天変地異の被害と戦況
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0001人間七七四年
2011/11/26(土) 14:36:22.34ID:9pAhxekh崩壊していた堀越公方を襲った北条早雲
1582年2月16日 浅間山噴火
2月16日武田勢は鳥居峠で木曾義昌勢に敗北
17日信忠は平谷に陣を進め、さらに翌日には飯田まで侵攻。
飯田城主保科正直は城を捨てて逃亡。武田信廉らも大島城から逃亡する。
0002人間七七四年
2011/11/26(土) 15:02:41.51ID:Iq7QwTBI紀伊から房総にかけてと甲斐に大きな揺れがあり、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流され、
浜名湖が海と繋がった。震害よりむしろ津波の被害が大きく、伊勢大湊で家屋1,000戸、
溺死者5,000人。伊勢志摩で溺死者10,000人、静岡県志太郡で溺死者26,000人などの被害。
地質調査によれば、ほぼ同時期に南海地震も発生したと考えられている。1498年の日向灘
地震がこれにあたるとの説もある。
0003人間七七四年
2011/11/26(土) 15:04:36.25ID:Iq7QwTBI1502年1月18日(1月28日)(文亀元年12月10日) 越後地震 - M 6.5〜7.0、死者多数。
1510年9月11日(9月21日)(永正7年8月8日) 摂津・河内地震 - M 6.5〜7.0、死者多数。余震が2か月あまり続く。
1520年3月25日(4月4日)(永正17年3月7日) 紀伊・京都で地震 - M 7.0〜7.7。熊野・那智の寺院破壊、津波有り。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正大地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1か月以上続く。
0004人間七七四年
2011/11/26(土) 15:14:37.10ID:9pAhxekh東北の浜通りの戦国大名がイマイチ元気がなくて
すぐ伊達に援軍求めたりと従属していくのは
これが原因だと思う。
0005人間七七四年
2011/11/27(日) 03:03:45.66ID:Mt/ZYE5N大崎・葛西・国分・亘理・留守あたりかな?
そういや茨城や岩手の太平洋側もパッとしないね。
大津波から水軍の大規模化もなかったのかな。
0006人間七七四年
2011/11/27(日) 14:06:26.11ID:BNpgbaTf津波から船を守る天然の港湾部はなかなか無いからねぇ。
埋め立てする前の伊勢は良港があったようだな。
地殻変動プレートが複雑に入り組む太平洋側と違い
日本海は大津波来たことないのかな?
大津波はなく
島々がある瀬戸内海は水軍発展の基礎はあるからねぇ。
0007人間七七四年
2011/12/12(月) 23:45:47.99ID:1DuKY0+V■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています