関ヶ原前の時点で、豊臣公儀から家康が離脱できる/あるいは
わざわざ否定する可能性って、実際問題としてあるか?
秀頼が存在する上に、形骸化しつつも五大老・五奉行制が
豊臣政権の意思決定機関として存続してるんだから、普通に無理だろ
むしろ家康自身の権力基盤が豊臣公儀の大老という地位に多くを
負ってるのは明白なんだから

関ヶ原後の時点でも、家康は諸将に知行朱印状を正式に文書で発給できなかったわけで
(可能なら、もちろんそうしている)、豊臣公儀が存在する以上、
正式な手続きとしては「大老である家康が取次いで、秀頼様から拝領」
という形式しかとれないので、それを避けるため口頭での知行宛行になった

要するに、秀忠の代までは、徳川家の権力基盤が脆弱だったから、
既に存在する豊臣公儀を離脱できなかったというだけの話であって、
もっと早期に豊臣政権を解体する手段があれば、そらやってるだろ