結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
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0001人間七七四年
2011/12/01(木) 21:53:42.55ID:WiR9vYftだから信長は天下をとれたのだと思う
いくら信玄みたいに局地戦で連戦連勝しても相手の領地を占領せねば意味がない
0002人間七七四年
2011/12/01(木) 21:54:14.28ID:WiR9vYft失敗は成功の元と言うがそれを一番最初にやった戦国大名が織田信長だと思う
いっぽうの信玄は負けないいくさはしない古い考えだがそれではいつまで立っても天下はとれない
結局は信長との兵力の差がついて勝頼につけが回ってしまった
一回の負け戦で武田家は家臣の信用も失い崩壊してしまった
信長は負けても次いかす事が出来たし兵力を多く動員出来たのが評価できると思う
0003人間七七四年
2011/12/01(木) 21:54:29.82ID:WiR9vYft信玄の勝ち戦って結局局地戦に勝ったに過ぎず徳川も今川も村上も取り逃がした事が痛い
いっぽうの信長はちゃんと敵将を討ち取って滅ぼして領土も奪ってるからねw
0004人間七七四年
2011/12/01(木) 21:57:06.86ID:WiR9vYftあと極端な例をあげれば項羽と劉邦
戦では100回以上も負けたが最終的にジリジリと兵力を増やし最後に一回勝っただけで項羽を滅ぼしたからなw
0005人間七七四年
2011/12/01(木) 22:07:17.95ID:oKn325nw0006人間七七四年
2011/12/01(木) 22:09:10.70ID:WiR9vYft局地戦ばかり繰り返してた信玄は時間の無駄で寿命が来たなw
特に信濃平定と川中島の合戦で時間をかけすぎw
0008人間七七四年
2011/12/01(木) 23:42:45.68ID:WiR9vYft兵力が少ないうちは個人の能力で戦争の勝ち負けが決まるが
兵力が増えれば個人の能力は関係なく兵の多さで押し切るかだと思うw
0009人間七七四年
2011/12/02(金) 00:51:11.12ID:LACJIC/I・量が生かせない環境下である場合
・技術に大きな差がある場合
・精神力に差がある場合
・同一グループ内で争い指導者をすげ替える場合
・防御力に対し、極端に攻撃力が上回る武器が出現した場合
今後はテロやゲリラの様な少数精鋭の時代になるかも。
0010人間七七四年
2011/12/02(金) 00:56:20.46ID:SSPSs666富国強兵に努めた新手の戦法でクオリティ低くても歴史に名を刻める時代を
構築した将軍・秋元氏・・・恐るべし
0011人間七七四年
2011/12/02(金) 00:56:52.35ID:SSPSs666ハロプロはヲタ(兵)が沢山cdを買って個人の能力が強くても
数でまさるakb軍には押し切られてしまうw
0012人間七七四年
2011/12/02(金) 00:57:07.00ID:SSPSs666信長=秋元
0013人間七七四年
2011/12/02(金) 00:57:17.67ID:SSPSs666中世の枠で終わった 信玄 つんく
0014人間七七四年
2011/12/02(金) 01:01:02.02ID:SSPSs6660016人間七七四年
2011/12/02(金) 02:01:50.31ID:2s+rsQY8前秦>>>>>>>>>>アメリカ合衆国
0017人間七七四年
2011/12/02(金) 15:04:34.26ID:pa/Dbbg5相手の武威、本拠地失陥
これらによって大軍がもろく壊滅することが指摘される。
兵法では虚実と調略などの謀と兵力集中と神速と士気により勝敗は決するのであり
兵の多寡はまったく関係ない。
0018人間七七四年
2011/12/02(金) 15:59:52.33ID:6jTRKt5k個人の能力なんて基本的にそう変わらない。
自分達が必死で攻める時には、相手だって必死に守ってる。
自分達が必死で策をめぐらしてる時には相手だって同じだけ必死。
最後に人の力で左右出来る決め手は
物量
203高地なんてどれだけ日本人を減らしたことか
0019人間七七四年
2011/12/02(金) 16:38:06.83ID:yIUCxVty動力源の発明により、
金属の高度加工技術を背景に火力武装の性能の飛躍的向上。
物流革命による大量生産体制に裏付けられた大量殺戮兵器の火力
殺傷兵器による殲滅戦に対する国家総動員による人命軽視
これにより戦国時代と第二次世界大戦を同列視するのは
スーパーバカと言わざるを得ない。
0020人間七七四年
2011/12/02(金) 16:46:18.58ID:rB54HUKI0021人間七七四年
2011/12/02(金) 16:51:07.84ID:yIUCxVty機関銃などの登場や銃火砲の飛距離など装備の優劣で
兵力の差を補うことが可能であった。
しかし日露戦争のころになると
もはや銃火砲の援護下での交戦でなければまともな戦いにならず
大作戦の勃発とは、充分な火力の蓄積を待って発動している。
戦国期とは戦いの内容が様変わりしているのである。
そのため塹壕戦などの新戦略が発案されていくのである。
それでも日露戦争など1900年代初頭はいまだ兵力的劣勢を
戦略戦術と外交力を駆使して勝利することを可能とした
最後の戦いと言えるだろう。
米国のような絶え間ない豊富な生産力と物量を背景に
大空襲や原爆による都市破壊兵器まで登場する
超国家による物量戦は銃後の民間人をも巻き込んで殺戮し
もはや戦争というよりも一方的虐殺大会となった。
これは兵力差ではなく科学技術力と工業力による
質的優位がもたらしたものであり、
基礎科学すら欧米の真似で、機械加工のための機械まで
米国から輸入していた時点で日本の敗北は目に見えていた。
0022人間七七四年
2011/12/02(金) 16:55:44.44ID:yIUCxVty日本軍より旅順要塞の方が圧倒していたのではなく
地の利をもって巧みに火砲を配置した要塞を築いて
籠城戦をしていたことに由来する。
0023人間七七四年
2011/12/02(金) 17:07:31.25ID:uHi1YnEqと、いうより補給が切れたら命取り…。
秀吉が三成などの文官を大切にするのも当然なんですね。
歴史ゲームじゃ戦闘バカばっか必要になるけど
0024人間七七四年
2011/12/02(金) 17:19:17.04ID:ogdxYo0r0025人間七七四年
2011/12/02(金) 17:29:16.12ID:SwP6UAff>1による自演と言うのはやりすぎだと思う。
とりあえず>1には桶狭間とその後の氏真君のダメっぷりについて語ってもらおう。
0026人間七七四年
2011/12/02(金) 17:39:28.93ID:SSPSs666毎日毎日100万の軍は1万の軍勢で1万の軍に敗れたとしても
100回目に勝てばそれで勝てるんだよ
相手も100回も責められたら疲れて力尽きるべw
つまり如何に多く兵を動員するかなんだよw
0027人間七七四年
2011/12/02(金) 17:42:56.39ID:SSPSs666兵力さえあれば何回負けてもまた新たな兵力を動員して立て直しが効くw
0028人間七七四年
2011/12/02(金) 17:43:44.00ID:SSPSs666家康の大阪夏の陣も最後は数で押し切った感じだべw
0029人間七七四年
2011/12/02(金) 17:44:37.95ID:SSPSs666だなw
だから兵力と兵糧の補給の後方支援が一番大事なんだよw
0030人間七七四年
2011/12/02(金) 17:45:57.34ID:SSPSs666結局徳川の兵力(政治力)に負けて石高減らされたじゃんw
0031人間七七四年
2011/12/02(金) 17:50:18.95ID:SSPSs666兵を多く動員するには自然に石高も必要になってくるべ?
0032人間七七四年
2011/12/02(金) 17:51:16.72ID:hwevqXxs戦闘とか合戦に比べてマイナーだけど、有能な武将ってのは大抵優秀な経済家。
0033人間七七四年
2011/12/02(金) 17:53:59.76ID:SSPSs666国が大きくなると個人の能力よりもこっちの方が重要になってくる
0034人間七七四年
2011/12/02(金) 17:56:39.41ID:SSPSs666だなw
だから俺は福島正則とか加藤清正みたいに石田三成をバカにしてたタイプは嫌いw
0035人間七七四年
2011/12/02(金) 17:59:09.11ID:08FAg6Uq0036人間七七四年
2011/12/02(金) 18:03:48.04ID:SSPSs6660037人間七七四年
2011/12/02(金) 18:13:49.80ID:SSPSs666平和な世の中では必要とされないタイプだなw
0038人間七七四年
2011/12/02(金) 18:38:48.57ID:yIUCxVty兵力の集中と運用における家康の手腕が光る。
島津など所詮は田舎武者であり、すでに立花宗茂の前に
筑前攻略に失敗して筑後まで追撃をかけられ
そのあとに豊後攻略を開始して、籠城遅滞戦術の前に敗走。
このような条件の下で秋月へ援軍も送れず
日向南部と肥後南部で秀吉と戦おうとする時点で敗北確定。
小田原においては浅間山が噴火していたようで
上野国の松井田城の大道寺政繁が降伏するなど士気の低下が激しい。
また後詰めや友軍による援軍の見込みのない籠城は愚策であり、
伊達が離反した時点で北条の運命は決していた。
家康や秀吉の用兵のように兵の機動運用により
兵力の分散と集中と戦略目標の明確化による内戦作戦などを
すべきでありながら
野戦決戦思想が無く
謙信や信玄を退けた経験から
各地の城に兵力を分散配置した挙句に
敵主力がすぐに到達できる伊豆の近くの
小田原の本営に首脳が籠城を選んでたちまち包囲され自滅。
0039人間七七四年
2011/12/02(金) 18:52:53.14ID:yIUCxVty二股をかけるような者が多く敗れた。
しかし一部の主力をなした軍は質的に優秀で
寡兵で大兵を押し返している例も見られる。
いままでの人間関係による敵愾心、
自軍の裏切り行為による士気の減退などの要因もあろう。
兵の質や士気は大切な要因であり、
数年レベルの長期籠城などで状況の変化を待つ時などで
重要な要因になりうる。
また個人のカリスマ的な能力が実態以上の実力を発揮させる
集団心理を生むこともある。
しかし一番肝心なのは政略に基づいた外交であり
自国を世界から孤立させないことであり、
戦闘の開始の時点で、講和のタイミングと斡旋先と手段を
用意してから開戦することである。
島津などは近衛などと親しく講和チャンネルを所持していた。
しかし北条は徳川に手切れされて攻め込まれるなど
最初からズサンであり、自軍親族の北条氏規が家康に降伏するなど
士気の維持すらままならない戦況経過しか生まれなかった。
0040人間七七四年
2011/12/02(金) 18:57:51.23ID:SSPSs666三成の場合は実際まともに戦ったのは2万ぐらいで裏切りとか戦わない奴ばかりで戦にならなかったなw
これは徳川の政治力(国力)の差もあったと思う
0041人間七七四年
2011/12/02(金) 19:10:04.79ID:SSPSs6660042人間七七四年
2011/12/02(金) 19:14:53.00ID:SSPSs666秀吉の天下統一もそうだよ
局地戦で負け知らずの信玄(武田)や上杉が天下が取れなかった違いはそこだと思うw
0043人間七七四年
2011/12/02(金) 19:20:12.40ID:MSq26OC+>関が原では結局、三成が集めたのは烏合の衆で
>二股をかけるような者が多く敗れた。
二股かけていたのはたぶん東軍にもいただろう
返り忠する機会が無かったということだろうな
それよりも東軍に味方した武将は三成憎しで結束していた感がある
逆に西軍に味方した武将は家康憎しというわけでもない
不戦の島津や西軍の要大谷も家康が憎くて西軍に味方したわけではないからな
私怨が勝敗を分けたと見るべきだろう
0044人間七七四年
2011/12/02(金) 19:23:35.96ID:SSPSs666本気で天下をとるならまずは徳川を滅ぼし三河遠江を完全に平定し
本拠地を移す位の盤石な体制を取らなかったら無理だったと思うw
ただ元々そこまで行くのに時間もかかり過ぎてたから寿命が来てしまったがな
せめて死ぬ前に徳川ぐらいは滅ぼし勝頼に繋げるべきだったと思う
甲斐に引き返した時点でやっぱり負けだな
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