戦国ちょっといい話30
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0001人間七七四年
2011/12/11(日) 21:46:15.43ID:NURhlo81戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1317824861/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1321170836/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0362人間七七四年
2012/01/10(火) 00:16:05.68ID:tK7p5aY4意外な人事となり、それはわしがブランドに弱いからだと思うかもしれないがそうではない。」
このようにして家康は、厚遇している新参・当参者たちの理由を列挙していったので、
彼らは大いに面目を施したという。
(加々見呈譜)
0363人間七七四年
2012/01/10(火) 00:22:08.15ID:gXZKP/FC本人の戦功じゃなくて、親の戦功で特別に召しだしたんだったら
三河者たちが納得するとも思えないなあ
0365人間七七四年
2012/01/10(火) 00:50:06.71ID:afxWu2oK親の武功で取り立てられた第二世代になっているとか?
0366人間七七四年
2012/01/10(火) 00:51:34.03ID:k1jYGRTeというものがあるので、武士社会においてこれは圧倒的美談だね。
0367人間七七四年
2012/01/10(火) 01:00:25.68ID:afxWu2oK圧倒的…………美談…………!!
源氏を名乗り始めたのは、ちょうどこの頃だっけ?
0368人間七七四年
2012/01/10(火) 01:18:51.07ID:k1jYGRTe源氏自体は祖父の清康の段階で名乗ってる。
というか家康の安城松平はその祖である松平長親の段階で既に新田源氏を名乗っていた、
という説もある。
0370人間七七四年
2012/01/10(火) 03:35:30.93ID:oYPii3Nq0371人間七七四年
2012/01/10(火) 03:56:42.21ID:tK7p5aY4すみません。
>>誰かと(内藤に?)聞けば、あれは加賀美殿の息子でしょうと言うので然りと思った。
とあるので勘違いされたかと思いますが、加賀美殿の息子=正行 です。正光のことではないです。
原文を直訳して書いたのですが、分かりづらくてすみません。
たぶんこの時まだ正行は若くて、父親の方が有名だったのではないでしょうか。
武田滅亡時に正光は10歳くらい、正行は40前といったところです。
この逸話がいつの話なのか分かりませんが、長篠だとしても30ちょいですね。
このころには武勲も立てているはずですが、それでも父親のほうがイメージが強かったのでしょうか。
0372人間七七四年
2012/01/10(火) 13:31:39.35ID:YhSPlZgv本人が気にするくらい。
0373人間七七四年
2012/01/10(火) 17:38:30.97ID:wNhN+rjs小牧長久手の戦いの最中、蟹江城が滝川一益に調略され秀吉方となると、
一益は九鬼嘉隆と共に三千の兵を率いて、まず一益が五百の兵と共に入城し、
次いで大野城を攻め始めた
このことを近場にいた井伊直政が家康に報告するために清須城に向かい、
入浴中の家康に告げると、家康は報を聞くなり浴衣のみを着て蟹江へ出陣し、
蟹江にいた一益と船上の嘉隆の間を分断してしまった
この時、随身したのは直政のみ、途中合流した五百余のみで行われたこの行動は
後に家康一代の勝事と言われた
0374人間七七四年
2012/01/10(火) 18:00:33.92ID:9nasp5MP. ,、r‐''''''''''''''''ー 、
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0376人間七七四年
2012/01/11(水) 00:15:18.56ID:30dwQ4ZC0377人間七七四年
2012/01/11(水) 00:49:12.37ID:ie1TmtpUl / .r―――┐l
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l:,;'"`'、, .ニ=ミ.. ヾ= 〈 / l | 混ざりたいのか、家康?
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0378人間七七四年
2012/01/11(水) 02:58:07.39ID:3MNtkTbtやっぱ家康は戦うまいな。
三方原の時は寡兵で若かったが小牧長久手以降の家康なら信玄も倒せると思う。
0379人間七七四年
2012/01/11(水) 03:00:46.90ID:a1Fv7SHCそのへんは信玄に大いに学んでいると思う。
0380人間七七四年
2012/01/11(水) 03:30:51.62ID:B6xEIrgn勝機を逃さないのは見事だな
天下人になるだけの才能は持っていたって事なんだろうな
0381人間七七四年
2012/01/11(水) 18:01:22.95ID:3hRTfHhiその後なんのかんのあって仙石秀久→豊臣秀吉に使えるが、秀吉のもとでまた刃傷事件を起こしたらしく
出奔。このとき激怒した秀吉から刺客を放たれたそうなので、よほどひどい事をしたのは間違いない。
まあともかくそんなこんなで勝成が畿内にも居られなくなり、西国を放浪していた頃の話である。
出奔したとはいえ嫡男である勝成を流石に放っておくわけにはいかなかったのか、水野家家臣
杉野数馬と近藤弥之介は牢人を装って勝成の居場所を捜索、ようやく発見し、刈谷に帰るよう説得したが、勝成
「冗談ではない」
と断固拒否。二人は困り果てたが勝成を一人にするわけにもいかず、仕方がなく彼の後について
放浪の旅に従った。
と、そのうちに備後か備中のあたりで蓄えが尽き、杉野・近藤は勝成をお堂で休息させて、その間にその地の民家に
施しを貰いに行った。まさに乞食旅である。
時に初夏であったため、二人は麦の施しを受けた。彼らは一旦お道に戻り、渋紙の上にこれをおいて
乾燥させ、再び施しを受けるためその場を離れた。
ところが一天俄に曇り、大雨が降り注ぐ。勝成がふと気がつくと、お堂で乾かしてあった麦は
この雨で流され始めたではないか!
さて、雨があがる。
杉野と近藤はようやくお堂への帰路についた。
この時、杉野は近藤にいう
「さっきお堂に干しておいた麦だが、雨に流されてしまっただろうな。」
「ん?若様が取り入れてくださっているさ。」
「何を言うか!」
杉野が少々色を成して言った
「あの麦を取り入れるようでは、若様に将たる器量はない!もし取り入れているなら、その程度の器量の人間に
付き従い流浪していても意味が無いので、早速に刈谷に戻り忠重様に総報告しようぞ!
しかしあの麦を取り入れず捨て置かれていたのなら、これは大勇の器であり、その貪らない性格は
見上げたものであるといえよう。そのような人物であるなら実に、助け仕えるべきだ!」
二人がお堂に帰ってきた。これを見つけた勝成は大声で呼びかけた
「ふたりとも遅かったな!さっきにわかに大雨が降ってきて、おまけに大風まで吹いて麦をことごとく
流してしまったぞ!大風は横様から突入して敵を散らすよう、雨に打たれては飛び上がり押し流される有様、
まるで逃げる敵を追撃するようであった。それは合戦の攻防そのままで実に面白かったぞ!」
これを聞くと杉野・近藤はハッとして飛び下がり膝をただし
「なんとありがたい仰せでしょうか。先に自分たちは、若様が麦を取り入れるか否かを話しておりましたが、
このような賢慮はまさに大将の器量です。殿の出世開運は間違いないでしょう!」
と、感動して申し上げたという。
これとよく似た話が立花宗茂にもありますが、名君の逸話のテンプレとして存在したのでしょうか?
ともかくも水野勝成、麦が流れ吹き飛ばされるのを見ていた、というお話
(岡山の伝承「でんぐら堂ものがたり」より)
0382人間七七四年
2012/01/11(水) 18:16:49.41ID:yM8McyF/0383人間七七四年
2012/01/11(水) 18:51:20.71ID:K+u9WCAs0384人間七七四年
2012/01/11(水) 18:53:33.67ID:QmOoNs8Q0386人間七七四年
2012/01/11(水) 20:29:58.69ID:KTyPqdLH0387人間七七四年
2012/01/11(水) 21:37:39.47ID:Y1Ag0hTuおお、若様こんな気配りが出来る様になって…ってキャラじゃないですね、うん。
0388人間七七四年
2012/01/11(水) 22:00:04.22ID:B6xEIrgn0389人間七七四年
2012/01/11(水) 22:07:26.18ID:Zz4Q1Rzr0390人間七七四年
2012/01/12(木) 00:33:57.87ID:ZUZ23yq+熊本城受け取りの折、立花宗茂の家臣に十時連貞の消息を訊ねている。
勝成と連貞は、肥後一揆の兵糧入れの戦いでともに合言葉を言い合いながら作戦を成功させた仲であるが、
この二人にはそれ以外にも不思議な縁がある。
連貞が江戸の町で暴漢に襲われ格闘した事件を土井利勝に審議されたことが、立花宗茂の大名復活のきっかけである。
その後、宗茂は徳川秀忠に寵用されていく。利勝と勝成は従兄弟。秀忠と勝成は乳兄弟である。
また、宗茂の妻ァ千代が、滞在していたのは、勝成の妹の嫁いでいる加藤家である。もしかしたら、
立花宗茂の大名復活の裏には、なんらかの形で勝成がかかわったのかもしれない。
0391人間七七四年
2012/01/12(木) 00:58:52.48ID:7Y2RwD/F0392人間七七四年
2012/01/12(木) 11:42:38.22ID:8aPf5DSM0393人間七七四年
2012/01/12(木) 11:58:04.36ID:27tsjk7j0394人間七七四年
2012/01/12(木) 14:07:41.37ID:4oG6Zm3+顔は馬のように長く大きく、更にその顔にはほくろが無数にあるという異相だった
また豪胆でかつ芸もよくする風流人であり、
その異相の顔におしろいと紅を塗りたくって頭に真っ赤な頭巾を巻いて女装し
ほうきを持って踊るという宴会芸の持ち主で、この芸には流石の景勝も微笑み気に入っていたという。
水原は武勇の士らしく平時戦時に拘らず
いつも兵糧代わりに味付けされた餅を懐に入れていた。
彼は謙信に従って川中島の戦いにも出て武功を立てたという老兵であり、
大坂の陣に出陣したころにはもう既に70歳。
その後景勝が米沢へと帰還してくる際、上杉家家中は全員城の前に居並び
主君の帰還を出迎えることとなっていたのだが、その中に当然水原の姿もあった。
家中の者たちが老年のこの武者を「年寄りが無茶をする」とからかうも笑って取り合わず
主君の帰りを平伏して待った。
米沢城へと帰還する景勝の行列が家臣一同の出迎えを通り過ぎる中
ふと景勝は水原の姿に目を留め、彼の前で輿を止めさせた。
「常陸、変わりないか」
景勝から声がかかるも、水原は一向に顔をあげず平伏した姿のまま動かない。
周囲の者たちは、水原も老齢であるからさては待っている間に寝たのかと思い
彼の体を揺すって起こそうとすると、彼の懐から兵糧代わりの餅が転げ落ちた。
これが水原親憲の最期の姿であったという。
米沢土産のおもちの由来だったり。
いつもと変わらない姿で主君の前で死んだって所が忠義の士らしくて
好きな話なんだがちょっとうろ覚えなんで細部が違うかもしれん
0395人間七七四年
2012/01/12(木) 18:15:10.02ID:Qzo3384eと変なところに感心してしまった
0396人間七七四年
2012/01/12(木) 18:48:25.06ID:xt21/gtT懐に入れてるだけで死んでしまうなんて!!
餅はやっぱり危険な食べ物なんだ!!!!
0397人間七七四年
2012/01/12(木) 19:24:41.29ID:7BaT/NPB>周囲の者たちは、水原も老齢であるからさては待っている間に寝たのかと思い彼の体を揺すって起こそうとすると、彼の懐から兵糧代わりの餅が転げ落ちた。
「おい、爺さん寝たのかよ」
ユサユサ
ゴロン
「死、死んでる」
なんかコナンにありそうな展開だなw
0398人間七七四年
2012/01/12(木) 19:30:45.39ID:+3S3rTJTなんとも、日本が作る時代物の映画の終わり方みたいだな。
血気盛んな若者の話も好きだが、老いてからの島津義弘とか
こういう老齢の士の話も好きだ
0399人間七七四年
2012/01/12(木) 19:34:04.34ID:gBFBYdhA0403人間七七四年
2012/01/12(木) 21:20:48.78ID:MDNpxjbRこんな格好した、鴨居に頭ぶけるようなオッサンが居たら笑うしかないな
http://webgalerie.chez-swan.net/galleries/Films_d_animation/Kiki_la_petite_sorciere/Kiki_la_petite_sorciere_01.jpg
0404人間七七四年
2012/01/12(木) 22:25:15.86ID:Tx1ux6yLこれには景勝公も苦笑い
0405人間七七四年
2012/01/13(金) 02:38:35.26ID:AY2+RVW6水野勝成
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1300543875/
112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 00:36:35.50 ID:hkBIrevH
http://www.bes.ne.jp/forum/bingoohrai/akiyama_yumi/017/index.html
水野勝成の武将としての功績は現在多くの方が著されているが、
古くは勝成の逸話をおさめた『宗休様御出話』という史料が残されている。
ひとつには、家中の軍功のある者や、古くから仕えている家臣の病が重いと聞くと、
勝成はその家まで見舞いに行き、みずから薬を与えたという。
また、家中の者は、安芸や京、大阪、伊勢へは御暇願を出さずとも、
老中へ届け出るだけで自由に遊覧できた。帰ると、勝成に土産を差しだし、世間話をした。
勝成はその者に、無事であったかとか、旅の様子など楽しく聞くのだが、
その際自分の側近衆も家中も差別なく待遇したという。
若い頃の自らの放浪を懐かしむような、温かい目線であったことだろう。
ある藩士が事情があって、紀州徳川家に仕官し、紀州から照会があった折り、
勝成は「福山藩では望み通りの知行がやれなかった。しかし召し上げれば、役に立つ者である」
と往信した。他の藩に仕官する者にもそうであった。
武士に奉公構え(他の藩に仕官できないようにすること)は無理な仕置きである。
主将の道には慈悲に欠けてはならないと言っていたという。
自らが奉公構えを出され苦労した経験が、見事に活かされている。
このような数々の逸話は、勝成がいかに家臣や領民にとって良き統率者であったかを語っている。
豪胆にして繊細、勇猛果敢な武将にして有能な為政者、
そしてその人間味あふれた人物像が浮き彫りになればなるほど、彼の虜になってしまう人は
現代においても多くいる。
分断された南側に今も建つ賢忠寺には、勝成の甲冑や肖像画、頭髪、茶碗、砂時計など
多くの遺品が所蔵されている。
水野勝成の功績や人柄と共に、広く公開されればと願う。
0406人間七七四年
2012/01/13(金) 03:38:40.89ID:tpp8ttnJ0408人間七七四年
2012/01/13(金) 10:03:34.94ID:Y7hHO2Km水原は兼続や慶次郎などよりも
落日の上杉家に清涼感を与えてくれた気がする
もっと顕彰されないだろうか
0409人間七七四年
2012/01/13(金) 11:38:52.40ID:kzahPtmK0410人間七七四年
2012/01/13(金) 11:38:54.06ID:qarJKv0c戦国の世の中を生き残るには水野タイプか立花タイプが一番いいみたいだな。
とにかく中途半端はイカンな
0411人間七七四年
2012/01/13(金) 11:53:59.86ID:/3eBJAHo豊国「そうそう」
0412人間七七四年
2012/01/13(金) 14:27:51.70ID:jtoSXHovその二人は実力と運と人脈に恵まれて、たまたま生き残っただけで
戦国時代には無数の勝成・宗茂もどきの屍が転がってたと思う
0413人間七七四年
2012/01/13(金) 15:11:10.20ID:qzUCVkDt直江は上杉と徳川が対立した原因を家康にも景勝にも求められなかった人たちが
江戸時代にスケープゴートにしただけで本人は基本的に忠臣じゃん
直江状も爽快な文章だとして広まったもんだし
水原や安田が直江と対立したような話も
出所は直江を悪臣にして徳川上杉叩きを回避しようとした話が元だし。
0414人間七七四年
2012/01/13(金) 15:25:35.16ID:gU7lqkXF0415人間七七四年
2012/01/13(金) 15:34:27.22ID:8NJoN/ZK0416人間七七四年
2012/01/13(金) 18:14:58.81ID:QXtAUjp+0417人間七七四年
2012/01/13(金) 18:17:25.01ID:AY2+RVW6それどころか家康の権威を素直に認めたものだとか何とか。
そうなるともうわけわからんw
0418人間七七四年
2012/01/13(金) 18:41:06.31ID:l0leCNf5結果としてその意思決定のために国が害を蒙ったら(武田→国が亡んだり、上杉→石高が激減したり)、
後世非難されたり、嫌われても仕方がないと思う。
国の指導的立場にある人の宿命でしょう。
直江状も、その後がうまくいっていれば、時の権力者に啖呵を切った爽快な文書として素直に受け取れるけど、
結果、主君に土下座させることになったわけだから、
身の程知らずが書いた愚かな文書、と受け取る人がいてもしょうがない。
0420人間七七四年
2012/01/13(金) 20:23:08.83ID:U6GkUUgF跡部勝資は本当に可哀想な人間だと思うぞ
側近の同僚だった山県昌景、原昌胤、土屋昌次が一時期にごっそり死んでしまったからな
0421人間七七四年
2012/01/13(金) 21:02:47.08ID:l0leCNf5基本的に異論はない。跡部勝資の人生は、個人的には気の毒だったと思う。
才幹能力と地位にミスマッチが生じたのは、
偶然と勝頼の人材を見る目のなさに起因していて、そういう意味では跡部勝資の責任じゃないから。
ただ、それなりの地位に就いた人が、その地位に見合うだけの能力がなかったってのは、
現実のステイクホルダーにとって、可哀相で片づけられない不幸だと思う。
前に土屋昌恒の逸話で、跡部勝資の判断の行き当たりばったりさが「無分別」だと激烈に非難されてたけど、
それはやむを得ないことだと思う。
一国の指導者層の人間が、判断を誤って国を滅ぼして、それでも非難されないとしたら
歴史から学ぶことは何もなくなってしまう。
うん。立派な長文スレ違いだw
お詫びに何か出せる逸話がないか、手元史料を探してくるノシ
0423人間七七四年
2012/01/13(金) 23:11:11.28ID:VwcasYXl0425人間七七四年
2012/01/13(金) 23:17:50.33ID:Bgkzh0Vu0427人間七七四年
2012/01/14(土) 00:36:51.36ID:SiGmPcGW1550年末、山口に滞在していたフランシスコ・ザビエルは、布教のために京へ向かった。
この年は寒気が厳しく、雪が膝丈まで積もっていた。
道中、この雪で難儀していた男がザビエルに言った。
「あなた方は天竺人なら、なぜもっと雪を少なくするように言ってくれないのか」
当時、日本人の中には『天竺は天にある』と考えている人がいたのである。
0429421
2012/01/14(土) 01:37:52.74ID:AoiLY2l10432人間七七四年
2012/01/14(土) 02:00:34.07ID:WP5ixwv90433人間七七四年
2012/01/14(土) 02:03:40.78ID:AoiLY2l1北条夫人の最期(上)
北条氏康の6女とされる北条夫人は、長篠の戦いに敗れ劣勢に陥った武田家が、
外交関係を立て直すため北条氏との同盟を回復したのに伴い、天正5年に正室として武田勝頼に嫁いだ。
このとき勝頼31歳、北条夫人14歳。親子ほど年が離れた夫婦であるが、その仲は睦まじかったといわれる。
しかし、御館の乱における武田家首脳部による外交判断のミスにより、
北条夫人の実兄上杉景虎は上杉景勝に敗北し自害、北条家と武田家の同盟関係も破綻してしまった。
大名間の同盟に伴って相手国に嫁いだ姫は、
その同盟関係が破綻すると離縁して実家に戻るのが当時一般的であったが、
北条夫人は自らの意思で武田家に残ったといわれる。
そんな仲睦まじい勝頼夫妻にも最期の時が訪れる。
天正10年、織田信長の侵攻により、武田家の統治体制は瓦解、
本拠地韮崎の新府城を脱出し郡内岩殿城へ向かった勝頼主従は、
小山田信茂の裏切りに合い進退窮し、天目山の麓田野で自害することに決した。
勝頼は、ここまで付いてきた北条夫人に、安西伊賀守らを使いに出してこう伝言させた。
「武田家一門の命運は今日を限りとなりました。あなたは女性なのだから自害する必要はない。
幸いここから小田原へは道も険しくないので、どんなことをしてもあなたを無事にご実家へ送り届けます。」
北条夫人はこれを聞いて、
「なんと嘆かわしいことをおっしゃるのでしょうか。前世の縁が浅くないからこそ、夫婦の契りは深いものなのです。
たった一夜であっても、お互いのために命を捨てられるのが夫婦の仲なのに、
私たちは契りを結んで今年で7年にもなります。
たとえ小田原に落ち延びたとしても、あなたが末の露と消えてしまうのに、
私だけが残っても何の意味もありません。
元より夫婦は二世の契りと申します。ここで共に自害して、死出の山も三途の川も手に手を取って渡り、
来世でも共にありたいと願うのが私の本心です。」
とおっしゃって、全く小田原へ落ち延びようとなさらない。
更に女官に向けて
「長い歳月、一人の子も出来なかったことを悲しんでおりました。
神や仏に、子が出来ますようにと祈っておりましたが、今となっては、子がいなくて良かったと思っています。
幼い子がいれば、大層思い悩むことになったでしょうから。」
と穏やかにおっしゃる様を見て、哀れに思わない者はいなかった。
0434人間七七四年
2012/01/14(土) 02:05:58.87ID:AoiLY2l1この時点で、北条夫人の供の者もあらかた逃げ失せており、
早野内匠助、劔持丹波守ら4名が残るばかりであった。
北条夫人は彼らを呼び寄せこうおっしゃった。
「皆が散り散りになるなか、貴方たちがここまで御供してくれたこと大変嬉しく思っております。
ただ、後の弔いのため、何とかして手紙を小田原に届けたいのです。
もし手紙を届けてくれれば、貴方達が最後まで御供してくれるよりどれほど嬉しいことでしょうか。」
しかし、早野らも
「妻子を捨て、ここまで御供したのは、姫の最期を見届けるためです。
ここから小田原へ帰るなど断じて出来ません。」
と首肯しない。
これに対して北条夫人は、
「あなたたちを小田原へ返すのに格別の理由はありません。
私は女ですので、私がどのような場所でどのように死んだかと、小田原の者達は気にするでしょうから、
最後の様子をお知らせしておきたいのです。
それと、北条家は代々武門の家ですので、女ながらも、見苦しい最後ではなかったと、皆へよく伝えてください。」
とおっしゃって、手紙をしたためて、髪を少し切り、手紙に添えて渡そうとなさったので、
早野らは力及ばず受け取るしかなかった。
そうこうしているうちに、勝頼より、北条夫人の御座所は鉄砲の射程距離に入っているので、
少し引いて岩陰に隠れてくださいと使いがあった。
しかし、北条夫人は
「身を惜しみ、命を惜しむときであれば、矢鉄砲から避けもしましょうが、
一時も早く消えばや、と思っている身の私が、岩陰に隠れてどうするのです。」
とおっしゃって引こうとしなかった。
この思い切った様子に、女性にも関わらず誠に強健なお心をお持ちの方だと、
兵たちは一層勇気づけられ、最後の進軍をしたという。
0435人間七七四年
2012/01/14(土) 02:11:45.14ID:AoiLY2l1やがて、北条夫人は、正面で戦闘が始まったと聞くと、西に向かい念仏を高らかに唱え、
「勝頼様はどこにいらっしゃいますか。私は先に自害いたします。
お急ぎください。お待ち申し上げております。」
というお声を最後の言葉にして、脇差を胸元に突き立て、
声も立てずに衣で顔隠して御倒れになった。
そのころ勝頼は、4、5人の敵と渡り合って戦っていたが、
秋山紀伊守より北条夫人が自害したと聞き、北条夫人の元へ引き返した。
勝頼は北条夫人の枕元へ立ち寄ると、衣を除けて顔をご覧になった。
北条夫人の雪のような肌は血に染まり、化粧も消えかけ、朝顔がしおれたような風情になっていた。
剛健で知られた勇将の勝頼も、悲しみのあまり北条夫人の顔を二目と見ることが出来ず、
涙に暮れ心乱れたのも無理がないことであったろう。
ややあって、涙を押さえて、北条夫人のお顔をかき抱くようにして自身の膝に乗せ、
北条夫人がまるで生きているかのようにこう語りかけた。
「不意にこの大乱が起きて、
そうであってもなんとか反撃しようと思っていたが、結局立て直すことができなかったよ。
それだけでも情けない思いをしていたのだが、
最後にこのように涙に沈み切ってしまうほどの悲しみを味わうとは。
暫く待っていてくれ。死出の三途の川を、手を取って共に渡ろうぞ。」
勝頼は北条夫人に突き立てられた柄まで赤く染まった脇差を抜き取ると、
その脇差で自身の腹を十文字にかき破り、
はらわたを掴んで四方へ投げ捨て、北条夫人と同じ枕に倒れ伏し絶命した。
なお、小田原への手紙を託された4名のうち、劔持丹波守は、一人も北条夫人のお供をしなければ、
あまりに聞こえが悪いとして、小田原へ帰らず田野で討死したとも伝わる。
小田原に遺髪と共に届けられた北条夫人の手紙には、以下の辞世の句が詠まれていた。
黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思に消ゆる 露の玉の緒
乱世に消えた彼女の「思」とは、勝頼への想いであったのだろうか。
以上、「甲乱記」より抜粋、雰囲気訳で。
北条夫人の最期は、理慶尼記に記載されたものもなかなか趣深いのだけれど、
仏教色が強すぎて、さらっと訳すと趣きがなくなるので、こちらを紹介しました。
長文失礼いたしました。
0436人間七七四年
2012/01/14(土) 02:23:17.28ID:rx8PcQ52泣いた
残念だったがなんと立派な最期なんだろうか
この夫婦の人柄が垣間見える話だなぁ
0437人間七七四年
2012/01/14(土) 03:39:29.53ID:qnI6JcJv0438人間七七四年
2012/01/14(土) 04:12:40.26ID:3aoZ5wqkこれと思った男の側で死ぬのもまた、女の花道よ。
しかし、四郎さんも年の差夫妻だったとは知らんかった
0439人間七七四年
2012/01/14(土) 07:39:15.36ID:COCtoorz0440人間七七四年
2012/01/14(土) 09:15:24.64ID:oZElkRTa※前スレ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1316767827/鬼の女房に何を期待しているのやら
0441人間七七四年
2012/01/14(土) 14:02:35.26ID:WP5ixwv9勝頼らは首を信長に送られてるんだが北条夫人の遺体がどうなったかについてどこでも読んだ記憶がないんだが・・・
氏康が生きてたら怒るだろうなと思ったけどそもそも結婚させないか
0442人間七七四年
2012/01/14(土) 14:58:04.11ID:rWOLSkhk妹かと思ったら松姫でがっかりしたという話があったような。
0443人間七七四年
2012/01/14(土) 15:15:36.59ID:I+iO/EFY凄く凛としたイメージがある
幻庵さんの教えにもある通り、一族の女性として徹底されてるんだろうな
0444人間七七四年
2012/01/14(土) 15:24:34.91ID:4LFd4BvB0445人間七七四年
2012/01/14(土) 17:21:28.65ID:AoiLY2l1武田勝頼と天目山で殉死したその家臣らの菩提を弔うために建立された景徳院には、
勝頼夫妻の御墓とは別に没頭地蔵尊という史跡があって、
そこに首を失った勝頼、信勝のご遺体と北条夫人のご遺体が葬られているといわれているから、
北条夫人のご遺体は現地で葬られたとみてよいのではなかろうか。
0446人間七七四年
2012/01/14(土) 18:09:29.39ID:Txb+Pfqc北条嫁道連れの勝頼
0447人間七七四年
2012/01/14(土) 21:55:12.25ID:jMjEl+zA嫁の実家があるから返そうとしてずるずるそっちにつられたのか
信濃育ちの勝頼なら信濃方面に逃げたそうだが武田の当主としては甲斐は捨てられなかったか
景勝とか真田を巻き添えにしたくなかったか 嫁はどうせ景勝とか嫌ってそうだしな
0448人間七七四年
2012/01/14(土) 22:57:04.17ID:F5NdAd6S0449人間七七四年
2012/01/14(土) 23:07:59.55ID:floe4nr2少なくとも勝頼の嫁は助かっただろうけど
0450人間七七四年
2012/01/14(土) 23:10:40.73ID:jMjEl+zA0451人間七七四年
2012/01/14(土) 23:37:42.19ID:2CNYQG+B0452人間七七四年
2012/01/14(土) 23:43:33.63ID:F1o5IB5w0453人間七七四年
2012/01/15(日) 00:17:04.49ID:owoKT2iQ0454人間七七四年
2012/01/15(日) 00:23:15.57ID:RLEc3Yw50455人間七七四年
2012/01/15(日) 00:31:07.08ID:sB7d7dwk0456人間七七四年
2012/01/15(日) 00:57:38.40ID:njmSC6Lb0457人間七七四年
2012/01/15(日) 01:25:22.78ID:mVctGRs10458人間七七四年
2012/01/15(日) 01:58:21.11ID:yBz6KDJD0459人間七七四年
2012/01/15(日) 11:00:18.06ID:M7BTWqv90460人間七七四年
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