結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年
2011/12/01(木) 21:53:42.55ID:WiR9vYftだから信長は天下をとれたのだと思う
いくら信玄みたいに局地戦で連戦連勝しても相手の領地を占領せねば意味がない
0002人間七七四年
2011/12/01(木) 21:54:14.28ID:WiR9vYft失敗は成功の元と言うがそれを一番最初にやった戦国大名が織田信長だと思う
いっぽうの信玄は負けないいくさはしない古い考えだがそれではいつまで立っても天下はとれない
結局は信長との兵力の差がついて勝頼につけが回ってしまった
一回の負け戦で武田家は家臣の信用も失い崩壊してしまった
信長は負けても次いかす事が出来たし兵力を多く動員出来たのが評価できると思う
0003人間七七四年
2011/12/01(木) 21:54:29.82ID:WiR9vYft信玄の勝ち戦って結局局地戦に勝ったに過ぎず徳川も今川も村上も取り逃がした事が痛い
いっぽうの信長はちゃんと敵将を討ち取って滅ぼして領土も奪ってるからねw
0004人間七七四年
2011/12/01(木) 21:57:06.86ID:WiR9vYftあと極端な例をあげれば項羽と劉邦
戦では100回以上も負けたが最終的にジリジリと兵力を増やし最後に一回勝っただけで項羽を滅ぼしたからなw
0005人間七七四年
2011/12/01(木) 22:07:17.95ID:oKn325nw0006人間七七四年
2011/12/01(木) 22:09:10.70ID:WiR9vYft局地戦ばかり繰り返してた信玄は時間の無駄で寿命が来たなw
特に信濃平定と川中島の合戦で時間をかけすぎw
0008人間七七四年
2011/12/01(木) 23:42:45.68ID:WiR9vYft兵力が少ないうちは個人の能力で戦争の勝ち負けが決まるが
兵力が増えれば個人の能力は関係なく兵の多さで押し切るかだと思うw
0009人間七七四年
2011/12/02(金) 00:51:11.12ID:LACJIC/I・量が生かせない環境下である場合
・技術に大きな差がある場合
・精神力に差がある場合
・同一グループ内で争い指導者をすげ替える場合
・防御力に対し、極端に攻撃力が上回る武器が出現した場合
今後はテロやゲリラの様な少数精鋭の時代になるかも。
0010人間七七四年
2011/12/02(金) 00:56:20.46ID:SSPSs666富国強兵に努めた新手の戦法でクオリティ低くても歴史に名を刻める時代を
構築した将軍・秋元氏・・・恐るべし
0011人間七七四年
2011/12/02(金) 00:56:52.35ID:SSPSs666ハロプロはヲタ(兵)が沢山cdを買って個人の能力が強くても
数でまさるakb軍には押し切られてしまうw
0012人間七七四年
2011/12/02(金) 00:57:07.00ID:SSPSs666信長=秋元
0013人間七七四年
2011/12/02(金) 00:57:17.67ID:SSPSs666中世の枠で終わった 信玄 つんく
0014人間七七四年
2011/12/02(金) 01:01:02.02ID:SSPSs6660016人間七七四年
2011/12/02(金) 02:01:50.31ID:2s+rsQY8前秦>>>>>>>>>>アメリカ合衆国
0017人間七七四年
2011/12/02(金) 15:04:34.26ID:pa/Dbbg5相手の武威、本拠地失陥
これらによって大軍がもろく壊滅することが指摘される。
兵法では虚実と調略などの謀と兵力集中と神速と士気により勝敗は決するのであり
兵の多寡はまったく関係ない。
0018人間七七四年
2011/12/02(金) 15:59:52.33ID:6jTRKt5k個人の能力なんて基本的にそう変わらない。
自分達が必死で攻める時には、相手だって必死に守ってる。
自分達が必死で策をめぐらしてる時には相手だって同じだけ必死。
最後に人の力で左右出来る決め手は
物量
203高地なんてどれだけ日本人を減らしたことか
0019人間七七四年
2011/12/02(金) 16:38:06.83ID:yIUCxVty動力源の発明により、
金属の高度加工技術を背景に火力武装の性能の飛躍的向上。
物流革命による大量生産体制に裏付けられた大量殺戮兵器の火力
殺傷兵器による殲滅戦に対する国家総動員による人命軽視
これにより戦国時代と第二次世界大戦を同列視するのは
スーパーバカと言わざるを得ない。
0020人間七七四年
2011/12/02(金) 16:46:18.58ID:rB54HUKI0021人間七七四年
2011/12/02(金) 16:51:07.84ID:yIUCxVty機関銃などの登場や銃火砲の飛距離など装備の優劣で
兵力の差を補うことが可能であった。
しかし日露戦争のころになると
もはや銃火砲の援護下での交戦でなければまともな戦いにならず
大作戦の勃発とは、充分な火力の蓄積を待って発動している。
戦国期とは戦いの内容が様変わりしているのである。
そのため塹壕戦などの新戦略が発案されていくのである。
それでも日露戦争など1900年代初頭はいまだ兵力的劣勢を
戦略戦術と外交力を駆使して勝利することを可能とした
最後の戦いと言えるだろう。
米国のような絶え間ない豊富な生産力と物量を背景に
大空襲や原爆による都市破壊兵器まで登場する
超国家による物量戦は銃後の民間人をも巻き込んで殺戮し
もはや戦争というよりも一方的虐殺大会となった。
これは兵力差ではなく科学技術力と工業力による
質的優位がもたらしたものであり、
基礎科学すら欧米の真似で、機械加工のための機械まで
米国から輸入していた時点で日本の敗北は目に見えていた。
0022人間七七四年
2011/12/02(金) 16:55:44.44ID:yIUCxVty日本軍より旅順要塞の方が圧倒していたのではなく
地の利をもって巧みに火砲を配置した要塞を築いて
籠城戦をしていたことに由来する。
0023人間七七四年
2011/12/02(金) 17:07:31.25ID:uHi1YnEqと、いうより補給が切れたら命取り…。
秀吉が三成などの文官を大切にするのも当然なんですね。
歴史ゲームじゃ戦闘バカばっか必要になるけど
0024人間七七四年
2011/12/02(金) 17:19:17.04ID:ogdxYo0r0025人間七七四年
2011/12/02(金) 17:29:16.12ID:SwP6UAff>1による自演と言うのはやりすぎだと思う。
とりあえず>1には桶狭間とその後の氏真君のダメっぷりについて語ってもらおう。
0026人間七七四年
2011/12/02(金) 17:39:28.93ID:SSPSs666毎日毎日100万の軍は1万の軍勢で1万の軍に敗れたとしても
100回目に勝てばそれで勝てるんだよ
相手も100回も責められたら疲れて力尽きるべw
つまり如何に多く兵を動員するかなんだよw
0027人間七七四年
2011/12/02(金) 17:42:56.39ID:SSPSs666兵力さえあれば何回負けてもまた新たな兵力を動員して立て直しが効くw
0028人間七七四年
2011/12/02(金) 17:43:44.00ID:SSPSs666家康の大阪夏の陣も最後は数で押し切った感じだべw
0029人間七七四年
2011/12/02(金) 17:44:37.95ID:SSPSs666だなw
だから兵力と兵糧の補給の後方支援が一番大事なんだよw
0030人間七七四年
2011/12/02(金) 17:45:57.34ID:SSPSs666結局徳川の兵力(政治力)に負けて石高減らされたじゃんw
0031人間七七四年
2011/12/02(金) 17:50:18.95ID:SSPSs666兵を多く動員するには自然に石高も必要になってくるべ?
0032人間七七四年
2011/12/02(金) 17:51:16.72ID:hwevqXxs戦闘とか合戦に比べてマイナーだけど、有能な武将ってのは大抵優秀な経済家。
0033人間七七四年
2011/12/02(金) 17:53:59.76ID:SSPSs666国が大きくなると個人の能力よりもこっちの方が重要になってくる
0034人間七七四年
2011/12/02(金) 17:56:39.41ID:SSPSs666だなw
だから俺は福島正則とか加藤清正みたいに石田三成をバカにしてたタイプは嫌いw
0035人間七七四年
2011/12/02(金) 17:59:09.11ID:08FAg6Uq0036人間七七四年
2011/12/02(金) 18:03:48.04ID:SSPSs6660037人間七七四年
2011/12/02(金) 18:13:49.80ID:SSPSs666平和な世の中では必要とされないタイプだなw
0038人間七七四年
2011/12/02(金) 18:38:48.57ID:yIUCxVty兵力の集中と運用における家康の手腕が光る。
島津など所詮は田舎武者であり、すでに立花宗茂の前に
筑前攻略に失敗して筑後まで追撃をかけられ
そのあとに豊後攻略を開始して、籠城遅滞戦術の前に敗走。
このような条件の下で秋月へ援軍も送れず
日向南部と肥後南部で秀吉と戦おうとする時点で敗北確定。
小田原においては浅間山が噴火していたようで
上野国の松井田城の大道寺政繁が降伏するなど士気の低下が激しい。
また後詰めや友軍による援軍の見込みのない籠城は愚策であり、
伊達が離反した時点で北条の運命は決していた。
家康や秀吉の用兵のように兵の機動運用により
兵力の分散と集中と戦略目標の明確化による内戦作戦などを
すべきでありながら
野戦決戦思想が無く
謙信や信玄を退けた経験から
各地の城に兵力を分散配置した挙句に
敵主力がすぐに到達できる伊豆の近くの
小田原の本営に首脳が籠城を選んでたちまち包囲され自滅。
0039人間七七四年
2011/12/02(金) 18:52:53.14ID:yIUCxVty二股をかけるような者が多く敗れた。
しかし一部の主力をなした軍は質的に優秀で
寡兵で大兵を押し返している例も見られる。
いままでの人間関係による敵愾心、
自軍の裏切り行為による士気の減退などの要因もあろう。
兵の質や士気は大切な要因であり、
数年レベルの長期籠城などで状況の変化を待つ時などで
重要な要因になりうる。
また個人のカリスマ的な能力が実態以上の実力を発揮させる
集団心理を生むこともある。
しかし一番肝心なのは政略に基づいた外交であり
自国を世界から孤立させないことであり、
戦闘の開始の時点で、講和のタイミングと斡旋先と手段を
用意してから開戦することである。
島津などは近衛などと親しく講和チャンネルを所持していた。
しかし北条は徳川に手切れされて攻め込まれるなど
最初からズサンであり、自軍親族の北条氏規が家康に降伏するなど
士気の維持すらままならない戦況経過しか生まれなかった。
0040人間七七四年
2011/12/02(金) 18:57:51.23ID:SSPSs666三成の場合は実際まともに戦ったのは2万ぐらいで裏切りとか戦わない奴ばかりで戦にならなかったなw
これは徳川の政治力(国力)の差もあったと思う
0041人間七七四年
2011/12/02(金) 19:10:04.79ID:SSPSs6660042人間七七四年
2011/12/02(金) 19:14:53.00ID:SSPSs666秀吉の天下統一もそうだよ
局地戦で負け知らずの信玄(武田)や上杉が天下が取れなかった違いはそこだと思うw
0043人間七七四年
2011/12/02(金) 19:20:12.40ID:MSq26OC+>関が原では結局、三成が集めたのは烏合の衆で
>二股をかけるような者が多く敗れた。
二股かけていたのはたぶん東軍にもいただろう
返り忠する機会が無かったということだろうな
それよりも東軍に味方した武将は三成憎しで結束していた感がある
逆に西軍に味方した武将は家康憎しというわけでもない
不戦の島津や西軍の要大谷も家康が憎くて西軍に味方したわけではないからな
私怨が勝敗を分けたと見るべきだろう
0044人間七七四年
2011/12/02(金) 19:23:35.96ID:SSPSs666本気で天下をとるならまずは徳川を滅ぼし三河遠江を完全に平定し
本拠地を移す位の盤石な体制を取らなかったら無理だったと思うw
ただ元々そこまで行くのに時間もかかり過ぎてたから寿命が来てしまったがな
せめて死ぬ前に徳川ぐらいは滅ぼし勝頼に繋げるべきだったと思う
甲斐に引き返した時点でやっぱり負けだな
0045人間七七四年
2011/12/02(金) 19:26:31.50ID:MSq26OC+>局地戦で負け知らずの信玄(武田)や上杉
武田も上杉も北条に負けている
小田原合戦 北条○×●上杉
生野山合戦 北条○×●上杉
小田原合戦 北条○×●武田
三増峠合戦 北条○×●武田
0046人間七七四年
2011/12/02(金) 19:29:35.28ID:SSPSs666まあでも信長程は負けてないべ?w
0047人間七七四年
2011/12/02(金) 19:32:49.22ID:SSPSs6660048人間七七四年
2011/12/02(金) 19:34:46.45ID:08FAg6Uq0049人間七七四年
2011/12/02(金) 19:35:46.21ID:SSPSs666そうそう
大阪城そうだけど最後は数で圧倒されちゃ勝てないよ
後は落ちるのは時間の問題
0050サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2
2011/12/02(金) 19:38:39.11ID:BcwV8KP0錦旗のお陰で総崩れになったぞ 幕末だがw
0051人間七七四年
2011/12/02(金) 19:41:22.63ID:SSPSs666それは政治力(統治能力)が低下してきてからの話でしょw
0052人間七七四年
2011/12/02(金) 19:49:55.83ID:MSq26OC+すまない
別にイッチャモンつけたわけではない
基本的にこのスレの趣旨には賛同している
局地戦は所詮限られた区域での戦いと認識している
0053人間七七四年
2011/12/02(金) 19:52:05.58ID:SSPSs666ただ信玄の場合は三河遠江を平定しても領民から受け入れられたかわからないよ
何故なら信玄は自分の国が豊かになるために略奪をしてたから
自分の国の豪族はいい思いはできるが
この方法では国を統治するのは難しいと思う
0054人間七七四年
2011/12/02(金) 20:04:17.08ID:VprH9eM9同時に各戦線を支えるために戦力分散して
何度も打ち破られる。
また内政無視で敵を殲滅しても
その配下国人が謀反して治安が達成できない。
安国寺も信長の末路を予見される始末。
外交が糞。屈伏しないなら攻撃するだけ。
浅井も配下扱いして離反されるアスペルガーぶり。
補給は各国人が自弁な為に各地で現地調達の略奪。
秀吉→出来うる限り外交を駆使して敵を減らし
自軍戦力に加える能力を備える。
兵力の集中により目標を撃破。
出来うる限り日数をかけずに迅速に戦役を集結することを心掛けて疲弊しないようにする。
秀吉本人が数字に明るく兵站概念が存在し
兵力の集中を支える大軍補給力がある。
そのために占領地に負担をかけず迅速に治安が回復し経営が可能。
家康→旧武田家臣を登用し武田流軍略を学び、
さらに豊臣政権参加で
秀吉のやり方を学んだ。
0055人間七七四年
2011/12/02(金) 20:06:43.06ID:SSPSs666一般に相手を完全に殲滅することは追求していない小規模な戦争って考えていいと思います。
信玄の場合はこういう小さい戦争での勝利は多かったと思いますが相手を完全には滅ぼせてないのです
0056人間七七四年
2011/12/02(金) 20:11:37.26ID:SSPSs666うーん信長がひどく言われてるけど信長の統治能力かなりは優れてたとお思うよ。
家康は結局は最後は徳川家だけで天下を取るのは諦めて
他の大名に領地を任せる方法で全国統治をおこなったね
0057人間七七四年
2011/12/02(金) 20:13:59.22ID:SSPSs666家康はうまくまとめた感じだなw
0058人間七七四年
2011/12/02(金) 20:20:03.52ID:SSPSs666楽市楽座政策などに見られるように、民衆の支持を受けているからこそ、織田家はあれだけの力をつけることが出来たわけであって、信長の支配に反対する民衆は少ないでしょう。
武将クラスになると、明智光秀だけでなく、松永久秀や荒木村重などの反乱がありますが、これらは野心溢れかえる松永は別として、処遇をめぐる不満がそもそもの原因でしょう。
これは、十分に準備して行えば、未然に反乱を防止できたか、反乱を封じ込めることが出来たはずです。ちなみに、有力家臣や地方領主の力を根本的に割くには、反乱をさせたところを鎮圧して根こそぎ勢力基盤を奪うことが効果的です。
中国の諸王朝や、足利義満などもそのようにして権力を強大化させています。
秀吉による朝鮮の役が失敗し、外征による新たな土地獲得が不可能になった状態で、徳川家康は、戦争による勝利によって土地を得るという成長志向を封じ込めるために、過酷な抑圧策、取り潰しを各大名に対して行います。
信長はそれを先取りしており、攻略した大名は原則滅ぼして大大名の存続を認めず、自らの有力家臣にしても土地についてはかなり冷遇しています。
柴田も滝川も京より遠い遠隔の地に転封されており、明智も長州あたりに転封されるところでした。最終的には有力家臣からも土地を奪い(一代限りの俸禄は多額に振舞うにしても)、徳川家も滅ぼすか土地を奪うかし、全国を完全に中央集権にしたでしょう。
信長は、大軍を編成する際も、有力家臣に、多数の他の家臣を与力として付与するようなシステムを採用しています。明智光秀にも多数の与力大名がいましたが、本能寺の変後に支援を求めても与力大名たちは相手にしませんでした。
本能寺の当時丹羽は近畿におり、多数の与力大名も抱えていましたが、本能寺の変を知って与力大名は逃げ散り、もっとも明智に近い位置にいながら明智の攻撃にでることができませんでした。
秀吉が与力大名をまとめて自らに従属させることが出来たのは、秀吉の力量でしょう。毛利が先に本能寺の変を知っていて、秀吉の陣に宣伝したならば、秀吉配下の与力大名も逃げ散った可能性があります。
つまり、信長は大大名が家臣団の中にも発生しないように配慮しており、有力家臣には権限を与えても土地(兵力)を与えないようにしており、簡単には有力家臣が影響力をもてないようにしているのです。
秀吉は、自らの支持基盤が危ういことを承知していたから、信長のような過酷な大名統治策を採用できませんでした。
家康は、秀吉による外征の失敗があったので、つまり成長志向に限界があることを各大名が理解した状況にあったので、なんとか過酷な統治策を実行することが出来たわけです。
この意味でも先見性のある信長が、その統治策において、秀吉や家康に劣るとは到底考えられません。
秀吉の統治はゆるかったので、土地に制限がなくいくらでも家臣に振舞うことが出来るのであれば、家臣の信望を集め続けることが出来たでしょうが、それは現実的には無理な話であり、実際にも朝鮮への外征の失敗という形で不可能であったことが示されているわけです。
0059人間七七四年
2011/12/02(金) 20:21:23.69ID:MSq26OC+>戦略概念がなく各地で無計画にケンカを売ってまわり
別に無計画ではあるまい
斎藤と戦う時は徳川と同盟を結んでいる
上洛する時も武田や浅井と同盟を結んでいる
まあ思いどおりにことが運ぶほど戦国の世は甘くも無いが
それと無計画とか言うなら織田だけではなく武田も採り上げるべきだろう
しかし武田の方は都合よく解釈して終わりなんだろ?
織田には厳しく武田には激甘というのが君の基本姿勢だからな
0060人間七七四年
2011/12/02(金) 20:23:51.28ID:6jTRKt5kそれこそ無茶
軍の近代化とか屁理屈をこねまくる基地外と同様、自分だけが神、後は能無しって信じてる無能の理論。
自分に出来ることが 他人に不可能?何故に?って考えてみればすぐ気付くはず。
信玄だって局地戦で家康には勝てても、殲滅あるいは家康のクビをとった上で、屈伏させるのは無理
0061人間七七四年
2011/12/02(金) 20:25:33.76ID:SSPSs666また、斉藤氏家臣も、朝倉家家臣も、武田家家臣も、多くは殺されずに、旧主を裏切って、織田家や徳川家に仕えている。
つまり、信長も秀吉と同じく、敵方の家臣をこちらに寝返らせる、「調略」が中心であり、戦闘は副次的なモノだったのだ。
1580年代の秀吉の「早さ」は、単にスケールメリット。「寄らば大樹の影」で、調略がスムーズに行えたから。信長が長生きしても同じくスムーズに調略が行える。日本中が「寄らば大樹の影」になりつつあったから。
0062人間七七四年
2011/12/02(金) 20:27:40.72ID:dyU6rpqX0063人間七七四年
2011/12/02(金) 20:30:48.32ID:SSPSs666それができない時点でやはり信玄の天下は無理なんですよ
0064人間七七四年
2011/12/02(金) 20:31:27.34ID:MSq26OC+>「調略」が中心であり、戦闘は副次的なモノ
これは信長や秀吉だけではなく氏康や元就、信玄でもやっていること
まあ合戦は何だかんだいっても金がかかるから当然だな
0065人間七七四年
2011/12/02(金) 20:40:12.03ID:SSPSs666だなw
でも勢力が大きくなればなる程調略も成功しやすくなる
だから最終的には国力と兵力が物を言うって事ですよ
0066人間七七四年
2011/12/02(金) 20:48:08.29ID:MSq26OC+国力と兵力にものを言わせた外交が調略だからなあ
0067人間七七四年
2011/12/02(金) 20:58:19.71ID:SSPSs666まあ勢力が小さいうちは局地戦で勝つことや個人の能力が重要視されるが
国力が大きくなって多くの兵を動員出来るようになれば
後は相手を調略で降伏させて統治するかになってくるんだよ
0068人間七七四年
2011/12/02(金) 21:04:26.06ID:MSq26OC+0069人間七七四年
2011/12/02(金) 21:25:48.09ID:SSPSs666まあでも結局空いての領地を占領して統治しないと意味ないんだよねw
0070人間七七四年
2011/12/02(金) 22:01:09.07ID:LACJIC/IID:MSq26OC+は、基地外動物園「だがスレ」のシャブ中毒住人だから、
ずーと相手してると「だが」認定されちゃうぞwww
666 :人間七七四年:2011/12/02(金) 20:27:24.22 ID:MSq26OC+
>665
だがはその時その時で人格を使い分けているのは上洛スレ64で証明されている
・やたら高飛車なだが
・一つのスレだけしか書き込まないだが
・やたら織田厨を敵視するだが
・武田のことは全く触れず織田のみを蔑むだが
・稚拙な言葉しか使わないだが
・信長厨を連呼するだが
・1回だけしか書き込まない使い捨てIDを乱発するだが
まだまだ色んな人格があるが全て同一人物
0071人間七七四年
2011/12/02(金) 22:14:04.52ID:SSPSs666だがさんって人は武田厨なんでしたっけ?
全然このスレに来てもらっても構いませんよw
0072死
2011/12/02(金) 22:20:59.75ID:SecyQ2XJ北畠と将軍義輝くらいしか知らんわ
0073人間七七四年
2011/12/02(金) 22:32:07.07ID:LACJIC/I桶狭間の戦いも三方ヶ原の戦いも上田城の戦いも意味は無い。
三木城の戦い、鳥取城の戦いの方が意味がある。
という事かな?
織田厨のつまらん所は、戦の浪漫が無い所だよな。
結果が全てと唱えるだけで、他の史実探求者に勝ったつもりになってしまう。
自分が何をしたいのかがわかっていない気がするんだよな。
というわけで1君はこの板で何をしたいのかな???
0074人間七七四年
2011/12/02(金) 22:40:42.91ID:SSPSs6660075人間七七四年
2011/12/02(金) 22:43:32.61ID:SSPSs666信玄がそのまま長生きしたとして信長と直接対決をしたとしますよ
それで信玄が局地戦で信長に勝ったとしても結局は信長の首をとれず
領地も獲得出来なかったらまた信玄が甲斐に引き返したときには
信長は兵を回復させて復活してるんですよ
0078人間七七四年
2011/12/02(金) 22:48:24.09ID:SSPSs666武田家の多くの重臣を失ったしこの大敗北で武田家家臣団が分裂し
滅亡につながった戦いであるという意味では大きな一戦だったと思います
そして武田家は財政難家臣の裏切りで領国経営が維持出来なくなって崩壊したと思ってます
0079人間七七四年
2011/12/02(金) 22:49:17.41ID:SSPSs666季節の問題と相手の領土を獲得しないと一気に上洛は無理ですよ
0080人間七七四年
2011/12/02(金) 22:50:25.66ID:SSPSs6660081人間七七四年
2011/12/02(金) 22:53:32.91ID:SSPSs666残党とか残ってたらやられますよ
完全にその土地を統治しないとダメなんですよ
0082人間七七四年
2011/12/02(金) 22:55:40.77ID:LACJIC/I違うよ。
それは全部、研究者の間でも結論がつかない話。
だから延々と論争してるわけで。
あげくに「相手の領地を占領せねば意味がない」と宣言してるのに、
大将首を取ったり、相手の戦力を削いだりでも評価してるじゃん。
いったいどこまで妥協するの?
0083人間七七四年
2011/12/02(金) 22:57:52.09ID:SSPSs666その国の領国経営が維持できなくなるからね
0084人間七七四年
2011/12/02(金) 22:59:59.76ID:SSPSs6660085人間七七四年
2011/12/02(金) 23:01:38.58ID:SSPSs666信玄は村上義清も家康も首を上げられなかったでしょ?
0086人間七七四年
2011/12/02(金) 23:04:01.62ID:LACJIC/I0087人間七七四年
2011/12/02(金) 23:07:28.15ID:SSPSs666追放したからね
0089人間七七四年
2011/12/02(金) 23:16:01.17ID:LACJIC/I戦術レベルでの勝利が、戦略上の不利を引っくり返す。
基本は動員兵力だとしても、戦術レベルで信長の上位に居た
信玄や謙信にはチャンスがあったんだよ。当時はね。
0090人間七七四年
2011/12/02(金) 23:17:54.36ID:SSPSs6660091人間七七四年
2011/12/02(金) 23:19:36.25ID:SSPSs6660092人間七七四年
2011/12/02(金) 23:23:09.30ID:SSPSs666国力の差が大きくなればそうはいかない
0093人間七七四年
2011/12/02(金) 23:28:08.34ID:SSPSs6660094人間七七四年
2011/12/02(金) 23:34:02.66ID:SSPSs666例えば関ヶ原で西軍が勝ったとしたらまた戦国時代に逆戻りしてたでしょう?
それと一緒ですよ
0095人間七七四年
2011/12/02(金) 23:36:10.78ID:SSPSs6660096人間七七四年
2011/12/02(金) 23:39:48.98ID:SSPSs6660097死
2011/12/02(金) 23:41:32.44ID:W+ljus0j厳島の戦いや、桶狭間の戦い等な
小牧長久手の戦いも動員力で劣る家康が秀吉軍を撃破したし
長期戦になると苦しくなるんだろうけどな
0098人間七七四年
2011/12/02(金) 23:44:25.71ID:SSPSs666だが国の規模が大きくなっていくとそうはいかないよ
0099人間七七四年
2011/12/02(金) 23:46:40.92ID:MSq26OC+河越合戦、厳島合戦、桶狭間合戦は誰もが勝利できるよな合戦ではないと思うよ
それに氏康、元就、信長も2度とあんなキツイ合戦はしたくないと思ってるような気がする
0100人間七七四年
2011/12/02(金) 23:49:06.63ID:SSPSs666基本は如何に相手より多く兵を動員出来るかが有利に戦う手段になるからね
負けてもまた兵力と国力が維持でければ何度でも戦えるんですよ
0101人間七七四年
2011/12/02(金) 23:51:43.10ID:SSPSs666一番大きいのはやっぱり国力を維持して多くの兵を動員出来るかなんですよ
0102人間七七四年
2011/12/02(金) 23:54:12.62ID:MSq26OC+>負けてもまた兵力と国力が維持でければ何度でも戦えるんですよ
それ重要
信長の金ヶ森の敗戦や信玄の三増峠の敗戦もこれを意識してのこと
0103死
2011/12/02(金) 23:56:59.31ID:W+ljus0j大内、尼子、三好など、これらの大名家が滅亡した理由は?
北条等はそれ以上の大勢力に飲み込まれたから仕方ないけど
大国で動員力あるからといって滅亡しないとは限らないぜ
0104人間七七四年
2011/12/02(金) 23:59:51.58ID:MSq26OC+楽しかったよ
0105死
2011/12/02(金) 23:59:54.67ID:W+ljus0j動員力+求心力が必要になるんだな
大内、三好などは信長が勢力広げる前に覇者になれる可能性はあった
0107人間七七四年
2011/12/03(土) 00:14:38.04ID:MpZN5BJA動員時期が農繁期農閑期に左右される半農半兵より
何時でも何時までも動員可能な常備兵主体の方が戦略的には有用
精強な半農半兵主体の武田上杉は、弱兵ではあるが常備兵主体の織田には勝てない
戦術的には勝てても、戦略的には結局負ける
0108人間七七四年
2011/12/03(土) 00:16:21.14ID:sxP/Yxyu0109人間七七四年
2011/12/03(土) 00:19:01.87ID:HBsmbXPS信玄もそのまま長生きしてたら家康は無視してそのまま信長と戦ったのでしょうかね?
それとも家康を降伏させてたのか?どっちにしてもちゃんと滅ぼさないと挟み撃ちにあってたような気がします
確かに三方ヶ原の戦いでの勝利は大きかったみたいですがその後家康は兵力を持ち直しまた戦いを挑んで来てる訳ですから
病気というのがあったにしろ詰めが甘かったと思います
0110人間七七四年
2011/12/03(土) 00:20:05.93ID:HBsmbXPSそれは政治力(統治)し切れなくなったからですよ
0111死
2011/12/03(土) 00:22:44.51ID:TX2MRAuYならば、目標を信長じゃなく家康にすべきだったよな
信長滅ぼすのは病気持ちの身じゃ無理でしょう史実でも遠征途中で死んでるし
信長は強大だ、でも家康なら潰せるチャンスはあったよな
詰めが甘いよな、信玄ってやっぱり天下人の器じゃないと思うな
0112人間七七四年
2011/12/03(土) 00:24:35.09ID:HBsmbXPSそう思いますw
家康だけでも滅ぼせてたら勝頼にいい状態で相続させてたのに
結局は家康も復活して戦いを挑めるだけの力も残ってたし甘かったと思いますw
0113死
2011/12/03(土) 00:29:01.84ID:TX2MRAuY天下人の器じゃないよな、自分の年齢考えたら
潰せる所潰しておかないと、ダラダラやってる時間ないのに
0114人間七七四年
2011/12/03(土) 00:32:41.62ID:HBsmbXPS自分の国が豊かになればいいって考えで
信長にも局地戦で勝てればいいって考えで本気で国を全国統治するって考えはなかったと思いますよ
0115人間七七四年
2011/12/03(土) 00:43:26.14ID:HBsmbXPS0116人間七七四年
2011/12/03(土) 00:53:01.43ID:HBsmbXPS0117人間七七四年
2011/12/03(土) 00:57:01.82ID:HBsmbXPS0118人間七七四年
2011/12/03(土) 00:59:33.17ID:HBsmbXPS0119人間七七四年
2011/12/03(土) 01:01:04.10ID:HBsmbXPS信長が存在してなかったら天下は無理でしたよ
0120人間七七四年
2011/12/03(土) 01:09:05.26ID:HBsmbXPS0121人間七七四年
2011/12/03(土) 01:15:14.21ID:olqs3YlT0122人間七七四年
2011/12/03(土) 01:15:53.60ID:HBsmbXPS0123人間七七四年
2011/12/03(土) 01:18:12.80ID:HBsmbXPS0124人間七七四年
2011/12/03(土) 01:24:32.59ID:HBsmbXPS0125人間七七四年
2011/12/03(土) 01:31:55.01ID:sxP/Yxyu0126死
2011/12/03(土) 01:34:59.93ID:TX2MRAuY信長いなかったら家康に天下取れたかは疑問だな、確かに
0127人間七七四年
2011/12/03(土) 01:39:58.87ID:risi1vVt0128人間七七四年
2011/12/03(土) 01:42:30.07ID:HBsmbXPS客観的に見て信長の実力を評価してます
0129人間七七四年
2011/12/03(土) 01:44:02.16ID:HBsmbXPSまあどっちにしても天下は無理だし天下を取るって発送も考えなかったでしょう
0130人間七七四年
2011/12/03(土) 02:02:55.96ID:HBsmbXPS0131人間七七四年
2011/12/03(土) 02:04:35.10ID:JKHlIDbQしかし今川義元が上洛して近畿を統一するのに数年かかるとしてあっという間に50代。
片足棺桶に突っ込む状態に。
当然氏真が家督を継ぐ訳だが器じゃないな。
そうなるとあら不思議!準一門格の家康ちゃんにまたチャンスが!
とはならないかなw
0132人間七七四年
2011/12/03(土) 02:12:41.74ID:HBsmbXPSでも今川が頑張ったとしても天下は考えてないし家康も小大名で終わったと思うw
0133人間七七四年
2011/12/03(土) 02:25:50.09ID:HBsmbXPS家康が天下を取るきっかけになったのは信長の影響
信長が居なければあそこまで勢力も拡大できなかったし
信長が死んだから天下を考えたのもあると思うw
0134人間七七四年
2011/12/03(土) 04:18:46.38ID:6Qy60Fkc氏真もまさにそれだろう。
0135人間七七四年
2011/12/03(土) 06:35:00.75ID:HUi4qs+H細川政元は?
0136人間七七四年
2011/12/03(土) 08:47:09.47ID:HBsmbXPS0137死
2011/12/03(土) 09:05:41.99ID:cZ8hNgMHそうすると尾張は間違いなく今川に飲み込まれるな
今川が勢力拡大して上洛するかも知れない
氏真はアンポンだからいづれ謀反が起きちゃうんじゃないかな
三好も大内も大勢力だったけど、当主が死んでから家が滅んだ
それと同じ状態
0138人間七七四年
2011/12/03(土) 09:16:18.97ID:HBsmbXPSというようなスレがあって、
ほとんどは「今川に潰されるだろう」というような予想だったが、
一人「歴史なんてものは一人の人間の能力で変わらない、
信行が家督ついでもちゃんと桶狭間の戦いで今川は撃破され今川義元は死ぬ」
とか言った奴がいて物笑いの種になった。
「信行桶狭間」とか言われてたな。
0139人間七七四年
2011/12/03(土) 09:23:45.29ID:HBsmbXPS0140死
2011/12/03(土) 09:36:36.32ID:8zTnj5ib一人の能力で変わると思うけどな、秀吉とかどーよ?
秀吉がいなかったら歴史は大きく変わったぞ
0141人間七七四年
2011/12/03(土) 09:49:01.47ID:HBsmbXPSやはり数だよ
秀吉が天下をとれたのも周り優秀な配下や国力。兵力があったのも大きく影響する
秀吉一人だけでは天下は取るのは無理だべw
0142人間七七四年
2011/12/03(土) 11:11:04.49ID:TmSjE+0Nなんか違うような
秀吉こそ数の暴力をフルに発揮した人じゃね?
九州攻めも小田原攻めも、武田信玄や上杉謙信ならもっと少ない戦力で(お互い酷い犠牲者も出ただろうが)やったと思う。
数を揃えるのも才能だろ。
数じゃないって言い張るのは数を揃えることさえも出来ない無能
0143人間七七四年
2011/12/03(土) 11:43:44.53ID:olqs3YlT病気だな
0144人間七七四年
2011/12/03(土) 11:59:53.09ID:HBsmbXPS0145人間七七四年
2011/12/03(土) 12:36:49.69ID:HBsmbXPS国力が大きくなれば政治レベルで自分より小さい国を屈服させる事が出来るし有利に外交を進められるんだよ
秀吉は確かに優れてたけど信長がいたからこそ天下をとれた訳で
終盤国が国が大きくなってからの相手を政治力で収めるのは信長でも出来たんだよ
日本がほぼ天下統一し始めたら「寄らば大樹の影」になって逆らおうって大名も減ってくるからね
そこまで国を大きくする基礎を作ったのは信長だし秀吉一人では無理だったよ
0146人間七七四年
2011/12/03(土) 12:47:57.74ID:HBsmbXPS戦では全然勝てなかったが政治力で最後は統治した秀忠がいい例ですね
0147人間七七四年
2011/12/03(土) 12:51:54.31ID:6Qy60Fkc延々と初代家康の遺産を食い繋いだだけ。
0148名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 13:06:31.09ID:SZu0UHUgだが徳川のやった鎖国は愚策だったと思うw
まあ徳川の天下を納める上では都合が良かったのだろうがw
0149名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 13:20:05.77ID:a+pKyWla豪族の集まりで遠江三河も完全に統治出来なかった時点で全国統治は無理
これは信長との政略の違いもあったのが明らか
所詮は地方の田舎大名にすぎないし天下をとれる器じゃなかった
秀吉は信長のしたについて色々と学ことができたとおもうし信長が残してくれた兵力や国力の遺産は大きい
0150名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 13:22:13.42ID:a+pKyWla家康もそうだよ
敗戦から色々と学んだ事もおおいとおもうし
信長や秀吉の失敗を見て勉強してその後にいかしたと思う
0151名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 13:24:41.20ID:a+pKyWlaまあ局地戦で一番無駄に時間を費やしたといえば川中島の戦いかな?
0152人間七七四年
2011/12/03(土) 13:25:20.51ID:0TRalFVD戦国時代の戦なんて全般的に戦場での采配よりも、事前にとれだけの国人を
自分につけて多数派を形成するかが大事なんだよな。
0153名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 13:27:10.00ID:a+pKyWla0154名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 13:28:05.66ID:a+pKyWlaだなw
0155名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 13:40:19.30ID:hnjBEWDN0156名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 13:49:32.49ID:hnjBEWDN0157名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 14:09:30.81ID:s+icSFZ00158人間七七四年
2011/12/03(土) 14:19:46.35ID:deT+ZiDRそれを考えるとモンゴル帝国は異常だよな。人口の少ない騎馬民族が
ユーラシア大陸の大半を支配。チンギス・ハーンは負け戦で兵力19人に
なった逆境から世界帝国を樹立。なんなんだよそのモチベーション…
0159名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 14:33:25.61ID:s+icSFZ0でも長い目で見れば一番大事なのは内政だと思うが
武力での支配はその時一時的なものにすぎずいつかは反乱がおきる
だから天下統一の上では政治力の方が重要で戦争は一時的に相手を屈服させる手段に過ぎない
0160名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 14:38:19.26ID:s+icSFZ00161人間七七四年
2011/12/03(土) 15:23:31.83ID:UPUNxrN8自演お疲れさん
概ね同意だけどやっぱり質も大事だろ
謙信じゃなくて兄貴だったら越後は統治者いなくなってたろう
0162名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 17:19:07.08ID:K4Dmufypまあ一番重要なのは統治力だと思う
謙信も局地戦では強かったがどの領地を占領出来た訳でもなく戦略レベルで言えば得るものは少なかったと思う
一説には野望もなたったとか略奪目的とか言われてますがその戦で勝って占領した国をおさめる能力がなったと思いまづ
0163名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 17:28:40.51ID:K4Dmufypそう考えると信玄も謙信も天下統一は無理だったとなりますね
仮にうん良く上洛出来ても一時的な事に過ぎず全国統治をしない事には長い目で見て天下統一は無理だったとなりますね
0164名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 17:31:08.31ID:K4Dmufyp僕はなかったと思います
0165人間七七四年
2011/12/03(土) 17:32:04.28ID:risi1vVt0166名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 17:35:28.28ID:K4Dmufyp信玄が
しんだあと金山かも枯れて財政難ですし
戦略のめんでも甘過ぎます
0167名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 17:38:52.63ID:K4Dmufypですねw
仮に京都に風林火山の旗をあげたとしても周りを全部敵にまわしてしまったら甲斐にもどれすフルボッコバブーですよw
0168名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 17:56:41.62ID:K4Dmufypそう考えるとやっぱり信長はの考えは一歩進んでたという事になりますね
0169人間七七四年
2011/12/03(土) 18:26:49.91ID:0TRalFVDそれは大きいよな。
戦略はもちろん重要だがその戦略は地政学的位置に束縛されるからな。
信長だって奥州や九州生まれならあれだけ出来たか分からない。
0170人間七七四年
2011/12/03(土) 18:31:52.98ID:risi1vVt戦国がもっと長引いて地方大名ががっつり地盤固めしてからでてきても間に合ったかもね
0171人間七七四年
2011/12/03(土) 19:48:10.56ID:HUi4qs+H信長み、美濃を取った時、調度近江の勢力が衰退していたのが大きいよね。
六角定頼の頃だったら、伊勢方面から上洛するんだろうけど、
あの強引なやり方とは、別の戦略をとらないといけないだろうね。
0172人間七七四年
2011/12/03(土) 19:49:44.16ID:HUi4qs+H>>168
信長も美濃を取った時、調度近江の勢力が衰退していたのが大きいよね。
六角定頼の頃だったら、伊勢方面から上洛するんだろうけど、
あの強引なやり方とは、別の戦略をとらないといけないだろうね。
ところで自演の人は?
0174人間七七四年
2011/12/03(土) 20:06:42.68ID:HUi4qs+H終了っぽい
0175名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 20:43:37.15ID:nVa5grTJ生きてたら今後また歯向かってくる可能性のある勝頼を天目山まで追い詰めたべ?ちゃんと積めるとこは積めてるんだよ
0176名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 20:45:12.08ID:nVa5grTJ奥州とか九州なら家康が江戸に幕府を開いたみたいにやるべきかな?京都は遠すぎて難しいな
0177名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 20:50:32.15ID:eV1n+D8o地方で独自の政権を作るしかないかな?ただ九州なら貿易も恵まれてるし中央政権も権力が行き届きにくいから有利なめんもある
0178名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 20:55:32.12ID:eV1n+D8oだなw
勝頼親子が生きてたら上杉に生き延びるなり真田に生き延びるなりなりしてまた敵として驚異になった可能性が高い
村山義清や徳川家康を取り逃がした信玄とは大違いだな
0179名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 21:00:36.20ID:eV1n+D8oだなw
別に京都を制圧するのを一番に考えず地方でも国力と兵力で圧倒的に他国と差をつければ全国統治も可能になるんじゃない?
やっぱり数と国力こそが力だよ
0180名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 21:03:25.98ID:eV1n+D8o奥州とか九州が本拠地なのに京都を統治するのは難しいからなw
それより地盤を固めて勢力拡大すればいい
0181名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 21:09:39.66ID:eW1mKGJ9中央なら周りを敵に囲まれて包囲網をしかれてピンチになるリスクもあるからなw
0182人間七七四年
2011/12/03(土) 21:10:34.01ID:v+x7lpdt鎌倉だろうと室町だろうと
0184名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 21:14:21.91ID:eW1mKGJ90185名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 21:18:14.24ID:eW1mKGJ9上洛だけなら上杉謙信もやったしなw
0186人間七七四年
2011/12/03(土) 21:20:47.49ID:v+x7lpdt0187名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 21:45:21.82ID:e04zkIrp0188人間七七四年
2011/12/03(土) 21:49:50.24ID:0TRalFVD0189人間七七四年
2011/12/03(土) 21:51:18.68ID:qzXH6Foi0190名無し募集中。。。
2011/12/03(土) 21:55:56.19ID:Z84cGJ3e0191人間七七四年
2011/12/03(土) 22:23:03.05ID:wP8DYlEyだなw
改めて信長の偉大さがわかりましたw
0192人間七七四年
2011/12/03(土) 22:36:33.71ID:wP8DYlEy0193人間七七四年
2011/12/03(土) 22:44:34.78ID:qzXH6Foiむしろ信長のような害虫が駆除されて日本の歴史にとっては僥倖だ
0194人間七七四年
2011/12/03(土) 22:52:37.14ID:wP8DYlEy0195人間七七四年
2011/12/03(土) 23:03:41.33ID:wP8DYlEy領土拡大や天下人になることのみを他の武将たちが考えているなか、世界の中の日本の尺度で日本を考えそのために日本を一つに統一してそれから何をすべきか考えられた数少ない戦国武将であり古い慣習や利権にとらわれない唯一の武将であることは確か。
0196人間七七四年
2011/12/03(土) 23:06:18.76ID:wP8DYlEyつまりお偉いさんには嫌がられ、民衆には喜ばれる政策ですので、民衆の評判は悪くありませんでした。
また軍の規律に厳しかったので治安が維持され、町の整備にも力を注ぎました。
彼が冷酷非道な面を見せるのは、彼に敵対する勢力に対してです。無抵抗な民衆には意外とも思えるほど優しく接していますよ。
0197人間七七四年
2011/12/04(日) 02:25:39.42ID:7E0Kh6ug多ければ多い程、戦略・戦術面で選択肢を増やせるからな。
無論大軍にはマイナス面もあるし、少数が多数を撃破する事もある。
しかしそれは多くの戦いの中でも少数といっていいだろう。
0199人間七七四年
2011/12/04(日) 06:02:01.01ID:B9PMt2vkたしか、当時は上杉謙信が一番早く10万の兵を動員したんだよな
そのわりにはw
0200人間七七四年
2011/12/04(日) 07:28:43.93ID:C/ZG63mq少数が多数を撃破する勝利は相手の大将の首を取るなりよほどの壊滅的打撃を与えなきゃまた兵力を維持して復活するから戦略的振りを跳ね返すのは難しい
0201人間七七四年
2011/12/04(日) 07:34:23.12ID:C/ZG63mq桶狭間は義元の首を取ったのが大きい
これは本当に奇跡的と言える
仮に義元が生きてたらこの戦略的振りは跳ね返すのは難しかったと思う
0202人間七七四年
2011/12/04(日) 07:41:50.47ID:C/ZG63mqまた、今川家は足利家と近縁で、将軍の位を継承するための継承順位も上の方だったようです。
上洛を果たせば、畿内に平和をもたらすことができたかもしれません。
ただ、信長と異なり、中世的権威が大好きだったようなので、死んでくれたほうが後世には良かったでしょう。
その点、武田信玄も同じですけど。
0203人間七七四年
2011/12/04(日) 07:50:49.04ID:C/ZG63mq0204人間七七四年
2011/12/04(日) 07:51:01.14ID:C/ZG63mq0205人間七七四年
2011/12/04(日) 08:00:43.40ID:C/ZG63mqこれは秀忠の首も上げてないし関ヶ原に遅参させた意味では大きいが戦略的振りを引っ繰り返すまでに至らなかった
その後戦わずして昌幸と幸村は九度山に島流しにあったべ?
やはり国力の大きさには逆らえないんだよ
0206人間七七四年
2011/12/04(日) 09:16:39.98ID:Bo8AWCdEアニメオタは黙ってろ
ttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1276943654/214
0207人間七七四年
2011/12/04(日) 10:35:00.94ID:C/ZG63mq0208人間七七四年
2011/12/04(日) 10:36:08.70ID:C/ZG63mq0209人間七七四年
2011/12/04(日) 10:43:48.47ID:C/ZG63mq0210人間七七四年
2011/12/04(日) 10:49:13.77ID:C/ZG63mq九州はかなり有利だよ一番端に領土があるから後顧の憂いなく戦えるし
0211人間七七四年
2011/12/04(日) 11:34:23.72ID:YNDCYVdn>桶狭間は義元の首を取ったのが大きい
>これは本当に奇跡的と言える
>>208
>結局戦術レベルでの局地戦の勝利より戦略レベルので外交や政治手腕の方が大事だって事だw
主張が破綻したね。
もはやただの信長マンセーwww
0212人間七七四年
2011/12/04(日) 11:48:25.54ID:C/ZG63mq間違ってないよ?
0214人間七七四年
2011/12/04(日) 11:51:19.27ID:YNDCYVdn大津城の戦いがなければ、西軍の勝利だった。
京極高次の戦術レベルで頑張りが、真田昌幸の戦術的勝利を補った。
関ケ原は局地戦の勝利を積み上げて、勝利を奪った好例じゃね?
0215人間七七四年
2011/12/04(日) 11:58:14.15ID:YNDCYVdn戦略レベルで今川義元に負けていた信長は、
局地戦での勝利でしか巻き返した。
コレを認めるなら、
>結局戦術レベルでの局地戦の勝利より
>戦略レベルので外交や政治手腕の方が大事だって事だw
という主張は、例外だらけ。
これでは誰も論破できないどころか、自分自身で自分を論破しているような物。
結局、信長マンセーしたいだけだろw
0216人間七七四年
2011/12/04(日) 12:00:02.29ID:Bo8AWCdE君はアニメオタなんだから戦国時代のことなんかわかるわけないだろwww
いくら悔しくて必死に泣き喚いても君自身に知性が無いから文章の表現力がショボイな
0218人間七七四年
2011/12/04(日) 12:07:29.60ID:Bo8AWCdE都合が悪くなると日本語が理解できなくなるんですね可哀想な奴www
君が詳しいのはガンダムだけなんだからここで発言しても馬鹿にされて終わり
それにしても早朝から戦国板に張り付いて粘着荒らしとは恐れいるよ
0219人間七七四年
2011/12/04(日) 12:11:24.15ID:YNDCYVdnつまりどういう意味?
論破されたから悔しくてストーカーしてるってこと?
逆に面白いよ織田厨www
0221人間七七四年
2011/12/04(日) 12:13:16.21ID:C/ZG63mq義元が生きてたらまた何度でも戦いを挑めた訳で基本は国の維持と兵を動員できるかって考えに間違いはないよ
今川は義元が居なくなった事で国が維持できなくなり兵も動員できなくなった訳だからな
0222人間七七四年
2011/12/04(日) 12:13:42.83ID:YNDCYVdnバイバイ、哀れな織田厨君w
0223人間七七四年
2011/12/04(日) 12:15:42.78ID:C/ZG63mqだなw
その点を考えても信玄が戦術レベルで徳川を倒したが三河遠江を制圧したり家康の首を上げるなりできなかった時点で積めが甘い
0225人間七七四年
2011/12/04(日) 12:16:40.74ID:C/ZG63mq結局は兵の動員力と政治力だよw
0226人間七七四年
2011/12/04(日) 12:17:26.10ID:YNDCYVdnなんども負けてたら動員兵力も落ちる。
認識が甘すぎる。
名門で政治基盤の安定していた義元であれば、
大敗しても数回は再起可能かもしれんがな。
0228人間七七四年
2011/12/04(日) 12:18:48.50ID:C/ZG63mq0229人間七七四年
2011/12/04(日) 12:19:16.46ID:Bo8AWCdEID:YNDCYVdnは織田厨に強烈な恨みを持っているのでそんなことは理解できないよ
それに日本語の方も理解できないから教えてあげることもできない
0230人間七七四年
2011/12/04(日) 12:20:21.56ID:C/ZG63mq義元が生きてたら徳川も独立できなかったし信玄北条の力も借りられて信長はピンチだったよ?
義元を討ち取ったって戦略的成果が大きかったんだよ
0231人間七七四年
2011/12/04(日) 12:20:37.79ID:C/ZG63mq0234人間七七四年
2011/12/04(日) 12:23:37.10ID:C/ZG63mq局地戦で例え何度も負けて兵が動員できて国力が保てれば勝てるんだよw
だから大きな国の方が有利って事w
0236人間七七四年
2011/12/04(日) 12:25:16.47ID:C/ZG63mq0238人間七七四年
2011/12/04(日) 12:25:25.68ID:Bo8AWCdEID:YNDCYVdnは信長憎しで偏った思考しかできないから説明しても無駄だよ
これが信玄の立場で考えることができたらすぐ理解できるんだろうけどなwww
0239人間七七四年
2011/12/04(日) 12:26:25.76ID:C/ZG63mq客観的な判断が出来ないみたいだなw
0241人間七七四年
2011/12/04(日) 12:28:06.34ID:C/ZG63mq今川義元を打ち取るって事が今回の戦の戦略だろw
0243人間七七四年
2011/12/04(日) 12:28:56.43ID:C/ZG63mq全体的な方針。
変更は困難。
戦術(tactics:タクティクス)
戦略に基づいて細かい個所を決める。
戦略に基づいていることが必須。
変更は可能。
このように物事を決定するときに戦略(全体的な方針)→戦術(細かい個所)と
考えや行動を進めるべきです。
0244人間七七四年
2011/12/04(日) 12:29:16.21ID:Bo8AWCdEこらこら都合よく解釈するな
>日本語が理解できないならそれまでだ
>先ず日本語を学びなおせ
>話はそれからだなwww
日本語を理解できない君に説明は難しいから
先ず君が日本語を学んできなさい
日本語を習得できたら話の続きをしてあげるということも理解できないのか?
あ、日本語を理解できない君にはわかるはずもないか・・・や〜ごめんごめんwww
0246人間七七四年
2011/12/04(日) 12:30:34.47ID:C/ZG63mq必要な戦術:奇襲攻撃
0247人間七七四年
2011/12/04(日) 12:31:36.60ID:Bo8AWCdE君のレスは的外れで困る
0248人間七七四年
2011/12/04(日) 12:32:25.62ID:xLXR2d7Sわしがレジでスライム肉まん1つや、早よせー!ゆうたら
店員が「申し訳ございません、人気商品の為売り切れました」ゆうとる!!
発作か〜!!
即行わしが「おーい貴様、なんで発売して間もないのに売り切れなんや!!しばくぞ!!」
と罵声浴びせたら店員滅茶苦茶びびって謝っとる!!
わしが「一切ならん、土下座せー!!」ゆうて土下座させたった!!
当然の報いじゃ!!
客をなめ腐らすのも大概にせー!!
ぶっ殺すぞボケー!!
0249人間七七四年
2011/12/04(日) 12:33:12.17ID:YNDCYVdn相変わらずスレの主題と全く関係無いレスだなw
そんな小学生の主張を長文にして恥ずかしくないのか?
0250人間七七四年
2011/12/04(日) 12:35:29.34ID:Bo8AWCdE君は馬鹿だね
>>198で君自身が無駄レスを投下していることも忘れてしまったのかね?
とりあえず>>244の文章は理解できたかね?
一々説明するのはめんどくさいんだよ
0252人間七七四年
2011/12/04(日) 12:37:47.93ID:mV3ydIyF二人共頑張れ
0253人間七七四年
2011/12/04(日) 12:40:10.75ID:YNDCYVdnじゃあ信玄の戦略は優れてるな。
戦略目標:織田信長の動員兵力を減らす
必要な戦術:美濃、尾張への遠征
0255人間七七四年
2011/12/04(日) 12:42:42.57ID:YNDCYVdnよし、だがさんのつもりで頑張るぞ!!!
と思ったけれど、そろそろグラウンドでサッカーしてくるわ。
じゃあなー、信長マンセー君。
0256人間七七四年
2011/12/04(日) 12:42:56.44ID:vIB6TSRAふつうはスルーするだろうに
0258人間七七四年
2011/12/04(日) 12:49:53.42ID:Bo8AWCdE今度こそ正真正銘の敗北宣言乙!
それにしてもサッカーとかって・・・ガンダムの研究をするんじゃないのか?
そいえばだがってガンダム好きだっていっていたなあ
だがって毎日必死だよなwww
0259名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 12:53:25.99ID:h7j77Rjw戦術的成果には笑ったw
そんな言葉ねーよw
0260名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 12:54:13.72ID:h7j77Rjw0261名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 13:21:57.32ID:h7j77Rjwはい!完全勝利!
0263名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 13:54:03.55ID:uzezmFuZ0264人間七七四年
2011/12/04(日) 16:39:15.92ID:YNDCYVdnあれ、過疎ってるな。
>>246
そういえば桶狭間の奇襲説なんてとっくに否定されてるぞ。
戦略目標が「今川義元を打ち取る」なんて、ありえないんだけどwww
0265人間七七四年
2011/12/04(日) 16:40:24.99ID:YNDCYVdnはい!完全勝利!
マネしてみたーwww
0266名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:00:08.37ID:2Tk19PVMまあこれは大雑把にバカでもわかるように分かりやすく例えて説明してあげたんだよw
だって戦術的成果とかいう日本語使いだすんだもんw
0267人間七七四年
2011/12/04(日) 19:08:35.15ID:EsdGg7Vf敗北宣言乙w
義元の戦死は、戦術による成果でしか無いよ。
戦略で完全に負けていた信長が、戦術により巻き返した好例だな。
てゆうかーこんな例いくらでもあるんだけどwww
0268人間七七四年
2011/12/04(日) 19:11:53.96ID:EsdGg7Vf0269人間七七四年
2011/12/04(日) 19:16:03.73ID:EsdGg7Vf平家も鎌倉幕府も室町幕府も江戸幕府も滅びないよね。
0270名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:17:17.47ID:RZRMWPCv0271名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:18:38.38ID:RZRMWPCv政治力が落ちて国をおさめる力が維持できなくなったら滅びるよ
0272名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:22:56.12ID:RZRMWPCv徳川秀忠がいいれい
0273人間七七四年
2011/12/04(日) 19:23:51.34ID:EsdGg7Vf0274人間七七四年
2011/12/04(日) 19:25:37.80ID:EsdGg7Vf逃げゼリフ乙www
結局、桶狭間は兵の動員数で勝利したわけじゃないって事だね。
0275名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:25:51.32ID:RZRMWPCv0276名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:27:25.88ID:RZRMWPCv221 ? 223,226: 人間七七四年 [] 2011/12/04(日) 12:13:16.21 ID:C/ZG63mq
戦術的レベルの勝利で義元の首をあげるという戦略的成果をあげる事で戦略的不利をひっくり返すことは可能だがこれは極めてまれな例で
義元が生きてたらまた何度でも戦いを挑めた訳で基本は国の維持と兵を動員できるかって考えに間違いはないよ
今川は義元が居なくなった事で国が維持できなくなり兵も動員できなくなった訳だからな
0277人間七七四年
2011/12/04(日) 19:28:09.76ID:EsdGg7Vf武力の意味を履き違えてるようだなw
0278人間七七四年
2011/12/04(日) 19:28:56.85ID:EsdGg7Vf秀忠は福島正則を武力で圧倒したから改易できたわけだがw
0279名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:29:03.39ID:RZRMWPCv0280名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:29:41.27ID:RZRMWPCv武力じゃなくて政治力
0281名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:32:48.08ID:zFWhZiCC0282人間七七四年
2011/12/04(日) 19:34:31.29ID:EsdGg7Vf0283人間七七四年
2011/12/04(日) 19:35:05.90ID:EsdGg7Vf0284人間七七四年
2011/12/04(日) 19:35:46.59ID:EsdGg7Vf0285人間七七四年
2011/12/04(日) 19:38:09.78ID:EsdGg7Vfそれを言うなら武勇だろw
0286名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:38:31.08ID:zFWhZiCC0287人間七七四年
2011/12/04(日) 19:38:41.65ID:EsdGg7Vf0288人間七七四年
2011/12/04(日) 19:39:55.56ID:EsdGg7Vfおいっ!勝利宣言の間に割り込むなwww
0289名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:40:58.57ID:zFWhZiCC局地戦でいくら負けようが国力と兵力が維持出来れば何度でも戦えるw
だが一回のいくさで負けて維持出来なくなれば終わりw
0290人間七七四年
2011/12/04(日) 19:41:21.57ID:EsdGg7Vfだからこそ信玄は家康を無視したわけだが。
その辺がわからないから、安易な信長マンセーに走っちゃうんだなwww
0291名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:44:19.17ID:V3Mgr5cj諸葛孔明が13回負けて14回目にもうかくに勝ったなんて作戦もあったべw
0292人間七七四年
2011/12/04(日) 19:44:34.92ID:EsdGg7Vf局地戦で何度も負けると国力と兵力が維持出来なくなるだろwww
特に本拠地で負けたら致命的。
畿内とかの西部戦線での負けとはわけが違うって。
0293名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:46:57.09ID:V3Mgr5cj0294名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:47:26.74ID:V3Mgr5cj意味がわからんw
0295人間七七四年
2011/12/04(日) 19:47:35.40ID:EsdGg7Vf信長マンセー君だけだと煽りがいが無いな。
0296名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:49:26.45ID:V3Mgr5cjどっちかというと真田厨だなw
0297名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:52:45.02ID:V3Mgr5cj信玄はそれが出来てない
信長は出来た
このちがいw
0298名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:54:17.69ID:V3Mgr5cjだから川中島での勝った負けただの言ってる局地戦での勝利は得られるものは少ない
0299人間七七四年
2011/12/04(日) 19:55:55.40ID:EsdGg7Vf自分の拠点が危機に陥ってたのは信長の方なんだけど。
信玄の方の拠点は全く危機的状況じゃないからw
0300名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 19:59:04.82ID:V3Mgr5cj0301人間七七四年
2011/12/04(日) 20:00:50.91ID:EsdGg7Vf川中島がどこにあるか知らないのwww
謙信の本拠地・春日山からたったの60kmの地点なんだけどwww
0302人間七七四年
2011/12/04(日) 20:01:24.37ID:EfjOL3nr0303人間七七四年
2011/12/04(日) 20:02:54.38ID:EsdGg7Vf0304名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 20:04:36.48ID:V3Mgr5cjその考えが戦術の信玄だねw
いくら勝とうが大将の首もとれず城も落とせなきゃまた家康や村山義清見たいに持ち直せるんだよw
0305人間七七四年
2011/12/04(日) 20:05:51.81ID:EsdGg7Vfだから今川の首をとったのは偶然だってw
0306人間七七四年
2011/12/04(日) 20:06:39.53ID:EfjOL3nrそれとも三河武士の意地を見せてうちじぬか
0307人間七七四年
2011/12/04(日) 20:10:12.44ID:EsdGg7Vf家康は、遠江どころか奥の本拠地・三河の城まで落とされてんじゃんw
0308人間七七四年
2011/12/04(日) 20:14:16.87ID:EsdGg7Vf信玄の方の拠点は全く危機的状況じゃない。
この政治力・戦闘力の違いw
0309名無し募集中。。。
2011/12/04(日) 20:14:50.12ID:V3Mgr5cj0310人間七七四年
2011/12/04(日) 20:15:00.44ID:EfjOL3nr0311人間七七四年
2011/12/04(日) 20:16:10.81ID:EfjOL3nr0312人間七七四年
2011/12/04(日) 21:00:56.54ID:0HF1sThW負けないいくさをした保守的の信玄はいつまで立っても天下は無理
0313人間七七四年
2011/12/04(日) 21:24:58.29ID:0HF1sThW0314人間七七四年
2011/12/04(日) 21:27:28.05ID:EsdGg7Vf0315人間七七四年
2011/12/04(日) 22:09:10.91ID:EhKFMXpS0316人間七七四年
2011/12/04(日) 23:11:09.95ID:6dbYRCfX0317人間七七四年
2011/12/05(月) 00:57:04.43ID:YzQiQDD1リアル ハーブパウダー 「ダーク香」
粉屋で絶賛販売中
http://conaya.jp/
0318名無し募集中。。。
2011/12/05(月) 05:09:17.36ID:vRZpoqqDだなw
10回局地戦で勝つより一回のいくさで大将の首あげるなり敵の領土を制圧した方が大きい
川中島の小さな勝利や三方々原で徳川家康に勝った位で喜んでるようじゃ器が小さいなw
結局徳川滅ぼさなきゃ信長と戦うルートも作れない訳だから徳川を滅ぼせなかった信玄はつめがあまいw
0319名無し募集中。。。
2011/12/05(月) 05:11:57.16ID:vRZpoqqD信長は世界の中の日本の尺度で日本を考えそのために日本を一つに統一してそれから何をすべきか考えられたからなw
自分の領土の事しか考えてない信玄とは大違いw
器が違いすぎるw
0320名無し募集中。。。
2011/12/05(月) 05:12:59.18ID:vRZpoqqD政治力が無かったから遠江も三河も完全に制圧出来なかったんだろw
0321名無し募集中。。。
2011/12/05(月) 05:13:46.98ID:vRZpoqqD自分の国はおさめられても全国統治は無理
0322名無し募集中。。。
2011/12/05(月) 05:20:30.47ID:vRZpoqqD武田や朝倉などの包囲網側は、典型的な外線作戦です。その成否は、外線側の各軍の連携に依ることが大です。しかし、この時の外線側は、
1、武田信玄と朝倉や浅井に、信頼関係どころか面識すら無い。
2、総司令部が存在しない。
3、武田にも浅井・朝倉にも、織田信長以外の敵がいる。
4、武田と浅井・朝倉の連絡手段が乏しい。
この状況で、武田信玄は、「浅井・朝倉が織田軍の大軍を引きつけてくれている。
決して、勝手に和睦したり戦線離脱したりしない。例え、一向一揆に府中を攻撃されても朝倉義景は帰らない。」と信じ込まねば、外線作戦は成功しません。あなたなら、信じ込めますか?
私が信玄なら、そこまで朝倉を信頼はしません。
もし、単独で信玄が信長と対戦するようなハメに陥れば、スケールメリットで、織田信長の勝利の確率が高いでしょう。
私が信玄なら、三方原の戦勝を宣伝材料にして、徳川方の国人領主の寝返りを促します。信長が武田勝頼や朝倉や斉藤を滅ぼした時のように。
そしてこのような手段の方が、戦国時代では正攻法ですし。
なお、この寝返り工作が事前に成功していないことから考えて、この時の武田信玄は、準備が不十分だったことが伺えます。
この寝返り工作の準備不十分なまま、浜松城を強襲したり、尾張への侵攻を企てるのは、ゲーム的、小説的であります。
.
0323名無し募集中。。。
2011/12/05(月) 05:32:03.85ID:vRZpoqqDまた、甲斐と信濃を制圧した時点で接するのが大国ばかりだった、と言うのも事実です。彼が婚姻関係を解消してまで今川領に進出したのは、甲斐の隣国と言う近い駿河が弱体化していたからです。今川家を滅ぼした後は「接している国」の中でもっとも弱いのは徳川家です。
武田家は上記のとおり、「山間の農村」の寄せ集めなので、基本的に「一国を一気に滅ぼす」ような行動を取れるほどの大軍を集めることができません。
上杉や北条が強いから、では無く、武田家の実力です。実際に上杉や北条と敵対しており、全面的に戦っても勝つことはできますが、「一郡の奪い合い」程度の軍事行動が限界なのです。
信長は石高も高く、貨幣収入も豊かな大国で、美濃制圧時点で武田家の最盛期に以上の軍事行動を行えます。「一国を滅ぼす」軍事行動が行えたのもそのためです。
武田信玄と織田信長を比較するのはかなり難しい部分があります。スタート地点の地理が大きく違うからです。同じ二国持ち(甲信と濃尾)でも、既にその国力は大きく違います。
武田信玄の一生の大半は信長で言えば「尾張統一〜美濃制圧」くらいの国力で戦っています。最晩年でも濃尾二国くらいかもしれません。そういうことを考えて比較してみてはいかがでしょうか。信長の上洛戦(六角氏を一蹴する)からは、信玄の未経験の世界です。
0324名無し募集中。。。
2011/12/05(月) 06:10:56.76ID:vRZpoqqD0325名無し募集中。。。
2011/12/05(月) 06:16:06.25ID:vRZpoqqD0326人間七七四年
2011/12/05(月) 08:48:38.53ID:T+XTZewK0327名無し募集中。。。
2011/12/05(月) 10:29:56.35ID:siuRy8Uj0328人間七七四年
2011/12/05(月) 10:54:11.52ID:QqAA4lKL0329人間七七四年
2011/12/05(月) 12:33:58.80ID:jCWatW2p天正8年以降の本願寺も石山退去し、
それまでと比較にならない
織田領の安定と石山包囲などに割いていた兵力が開放された状況で
この条件が武田滅亡も可能にさせることも可能にさせた。
その安定政権時代の織田兵力と
天正元年初頭の信玄を比較してるってことだな。
完全に最強の低脳。
こんなやつが指揮する軍にだけは入りたく無いもんだ。
0330人間七七四年
2011/12/05(月) 23:36:46.27ID:p18NEEbS20数歳の信長と50近くの信玄で比べて優越感じたいんですか?
0331人間七七四年
2011/12/05(月) 23:46:14.09ID:BnV52iRJ戦国時代の動員兵力を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1259839519/l50
0332人間七七四年
2011/12/06(火) 08:56:15.20ID:BrD/DUDTそれは信長の戦略がうまかったからだよ
信玄だったらどうやって包囲を解くことが出来たのかって話ですよ
0333人間七七四年
2011/12/06(火) 10:02:42.28ID:a2NhE8Y00334人間七七四年
2011/12/06(火) 11:16:35.68ID:lXH3mFri一人の力で歴史は変わらないように、信長秀吉家康がいたから天下は統一された
「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」
つまり、改革や革新的な事を完璧に成し遂げるには、1人、ま
たは1段階では決して出来ないという事だ。
1人目は、他人に気を使ったりせず独断的な人。2人目は、1
人目が作った状況の中で、その不備を改善し、全体に配慮した姿
に整える気遣いのできる人。3人目はその状況が安定して運営で
きるよう定着させる仕組みを考えられる人。
1人目は、改革したことでいっぱいいっぱいで、引き続き2人
目の役をできる余力はないし、センスもない。
だから、会社で改革を行うなら、第1段階が終わったら異動を
実施して第2段階を行うセンスのある人材に刷新し、そしてまた
異動を行い第3段階を完了するというのが合理的な手順なのだろ
うと思う。
勿論、政治においても同様なのだろうけど。
まあこの三人がいたから天下が統一された訳で評価されるべきであろう
地方の一大名に過ぎない信玄は比べられちゃ余りにもかわいそうすぎるw
0335人間七七四年
2011/12/06(火) 11:16:59.84ID:lXH3mFri0336人間七七四年
2011/12/06(火) 11:18:16.77ID:lXH3mFri0337人間七七四年
2011/12/06(火) 11:19:39.07ID:lXH3mFri0338名無し募集中。。。
2011/12/06(火) 11:23:17.68ID:lXH3mFri0339人間七七四年
2011/12/06(火) 11:50:46.34ID:d3IasxAo信長は同格かそれ以上の相手に包囲された事は無い
信玄は同格以上の上杉北条連合相手に
越相同盟に楔を打ち込み、関東諸侯と組んで北条を逆包囲して
包囲網を打破してる
0340人間七七四年
2011/12/06(火) 11:52:56.43ID:lXH3mFri0342人間七七四年
2011/12/06(火) 12:06:12.51ID:cZWi1AZ10343人間七七四年
2011/12/06(火) 13:28:21.91ID:p6wXvmZm0344人間七七四年
2011/12/06(火) 21:15:05.77ID:7el8nSkbhttp://toro.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1323171934/
0345人間七七四年
2011/12/06(火) 21:34:28.82ID:WaHznTz20346人間七七四年
2011/12/06(火) 22:34:22.52ID:7el8nSkb0347人間七七四年
2011/12/06(火) 23:23:14.45ID:e7Q2ebVNどこの厨に1がボコられたか一目瞭然だなw
0348人間七七四年
2011/12/07(水) 12:00:08.69ID:OgjO3wTj0349人間七七四年
2011/12/07(水) 12:23:39.90ID:B0nFI+BNとどめは大軍という戦略的な圧力で内部まで崩壊させた。
0350人間七七四年
2011/12/07(水) 17:41:50.00ID:OgjO3wTj0351人間七七四年
2011/12/07(水) 17:42:21.04ID:OgjO3wTj0352人間七七四年
2011/12/07(水) 17:42:41.03ID:OgjO3wTj0353人間七七四年
2011/12/07(水) 18:35:27.85ID:c6Ei14Et0354人間七七四年
2011/12/07(水) 18:48:37.29ID:af/2dbYF大軍率いて、村上に負けるイメージが
0355人間七七四年
2011/12/07(水) 20:01:41.05ID:OgjO3wTj0356人間七七四年
2011/12/07(水) 23:11:19.01ID:c6Ei14Et0357人間七七四年
2011/12/07(水) 23:15:47.05ID:c6Ei14Et信玄の時は同盟関係で上洛戦に北条勢も参加してるんだが。
武田・北条同盟軍に対し、織田・徳川同盟軍は、完全に詰んでいる状態。
こんな事も指摘できないから織田厨アホスレ軍団なんだよなw
0358人間七七四年
2011/12/08(木) 00:56:08.07ID:WeIB004L0359人間七七四年
2011/12/08(木) 01:00:18.79ID:DkiBXgmU0360人間七七四年
2011/12/08(木) 02:32:25.60ID:WeIB004L0361死
2011/12/08(木) 04:30:13.16ID:Pc0imtWSあ?
0362人間七七四年
2011/12/08(木) 04:34:38.93ID:WeIB004L0363人間七七四年
2011/12/08(木) 05:33:20.16ID:ONhY/pfk大内だの尼子だの持ち出すと確かになw
その理屈なら、織田もズタズタだし、豊臣もズタズタだし、徳川だって最後はなw
諸行無常の理の前には、大軍も春の夢のごとしだわw
0364人間七七四年
2011/12/08(木) 07:02:41.04ID:eX6zFzZ1きがつけばいつのまにか直属軍はほとんどいなくなり、近従の兵のみになる。
0365人間七七四年
2011/12/08(木) 09:47:04.07ID:hKMZgvPK手負いのハイエナするだけ
0366人間七七四年
2011/12/08(木) 11:01:55.41ID:gVjzZ/Jp別に信玄を比較に出して無いのになに顔真っ赤にして1572年の状況を持ってくる訳?
大軍大兵力の有利を語るスレだろ?その上で一例を上げただけ。
御前ちょっと頭おかしいんじゃないの?
0367人間七七四年
2011/12/08(木) 17:54:59.41ID:8rP/6yQcまるごしの農民に虐殺されたり
逃げる途中ですべってころんで川で大量憤死したり
大軍動員しても天下を取れなかった織田(笑)
0368人間七七四年
2011/12/08(木) 23:42:00.66ID:WkeZWqPC0369人間七七四年
2011/12/09(金) 01:19:07.85ID:ZSLVSrlq0370人間七七四年
2011/12/09(金) 08:51:05.43ID:eahcTukt0371人間七七四年
2011/12/09(金) 21:14:45.00ID:Pv3/MI030372人間七七四年
2011/12/10(土) 09:35:36.85ID:njx4YYju0374人間七七四年
2011/12/10(土) 19:05:09.05ID:njx4YYju0375人間七七四年
2011/12/10(土) 20:56:44.82ID:zBsZ/p7Mhttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1323320551/
0376人間七七四年
2011/12/10(土) 21:01:43.74ID:njx4YYju0377人間七七四年
2011/12/12(月) 00:28:51.65ID:L0BSFqkA0378人間七七四年
2011/12/12(月) 11:44:00.92ID:eCuCrXXC織田厨ってガチでバカだよねw
>>330
はぁつくづく都合がいいキチガイ脳してるなワロタw
ちなみに信玄死んだ1573年の信長は40歳だ。
>>332
信長が八方塞がりだったのは信長公記にも書かれてるのに
どこが戦略がうまかったんだよw
たった1万しか織田は兵力が集められないまで離反されまくり
信玄死んで武田の大軍が撤退したから助かっただけだろ。
0379人間七七四年
2011/12/12(月) 16:20:58.47ID:j9HT87oMそう思っている時点で武田の負けだろ。
0381人間七七四年
2011/12/12(月) 19:08:51.01ID:97ZtD9hjああごめんね、これ時期で比べたわけじゃないの
尾張統一もできていない頃の信長と比べて、って言いたかったんだ。
ああそうそう、たった1万の根拠はどこ?
0382人間七七四年
2011/12/12(月) 22:12:43.06ID:R6WIUB6T戦略的にも有利戦術的にも有利なのは疑いようがない。
無論少数が多数を破る戦いは古今東西数多くあるが多数が少数を破る戦いはそれを遥かに凌ぐ数ある。
0383人間七七四年
2011/12/13(火) 06:20:24.12ID:XalCMGDV今の時代、武田信玄が流行るわけだ。
0384人間七七四年
2011/12/13(火) 18:15:34.59ID:HL2fza3x尾張統一されたもんを引き継ぎながら
道三が死んで後見が失われるや
信長自身の悪政を義龍に付込まれて
謀反三昧にされただけだろw
まぁ平手まで自刃するほどのキチガイ信長じゃしょーがねぇけどな。
0385人間七七四年
2011/12/13(火) 18:37:35.05ID:BIObmWM+別に信長のいる弾正忠織田家の家来でもないんだけど、
むしろ信長の当主就任当時に尾張を領有していたのは斯波家なんだけど
あれもしかして知らなかった?
0387人間七七四年
2011/12/15(木) 11:36:20.48ID:YdxEiRVO斯波氏に関しては今川の捕虜になった斯波義達の跡を継いだ
義統が3歳の幼君なのを良いことに守護代織田氏は専横して傀儡に成り下がって実権なし。
信秀は今川義元の弟で捕虜になった斯波義達の娘を娶って尾張に来た今川氏豊を討って
今川の尾張支配の牙城那古野城を奪取するなど今川勢力を尾張国から一掃してる。
織田大和守家の分家で清洲三奉行「織田弾正忠家」の勢威は主家を上回っており押さえられる者はいなかった。
それは大和守家の織田達勝の娘が信秀によって離縁させられてるのでもわかる。
(大和守家織田達勝と三奉行家の「織田藤左衛門家」が共同して信秀に当たっても勝てなかった)
1547年の信秀の稲葉山城攻撃では岩倉方織田伊勢守の一族や中嶋郡の豪族など
尾張北西部の者どもが先鋒をしていて「織田伊勢守家」岩倉織田家家中もすでに傘下に組み込んでいるのがわかる。
さらに朝倉孝景の軍も信秀の援軍にやってきていて
稲葉山城包囲は25000の兵が動員されたほどに信秀の威勢は巨大だった。
稲葉山城攻防において夕闇が迫り一時撤退した油断を突かれて道三の奇襲で破れたものの
次の大垣城攻防戦では道三も驚く速さで渡河した信秀は
電光石火の進軍で火をかけながら稲葉山城方面を急襲しようとしたために
驚いた道三が大垣城攻撃を諦めて撤退してる。
(藤左衛門家もこの時に信秀配下として軍事行動をしており信秀は尾張の大半から動員していた)
「織田伊勢守家」岩倉織田を継いだ織田信安(妹は信秀側室・のち信秀妹を娶る)は
「織田大和守家」から入った人物で幼君を口実に犬山城で後見監視してたのが信秀の弟の信康なわけで、
ぶっちゃけ尾張は信秀がほぼ制していたと言っていい。
1549年正月17日の信秀弟の信康の子の犬山城主織田信清の謀反に至っては信秀が急を聞き即日撃破してるほどの圧勝し
2月25日には何事も無く平穏であり美濃から帰蝶が無事に尾張へ輿入れして信長は強力な後ろ盾を得てる。
3月に入り太原雪斎に安祥城を攻められるが頑強な抵抗をしており
本多忠勝の父が討ち死にするなど今川全軍を撤退に追い込んでる。
11月8日の再攻撃で火縄銃を投入しやっと安祥城を落とせたほど苦労してるので尾張への軍事行動が断念されてる。
安祥城落城も雪斎が非常に攻めづらい城南からの奇襲で
城側は油断しきって防備が甘かったって言う奇略で1日で落としたって話だし。
これはもう信秀の失敗とは言えないよな。
それに三河国碧海郡にあった刈谷城を本拠地にしていた三河の大身と呼ばれた水野信元が信秀側だったから
織田の三河進出の拠点は失ってねーし、結局、信秀は尾張の旗頭として
国内に敵を入れることはなかった(守山崩れの例外があるが)
今川とも竹千代交換して和議が成り信秀の晩年は内外ともに安定してる。
清洲三奉行因幡守家から織田大和守家の織田達勝の養子になったと言われる織田信友は
織田伊勢守家同様にすでに家臣団を信秀に奪われ傀儡守護の斯波義統を擁立していたと言う
一点でかろうじて信秀の主君と言う名目的地位を維持できていたにすぎず軍事的には信秀に屈していた。
0388人間七七四年
2011/12/15(木) 11:37:47.90ID:YdxEiRVO焔硝の製法である古土法だと大量生産ができずに普及が進まなかった(当時は明との交易は禁止されていた)
信玄なども1555年正月に焔硝について触れている書状がある。
1549年太原雪斎が信秀の安祥城を攻略した決め手も奇襲した際の鉄砲だと言われてる。
良質のインド産の焔硝をポルトガル商人から輸入できるようになってから大量運用が可能になる。
ちなみに1567年信長が岐阜城を落したのと同時期に宗麟が司教宛てに毛利への硝石の輸出禁止と
毎年良質な硝石200斤の大友への輸出を航海指揮官ピタン・モールに頼んで欲しいと
依頼しているほどの戦略的な軍事物資。
信秀が死ぬ2年前の1549年に信長が近江の国友村に高級品の火縄銃500丁を注文しており、
道三との正徳寺会見でその鉄砲を大量所持していて道三が驚いたとの記述があるが、
希少価値が高い硝石の在庫がそんなにあったのだろうか・・・
もしあったのなら尾張国に集まる経済力と富は突出していてとてつもないものだったろう。
信秀による実質的な尾張統一完成が稲葉山城攻撃につながったと言われてるからね。
ロクに優秀でもない林・佐久間・平手を付けられた信長が与えられた名古屋城の税だけで
そんだけの鉄砲を買い込み火薬も備蓄してたとなると
道三死後に美濃国譲り状までもらって支配の正当性を持ちながら
なんで美濃国攻略に10年以上もかけてるんだって話だよね。
超過保護大名斎藤道三
信長「お父さん知多半島の今川軍の城が気になって眠れません…」
道三「おぅおぅ他ならぬ婿の頼みとあっては何とかせねばな!して場所は?」
信長「松平家忠が村木城にいて水野信元が私に援軍要請してるが私では…」
道三「わかった。ワシの手勢の安藤守就を那古野城に援軍に派兵してやろう」
信長「有難う御座います!このご恩必ず返します」
義龍「なんで尾張のために美濃兵の血を流さないとならんのか?クソ爺を殺すしかねーな!」
大和守家の織田信友はすでに清洲城しかない孤立した状態で信秀に屈していたのに、
美濃の道三の後ろ盾がある信長に刃向かうこと自体が
獅子に立ち向かう蟻も同然で明らかに信長による排除圧力に追い込まれた無謀な挙兵だろうな。
のちに武力で勝てないから信長暗殺計画を考えてたら、
信長にチクられたとして斯波義統を暗殺しちゃって自爆するし謀略に簡単に引っかかる超バカ殿だろ…
まだガキだった時の信長のお小遣いで超高級品だった鉄砲500が買える尾張の財力だったり、
信秀から尾張ほぼ一国+美濃大垣城+三河水野信元を引き継ぎ、
しかもむちゃくちゃ優しい道三が貢献とか
信長ほどチートスタートな大名っていないよな。
0389人間七七四年
2011/12/15(木) 11:40:04.71ID:YdxEiRVO朝廷に献金した金額ランキングが載っています。
1 織田信秀 四十万疋 天文十二年(1543) 内裏修理
2 大内義隆 二十一.四万疋 天文四年(1535) 即位費
3 大内義隆 十万疋 天文六年(1537) 不明
4 三好長慶 六万疋 弘治三年(1557) 大葬費
5 今川義元 五万疋 天文十二年(1543) 内裏修理
ぶっちぎりのトップは信長の父親である織田信秀で、
彼は何と「ライバル」である今川義元の10倍近い金額を献金しています。
「四十万疋(=4千貫)」っていくらだよ??ということになりますが、
北条氏の軍制では700疋で兵隊を1年に1人雇えたらしいので、だいたい600人を1年間雇えるくらい
尾張統一されたもんを引き継ぎながら道三が死んで後見が失われるや
信長自身の悪政を義龍に付込まれて尾張が謀反三昧にされただけだろw
まぁ平手まで自刃するほどのキチガイ信長じゃしょーがねぇけどな。
今川も別に尾張方面へ調略してた一次史料もなく、どう考えても愚主信長を見限り
今川方に鞍替えしただけの話で、それに対して信長がパブロフ犬のように条件反射で
包囲して砦を構築したから、義元も後詰めをしなければ面目を失うから出てきただけで
今川軍を呼び込んだのも信長本人の悪政が原因であり、それまでは今川と織田の和睦は継続していた。
岐阜城は竹中重治や斎藤利堯や織田信雄や福島正則などに落とされるなど
馬鹿みたいに簡単に落城しまくった城で落すのに苦労したのは信長だけ。
龍興12歳1561年5月義龍の死去を聞いて急いで出陣するも敗走。さらに続けて墨俣攻防で信清の弟討死。
龍興14歳1563年新加納を進撃してきた信長を撃退。
龍興15歳1564年稲葉山を安藤と竹中に占領される。
龍興16歳1565年9月龍興三千で信長を直接討ちにきたら加治田を見捨てて信長逃亡。
龍興17歳1566年4月各務野へ信長がやってきたので龍興も新加納に出て決戦の姿勢を見せたら信長逃亡。
8月龍興の前に織田軍大敗木曽川溺死多数。その後もずっと木曽川での攻防を繰り返すも美濃への進出できず。
龍興18歳1567年8月に六角を通じて浅井との婚姻成立により浅井も参戦したことで美濃三人衆の内応に成功。
1565年9月28日に織田への味方をして孤立奮闘してた加治田城の佐藤紀伊守親子って信長に会って
感涙にむせび言葉も無いほど感激してありがたがったんだけど翌29日に龍興が信長と決戦に出てきたら、
佐藤紀伊守親子を見捨てて信長逃亡しちゃうんだよな・・・
佐藤紀伊守が斉藤に出してた人質の娘が串刺しにされたのに。
結局のところ息子は斉藤軍の前に討死するし岐阜陥落後に加治田城は斎藤新五郎のものになっちゃうし。
幼君斎藤義興は敢闘したけど不景気で厳しかったみたいだな。
森田善明が信長が美濃を制圧できた理由を美濃が不景気と飢餓で
戦わずに信長に降伏したものばかりだったからだと主張してる。
西美濃攻略を諦めて、東美濃攻略に変更した信長は
内通で加治田城・黒田城/織田と戦わず降伏が小口城・鵜沼城・猿啄城/城内で内通が出て開城が犬山城
と無傷で苦労せず6城を手に入れているのは東美濃の国人達が経済的に没落していて
戦いたくても戦えない、農民が他所へ逃げている「欠落」と
農地が荒廃していた「退転」状態だった美濃の国情ゆえに武士階級も収入が無かったと主張してる。
その点、父の代から裕福な信長の尾張なら楽だったろうし
近江との街道収入のある西美濃は豊かであったろう。
そして豊かな西美濃衆が稲葉山城奪取占拠をやったりして斉藤家は落ちぶれてしまったから
かんたんに信長は美濃を手にいれたとすれば実に納得できる。
0390人間七七四年
2011/12/15(木) 11:52:49.31ID:C9kR2DQw0391人間七七四年
2011/12/15(木) 15:01:57.59ID:8nyMdTnt馬に乗れない武将ばかりで、自慢の騎馬軍が弱体化したからなんだってさ
0392人間七七四年
2011/12/15(木) 15:38:15.69ID:YHuQReBOそして桶狭間においては今川軍に対して織田軍は圧倒的に少数だった件
0393人間七七四年
2011/12/15(木) 16:33:48.78ID:wsTox81S0394人間七七四年
2011/12/15(木) 17:19:17.05ID:dRX6uR2j信長は利家にケツをシャブられてたんじゃないのかw
0395人間七七四年
2011/12/15(木) 17:37:07.28ID:dRX6uR2j今川が家臣にかなり感状を出してる。
あきらかに桶狭間の戦いは今川の勝利。
織田はまったく感状を出していない。
義元が病かなにかで死去して撤退しただけ。
0396人間七七四年
2011/12/15(木) 18:21:38.41ID:b+M7wRKf周りの重臣も討たれたからそうなった
0397人間七七四年
2011/12/15(木) 18:34:44.62ID:dRX6uR2j多少の混乱はあるよ。
氏真に駿河と遠江を譲渡し、
三河は義元管轄で経営に乗り出し始めたばかりだったし。
その三河守に任官して間も無い義元が病死すれば、
家康じゃ無くても棚ぼたラッキーって考えるよな。
0398人間七七四年
2011/12/15(木) 21:04:26.04ID:b+M7wRKf0399人間七七四年
2011/12/15(木) 21:37:02.55ID:V2n1BQ8/少数が多数を破る事もあるがそれは多数が少数を破る数に比べれば圧倒的に少ない。
常に信玄が相手の兵力を上回る数で相手に挑むのも戦略的優位に立った上で戦術を展開する為だ。
0402人間七七四年
2011/12/16(金) 10:22:56.05ID:f/uv5BwDやっと三河経営を本格的にやろうと思った三ヶ月後に突然死じゃ
普通に三河なんて今川から離脱するわな。
そもそも三河の街道沿いしか満足に押さえてねーんだもん。
あとは散発的に国人豪族の一部に安堵を出して味方にしてるくらいで
面の支配じゃなく点の支配が始まったばかり。
0403人間七七四年
2011/12/16(金) 12:41:31.76ID:SLM5Lmyqからかもね。
0404人間七七四年
2011/12/16(金) 14:09:35.55ID:I0Z9jJiQ自由な身になった義元が三河へやってきて
これから三河に住んで今川の支配力を浸透させるぞー!って
張り切ってたのにね。
家康まで岡崎に戻してあげたのも義元が三河に住めば
充分に監視できるからだろうね。
そしたらポッくりいっちゃったんだろうね。
0405人間七七四年
2011/12/18(日) 04:21:22.39ID:14g7S4+m感状乱発はただ単に武将達を繋ぎ止めるため。
松平の離反を契機に有力武将の離反が相次いでいた。
0406人間七七四年
2011/12/18(日) 08:04:52.03ID:9Xge0ZUFつなぎとめるためなどと
主張してる研究者は全くいない。
デタラメ吐くな。
0407人間七七四年
2011/12/18(日) 08:19:40.27ID:wgu0H4cm現実問題として、義元死後は反乱が頻発して、織田方面を松平に任せきりにしてるうちに、
松平に見放されちゃったわけだがwww
今川が有利ならなんでこんな状況になってたの?
0408人間七七四年
2011/12/18(日) 09:07:46.01ID:9Xge0ZUF急死したから三河が離反したんだろ。
氏真に家督と駿河と遠江を譲り、
義元がこれから今川化を浸透させ
統治しようと思って三河へ移ってきた矢先だし。
三河北半分はほとんど今川支配は及んでなかったし。
0409人間七七四年
2011/12/18(日) 10:00:07.85ID:wgu0H4cmなんで今川家が有利ならあっさり松平が離反してるの?
家康が駿河で人質になってる前から、三河は今川の影響下でしょうに。
あと、その駿河と遠江で反乱が連発して氏真が鎮圧に手一杯になって、
重臣をまとめるのに文書を出しまくってるのは?
義元が病死しただけならそれまでの体制を継承すればいいだけだよね?
氏真には対抗馬になる他の継承候補も居なかったんだし。
そもそも桶狭間以降、三河以西にさっぱり軍事行動してない理由は?
三河一向一揆につけ込むことさえしてないよね?
0410人間七七四年
2011/12/18(日) 11:42:05.41ID:Yv9H6II8三河で今川が満足に抑えていたのは東三河と街道沿いだけだぞ。
岡崎も街道沿いにあったし。
そもそも家康の松平が西三河全域を支配してはいないし
北三河だってごく一部にしか今川は影響を及ぼせてない。
面ではなく点の支配しかできてないから
義元は三河守になって三河へ移住してきた。
0411人間七七四年
2011/12/18(日) 14:46:11.07ID:Av84lo0gまぁ、いいや。で、なんで今川は桶狭間で大勝利なのに、松平は織田に鞍替えしたわけ?
今川が有利ならそのまま織田と対決してればいいよね。
現実に桶狭間直後は単独で織田に対抗してたんだし。
0412人間七七四年
2011/12/18(日) 15:37:34.28ID:bT3iUGAS0414人間七七四年
2011/12/18(日) 19:51:58.27ID:ve80EClc0415人間七七四年
2011/12/18(日) 19:56:35.01ID:E0PY7V1d全板チームトーナメント投票の案内です
今日が決勝・狼の優勝がかかった試合なのでお時間よろしければ投票お願いします
こちらのページで投票コードを取得 PCは10分・携帯は待ち時間なし
http://ttoname.sakura.ne.jp/
|.T..| [[ここにコードを入れてね]] <<狼>>
| e |
| a |
|.m.| ノソ*^ o゚)|
| 0 | ※パチパチ
| 1 | 戦国◆だが連
↑こちらを投票スレに投下します↓
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/vote/1324105858/
ノソ*^ o゚)< ℃-ute連のスレもあります。遊びにきてね!
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1323181954/
0417人間七七四年
2011/12/18(日) 22:53:49.60ID:H0sW5QYK則ち勝利。
0418人間七七四年
2011/12/19(月) 00:07:39.50ID:dKBhxLhK0419人間七七四年
2011/12/19(月) 00:13:48.17ID:zCOx3e8A0420人間七七四年
2011/12/19(月) 13:41:52.29ID:sQKuajvU三河国への義元の発給文書が
わずか18通だもんな。
今川が三河をまったく支配なんてもんは成立してない。
今川はせいぜい渥美郡くらいしか支配できてない。
0421人間七七四年
2011/12/19(月) 14:17:12.10ID:QurEpStC0422人間七七四年
2011/12/19(月) 15:14:45.54ID:m6mY74mc義元を巨大な虚像にしただけ。
実際は田原城を攻略した
太原雪斎が死んだ後ほとんど領地も増えてない。
0423人間七七四年
2011/12/19(月) 15:39:05.86ID:e07fnA2Z三河が義元の支配になって日が浅いだけ
0424人間七七四年
2011/12/19(月) 17:51:43.80ID:sQKuajvU3月竹千代元服し元康となる。
閏10/10雪斎死没
10/15信玄が負けそうになり第二次川中島の戦いの援軍にきていた今川により甲越講和を斡旋。
弘治2年
10/4氏真と共に母親の寿桂尼を見舞う。
11/19山科を招き和歌会を催す。
弘治3年
1/13歌会始めを氏真邸で開催。
1/15駿府で大火事100軒あまり消失。
山科ら駿府を観光してまわり3/2に帰京するにあたり太刀を贈る。
年末の甲州は日照り。
弘治4年(永禄元年)
2月に織田方の三河加茂郡寺部城(豊田市)の鈴木氏や(家康の初陣となった)
5月に加茂郡名倉船戸橋城(設楽町)で織田軍と戦う。
永禄2年
2/2信長が上洛して将軍に謁見
5月頃に氏真に今川家督と駿河・遠江の支配権を譲渡する。
甲州で年初と年末に雪代水や大雨で田地や家や村が流され
川除普請が行われる。
永禄3年
甲州で大雨と疫病がはやってボロボロな年になる。
そのためか3/3義元は浅間神社に会舞楽装束を寄進・久能寺に灌頂道具を寄進する。
5/8義元が三河守に任じられ5/12に駿府から三河へ移住のため出発。
5/19義元急死。6/5臨済寺にて盛大に葬儀が行われる。
6/23義元死後も甲駿同盟の継続合意の話合いがなされている。
永禄4年
1/20義輝が信玄に氏真方と元康方の合戦?で
関東への通路不通を嘆き和睦斡旋するよう御教書を出す。
3月謙信が小田原包囲。上杉軍の川越攻撃に武田・今川軍が北条支援に出撃。
6月氏真が元康の逆心と判断。
永禄5年正月元康が信長と同盟し西三河を平定しようと狙うも
三河一向一揆に悩まされるようになる。
甲州でやっと疫病が収束するも11月から日照り。
永禄6年12月以降、天野氏・飯尾氏、堀越氏など
相次いで今川を離反自立する遠州錯乱が開始され今川衰退始まる。
0425人間七七四年
2011/12/19(月) 19:06:37.05ID:sQKuajvU加茂郡寺部城の鈴木氏は家康の祖父の松平清康の宿敵
義元は家康の初陣に今川軍の援軍を付け岡崎へ送り
祖父以来の敵を討たせ寺部城攻略を成功させる演出をしている。
茂郡名倉船戸橋城は奥三河に位置しており、
そこまで織田の勢力圏が伸びていたのがわかる。
0426人間七七四年
2011/12/20(火) 13:12:26.47ID:Mvj9vSc3>>寺部城攻略
実は織田方にすぐ奪回されてるっぽい。
城に砦を築いて寺部城を攻撃してる匂坂長能が今川の将だし。
それで来年(永禄2年)の義元出馬が書かれてるけど、結局出馬してない。
0427人間七七四年
2011/12/20(火) 15:05:40.16ID:S9/y8Vbi周りの討たれた重臣をソースつきで列挙してください。
私が調べたところ
誰も討たれてませんのでソースください。
0428人間七七四年
2011/12/21(水) 07:09:07.49ID:iR5+AcPb大体>>395の義元病死の根拠出す方が先だろ糞だがw
三河物語や信長公記他もろもろ信長の行動が書いてあるのにそれを覆すんだから
さぞや何か強い根拠となる史料があるんだろうな?
0429人間七七四年
2011/12/21(水) 09:09:49.33ID:Xvv8/hGw桶狭間の戦いの発生時期を
天文21年とするなど信憑性がかなり低いデタラメ。
三河物語の作者大久保が生まれたのは
桶狭間の戦い発生年とされる永禄3年で知らずに書いてるから
桶狭間における信長と義元について超簡潔に書いてる。
信長公記のでっち上げを信じた
大久保が便乗して家康のウソ武勇伝を創作しただけだろ。
>>424
永禄5年に行った検断が原因で、
6年正月から反松平の三河一向一揆が蜂起したとは言え、
吉良氏などが背後にいたようで、
東三河は駿河化したと書いてるくらいで、
家康は岡崎の維持すら苦戦している。
義元の死に乗じた家康が自立した時こそ
歯肉なことに、かえって三河の今川化促進されたと言える。
やはり桶狭間の戦いは数々と感状からみても
今川が勝利したことで、三河がより今川化したことと合致する。
0430人間七七四年
2011/12/21(水) 09:18:12.49ID:c7nPyfOOそのりくつならさ、今現在に生きるお前の説明なんか米粒ほどの価値も無いってことだぜ?
0432人間七七四年
2011/12/21(水) 11:27:32.61ID:Xqx2zDLk恩賞と感状を相次いで出してるので、桶狭間の戦いは今川の勝利の可能性が高い。
織田は感状を一切出してないのに義元の急死を良いことに勝ったと歪曲した。
0433人間七七四年
2011/12/21(水) 11:37:27.27ID:Xqx2zDLk遠州錯乱とか遠州忩劇と呼ばれる
遠江での相次ぐ反氏真
国人達の自立行動により
三河とも連絡が取れなくなったから。
その隙に家康が永禄7年6月に吉田城を徳川方にしてしまった。
0435人間七七四年
2011/12/21(水) 17:37:36.20ID:Xqx2zDLk氏真は三浦正俊や小野道好ら側近を重用し独裁した為に、
遠江曳馬城主飯尾連竜が、
犬居城主天野景泰・元景父子、二俣城主松井宗恒ら
政権から外された遠江の国人重臣達を誘い今川から離反した。
0436人間七七四年
2011/12/21(水) 19:50:53.86ID:6gkfDBFEhttp://www26.atwiki.jp/dagamatome/pages/22.html
0438人間七七四年
2011/12/22(木) 18:08:17.80ID:lizNsTfs信長公記にあるだろw
大体領主なのに行方不明でどっか行きましたとかねーわw
戦意高揚のために感状を多く出すのも別に不思議ではない
ただえさえ義元らが奇襲を受けて戦死するまで今川優勢だったんだから尚更だ
そもそも信長が死ぬ寸前までいってるのに義元の病死で軍を返すなど判断ミスもいいと
有利な条件で和睦して尾張一部をかすめとるくらいはできる
0440人間七七四年
2011/12/22(木) 19:09:52.71ID:Og3JLnW3これらと信長公記の合致
否定する根拠がぜひとも知りたい
0441人間七七四年
2011/12/22(木) 22:09:16.26ID:lizNsTfs0442人間七七四年
2011/12/23(金) 11:49:27.59ID:OGtsd4Nu>>440
こーよーぐんかん→信長公記からのパクリ。
家忠日記増補追加→鴨川達夫氏も後世の創作と断じてる。
静岡県史中世二の2769、2778、2788→書状の写しであり
原本が存在しない偽書状。
しかも2788に至っては急死した義元の援軍に氏真が出馬する姿勢を
示していてありえない。
家の相続を含めた体制再構築をしなければならない時期に、そんな軽挙をするわけがない。
宗三左文字の銘には信長が尾張守と刻んでいて、信長が尾張守になるのは先の話で
しかも尾張守の名乗っていた時期はとても短く年代がまったく合わないので明らかに後世の刻。
0443人間七七四年
2011/12/23(金) 12:28:23.25ID:JQEKVYJSほぅ、なるほど
学者の権威を重視してらっしゃるようで
ならば日記増補追加以外もそれら史料を否定してる奴ら列挙してくれたまえ
お前みたいなゴミクズの指摘なんかよりよっぽど価値が有るだろ?
え?ない?
そう、ならおまえの独自研究に基づく研究成果を発表してたの?w
違うなら桶狭間が無かったなんていってる奇天烈な学者も挙げろよw
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1309145931/400
>400 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2011/12/23(金) 11:02:07.62 ID:OGtsd4Nu
>>392
>信長之御手は旗本近く迄切被レ立、各々爰はの衆が打れけれ共、
>家康が勝って切り込んできたから織田軍は助かったと三河物語に書いてんだろ文盲かよw
それとこのスレでは三河物語を史料として認めてるけど、コレとの整合性も説明してくれたまえよ
大久保は姉川の時は十歳だろw
0444人間七七四年
2011/12/23(金) 13:56:10.98ID:OGtsd4Nu実際に徳川軍が姉川の戦いに参加してるのは
各種の一次史料から間違いないだろ。
それを親族から直接に伝聞できいた大久保が記したなら
正しいだろう。
しかし桶狭間の戦いには徳川軍が参加した証拠は一次史料には無い。
0447人間七七四年
2011/12/28(水) 04:05:28.99ID:NvJlWGgM0448人間七七四年
2011/12/28(水) 12:23:30.89ID:IwRZIN4v0449人間七七四年
2011/12/28(水) 12:54:01.07ID:qh1/uV/fあの人らは公に名前を出されて叩かれて名誉に傷つくから相応にしっかりしたことを書こうという意志が働くが、ここだと何書こうが被害は無い
だから桶狭間はなかったなんていってるのは小説を生業にしてるやつらぐらいだろ
0450人間七七四年
2011/12/28(水) 13:26:16.36ID:2yoCETeW二次史料以下の軍記からの抜粋ですよ。
0451人間七七四年
2011/12/28(水) 14:05:21.02ID:qh1/uV/f0452人間七七四年
2011/12/29(木) 08:14:19.17ID:IETIJTnP0453人間七七四年
2011/12/30(金) 10:58:49.77ID:ke+CWghb1の動員力の話が覆るから揉み消すのに必死なんだろ。
0454人間七七四年
2012/11/30(金) 22:09:14.24ID:jiF5fRIl大友宗麟が禿げ胴だってさ
0455人間七七四年
2013/02/19(火) 07:16:14.71ID:sd8sYVWN信長記と区別つかんアホが一次史料だソースだ抜かすな
0456人間七七四年
2013/06/25(火) 15:13:43.76ID:jWf4+/oE3万しか動員できなかった信長
兵糧や衛生管理や屎尿対策の壁で一戦場3万が動員限界とされたのが戦国時代
賎ヶ岳の戦いでの一次史料では
柴田軍3万と秀吉軍が4万+秀吉馬廻衆
秀吉は武田軍の兵制を学んだのか動員限界の壁をぶち破りはじめている。
そして小牧長久手の戦いでは信玄が自由に指揮していた根拠とされる陣立書を秀吉も作るようになる。
陣立書は今までのような一揆的秩序の貫徹する軍隊内部に
命令系統と上下秩序を持ち込む戦争史の画期といえるもので
これを以って中世の軍隊との決別する新たなる公儀的軍隊編成となったとされている。
これにより、特定の戦争を想定し、自己の軍勢を最も効率的に配置し布陣することが徹底されることになる軍事革命である。
これが可能になる条件は徹底した検地を通じて軍役や普請役の統一的賦課基準を確立しなければならない。
いい加減丸投げ統治の信長には最後まで考えつくことはできなかった。
0457人間七七四年
2013/06/25(火) 15:20:12.28ID:jWf4+/oE秀吉は農村の生産力確保維持政策が基本にある
(生産力・経済の概念は遠征補給兵站思想と、重商主義的な朝鮮出兵ビジョンが視野にあるから)
そのため島津に対して豊後の民を返還しろと命じたり、
宣教師に奴隷売買すんなや!と激怒し、宣教師が苦し紛れに
日本人が売るからポルトガル人が買うだけで私たちは苦しく思ってたと釈明していたり
キリシタン禁止理由として「本願寺一向宗のように国を奪い戦を起こすようにする企みがあり
しかも本願寺は百姓を惑わしたが、キリシタンはさらに悪質で領主層を惑わす。
秀吉が給付した領地の主人は変更することはあるが、其の地の農民の移動はない。
それなのにキリシタン大名が秀吉の許可も得ずに領地の寺社を勝手に燃やしたり略奪するのは許されない。
宣教師の企みを喝破できたのは日本の中でいまはまだ私だけだ」と言っている。
信長のようにただ単に興味本位で珍しい新しい物好きで宣教師を厚遇してるバカとは違う。
秀吉の諸政策は、織田狂信者のエセ作家によればすべて信長の脳内にすでにあったと捏造してるのが笑えるw
池上裕子
武田家の軍役衆は武田家直轄でそれを家臣に預けるだけ。
よって槍3人・弓3人などの賦課で軍役に応じて集結した彼らを解体し
兵種ごとに再編成することが可能。
これは武田が寄親寄子制からいち早く脱却したことを表している。
黒田基樹
信玄の永禄10〜12年年のものと思われる陣立書によって兵科別の編成が証明できる。
兵科別の編成がなされていたから
北条・上杉・武田は部隊別の兵種の占める割合がわかるんだよね。
だけど織田はそんなことやってないからまったく不明。
北条なども検地を通して軍役を賦課してるし
ほぼ武田と同様になってるよね。
すると軍事・統治で言えば、畿内は関東よりもはるかに遅れてるね。
畿内でも浅井や六角などは主君が重臣に議題を諮って合議により決断し
連名書状を出すし、
その大名や重臣権力を支えた惣村や堺などの自治も発達。
0458人間七七四年
2013/06/25(火) 15:21:52.87ID:jWf4+/oE関東は進化し、畿内は時計の針を逆戻ししただけ。
武田軍は輪番制や村請、印判衆がいるので軍役衆は帰る必要が無い
知識が40年以上前から進展せず、知恵が小学校低学年のまま進歩しないのが信長
信長のように現地調達・恐喝・虐殺略奪による
一国亡国と言われる略奪型軍隊では話にならないわ。
それに天正3年軍役帳において後継者の1位の景勝に続いて
2位 山浦上杉国清(養子として信濃村上国清をネジ込む)
3位 上条上杉景信(この古志長尾景信のこと。こいつの跡を河田長親が継ぐ予定ですでに古志衆が付けられていた)
4位 上条上杉政繁(能登畠山氏の出説あり。この後は能登畠山義春が継ぐ予定)
こんな感じで家格の序列で在地領主権のない他国者が上位になるように仕向けられてる。
家中と在地領主権の改革が実行されてるのは明白なんだけど。
こういう在地領主には不利益になることを実行してた時期の上杉軍はいまいち奮わなかったけど
この天正3年の家格序列を基礎とした軍役をかけてからの上杉軍は異常に強い軍になって北陸制圧までしてる。
謙信がもうちょっと長く生きていたら完全に官僚化がなされていたよ。
残念だったのが上杉景信が謙信より長生きしてしまったことか。
景信から河田への古志長尾の反発を抑え込んでの継承が完遂していれば
上田長尾との対立の歴史が消え御館の乱の勃発を防げていた。
島津が「こんな遠くに秀吉はこないだろう」と思っていたのは本当
それは別にお前さんが言ってるような政治的理由なんか関係ない
博多があろうとなかろうと、島津は秀吉はこれないと思っていた
それはなぜか?距離の問題だ
適当体制の信長が武田攻め程度の距離で、兵糧におっかなびっくりになってた事実を
考えてみろ
旧来の放任主義な適当体制じゃ、九州まで10数万もの兵を送り込んで維持する事はできない、
送れる兵力なんてたかが知れてる、それなら島津が遅れをとる事はない、
これが島津の目算だったし、それは実際にある程度ただしかった
信長政権のままだったら九州に大軍で侵攻する事は難しかったろうな
しかし、当時には東国で既に今川・武田・北条・上杉をはじめとして領内に細かく指示を出して、領国を整備・掌握し、
それによって軍役や軍事力の構成、さらには兵站を円滑化させようとする試みが進められ、成功していた
秀吉はそれと同じような要領で、信長がそれまで手をつけなかった畿内の流通や利権の掌握・整備を進めていき、
10数万もの大軍を九州まで送り込み、維持する事が出来る体制を作る事に成功したわけだ
西国の領国統治体制は東国の先進的な有力大名達ほどには進んでいなかったので、島津は自分達を前提にして
畿内政権の兵站を測ったし、それは信長政権に関する限り正しかった
豊臣政権にしても、ここまでしても九州平定までの間、兵糧が持つかは常に危機感としてあったから
島津は決して根拠ない目測をしていたわけじゃなかったわけだ
実際に信長生きてる当時と豊臣政権の安定度はまるで違う
信長は兵站に苦労しながら小規模に兵力あちこちに送り込むか
反乱鎮圧に躍起になって生涯終えた気がする
0459人間七七四年
2013/06/25(火) 15:25:24.14ID:jWf4+/oE北九州の戦国研究で有名な吉永正春氏も
毛利や大友などを調査しても
一戦場に3万が限界だと言ってる。
一次史料を見ると信長も1万〜3万くらいだよな。
秀吉はそういったシステムを作る天才だから
速攻で全国制覇したし、海外遠征まで実現できた。
秀吉は兵站補給概念を持っていて奉行衆による計画的な物資管理や
大軍進駐に伴う排便処理による衛生管理を編み出すことで
信長には不可能だった「位攻め」戦略を多用し瞬く間に天下を統一してしまった。
位攻めとは、圧倒的大軍を用いて相手の軍の士気を崩壊させ服属を強要する戦略。
信長の現地調達方式では大軍の集中は不可能であり、
戦力崩壊を起こす攻勢限界点が存在する。
すでに美濃の隣国信濃への出陣である武田攻めにおいて、
遠陣だから率いる人数を抑えることで兵糧が続くように。
しかし戦力ダウンにならないように剛力の者を選んで引き連れよと人数調整をしていた時点でお察し。
信濃より遥かに遠い備中への遠陣である毛利攻めで旧来の遅れた兵制の信長は討死していただろう。
0460人間七七四年
2013/06/25(火) 16:12:13.19ID:PjTj6ghX>>賎ヶ岳の戦いでの一次史料では柴田軍3万と秀吉軍が4万+秀吉馬廻衆
天正11年5/15秀吉→小早川書状の曲解乙
「先手の備をは二万計濃衆岐阜口へ相向、」「滝川をも二万計にて取巻候事」と滝川包囲の伊勢方面軍と
秀吉方の美濃口に向かった先手勢だけの兵力で、当然先手と滝川包囲軍が全てなわけがないのでこれは単に秀吉方の軍のごく一部なだけ。
西は宇喜多・南条領の備中・備前・美作・伯耆、東は美濃、尾張、北は若狭・近江まで広範な版図持つ秀吉が4万+馬周りとかそんな少ないわけねーだろクズ
>>459
>>一次史料を見ると信長も1万〜3万くらいだよな。
天正3年5/15奥平書状で織田徳川で7万騎動員してるのがわかる
毛利軍も高松攻防時5万と秀吉が本能寺後の書状で書いてる
柴田も上杉討伐の時45000の大軍を動員してるのが享禄以来年代記でわかる
手取川合戦では織田軍は主力級総メンバー連れており、少なくとも長家家譜のように4万越えはしてるはず
国力に対して課されるのが動因数で国力があっても大軍を集結できない大名なんていねぇよクズw
一揆とか国が疲弊・瓦解してるだけだろうがw
0461人間七七四年
2013/06/25(火) 16:36:17.30ID:uAmDcEeIおいおい愛知県史ですら検討の余地ありとして、この写を偽書状認定してるだろ…
>>毛利軍も高松攻防時5万と秀吉が本能寺後の書状で書いてる
あれ秀吉が自軍兵力を2万か3万でとか書いてて好い加減だろ。
信孝相手にどんだけ俺が苦難と苦労してたと思ってんだ〜みたいな文章で敵兵力を吹いて誇張して、
自分の正統性をアピールしてるにすぎんでしょ。
そもそも褒美すら満足に出せず、国人に欠所地を自分で探してきたら、
そこを加増してなるとか言ってる毛利にそんな経済的余裕ないし、
そんなに兵力あるなら清水宗治を見捨てて和睦に応じないだろ。
0462人間七七四年
2013/06/25(火) 16:47:08.97ID:PjTj6ghX検討の余地ありは=偽書状ってことではない。本物でない可能性ありってだけだろ
>> あれ秀吉が自軍兵力を2万か3万でとか書いてて好い加減だろ。
本当にそれだけいるかどうかはともかく一次資料でいいなら上記のようにちゃんと大軍動員してる例はあるわけで。
>>そんなに兵力あるなら清水宗治を見捨てて和睦に応じないだろ。
有利な状況や大軍があっても味方を見捨てたりチャンスをむざむざ無駄にするのが毛利。
中国口の播磨但馬の攻防のときとか関が原の時とか本能寺の時とか見てれば毛利が天が与えた幸運や超有利な状況でも何もせず負ける馬鹿なのは
史実みてればわかる
0463人間七七四年
2013/06/26(水) 12:30:25.64ID:X35ir+6V0464人間七七四年
2013/06/26(水) 22:05:34.79ID:n85QlNob(信長卿とか、盟約や婚姻など神仏に誓う文面じゃないのに、わざわざ天正とか書いてたり)
さらに徳川が2万余騎を動員してるとかあり得ないし、
しかも信長が岡崎に着いた日も間違えてる書状の写なんて…
検討の余地ありって言い回しを使うのは、
それを持つ人の手前、はっきり断ずることを避けて配慮してるからだし。
アンチ秀吉キチガイのお前の主張はいつも無理やり過ぎるわ。
0465人間七七四年
2013/06/26(水) 22:33:17.37ID:ARF23aiS偽書状と判明とか書いてるならともかく検討の余地ありだけでは偽ってことにはできずむしろ
今のところ本物だが偽かもしれないってだけだろ
0466人間七七四年
2013/06/26(水) 22:53:58.01ID:Mg7okv9Q0468人間七七四年
2013/06/27(木) 13:03:06.11ID:pmVJsRAu0470人間七七四年
2013/06/27(木) 13:31:50.12ID:AqD0ez8G織田の場合は戦線が複数あったから一箇所に超大規模の大軍が集結しなかったというだけだし
信長公記基準だとかなり大軍動員してるし島津も大友も動員してる
0471人間七七四年
2013/06/27(木) 14:40:08.80ID:pmVJsRAu太平洋戦争のころにそんだけスーパー兵站力があればよかったね。
0472人間七七四年
2013/06/27(木) 16:44:36.92ID:JxowQN5k0473人間七七四年
2013/06/28(金) 05:42:48.96ID:mB4EZVAt0474人間七七四年
2013/07/23(火) NY:AN:NY.ANID:Ctti6iUD天正3年5/15奥平貞能→奥平信昌宛書状写どころか
実は奥平氏系の書状には怪しいものが多い。
というかそもそも長篠の戦いにおける書状も結構に怪しいもんが多い。
5/19付け家康→石川伯耆・鳥井彦兵右衛門宛書状家康の花押が
天正7年以降のものなので、長篠合戦譚から作成された疑惑が出されたりと
愛知県史での収録の時に大問題となったが、偽との決定的証拠もなくグレー判定だった。
しかし播磨良紀氏は偽書状とする決め手がなく、県史での議論で押し切れなかったことに悔しさを滲ませている。
また天正3年7/20信長→岡三郎宛書状写(馬場討ち取り)なども偽書状とされてる。
長篠の戦いについては大きく見方を変える必要がある虚構性の高いものだといえる。
まあ有名な戦に関する書状は価値が高いし、先祖がそれに参加してるとなると家の名誉だから
捏造書状は作られやすい。
0475人間七七四年
2013/07/25(木) NY:AN:NY.ANID:5D3pb/kR写しって言っても軍記や家譜に書かれてるのは
非常に疑わしいから。
特に関が原軍記大成に出てくる秀家に関白職を譲る書状の写しとか
関が原決戦を前に秀秋の内応を誘う東軍の書状とか完璧な偽書状写だし。
0476人間七七四年
2013/07/25(木) NY:AN:NY.ANID:5D3pb/kR>>秀家に関白職を譲る書状
秀秋に関白職を譲る書状
に修正。
なぜか秀秋擁護に全力なのが笑えるw
0477人間七七四年
2013/07/26(金) NY:AN:NY.ANID:bdf5HbAFそれを公家が日記に記入してる証拠として
叡山焼討ちで言継卿記が伝聞から3000〜4000人殺されたと驚いているのを
年代記抄節はおよそ1600余人と誇張に惑わされずに冷静に書いてるし、
兵力に関しては過大に吹聴してるのを聞いて書いたものより、
むしろ公記の方が正確。公記の兵力数は朝倉方などの記述と近い場合なども多い。
本願寺攻めに失敗し5月の原田(塙)戦死したあとの信長出陣で勝ったと宣伝してるが
(天王寺の戦い・・・公記には数千挺の鉄砲に狙撃される中を信長が突撃して大勝利したとデタラメを吐く)
5/11勧修寺晴豊らが戦勝祝賀の勅使として摂津国へ下向するやウソ戦果と捏造戦況がバレて
相当な危機感を持った朝廷で12日夜からさっそく朝廷で右大将出陣御祈祷が一週間に渡り開始される始末だし
(同時期の柴田書状には能登・加賀・越中を織田が平均したとデタラメを吐いてる)
姉川の戦いでの言継卿記でも浅井討ち死に、その他8000討ち取りとか書いてる。
また越前以下9600討ち取り(公記ですら浅井の死者1100と書いてるのにw)
そんなに討ち取ったのなら志賀の陣のような体たらくにならんだろう。
長篠の戦いでも大げさな戦果な上に、勝頼も死んだとか書いてるのが信長。
長篠の戦いの信長による戦果捏造宣伝工作
5/26信長書状には「数万を討取った。勝頼の死体も河に漂ってるだろう」などと
誇張しまくりを書いていて5/21の戦い当日付の兼見卿記にも信長が一戦に及んで
数千騎を討死させたと書いてる(騎馬武者だけで数千もいたのかすら怪しいデッチあげぶりw)
つか、こりゃあ武田大騎馬軍団だなw 実際の武田軍の損害については
実際に鉄砲衆を調達してから長篠に従軍した大和国の筒井衆が無事に大和国へ帰り着いた
5/27に記された大和興福寺の多聞院日記の千人ぐらい討死が比較的正しいだろう。
(それですら筒井勢が武勇自慢の宣伝をしている可能性がある。
と言うのも、そんなに圧勝してるなら天正10年の武田征伐を恐れた大和衆が
甲斐国越後国衆弓矢天下一之軍士などと不安を訴えたりするだろうか)
5/24に兼見卿記が記す、光秀と会談した際に聞いた長篠の戦いの話では
「ことごとく討ち果たした」に表現が大幅に後退している。
ちなみに6/13の謙信への信長書状では嘘がすぐバレると思ってか
「数知らず」と書いて討取り数を明言しなくなっている。
さらに家康が駿州へ軍事行動をしていることに触れた後に織田軍は兵糧がまだできてない間は軍を出せないので
(6月の時点では米が尽きていて収穫期の)来たる秋まで動けないと書いている。
織田軍は兵農分離どころか、思いっきり農業スケジュールに左右されている
徳川軍よりも遥かに後進的で古い軍隊組織体制なのがわかる。
家康の知恩院宛て6/22書状でも武田之家討ち果たし候様子を聞いたようですね
などと書いていて討取り数にまったく触れていない。
実は虚報ばかりで討ち取り数すら明言できないのが戦後の織田w
実際にはそんなに討ち取られていない可能性が高い。
0478人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:qRLsuVSl0479人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:qRLsuVSl三好実休が根来寺側の砲撃で戦死したりしてるが
畠山1万、三好方17000の兵力で、
近国無双の大合戦って言ってるくらいだからな。
0480人間七七四年
2013/09/09(月) 11:07:03.32ID:QaPK4+QS愛知県史では第一線級の学者が集められて
一次史料か偽書状かで相当な議論があって、
その結果、永禄3年以降からの収録になったくらいだからね。
永禄2年以前はあまりに偽疑いが酷いようで。
0481人間七七四年
2013/09/12(木) 00:09:33.35ID:FgYrz0eTそういや高天神城落城を喜ぶ3/25信長→家康書状も偽書状らしいね。
これ高天神城皆殺しして勝頼の威信を失墜させたことを証明する書状で、
一人も洩らさず討ち果たさるの由って書いてる。
でも、宛名は三河守殿などと不審極まるもんだし、
なにより天正4年以降の信長は天下布武の朱印か黒印による印判を使っていて花押を書いたりしてない。
さらにこの信長花押は非常に珍しい形で類例がないそうだ。
0482人間七七四年
2014/02/19(水) 22:45:09.99ID:yMsMH2q6ワロタw
0483人間七七四年
2014/04/12(土) 18:42:34.80ID:euFOO/iP織田の場合は戦線が複数あったから一箇所に超大規模の大軍が集結しなかったというだけだし
信長公記基準だとかなり大軍動員してるし島津も大友も動員してる
0484人間七七四年
2014/04/12(土) 18:44:41.36ID:k3wc4mYh中国とかヨーロッパの戦史とかだとそれより遥かに昔の時代に規格外の大軍が動員されて動かされてるのに
戦国期の日本の軍隊の動員数が2〜3万が限界とかアホにも程があるだろ。
戦史まともに勉強しろや。確か元寇のときでももっともっと動員してただろ
0485人間七七四年
2014/04/12(土) 18:47:45.42ID:Y9ZP1SIg大軍を河内に集めてるのがわかる
織田は西は播磨方面北は丹波越前加賀
東は美濃飛騨と広範な版図を有するため、一箇所に兵を集中できないから、でFA
ゲームじゃあるまいし
複数に戦線があるのに一箇所に全ての兵集中とかできるわけねーしな
大体織田の国力でいえば15万くらい余裕だろうし
0486人間七七四年
2014/04/13(日) 10:17:23.72ID:9b72wy4n偽だが単発ID自演乙w
兵站概念がない織田は総力を集めた決戦用で一戦線に集中できる兵力上限3万が限界。
織田は一国亡国平均政策のもとに、
軍を各地に駐屯させて恐喝略奪放火虐殺をして兵を養うため、
各地に駐屯するしか維持することが出来ない。
南北朝や源平での数十万動員なんてのは軍記話であって一次史料では存在しない誇張表現にすぎない。
略奪軍は一次的に兵力増大は可能だがすぐに枯渇し長続きしないため現実的じゃない。
だから知将名将はそういうダメ戦略を用いない。
日本と大陸では比較対象にならない。
中国のような兵糧を集積した施設や、
富が集中した長期籠城に対応した城郭都市からの補給が可能な地域では長く兵力を維持し養うことが可能。
しかし、日本には城郭都市は無いし、兵糧集積地も無いし、
通商キャラバン商隊との合流や、
遊牧民族のような燃やし奪い移動する廃都遺棄前提の略奪移動型のような馬による大移動型軍隊ではない。
まあ信長のやっていたことは遊牧民族のような行為であったのは事実だが、
それを逃げることが出来ない土地に依存していた農民相手にやったら喰えなくなった領民に支えられる領主も含めて、
一揆謀反だらけになるだけで、
まともな統治は行えないから撫で切り根絶政策に陥り、次から次へと敵が増えるだけ。
結局、信長は石山本願寺を支えていた、
高野山、粉河、根来、雑賀などの4大宗教団体で組織構成された
フロイス曰く紀伊共和国に敗北し謀反死した。
しかし兵站概念を持つ秀吉は規格外の大兵力を投入した位攻め戦略で彼らを速攻で降伏に追い込み、
彼らに船を出させて四国すら瞬く間に制圧してみせた。
家康は彼ら同盟者を見捨てて震えあがりビビっていた。
0487人間七七四年
2014/04/13(日) 12:00:55.61ID:FZdAzpYL大軍を河内に集めてるのがわかる
織田は西は播磨方面北は丹波越前加賀
東は美濃飛騨と広範な版図を有するため、一箇所に兵を集中できないから、でFA
ゲームじゃあるまいし
複数に戦線があるのに一箇所に全ての兵集中とかできるわけねーしな
大体織田の国力でいえば15万くらい余裕だろうし
0488人間七七四年
2014/04/13(日) 12:13:44.74ID:9UAQeHnS倶利伽羅峠の戦い(平家兵力4万)
篠原の戦い(平氏方兵力40000)
一の谷の戦い(源氏方兵力66000)
元寇(日本方兵力10万)
筑後川の戦い(両軍計100000)
四條畷の戦い(足利軍60000〜80000)
湊川の戦い(足利軍50000)
0489人間七七四年
2014/04/13(日) 12:17:58.93ID:FZdAzpYL○秀吉は城攻めがうまい→デタラメ。松ノ木・三木・戸木・長久保・韮山・鳥取など大苦戦
圧倒的資金力と人心掌握と大規模軍隊が必要な水攻めや兵糧攻めや降伏勧告で楽に勝ってるだけ
○秀吉の墨俣一夜城→一次資料にない太閤記のデタラメ
○農民からの出世話→史料にないデタラメ。一次史料初見でも1565年時点で重臣と名前を連ねて領土安堵状を坪内氏にだしてる
程の身分
○秀吉の中国大返し→6/4高松で高松出発は6/4播磨に移ったのは6/6 摂津尼崎に6/9
6/12に富田着陣 6/13に山崎合戦だから9日〜10日かかってる から全くといっていいほど速くないどころか
むしろ遅いくらい。
○金ヶ崎の退却戦→史料にないデタラメ。朝倉は金ヶ崎なんて無視して湖西方面に出兵してる。
ちなみに朝倉の軍勢はせいぜい10000程度なので秀吉徳川池田などで余裕で6000程度は行くから守るなんて余裕すぎる。
0490人間七七四年
2014/04/13(日) 12:18:40.22ID:FZdAzpYL朝鮮出兵なんて馬鹿な戦を
>帝国主義・重商主義の世界史的な流れを理解し 大陸進出により、日本が強国で植民地化が不可能だと悟らせた。
>看羊録には、秀吉の朝鮮出兵は諸大名の力を削いで 戦乱や領地を望む心を奪うためと書いている。
>戦国の機運を終わらせるためには強権発動も必要なのだろう。
>国内で変事を起こさせないように兵を消耗させ
>戦国の気風がある荒々しい武将どもの内乱意識を消す戦後処理を謀る意図があったとする。
>また土木工事も諸大名の経済力を奪い取ると同時にインフラ整備と経済活性政策であった。
こんなすり替え方してマンセーの流れに入れ替えるとか馬鹿すぎる。その結果が豊臣崩壊じゃねぇかw
秀吉厨のデタラメ
>>「一次史料を見ると信長も1万〜3万くらい
>>兵糧や衛生管理や屎尿対策の壁で一戦場3万が動員限界とされたのが戦国時代」
天正3年5/15奥平書状で織田徳川で7万騎動員してるのがわかる
毛利軍も高松攻防時5万と秀吉が本能寺後の書状で書いてる
柴田も上杉討伐の時45000の大軍を動員してるのが享禄以来年代記でわかる
手取川合戦では織田軍は主力級総メンバー連れており、少なくとも長家家譜のように4万越えはしてるはず
国力に対して課されるのが動因数で国力があっても大軍を集結できない大名なんていねぇよクズw
一揆とか国が疲弊・瓦解してるだけだろうがw
軍なんて鎌倉や南北朝時代の戦争でも動員されてるだろ
織田の場合は戦線が複数あったから一箇所に超大規模の大軍が集結しなかったというだけだし
信長公記基準だとかなり大軍動員してるし島津も大友も動員してる(耳川や水俣城攻防戦など)
足利軍30万騎とか書いてあるね。
多聞院日記や兼見卿記をみると15万とか10万とか天正5年で動員してるし
戦国期より遥かに兵站技術が遅れた鎌倉や南北朝戦争でも数十万の大軍が一遍に動いてるのに
兵の動員数に限界数値があるわけねーだろアホ
ローマ軍や清とか中国の王政はどうなるんだよ馬鹿がw
0491人間七七四年
2014/04/13(日) 12:40:30.18ID:5t/9ciIY毎回圧倒的大軍で敵の反抗を諦めさせてるだけ。位攻めというのは敵の反抗を諦めさせる規格外の大軍と、
敵の諸城の周辺に完全な攻囲のための砦や根城などを築く技術と、長期戦に耐えうる物資さえあれば誰でも可能で
最も指揮能力や采配能力が問われない楽な戦いだからね。でもそんな超絶ヌルゲーですら秀吉は失敗して家臣を多く殺されたりしてる。
例えば小田原合戦の時も享禄以来年代記によれば29万、那須記や榊原書状によれば50万といわれる圧倒的な大軍だった。
しかしわずか34500しかいない北条とまともに戦いだすと半月くらいで終わってもおかしくない兵力差で豊臣は一柳や堀尾の嫡男、前田重臣、平岩弟や依田が戦死し、氏家も負傷。
韮山500や忍城1000では豊臣は苦戦しまくり小田原1000程度に手も足も出なかったのが現実
史実では秀吉なんて235000も全国からかき集めて小田原1000や忍城韮山城数百にボッコボコに蹴散らされ
前田重臣、一柳、堀尾の嫡男・平岩弟が戦死するなどゴミっぷりを発揮してたし
佐竹宇都宮結城連合と上杉真田依田ら北国勢が北条方兵力の集中した松井田、八王子、鉢方、など要衝の城を落としてくれたから
優勢になっただけだし
寝返った皆川やら松田やら大道寺やら逃亡した氏勝やら抗戦意欲0ですらこんな敢闘したんだから
北条軍が主戦派和平派で割れずちゃんと結束して反抗できてたら豊臣軍は瞬殺されてたのは間違いない
秀吉軍は兵站ギリギリのところまで追い込まれてたのは事実
これはフロイスの日本史に書いてある。
寝返った皆川やら松田やら大道寺やら逃亡した氏勝やら抗戦意欲0ですらこんな敢闘したんだから
北条軍が主戦派和平派で割れずちゃんと結束して反抗できてたら豊臣軍は瞬殺されてたのは間違いない
0492人間七七四年
2014/04/13(日) 14:22:24.49ID:9b72wy4n>>大軍を河内に集めてるのがわかる
これ文章では最後に「云々」と書かれており、
ただの噂・雑言など不確かな情報に過ぎないことがわかる。
しかも大動員していたなら、織田軍が負けて撤退するわけもなく、
あきらかに戦時誇大宣伝に過ぎない。
0494人間七七四年
2014/04/13(日) 14:51:20.30ID:FZdAzpYL東は美濃飛騨と広範な版図を有するため、一箇所に兵を集中できないから、でFA
ゲームじゃあるまいし
複数に戦線があるのに一箇所に全ての兵集中とかできるわけねーしな
大体織田の国力でいえば15万くらい余裕だろうし
云々は不確かな情報の時ではない。不確かな情報の時は「実否は定かナラズ」とか書かれてる。
0495人間七七四年
2014/04/13(日) 15:12:04.66ID:FQJoI0T7補給兵站能力が皆無なのでできない
のが正解だ。
だから美濃の隣国である信濃への出兵ですら
おっかなビックりで兵数調整した挙句に
運よく浅間山噴火で武田が自滅したにも関わらず
諏訪においては兵糧不足で寒さに耐え切れず凍死続出し急いで美濃へ逃げ帰る織田www
0496人間七七四年
2014/04/13(日) 15:23:12.81ID:j+KDNvZ1君は相当頭が悪いね。
例えば30000人が兵を集結する事ができる限界面積を仮に5000平方キロメートルとすると、
さらに30000人が集結するには、その横の5000平方キロメートルを配分すれば済むだけの話だろ。
補給や排便や物資補給どうこうの話なら、後方からの小荷駄隊を背後から増やせばいいだけ。
わかりやすくいうと、織田の分国の総兵力が仮に15万だとして、北方向に5万、東に5万、西に5万と配分するよりも、
一箇所に15万集結させる方が、兵糧物資補給の観点からみても、補給地点が一箇所で集中し、分散する事がなくなるため、よほど効率がいいし
ローコストで済むんだよ。
それができないのは単に織田分国の敵が四方に分散してて、一箇所に兵力を集中させたら、別の敵への備えがなくなるというだけ。
分散して15万程度の兵力が展開できるのにそれより遥かに難易度が低く補給路の負担の低い一箇所集中補給ができないわけねーだろw
つか、3万が限界とか、三鬼とか一部の妄想学者くらいしか唱えてねーよ。
0497人間七七四年
2014/04/13(日) 15:41:17.78ID:FQJoI0T7それを解消するには、国主なしになった越前で補給を兼ねてやった
越前府内は見渡す限り生きている者は見当たらないと信長が喜んだ超大虐殺による世紀の大略奪大会。
謙信には兵糧がなくて勝頼の追撃ができない理由を兵糧が尽きたからと言っていたが、
その解決策が釜茹、磔などで越前を無人にしての食料財産没収。
0498人間七七四年
2014/04/13(日) 15:45:13.19ID:FZdAzpYL実際には東京ドーム(面積46755平方m、うちグラウンド13000平方m)の観客席部分ですら50000人も収容可能。
50000人程度の軍勢なら33000平方mあれば余裕だから、30000程度の兵力が一箇所の限界兵力のわけがない。
0499人間七七四年
2014/04/13(日) 16:02:08.08ID:FQJoI0T7長篠の戦いで家康5000と合わせて3万しか動員出来なかった織田。
越前一向一揆討伐で北陸の織田方国人を合流させて限界3万動員するも維持できる兵糧が無いので越前で大量虐殺して物資略奪大会w
隣国信濃出兵で食料が足りるように人数調整した織田。
しかも武田滅亡を確認したら速攻で軍を解いて急いで帰ろうとするも諏訪で大量に栄養失調で兵が寒気に耐える熱量が体に無く死にまくる織田www
0500人間七七四年
2014/04/13(日) 16:07:47.61ID:A1f6/6pv0501人間七七四年
2014/04/13(日) 18:57:37.65ID:DTrBTwvM秀吉が何よりも大嫌いなので、信長を持ち上げるだけじゃ満足できず、むりくり家康を持ち上げる
豊臣政権に対する恨みも当然深いので、輝元や家康を持ち上げて三成を貶す
朝鮮出兵で「小西の謀略で元均が討死したと朝鮮側が記述」し、島津と共に李瞬臣を殺した名将小西も蛇蝎の如く憎みきっている。
いままで一度たりともアンチ秀吉・三成の無差別複数スレ爆撃コピペだけは
絶対に批判・非難しない織田在日wwwなんどそれを指摘されようが常に黙殺を続ける習性www
武田厨のフリを装う為のだがコピペ盗用では志賀の陣で信長の敗北解釈のまま貼っていたが、
武田厨が釣り目的で秀吉の努力で何とか浅井を完全に抑えていたから志賀の陣で織田は壊滅せずにすんだとレスしたら
同一人物が慌てて志賀の陣は信長の勝利であって秀吉は雑魚と180度違う志賀の陣解釈のレスをしだして、
それを指摘されたらアンチ秀吉コピペ爆撃で埋め立てする低脳織田朝鮮人www
同一人物が同時に関が原スレで三成を捏造で叩いていたしなwww
その事件があってから小まめにIDを変えまくる現在のスタイルで単発ID自演をするようになったのが織田チョンwww
織田厨得意の単発ID自演で武田厨のフリをして、だが認定するいつものお約束の法則www
たしかに織田厨が単発IDを頻発投下してるのは間違いないだろ。
そして自分の意に沿わないレスをした相手を排除するために
必死チェッカーで相手の全レスをストーカー粘着してるのが精神病織田厨。
自分がそれをやってるため、相手も必死チェッカーで追跡するのを極度に恐れて
単発ID自演を駆使して足跡を残さない品性下劣な織田厨www
どんだけ何十回指摘されても、 絶対に単発ID自演アンチ秀吉爆撃コピペキチガイを批判しない織田チョン。
アンチ秀吉爆撃コピペ狂人=SAB&後期だがレス盗用コピペ爆撃キチガイ行為工作で武田厨のフリを装うゴミ織田チョン。
武田厨を装うキチガイは一次史料にない岩村合戦を持ち出して武田をマンセーしたり(SABも後期だがも岩村合戦に言及したことはない)
信長謀反死で最終石高は0石と書いたり、 浅間山噴火を黙殺したり、 信玄上洛で6万の兵力を否定、
信長が信秀から引き継いだ領地として、信秀姉妹のおつやの方が嫁いだ岩村を絶対に含まない。
信玄上洛戦において、追い詰められた織田軍が1万しか動員できなかったというだがの意見も、
だがレスコピペ盗用コピペ織田厨は絶対にコピペしないのは確定してる。
というのもこいつは織田は何度でも10万ぐらいの兵力を無制限に動員できる巨大な国力があると常々主張してるのがわかる。
志賀の陣でだがレス盗用コピペした内容と真逆の内容をレスする
志賀の陣の解釈において、武田厨の誘導に見事に引っかかって、
だがレス盗用コピペ爆撃してるのが織田厨であり、アンチ秀吉と同一人物だと判明したのは大金星だったな。
>>などの不等号を使用して強さをランキングするバカ丸出しのレスをするなどあきらかにだがとは全く違うんだよな。
暗に織田擁護を混ぜる一方で徳川や輝元をむりやり擁護して敵意を徳川や毛利に向けさせる工作を常用してる低脳が織田チョン。
同じ手法で信長は秀吉の才覚のおかげで天下統一寸前までいったという
論法をものすごく嫌がり、織田在日による強烈は敵愾心による豊臣政権排除を行うようになった結果、
現在の織田在日によるアンチ秀吉の爆撃コピペ人格が新たに生まれた。
だがは秀吉を褒めてた。だがのレスを盗用してコピペ爆撃してる織田厨が
必死に自演でだがに濡れ衣を着せようとしているかがわかる。
織田厨はだがが秀吉を貶している証拠をあげろと言われても誤魔化し逃げ続けているし。
歴ゲー板にだがは出没してないし、歴ゲー板にだがを装い荒らし行為を輸出して、自ら工作用にだがスレを立てて、
それをわざわざ戦国板に報告してきたのも織田厨じゃんw
自作自演してて、誰にも気づかれず、わざわざ自作自演でここに報告してきただけじゃん。
それまで誰も歴ゲー板なんてノーマークだったのにw
歴史ゲーム板の荒らしの犯人はSABレス盗用コピペ織田チョンがやっていただけだぞ。
歴史ゲーム板で暴れ始めた最初期において、SABが戦国板で大昔に相良や島津スレなどでレスしていた
文章を丸パク盗用したものを爆撃コピペしてたのが初動。
0502人間七七四年
2014/04/14(月) 09:00:52.59ID:1S4j6vu0よって信長が大敗した紀伊一揆共和国を、位攻めでわずか一ヶ月かからず秀吉は制圧し、
そのまま四国まで一気に制圧。
秀吉自身が紀伊にも四国にも行く必要がまるでない楽勝ぶりだったから、
手持ち無沙汰な秀吉自身は越中へ向かう余裕っぷり。
信長があんだけ苦労したのは兵站概念欠如し位攻めが使えなかったからに他ならない。
だから信長は天下など統一出来ない。
そもそも国力を正当に活かせられない張り子の虎が織田。
0503人間七七四年
2014/04/14(月) 10:27:44.82ID:PSMIxxil毎回圧倒的大軍で敵の反抗を諦めさせてるだけ。位攻めというのは敵の反抗を諦めさせる規格外の大軍と、
敵の諸城の周辺に完全な攻囲のための砦や根城などを築く技術と、長期戦に耐えうる物資さえあれば誰でも可能で
最も指揮能力や采配能力が問われない楽な戦いだからね。でもそんな超絶ヌルゲーですら秀吉は失敗して家臣を多く殺されたりしてる。
例えば小田原合戦の時も享禄以来年代記によれば29万、那須記や榊原書状によれば50万といわれる圧倒的な大軍だった。
しかしわずか34500しかいない北条とまともに戦いだすと半月くらいで終わってもおかしくない兵力差で豊臣は一柳や堀尾の嫡男、前田重臣、平岩弟や依田が戦死し、氏家も負傷。
韮山500や忍城1000では豊臣は苦戦しまくり小田原1000程度に手も足も出なかったのが現実
史実では秀吉なんて235000も全国からかき集めて小田原1000や忍城韮山城数百にボッコボコに蹴散らされ
前田重臣、一柳、堀尾の嫡男・平岩弟が戦死するなどゴミっぷりを発揮してたし
佐竹宇都宮結城連合と上杉真田依田ら北国勢が北条方兵力の集中した松井田、八王子、鉢方、など要衝の城を落としてくれたから
優勢になっただけだし
寝返った皆川やら松田やら大道寺やら逃亡した氏勝やら抗戦意欲0ですらこんな敢闘したんだから
北条軍が主戦派和平派で割れずちゃんと結束して反抗できてたら豊臣軍は瞬殺されてたのは間違いない
秀吉軍は兵站ギリギリのところまで追い込まれてたのは事実
これはフロイスの日本史に書いてある。
寝返った皆川やら松田やら大道寺やら逃亡した氏勝やら抗戦意欲0ですらこんな敢闘したんだから
北条軍が主戦派和平派で割れずちゃんと結束して反抗できてたら豊臣軍は瞬殺されてたのは間違いない
0504人間七七四年
2014/04/14(月) 11:07:20.61ID:vGiFN5Pa秀吉の頃より一度に戦う敵の数が多く、自国の国力と敵対勢力のバランスから動員できなかっただけ。
>>信長が大敗した紀伊一揆共和国
信長の頃は顕如が紀伊一揆の味方だったくらい強大だったが、秀吉の頃になると相当弱体化してて、顕如も全く干渉なしどころか
秀吉方で動いている。確か鈴木重秀?ら主だった部将も既に味方だったはず。信長が力を大幅に殺いでいたおかげで
雑賀は雑魚になっていてくれたおかげで、秀吉は自国の兵力を集中させて雑賀攻めに取り組み事ができただけ。
当時の秀吉は1000万石、雑賀は5万石程度だし、こんなアホな戦を失敗する部将は秀吉くらいしかいない。
運よく秀吉は此の戦を部下に任せたからうまくいったが。
>>位攻めでわずか一ヶ月かからず秀吉は制圧
信雄や家康が怖くてビビリまくって、和睦した隙に、少しでも敵領土を削って味方を強大にするために雑魚イジメしてただけじゃん。
孤立無援の、雑魚国力の勢力をこれ見よがしに棚ボタ的に火事場ドロしただけじゃん。
当時の秀吉の領土は畿内一円に、毛利・上杉・宇喜多・木曽・信雄。
高野山なんて10万石いかないかわからん雑魚なんていじめて何が凄いんだよタコ
秀吉軍畿内総結集すれば15万くらいいくだろ。 5000もいくか怪しい高野山なんて、馬鹿でも叩き潰せるわwこんな指揮采配能力と全く関係ない雑魚イジメで
将の資質や戦のうまさなんてとわれねーよクズ。
豊臣の国力からいえば各地に散在する勢力なんて蟻みたいな雑魚でしかないんだし家康に土下座して和議を結んで、孤立無援にさせた上で、その隙にドロボウしただけ。
、
0505人間七七四年
2014/04/14(月) 11:09:32.22ID:vGiFN5Pa>>「一次史料を見ると信長も1万〜3万くらい
>>兵糧や衛生管理や屎尿対策の壁で一戦場3万が動員限界とされたのが戦国時代」
天正3年5/15奥平書状で織田徳川で7万騎動員してるのがわかる
毛利軍も高松攻防時5万と秀吉が本能寺後の書状で書いてる
柴田も上杉討伐の時45000の大軍を動員してるのが享禄以来年代記でわかる
手取川合戦では織田軍は主力級総メンバー連れており、少なくとも長家家譜のように4万越えはしてるはず
国力に対して課されるのが動因数で国力があっても大軍を集結できない大名なんていねぇよクズw
一揆とか国が疲弊・瓦解してるだけだろうがw
軍なんて鎌倉や南北朝時代の戦争でも動員されてるだろ
織田の場合は戦線が複数あったから一箇所に超大規模の大軍が集結しなかったというだけだし
信長公記基準だとかなり大軍動員してるし島津も大友も動員してる(耳川や水俣城攻防戦など)
足利軍30万騎とか書いてあるね。
多聞院日記や兼見卿記をみると15万とか10万とか天正5年で動員してるし
戦国期より遥かに兵站技術が遅れた鎌倉や南北朝戦争でも数十万の大軍が一遍に動いてるのに
兵の動員数に限界数値があるわけねーだろアホ
ローマ軍や清とか中国の王政はどうなるんだよ馬鹿がw
そもそも大軍なんて鎌倉や南北朝時代の戦争でも動員されてるだろ
織田の場合は戦線が複数あったから一箇所に超大規模の大軍が集結しなかったというだけだし
信長公記基準だとかなり大軍動員してるし島津も大友も動員してる
源平合戦とか戦国期より遥かに後進的軍隊の頃でも10万20万と大軍動員してるし
中国とかヨーロッパの戦史とかだとそれより遥かに昔の時代に規格外の大軍が動員されて動かされてるのに
戦国期の日本の軍隊の動員数が2〜3万が限界とかアホにも程があるだろ。
戦史まともに勉強しろや。確か元寇のときでももっともっと動員してただろ
信長も多聞院日記天正5年2/13条で信忠信雄信孝を始め分国中の兵力かき集めて15万余騎もの
大軍を河内に集めてるのがわかる
織田は西は播磨方面北は丹波越前加賀
東は美濃飛騨と広範な版図を有するため、一箇所に兵を集中できないから、でFA
ゲームじゃあるまいし
複数に戦線があるのに一箇所に全ての兵集中とかできるわけねーしな
大体織田の国力でいえば15万くらい余裕だろうし
富士川の戦い(源氏方兵力4万)
倶利伽羅峠の戦い(平家兵力4万)
篠原の戦い(平氏方兵力40000)
一の谷の戦い(源氏方兵力66000)
元寇(日本方兵力10万)
筑後川の戦い(両軍計100000)
四條畷の戦い(足利軍60000〜80000)
湊川の戦い(足利軍50000)
0506人間七七四年
2014/04/14(月) 11:12:38.73ID:vGiFN5Pa>>織田は位攻めが使えなかった
一箇所に集中させるには、敵勢力の数が少なくないと不可能
数箇所に敵がいるのに、複数の敵を放置して一箇所に集中とか自殺行為。
実際には東京ドーム(面積46755平方m、うちグラウンド13000平方m)の観客席部分ですら50000人も収容可能。
50000人程度の軍勢なら33000平方mあれば余裕だから、30000程度の兵力が一箇所の限界兵力のわけがない。
例えば50000人が兵を集結する事ができる限界面積を仮に33000平方メートルとすると、
さらに50000人が集結するには、その横の33000平方メートルを配分すれば済むだけの話だろ。
補給や排便や物資補給どうこうの話なら、後方からの小荷駄隊を背後から増やせばいいだけ。
わかりやすくいうと、織田の分国の総兵力が仮に15万だとして、北方向に5万、東に5万、西に5万と配分するよりも、
一箇所に15万集結させる方が、兵糧物資補給の観点からみても、補給地点が一箇所で集中し、分散する事がなくなるため、よほど効率がいいし
ローコストで済むんだよ。
それができないのは単に織田分国の敵が四方に分散してて、一箇所に兵力を集中させたら、別の敵への備えがなくなるというだけ。
分散して15万程度の兵力が展開できるのにそれより遥かに難易度が低く補給路の負担の低い一箇所集中補給ができないわけねーだろw
つか、3万が限界とか、三鬼とか一部の妄想学者くらいしか唱えてねーよ。
0507人間七七四年
2014/04/14(月) 15:11:10.60ID:Ml/2cfVy0508人間七七四年
2014/04/27(日) 19:15:29.13ID:h03gZpR4おいおい愛知県史ですら検討の余地ありとして、この写を偽書状認定してるだろ…
いやいやあんな戦国時代に思えない違和感バリバリの単語使った文章で
(信長卿とか、盟約や婚姻など神仏に誓う文面じゃないのに、わざわざ天正とか書いてたり)
さらに徳川が2万余騎を動員してるとかあり得ないし、
しかも信長が岡崎に着いた日も間違えてる書状の写なんて…
検討の余地ありって言い回しを使うのは、
それを持つ人の手前、はっきり断ずることを避けて配慮してるからだし。
アンチ秀吉キチガイのお前の主張はいつも無理やり過ぎるわ。
0509人間七七四年
2014/09/15(月) 10:57:25.12ID:3309oKv2チャイニーズガールチア
チャイニーズガールチア
ディレクター2ndパスポート
街道騒音異臭問題
0510人間七七四年
2014/10/04(土) 14:35:51.70ID:rioFBg6A意外としょぼいよね
0511人間七七四年
2015/08/24(月) 00:09:36.22ID:SLCmH0vo0512人間七七四年
2015/09/20(日) 00:48:21.73ID:a+FO1vns0513人間七七四年
2015/12/07(月) 12:35:48.02ID:L9X1NUls0514人間七七四年
2015/12/07(月) 12:36:39.78ID:L9X1NUls0515人間七七四年
2015/12/07(月) 12:37:27.55ID:L9X1NUls0516人間七七四年
2015/12/07(月) 12:38:03.28ID:L9X1NUls0517人間七七四年
2015/12/07(月) 12:38:43.31ID:L9X1NUls0518人間七七四年
2015/12/07(月) 12:42:30.92ID:L9X1NUls0519人間七七四年
2015/12/07(月) 12:43:03.81ID:L9X1NUls0520人間七七四年
2015/12/07(月) 12:43:40.01ID:L9X1NUls0521人間七七四年
2015/12/09(水) 13:44:08.91ID:JN0UsVF20522人間七七四年
2015/12/09(水) 16:07:18.83ID:XxSYTnjS0523人間七七四年
2015/12/09(水) 16:08:00.14ID:XxSYTnjS0524人間七七四年
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2015/12/17(木) 12:07:12.49ID:VZA303aG0564人間七七四年
2015/12/17(木) 12:07:44.85ID:VZA303aG0565人間七七四年
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2015/12/17(木) 12:08:43.75ID:VZA303aG0567人間七七四年
2015/12/17(木) 12:09:12.86ID:VZA303aG0568人間七七四年
2015/12/17(木) 12:13:26.03ID:VZA303aG0569人間七七四年
2015/12/17(木) 12:13:56.83ID:VZA303aG0570人間七七四年
2015/12/17(木) 12:14:26.53ID:VZA303aG0571人間七七四年
2015/12/20(日) 20:16:53.21ID:NY13Wzml0572人間七七四年
2015/12/26(土) 14:40:21.48ID:jcfY1UWf局地戦で勝利後、秀吉軍に付け入る隙を与えなかった
というのが正解では?
後に家康の名声を高める結果にはなったが
その後の秀吉の天下獲りの障害となるほどの負けではなかったし、
その時の秀吉の相手は織田信雄で家康はその助太刀をしてた訳で、
信雄は家康の勝利に報いず、信雄の権威は弱まり、また、池田・森氏のような
信長と親しかった武将たちと織田家、徳川氏との溝を深まり、結果、
秀吉の存在価値・輿望は相対的に高まり、天下獲りに近づくことができた。
局地戦で勝てずとも、輿望を集め、勢力を大きくできれば、
劉邦や足利尊氏のように最終的に天下を得ることができるだろう。
0573人間七七四年
2016/01/02(土) 19:28:07.58ID:/j9w7pbo0574人間七七四年
2016/01/02(土) 19:28:39.18ID:/j9w7pbo0575人間七七四年
2016/01/02(土) 19:29:15.73ID:/j9w7pbo0576人間七七四年
2016/01/02(土) 19:52:56.02ID:A+WXqSa40577人間七七四年
2016/01/02(土) 19:54:00.64ID:A+WXqSa40578人間七七四年
2016/01/02(土) 19:54:52.65ID:A+WXqSa40579人間七七四年
2016/01/02(土) 20:17:17.95ID:/j9w7pbo0580人間七七四年
2016/01/02(土) 20:17:51.95ID:/j9w7pbo0581人間七七四年
2016/01/02(土) 20:18:24.47ID:/j9w7pbo0582人間七七四年
2016/01/02(土) 20:59:37.48ID:A+WXqSa40583人間七七四年
2016/01/03(日) 12:59:35.53ID:9wGn3AIr0584人間七七四年
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