【治部】石田三成総合スレ 10【佐吉】
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0001人間七七四年
2011/11/04(金) 22:15:12.11ID:pOM6V5+o■過去ログ
(1)http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150512127/
(2)http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193273145/
(3)http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228834086/
(4)http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1243289938/
(5)http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251481680/
(6)http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1265876956/
(7)http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1285739170/
(8)http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1295082581/
(9)http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1309539113/
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http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169809266/
関ヶ原の西軍の真の首謀者は毛利輝元だったのか?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1320241565/
0875人間七七四年
2012/09/12(水) 01:33:17.15ID:bJShrljH0876人間七七四年
2012/09/12(水) 11:30:15.73ID:P0qanGdK・天下を狙う力がある家康が内部に招聘されたのは秀吉が直々に決めたこと
・家康が筆頭大老として「政務」という中枢を任されたのは秀吉が直々に決めたこと
・「家康の立場なら誰でも思いつく」のに筆頭大老にしたのは秀吉が直々に決めたこと
秀吉が家康を筆頭大老にして政権中枢に据えることを決めたのだから三成も勝手な行動は慎むのが当然だろ
それを「きっと家康のような立場になったら誰でも天下を狙う」なんて妄想で武装蜂起するとか許されるはずがない
家康は会津征伐も含めてきちんと豊臣家の許可を取りながら政治活動をしている
三成たちの妄想でそれを取り消そうとするのは謀反でしかないんだよ
0877人間七七四年
2012/09/12(水) 13:04:39.95ID:ivripdGl当然関が原の戦いが起こる確立は低く、豊臣家が力を削がれ逆に家康の力が増大する事
もなかったのかもしれない。
勿論家康の事だから別手段を講じたかもしれないけど、あんな短期間には上手くいかんだろうし。
0878人間七七四年
2012/09/12(水) 14:05:55.63ID:DjTSmT1xその論法だと、家康にもブーメランで同じことが言えるわけで
秀吉が石田・浅野らを五大老から相対的に独立性の高い五奉行に指名して、
五大老・五奉行をあわせて政権の意思決定機関として制度化したわけだから、
たとえ奉行の裁定が不当であろうと不服であろうと、それは公儀の決定として
正統性があるわけよ
それに対して、実力行使で石田に兵を挙げた七将襲撃は、
まさに豊臣公儀に対する謀反であって、家康は、本来、大老として
豊臣公儀の枠組を維持するために、七将を処断すべきだよな
んで、黒田や蜂須賀は、そもそも裁定に従って、大人しく領国で蟄居するなり
襲撃したんだから謀反人として切腹してろ、って話にならんかね?
でも、どう考えても家康は七将にそんな裁定できんだろ?
当然、徳川家の利害に反するんだから
つまり、豊臣公儀という「タテマエ」を家康にせよ、石田にせよ、
のちの毛利にせよ、使えるときには最大限使ったという身も蓋もない話であって、
形式論で石田なり毛利なりを謀反人認定したって、そらできるけど、
それで何か生産的な議論になるのか、という疑問な
0879人間七七四年
2012/09/13(木) 00:53:43.51ID:5CfD8tZD0880人間七七四年
2012/09/13(木) 01:04:31.74ID:mvAmOyst豊臣公儀の大老なんだから、もちろん責任があるわけでー
0881人間七七四年
2012/09/13(木) 01:17:10.12ID:5CfD8tZD問題なのは、七将であって家康ではない。
家康の裁定が公平性を欠く云々は別の話。
0882人間七七四年
2012/09/13(木) 01:52:12.75ID:7m07uJlG論点すら理解できず三成を貶める結論に持ってく
何が何でも涙目で三成を貶める結論に持っていく
内容スカスカアホ丸出しの自作自演を繰り返す蛆虫が一匹
今日も虚しい自慰を繰り返す
明日も虚しい自慰を繰り返す
この虚無で汚く粘着質な魂魄は
当時佐和山領内の道端で
三成に踏みつぶされて
一顧だにされなかった
蛆虫の転生に相違ない
0883人間七七四年
2012/09/13(木) 01:56:59.02ID:mE1kC0eY0884人間七七四年
2012/09/13(木) 03:00:39.95ID:1I3LVF7E朝鮮における偽講和などの小細工に目をつぶってやる代わりの三成蟄居処分でしょ
七将を処断しろと言うなら今度は襲撃理由である朝鮮での三成の行動にも大老として裁断を下さねばならない
ブーメランとして戻ってくるのは三成であって家康じゃない
だからこそ三成も家康の処分を受け入れざるを得なかったわけで
0885873
2012/09/13(木) 14:08:22.64ID:MncVE5Xy>>876
だーかーら、俺は三成の挙兵が誤りか否かなんて事は一言も論じてないし、
そんなことは聞いてもないことがまだ分からないのか?
関係のない論点から手品のようにどこからともなく三成叩きの結論を引っ張り出してくる
気持ち悪い粘着アンチ思考が見事にシンクロしているが、もしかして同一人物か?
0886人間七七四年
2012/09/13(木) 23:11:27.81ID:GaqHRUuK0887人間七七四年
2012/09/13(木) 23:59:00.92ID:RBSFuUZm0888人間七七四年
2012/09/14(金) 12:29:29.36ID:+rVnUZuw当時の三成は安全な場所に隠れている・すぐに諦めて講和に走るというイメージが強い
東軍はもちろん西軍大名の多くも三成の経歴が信用できなかったのだろう
そういう意味でも「三成が」挙兵したのは誤りと言える
0889人間七七四年
2012/09/14(金) 14:39:11.35ID:9Pht+VQ6おまえ面白いなw
>>885のレスの中から「挙兵」という言葉だけを抽出して浅い知識で石田三成叩き
空気読めない、
文章読めない
会話できない、
これは人間社会で通用しないわwww
0890人間七七四年
2012/09/14(金) 20:18:03.21ID:kRYENnV/これソースは?
0891人間七七四年
2012/09/14(金) 22:15:44.19ID:x15ENDsMこれさ、西軍が勝ってれば、事後的に、ふつうに東軍が豊臣公儀から
謀反認定されてるよね?
たとえ、家康の上杉征伐が公儀として形式的に正しい手続きを
踏んでたとしても、だよ
要するに「三成は関ヶ原で一発で負けたから、馬鹿!」というなら
非常によく分かるし、まったくそう思うんだけど
「三成は公儀に背いた謀反人なんだよ!(ドヤ)」といわれても
だから、それが何なの?重要なの?と思う自分がおかしいのだろうか
勝ちさえすれば、そんなもん、後からどうとでも理屈つけられる程度の
曖昧なもんじゃないの?
「近代的な法制度じゃないんだから、どうせいい加減に運用できるんだし、
勝てば官軍に豊臣公儀はもれなくついてくるだろ」というのは、
やっぱりおれの中世への偏見なのでしょうか?
0892人間七七四年
2012/09/14(金) 23:28:39.40ID:wyQNPyWv>>891
あなたの意見は正しいと思います。
関ヶ原直前の形骸化した豊臣政権は半ば家康の都合で動かされていたと思います
結果だけ見て三成公が謀反人と言われてもね・・・
0893人間七七四年
2012/09/15(土) 00:07:13.00ID:fg19uC2/誰にもわからんっつーの。家康派家康の考えの豊臣政権を、三成は三成の考えてる豊臣政権を
それぞれ勝手に追求したにすぎん。
0894人間七七四年
2012/09/15(土) 02:36:09.63ID:FKAMS9uGほとんどが行長のせいだけど三成も絡んでるからね
特に清正は三成の失言で蟄居まで命じられてる
0895人間七七四年
2012/09/15(土) 08:20:37.02ID:GtYKT4op西軍が勝てば、東軍は西軍から謀反認定されるかもしらんが、
後世の史実研究によって、三成が謀反を起こした事実は結局確定する。
家康が勝者であっても、秀吉死後の法度違反が正当化出来ていないのと同じ。
>>892
『結果だけ見て三成公が謀反人』ではない。
惣無事令に明確に違反しており、『三成の謀反』と見倣す史料も存在する。
0896人間七七四年
2012/09/15(土) 12:27:41.20ID:o1kbcThM「豊臣公儀」という形で発した家康討伐は当然これに当て嵌まらない。
石田・大谷が挙兵したと思っていた時点では「むほん」だと言ってたけどね。
また、三奉行の連署によって内府ちかひの条々が出されたというのは
法度に背いた物は誰であっても切って良いという、五奉行に与えられた
権限に依拠している物だと思われる。
0897人間七七四年
2012/09/15(土) 16:33:29.68ID:4+jmXeNz蟄居の石田、大谷の挙兵は、惣無事令に抵触する明確な謀反。
二大老三奉行はこれを処する事もなく徒党を組む。
つまり西軍は、謀反人を核とする非合法組織。
この組織が発した『内府ちかひの条々』が正当性を有するはずもなく、
五奉行の権限依拠云々は全く意味のない話。
0898人間七七四年
2012/09/15(土) 16:47:53.72ID:o1kbcThM0899人間七七四年
2012/09/15(土) 17:37:23.74ID:B5pwwuHK→三奉行は、三成らの動きを豊臣講義への反逆行為として徳川家康と毛利輝元に三成らの鎮定を要請
7月17日:毛利輝元大阪城入城。「内府ちがひの条々」を発する
ここから見れば三成の挙兵が三奉行の許可を得ていない、不法なクーデターだったことは明らかであり、
「内府ちがひの条々」も三成派の軍事的脅迫により発せられたものにすぎないことが分かる
0900人間七七四年
2012/09/15(土) 19:27:25.94ID:PRyhF64c0901人間七七四年
2012/09/16(日) 00:07:55.96ID:kIpZJxOG0903人間七七四年
2012/09/16(日) 00:53:43.91ID:kIpZJxOG>三成と輝元は共謀しているし、その上で輝元を大坂に招聘したのが三奉行
知識不足で申し訳ないんだが、七月二十一日付松井康之等宛細川忠興書状には、
三成と輝元が事前に共謀していた事が明確に書かれているの?
何と書かれているのか、解説をお願いしたい。
0905人間七七四年
2012/09/16(日) 09:35:53.80ID:4fYcZY39その原文は7/21付でしょ。
既に毛利は大坂城に入城しており、『石田冶部・輝元申談』じているのは当り前。
どの部分から、7/12以前に石田・毛利が共謀していた事実がわかるのか?
0907人間七七四年
2012/09/16(日) 09:42:59.38ID:4fYcZY39しかし、三成挙兵の7/12以前に石田毛利が共謀していた
証明にはならんのでは?
0908人間七七四年
2012/09/16(日) 09:59:28.75ID:j4/tKzHJ0909人間七七四年
2012/09/16(日) 10:20:48.55ID:4fYcZY39君の話では、7日間〜8日間で大坂からの書状は到着するわけでしょ。
伏見城包囲(7/18)も、7/24には家康の元に届いている。
であれば、7/21付の書状(>>902)も、石田挙兵(7/12)後で十分届くはず。
0912人間七七四年
2012/09/16(日) 11:37:48.28ID:4fYcZY39何が言いたいのかわからないんだけど。
書状が届かなくなった事が、なぜ石田・毛利の共謀証明になるのか
意味がわからない。
0913人間七七四年
2012/09/16(日) 13:17:07.15ID:j4/tKzHJつまり忠興書状にある三成・輝元の共謀という情報は、大坂で12・13日までに記された書状からもたらされたことになるから。
0915人間七七四年
2012/09/16(日) 14:24:41.25ID:j4/tKzHJそういう口述の使者があったという記録は確認されていない
後、鳥居の使者は軍記でしか確認できない
0916人間七七四年
2012/09/16(日) 14:45:26.01ID:4fYcZY39それを言うなら、忠興のもとに届いた石田・毛利共謀の書状はあるのかい?
どうやって忠興はそれを知ったのさ?
面倒くさいので、自分でも調べたが、
>石田冶部・輝元申談色立候由(>>904)
これを、石田毛利の共謀と訳しているものなんかないぞ。キミだけじゃないのか?
大抵は、『石田の決起に毛利が加わった』としているぞ。
0917人間七七四年
2012/09/16(日) 15:52:44.81ID:j4/tKzHJ鳥居の使者が来たという旨を記した書状はありません。
光成準治「関ヶ原前夜」より
「慶長五年七月の反徳川闘争の決起は、少なくとも三成・吉継・輝元(恵瓊)という、
(中略)計画的な行動であったと結論づけることができよう。」
0918人間七七四年
2012/09/16(日) 16:11:34.88ID:4fYcZY39鳥居の話は例示だから。
伏見城包囲を受けて小山会議を開催した以上、情報入手経路はあるだろ?
ただし、そんな書状はないし口頭の可能性だって否定できない。
光成の著書を出したのなら、話は早い。
『石田冶部・輝元申談色立候由、上方より内府へ追々御注進候』(>>908)
を何と解説しているか、知っているはず。当該著書の79ページね。
光成準治「関ヶ原前夜」より
「二十一日の江戸出発まもなく、三成らの決起に輝元が加わったという情報が伝わり、(後略)」
光成は、当該書状については三成・輝元の共謀と解説していない。
キミの論拠は、「7/21付松井康之等宛細川忠興書状」ではなく、光成の受売りって事ねw
0919人間七七四年
2012/09/16(日) 16:42:04.37ID:j4/tKzHJ『慶長記』には編笠の紐に組み込まれた密書が届いたとあるね
後、山内一豊からも密書が来ているようだし
いや、二十一日付書状の情報が大坂もたらされたされたことからの類推だけど
0920人間七七四年
2012/09/16(日) 16:51:48.67ID:tqDO7pmr輝元の上坂が早すぎる事だろ。
0921人間七七四年
2012/09/16(日) 17:01:18.40ID:4fYcZY390922人間七七四年
2012/09/16(日) 17:02:37.98ID:4fYcZY39何にせよ、「7/21付松井康之等宛細川忠興書状」は三成・輝元共謀の証明には
ならんよ。
光成の著書読んでるなら、わかりそうなもんだが。
0924人間七七四年
2012/09/16(日) 18:10:57.57ID:p5rWoTrl輝元が安国寺から報告を受けていたら…
まあこれも推測だからしかたないけど
輝元もまあ…とりあえず西軍のまとまりのなさが致命的
何人内通者いたんだよwwって話だ
0925人間七七四年
2012/09/16(日) 18:29:41.04ID:KuKmg76B大老や奉行以外も発言できる評定の中で家康につきたい者はついて構わないと言っておけばいいのに
豊臣の権威で抑えつけて逆らったら人質にした家族を殺すぞという脅迫一辺倒ではまとまるはずがない
三成の器量のなさが多くの内通者を生む羽目になった
0926人間七七四年
2012/09/16(日) 19:33:10.50ID:AV5MHttA大坂奉行に三成は入ってないから
完全に忠興が三成への個人的怨恨から尾ひれを付けて讒言してる。
三成を捕縛した家康も忠興が三成を恨んでるの知っていたから、
三成捕えたからもうすぐこちらに来る。
忠興殿と捕縛された三成を一緒に観察しようぜ!とゲスな小人書状を出してる。
0927人間七七四年
2012/09/16(日) 19:40:48.92ID:AV5MHttA玉の自刃も三成が捕縛に来ると言う風聞だけ。
大坂にはいもしない三成の虚名だけで混乱してる。
0928人間七七四年
2012/09/16(日) 19:55:44.93ID:AV5MHttA三成の名前自体は、
当時は出ていなくて、
完全に後知恵なのかも知れんが。
0929人間七七四年
2012/09/17(月) 12:35:43.78ID:7uuyLpZp誰も無謀な蜂起はしなかっただろうね。
豊臣潰したのは毛利だよな。
0930人間七七四年
2012/09/17(月) 20:42:08.58ID:LDzO/HCsたしかに忠興は三成をこの輝元と奉行挙兵の乱に巻き込みたくてしかたがないって感じだな。
21日書状でも、
こうなることはかねて申したることと書いていて、
忠興がだいぶ前々から証拠も無いのに、
家康へ三成は謀反するすると讒言を続けていたのがわかる。
0931人間七七四年
2012/09/17(月) 23:29:29.07ID:BZS8iX6LSubしか考えられんがw
0932人間七七四年
2012/09/18(火) 07:08:00.55ID:/2FH1V+s三成が大谷を誘う逸話なんてのも作り話で、
実際、朝鮮で抜き差しならない関係になった小西行長と島津義弘と清正らの対立が関係してる関係から読み解くべき。
小西の兄と三成の兄は河内と和泉の蔵入地の管理をして親しい間柄だったのがわかっており、
小西の挙兵→忠興の讒言→三成が止むを得ず小西に同調という流れだろう。
家康は小西も徳川派にしたくて懐柔しようとしても、
小西はあくまで秀頼様を立てた上で公儀の命として家康に従う立場を貫いている。
そのために九州取次ぎの役割を庄内の乱を契機として
家康に買収された寺沢に奪われるようになっていく。
家康の権威を背景に寺沢が九州諸大名を統制する中で、
関ヶ原の戦いが勃発してしまい、
九州で小西に味方する勢力が極端に少なくなる。
まさかの島津忠恒まで様子見は大ダメージ。
さらに小西は1600年初頭に大坂にいっており、
兵は九州から連れてきてないため、
関ヶ原の戦いでは大阪城から与力の貸与を受けている。
清正が関ヶ原の戦いの詳報が来るまで小西領を攻められなかったのは、
小西配下の朝鮮出兵の猛者どもが在国してたから。
0933人間七七四年
2012/09/18(火) 09:46:32.33ID:U0mcXu0Bまで読んだ
0934人間七七四年
2012/09/18(火) 22:13:14.79ID:sIhAznQy賊徒小西行長の書状は消されてほとんど無いと定説として語られ続けてきたけど、
本格調査すると実は500通以上あったとか面白いよね。
いかに定説が信用出来ないものかがよくわかるし、
別に家康の敵の書状を消さないとヤバイなんて思考も、
後世の人の考え過ぎにすぎないのがわかる。
0935人間七七四年
2012/09/19(水) 08:14:13.12ID:klF8K+yM20日に下国したそうですね。在国なら大慶なので心添えください。
上方の情勢は中川平右衞門に伝えました。
毛利殿と奉行衆が仰せ合わされ、
内府に御謀反された。
伏見は鳥居が堅固に守っており、
大津宰相は家康に別心無い。
新しい情報あったら教えて欲しい。
こちらも伝える。
などと書かれており、
忠興家臣の松井は中川に正確な情報報告において、
輝元と奉行が談じたと書いてあり、
三成は全く関係ないのがわかる。
忠興は憎しみの余り三成を首謀者にしたがっていた。
0936人間七七四年
2012/09/19(水) 14:32:14.57ID:+RcS0YEQ0937人間七七四年
2012/09/19(水) 16:04:12.25ID:BTScMKrs「輝元(毛利)・秀家(宇喜多)を始、大坂御老衆(三奉行)・小西(行長)・大刑少(大谷吉継)・冶部少(石田三成)被仰段、」
とあるから彼らが中心人物だろ
0938人間七七四年
2012/09/19(水) 23:45:12.23ID:qJvtOTWf奉行が大坂へ輝元を呼ぶ儀式をやるのが12日で
それ以前の段階で輝元と奉行たちは挙兵の謀議をしているのは
間違いなく、輝元もいつでも軍が大坂へ出撃できる体制で
待っていた。
おそらく宇喜多の戦勝祈願の1日あたりには計画が動き出している。
15日の段階で初めて三成がやむなく謀議に参加したということ。
0939人間七七四年
2012/09/20(木) 00:24:35.58ID:pvEVzq+C>それ以前の段階で輝元と奉行たちは挙兵の謀議をしているのは間違いなく、
ソースは?妄想戦記ではなく史料で頼む。
つか、光成氏主張の美味しいとこ取りして、曲解すんのはヤメなよ。
0940人間七七四年
2012/09/20(木) 12:32:44.60ID:kj9dHzol助命された小西の嫡男が首謀者の輝元を頼ってきました。
輝元「うわ、超迷惑!俺は小西とも接点ねーことにして、嫡男ぶっ殺せよ!改易されんだろ」
一方、島津は秀家を匿い、バレると助命活動をするのであった。
輝元ひたすら必死に首謀者であることを隠蔽しようとしてる情けなさw
0941人間七七四年
2012/09/20(木) 15:28:18.54ID:3kFtB6U6「輝元方敗軍」と報じている。
これは事実上、西軍は毛利軍である事が明々白々である。
0942人間七七四年
2012/09/20(木) 18:25:07.99ID:pJGVK/jCそれからは総大将=首謀者かは解らんさ
0943人間七七四年
2012/09/21(金) 14:30:13.15ID:ykEBDlkv小西は宇喜多の元家臣で、
宣教師も小西と宇喜多の友情を記録してるから、
小西と宇喜多が関ヶ原決起に当初から関わっているはず。
そもそも小西と宗は朝鮮において、
明との日本側外交全権大使のような役割で、秀吉にも報告をしまくってる。
小西は講和を目指し、
清正は講和をぶち壊そうとしていて、
秀吉への報告も食い違いが生じて対立してるわけで、
武断派と小西は明確に対立してる。
ただ小西は家康とは対立してはいない。
対立してるのは毛利と宇喜多。
この2家は家康の会津征伐を前に領国へ帰るなど、
警戒心を緩める策謀をしてる。
また利家が生きていた時の宇喜多は強気だったように、
単独では挙兵するような勢力ではないし、人望もない。
やはり家康に対抗できるのは戦力、発言力、年齢的に考えても輝元が首謀者だろう。
0944人間七七四年
2012/09/22(土) 14:45:38.42ID:i0jPvCi27/26付けの家康→田中吉政書状において、
家康は田中による佐和山城への働きへの注意として、
地下人を呼び戻すなどと書いてる。
輝元らの挙兵を隠蔽して、
フェイクとしての嘘情報操作である三成挙兵を前田利長らが家康に出したため、
それを盲信した家康は、簡単に田中らが佐和山城を攻略して、
この乱が終結すると事実誤認しているのがわかる。
佐和山城攻撃など白昼夢。
まんまと騙されている家康
0945人間七七四年
2012/09/22(土) 18:12:05.22ID:/3atuCBe0946人間七七四年
2012/09/23(日) 07:07:23.13ID:1K/1tj8+三成が大谷を誘うってのは講談話。
実際は、樽井で大谷が病んでいるって話と、
三成挙兵の噂を組み合わせた妄想。
忠興あたりが盛んに三成が家康を裏切ると吹聴していたのが風聞化したのだろう。
その風聞をうまく利用したのが輝元ら挙兵組。
家康側にいた三成は何時の間にか選択の余地が無くなっていた。
0947人間七七四年
2012/09/23(日) 12:22:06.31ID:IROJyB8P完全に思考の指定をさせる謀略だよな。
忠興はもっと評価されていい。
でもその話が大きくなって
風聞を事実と誤解してガラシャ自刃って言う・・・
0948人間七七四年
2012/09/23(日) 15:41:15.67ID:LbDXkq/u0950人間七七四年
2012/09/23(日) 19:50:36.35ID:nHJyWx79秀吉と同格くらいな意識な上に、
武功で出世したというより優秀な吏僚として出世して、
自分に指示出すのが面白くないんだろ。
忠興はどっちかと言うと父と違ってすぐキレる脳筋タイプだからな。
こうなってしまったのも初陣で武功を立てて、
信長から自筆書状貰ったり、
武功を褒めて丹後やる時に、
信長が父ではなく、お前にやると持ち上げた結果だな。
織田は武辺者重視、
吏僚軽視だったからね。
まあ信長はDQN不良だから、統治や官僚機構について全く無知だから。
0951人間七七四年
2012/09/24(月) 08:55:15.88ID:WudP9/PY忠興と九州にいた如水は、大坂での変事に備えて打ち合わせしてた
っぽいし、
隣国中国の輝元の蜂起を想定して会津征伐に出現したんじゃないか。
清正にしても如水と協調してるし、
如水は毛利支援の大友軍が来ると杵築城救援に出撃してるし。
九州を奪い取って第三勢力に成り上がるために
彼らは大乱を欲していた。
しかも如水に至っては毛利領へ攻め込むなんて書状もあるし。
0952人間七七四年
2012/09/24(月) 23:08:52.10ID:wI0IE/K6細川の飛び地には周りの西軍が攻めてくるだろうから、
築城名人の如水に城の防備の補強指南を頼んだというもので
同じ東軍で、大友が共通の敵だから派兵したんであって、
別に忠興と如水の間に、九州で共同戦線を張るような遠大な密約はない
つか、丹後の本城自体が落城してるんだから、細川が西国で
どうこうしようにも、何もできんわけで
杵築城が最後の細川領だから、ここが落ちると細川は領国をすべて失う
非常に不名誉な状態になるので、松井から援軍を依頼されて派兵しただけなのよ
0953人間七七四年
2012/09/25(火) 21:31:49.74ID:O/gAuJcqあと二日、援軍が遅ければ大友にボコられてのは確実だしな
黒田の親父の方に、運よく助けてもらっただけで
忠興が九州で大乱を欲していたとか、どう考えても
細川を買いかぶりすぎ
0954人間七七四年
2012/09/26(水) 09:56:12.94ID:/g2KjYk+7/21書状には如水とかねて申し合わせてきたこととして、
丹後戦線では宮津集結、
豊後戦線では状況をみて如水の城へ集結と言う話が登場する。
これをかねて申し合わせてきたことなのだから、
ほとんど思惑通りではないだろうか。
そもそも父の幽斎が武士らしくなく、降伏したことに立腹して忠興からしたら、
それこそ想定外の恥晒しでしかなかったのでは?
忠興は父とは違うって感じで、父とは常に対立というか嫌いって感じが出てて、
父を軽蔑する思春期の特徴を持ったままに大人になったような男だから大人気ない気質で野心ありまくり。
まあ忠興は養父の細川輝経を慕っていたのかも知れないが、
自分は幽斎の細川とは別家でもっと名門細川だからと差別化してるし。
また、8/18の松井書状では清正が杵築城に兵糧と玉薬を入れてくれたと書いており、
如水も先書の如く、当城へ万事御心付けしてくださってるとあり、
如水と清正の後援を受けているのがわかる。
有事を願望し手立てを事前に講じていたと思われるが。
だからこそ亀山城まで到達し親子連れ再開の時に、
何事もなく帰陣は目出度いと声をかけた父に、
中興がシカトしてた。
幽斎はお前は下城したことに腹を立ててんだろ?
年寄って命惜しくなったんじゃねぇよ!
だいたい三度も勅使を受けるまで下城しなかったのは俺くらいなもんだろ!と言い返してるし。
ちなみに9/21書状では、
宮津下城がそうとう面白くなかったのか、
ヘタレなのに籠城するなんて奇特なことだな〜wって思ってたら、
籠城中の武者達が比類なかったようですねぇ?
逃げ落ちたってんだから、もう憎いどころかワロタわw
なんて書状を宮津籠城衆に出してんだから。
まあ家康が但馬やるとか書状出してたのに裏切ったためか、
大坂滅亡まで羽柴を名乗っていて、
大坂滅亡後には松平の名前を断ったし。
関ヶ原後は長政と険悪になり嫌がらせ合戦したり、
天下一気の短い人物と呼ばれていたらしく
けっこうめんどくさいわなこの人。
0955人間七七四年
2012/09/26(水) 10:26:42.35ID:/g2KjYk+それどうなんだろ。
詳しいことは三成が申すと書いてるが、
あくまで書状案でしかないので、
上杉には該当書状が届いてないから、
そもそも三成は関わってない事実を義弘は知らないで書いてたので結局、三成が詳しく述べる事態が来ず出されなかったように感じるし、
義弘も三成は味方だと騙されていた可能性も排除できないね。
宛先が景勝 人々御中って書いていて、
五大老の景勝を呼び捨てとかあり得ない無礼な内容。
さらに言うと、秀頼様のための挙兵に上杉も同意の由と承った。拙者もその通りに候
などと書いていて、
これじゃ三成と上杉が事前謀議していたように見えるし、
いろいろと問題点がある内容なんだよね。
0956人間七七四年
2012/09/26(水) 19:42:19.13ID:B1M59ZuD0957人間七七四年
2012/09/26(水) 20:11:20.14ID:pil7LoIm志賀の陣の義景が一回、
本願寺教如が2回だもんな。
3回は神レベル
0958人間七七四年
2012/09/26(水) 21:51:08.13ID:e6kmqjyrうーん、かりに細川家が事前に積極的な計画を立てていたら、
いくらなんでも、もう少し兵力を九州にあらかじめ割いとくでしょ??
そうじゃないと、かえって忠興が野望ばかり大きくて、
できもしないようなザル計画を立てた馬鹿に見えちゃうんだけど。
実際にはあまりにも寡兵で、杵築は落城寸前だったわけで
のちに東軍に参加した鍋島とも違って、石垣原の大友撃退後にも
松井は、清正や如水と合流して有意な軍事活動を展開したわけでもない。
前提として、九州で細川家が動員できる兵力は、
そもそもほとんどなかったとみる方が、まあ妥当だと思う。
石高的にも、本戦と宮津に相当数動員して手いっぱいなんだから、
九州に残せる兵力なんて、もともと非常に少ないわけだし。
清正にせよ如水にせよ、東軍として劣勢にある細川を見捨てず
協力しただけであって、基本的に九州での細川は防戦するのが
精一杯だった。これが、やはり現実なのではないかと。
0959人間七七四年
2012/09/26(水) 23:07:05.70ID:ELFAq/le0960人間七七四年
2012/09/26(水) 23:22:25.25ID:e6kmqjyr討死覚悟の防戦の準備というならわかるけどね。
でも、それはあくまで拠点の防戦であって、細川が何かそれ以上の
軍事的な計画を九州でもっていた、という話とは全く別物ですね。
六万石の飛び地領があるんだから、松井クラスの城代くらいおいても
別に不思議はない。
領国がある以上、寡兵でも城を捨てて逃げるわけにも、速攻で降伏する
わけにもいかないんだから。
0961人間七七四年
2012/09/27(木) 20:42:58.00ID:/ffAfVkr九州で西軍の城のひとつでも落としてないと、説得力がないわな
留守城を落とすのだって、相当の兵力と技量がないと簡単ではないのよ
三成スレですれ違いなのになんだけど
0962人間七七四年
2012/09/28(金) 00:37:26.80ID:BUe6Mi8dあぁそれ前から不思議だったんだよね。
なんで杵築にたまたま来てたんだろうねあれ。
しかも西軍蜂起したら、そのまま滞在して
客将なのに細川軍九州現地司令官やり始めてるもんな。
やっぱ忠興に事前に言い含められてたのかねぇ。
0963人間七七四年
2012/09/28(金) 02:07:08.60ID:xKg6kxVV→慶長五年の春:細川くんが新領を検分するために豊後を訪問
→その際に松井・有吉の両名を城代に任命したというだけの経緯な。
城代なんだから、そらそのまま現地に残らざるを得ないわ。
あと大前提として、杵築には、籠城時に300人しか細川兵がいないんすけど。
これで細川くんは九州で何を、一体どうするつもりだったのか・・・
本気で何か企んでいたなら、むしろとことん問い詰めたいですねw
つか、どう考えても忠興厨の誇大妄想としか思えないんだけど!
0964人間七七四年
2012/09/28(金) 12:41:54.44ID:3yYNexUO→その際に松井・有吉の両名を城代に任命したというだけの経緯な。
上記の一次史料は?
0965人間七七四年
2012/09/28(金) 22:49:41.87ID:iCUiXwCZどのみち自分で読めもしない一時史料を偉そうに要求する前に、
まず大分県史の中世編あたりで、杵築の大友〜細川領の初歩的な概要くらい
読んだらどうなの??
この手の制度的な話は、どの県史にしたって絶対載ってるわけですよ。
県史は、一時史料に基いて書かれた学術書なんだから
該当箇所をさがせば、出典の史料は脚注に記載されてるわけで。
文脈もわからず、自己流で書簡や一時史料を斜め読みして、
珍説を展開するより、基本的な概要を知ってから書き込んだ方が
ずっと生産的だと思うんだよね。
県史類は、日本史のある大きめの大学図書館や公立図書館に行けば
たいてい備えてあるんだから、自分で事実関係を調べる手間を惜しむなよ。
0966人間七七四年
2012/09/29(土) 11:12:30.62ID:78yEc26P忠興は別にどうでもいいが、とりあえず偉そうに県史だの学術書だの能書きを垂れる前に
「一次史料」くらいまともに書けるようにならないとな
1レスに3回も「いっとき史料」なんて書いてちゃうっかりミスの領域を超えているぞ
0967人間七七四年
2012/09/29(土) 12:08:05.65ID:qCpn53yy0969人間七七四年
2012/09/29(土) 22:25:26.46ID:DzBsKXC+0970人間七七四年
2012/09/29(土) 23:07:42.39ID:U6Cko9Cl内容が事実でなくても、その時代の史料なら一次史料になる。
一次史料か否かのみで、真偽判断は出来んよ。
0971人間七七四年
2012/09/30(日) 00:41:12.47ID:/ldgK4Z5あーぁ、こんなデタラメ願望書いてる時点でもうね、こいつアホだろ…
0972人間七七四年
2012/09/30(日) 01:49:41.90ID:LGukS5Pl0973人間七七四年
2012/09/30(日) 07:04:05.41ID:YNYTcld8というか干し柿の話自体後世の創作だから。
三成の最期についての記録は一切ない。
0974人間七七四年
2012/09/30(日) 11:33:17.87ID:8C+H+NvQ毛利が前線で指揮をとらなかったのと、三成が軍勢を分散させて私怨であちこちの城を攻めさせて兵が決戦時にそろわなかったのが敗因だな。
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。