公儀と関ヶ原の謀反人認定の話が、イマイチよくわかんない
これさ、西軍が勝ってれば、事後的に、ふつうに東軍が豊臣公儀から
謀反認定されてるよね?
たとえ、家康の上杉征伐が公儀として形式的に正しい手続きを
踏んでたとしても、だよ

要するに「三成は関ヶ原で一発で負けたから、馬鹿!」というなら
非常によく分かるし、まったくそう思うんだけど
「三成は公儀に背いた謀反人なんだよ!(ドヤ)」といわれても
だから、それが何なの?重要なの?と思う自分がおかしいのだろうか
勝ちさえすれば、そんなもん、後からどうとでも理屈つけられる程度の
曖昧なもんじゃないの?
「近代的な法制度じゃないんだから、どうせいい加減に運用できるんだし、
勝てば官軍に豊臣公儀はもれなくついてくるだろ」というのは、
やっぱりおれの中世への偏見なのでしょうか?