戦国ちょっといい話30
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0001人間七七四年
2011/12/11(日) 21:46:15.43ID:NURhlo81戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1317824861/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話29
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1321170836/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0304人間七七四年
2012/01/06(金) 21:30:00.69ID:u2paUtjr0305人間七七四年
2012/01/06(金) 21:37:50.89ID:OQDI4GyY0307人間七七四年
2012/01/06(金) 22:36:25.89ID:C7pI/7sg0308人間七七四年
2012/01/06(金) 22:39:32.39ID:yist9wDS信忠を大将にして対武田のメンツ+徳川連合軍で攻めるのかな?
滝川を与力にして、一門衆や池田、森で固めて、蒲生や堀みたいな次世代武将も
経験積ませるために参加させるのだろうか。
鬼武蔵がヒャッハーして坂東武者を刺激する姿が目に浮かぶぜ。
0310人間七七四年
2012/01/06(金) 23:19:42.78ID:5YBDsyKp0312人間七七四年
2012/01/06(金) 23:42:47.43ID:yist9wDS後世の評価は、無口で、内ゲバ起こして弱体化し、なすすべなく織田家に滅ぼされた大名
0313人間七七四年
2012/01/06(金) 23:46:17.82ID:kt2VdFrT北条は九州の後だろw
0314人間七七四年
2012/01/06(金) 23:48:18.92ID:z2nYJbSV天庵様くらいしか思いつかない
0315人間七七四年
2012/01/06(金) 23:55:00.86ID:C7pI/7sg0316人間七七四年
2012/01/07(土) 00:14:52.81ID:2dWjTK5b九州は織田とどういう関係だったのかな?
毛利との関係で大友はかなり交渉してたとは思うけど
島津だって猿関白みたいにうつけ右大臣とは言ってなかったんでしょ?
0317人間七七四年
2012/01/07(土) 00:26:05.62ID:mrYXyBDM信濃方面からは鬼武蔵軍団が
北越後では新発田さんが謀反&
本能寺が起きなかったら上杉滅んでるなw
0318人間七七四年
2012/01/07(土) 00:29:48.55ID:mtlsr2RHまあこれが成立しても北畠のような末路になりそうだが
0319人間七七四年
2012/01/07(土) 00:30:10.98ID:WGM1VMA90320人間七七四年
2012/01/07(土) 00:33:42.45ID:QngnlNrTまだ毛利と戦闘中・長曾我部と開戦目前の状態で九州まで手を伸ばすとかありえん
どう考えても北条が先
ちなみに伊達は鷹を送るくらいの親善はしていた…けど潰されるよなぁどのみち
南部くらいの僻地だと服従で済むかもしれんが
0322人間七七四年
2012/01/07(土) 00:43:19.63ID:QngnlNrTそうだよ。織田に対して北条はかなりへりくだってた
織田包囲網への参加要請ものらりくらりかわして、織田と関係悪化させなかったし、
武田を瞬殺した信忠を後継者として評価していたから、土下座して服従宣言した
対して上杉は>317に加えて南に滝川、東北で蘆名(織田とは別件)がにらみを利かせてた
0323人間七七四年
2012/01/07(土) 01:26:06.56ID:mrYXyBDM※※※※※※※※※※※※※※※※※※│ ┌─┘※※└佐渡※│発├──┘ │※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※│ │┌─┬─────┤田│ │※
───────┬──┐※※┌────┘ └┘ → 上杉家 └↓┤ 陸奥 │※
織田家 │ ┌┘※※│織田家北陸方面軍 ├─↑─┐ │ │※
中国 ┌──┘ └──┬┘ ┌────┬─┘ ┌┴─↑─┼───┬─┤※
方面軍 │ └───┘ │織田家 └┐ │ │ │※
(羽柴) │ ┌┐ │鬼武蔵軍団│ │宇都宮│ │※
← │ ││ ┌┴─────┘ └┐ │ │※
───┐│ └┘ ┌┘ 織田家 ┌───┴┬─┘ │※
※┌┐└┴┐ │ 関東方面軍 │ │佐竹家│※
※│淡 ※│ ┌──┴┐ ┌┐(滝川)│ 北条家└┐ │※
┐│路┌─┘ ┌─┐│ └──┘│ └┐ ┌─┐│ │※
│└┘│ │※└┤ 徳川 └─┬──┘┌┘※││ │※
│※※└┬──┐ └┐┐└────┐ │ └┐┌┴┴─┬┘※
┘※※※│雑賀│ ┌┘※※※※※└────┤ ┌──┘│里見 │※※
※※※※└┐ │ ┌┘※※※※※※※※※※※│ │※※※└───┘※※
※※※※※└┬┘ ┌─┘※※※※※※※※※※※※└─┘※※※※※※※※※※
※※※※※※└────┘※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
図にするとこんな感じか?
イジメってレベルじゃねーぞwwww
0324人間七七四年
2012/01/07(土) 01:35:23.46ID:jmrtBHjbもしこれで生き残れたら俺まじ英雄じゃね?」←決戦が起きない
0326人間七七四年
2012/01/07(土) 06:35:53.55ID:KkT78Psi大掛かりな軍隊出せるのも関東がせいぜいじゃないかね。
0327人間七七四年
2012/01/07(土) 08:47:25.38ID:gW1+rINP広げまくった戦線の空白を光秀がついた どのみち織田は滅びてた
0329人間七七四年
2012/01/07(土) 15:41:37.14ID:zS9x57hy南部と信長でふと思い出したんで投稿してみる。
南部但馬守信長 都会生活を満喫する
南部家から上洛した南部但馬守信長は、国元の七戸氏に書状を出した。
『今春の慶び、言い古されてはいますが、慶び終わることがありません。
去年は遠路にもかかわらず、鷲の尾を十尾も送っていただいて、ご懇切の段、お礼申し上げます。
当年は国元に下向するつもりでしたが、信虎(武田信虎か)に色々ととどまるよう言われちゃって
やむを得ないこともあり、(逗留を)引き延ばすこととなりました。来年は早々に下国するつもりです。
昨年は禁裏様(天皇・正親町天皇か)の前に置いて能が催された際に召し出されちゃいました!
また今月の五日には上意様(将軍・足利義輝か)のところで能の笛を吹かせていただきました。
上意様には特に懇ろにお言葉を掛けていただき、生前の思い出になりました、もうなにも言うことありません!
くわしくはかならず、助五郎から話があると思います。
追って申し上げますが、お届けした一枚起請文は梶井殿様の直筆のものなので、秘蔵されるなら本望です。
また、そちらに留め置いている足弱達を扶助していただいていること、祝着至極です。
来年は下国し、お目にかかりましょう。
南部但馬守
信長(花押)
四月十日
南部七戸殿』
ちょっと微笑ましい、笛の名手の南部但馬守信長さんのお手紙。
この書状、いまだに年代比定が定まってない(文明19年説・永正15年説・永禄6〜7年説等)のですが
個人的には、言継卿記の永禄12年の条に、『南部但馬守が知行のことについて話しに来たので、織田信長の奏者に引き合わせる』
という記事があるので、もしかしたら二人の信長が対面したこともあったかも、ということで永禄説を(勝手に)推してますw
0331人間七七四年
2012/01/07(土) 17:00:28.40ID:Kq6tDZwq0332人間七七四年
2012/01/07(土) 17:07:13.27ID:rmHIWuBj0333人間七七四年
2012/01/07(土) 17:31:33.36ID:MEn64Y+/これが陸戦型脳筋モンスター軍団だったら反攻したのかも知らんが…
0334人間七七四年
2012/01/07(土) 17:34:32.66ID:exucoFwt近江の信長直轄軍は健在だし伊勢には信雄、さらに当時大坂には信孝のもとに
丹羽らが軍勢を終結させる程度には残っていた
よく本能寺は畿内に軍事的空白を作ってしまったからだという説が唱えられるが
実際には本能寺の時点で、京の信長のすぐ傍に、いなかったというだけの話
それも二・三日後には京都に軍勢が集結する予定だった
光秀はそのほんのわずかな一瞬を突いた奇襲だったんだ
仮に光秀が二日迷ったら、京にはもう信長と信忠の数万の軍勢が終結していただろう
0335人間七七四年
2012/01/07(土) 21:34:53.42ID:dULsTHOk信孝・丹羽の軍団は本能寺の後、逃亡するものが続出し大混乱。
更に筒井順慶が河内の三好領に攻めて来るとの風聞が流れて動くに動けず。
とても京に進軍する力は無いよ。
0338人間七七四年
2012/01/07(土) 22:29:01.15ID:dULsTHOk0340人間七七四年
2012/01/08(日) 01:28:29.78ID:heKET7U90342人間七七四年
2012/01/08(日) 21:36:43.49ID:ckXvohHy>>335
織田家って情報操作と調略を有効活用していたけど、本能寺以降はより活発化するね
家中で最も優秀な諜報能力があった羽柴と明智の戦いだから当然なんだけど
調べてて面白い
0343人間七七四年
2012/01/08(日) 21:54:40.01ID:1lijqs2s0345人間七七四年
2012/01/09(月) 01:02:57.76ID:tSbJGvnE三河→関東への国替えが色々と影響でかかったんじゃないのかな〜
0346人間七七四年
2012/01/09(月) 01:06:28.05ID:ASeFSQgs中央集権の裏付けになった。
0347人間七七四年
2012/01/09(月) 01:17:21.51ID:tSbJGvnE0348人間七七四年
2012/01/09(月) 01:31:37.03ID:ukR0/HH/0349人間七七四年
2012/01/09(月) 01:38:22.77ID:ASeFSQgs与力大名や大身家臣の軍勢を除いた、大番などの徳川宗家直属軍だけで、
前田家全体の軍勢よりも多かった。
0350人間七七四年
2012/01/09(月) 03:15:40.85ID:TZMaBT0Y大番も、武田遺臣など小身の外様は活躍しているが……。
0353人間七七四年
2012/01/09(月) 14:20:06.18ID:ASeFSQgs西郷、戸田、小笠原、依田、真田、穴山、大須賀、あたりはそうだな。家康も大身だけにけっこういる。
関東に入ると本多、榊原、井伊をはじめとして万石以上がやはり一気に増える。
0354人間七七四年
2012/01/09(月) 14:25:25.90ID:cVZYs6l10355人間七七四年
2012/01/09(月) 14:55:44.49ID:lNZIHFOuあ、小諸6万石の依田康国は重要ですな。
あと、関東入府前だと、石川、小笠原は与力じゃないんじゃない? 石川数正は
河内に封土もらっていたし、小笠原貞慶は讃岐半国だし。
0356人間七七四年
2012/01/09(月) 16:01:45.19ID:cVZYs6l10357人間七七四年
2012/01/09(月) 16:06:21.90ID:cVZYs6l10358人間七七四年
2012/01/09(月) 16:44:47.42ID:jt+d33Sr0359人間七七四年
2012/01/09(月) 17:05:38.93ID:cQUIlE/I0361人間七七四年
2012/01/09(月) 22:23:05.63ID:jt+d33Sr武田が滅亡し加賀美正行が死んだ時、その子・正光は幼年であったので落ち延びていった。
天正16年、家康は正光を召しだし、烏帽子親を選んで元服させた上で直接対面した。
家康は亡き正行を褒め、その死を残念がり、正光に仕官を勧めた。正光は平伏して応諾した。
これは特別のことで、人々は不平を口にし、それが家康の耳にも届いた。
それに対して家康はこう諭した。
「お前達はわしが甲州の名門旧跡ばかり喜んで特別扱いするというが、そんなことはないぞ。
その家の者が優れていると思うからこれを重用するのであって、家名を選んでいるのではない。
例えばあの正光の父である加賀美正行は、比類ない剛の者であった。
わしが武田に勝利したときのことだ。追撃していたものが使いを寄こして、しんがりの抵抗が
激しいから加勢が欲しいと行って参った。わしは不思議に思って内藤四郎左衛門をやった。
眺めてみると、敵のしんがりは地勢ををうまく味方にしていて、こちらを近づけない。
飛び込んでは引き、引いては飛び込み、まさに鬼神のごとき働きとはこれであった。
ここが死に場所と、軽輩雑兵に至るまで根が張ったごとき必死の覚悟がみえた。
このようになった敵をよく追い払うことはできないものだ。
誰かと(内藤に?)聞けば、あれは加賀美殿の息子でしょうと言うので然りと思った。
ところが後から聞いた話によると、正行はこう言っていたそうだ。
『お味方敗軍のことまこと意外であり、また急に退くとなって動揺した。
自分が殿軍に指名されるとは、まったく思いもよらないことだった。』
しかし平素から覚悟が座っているからこそ、変にあってもこのように振る舞えるものなのだ。
ただ退くだけなのに大げさな様子で殿軍を申し出たり、手落ち傷を誇らしげに見せにきたり、
そういう浅はかな覚悟とは違うぞ。
旧家名跡の子というのは、それだけに却って重んじられないこともあるから、お前達にとって
意外な人事となり、それはわしがブランドに弱いからだと思うかもしれないがそうではない。」
(加々見呈譜)
最後のあたりはかなり意訳。主語がところどころ分からん…。
他国者の登用に不満たらたらの、譜代の子弟に皮肉を言っているのだと思われます。
なおその後正光は小田原征伐、九戸一揆、関ヶ原、大坂の戦いに参加、書替奉行となった。
加賀美家は次々に加増を受け本家は500石、一族で1000石を越えた。
息子は大阪で先手弓頭として活躍、孫達は将軍の子弟の小姓などに取り立てられて行く中、
正光は寛永5年(または6年)に57歳で死んだ。幸せであったことだろう。
正行シリーズ終わり。
0362人間七七四年
2012/01/10(火) 00:16:05.68ID:tK7p5aY4意外な人事となり、それはわしがブランドに弱いからだと思うかもしれないがそうではない。」
このようにして家康は、厚遇している新参・当参者たちの理由を列挙していったので、
彼らは大いに面目を施したという。
(加々見呈譜)
0363人間七七四年
2012/01/10(火) 00:22:08.15ID:gXZKP/FC本人の戦功じゃなくて、親の戦功で特別に召しだしたんだったら
三河者たちが納得するとも思えないなあ
0365人間七七四年
2012/01/10(火) 00:50:06.71ID:afxWu2oK親の武功で取り立てられた第二世代になっているとか?
0366人間七七四年
2012/01/10(火) 00:51:34.03ID:k1jYGRTeというものがあるので、武士社会においてこれは圧倒的美談だね。
0367人間七七四年
2012/01/10(火) 01:00:25.68ID:afxWu2oK圧倒的…………美談…………!!
源氏を名乗り始めたのは、ちょうどこの頃だっけ?
0368人間七七四年
2012/01/10(火) 01:18:51.07ID:k1jYGRTe源氏自体は祖父の清康の段階で名乗ってる。
というか家康の安城松平はその祖である松平長親の段階で既に新田源氏を名乗っていた、
という説もある。
0370人間七七四年
2012/01/10(火) 03:35:30.93ID:oYPii3Nq0371人間七七四年
2012/01/10(火) 03:56:42.21ID:tK7p5aY4すみません。
>>誰かと(内藤に?)聞けば、あれは加賀美殿の息子でしょうと言うので然りと思った。
とあるので勘違いされたかと思いますが、加賀美殿の息子=正行 です。正光のことではないです。
原文を直訳して書いたのですが、分かりづらくてすみません。
たぶんこの時まだ正行は若くて、父親の方が有名だったのではないでしょうか。
武田滅亡時に正光は10歳くらい、正行は40前といったところです。
この逸話がいつの話なのか分かりませんが、長篠だとしても30ちょいですね。
このころには武勲も立てているはずですが、それでも父親のほうがイメージが強かったのでしょうか。
0372人間七七四年
2012/01/10(火) 13:31:39.35ID:YhSPlZgv本人が気にするくらい。
0373人間七七四年
2012/01/10(火) 17:38:30.97ID:wNhN+rjs小牧長久手の戦いの最中、蟹江城が滝川一益に調略され秀吉方となると、
一益は九鬼嘉隆と共に三千の兵を率いて、まず一益が五百の兵と共に入城し、
次いで大野城を攻め始めた
このことを近場にいた井伊直政が家康に報告するために清須城に向かい、
入浴中の家康に告げると、家康は報を聞くなり浴衣のみを着て蟹江へ出陣し、
蟹江にいた一益と船上の嘉隆の間を分断してしまった
この時、随身したのは直政のみ、途中合流した五百余のみで行われたこの行動は
後に家康一代の勝事と言われた
0374人間七七四年
2012/01/10(火) 18:00:33.92ID:9nasp5MP. ,、r‐''''''''''''''''ー 、
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/ ヽ
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0376人間七七四年
2012/01/11(水) 00:15:18.56ID:30dwQ4ZC0377人間七七四年
2012/01/11(水) 00:49:12.37ID:ie1TmtpUl / .r―――┐l
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l:,;'"`'、, .ニ=ミ.. ヾ= 〈 / l | 混ざりたいのか、家康?
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0378人間七七四年
2012/01/11(水) 02:58:07.39ID:3MNtkTbtやっぱ家康は戦うまいな。
三方原の時は寡兵で若かったが小牧長久手以降の家康なら信玄も倒せると思う。
0379人間七七四年
2012/01/11(水) 03:00:46.90ID:a1Fv7SHCそのへんは信玄に大いに学んでいると思う。
0380人間七七四年
2012/01/11(水) 03:30:51.62ID:B6xEIrgn勝機を逃さないのは見事だな
天下人になるだけの才能は持っていたって事なんだろうな
0381人間七七四年
2012/01/11(水) 18:01:22.95ID:3hRTfHhiその後なんのかんのあって仙石秀久→豊臣秀吉に使えるが、秀吉のもとでまた刃傷事件を起こしたらしく
出奔。このとき激怒した秀吉から刺客を放たれたそうなので、よほどひどい事をしたのは間違いない。
まあともかくそんなこんなで勝成が畿内にも居られなくなり、西国を放浪していた頃の話である。
出奔したとはいえ嫡男である勝成を流石に放っておくわけにはいかなかったのか、水野家家臣
杉野数馬と近藤弥之介は牢人を装って勝成の居場所を捜索、ようやく発見し、刈谷に帰るよう説得したが、勝成
「冗談ではない」
と断固拒否。二人は困り果てたが勝成を一人にするわけにもいかず、仕方がなく彼の後について
放浪の旅に従った。
と、そのうちに備後か備中のあたりで蓄えが尽き、杉野・近藤は勝成をお堂で休息させて、その間にその地の民家に
施しを貰いに行った。まさに乞食旅である。
時に初夏であったため、二人は麦の施しを受けた。彼らは一旦お道に戻り、渋紙の上にこれをおいて
乾燥させ、再び施しを受けるためその場を離れた。
ところが一天俄に曇り、大雨が降り注ぐ。勝成がふと気がつくと、お堂で乾かしてあった麦は
この雨で流され始めたではないか!
さて、雨があがる。
杉野と近藤はようやくお堂への帰路についた。
この時、杉野は近藤にいう
「さっきお堂に干しておいた麦だが、雨に流されてしまっただろうな。」
「ん?若様が取り入れてくださっているさ。」
「何を言うか!」
杉野が少々色を成して言った
「あの麦を取り入れるようでは、若様に将たる器量はない!もし取り入れているなら、その程度の器量の人間に
付き従い流浪していても意味が無いので、早速に刈谷に戻り忠重様に総報告しようぞ!
しかしあの麦を取り入れず捨て置かれていたのなら、これは大勇の器であり、その貪らない性格は
見上げたものであるといえよう。そのような人物であるなら実に、助け仕えるべきだ!」
二人がお堂に帰ってきた。これを見つけた勝成は大声で呼びかけた
「ふたりとも遅かったな!さっきにわかに大雨が降ってきて、おまけに大風まで吹いて麦をことごとく
流してしまったぞ!大風は横様から突入して敵を散らすよう、雨に打たれては飛び上がり押し流される有様、
まるで逃げる敵を追撃するようであった。それは合戦の攻防そのままで実に面白かったぞ!」
これを聞くと杉野・近藤はハッとして飛び下がり膝をただし
「なんとありがたい仰せでしょうか。先に自分たちは、若様が麦を取り入れるか否かを話しておりましたが、
このような賢慮はまさに大将の器量です。殿の出世開運は間違いないでしょう!」
と、感動して申し上げたという。
これとよく似た話が立花宗茂にもありますが、名君の逸話のテンプレとして存在したのでしょうか?
ともかくも水野勝成、麦が流れ吹き飛ばされるのを見ていた、というお話
(岡山の伝承「でんぐら堂ものがたり」より)
0382人間七七四年
2012/01/11(水) 18:16:49.41ID:yM8McyF/0383人間七七四年
2012/01/11(水) 18:51:20.71ID:K+u9WCAs0384人間七七四年
2012/01/11(水) 18:53:33.67ID:QmOoNs8Q0386人間七七四年
2012/01/11(水) 20:29:58.69ID:KTyPqdLH0387人間七七四年
2012/01/11(水) 21:37:39.47ID:Y1Ag0hTuおお、若様こんな気配りが出来る様になって…ってキャラじゃないですね、うん。
0388人間七七四年
2012/01/11(水) 22:00:04.22ID:B6xEIrgn0389人間七七四年
2012/01/11(水) 22:07:26.18ID:Zz4Q1Rzr0390人間七七四年
2012/01/12(木) 00:33:57.87ID:ZUZ23yq+熊本城受け取りの折、立花宗茂の家臣に十時連貞の消息を訊ねている。
勝成と連貞は、肥後一揆の兵糧入れの戦いでともに合言葉を言い合いながら作戦を成功させた仲であるが、
この二人にはそれ以外にも不思議な縁がある。
連貞が江戸の町で暴漢に襲われ格闘した事件を土井利勝に審議されたことが、立花宗茂の大名復活のきっかけである。
その後、宗茂は徳川秀忠に寵用されていく。利勝と勝成は従兄弟。秀忠と勝成は乳兄弟である。
また、宗茂の妻ァ千代が、滞在していたのは、勝成の妹の嫁いでいる加藤家である。もしかしたら、
立花宗茂の大名復活の裏には、なんらかの形で勝成がかかわったのかもしれない。
0391人間七七四年
2012/01/12(木) 00:58:52.48ID:7Y2RwD/F0392人間七七四年
2012/01/12(木) 11:42:38.22ID:8aPf5DSM0393人間七七四年
2012/01/12(木) 11:58:04.36ID:27tsjk7j0394人間七七四年
2012/01/12(木) 14:07:41.37ID:4oG6Zm3+顔は馬のように長く大きく、更にその顔にはほくろが無数にあるという異相だった
また豪胆でかつ芸もよくする風流人であり、
その異相の顔におしろいと紅を塗りたくって頭に真っ赤な頭巾を巻いて女装し
ほうきを持って踊るという宴会芸の持ち主で、この芸には流石の景勝も微笑み気に入っていたという。
水原は武勇の士らしく平時戦時に拘らず
いつも兵糧代わりに味付けされた餅を懐に入れていた。
彼は謙信に従って川中島の戦いにも出て武功を立てたという老兵であり、
大坂の陣に出陣したころにはもう既に70歳。
その後景勝が米沢へと帰還してくる際、上杉家家中は全員城の前に居並び
主君の帰還を出迎えることとなっていたのだが、その中に当然水原の姿もあった。
家中の者たちが老年のこの武者を「年寄りが無茶をする」とからかうも笑って取り合わず
主君の帰りを平伏して待った。
米沢城へと帰還する景勝の行列が家臣一同の出迎えを通り過ぎる中
ふと景勝は水原の姿に目を留め、彼の前で輿を止めさせた。
「常陸、変わりないか」
景勝から声がかかるも、水原は一向に顔をあげず平伏した姿のまま動かない。
周囲の者たちは、水原も老齢であるからさては待っている間に寝たのかと思い
彼の体を揺すって起こそうとすると、彼の懐から兵糧代わりの餅が転げ落ちた。
これが水原親憲の最期の姿であったという。
米沢土産のおもちの由来だったり。
いつもと変わらない姿で主君の前で死んだって所が忠義の士らしくて
好きな話なんだがちょっとうろ覚えなんで細部が違うかもしれん
0395人間七七四年
2012/01/12(木) 18:15:10.02ID:Qzo3384eと変なところに感心してしまった
0396人間七七四年
2012/01/12(木) 18:48:25.06ID:xt21/gtT懐に入れてるだけで死んでしまうなんて!!
餅はやっぱり危険な食べ物なんだ!!!!
0397人間七七四年
2012/01/12(木) 19:24:41.29ID:7BaT/NPB>周囲の者たちは、水原も老齢であるからさては待っている間に寝たのかと思い彼の体を揺すって起こそうとすると、彼の懐から兵糧代わりの餅が転げ落ちた。
「おい、爺さん寝たのかよ」
ユサユサ
ゴロン
「死、死んでる」
なんかコナンにありそうな展開だなw
0398人間七七四年
2012/01/12(木) 19:30:45.39ID:+3S3rTJTなんとも、日本が作る時代物の映画の終わり方みたいだな。
血気盛んな若者の話も好きだが、老いてからの島津義弘とか
こういう老齢の士の話も好きだ
0399人間七七四年
2012/01/12(木) 19:34:04.34ID:gBFBYdhA■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています