頼への想いであったのだろうか。




以上、「甲乱記」より抜粋、雰囲気訳で。
北条夫人の最期は、理慶尼記に記載されたものもなかなか趣深いのだけれど、
仏教色が強すぎて、さらっと訳すと趣きがなくなるので、こちらを紹介しました。
長文失礼いたしました。
0436人間七七四年2012/01/14(土) 02:23:17.28ID:rx8PcQ52
乙です
泣いた
残念だったがなんと立派な最期なんだろうか
この夫婦の人柄が垣間見える話だなぁ
0437人間七七四年2012/01/14(土) 03:39:29.53ID:qnI6JcJv
ああ・・・なぜふるさとへ帰らなかったんだ。若いみそらで・・・
0438人間七七四年2012/01/14(土) 04:12:40.26ID:3aoZ5wqk
しぶとくしたたかに生き抜くのも女の道。
これと思った男の側で死ぬのもまた、女の花道よ。

しかし、四郎さんも年の差夫妻だったとは知らんかった
0439人間七七四年2012/01/14(土) 07:39:15.36ID:COCtoorz
忠興「イイハナシダナー」
0440人間七七四年2012/01/14(土) 09:15:24.64ID:oZElkRTa


※前スレ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1316767827/鬼の女房に何を期待しているのやら
0441人間七七四年2012/01/14(土) 14:02:35.26ID:WP5ixwv9
北条夫人の遺骸は辱められたりすることなく北条氏に届けらえたのだろうか
勝頼らは首を信長に送られてるんだが北条夫人の遺体がどうなったかについてどこでも読んだ記憶がないんだが・・・
氏康が生きてたら怒るだろうなと思ったけどそもそも結婚させないか
0442人間七七四年2012/01/14(土) 14:58:04.11ID:rWOLSkhk
八王子にいる氏照は、姫が落ち延びてきた知らせを聞いて、
妹かと思ったら松姫でがっかりしたという話があったような。
0443人間七七四年2012/01/14(土) 15:15:36.59ID:I+iO/EFY
北条家の娘というか、嫁に嫁いだ人も含めて
凄く凛としたイメージがある
幻庵さんの教えにもある通り、一族の女性として徹底されてるんだろうな
0444人間七七四年2012/01/14(土) 15:24:34.91ID:4LFd4BvB
今川氏真の嫁になった早川殿(北条氏康娘)は間違いなく傑物
0445人間七七四年2012/01/14(土) 17:21:28.65ID:AoiLY2l1
>>441
武田勝頼と天目山で殉死したその家臣らの菩提を弔うために建立された景徳院には、
勝頼夫妻の御墓とは別に没頭地蔵尊という史跡があって、
そこに首を失った勝頼、信勝のご遺体と北条夫人のご遺体が葬られているといわれているから、
北条夫人のご遺体は現地で葬られたとみてよいのではなかろうか。
0446人間七七四年2012/01/14(土) 18:09:29.39ID:Txb+Pfqc
北条嫁を置いて逃げ出す氏真
北条嫁道連れの勝頼
0447人間七七四年2012/01/14(土) 21:55:12.25ID:jMjEl+zA
なんで小山田のほうに行ったんだろうな行っても北条は敵だし
嫁の実家があるから返そうとしてずるずるそっちにつられたのか
信濃育ちの勝頼なら信濃方面に逃げたそうだが武田の当主としては甲斐は捨てられなかったか
景勝とか真田を巻き添えにしたくなかったか 嫁はどうせ景勝とか嫌ってそうだしな
0448人間七七四年2012/01/14(土) 22:57:04.17ID:F5NdAd6S
真田が信用できなかったんじゃね
0449人間七七四年2012/01/14(土) 23:07:59.55ID:floe4nr2
勝頼が来たら北条に引き渡すと約束した、昌幸から北条あての書状が残っていたんじゃなかったっけ
少なくとも勝頼の嫁は助かっただろうけど
0450人間七七四年2012/01/14(土) 23:10:40.73ID:jMjEl+zA
北条の流言は児戯だな
0451人間七七四年2012/01/14(土) 23:37:42.19ID:2CNYQG+B
流言と悟らせた上で裏を読ませて混乱させる高度な謀略(キリッ
0452人間七七四年2012/01/14(土) 23:43:33.63ID:F1o5IB5w
勝頼を助けようとしたのは景勝だけか…
0453人間七七四年2012/01/15(日) 00:17:04.49ID:owoKT2iQ
北条家の嫁が欲しいお
0454人間七七四年2012/01/15(日) 00:23:15.57ID:RLEc3Yw5
宇喜多直家「嫁が欲しいとな?」
0455人間七七四年2012/01/15(日) 00:31:07.08ID:sB7d7dwk
松永久秀「このような極悪人を信用したらいけないぞ」
0456人間七七四年2012/01/15(日) 00:57:38.40ID:njmSC6Lb
内ケ島「まったくだ。ところで貴殿には見どころがある。今宵の和睦成立を祝っての宴に来ぬか?」
0457人間七七四年2012/01/15(日) 01:25:22.78ID:mVctGRs1
この流れ秋田愛季
0458人間七七四年2012/01/15(日) 01:58:21.11ID:yBz6KDJD
実季だろw
0459人間七七四年2012/01/15(日) 11:00:18.06ID:M7BTWqv9
この流れ安東愛季
0460人間七七四年2012/01/15(日) 11:03:37.21ID:KmVqosCO
この流れ豊崎愛生
0461人間七七四年2012/01/15(日) 11:24:43.50ID:oe0hdakJ
>>460
誰?
0462人間七七四年2012/01/15(日) 11:29:28.71ID:LxS+m1+T
この流れあ北信愛
0463人間七七四年2012/01/15(日) 11:57:50.18ID:JpRkT9YY
豊崎愛生
出身:阿波国、勝瑞館東方の守将として活躍、勝瑞城落城後、江戸へ
0464人間七七四年2012/01/15(日) 12:48:14.66ID:kZ5edQlN
この流れ…流れ…流れて…流れ公方足利義稙
0465人間七七四年2012/01/15(日) 13:03:50.17ID:sB7d7dwk
流れ…流れて…流れ公方足利義氏・・・村雨ウマー!!
0466人間七七四年2012/01/15(日) 13:21:10.25ID:ufJ/ZaY+
前から薄々感じてたけど、ここってアニオタも結構いるみたいだな
0467人間七七四年2012/01/15(日) 14:17:58.79ID:PnXnnzPl
伊勢新九郎が若年の頃のことである。
彼はその頃、備中にあった。

ある夜、夢のなかに新九郎は、吉備津宮の明神から、太刀を賜った。
翌朝、見知らぬ人物が現れ、彼に『毘沙門』の文字が彫られた太刀を持ってきて、
これを新九郎に与えた。そして

「後日、この太刀によって僥倖を必ず受けるだろう」

と言い残し去っていった。
それより新九郎はこの太刀を、類題の重宝として大切に扱った。

その後、新九郎は伊勢に居住した。文明年間は意図せずに得た護符を、
太刀と共に家の中に丁重に納めた。これらは今(寛永期)に至るまで北条家に伝わるという。

長享年間、新九郎は駿河に趣き、姉の子である今川氏親に仕えた。
氏親は彼を、興国寺城に置いた。
(寛永諸家系図伝)

伊勢新九郎に僥倖を与えた、吉備津宮明神の太刀、という話である。
0468人間七七四年2012/01/15(日) 14:28:28.06ID:6Zk0HwxU
>>467
まさか軍神様はそれを奪うために関東に執着
0469人間七七四年2012/01/15(日) 14:42:38.92ID:vdvFJhDw
今起きたことをありのまま話すぜ!以下ry
0470人間七七四年2012/01/15(日) 18:34:14.48ID:VuOO3RbO
その太刀、今でもあるんかなあ
0471人間七七四年2012/01/16(月) 01:46:03.24ID:YL6C6JHo
この前友人に好きな武将聞かれて鮭s…最上義光って答えたら何故か「玄ww米ww茶www」
って笑われたが未だに理由が分からないorz

それはそうと、こういう夢のなかで神様から太刀を受け取ったって逸話は多いけど
実際には夜、家臣がこっそり太刀を枕元に置いておいて
、次の日「きっとこれは神が(ry」とか言いつつ主君の士気を高める
…とかありそうな気がするのは自分だけでいい

まあ逸話と史実は違うし、無理に現実的に考える必要はないのだがw
0472人間七七四年2012/01/16(月) 02:23:37.97ID:wWpLZu63
>>471
なにその、クリスマス方式。
0473人間七七四年2012/01/16(月) 02:30:28.53ID:blEvnCZ+
>>471
一瞬戦国鍋TVかと思ったがそんな事もなく、戦国BASARAのようですぜ >玄米茶
0474人間七七四年2012/01/16(月) 10:49:52.19ID:eymfK7ns
玄米茶ってそんな時代からあったのか?
0475人間七七四年2012/01/16(月) 10:56:22.77ID:UMtwRRff
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4407.html
政宗から義光に送られてきた紅茶の茶葉をひじきだと思って食べちゃった、て逸話とは
多分関係ないんだろうな
0476人間七七四年2012/01/16(月) 11:17:25.92ID:UMCm6O+O
いい茶葉はそれはそれでおいしいぞw
0477人間七七四年2012/01/16(月) 11:57:46.24ID:Z7H2vYjl
なんだこのくせぇひじき、とか思っただろうなw
0478人間七七四年2012/01/16(月) 13:09:33.96ID:p91pD8I1
戦国大名最上義光 違いの分かる男のゴールドブレンド
義光「ムシャムシャしてやった」
04791/22012/01/16(月) 17:59:25.82ID:nEbxNjIs
信濃守護職・小笠原長時は草花、特に牡丹の花を愛した。
天文19年(1550)7月、塩尻峠で武田晴信に敗れて以来、衰退著しい長時は、祈願寺である兎川寺の住職を訪ねた。

「和尚と会うのも、これが最後となろう。」
「やはり、いけませぬか。」
「うむ。無念だが、武田には勝てぬ。信濃を落ち延び、上方で助力を請う。・・・和尚に頼みがある。」
「承りましょう。」

住職の了承を受けた長時は、一株の見事な牡丹を持って来た。

「わしは、花が好きじゃ。この地を落ちるは、当家存続のため仕方ないとしても、わしが手塩にかけた花を
武田の奴輩に踏みにじられるのは、我慢ならん。
そこで、わしが特に気に入りの白牡丹、この寺で育ててはもらえまいか?」

住職は申し出を快く引き受け、長時は居城を焼き払い、山中を隠れ行き、上方目指して去った。

長時の残した白牡丹は住職が大切に育て、住職亡き後も、牡丹の話を住職から聞いた兎川寺檀家の久根下氏が
『殿様の白牡丹』と呼んで、密やかに守り続けた。
04802/22012/01/16(月) 18:00:10.48ID:nEbxNjIs
旧伯爵・小笠原忠統は戦後、文化活動に熱心に取り組んだ。
昭和32年(1957)、小笠原氏本貫の地・松本市の市立図書館長に就任した忠統を、一人の青年が訪ねて来た。

「“殿様”、よくぞお戻りになられました。今こそ、これをお返しいたします。」
「これは・・・?」

青年の名は、久根下栄一。『殿様の白牡丹』を守り続けた、久根下氏の末裔であった。

栄一は、小笠原氏も一時居城とした松本城に、この牡丹を株分けする事を提案し、忠統もこれを快諾、
牡丹は松本城本丸庭園に移植され、『小笠原牡丹』と呼ばれるようになった。


戦国乱世の兵火を逃れ、400年の時を越えた『小笠原牡丹』は、今も松本城で美しい花を咲かせている。

ttp://www.shinmai.co.jp/flower/200005/00052302.htm
ttp://www.oshiro-m.org/quiz/g1_4.pdf (PDF注意)
0481人間七七四年2012/01/16(月) 18:24:20.42ID:kVgPYhsu
いい話だが、小笠原氏は大名に復帰しているのになぜ戦後まで待ったのかな?
0482人間七七四年2012/01/16(月) 18:40:24.10ID:LqaT6squ
牡丹を手放すのがもったいなかったとか
0483人間七七四年2012/01/16(月) 19:47:39.60ID:8oExZufN
>>482
好意的に考えれば、江戸期の松本領主、その後継たる華族家を憚ったのかな。悪意的なのはいわぬ。
0484人間七七四年2012/01/17(火) 00:57:33.45ID:WAh17nbX
うわ、すげえでけえ、綺麗ー!
こんな見事なの、よくぞ守ってくれたねえ。
小笠原長時も久根下さんもいい仕事をなさったわ
0485人間七七四年2012/01/17(火) 10:07:32.88ID:zEzPJ5T9
>>483
旧主の小笠原家に託されてずっと貴方達の目に触れないように
守ってきた牡丹を株分けに行きますとは時代的に言えなそうですよね。
後で知られても面倒になりそうだし。
0486人間七七四年2012/01/17(火) 12:16:20.88ID:y5jQAZXY
初代松本城主の石川氏と小笠原氏の関係は気になる。
0487人間七七四年2012/01/17(火) 19:53:27.42ID:frhW3aho
>>483-485
でも、逸話の中にもあるように、小笠原長時の息子、小笠原貞慶は
1583年からの2年間、松本の領主だったこともあるわけで。
さらにその息子、小笠原秀政も1613年から松本の領主だし。

なぜその時ではなく明治維新まで待ったのか、激しく疑問。
0488人間七七四年2012/01/18(水) 00:02:51.96ID:FCoGG72T
>>487
まあまあ。まだ乱世だからといってみるテスト。好意的で徹してみよう。
0489人間七七四年2012/01/18(水) 00:29:03.58ID:XB8+aVzd
そりゃ資料に残っていない事情とかもあるんだろうな
0490人間七七四年2012/01/18(水) 01:34:01.55ID:xwullzVz
正直言えば品種改良でいい牡丹が出来たので
先祖の名を借りての売名行為だろうなと思う

そうだとしても
いい牡丹が広まるならそれでいいことかもしれないしな
0491人間七七四年2012/01/18(水) 04:07:29.58ID:FCoGG72T
>>490
徹することのできない人だなぁ!
0492人間七七四年2012/01/18(水) 13:47:05.32ID:2y+dcaG4
貞慶の時の住職がうっかり者だっただけなんだよ
0493人間七七四年2012/01/18(水) 19:52:35.75ID:fI82nRiW
貞慶は牡丹が嫌いだったから住職が空気読んだんだよ
0494人間七七四年2012/01/18(水) 23:11:45.33ID:gLtHvzOZ
観光誘致や地域活性化のためには
つくり話も必要だよな
0495人間七七四年2012/01/18(水) 23:56:35.09ID:dAE1MDAq
で、偽清洲城とか偽墨俣城には観光客が来てるのか?
0496人間七七四年2012/01/19(木) 00:07:20.58ID:rz6fE7kD
清洲城は平成20年度は39,095人
墨俣城は平成19年に26,379人

これはどんなもんなんだろう
0497人間七七四年2012/01/19(木) 20:27:17.62ID:o3UKwLsP
甲州は市川にある、偽上野城(歌舞伎文化公園)は大盛況ですぞ!
0498人間七七四年2012/01/20(金) 00:26:07.31ID:3I1sSiA1
岐阜在住だが、墨俣城って歴史資料館なんだけど、あんなとこに観光客が26000人とかありえないと思う。
あそこは桜並木があって花見シーズンにはそれなりに賑わうから、その人数をカウントに入れてそう。
0499人間七七四年2012/01/20(金) 01:01:54.39ID:D+3sOqhP
入場無料の平成18年度は42,931人になってるし、そんな訳のわからない計算法は取ってないはず
そも、博物館の平均入館者数は平成19年度で4.93万人だから(一部がものすごく底上げした結果だけど)
こんなもんなんじゃないの

うん、スレチだな
0500人間七七四年2012/01/20(金) 01:32:53.07ID:K+caqm2p
営業時間10時間として1時間に7人も来れば年間そのぐらいになるし
あるんじゃないの
0501人間七七四年2012/01/20(金) 01:39:07.28ID:XspuTWx2
ドラゴンクエスト1 〜甲斐の竜王〜

人から犬に至るまで戦闘力が高く、ロンダルキアに例えられる甲斐であるが、
なんと戦国時代初期にはドラゴンまでが多数生息し、人はその頭を竜王と呼んだ。


ショウキョウのころのことである。甲州巨摩郡に貧しい村があった。
ある時戦があり、道に迷ってボウキノカミという武士がやってきた。
村人達は宿をしつらえ、村を挙げて彼を歓迎した。

夜半、ボウキノカミは大きな物音に驚いて飛び起き、何事かと尋ねた。
村人はこれは大竜が叫び暴れている音なので、心配いりませんと答えた。

「なんと珍しい話だろう。それならば私が成敗して参らせよう」
といって、ボウキノカミは広い河原を歩いて行き、黒い淵をのぞき込んだ。

すると水面に泡が立ち、巨大な竜が躍り出て襲いかかった。
ボウキノカミは少しも慌てず、弓を引き絞り矢を放つと、矢は竜の片目を射貫いた。

竜は一度淵に沈み、これで落着かと思われたが、再び躍りかかってボウキノカミの
袖に食らいつき、彼を水の中に引きずり込もうとした。
ボウキノカミは刀を抜き、竜の鼻先を袖ごと両断した。
竜は刀を鼻先に食い込ませたまま再び淵に沈んで、ついに浮かんでこなかった。

ボウキノカミが「確かに大竜であった」と言うと、
村人は「あのような竜が数知れずおり、さらに巨大な竜王がいるのです」と答えた。

ボウキノカミは驚いて、「それでは私の手に負えない」と言った。
村人は「ありがとうごした」と言って彼をねぎらい、別れを告げようとした。

するとボウキノカミは、
「この貧しい村が私を歓待してくれた礼に、国主信昌公に申し参らそう」と言った。
村人達は相談して、嘆願状を作った。
0502人間七七四年2012/01/20(金) 01:43:27.62ID:XspuTWx2
ドラゴンクエスト2 〜甲斐の守り手〜

その時国主であった武田信昌はこれを重く見て、悪竜の討伐に数多の武者を派遣した。
武者達は三日三晩、竜王の軍勢と戦ったが、ついに勝利を得ることができなかった。

ボウキノカミが戻ってきて国主に言うには、
「これを武力で征伐することはできません。法力を持って調伏致したく存じます」。

そこで信昌は国中の僧侶・修験者を集めて派遣し、土を盛って祭壇を作り祈祷を行った。

ある晩ボウキノカミが寝ていると、どこからともなく大きな声が聞こえてきた。
「汝はシンジョウというな。ならば汝のまことを信じて頼むのである。ソウダ淵の河原に、
赤と青の大岩が山から落ちて、互いに圧し合っているので、これをどけて欲しい」。

ボウキノカミと村人たちは人をかき集め、この大岩をどけようとした。
ところが余りに巨岩であり、とても地上を転がすことは出来ない。
そこで岩の根本にくさびを打ち、巨木を巻き付け、河原に土手を築いて増水を待った。

やがて大水が出て河原まで水に沈んだ。巨木の浮力と抵抗で巨岩は転がりだし、
なんとかその場所から河下へとゆっくり離れていった。

見守っていた人々が小躍りして喜ぶと、黒い水面から光り輝く巨大な竜女が現れた。

「以前の大地震のとき、私は妊娠の身体で岩に挟まれ、みな非常に苦悶していた。
いま仏の功徳と汝らの労苦によって、ようやく済度を得た。これからは山にこもり、
人の恩に報いるため、子を授け産を安んじて進ぜよう」。
0503人間七七四年2012/01/20(金) 01:53:38.89ID:XspuTWx2

ドラゴンクエスト3 〜そして伝説へ〜

ボウキノカミは、竜神を鎮めたことを国主信昌に報告した。
信昌は大いに喜び、大竜のこもった山に寺を建てた。これが大竜山満福寺である。

いまボウキノカミが袖ごと竜を斬った淵は、袖淵といい、その刀を袖切という。
また、人々はこのあたりを竜王という地名で呼ぶようになった。

その後、国主の妻であった人が、子を授からないのを憂いて入水しようとした。
人がそれを止めて「満福寺の竜神様にお願いしましょう」と言った。
彼女がその通りにすると、やがて子を授かったので岩下殿と呼ばれるようになった。

信縄は大いに喜んで、三度舞った。これが後に武田氏中興の祖となる信虎である。

(「古老は語る-山梨の民話伝説-」から引用した小冊子より、現代標準語に意訳)


なお竜王討伐に乗り出すのが信昌でなくて信玄だったり、満福寺に祈願して生まれた
のが信虎でなくて信玄だったりするが、具体性などから恐らく後世の仮託だと思われる。

また、甲斐国志によると、ドウキノカミというのは山本道鬼齋勘助のことだとあるが、
この説を取るなら、年代的にあり得ない。

ドウキノカミというのは伯耆守とか、主鷹司(ようしのかみ)など官職名の転訛、
シンジョウというのは苗字か法名、或いは諱の有職読みだと考えられる。

年代は戦国時代であるのに、不思議に神話的なお話。
0504人間七七四年2012/01/20(金) 13:48:09.35ID:w9Xt6lnx
 青森県弘前市にある弘前城は昨年が築城400年ということで多数の
記念イベントを開いたが、地元「東奥日報」は12月に「落城400年を
歩く」を連載し、津軽為信に取られた諸城を紹介した(当然ながら
落城は津軽統一戦の過程なので、400年よりもっと昔)。

 初回は石川城で、落とした手口は悪い話にある。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5509.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2433.html

 討死したとも、落ち延びたとも伝えられる南部(石川)高信は地元に
「おらほ(=うち)の殿様」と慕う人が多い。送り盆では松明行列で
高信を慰霊するほか、2004年に弘前中心街に為信の銅像が建てられた
時も町内で集まりが悪く「石川はしょうがない」と催促されなかった。

 他にも南部方として為信と戦った滝本重行@大光寺城、北畠顕村@
浪岡城らもそれぞれ地元で根強い人気があり、謀略や奇襲を常とした
為信を嫌う住民もいる。

 滅亡、改易となった武将のいた城下はどこも同じかも知れないが、
津軽といっても為信を讃える地区ばかりではなく、敗将もそれなりに
偲ばれているという話。
0505人間七七四年2012/01/20(金) 15:06:44.85ID:KW58J62k
弘前は青森県だけど、心は岩手県民って人が多いって聞いたが(笑)
0506人間七七四年2012/01/20(金) 15:13:10.21ID:X2Bo3mIW
十三湖とか青森西部はやっぱお慕いするのは安東さんなのかな?
0507人間七七四年2012/01/20(金) 15:22:35.00ID:KW58J62k
県割りと県庁所在地は官軍の心積もりだったらしいからね〜

佐賀辺りは、県としては小さいのにピンだしね〜
0508人間七七四年2012/01/20(金) 19:53:09.86ID:eOYzXCPF
>>501
ドラクエwww 
竜王って地名が今も本当にあるのかwwww

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A2
ロンダルキアってどこだっけと調べてみたら、上九一色村とあるんだがwwww

あと、勇者は袖切の剣をどこで回収したんだろう?
0509人間七七四年2012/01/20(金) 23:29:26.40ID:iGiKBQjW
>>501
竜神が村人を苦しめる話は大体、
昔、河が氾濫して村人が苦しんでたって事を意味するらしいね。
で結果治水に成功したんだろう。
0510人間七七四年2012/01/20(金) 23:54:41.51ID:tqLj9n+t
ちなみに信玄堤は竜王にあるな
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