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関原軍記大成で秀秋内通のガセ書状が作られたのは間違いないが、
そもそも秀秋が内通してたとする捏造の元ネタは板坂ト斎記だろう。

家康の侍医の慶長年中板坂ト斎記も事実を改竄してて信憑性がないからね。
慶長元年5月に4歳の秀頼が上洛した際の記述が山科言科日記とまったく違うこと書いてるし。
秀頼上洛で伏見から家康も塗輿で付き従い上洛って言う事実を
京都の宿所から東福寺の門前まで家康と利家が仲良く大声で話ながら馬で迎えに出たと改竄してる。
他にも利家死去すぐの武断派7将の三成襲撃クーデターのメンバーを2人変更改竄してたり。

板坂卜斎のは日記じゃなくて
征夷大将軍徳川家のために後年に一気に書き上げた代物だよ。
だから記述が徳川史観になってる。
前田研究の大家たる岩沢氏も常日頃から家康と昵懇な山科の家族が見誤るわけが無く
家康と利家が馬上で仲良く話ながら秀頼を迎えに出たとする卜斎の記事は虚構だろうと断言してる。

上巻は書き置きからの写し書きで、書き足してる部分は完全にミスジャッジに誘導する歪曲だよ。
明らかに事実を書いたんじゃなくフィルターを通して書いてる。
下巻に至ってはもう日記形式を装うのも放棄して捏造してる。

さらに慶長記も中板坂ト斎記同様に利家と仲良く会話しながら
馬でやってきたとデタラメ吐いて事実化の工作をしてる。
それは加賀藩との関係に配慮して捏造してる証拠。