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戦国ちょっといい話30

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0001人間七七四年2011/12/11(日) 21:46:15.43ID:NURhlo81
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1317824861/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1321170836/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0384人間七七四年2012/01/11(水) 18:53:33.67ID:QmOoNs8Q
北条氏政なら、乾かさずにそのまま食べる
0385人間七七四年2012/01/11(水) 18:54:52.86ID:iqPjhPKj
>>383
さらに帰ってきた家臣に教訓めいたことのの一つも説教しそうだ
0386人間七七四年2012/01/11(水) 20:29:58.69ID:KTyPqdLH
黒田の若殿ならすわ敵か!と刃物振り回して家臣団に知恵のなさよ…大殿の思慮のかけらも…とされてくれる
0387人間七七四年2012/01/11(水) 21:37:39.47ID:Y1Ag0hTu
勝っちゃんは放浪して苦労してるんだから取り込まなきゃいかん気もするが。
おお、若様こんな気配りが出来る様になって…ってキャラじゃないですね、うん。
0388人間七七四年2012/01/11(水) 22:00:04.22ID:B6xEIrgn
施してくれた農民に悪いと思わんのか牢人共
0389人間七七四年2012/01/11(水) 22:07:26.18ID:Zz4Q1Rzr
左近将監殿がお話でわ・・
0390人間七七四年2012/01/12(木) 00:33:57.87ID:ZUZ23yq+
水野勝成と十時連貞

熊本城受け取りの折、立花宗茂の家臣に十時連貞の消息を訊ねている。
勝成と連貞は、肥後一揆の兵糧入れの戦いでともに合言葉を言い合いながら作戦を成功させた仲であるが、
この二人にはそれ以外にも不思議な縁がある。
連貞が江戸の町で暴漢に襲われ格闘した事件を土井利勝に審議されたことが、立花宗茂の大名復活のきっかけである。
その後、宗茂は徳川秀忠に寵用されていく。利勝と勝成は従兄弟。秀忠と勝成は乳兄弟である。
また、宗茂の妻ァ千代が、滞在していたのは、勝成の妹の嫁いでいる加藤家である。もしかしたら、
立花宗茂の大名復活の裏には、なんらかの形で勝成がかかわったのかもしれない。
0391人間七七四年2012/01/12(木) 00:58:52.48ID:7Y2RwD/F
かもしれないって・・・
0392人間七七四年2012/01/12(木) 11:42:38.22ID:8aPf5DSM
老成した勝成なら可能性はあるかもしれんが・・・
0393人間七七四年2012/01/12(木) 11:58:04.36ID:27tsjk7j
俺の念力が関わった可能性もゼロではない
0394人間七七四年2012/01/12(木) 14:07:41.37ID:4oG6Zm3+
上杉家家臣水原常陸介親憲は鴨居に頭をぶつけるほどの長身で
顔は馬のように長く大きく、更にその顔にはほくろが無数にあるという異相だった
また豪胆でかつ芸もよくする風流人であり、
その異相の顔におしろいと紅を塗りたくって頭に真っ赤な頭巾を巻いて女装し
ほうきを持って踊るという宴会芸の持ち主で、この芸には流石の景勝も微笑み気に入っていたという。
水原は武勇の士らしく平時戦時に拘らず
いつも兵糧代わりに味付けされた餅を懐に入れていた。

彼は謙信に従って川中島の戦いにも出て武功を立てたという老兵であり、
大坂の陣に出陣したころにはもう既に70歳。
その後景勝が米沢へと帰還してくる際、上杉家家中は全員城の前に居並び
主君の帰還を出迎えることとなっていたのだが、その中に当然水原の姿もあった。
家中の者たちが老年のこの武者を「年寄りが無茶をする」とからかうも笑って取り合わず
主君の帰りを平伏して待った。
米沢城へと帰還する景勝の行列が家臣一同の出迎えを通り過ぎる中
ふと景勝は水原の姿に目を留め、彼の前で輿を止めさせた。

「常陸、変わりないか」

景勝から声がかかるも、水原は一向に顔をあげず平伏した姿のまま動かない。
周囲の者たちは、水原も老齢であるからさては待っている間に寝たのかと思い
彼の体を揺すって起こそうとすると、彼の懐から兵糧代わりの餅が転げ落ちた。
これが水原親憲の最期の姿であったという。


米沢土産のおもちの由来だったり。
いつもと変わらない姿で主君の前で死んだって所が忠義の士らしくて
好きな話なんだがちょっとうろ覚えなんで細部が違うかもしれん
0395人間七七四年2012/01/12(木) 18:15:10.02ID:Qzo3384e
一回しか笑ったことのない景勝を毎度微笑ませるなんて
と変なところに感心してしまった
0396人間七七四年2012/01/12(木) 18:48:25.06ID:xt21/gtT

懐に入れてるだけで死んでしまうなんて!!

餅はやっぱり危険な食べ物なんだ!!!!
0397人間七七四年2012/01/12(木) 19:24:41.29ID:7BaT/NPB
>>394
>周囲の者たちは、水原も老齢であるからさては待っている間に寝たのかと思い彼の体を揺すって起こそうとすると、彼の懐から兵糧代わりの餅が転げ落ちた。

「おい、爺さん寝たのかよ」

ユサユサ

ゴロン

「死、死んでる」

なんかコナンにありそうな展開だなw
0398人間七七四年2012/01/12(木) 19:30:45.39ID:+3S3rTJT
>>394
なんとも、日本が作る時代物の映画の終わり方みたいだな。
血気盛んな若者の話も好きだが、老いてからの島津義弘とか
こういう老齢の士の話も好きだ
0399人間七七四年2012/01/12(木) 19:34:04.34ID:gBFBYdhA
微笑みは上杉家中では笑いのうちに入らないのか
0400人間七七四年2012/01/12(木) 20:25:33.75ID:3Sj/wWjg
>>397
コナンと言われて、シュワルツェネッガーが最初に頭に浮かび、次に未来少年が頭に浮かび
0401人間七七四年2012/01/12(木) 20:27:17.65ID:LLNJLeD+
>>394
熊井ちゃんは鴨井ちゃんと呼ばれる
0402人間七七四年2012/01/12(木) 20:27:54.34ID:LLNJLeD+
>>394
熊井ちゃんは鴨井ちゃんと呼ばれるようになったと言うのに・・・
0403人間七七四年2012/01/12(木) 21:20:48.78ID:MDNpxjbR
>>394
こんな格好した、鴨居に頭ぶけるようなオッサンが居たら笑うしかないな

http://webgalerie.chez-swan.net/galleries/Films_d_animation/Kiki_la_petite_sorciere/Kiki_la_petite_sorciere_01.jpg
0404人間七七四年2012/01/12(木) 22:25:15.86ID:Tx1ux6yL
>その異相の顔におしろいと紅を塗りたくって頭に真っ赤な頭巾を巻いて女装しほうきを持って踊るという宴会芸の持ち主で

これには景勝公も苦笑い
0405人間七七四年2012/01/13(金) 02:38:35.26ID:AY2+RVW6
これはいい話

水野勝成
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1300543875/

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 00:36:35.50 ID:hkBIrevH
http://www.bes.ne.jp/forum/bingoohrai/akiyama_yumi/017/index.html

水野勝成の武将としての功績は現在多くの方が著されているが、
古くは勝成の逸話をおさめた『宗休様御出話』という史料が残されている。
 ひとつには、家中の軍功のある者や、古くから仕えている家臣の病が重いと聞くと、
勝成はその家まで見舞いに行き、みずから薬を与えたという。
 また、家中の者は、安芸や京、大阪、伊勢へは御暇願を出さずとも、
老中へ届け出るだけで自由に遊覧できた。帰ると、勝成に土産を差しだし、世間話をした。
勝成はその者に、無事であったかとか、旅の様子など楽しく聞くのだが、
その際自分の側近衆も家中も差別なく待遇したという。
若い頃の自らの放浪を懐かしむような、温かい目線であったことだろう。
 ある藩士が事情があって、紀州徳川家に仕官し、紀州から照会があった折り、
勝成は「福山藩では望み通りの知行がやれなかった。しかし召し上げれば、役に立つ者である」
と往信した。他の藩に仕官する者にもそうであった。
武士に奉公構え(他の藩に仕官できないようにすること)は無理な仕置きである。
主将の道には慈悲に欠けてはならないと言っていたという。
自らが奉公構えを出され苦労した経験が、見事に活かされている。
 このような数々の逸話は、勝成がいかに家臣や領民にとって良き統率者であったかを語っている。
豪胆にして繊細、勇猛果敢な武将にして有能な為政者、
そしてその人間味あふれた人物像が浮き彫りになればなるほど、彼の虜になってしまう人は
現代においても多くいる。
 分断された南側に今も建つ賢忠寺には、勝成の甲冑や肖像画、頭髪、茶碗、砂時計など
多くの遺品が所蔵されている。
 水野勝成の功績や人柄と共に、広く公開されればと願う。
0406人間七七四年2012/01/13(金) 03:38:40.89ID:tpp8ttnJ
勝成が某やる夫の影響もあるがベジータにしか思えない
0407人間七七四年2012/01/13(金) 09:05:37.24ID:tYXbS7EK
>>377
謙信さん畠山さんと仲がいいですねw
0408人間七七四年2012/01/13(金) 10:03:34.94ID:Y7hHO2Km
>>394
水原は兼続や慶次郎などよりも
落日の上杉家に清涼感を与えてくれた気がする

もっと顕彰されないだろうか
0409人間七七四年2012/01/13(金) 11:38:52.40ID:kzahPtmK
慶次はともかく兼続に清涼感有る?
0410人間七七四年2012/01/13(金) 11:38:54.06ID:qarJKv0c
水野勝成と立花宗茂は真逆なイメージがあるけど相通じるとこが多いな。
戦国の世の中を生き残るには水野タイプか立花タイプが一番いいみたいだな。
とにかく中途半端はイカンな

0411人間七七四年2012/01/13(金) 11:53:59.86ID:/3eBJAHo
氏真「だよねー」
豊国「そうそう」
0412人間七七四年2012/01/13(金) 14:27:51.70ID:jtoSXHov
>>410
その二人は実力と運と人脈に恵まれて、たまたま生き残っただけで
戦国時代には無数の勝成・宗茂もどきの屍が転がってたと思う
0413人間七七四年2012/01/13(金) 15:11:10.20ID:qzUCVkDt
>>409
直江は上杉と徳川が対立した原因を家康にも景勝にも求められなかった人たちが
江戸時代にスケープゴートにしただけで本人は基本的に忠臣じゃん
直江状も爽快な文章だとして広まったもんだし
水原や安田が直江と対立したような話も
出所は直江を悪臣にして徳川上杉叩きを回避しようとした話が元だし。
0414人間七七四年2012/01/13(金) 15:25:35.16ID:gU7lqkXF
爽快……?
0415人間七七四年2012/01/13(金) 15:34:27.22ID:8NJoN/ZK
何が疑問?
0416人間七七四年2012/01/13(金) 18:14:58.81ID:QXtAUjp+
山城守は地で嫌われてないか?
0417人間七七四年2012/01/13(金) 18:17:25.01ID:AY2+RVW6
そういえば直江状って、「家康を批判したものではない」って説まであるんだよなw
それどころか家康の権威を素直に認めたものだとか何とか。
そうなるともうわけわからんw
0418人間七七四年2012/01/13(金) 18:41:06.31ID:l0leCNf5
武田家における跡部勝資もそうだけど、意思決定に大きく関わる立場にいて、
結果としてその意思決定のために国が害を蒙ったら(武田→国が亡んだり、上杉→石高が激減したり)、
後世非難されたり、嫌われても仕方がないと思う。
国の指導的立場にある人の宿命でしょう。

直江状も、その後がうまくいっていれば、時の権力者に啖呵を切った爽快な文書として素直に受け取れるけど、
結果、主君に土下座させることになったわけだから、
身の程知らずが書いた愚かな文書、と受け取る人がいてもしょうがない。
0419人間七七四年2012/01/13(金) 18:44:15.73ID:Y7hHO2Km
>>409
景勝家臣としては慶次や兼続の方が評価されているけど
水原もいいなって書いただけだよ
0420人間七七四年2012/01/13(金) 20:23:08.83ID:U6GkUUgF
>>418
跡部勝資は本当に可哀想な人間だと思うぞ
側近の同僚だった山県昌景、原昌胤、土屋昌次が一時期にごっそり死んでしまったからな
0421人間七七四年2012/01/13(金) 21:02:47.08ID:l0leCNf5
>>420
基本的に異論はない。跡部勝資の人生は、個人的には気の毒だったと思う。
才幹能力と地位にミスマッチが生じたのは、
偶然と勝頼の人材を見る目のなさに起因していて、そういう意味では跡部勝資の責任じゃないから。

ただ、それなりの地位に就いた人が、その地位に見合うだけの能力がなかったってのは、
現実のステイクホルダーにとって、可哀相で片づけられない不幸だと思う。
前に土屋昌恒の逸話で、跡部勝資の判断の行き当たりばったりさが「無分別」だと激烈に非難されてたけど、
それはやむを得ないことだと思う。
一国の指導者層の人間が、判断を誤って国を滅ぼして、それでも非難されないとしたら
歴史から学ぶことは何もなくなってしまう。

うん。立派な長文スレ違いだw
お詫びに何か出せる逸話がないか、手元史料を探してくるノシ
0422人間七七四年2012/01/13(金) 21:49:40.02ID:HMt5UgOs
>>421
0423人間七七四年2012/01/13(金) 23:11:11.28ID:VwcasYXl
アンカーだけってこいつ何か言いたいけど理論を構築出来ないんだろうな、って思う
0424人間七七四年2012/01/13(金) 23:16:27.34ID:0tof8+z1
>>423
景勝様に無礼なり
0425人間七七四年2012/01/13(金) 23:17:50.33ID:Bgkzh0Vu
ちょっと兼続翻訳家を連れてきてくれませんか
0426人間七七四年2012/01/13(金) 23:18:18.23ID:wLo5rsKe
>>417
兼続の場合は、直江状とかお家の事情とか関係なくて
ブラックエピソードが多いせいじゃないかな。
0427人間七七四年2012/01/14(土) 00:36:51.36ID:SiGmPcGW
天竺人


1550年末、山口に滞在していたフランシスコ・ザビエルは、布教のために京へ向かった。
この年は寒気が厳しく、雪が膝丈まで積もっていた。
道中、この雪で難儀していた男がザビエルに言った。
「あなた方は天竺人なら、なぜもっと雪を少なくするように言ってくれないのか」

当時、日本人の中には『天竺は天にある』と考えている人がいたのである。
0428人間七七四年2012/01/14(土) 00:54:09.70ID:E5oAzekb
>>425
>>422様は「長い。三行で。」と仰せにございます。
04294212012/01/14(土) 01:37:52.74ID:AoiLY2l1
日が変わっちゃったけど、今長いの投下してもいい?
0430人間七七四年2012/01/14(土) 01:46:33.47ID:EdSvQkcw
>>427
天竺といえば仏の住む所だから
天にある・・・ってこと?
0431人間七七四年2012/01/14(土) 01:50:55.78ID:1VYIgHo2
>>429どうぞどうぞ
0432人間七七四年2012/01/14(土) 02:00:34.07ID:WP5ixwv9
アチョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!
0433人間七七四年2012/01/14(土) 02:03:40.78ID:AoiLY2l1
では、お言葉に甘えて、

北条夫人の最期(上)


北条氏康の6女とされる北条夫人は、長篠の戦いに敗れ劣勢に陥った武田家が、
外交関係を立て直すため北条氏との同盟を回復したのに伴い、天正5年に正室として武田勝頼に嫁いだ。
このとき勝頼31歳、北条夫人14歳。親子ほど年が離れた夫婦であるが、その仲は睦まじかったといわれる。
しかし、御館の乱における武田家首脳部による外交判断のミスにより、
北条夫人の実兄上杉景虎は上杉景勝に敗北し自害、北条家と武田家の同盟関係も破綻してしまった。
大名間の同盟に伴って相手国に嫁いだ姫は、
その同盟関係が破綻すると離縁して実家に戻るのが当時一般的であったが、
北条夫人は自らの意思で武田家に残ったといわれる。

そんな仲睦まじい勝頼夫妻にも最期の時が訪れる。
天正10年、織田信長の侵攻により、武田家の統治体制は瓦解、
本拠地韮崎の新府城を脱出し郡内岩殿城へ向かった勝頼主従は、
小山田信茂の裏切りに合い進退窮し、天目山の麓田野で自害することに決した。

勝頼は、ここまで付いてきた北条夫人に、安西伊賀守らを使いに出してこう伝言させた。
「武田家一門の命運は今日を限りとなりました。あなたは女性なのだから自害する必要はない。
 幸いここから小田原へは道も険しくないので、どんなことをしてもあなたを無事にご実家へ送り届けます。」
北条夫人はこれを聞いて、
「なんと嘆かわしいことをおっしゃるのでしょうか。前世の縁が浅くないからこそ、夫婦の契りは深いものなのです。
 たった一夜であっても、お互いのために命を捨てられるのが夫婦の仲なのに、
 私たちは契りを結んで今年で7年にもなります。
 たとえ小田原に落ち延びたとしても、あなたが末の露と消えてしまうのに、
 私だけが残っても何の意味もありません。
 元より夫婦は二世の契りと申します。ここで共に自害して、死出の山も三途の川も手に手を取って渡り、
 来世でも共にありたいと願うのが私の本心です。」
とおっしゃって、全く小田原へ落ち延びようとなさらない。
更に女官に向けて
「長い歳月、一人の子も出来なかったことを悲しんでおりました。
 神や仏に、子が出来ますようにと祈っておりましたが、今となっては、子がいなくて良かったと思っています。
 幼い子がいれば、大層思い悩むことになったでしょうから。」
と穏やかにおっしゃる様を見て、哀れに思わない者はいなかった。
0434人間七七四年2012/01/14(土) 02:05:58.87ID:AoiLY2l1
北条夫人の最期(中)


この時点で、北条夫人の供の者もあらかた逃げ失せており、
早野内匠助、劔持丹波守ら4名が残るばかりであった。
北条夫人は彼らを呼び寄せこうおっしゃった。
「皆が散り散りになるなか、貴方たちがここまで御供してくれたこと大変嬉しく思っております。
 ただ、後の弔いのため、何とかして手紙を小田原に届けたいのです。
 もし手紙を届けてくれれば、貴方達が最後まで御供してくれるよりどれほど嬉しいことでしょうか。」
しかし、早野らも
「妻子を捨て、ここまで御供したのは、姫の最期を見届けるためです。
 ここから小田原へ帰るなど断じて出来ません。」
と首肯しない。
これに対して北条夫人は、
「あなたたちを小田原へ返すのに格別の理由はありません。
 私は女ですので、私がどのような場所でどのように死んだかと、小田原の者達は気にするでしょうから、
 最後の様子をお知らせしておきたいのです。
 それと、北条家は代々武門の家ですので、女ながらも、見苦しい最後ではなかったと、皆へよく伝えてください。」
とおっしゃって、手紙をしたためて、髪を少し切り、手紙に添えて渡そうとなさったので、
早野らは力及ばず受け取るしかなかった。

そうこうしているうちに、勝頼より、北条夫人の御座所は鉄砲の射程距離に入っているので、
少し引いて岩陰に隠れてくださいと使いがあった。
しかし、北条夫人は
「身を惜しみ、命を惜しむときであれば、矢鉄砲から避けもしましょうが、
 一時も早く消えばや、と思っている身の私が、岩陰に隠れてどうするのです。」
とおっしゃって引こうとしなかった。
この思い切った様子に、女性にも関わらず誠に強健なお心をお持ちの方だと、
兵たちは一層勇気づけられ、最後の進軍をしたという。
0435人間七七四年2012/01/14(土) 02:11:45.14ID:AoiLY2l1
北条夫人の最期(下)


やがて、北条夫人は、正面で戦闘が始まったと聞くと、西に向かい念仏を高らかに唱え、
「勝頼様はどこにいらっしゃいますか。私は先に自害いたします。
 お急ぎください。お待ち申し上げております。」
というお声を最後の言葉にして、脇差を胸元に突き立て、
声も立てずに衣で顔隠して御倒れになった。

そのころ勝頼は、4、5人の敵と渡り合って戦っていたが、
秋山紀伊守より北条夫人が自害したと聞き、北条夫人の元へ引き返した。
勝頼は北条夫人の枕元へ立ち寄ると、衣を除けて顔をご覧になった。
北条夫人の雪のような肌は血に染まり、化粧も消えかけ、朝顔がしおれたような風情になっていた。
剛健で知られた勇将の勝頼も、悲しみのあまり北条夫人の顔を二目と見ることが出来ず、
涙に暮れ心乱れたのも無理がないことであったろう。
ややあって、涙を押さえて、北条夫人のお顔をかき抱くようにして自身の膝に乗せ、
北条夫人がまるで生きているかのようにこう語りかけた。
「不意にこの大乱が起きて、
 そうであってもなんとか反撃しようと思っていたが、結局立て直すことができなかったよ。
 それだけでも情けない思いをしていたのだが、
 最後にこのように涙に沈み切ってしまうほどの悲しみを味わうとは。
 暫く待っていてくれ。死出の三途の川を、手を取って共に渡ろうぞ。」
勝頼は北条夫人に突き立てられた柄まで赤く染まった脇差を抜き取ると、
その脇差で自身の腹を十文字にかき破り、
はらわたを掴んで四方へ投げ捨て、北条夫人と同じ枕に倒れ伏し絶命した。

なお、小田原への手紙を託された4名のうち、劔持丹波守は、一人も北条夫人のお供をしなければ、
あまりに聞こえが悪いとして、小田原へ帰らず田野で討死したとも伝わる。
小田原に遺髪と共に届けられた北条夫人の手紙には、以下の辞世の句が詠まれていた。

黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思に消ゆる 露の玉の緒

乱世に消えた彼女の「思」とは、勝頼への想いであったのだろうか。




以上、「甲乱記」より抜粋、雰囲気訳で。
北条夫人の最期は、理慶尼記に記載されたものもなかなか趣深いのだけれど、
仏教色が強すぎて、さらっと訳すと趣きがなくなるので、こちらを紹介しました。
長文失礼いたしました。
0436人間七七四年2012/01/14(土) 02:23:17.28ID:rx8PcQ52
乙です
泣いた
残念だったがなんと立派な最期なんだろうか
この夫婦の人柄が垣間見える話だなぁ
0437人間七七四年2012/01/14(土) 03:39:29.53ID:qnI6JcJv
ああ・・・なぜふるさとへ帰らなかったんだ。若いみそらで・・・
0438人間七七四年2012/01/14(土) 04:12:40.26ID:3aoZ5wqk
しぶとくしたたかに生き抜くのも女の道。
これと思った男の側で死ぬのもまた、女の花道よ。

しかし、四郎さんも年の差夫妻だったとは知らんかった
0439人間七七四年2012/01/14(土) 07:39:15.36ID:COCtoorz
忠興「イイハナシダナー」
0440人間七七四年2012/01/14(土) 09:15:24.64ID:oZElkRTa


※前スレ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1316767827/鬼の女房に何を期待しているのやら
0441人間七七四年2012/01/14(土) 14:02:35.26ID:WP5ixwv9
北条夫人の遺骸は辱められたりすることなく北条氏に届けらえたのだろうか
勝頼らは首を信長に送られてるんだが北条夫人の遺体がどうなったかについてどこでも読んだ記憶がないんだが・・・
氏康が生きてたら怒るだろうなと思ったけどそもそも結婚させないか
0442人間七七四年2012/01/14(土) 14:58:04.11ID:rWOLSkhk
八王子にいる氏照は、姫が落ち延びてきた知らせを聞いて、
妹かと思ったら松姫でがっかりしたという話があったような。
0443人間七七四年2012/01/14(土) 15:15:36.59ID:I+iO/EFY
北条家の娘というか、嫁に嫁いだ人も含めて
凄く凛としたイメージがある
幻庵さんの教えにもある通り、一族の女性として徹底されてるんだろうな
0444人間七七四年2012/01/14(土) 15:24:34.91ID:4LFd4BvB
今川氏真の嫁になった早川殿(北条氏康娘)は間違いなく傑物
0445人間七七四年2012/01/14(土) 17:21:28.65ID:AoiLY2l1
>>441
武田勝頼と天目山で殉死したその家臣らの菩提を弔うために建立された景徳院には、
勝頼夫妻の御墓とは別に没頭地蔵尊という史跡があって、
そこに首を失った勝頼、信勝のご遺体と北条夫人のご遺体が葬られているといわれているから、
北条夫人のご遺体は現地で葬られたとみてよいのではなかろうか。
0446人間七七四年2012/01/14(土) 18:09:29.39ID:Txb+Pfqc
北条嫁を置いて逃げ出す氏真
北条嫁道連れの勝頼
0447人間七七四年2012/01/14(土) 21:55:12.25ID:jMjEl+zA
なんで小山田のほうに行ったんだろうな行っても北条は敵だし
嫁の実家があるから返そうとしてずるずるそっちにつられたのか
信濃育ちの勝頼なら信濃方面に逃げたそうだが武田の当主としては甲斐は捨てられなかったか
景勝とか真田を巻き添えにしたくなかったか 嫁はどうせ景勝とか嫌ってそうだしな
0448人間七七四年2012/01/14(土) 22:57:04.17ID:F5NdAd6S
真田が信用できなかったんじゃね
0449人間七七四年2012/01/14(土) 23:07:59.55ID:floe4nr2
勝頼が来たら北条に引き渡すと約束した、昌幸から北条あての書状が残っていたんじゃなかったっけ
少なくとも勝頼の嫁は助かっただろうけど
0450人間七七四年2012/01/14(土) 23:10:40.73ID:jMjEl+zA
北条の流言は児戯だな
0451人間七七四年2012/01/14(土) 23:37:42.19ID:2CNYQG+B
流言と悟らせた上で裏を読ませて混乱させる高度な謀略(キリッ
0452人間七七四年2012/01/14(土) 23:43:33.63ID:F1o5IB5w
勝頼を助けようとしたのは景勝だけか…
0453人間七七四年2012/01/15(日) 00:17:04.49ID:owoKT2iQ
北条家の嫁が欲しいお
0454人間七七四年2012/01/15(日) 00:23:15.57ID:RLEc3Yw5
宇喜多直家「嫁が欲しいとな?」
0455人間七七四年2012/01/15(日) 00:31:07.08ID:sB7d7dwk
松永久秀「このような極悪人を信用したらいけないぞ」
0456人間七七四年2012/01/15(日) 00:57:38.40ID:njmSC6Lb
内ケ島「まったくだ。ところで貴殿には見どころがある。今宵の和睦成立を祝っての宴に来ぬか?」
0457人間七七四年2012/01/15(日) 01:25:22.78ID:mVctGRs1
この流れ秋田愛季
0458人間七七四年2012/01/15(日) 01:58:21.11ID:yBz6KDJD
実季だろw
0459人間七七四年2012/01/15(日) 11:00:18.06ID:M7BTWqv9
この流れ安東愛季
0460人間七七四年2012/01/15(日) 11:03:37.21ID:KmVqosCO
この流れ豊崎愛生
0461人間七七四年2012/01/15(日) 11:24:43.50ID:oe0hdakJ
>>460
誰?
0462人間七七四年2012/01/15(日) 11:29:28.71ID:LxS+m1+T
この流れあ北信愛
0463人間七七四年2012/01/15(日) 11:57:50.18ID:JpRkT9YY
豊崎愛生
出身:阿波国、勝瑞館東方の守将として活躍、勝瑞城落城後、江戸へ
0464人間七七四年2012/01/15(日) 12:48:14.66ID:kZ5edQlN
この流れ…流れ…流れて…流れ公方足利義稙
0465人間七七四年2012/01/15(日) 13:03:50.17ID:sB7d7dwk
流れ…流れて…流れ公方足利義氏・・・村雨ウマー!!
0466人間七七四年2012/01/15(日) 13:21:10.25ID:ufJ/ZaY+
前から薄々感じてたけど、ここってアニオタも結構いるみたいだな
0467人間七七四年2012/01/15(日) 14:17:58.79ID:PnXnnzPl
伊勢新九郎が若年の頃のことである。
彼はその頃、備中にあった。

ある夜、夢のなかに新九郎は、吉備津宮の明神から、太刀を賜った。
翌朝、見知らぬ人物が現れ、彼に『毘沙門』の文字が彫られた太刀を持ってきて、
これを新九郎に与えた。そして

「後日、この太刀によって僥倖を必ず受けるだろう」

と言い残し去っていった。
それより新九郎はこの太刀を、類題の重宝として大切に扱った。

その後、新九郎は伊勢に居住した。文明年間は意図せずに得た護符を、
太刀と共に家の中に丁重に納めた。これらは今(寛永期)に至るまで北条家に伝わるという。

長享年間、新九郎は駿河に趣き、姉の子である今川氏親に仕えた。
氏親は彼を、興国寺城に置いた。
(寛永諸家系図伝)

伊勢新九郎に僥倖を与えた、吉備津宮明神の太刀、という話である。
0468人間七七四年2012/01/15(日) 14:28:28.06ID:6Zk0HwxU
>>467
まさか軍神様はそれを奪うために関東に執着
0469人間七七四年2012/01/15(日) 14:42:38.92ID:vdvFJhDw
今起きたことをありのまま話すぜ!以下ry
0470人間七七四年2012/01/15(日) 18:34:14.48ID:VuOO3RbO
その太刀、今でもあるんかなあ
0471人間七七四年2012/01/16(月) 01:46:03.24ID:YL6C6JHo
この前友人に好きな武将聞かれて鮭s…最上義光って答えたら何故か「玄ww米ww茶www」
って笑われたが未だに理由が分からないorz

それはそうと、こういう夢のなかで神様から太刀を受け取ったって逸話は多いけど
実際には夜、家臣がこっそり太刀を枕元に置いておいて
、次の日「きっとこれは神が(ry」とか言いつつ主君の士気を高める
…とかありそうな気がするのは自分だけでいい

まあ逸話と史実は違うし、無理に現実的に考える必要はないのだがw
0472人間七七四年2012/01/16(月) 02:23:37.97ID:wWpLZu63
>>471
なにその、クリスマス方式。
0473人間七七四年2012/01/16(月) 02:30:28.53ID:blEvnCZ+
>>471
一瞬戦国鍋TVかと思ったがそんな事もなく、戦国BASARAのようですぜ >玄米茶
0474人間七七四年2012/01/16(月) 10:49:52.19ID:eymfK7ns
玄米茶ってそんな時代からあったのか?
0475人間七七四年2012/01/16(月) 10:56:22.77ID:UMtwRRff
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4407.html
政宗から義光に送られてきた紅茶の茶葉をひじきだと思って食べちゃった、て逸話とは
多分関係ないんだろうな
0476人間七七四年2012/01/16(月) 11:17:25.92ID:UMCm6O+O
いい茶葉はそれはそれでおいしいぞw
0477人間七七四年2012/01/16(月) 11:57:46.24ID:Z7H2vYjl
なんだこのくせぇひじき、とか思っただろうなw
0478人間七七四年2012/01/16(月) 13:09:33.96ID:p91pD8I1
戦国大名最上義光 違いの分かる男のゴールドブレンド
義光「ムシャムシャしてやった」
04791/22012/01/16(月) 17:59:25.82ID:nEbxNjIs
信濃守護職・小笠原長時は草花、特に牡丹の花を愛した。
天文19年(1550)7月、塩尻峠で武田晴信に敗れて以来、衰退著しい長時は、祈願寺である兎川寺の住職を訪ねた。

「和尚と会うのも、これが最後となろう。」
「やはり、いけませぬか。」
「うむ。無念だが、武田には勝てぬ。信濃を落ち延び、上方で助力を請う。・・・和尚に頼みがある。」
「承りましょう。」

住職の了承を受けた長時は、一株の見事な牡丹を持って来た。

「わしは、花が好きじゃ。この地を落ちるは、当家存続のため仕方ないとしても、わしが手塩にかけた花を
武田の奴輩に踏みにじられるのは、我慢ならん。
そこで、わしが特に気に入りの白牡丹、この寺で育ててはもらえまいか?」

住職は申し出を快く引き受け、長時は居城を焼き払い、山中を隠れ行き、上方目指して去った。

長時の残した白牡丹は住職が大切に育て、住職亡き後も、牡丹の話を住職から聞いた兎川寺檀家の久根下氏が
『殿様の白牡丹』と呼んで、密やかに守り続けた。
04802/22012/01/16(月) 18:00:10.48ID:nEbxNjIs
旧伯爵・小笠原忠統は戦後、文化活動に熱心に取り組んだ。
昭和32年(1957)、小笠原氏本貫の地・松本市の市立図書館長に就任した忠統を、一人の青年が訪ねて来た。

「“殿様”、よくぞお戻りになられました。今こそ、これをお返しいたします。」
「これは・・・?」

青年の名は、久根下栄一。『殿様の白牡丹』を守り続けた、久根下氏の末裔であった。

栄一は、小笠原氏も一時居城とした松本城に、この牡丹を株分けする事を提案し、忠統もこれを快諾、
牡丹は松本城本丸庭園に移植され、『小笠原牡丹』と呼ばれるようになった。


戦国乱世の兵火を逃れ、400年の時を越えた『小笠原牡丹』は、今も松本城で美しい花を咲かせている。

ttp://www.shinmai.co.jp/flower/200005/00052302.htm
ttp://www.oshiro-m.org/quiz/g1_4.pdf (PDF注意)
0481人間七七四年2012/01/16(月) 18:24:20.42ID:kVgPYhsu
いい話だが、小笠原氏は大名に復帰しているのになぜ戦後まで待ったのかな?
0482人間七七四年2012/01/16(月) 18:40:24.10ID:LqaT6squ
牡丹を手放すのがもったいなかったとか
0483人間七七四年2012/01/16(月) 19:47:39.60ID:8oExZufN
>>482
好意的に考えれば、江戸期の松本領主、その後継たる華族家を憚ったのかな。悪意的なのはいわぬ。
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