甲斐のクリーチャー・加賀美正行(1)

信玄に仕えた加賀美正行は、長身だが痩躯、頼りない態度で何かと侮られることが多かった。
しかしモヤシっぽい見た目、堂々とはほど遠い雰囲気によらず、この正行、実はクリーチャーであった。

正行は幼いころから甲府に致仕していたが、そこで他の少年たちから執拗ないじめを受けた。
ある時ついに逆上し、額を割り、首をねじ切って残らず殺してしまった。
相手は権門の家の子たちだったので、正行の父は驚いて、我が子を遠国の寺に入れてしまった。

ようやく甲斐に戻り、信玄の前で神垣(おそらく現在の武田八幡)に騎射を奉り、それが
見事であったのでついに許された。
初陣では敵中にあって縦横に馬を馳せ、五つの兜首を取り、以後敵から夜叉次郎と恐れられた。

例えば、正行の弭槍(弓の上に刃を立て、緊急時に槍代わりにする補助武器)は非常に強く、
本物の槍を持参する必要が無かった(それほどの強弓を使っていた)。

また、祖先の加賀美遠光が建てた寺である加賀美山法善寺で、あるとき大鐘を移動するために
転がしていたところ、(坂かくぼみか何かで)いくら押しても動かなくなってしまった。
そこへ正行が押す(のに加わる?)と、鐘は難なく転がったという。

(加々美呈譜)

なおwikiによると……
『重要文化財 山梨県指定文化財 鐘楼・銅鐘……(略)
法善寺所蔵の銅鐘は、総高147.7cm、鐘身高111.3cm、口径89.1cm、撞座(つきざ)高12.0cm、
梵字外縁円径19.3cmの中世鐘で、県内では塩山向嶽寺鐘と並ぶ巨鐘である。…(略)…
鐘身には疵が多く、何らかの事情で他所から移されたものであると考えられている。』

http://www.kagamisan.com/bunkazai/kenchiku

こんなもん、ヒト一人加わったところで転がり出すようなもんじゃないだろう……。