戦国ちょっといい話30
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0271人間七七四年
2012/01/05(木) 00:18:20.79ID:57XaGzHKしかし正行はただの脳味噌筋肉ではなく、行政能力もそれなりに高かったらしい。
父の跡を継ぎ、義理の兄弟である飯富昌景、武田正昌らに与力し文書も発給している。
そのような功績もあり、父の死後、念願叶って本領を回復し直臣に取り立てられた。
その後は北条家との取次役をを務めており、北条武田間の贈答・交易について、
梶原景宗と取り交わした文書が残る(前後は不明だが、子は梶原の娘を娶っている)。
さて、かつての仇敵の家の子ながら、この正行に感服した才気溢れる若い侍がいた。
(調べてみると二人は年齢が一回りほど違う。それが良かったのかも知れない。)
ある時この若者が、正行に相談した。
「私は常日頃の働きでも周りとうまくいかず、臆病者で戦でも人並みには働けないのです」
正行は考えた後、彼らしく簡潔に答えた。
「自分の働きは大したことではないと常に考えることだ。大体自分の受け持った仕事は
大変に思え、他人を侮ってしまいがちだ。特に一人仕事のときはそう思いなさい。
また楽だと思ってやれば楽になるものだし、楽な働きをしていると思えば自然謙虚になる。
戦も同じだ。そもそも命を賭けるのに勇気がいる戦というのは、懸命する必要のない戦だ。
恩賞目当てでなければ別に臆病でも良い。男子一心あれば、必要なとき身体は勝手に動く」
若者はやがて頭角を現し、信玄から次代の中心人物と目されるようになる。
その名は金丸惣蔵、後に「片手千人斬り」で武田の末期に花を添える、土屋昌恒である。
(加々美呈譜)
しかしwikiによると昌恒は13の初陣で父の仇の部下を討ち取っているという。
決して臆病ではないと思うのだが。がむしゃらの初陣以来、スランプに陥っていたのだろうか。
正行はそれを慰めようとしたのかもしれない。
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