【治部】石田三成総合スレ 10【佐吉】
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0001人間七七四年
2011/11/04(金) 22:15:12.11ID:pOM6V5+o■過去ログ
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0772人間七七四年
2012/07/28(土) 17:11:58.80ID:qZfVxznP前田、浅野、石田は少なくともその時点では処分を受け入れてしまっている訳で、
それを覆すのに当人が主張しても意味は無い。
だからこそ内府ちかひの条々では上記処分に言及しており、
当然石田はそれに連署していない。
0773752
2012/07/28(土) 23:03:56.93ID:sP0c1tLV>>徳川家の世で三成を褒められる訳が無いんだから
>なぜ?三成は豊臣家から見ても謀反人だし、実際西軍は非公認だ。
>別に、徳川家にとってタブー視される存在でもなんでもない。
>それこそ、キミの妄想では?
これはこれでいいんだろ?w
0774人間七七四年
2012/07/29(日) 01:12:14.98ID:kftCXEbVそんな論調は存在しない
0775人間七七四年
2012/07/29(日) 02:31:39.57ID:gzj5OZvJ実際に運用しなければ分からない判例など何も積み重ねられていない
要するに上記の政治決定方法の是非については個々人が脳内で勝手に解釈しているレベルでしかない
三成たちが二頭体制抜きで自分達で決定できるという妄想を抱くのは当然の欲求であって参考にならない
現代ならば最高裁判所で争うところであろうが当時はそれが関ヶ原だったというだけの話だ
0776人間七七四年
2012/07/29(日) 09:12:01.69ID:JoldGJHM政治決定方法が脳内で勝手に?秀吉の遺言にきちんとあるって説明してんだろ。
0777人間七七四年
2012/07/29(日) 09:14:57.39ID:tx/p/5Ok忘れた頃に『御肝煎』の議論が再燃するな。
>家康は伏見で「諸職御肝煎」に命じられているけど、
>これが「政務を任された」などと意訳され、それを見た馬鹿が勘違いしただけ。
>実際には長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場ってだけ。
ソースは?識者の解説でもいいや。キミの個人的な解釈なら勘弁してくれ。
0778人間七七四年
2012/07/29(日) 09:22:56.99ID:tx/p/5Ok違うぞ。
五奉行=年寄は、秀吉と緊密な主従関係で結ばれた豊臣家の家老だが、
五大老は、秀吉と血縁関係や情で繋がった大大名。秀吉の死の目前で
『御奉行五人』として豊臣政権の『国政の執権機関』として位置づけられた。
つまり、五奉行は豊臣家家老の位置づけだが、豊臣家の家老ではない。
豊臣政権の国政執行機関だ。
0779人間七七四年
2012/07/29(日) 09:23:31.03ID:tx/p/5Ok0780人間七七四年
2012/07/29(日) 09:24:41.24ID:tx/p/5Ok>>778
× つまり、五奉行は豊臣家家老の位置づけだが、豊臣家の家老ではない。
○ つまり、五奉行は豊臣家家老の位置づけだが、五大老は豊臣家の家老ではない。
0781人間七七四年
2012/07/29(日) 10:20:31.10ID:JoldGJHM先ず、十条で書かれてるのは家康が伏見で諸職御肝煎だって事と前田と長束が留守居だって事だ。
伏見では前田と長束が留守居として日常業務を行っており、家康はその「御肝煎」って事。
そもそも訴訟の取り扱いは十人衆、財政は五奉行が家康・利家の請取りを貰う、など
重要な決定事項は別途定められているのに、伏見の肝煎ってだけで
政治決定権が全て家康にあるような解釈が出鱈目なだけ。
ちなみに、「諸職御肝煎」についてだけど、これを「最高責任者」だと解釈するなら、
五奉行・五大老の「諸職御肝煎」である宇喜多は豊臣政権のトップって事になるw
>>778
五奉行は五大老の事を「奉行」と呼んでるけど、家康等は五奉行の事を「奉行」と呼んでるんだよ。
お互いが相手をただの執行機関である「奉行」に過ぎない、と主張しているって事。
ただ、これって俺が言ってる豊臣家の意思=大老・奉行の総意では無く、
豊臣家の意思=五奉行の決定って言ってる事になるんだけど、分かってる?
0782人間七七四年
2012/07/29(日) 10:30:02.04ID:bQCh8446そうである以上、彼らは実力で自分の権限を設定せざるを得ない。
豊臣政権というのはそれまでも仕組み、組織のはっきりしない政権だったが、その曖昧さ(秀吉の独裁運営には
都合が良かった)の弱点が秀吉死後一気に出てきたのだと見るべきだな。
0783人間七七四年
2012/07/29(日) 10:57:49.51ID:gzj5OZvJ遺言にどう書かれていようとそれはしょせん紙の上のことに過ぎない
現実に運用すれば乖離が発生し解釈の争いが出てくるのは現代の憲法を見ても一目瞭然だ
三成たちは家康を排除して政治決定が出来るという解釈をしたがるし
家康は自分が筆頭として政治決定を握るという解釈をしたがるのは当然であり
これらは別に遺言違反でもなんでもない
内府ちかひの条々だって現代風に言えば「〜が憲法違反だ」と裁判に訴えたというレベルでしかなく
訴えたから家康の行為が遺言違反だと確定するわけでもない
そして法解釈の争いに決着をつけるのが関ヶ原という裁判だったというだけだ
結論からすれば家康が勝訴したのだから家康の解釈が正しい
後で家康が幕府を作ったり秀頼を倒したことは別の問題であってこれには関係ない
0784人間七七四年
2012/07/29(日) 11:22:15.52ID:tx/p/5Okちゃんとポイントを抑えてくれるかな。
「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758)
のソース、もしくは識者の解説を求めている。
奉行の呼称云々の話もしていない。
五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関。
>>756>>776の認識は誤りだと思うが。
>豊臣家の意思=五奉行の決定って言ってる事になる
ならない。五奉行は行政実務担当。豊臣家の意思決定機関ではない。
現に、増田等が西軍に参加したところで、豊臣家=西軍ではない。
キミは、関ヶ原が徳川家VS豊臣家と主張してるんだったっけか?w
0785人間七七四年
2012/07/29(日) 12:14:29.47ID:JoldGJHMだからソースは豊臣秀吉遺言覚書だよ。説明してんだろ。
「何に対して」→同条で前田と長束が留守居ってなってんだから当然それに対する物。
「どういった権限」→宇喜多の例を挙げてるよね。
で、そもそも家康が独断で政治決定を行えるような権限があっただなんて
主張してる研究者なんて聞いた事ないんだけど。
呼称の話をしてない?何言ってんの?
> 五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関。
これって阿部氏の主張が元だと思うけど、その根拠がその「呼称」なんだけど。
ただ、それについては堀越氏が逆に五奉行を「奉行」だと呼んでいる物があり、
互いに相手を「奉行」と呼んでいたって言ってんの。
> ならない。五奉行は行政実務担当。豊臣家の意思決定機関ではない。
自分で家老って言ってんじゃんw
家老(年寄)ってのは当主に次ぐ家臣団の最高職であって、
当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事なんだけど。
っていうか、
> 五奉行は行政実務担当。
これじゃ、「奉行」って事で、上で言ってる「家老」ってのと矛盾してんだよ。
0786人間七七四年
2012/07/29(日) 12:49:38.32ID:tdX13OnZ大老も家康以外は問題ありの状態になっちゃったからねぇ
0787人間七七四年
2012/07/29(日) 12:54:49.01ID:tx/p/5Okであれば、キミは勘違いをしている。
浅野家文書・豊臣秀吉遺言覚書第十条では、留守居の責任者を徳川家康とし、
前田・長束は家康の留守に就く事としている。
キミは、大老が豊臣家に属するとしているだろ?(>>756>>776)
『五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関』
なので、その認識は誤っていると言ってるんだよ。
繰り返すが、五大老は豊臣家の家老ではない。
>当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事
初めて聞いた。簒奪目的の家臣は別として、それは暴論でしょ。
>「奉行」って事で、上で言ってる「家老」ってのと矛盾
別に矛盾しないよ。言ってみれば、家老は職階、奉行は職名。
0788人間七七四年
2012/07/29(日) 13:34:05.72ID:JoldGJHMだからさぁ、一体どこに「責任者」なんて書いてあるんだよ。
「諸職御肝煎」については説明したんだけど。
で、お前前田と長束が徳川家康の留守を預かるって思ってんの?
留守って秀吉(秀頼)に決まってんじゃねーか。
何で伏見城が家康の城になってんだよw
> なので、その認識は誤っていると言ってるんだよ。
だからな、
> 『五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関』
これは堀越氏に否定されてんだよ、って教えてあげたはずなんだけど。
当主が不在、若しくは幼君である場合、家臣団の合議によって家の運営は行われるのは
当然で、家老ってのはその長。まさかこれが初耳だって言いたいわけ?
ってか、だったら誰が家の意思決定をすると思ってんの?
> 別に矛盾しないよ。言ってみれば、家老は職階、奉行は職名。
じゃあ何か?家老ってのは実務担当者程度の権限しか有して無いとでも思ってるのか?
0789人間七七四年
2012/07/29(日) 13:59:04.11ID:xiCdRbje事実から言えば奉行はあくまで秀吉の意志を実行に移す使いっ走り、あるいは秘書官に過ぎず、
彼らが主体的に豊臣政権の意思決定に関わったことはなかった。
そういった秀吉の時期からの慣例で考えれば、奉行は政権の意思決定に関わるものではなく
奉行衆自信がどう考えようが、彼らは行政技術者に過ぎない、と捉えられても仕方がないし、
実際「大老」はそう考えたと推測できる。
0791人間七七四年
2012/07/29(日) 14:15:27.95ID:tx/p/5Ok第十条の初文そのものと、宮部継潤作成・豊臣秀吉遺言覚書 第二条にあるよ。
・「伏見ハ内府御座候て、諸職被成御肝煎候へと御意候、・・・」
・「・・・、内府『惣』様御留守居候事、・・・」
なので、それを否定するキミの
「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758)
のソース、識者の解説を求めてるんだが?キミは全く提示してないよ。
堀越氏は否定してないよ。
『当主が幼君だと家老が代表するという事』が初耳w(>>785)
意思決定は個別様々だろう。少なくとも、関ヶ原で豊臣家が旗幟を西軍としなかった
のは、増田・長束等の奉行が決定したことではない。
職階と職名の違いを調べた方がいいよ。
同じ職階で、違う職名なんて普通にあるよ。
0792人間七七四年
2012/07/29(日) 14:15:42.27ID:xiCdRbjeだけど、そもそも秀吉が死ぬまで使いっ走りに過ぎなかった三成ら「秀吉奉行」たちが、
秀吉が死んだ途端「実は使いっ走りじゃない」と言っても説得力はないだろ。
みんな彼らが使いっ走りであることを見ていたんだから。
0793人間七七四年
2012/07/29(日) 15:12:20.53ID:JoldGJHM全く根拠になってないよ。
> ・「伏見ハ内府御座候て、諸職被成御肝煎候へと御意候、・・・」
諸職御肝煎は「責任者」とはならないってのは説明した通り。
> ・「・・・、内府『惣』様御留守居候事、・・・」
前田・長束が一番、その他一人が二番、家康が全体的にって事であって、
当然序列を表す言葉じゃない。
もちろん、この中に伏見の留守居=全ての政治決定権があるなんて内容は一切見当たらない。
そもそも家康が独断で政治決定を行う権限を持ってたって主張してる研究者って誰よ?
俺はそんな人は知らないんで、それを否定も何も無いんだけど。
> 『当主が幼君だと家老が代表するという事』が初耳w(>>785)
俺のレスにきちんと答えられて無いんだけど。
当主が自らの意思を決定出来ない場合に、家臣団がその家の意思決定をするのは
当然だと思うんだけど、これを否定する理由は何?
> 意思決定は個別様々だろう。少なくとも、関ヶ原で豊臣家が旗幟を西軍としなかった
だからその「豊臣家」なるものが別個に存在していると思ってるのが間違いだって言ってんの。
豊臣政権と豊臣家が分けられたのは片桐が家老として置かれた関ヶ原後の話。
それまでは豊臣政権=豊臣家だ。
> 堀越氏は否定してないよ。
阿部氏が主張したのは「五奉行」=「年寄」で、「五大老」=「奉行」だったって事。
で、奉行ってのは実務の執行機関だから、国政レベルの権力の執行機関だったって言ってるわけ。
で、それに対して堀越氏が五大老は五奉行の事を「奉行」って言ってるわけで、
お互いが相手をただの実務担当だと主張したって言ってんの。
> 職階と職名の違いを調べた方がいいよ。
> 同じ職階で、違う職名なんて普通にあるよ。
「おとな五人」「御奉行五人」と同じ条文に分けて書かれてんだけど。
0794人間七七四年
2012/07/29(日) 15:41:15.60ID:JoldGJHM> みんな彼らが使いっ走りであることを見ていたんだから。
例えば島津が
「江州沢山ノ城主石田治部少輔、太閤公ノ為股肱ノ臣其勢威無比肩人〜」
って言ってんだから、みんながただの使い走りだと思ってただなんてのは無理があるな。
取次にしても単純に奏者としての物と御指南としての物がある訳で、
前者は使い走りに近いけど、後者はもっと上位の権限を持っている事になる。
とは言え、家康方は五奉行を「奉行」と言っており、そこには「ただの使い走り」という
意味合いがあったと思うけどね。
0795人間七七四年
2012/07/29(日) 15:50:25.76ID:tx/p/5Ok>諸職御肝煎は「責任者」とはならないってのは説明した通り。
いや、誤魔化さないでさ。まずは、
「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758)
ソース、もしくは識者の解説を提示してくれ。何度も言わせないでもらえるか?
少なくともこの条文をもって、『伏見において、家康が国家の政務を委ねられた』とする識者は明確にいる。
>伏見の留守居=全ての政治決定権があるなんて
>家康が独断で政治決定を行う権限を持ってた
いやその前に。そもそもこんな極論を誰が主張したんだ?レス番で教えてもらえるか?
自分の発言に責任持ちなよ。そもそも>>785でしょ。
>当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事なんだけど。
家臣団が、幼君だからとこれを差し置いて『代表する』というのがおかしいと言っている。
> それまでは豊臣政権=豊臣家だ。
なわけないでしょ。政権を構成する五大老は豊臣家ではない。
>お互いが相手をただの実務担当だと主張したって言ってんの。
本当によく誤魔化そうとする人だ。こんな話はしていない。
『五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関』
要約しているが阿部氏はこれに触れており、堀越氏はこれを否定していない。
五大老は豊臣家には帰属しない。キミの>>756>>776は誤った認識。
職階、職名の話はいいや。会社務めになればわかるよ。
0796人間七七四年
2012/07/29(日) 17:00:03.48ID:JoldGJHMだから何度も言っているように、ソースは同文。
俺が主張してるのは>>758で言っているように
「政務を任せられた」と意訳されている物を>>758のように
「豊臣政権の執権者」だったと勘違いしているという事。
お前が証明すべきは
> 『伏見において、家康が国家の政務を委ねられた』とする識者は明確にいる。
こんな事じゃなくて、「家康は豊臣政権の執権者」だったという事。
> いやその前に。そもそもこんな極論を誰が主張したんだ?レス番で教えてもらえるか?
え?じゃあ何か?家康にはそんな権限は無かったって言いたいの?
そうすると西軍が非公認って事の根拠に家康が豊臣政権の執権者だった
って挙げている>>757は全く無意味って事になるんだけど。
幼君を蔑ろ?意味が分からない。
本人に意思決定する能力が無いのに他にどうしろと?w
> なわけないでしょ。政権を構成する五大老は豊臣家ではない。
こりゃまた驚いたけど、五大老は豊臣家の家臣じゃないって言いたいの?
少なくとも秀吉は「家」による統治を志向していた訳で、
家康以外の大老は豊臣姓・羽柴氏を下賜されてるし、
家康も羽柴氏を名乗っていた形跡があり、当然豊臣姓も下賜されたと考えられる。
「国政レベルでの権力を執行する機関」ってのは、
この場合の「奉行」に対する説明って事は分かるよね?
で、堀越氏は「奉行」という呼称は必ずしも五大老に対する呼称ではなく、
お互いが相手をそう呼んでいたって言ってるわけ。
それは相手をただ命令を奉じて執行するだけの機関だと主張してるって事。
> 職階、職名の話はいいや。会社務めになればわかるよ。
あんまり幼稚な煽りはやめた方が良いな。恥ずかしいよ。
0797人間七七四年
2012/07/29(日) 17:32:01.95ID:tx/p/5Okだから何度も言ってるわけだけど。
豊臣秀吉遺言覚書第十条のどこをどう読んだら
>「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758)
になるの?原文をソースに持ってきても意味ないでしょ。キミの訳の根拠を聞いてるわけだから。
繰り返すけど、この条文をもって『伏見において、家康が国家の政務を委ねられた』とする識者は明確にいる。
一般的・普遍的な認識をキミが否定する以上、証明責任はキミにある。
キミは本当に卑怯な人だな。
こちらが主張していない極論を、さも主張したかのようにソース要求するから、
そのレス番を求めただけだ。(>>795)
誤魔化さなくていいから、レス番を示そうよ。それとも、嘘つきだったのかな?w
>五大老は豊臣家の家臣じゃないって言いたいの?
またこちらが言ってもいない事を、堂々と押しつけてくるね。
五大老は豊臣家ではない。誤りがあるとすれば宇喜多秀家だね。それは認める。
五大老は豊臣政権の国政執権機関だ。これは阿部氏も主張している。
本当に同じ事を何度も言わせないで欲しいな。
相手をどう呼称していようがどうでもいい話。
五奉行が豊臣家の家臣であり、五大老が豊臣政権の国政執権機関であること。
堀越氏はこれを否定しているのか?イエスかノーで答えてくれ。
そして否定しているというのなら、掲載文献を教えてくれ。
こちらが読んだ堀越氏の主張は転載文だが、答えはノーだ。
この程度は煽りのうちに入らないよ。短気なんだね。
0798人間七七四年
2012/07/29(日) 17:44:54.51ID:tx/p/5Ok追記。なんか「政務を任された」のトーンが随分変わってないか?w
ネガティブな表現だったのが、いつのまにかポジティブだね。
本当に卑怯だな〜。
>>758より
>家康は伏見で「諸職御肝煎」に命じられているけど、
>これが「政務を任された」などと意訳され、それを見た馬鹿が勘違いしただけ。
>実際には長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場ってだけ。
>>796より
>「政務を任せられた」と意訳されている物を>>758のように
>「豊臣政権の執権者」だったと勘違いしているという事。
0799人間七七四年
2012/07/29(日) 17:46:26.74ID:VCUHvvem家康が奉行なら利家や輝元も奉行になる
でもいくら三成が紙の上の文言を振りかざして威張ったとしても現実として利家や輝元の後ろ立てがなければ三成は何もできない
三成の自分は年寄でもう一方は奉行だなんて主張は完全に現実と乖離し破綻しており説得力がない
というか本当に三成は関ヶ原でも自分は年寄で輝元は奉行と呼んでいたのか?
そこまでいったらただの馬鹿だよなw
0800人間七七四年
2012/07/29(日) 18:00:04.82ID:xiCdRbjeというべき史料が注目される
(略)
全11条であるが、6条目までは家康・前田利家・徳川秀忠・前田利長・宇喜多秀家、そして上杉景勝・毛利輝元らに対し
秀頼の取り立てを要請している。第7条では五奉行たちが連携して秀頼を盛り立てるようにと命じている。
第8条では、五奉行は蔵入地などの算用を行い、家康・利家の検閲を得ること、第9条では何事も家康・利家の
御意を得て行うこととしている。
第10条では家康は伏見城にあって政務をとること、第11条では利家は大阪城にあって秀頼を補佐することを、それぞれ
命じている。
このように先の秀次事件の際には家康と輝元とが重視されたのであるが、臨終に際しては、主として家康と利家に
後事が託されたのであった。とりわけ、政務を託された家康が置かれた立場は重要で、まさに五大老の筆頭として
豊臣公儀を担うことになったといえよう。宮本義巳氏はこの様な「遺言覚書」に基づく統治の仕組みを、「秀吉遺言覚書」体制
と呼ばれている。
慶長3年(1598)8月18日、秀吉は伏見城中で波乱にとんだ63年の生涯を閉じた。その死の前後から、家康と五奉行、
とりわけ三成との不和が表面化し、権力闘争が激しくなっていった。あらためて起請文が交わされたが、
とりわけ9月3日付の五大老・五奉行による連署起請文は「十人連判の誓紙」と呼ばれて重視された。秀頼を尊重することは
もとより、相互に隔意が無いよう誓っているが、「諸事御仕置」については「十人の衆中多分に付て」、つまり
五大老・五奉行の多数決によって決めるとされている。明らかに「遺言覚書」で政務を任されたはずの家康の裁量権が
制約されていて、宮本氏は三成の画策があったのではないかと推測されている』
本多隆成『定本・徳川家康』(p179〜180)
0801人間七七四年
2012/07/30(月) 00:46:24.86ID:ZT9T8G/S>家老(年寄)ってのは当主に次ぐ家臣団の最高職であって、
>当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事
三成がこういう自信(というか願望)を持っていたのは事実だろうね
それを粉々に打ち砕いて否定したのが七将事件なわけ
豊臣家老・家臣団の最高職を自負する三成が今までリンチされずにすんだのは「大老」たる利家の威光のおかげ
リンチされそうになったのを助けてもらえたのは「大老」たる家康の威光のおかげということになり
三成は紙切れを盾に威張っていただけで実際は何の力も権威もないことが白日の下に晒された
この事件によって三成側が奉行・家康側が大老であることが確定したと言っていい
三成だって返り咲きをするためには毛利・宇喜多という大老の力にべったり依存するしか道はなくなったわけだしね
結局のところ自身の力を持たない奉行が大老の方を奉行に落として自分達が年寄と称することに無理があった
0802人間七七四年
2012/07/30(月) 02:15:21.92ID:axd9py7B豊臣家の親族でもないし、官位も従四位下だっけ?
豊臣家を代表するのは、身分から言って常識的に無理だろ
豊臣政権の実権を握りたい、ってのならわかるが
0803人間七七四年
2012/07/30(月) 07:29:32.05ID:gq5YWqnU0804人間七七四年
2012/08/01(水) 12:01:06.40ID:eEuNM3+T奉行が豊臣を支配できると勘違いしたのが三成の過ちでしょ
0805人間七七四年
2012/08/01(水) 21:05:59.12ID:Kxp4w1sjなんだよ「勘違い」ってw
勘違いな訳がないだろw子供かよw
三成は石高も無いんだから武力を頼りにするなんて出来ない、
あるのは、
「縁」と「筋道」と「約束に対する信義」だろ。
それを家康は、「人の感情」と「武力」と「約束の無視」で、
「三成嫌いを理由に、「取り決めを破りたい人」達」を集めていった。
世の中は約束を守る人だけでないことは判るだろw
武力が頼りの世の中を背景にして、
単純に「武力と好き嫌いだけ」で戦った家康。
武力を使わずに、
「約束事を強調して豊臣を守ろう」として守れなかった三成。
それだけ。
あとはそれぞれ個人の好き嫌いだろう。
武力を持たない「嫌われ者の三成」に半分の人間が付いた事に意味があるんじゃないか?
頑固だが「道理を持っている者」と、
「武力」で解決できてしまえば、約束も破る人達の争い。
0806人間七七四年
2012/08/01(水) 21:23:46.57ID:wvbgrGnvいろいろとツッコミ所満載だなw
「失った自分の地位を守ろう」と「バカな戦」をしたのが三成
取り敢えず「半分の人間が三成に付いた」わけでは無いなw
0807人間七七四年
2012/08/02(木) 02:13:59.64ID:RhgWuOw+なんだよ「好き嫌い」ってw
好き嫌いな訳がないだろw子供かよw
秀吉の老害で、豊臣家は求心力を失っている。
豊臣家を守る、なんて既にナンセンス。
毛利だって、心底は豊臣家なんぞにはなく、自国領域の拡大。
上杉も五十歩百歩。速攻土下座は戦乱長期化の見込が外れたから。
そもそも豊臣家の事を本当に考えるなら、挙兵は下策。
秀吉の敷いたレール通り、徳川と緩やかに融合するべき。
挙兵は三成自身の政権返り咲きを企図しただけ。
0808人間七七四年
2012/08/02(木) 03:16:02.49ID:9z5LUOcW自国領域の拡大と権力拡大を目指してる家康が相手なのだから。
歳だから尚更だったよ。
三成の挙兵が下策かどうかなんて負けたから後付けしてるだけで、簡単に判断できない。
不確定要素が多すぎた戦だよ。
政権返り咲きを企図なんていらない。
大義名分があるのは豊臣側だから。
自国領域の拡大を家康みたいに勝手に振舞って行うのが平気な武将か、
西軍の大名の様に、大義名分を探して理由をつけて戦うかなんだよ。
豊臣の為に、嫌いな三成を東軍について討つ馬鹿もいたけどw
0809人間七七四年
2012/08/02(木) 03:44:15.44ID:cQGjNxrM> 三成の挙兵が下策かどうかなんて負けたから後付けしてるだけで、簡単に判断できない。
> 不確定要素が多すぎた戦だよ。
不確定要素が多いのに挙兵するのを下策という
0811人間七七四年
2012/08/02(木) 09:07:05.09ID:MJBy1zgR0812人間七七四年
2012/08/02(木) 17:13:27.37ID:Szpun+CEそれを後背から弾劾状送って宣戦布告した西軍
西軍が公儀として活動してたのかな?
0813人間七七四年
2012/08/02(木) 17:41:27.15ID:pS50AroWそこには正義も悪も無い。
あるのは勝者と敗者だけ。
0814人間七七四年
2012/08/02(木) 23:43:01.68ID:PRnS8ZCS徳川家の領域が拡大したのも、権力が極大化したのも、
全て関ヶ原の勝利によるものだよ。
不確定要素が多い挙兵である以上、これは結果論ではない。
イチかバチかの愚策。主家である豊臣家を巻き込んだ三成の罪は重い。
福島・加藤の方が、余程豊臣家の事を考え、現実的な対応をしていた。
0815人間七七四年
2012/08/03(金) 00:43:59.69ID:bte5McKz0816人間七七四年
2012/08/03(金) 02:19:38.06ID:iFkiKF/+0817人間七七四年
2012/08/03(金) 16:14:41.36ID:ZBFHdhAC戦後は実質家康の政権が確立して豊臣家は一大名に叩き落されたからな
0818人間七七四年
2012/08/03(金) 16:57:24.52ID:sv95C2Gl豊臣は日露戦争の清の如く、当事者なのに何も出来ず
0819人間七七四年
2012/08/03(金) 19:03:31.22ID:+VVH5/ul自国領域の拡大を勝手に振舞って行ったのは毛利とか上杉とか西軍大名の方だよ
家康は関ヶ原前も関ヶ原戦役時も別に自国領域の拡大などやっていない
関ヶ原後に三成を討伐した恩賞として豊臣から貰ったに過ぎない
0820人間七七四年
2012/08/04(土) 13:29:09.46ID:mTxuNpeAただしその場合、三成が政権中核に復帰出来る可能性は低い。
三成=忠義の人、なんてとんでもない勘違い。
0821人間七七四年
2012/08/05(日) 23:51:05.81ID:AbtaXUJb豊臣家のために挙兵だと、只の浅慮じゃね?
0822人間七七四年
2012/08/06(月) 15:34:02.62ID:tz1N1KuO時が経てば経つほど、挙兵の際の仲間は減っただろう。
西軍は、数が優先順位としてあっただろう。
嫌われてるからこそ、家康をのさばらせると不利になるばかり。
大名達は領地拡大の混乱を狙っているんだから、
三成の命令に「効きめを持つ今のうちに挙兵」と言う選択は外れていない。
権力志向はどの程度か、知らん。
0823人間七七四年
2012/08/06(月) 23:19:02.38ID:AkvVEMJk0824人間七七四年
2012/08/06(月) 23:38:53.33ID:5kZicKjO0825人間七七四年
2012/08/07(火) 08:42:04.90ID:8X+fb7wT0826人間七七四年
2012/08/07(火) 09:22:34.80ID:h7t6ROmxそれ以上は置き筒になる
0828人間七七四年
2012/08/07(火) 19:48:13.25ID:h7t6ROmxサイズで言うなら20匁以上
0829人間七七四年
2012/08/07(火) 20:08:15.81ID:MKrFIbp70830人間七七四年
2012/08/29(水) 23:45:38.09ID:vqhoLObHttp://www.rekihaku.ac.jp/publication/rekihaku/img/114/figure1.jpg
0831人間七七四年
2012/08/30(木) 05:56:55.53ID:tFvJch7s0832人間七七四年
2012/08/30(木) 15:32:24.10ID:FDehaGiZ佐和山で遭難だと
0833人間七七四年
2012/08/31(金) 00:38:44.17ID:FaO6I8CU備中松山城とかよりは楽?
0835人間七七四年
2012/08/31(金) 11:35:50.87ID:MLbL2xlK家康が豊臣家の一忠臣として余生を過ごしてくれたとでも思ってるの?
0836人間七七四年
2012/08/31(金) 12:44:10.31ID:+0Nn7adA三成だって政権中枢にいて失政に誰よりも深く関わっていたのだから
偉そうな顔で批判できる立場じゃない
むしろ三成こそ真っ先に批判されてクビになるべき人間なんだよ
家康はあくまで豊臣の失政を受けて天下を立て直しただけに過ぎない
0837人間七七四年
2012/08/31(金) 13:56:17.82ID:MLbL2xlKえ〜っと・・・本物の馬鹿ですか?
「豊臣家は家康が死ぬのを待てばよかったっていう馬鹿」の話をしているのに
「そもそも家康を招聘しなければいけないほど政権運営に失敗した時点で諦めろということ(キリッ)」
って・・・論点がズレまくっていることに気づかないの?
しかも秀吉が家康を政権に取り込もうとした時点の情勢で諦める?正気?
ちなみに石田三成はどういった政策に深く関わっててどんな失敗をしたの?
秀吉の命令を覆すほどの権限を持っていたの?
誰が偉そうな顔で誰を批判してるの?
0838人間七七四年
2012/08/31(金) 14:46:46.29ID:+0Nn7adAだから家康を招聘せざるをえない状況に自ら追い込まれて五大老五奉行という中身のない飾りで自分の失政をごまかしていた
三成はもちろん他の奉行も含めて全員が後継体制の失敗や外征の失敗について奉行として責任を取り辞任しなければいけない身なんだよ
家康の寿命を待つべきとか戦うべきとか以前の問題なんだ
豊臣に日本を統治する資格がないのだから政権を返上するべきという次元の問題なんだよ
0839人間七七四年
2012/08/31(金) 16:04:24.17ID:MLbL2xlKうわ、やはり真性ですね
論点がズレてるって指摘してるのに、さらに「次元」を超えてずらしちゃったw
これでは話になりません。
現代の政党政治ならともかく戦国時代の天下取りを命題としている戦国大名に
「政権運営に失敗したから政権返上するべき(キリッ)」って、とても面白い意見ですね。
じゃ領地経営に失政があった全ての戦国大名は領土返上して出家すれば良かったですね。
戦国大名が子孫のために身内を粛清したら領土返上ですかぁ?
戦国大名が領土拡張のために戦をしかけたら領土返上ですかぁ?
失政のあった戦国大名が死んだら家老全員後継ぎ見捨てて辞任すればいいですかぁ?
ちょwww腹いてぇっすwwwww
0840人間七七四年
2012/08/31(金) 16:43:03.14ID:aFOMRCOA0841人間七七四年
2012/08/31(金) 21:20:36.55ID:+0Nn7adA上杉や毛利と直接戦うことは手間がかかるが石高の小さい石田一派なら半日で終わる
そんな半日の戦で上杉や毛利を含めた日本中の敵に事実上勝ったことにできるなんて誰にでもできることじゃない
三成はまごうことなき奸臣だったけど政権交代の礎になったことだけは評価できる
そういう意味では>>835のいうことは正しいだろう
豊臣は家康が死ぬまで待つべきではなかったことが正解であることに疑う余地はない
0842人間七七四年
2012/08/31(金) 23:34:00.52ID:2dSpdj6y0843人間七七四年
2012/09/01(土) 12:27:14.22ID:yz93v5nt0844人間七七四年
2012/09/02(日) 07:19:01.02ID:tueiYhiJ0845人間七七四年
2012/09/02(日) 07:20:51.13ID:kgb/ru0/0846人間七七四年
2012/09/03(月) 14:56:04.14ID:FCAP/jJ10847人間七七四年
2012/09/04(火) 20:42:56.64ID:Bk1+zn+R思うようになったよ。見出してくれた恩はあるだろうけど。
大一大万大吉の意味が一人が万民のため万民が…で合っているなら
いかにもプライド高い高級官僚が好みそうな言葉だし
家康が新たな国造りを任すって口説いてたらどうなっただろう
自尊心が満たされて逆に大人しく隠居するかも
三成のエピソードでアスペを疑いたくなる事があるけど
三成がもし徳川配下だったらそれほど人に嫌われなかったのかなとも思う
三成がやらかしても「三河武士ならしかたない」で済まされそうだし
0848人間七七四年
2012/09/06(木) 08:03:34.22ID:vYItEPND典型的な歴女の発想にひくわ
0849人間七七四年
2012/09/06(木) 13:54:10.81ID:dO9L3WLj0850人間七七四年
2012/09/08(土) 10:46:29.58ID:A/bKsF+2関ヶ原であれだけ権力・親派が増大しても、豊臣家を滅ぼすのに14年かかってる。
関ヶ原がなければ何年かかるんだよ。関ヶ原勝利以上に短期間で、同等の権力を
取得する方法ってあるの?
どうせ、ただの架空戦記になるだけだろうけど。
0851人間七七四年
2012/09/08(土) 10:50:01.93ID:gwfigv0G大坂の陣スレ見てると家康は豊臣を滅ぼす気は無かったけど秀頼が暴走してああいう残念な結果になったように見える
0852人間七七四年
2012/09/08(土) 11:10:07.96ID:A/bKsF+20853人間七七四年
2012/09/08(土) 12:40:30.89ID:y/SDSlzFましてや2ちゃんのスレの意見こそが真実とかすげーレベル低いな、ここのスレ
0854人間七七四年
2012/09/08(土) 12:47:04.13ID:xlZ/MM+gお前みたいなのを創作物に根拠した「軍談講談脳」という。
フィクションとノンフィクションは違うんだよ。
0855人間七七四年
2012/09/08(土) 14:04:57.58ID:SbZoaQ+a基本頭も良くて有能で、忠義心も厚いけどその方向性が決定的
に間違っている。
どんなに努力しても方向間違っていたら意味ないどころか
マイナスになっちまう。
0856人間七七四年
2012/09/08(土) 16:31:25.35ID:A/bKsF+2職務への忠実とゴッチャにしたらイカン。
0857人間七七四年
2012/09/09(日) 16:22:33.79ID:JhTRgzNj上杉はどこまで戦うことができただろうなあ
0858人間七七四年
2012/09/09(日) 16:52:54.90ID:s0m+J6Z30859人間七七四年
2012/09/09(日) 22:48:17.58ID:JhTRgzNj「三成が行動を起こさなかったら徳川VS上杉が直接対決したんだろうが」で
0860人間七七四年
2012/09/09(日) 23:19:57.99ID:s0m+J6Z3多方面作戦のできるような家じゃないし。
0861人間七七四年
2012/09/10(月) 00:53:17.85ID:d+CckkYG例えば北条がライバル御家人を次々と排除して将軍を傀儡にしても鎌倉政権が崩壊したとは言わない
同様に徳川がライバル大老を次々と排除して秀頼を傀儡にしても本来ならそれほど騒ぎ立てることではない
会津征伐など鎌倉でいうなら梶原景時の変や比企能員の変くらいのことでしかないのに
それを三成が過剰に反応したため政権が崩壊する羽目になった
0863人間七七四年
2012/09/10(月) 09:17:23.02ID:/iCxmnVj相変わらずお前は薄ら馬鹿だな。本質的には一緒だろうが。
他人に勉強しろというのなら先ずお前が、関ヶ原以前の段階で家康が豊臣公儀を超越しようとした証拠を示せ。
どんな同時代史料を見ても、関ヶ原まで、家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡は一切存在しない。
0864人間七七四年
2012/09/10(月) 16:05:16.70ID:+S7+SmUO面倒だけど返してあげるね
関ヶ原まで家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡が存在しないからってそれがどうしたの?
まさかそれが家康に野心が無いことの証明になるとでも思ってるの?
君レベルの強度の馬鹿でないなら、政権の中枢というおいしい立場を利用して、
忠臣面して居座り続けて内部から切り崩してから天下を狙う程度のことは誰でも考えつくんだよ
理解できる?
0865人間七七四年
2012/09/10(月) 20:11:40.46ID:sFRMAy4h鎌倉幕府のそれは政権与党内の派閥争い。
政権までは揺るがない。
豊臣政権のそれは連立政権の大政党同士の戦争。
政権存亡の危機。
0866人間七七四年
2012/09/10(月) 23:11:40.02ID:l6o3jEla0867人間七七四年
2012/09/11(火) 00:01:34.52ID:MsuA7c9H>家康に野心が無いことの証明
という話ではないんじゃない?
『家康は豊臣政権を瓦解させる方針だったか』という事でしょ。
よく読み直した方がいい感じ。
>>865
キミは論外な感じ。
0868人間七七四年
2012/09/11(火) 01:18:45.61ID:xiWelquH君の言う政権中枢というおいしい立場は大老だけで5人、奉行も含めれば10人いるわけ
忠臣面して居座り続けて内部から切り崩してから天下を狙う程度のことは誰でも考えつくならば
三成を含めた他の9人も考えつくのだから所詮は同じ穴のムジナでしかないんだよ
豊臣公儀から離脱しようとした形跡が存在しないことが野心が無いことの証明にならない?
それなら三成たちだって野心が無いことをまったく証明できないわけで
結局のところ三成の行動はコップの中の権力争いを脱することが出できない
むしろ自分の権力争いを政権守護と言い張る三成こそ忠臣面した居座り行為に過ぎなくなる
そもそも三成の敗因の一つが自分の蜂起が権力闘争でない・政治的野心でないことを三成自身が証明できなかったことにあるのだから
0869人間七七四年
2012/09/11(火) 01:58:09.89ID:XJLzk/lEわざわざ否定する可能性って、実際問題としてあるか?
秀頼が存在する上に、形骸化しつつも五大老・五奉行制が
豊臣政権の意思決定機関として存続してるんだから、普通に無理だろ
むしろ家康自身の権力基盤が豊臣公儀の大老という地位に多くを
負ってるのは明白なんだから
関ヶ原後の時点でも、家康は諸将に知行朱印状を正式に文書で発給できなかったわけで
(可能なら、もちろんそうしている)、豊臣公儀が存在する以上、
正式な手続きとしては「大老である家康が取次いで、秀頼様から拝領」
という形式しかとれないので、それを避けるため口頭での知行宛行になった
要するに、秀忠の代までは、徳川家の権力基盤が脆弱だったから、
既に存在する豊臣公儀を離脱できなかったというだけの話であって、
もっと早期に豊臣政権を解体する手段があれば、そらやってるだろ
0870人間七七四年
2012/09/11(火) 06:14:46.56ID:SCxuiUSr権力があったから義昭を擁して、織田信長は上洛したのか?
権力があったから義氏をよして、北条は関東支配を目指したのか?
権力があったから天皇を擁して、秀吉は全国支配にのりだしたのか?
0871人間七七四年
2012/09/11(火) 12:00:36.46ID:xiWelquH>正式な手続きとしては「大老である家康が取次いで、秀頼様から拝領」という形式しかとれないので
というか関ヶ原前の家康の行動だって全てそういう正式な手続きを踏んでいるのだから豊臣政権としては実は何も問題はないんだよ
三成は豊臣政権の正規の手続きにケチをつけて俺達の許可が秀頼の許可より優先されるという無茶苦茶な主張をしているだけだ
自分達の発言権が弱まって野党みたいになったから武力蜂起して正規の手続きを無効化なんて謀反以外の何者でもない
それを豊臣を守るとかいうデタラメで誤魔化そうとしたって失敗するのは当然だよ
家康の内心がどうであろうと三成が謀反人であることに変わりないんだよ
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