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【治部】石田三成総合スレ 10【佐吉】

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2011/11/04(金) 22:15:12.11ID:pOM6V5+o
引き続き語れ

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0836人間七七四年2012/08/31(金) 12:44:10.31ID:+0Nn7adA
そもそも家康を招聘しなければいけないほど政権運営に失敗した時点で諦めろということ
三成だって政権中枢にいて失政に誰よりも深く関わっていたのだから
偉そうな顔で批判できる立場じゃない
むしろ三成こそ真っ先に批判されてクビになるべき人間なんだよ
家康はあくまで豊臣の失政を受けて天下を立て直しただけに過ぎない
0837人間七七四年2012/08/31(金) 13:56:17.82ID:MLbL2xlK
>>836
え〜っと・・・本物の馬鹿ですか?
「豊臣家は家康が死ぬのを待てばよかったっていう馬鹿」の話をしているのに
「そもそも家康を招聘しなければいけないほど政権運営に失敗した時点で諦めろということ(キリッ)」
って・・・論点がズレまくっていることに気づかないの?
しかも秀吉が家康を政権に取り込もうとした時点の情勢で諦める?正気?

ちなみに石田三成はどういった政策に深く関わっててどんな失敗をしたの?
秀吉の命令を覆すほどの権限を持っていたの?
誰が偉そうな顔で誰を批判してるの?
0838人間七七四年2012/08/31(金) 14:46:46.29ID:+0Nn7adA
豊臣政権は関白を粛清しその後も朝鮮出兵にのめり込み政権運営を誤った
だから家康を招聘せざるをえない状況に自ら追い込まれて五大老五奉行という中身のない飾りで自分の失政をごまかしていた
三成はもちろん他の奉行も含めて全員が後継体制の失敗や外征の失敗について奉行として責任を取り辞任しなければいけない身なんだよ
家康の寿命を待つべきとか戦うべきとか以前の問題なんだ
豊臣に日本を統治する資格がないのだから政権を返上するべきという次元の問題なんだよ
0839人間七七四年2012/08/31(金) 16:04:24.17ID:MLbL2xlK
>>838
うわ、やはり真性ですね
論点がズレてるって指摘してるのに、さらに「次元」を超えてずらしちゃったw
これでは話になりません。

現代の政党政治ならともかく戦国時代の天下取りを命題としている戦国大名に
「政権運営に失敗したから政権返上するべき(キリッ)」って、とても面白い意見ですね。
じゃ領地経営に失政があった全ての戦国大名は領土返上して出家すれば良かったですね。

戦国大名が子孫のために身内を粛清したら領土返上ですかぁ?
戦国大名が領土拡張のために戦をしかけたら領土返上ですかぁ?
失政のあった戦国大名が死んだら家老全員後継ぎ見捨てて辞任すればいいですかぁ?



ちょwww腹いてぇっすwwwww
0840人間七七四年2012/08/31(金) 16:43:03.14ID:aFOMRCOA
必至に煽ってるほうがバカっぽいけどな
0841人間七七四年2012/08/31(金) 21:20:36.55ID:+0Nn7adA
三成は家康が死ぬまで待つなんてことをせず自爆テロを敢行しスピーディな政権交代を実現してくれた
上杉や毛利と直接戦うことは手間がかかるが石高の小さい石田一派なら半日で終わる
そんな半日の戦で上杉や毛利を含めた日本中の敵に事実上勝ったことにできるなんて誰にでもできることじゃない
三成はまごうことなき奸臣だったけど政権交代の礎になったことだけは評価できる
そういう意味では>>835のいうことは正しいだろう
豊臣は家康が死ぬまで待つべきではなかったことが正解であることに疑う余地はない
0842人間七七四年2012/08/31(金) 23:34:00.52ID:2dSpdj6y
奸臣同士の権力争いだから豊臣がほぼ中立を保ったのは正しい
0843人間七七四年2012/09/01(土) 12:27:14.22ID:yz93v5nt
結果論から理屈こねてドヤ顔してるオナニー野郎が多いな


0844人間七七四年2012/09/02(日) 07:19:01.02ID:tueiYhiJ
そもそも三成にそこまでの権限はないだろ。
0845人間七七四年2012/09/02(日) 07:20:51.13ID:kgb/ru0/
三成は秀吉の腰巾着でしかなかったしな
0846人間七七四年2012/09/03(月) 14:56:04.14ID:FCAP/jJ1
奸臣の意味すら理解できてない人に歴史を語らないでほしい
0847人間七七四年2012/09/04(火) 20:42:56.64ID:Bk1+zn+R
最近、三成は豊臣恩為と言うより権力の中枢で腕を奮いたい人だったのかなぁと
思うようになったよ。見出してくれた恩はあるだろうけど。
大一大万大吉の意味が一人が万民のため万民が…で合っているなら
いかにもプライド高い高級官僚が好みそうな言葉だし

家康が新たな国造りを任すって口説いてたらどうなっただろう
自尊心が満たされて逆に大人しく隠居するかも
三成のエピソードでアスペを疑いたくなる事があるけど
三成がもし徳川配下だったらそれほど人に嫌われなかったのかなとも思う
三成がやらかしても「三河武士ならしかたない」で済まされそうだし
0848人間七七四年2012/09/06(木) 08:03:34.22ID:vYItEPND
すべてを武将の個人的性格とか人間関係で解釈しようとする、
典型的な歴女の発想にひくわ
0849人間七七四年2012/09/06(木) 13:54:10.81ID:dO9L3WLj
本多正信は嫌われてたみたいね
0850人間七七四年2012/09/08(土) 10:46:29.58ID:A/bKsF+2
家康が死ぬまで待てばいいに決まってるじゃん。

関ヶ原であれだけ権力・親派が増大しても、豊臣家を滅ぼすのに14年かかってる。
関ヶ原がなければ何年かかるんだよ。関ヶ原勝利以上に短期間で、同等の権力を
取得する方法ってあるの?
どうせ、ただの架空戦記になるだけだろうけど。
0851人間七七四年2012/09/08(土) 10:50:01.93ID:gwfigv0G
>>850
大坂の陣スレ見てると家康は豊臣を滅ぼす気は無かったけど秀頼が暴走してああいう残念な結果になったように見える
0852人間七七四年2012/09/08(土) 11:10:07.96ID:A/bKsF+2
であれば、なおさら関ヶ原は起こすべきではなかったって事だね。
0853人間七七四年2012/09/08(土) 12:40:30.89ID:y/SDSlzF
家康が天盗る気満々で宇喜多、前田、上杉に次々難癖つけていった史実を知らない情弱ばかりだな
ましてや2ちゃんのスレの意見こそが真実とかすげーレベル低いな、ここのスレ
0854人間七七四年2012/09/08(土) 12:47:04.13ID:xlZ/MM+g
>>853
お前みたいなのを創作物に根拠した「軍談講談脳」という。
フィクションとノンフィクションは違うんだよ。
0855人間七七四年2012/09/08(土) 14:04:57.58ID:SbZoaQ+a
三成タイプの忠義者が一番やっかい。
基本頭も良くて有能で、忠義心も厚いけどその方向性が決定的
に間違っている。
どんなに努力しても方向間違っていたら意味ないどころか
マイナスになっちまう。
0856人間七七四年2012/09/08(土) 16:31:25.35ID:A/bKsF+2
三成の忠義心を示す逸話すらない件。
職務への忠実とゴッチャにしたらイカン。
0857人間七七四年2012/09/09(日) 16:22:33.79ID:JhTRgzNj
三成が行動を起こさなくとも徳川VS上杉は発生したんだろうが
上杉はどこまで戦うことができただろうなあ
0858人間七七四年2012/09/09(日) 16:52:54.90ID:s0m+J6Z3
逆逆。上杉征伐が発生したから三成が動いたんだよ・
0859人間七七四年2012/09/09(日) 22:48:17.58ID:JhTRgzNj
あー、日本語変か
「三成が行動を起こさなかったら徳川VS上杉が直接対決したんだろうが」で
0860人間七七四年2012/09/09(日) 23:19:57.99ID:s0m+J6Z3
三成が動かなきゃ上杉は周りから一斉に責められてフルボッコになったか降伏したかのどちらかだよ。
多方面作戦のできるような家じゃないし。
0861人間七七四年2012/09/10(月) 00:53:17.85ID:d+CckkYG
>>853
例えば北条がライバル御家人を次々と排除して将軍を傀儡にしても鎌倉政権が崩壊したとは言わない
同様に徳川がライバル大老を次々と排除して秀頼を傀儡にしても本来ならそれほど騒ぎ立てることではない
会津征伐など鎌倉でいうなら梶原景時の変や比企能員の変くらいのことでしかないのに
それを三成が過剰に反応したため政権が崩壊する羽目になった
0862人間七七四年2012/09/10(月) 09:11:47.66ID:+S7+SmUO
>>861
いずれの例えも立場・状況・規模等まったく違います
もっと歴史を勉強してから書き込みしようね
0863人間七七四年2012/09/10(月) 09:17:23.02ID:/iCxmnVj
>>862
相変わらずお前は薄ら馬鹿だな。本質的には一緒だろうが。
他人に勉強しろというのなら先ずお前が、関ヶ原以前の段階で家康が豊臣公儀を超越しようとした証拠を示せ。
どんな同時代史料を見ても、関ヶ原まで、家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡は一切存在しない。
0864人間七七四年2012/09/10(月) 16:05:16.70ID:+S7+SmUO
>>863
面倒だけど返してあげるね

関ヶ原まで家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡が存在しないからってそれがどうしたの?
まさかそれが家康に野心が無いことの証明になるとでも思ってるの?
君レベルの強度の馬鹿でないなら、政権の中枢というおいしい立場を利用して、
忠臣面して居座り続けて内部から切り崩してから天下を狙う程度のことは誰でも考えつくんだよ


理解できる?
0865人間七七四年2012/09/10(月) 20:11:40.46ID:sFRMAy4h
>>861
鎌倉幕府のそれは政権与党内の派閥争い。
政権までは揺るがない。

豊臣政権のそれは連立政権の大政党同士の戦争。
政権存亡の危機。
0866人間七七四年2012/09/10(月) 23:11:40.02ID:l6o3jEla
可哀想なぐらい頭悪い人がいるね…
0867人間七七四年2012/09/11(火) 00:01:34.52ID:MsuA7c9H
>>864
>家康に野心が無いことの証明
という話ではないんじゃない?
『家康は豊臣政権を瓦解させる方針だったか』という事でしょ。
よく読み直した方がいい感じ。

>>865
キミは論外な感じ。
0868人間七七四年2012/09/11(火) 01:18:45.61ID:xiWelquH
>>864
君の言う政権中枢というおいしい立場は大老だけで5人、奉行も含めれば10人いるわけ
忠臣面して居座り続けて内部から切り崩してから天下を狙う程度のことは誰でも考えつくならば
三成を含めた他の9人も考えつくのだから所詮は同じ穴のムジナでしかないんだよ
豊臣公儀から離脱しようとした形跡が存在しないことが野心が無いことの証明にならない?
それなら三成たちだって野心が無いことをまったく証明できないわけで
結局のところ三成の行動はコップの中の権力争いを脱することが出できない
むしろ自分の権力争いを政権守護と言い張る三成こそ忠臣面した居座り行為に過ぎなくなる
そもそも三成の敗因の一つが自分の蜂起が権力闘争でない・政治的野心でないことを三成自身が証明できなかったことにあるのだから
0869人間七七四年2012/09/11(火) 01:58:09.89ID:XJLzk/lE
関ヶ原前の時点で、豊臣公儀から家康が離脱できる/あるいは
わざわざ否定する可能性って、実際問題としてあるか?
秀頼が存在する上に、形骸化しつつも五大老・五奉行制が
豊臣政権の意思決定機関として存続してるんだから、普通に無理だろ
むしろ家康自身の権力基盤が豊臣公儀の大老という地位に多くを
負ってるのは明白なんだから

関ヶ原後の時点でも、家康は諸将に知行朱印状を正式に文書で発給できなかったわけで
(可能なら、もちろんそうしている)、豊臣公儀が存在する以上、
正式な手続きとしては「大老である家康が取次いで、秀頼様から拝領」
という形式しかとれないので、それを避けるため口頭での知行宛行になった

要するに、秀忠の代までは、徳川家の権力基盤が脆弱だったから、
既に存在する豊臣公儀を離脱できなかったというだけの話であって、
もっと早期に豊臣政権を解体する手段があれば、そらやってるだろ
0870人間七七四年2012/09/11(火) 06:14:46.56ID:SCxuiUSr
それは話があべこべ
権力があったから義昭を擁して、織田信長は上洛したのか?
権力があったから義氏をよして、北条は関東支配を目指したのか?
権力があったから天皇を擁して、秀吉は全国支配にのりだしたのか?
0871人間七七四年2012/09/11(火) 12:00:36.46ID:xiWelquH
>>869
>正式な手続きとしては「大老である家康が取次いで、秀頼様から拝領」という形式しかとれないので

というか関ヶ原前の家康の行動だって全てそういう正式な手続きを踏んでいるのだから豊臣政権としては実は何も問題はないんだよ
三成は豊臣政権の正規の手続きにケチをつけて俺達の許可が秀頼の許可より優先されるという無茶苦茶な主張をしているだけだ
自分達の発言権が弱まって野党みたいになったから武力蜂起して正規の手続きを無効化なんて謀反以外の何者でもない
それを豊臣を守るとかいうデタラメで誤魔化そうとしたって失敗するのは当然だよ
家康の内心がどうであろうと三成が謀反人であることに変わりないんだよ
0872人間七七四年2012/09/11(火) 15:13:40.17ID:oX1PZ0pr
西軍は兎に角「秀頼様のために」と書いているが、家康はそういう文言は一切無い
こうなると胡散臭くなるのは前者だな
0873人間七七四年2012/09/11(火) 16:05:58.21ID:kKf10xE2
>>867
「家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡は一切存在しない」という主張が、なぜ『家康は豊臣政権を瓦解させる方針だったかどうか』と読みとれるの?
家康が離脱したら佐竹あたりを新大老に迎えて豊臣政権を維持させればいい
いずれにしても>864は「内部から切り崩してから天下を狙う」って記述しているのだから、野心にしろ政権瓦解にしろあてはまるのでは?

>>868
君が薄っぺらな知識しか持たず文章の表面上の言葉遊びしかできない、読解力も常識ものない馬鹿だってことを教えてあげるよ
@天下を狙う力がある家康という立場だから内部から切り崩すのに好都合で「おいしい」ということが理解できていない
A家康が筆頭大老として「政務」という中枢を任されていたからおいしいという知識がない
B豊臣政権内部での家康に野心がないことの証明云々の議論をしているのに「家康の立場なら誰でも思いつく(考えたとしても不思議ではない)」ってことを読み取れない 
C他の9人の野心の有無については全く論じていないのにわざわざそれを持ち出して、的外れな講釈を得意気にダラダラ垂れ流すオナニー体質
D三成以外の奉行職連中が野心?そりゃ野心がないことは証明できないけど想像力だけは無駄に豊かすぎるだろw
確かに馬鹿には説明が山ほど必要だから面倒だなw
08748672012/09/11(火) 22:36:17.26ID:j1TWcUIu
>>873
「家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡は一切存在しない」が主張ではないでしょ。
「家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡は一切存在しない」から、
『徳川がライバル大老を次々と排除して秀頼を傀儡にしても本来ならそれほど騒ぎ立てることではない』(>>861
つまり、この議論の本質は>>861
秀頼を傀儡として、徳川が天下を握っても
@豊臣家は滅亡しない。
A豊臣政権は維持される。
なので、三成が豊臣家にとって最大のガンだったって話じゃないかい?
0875人間七七四年2012/09/12(水) 01:33:17.15ID:bJShrljH
ところが当の本人が釣られて、話がどんどん逸れてる罠
0876人間七七四年2012/09/12(水) 11:30:15.73ID:P0qanGdK
>>873
・天下を狙う力がある家康が内部に招聘されたのは秀吉が直々に決めたこと
・家康が筆頭大老として「政務」という中枢を任されたのは秀吉が直々に決めたこと
・「家康の立場なら誰でも思いつく」のに筆頭大老にしたのは秀吉が直々に決めたこと

秀吉が家康を筆頭大老にして政権中枢に据えることを決めたのだから三成も勝手な行動は慎むのが当然だろ
それを「きっと家康のような立場になったら誰でも天下を狙う」なんて妄想で武装蜂起するとか許されるはずがない
家康は会津征伐も含めてきちんと豊臣家の許可を取りながら政治活動をしている
三成たちの妄想でそれを取り消そうとするのは謀反でしかないんだよ
0877人間七七四年2012/09/12(水) 13:04:39.95ID:ivripdGl
三成の妄想は当たっていたという事だけど、でも彼が武装蜂起しなかったら
当然関が原の戦いが起こる確立は低く、豊臣家が力を削がれ逆に家康の力が増大する事
もなかったのかもしれない。
勿論家康の事だから別手段を講じたかもしれないけど、あんな短期間には上手くいかんだろうし。

0878人間七七四年2012/09/12(水) 14:05:55.63ID:DjTSmT1x
>>876
その論法だと、家康にもブーメランで同じことが言えるわけで

秀吉が石田・浅野らを五大老から相対的に独立性の高い五奉行に指名して、
五大老・五奉行をあわせて政権の意思決定機関として制度化したわけだから、
たとえ奉行の裁定が不当であろうと不服であろうと、それは公儀の決定として
正統性があるわけよ
それに対して、実力行使で石田に兵を挙げた七将襲撃は、
まさに豊臣公儀に対する謀反であって、家康は、本来、大老として
豊臣公儀の枠組を維持するために、七将を処断すべきだよな
んで、黒田や蜂須賀は、そもそも裁定に従って、大人しく領国で蟄居するなり
襲撃したんだから謀反人として切腹してろ、って話にならんかね?

でも、どう考えても家康は七将にそんな裁定できんだろ?
当然、徳川家の利害に反するんだから
つまり、豊臣公儀という「タテマエ」を家康にせよ、石田にせよ、
のちの毛利にせよ、使えるときには最大限使ったという身も蓋もない話であって、
形式論で石田なり毛利なりを謀反人認定したって、そらできるけど、
それで何か生産的な議論になるのか、という疑問な
0879人間七七四年2012/09/13(木) 00:53:43.51ID:5CfD8tZD
ブーメランなのは七将であって、家康ではないな。
0880人間七七四年2012/09/13(木) 01:04:31.74ID:mvAmOyst
七将を処断する権限があって、実際に裁定したのは大老の家康じゃん??
豊臣公儀の大老なんだから、もちろん責任があるわけでー
0881人間七七四年2012/09/13(木) 01:17:10.12ID:5CfD8tZD
公儀大老の裁定で、七将を不問に付した事に何の問題が?
問題なのは、七将であって家康ではない。

家康の裁定が公平性を欠く云々は別の話。
0882人間七七四年2012/09/13(木) 01:52:12.75ID:7m07uJlG

論点すら理解できず三成を貶める結論に持ってく

何が何でも涙目で三成を貶める結論に持っていく

内容スカスカアホ丸出しの自作自演を繰り返す蛆虫が一匹

今日も虚しい自慰を繰り返す

明日も虚しい自慰を繰り返す



この虚無で汚く粘着質な魂魄は

当時佐和山領内の道端で

三成に踏みつぶされて

一顧だにされなかった

蛆虫の転生に相違ない
0883人間七七四年2012/09/13(木) 01:56:59.02ID:mE1kC0eY
無駄に改行入れるのは蛆虫以下
0884人間七七四年2012/09/13(木) 03:00:39.95ID:1I3LVF7E
>>880
朝鮮における偽講和などの小細工に目をつぶってやる代わりの三成蟄居処分でしょ
七将を処断しろと言うなら今度は襲撃理由である朝鮮での三成の行動にも大老として裁断を下さねばならない
ブーメランとして戻ってくるのは三成であって家康じゃない
だからこそ三成も家康の処分を受け入れざるを得なかったわけで
08858732012/09/13(木) 14:08:22.64ID:MncVE5Xy
>>874
>>876
だーかーら、俺は三成の挙兵が誤りか否かなんて事は一言も論じてないし、
そんなことは聞いてもないことがまだ分からないのか?
関係のない論点から手品のようにどこからともなく三成叩きの結論を引っ張り出してくる
気持ち悪い粘着アンチ思考が見事にシンクロしているが、もしかして同一人物か?
0886人間七七四年2012/09/13(木) 23:11:27.81ID:GaqHRUuK
何を論じてるのかもわからんけどね
0887人間七七四年2012/09/13(木) 23:59:00.92ID:RBSFuUZm
さすがにキモいな三成ヲタはw
0888人間七七四年2012/09/14(金) 12:29:29.36ID:+rVnUZuw
挙兵するにしてもこれまで豊臣のために勇敢に戦ってきたという信頼・実績を積み重ねてきた人間でないとね
当時の三成は安全な場所に隠れている・すぐに諦めて講和に走るというイメージが強い
東軍はもちろん西軍大名の多くも三成の経歴が信用できなかったのだろう
そういう意味でも「三成が」挙兵したのは誤りと言える
0889人間七七四年2012/09/14(金) 14:39:11.35ID:9Pht+VQ6
>>888
おまえ面白いなw

>>885のレスの中から「挙兵」という言葉だけを抽出して浅い知識で石田三成叩き

空気読めない、
文章読めない
会話できない、
これは人間社会で通用しないわwww
0890人間七七四年2012/09/14(金) 20:18:03.21ID:kRYENnV/
襲撃理由である朝鮮での三成の行動

これソースは?
0891人間七七四年2012/09/14(金) 22:15:44.19ID:x15ENDsM
公儀と関ヶ原の謀反人認定の話が、イマイチよくわかんない
これさ、西軍が勝ってれば、事後的に、ふつうに東軍が豊臣公儀から
謀反認定されてるよね?
たとえ、家康の上杉征伐が公儀として形式的に正しい手続きを
踏んでたとしても、だよ

要するに「三成は関ヶ原で一発で負けたから、馬鹿!」というなら
非常によく分かるし、まったくそう思うんだけど
「三成は公儀に背いた謀反人なんだよ!(ドヤ)」といわれても
だから、それが何なの?重要なの?と思う自分がおかしいのだろうか
勝ちさえすれば、そんなもん、後からどうとでも理屈つけられる程度の
曖昧なもんじゃないの?
「近代的な法制度じゃないんだから、どうせいい加減に運用できるんだし、
勝てば官軍に豊臣公儀はもれなくついてくるだろ」というのは、
やっぱりおれの中世への偏見なのでしょうか?
0892人間七七四年2012/09/14(金) 23:28:39.40ID:wyQNPyWv
会話ができない方と会話するのはやめませう


>>891
あなたの意見は正しいと思います。
関ヶ原直前の形骸化した豊臣政権は半ば家康の都合で動かされていたと思います
結果だけ見て三成公が謀反人と言われてもね・・・
0893人間七七四年2012/09/15(土) 00:07:13.00ID:fg19uC2/
形骸化も何も秀吉が豊臣政権の形を提示せずに死んでるんだから、何が形骸化かすら
誰にもわからんっつーの。家康派家康の考えの豊臣政権を、三成は三成の考えてる豊臣政権を
それぞれ勝手に追求したにすぎん。
0894人間七七四年2012/09/15(土) 02:36:09.63ID:FKAMS9uG
>>890 和睦云々の話じゃないかな?
ほとんどが行長のせいだけど三成も絡んでるからね

特に清正は三成の失言で蟄居まで命じられてる
0895人間七七四年2012/09/15(土) 08:20:37.02ID:GtYKT4op
>>891
西軍が勝てば、東軍は西軍から謀反認定されるかもしらんが、
後世の史実研究によって、三成が謀反を起こした事実は結局確定する。
家康が勝者であっても、秀吉死後の法度違反が正当化出来ていないのと同じ。

>>892
『結果だけ見て三成公が謀反人』ではない。
惣無事令に明確に違反しており、『三成の謀反』と見倣す史料も存在する。
0896人間七七四年2012/09/15(土) 12:27:41.20ID:o1kbcThM
惣無事令ってのは私的闘争の禁止であって、二大老及び三奉行という
「豊臣公儀」という形で発した家康討伐は当然これに当て嵌まらない。
石田・大谷が挙兵したと思っていた時点では「むほん」だと言ってたけどね。
また、三奉行の連署によって内府ちかひの条々が出されたというのは
法度に背いた物は誰であっても切って良いという、五奉行に与えられた
権限に依拠している物だと思われる。
0897人間七七四年2012/09/15(土) 16:33:29.68ID:4+jmXeNz
時系列で説明すればハッキリする。

蟄居の石田、大谷の挙兵は、惣無事令に抵触する明確な謀反。
二大老三奉行はこれを処する事もなく徒党を組む。
つまり西軍は、謀反人を核とする非合法組織。
この組織が発した『内府ちかひの条々』が正当性を有するはずもなく、
五奉行の権限依拠云々は全く意味のない話。
0898人間七七四年2012/09/15(土) 16:47:53.72ID:o1kbcThM
内府ちかひの条々以前に石田・大谷が挙兵?一体何の話だ?
0899人間七七四年2012/09/15(土) 17:37:23.74ID:B5pwwuHK
7月12日:三成らが挙兵。「無断で」関所を設け会津征伐参加の諸将を追い返す
      →三奉行は、三成らの動きを豊臣講義への反逆行為として徳川家康と毛利輝元に三成らの鎮定を要請

7月17日:毛利輝元大阪城入城。「内府ちがひの条々」を発する


ここから見れば三成の挙兵が三奉行の許可を得ていない、不法なクーデターだったことは明らかであり、
「内府ちがひの条々」も三成派の軍事的脅迫により発せられたものにすぎないことが分かる
0900人間七七四年2012/09/15(土) 19:27:25.94ID:PRyhF64c
三成と輝元は共謀しているし、その上で輝元を大坂に招聘したのが三奉行
0901人間七七四年2012/09/16(日) 00:07:55.96ID:kIpZJxOG
ソースは?推測はなしで頼む。
0902人間七七四年2012/09/16(日) 00:36:02.16ID:j4/tKzHJ
>>900
前者は七月二十一日付松井康之等宛細川忠興書状、後者は七月十二日付毛利輝元宛三奉行書状
0903人間七七四年2012/09/16(日) 00:53:43.91ID:kIpZJxOG
>>902
>三成と輝元は共謀しているし、その上で輝元を大坂に招聘したのが三奉行

知識不足で申し訳ないんだが、七月二十一日付松井康之等宛細川忠興書状には、
三成と輝元が事前に共謀していた事が明確に書かれているの?
何と書かれているのか、解説をお願いしたい。
0904人間七七四年2012/09/16(日) 08:42:35.40ID:j4/tKzHJ
>>903
「急度申候、石田冶部・輝元申談色立候由、上方より内府へ追々御注進候、」
0905人間七七四年2012/09/16(日) 09:35:53.80ID:4fYcZY39
>>904
その原文は7/21付でしょ。
既に毛利は大坂城に入城しており、『石田冶部・輝元申談』じているのは当り前。
どの部分から、7/12以前に石田・毛利が共謀していた事実がわかるのか?
0906人間七七四年2012/09/16(日) 09:38:45.50ID:j4/tKzHJ
>>905
七月二十一日に宇都宮にいた細川忠興が出した書状だよ
電話やメールがある時代じゃないんだが
0907人間七七四年2012/09/16(日) 09:42:59.38ID:4fYcZY39
確かに、忠興は宇都宮にいる。
しかし、三成挙兵の7/12以前に石田毛利が共謀していた
証明にはならんのでは?
0908人間七七四年2012/09/16(日) 09:59:28.75ID:j4/tKzHJ
十二・十三日付の大坂からの書状が二十日に家康の元に届いて以降、書状は届かなかったそうで
0909人間七七四年2012/09/16(日) 10:20:48.55ID:4fYcZY39
よくわからないんだけど。
君の話では、7日間〜8日間で大坂からの書状は到着するわけでしょ。
伏見城包囲(7/18)も、7/24には家康の元に届いている。

であれば、7/21付の書状(>>902)も、石田挙兵(7/12)後で十分届くはず。
0910人間七七四年2012/09/16(日) 10:24:51.01ID:4fYcZY39
>>909
追記。
伏見城包囲は、口頭通知だけど。
0911人間七七四年2012/09/16(日) 10:54:47.18ID:j4/tKzHJ
>>909
『慶長記』に家康が江戸出陣した以降、大坂から書状は届かなくなったとあります。
0912人間七七四年2012/09/16(日) 11:37:48.28ID:4fYcZY39
>>911
何が言いたいのかわからないんだけど。
書状が届かなくなった事が、なぜ石田・毛利の共謀証明になるのか
意味がわからない。
0913人間七七四年2012/09/16(日) 13:17:07.15ID:j4/tKzHJ
>>912
つまり忠興書状にある三成・輝元の共謀という情報は、大坂で12・13日までに記された書状からもたらされたことになるから。
0914人間七七四年2012/09/16(日) 13:43:18.95ID:4fYcZY39
>>913
伏見城包囲(7/18発)のように、口頭で情報がもたらされる(7/24着)場合は?

0915人間七七四年2012/09/16(日) 14:24:41.25ID:j4/tKzHJ
>>914
そういう口述の使者があったという記録は確認されていない
後、鳥居の使者は軍記でしか確認できない
0916人間七七四年2012/09/16(日) 14:45:26.01ID:4fYcZY39
>>915
それを言うなら、忠興のもとに届いた石田・毛利共謀の書状はあるのかい?
どうやって忠興はそれを知ったのさ?

面倒くさいので、自分でも調べたが、
>石田冶部・輝元申談色立候由(>>904
これを、石田毛利の共謀と訳しているものなんかないぞ。キミだけじゃないのか?
大抵は、『石田の決起に毛利が加わった』としているぞ。
0917人間七七四年2012/09/16(日) 15:52:44.81ID:j4/tKzHJ
>>916
鳥居の使者が来たという旨を記した書状はありません。

光成準治「関ヶ原前夜」より
「慶長五年七月の反徳川闘争の決起は、少なくとも三成・吉継・輝元(恵瓊)という、
(中略)計画的な行動であったと結論づけることができよう。」
0918人間七七四年2012/09/16(日) 16:11:34.88ID:4fYcZY39
>>917
鳥居の話は例示だから。
伏見城包囲を受けて小山会議を開催した以上、情報入手経路はあるだろ?
ただし、そんな書状はないし口頭の可能性だって否定できない。

光成の著書を出したのなら、話は早い。
『石田冶部・輝元申談色立候由、上方より内府へ追々御注進候』(>>908
を何と解説しているか、知っているはず。当該著書の79ページね。

光成準治「関ヶ原前夜」より
「二十一日の江戸出発まもなく、三成らの決起に輝元が加わったという情報が伝わり、(後略)」
光成は、当該書状については三成・輝元の共謀と解説していない。

キミの論拠は、「7/21付松井康之等宛細川忠興書状」ではなく、光成の受売りって事ねw
0919人間七七四年2012/09/16(日) 16:42:04.37ID:j4/tKzHJ
>>918
『慶長記』には編笠の紐に組み込まれた密書が届いたとあるね
後、山内一豊からも密書が来ているようだし

いや、二十一日付書状の情報が大坂もたらされたされたことからの類推だけど
0920人間七七四年2012/09/16(日) 16:51:48.67ID:tqDO7pmr
つーか、光成氏が論拠としてるのは、安国寺や秀元の行動が独断だったとは考え難い事、
輝元の上坂が早すぎる事だろ。
0921人間七七四年2012/09/16(日) 17:01:18.40ID:4fYcZY39
何にせよ、
0922人間七七四年2012/09/16(日) 17:02:37.98ID:4fYcZY39
>>919
何にせよ、「7/21付松井康之等宛細川忠興書状」は三成・輝元共謀の証明には
ならんよ。

光成の著書読んでるなら、わかりそうなもんだが。
0923人間七七四年2012/09/16(日) 17:59:10.60ID:j4/tKzHJ
>>922
うん、共謀しているということに納得してくれるなら、それでいいや
0924人間七七四年2012/09/16(日) 18:10:57.57ID:p5rWoTrl
安国寺はどうかわからないけどな

輝元が安国寺から報告を受けていたら…
まあこれも推測だからしかたないけど

輝元もまあ…とりあえず西軍のまとまりのなさが致命的
何人内通者いたんだよwwって話だ
0925人間七七四年2012/09/16(日) 18:29:41.04ID:KuKmg76B
西軍も小山評定みたいなものを開催するべきだった
大老や奉行以外も発言できる評定の中で家康につきたい者はついて構わないと言っておけばいいのに
豊臣の権威で抑えつけて逆らったら人質にした家族を殺すぞという脅迫一辺倒ではまとまるはずがない
三成の器量のなさが多くの内通者を生む羽目になった
0926人間七七四年2012/09/16(日) 19:33:10.50ID:AV5MHttA
大坂奉行らが輝元を12日に招聘してるのを知った細川が21日に輝元や三成が…と書いてるだけだろ。
大坂奉行に三成は入ってないから
完全に忠興が三成への個人的怨恨から尾ひれを付けて讒言してる。
三成を捕縛した家康も忠興が三成を恨んでるの知っていたから、
三成捕えたからもうすぐこちらに来る。
忠興殿と捕縛された三成を一緒に観察しようぜ!とゲスな小人書状を出してる。
0927人間七七四年2012/09/16(日) 19:40:48.92ID:AV5MHttA
細川家は余程、三成を嫌っていたようで、
玉の自刃も三成が捕縛に来ると言う風聞だけ。
大坂にはいもしない三成の虚名だけで混乱してる。
0928人間七七四年2012/09/16(日) 19:55:44.93ID:AV5MHttA
ただ玉付の侍女の回顧だから、
三成の名前自体は、
当時は出ていなくて、
完全に後知恵なのかも知れんが。
0929人間七七四年2012/09/17(月) 12:35:43.78ID:7uuyLpZp
輝元の勢力が挙兵しなければ
誰も無謀な蜂起はしなかっただろうね。
豊臣潰したのは毛利だよな。
0930人間七七四年2012/09/17(月) 20:42:08.58ID:LDzO/HCs
>>926
たしかに忠興は三成をこの輝元と奉行挙兵の乱に巻き込みたくてしかたがないって感じだな。
21日書状でも、
こうなることはかねて申したることと書いていて、
忠興がだいぶ前々から証拠も無いのに、
家康へ三成は謀反するすると讒言を続けていたのがわかる。
0931人間七七四年2012/09/17(月) 23:29:29.07ID:BZS8iX6L
三成による関ヶ原主導を否定したがってるアホがまだいるんだな。
Subしか考えられんがw
0932人間七七四年2012/09/18(火) 07:08:00.55ID:/2FH1V+s
当時の三成は家康方として前田の南下を牽制する立場だったから忠興も讒言してなんとか三成を殺したいと思っていたのだろね。
三成が大谷を誘う逸話なんてのも作り話で、
実際、朝鮮で抜き差しならない関係になった小西行長と島津義弘と清正らの対立が関係してる関係から読み解くべき。
小西の兄と三成の兄は河内と和泉の蔵入地の管理をして親しい間柄だったのがわかっており、
小西の挙兵→忠興の讒言→三成が止むを得ず小西に同調という流れだろう。
家康は小西も徳川派にしたくて懐柔しようとしても、
小西はあくまで秀頼様を立てた上で公儀の命として家康に従う立場を貫いている。
そのために九州取次ぎの役割を庄内の乱を契機として
家康に買収された寺沢に奪われるようになっていく。
家康の権威を背景に寺沢が九州諸大名を統制する中で、
関ヶ原の戦いが勃発してしまい、
九州で小西に味方する勢力が極端に少なくなる。
まさかの島津忠恒まで様子見は大ダメージ。
さらに小西は1600年初頭に大坂にいっており、
兵は九州から連れてきてないため、
関ヶ原の戦いでは大阪城から与力の貸与を受けている。
清正が関ヶ原の戦いの詳報が来るまで小西領を攻められなかったのは、
小西配下の朝鮮出兵の猛者どもが在国してたから。
0933人間七七四年2012/09/18(火) 09:46:32.33ID:U0mcXu0B
>当時の三成は家康方

まで読んだ
0934人間七七四年2012/09/18(火) 22:13:14.79ID:sIhAznQy
家康に反した敗北者だから、
賊徒小西行長の書状は消されてほとんど無いと定説として語られ続けてきたけど、
本格調査すると実は500通以上あったとか面白いよね。
いかに定説が信用出来ないものかがよくわかるし、
別に家康の敵の書状を消さないとヤバイなんて思考も、
後世の人の考え過ぎにすぎないのがわかる。
0935人間七七四年2012/09/19(水) 08:14:13.12ID:klF8K+yM
7月24日付 中川秀成宛 松井康之書状
20日に下国したそうですね。在国なら大慶なので心添えください。
上方の情勢は中川平右衞門に伝えました。
毛利殿と奉行衆が仰せ合わされ、
内府に御謀反された。
伏見は鳥居が堅固に守っており、
大津宰相は家康に別心無い。
新しい情報あったら教えて欲しい。
こちらも伝える。

などと書かれており、
忠興家臣の松井は中川に正確な情報報告において、
輝元と奉行が談じたと書いてあり、
三成は全く関係ないのがわかる。
忠興は憎しみの余り三成を首謀者にしたがっていた。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。