【治部】石田三成総合スレ 10【佐吉】
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0001人間七七四年
2011/11/04(金) 22:15:12.11ID:pOM6V5+o■過去ログ
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0703人間七七四年
2012/07/22(日) 10:53:22.26ID:ApIbPtVM侍従の官位相当の話を持ち出したのは >>688からでID:oMvrzmEc=ID:e3xCHhiAだろ。
「官位相当」なら>>702だが
>>687は官位相当なんて話はしていなく、行幸に参列した侍従の大名の殆どが従四位を叙位されているから
従四位相当だねという話をしているだけで。
勿論中には侍従という官職を兼ねているが五位の者もいる。
>>695の「従五位→侍従→従四位下」とはそういう事。
0704人間七七四年
2012/07/22(日) 11:01:36.61ID:e3xCHhiAだからな、俺は>>687の
>この時代の武家官位は侍従は従五位じゃなくて従四位相当だね
っていう部分が間違ってるって指摘してるって言ってんだよ。
これは分かるな?
で、官位相当っていうのは先ず位階を得て、それから官職。
だから後から位階が上がったって事と官位相当は関係ねーの。
官位相当っていうのはそういう「決まり事」を言うのであって
侍従の人間に四位が多いとかそういう問題じゃねーの。
0708人間七七四年
2012/07/22(日) 17:14:15.15ID:4aSZDjxo侍従は公家成大名だけど、三成は最後まで諸大夫成大名のはずだから
最終官位は従五位下治部少輔だあね
0709人間七七四年
2012/07/22(日) 21:24:51.54ID:iJNWD4jO黒の袍が着れるのは四位以上からで五位の袍の色は緋
その隔たりは大きい。要はそういうことよ。
はい、この話はおしまい。
0710人間七七四年
2012/07/23(月) 19:38:28.26ID:EbboTVQ5戦国時代板が出来る前の三戦板時代の三成スレはもっと落ち着いたスレだったのに。
0711人間七七四年
2012/07/23(月) 21:04:46.34ID:RTOeP59mあるいは単に過疎化して住人いないか、ひたすら武将に萌えてる馴れあいスレか
まぁ、一時の関ヶ原スレ化した頃に比べれば、
三成スレはこれでも落ち着いた方だと思うw
あの時は、吉川広家と南宮山に乗っ取られ、
「毛利輝元こそが関ヶ原の真の首謀者」の連呼で
三成が蚊帳の外状態が続いたし
0712人間七七四年
2012/07/23(月) 22:48:40.19ID:TGtXEBwq0713人間七七四年
2012/07/24(火) 07:31:50.28ID:sVYpADw8豊臣政権内で下である諸大夫成の三成は殿上人ではなかったのか
0714人間七七四年
2012/07/24(火) 18:54:34.59ID:FWby35/N同じ敗軍の将でも、一次史料で功績が数多く残ってる今川義元や武田勝頼と違い
こいつはマジで一級史料では何の功績も残ってない。
むしろ、秀次事件始めとする政争も文禄・慶長の讒言も全部クロでしたというオチ。
信者の言う徳川史観とやらが正しいと結論せざるをえない。
0715人間七七四年
2012/07/24(火) 19:28:34.39ID:416JyzDA長年の徳川政権にかかればどうにでもねつ造されるだろ
現代社会でさえ中国朝鮮がねつ造しまくってなにかと日本を攻撃してくるくらいだし
ともあれアンチくんはとっとと去れ
気持ち悪いんだよマジで
0716人間七七四年
2012/07/24(火) 19:31:07.98ID:416JyzDA単なる飾りでしかない朝廷の官位なんぞ全く意味がない
そもそも桃山時代に御所で政治なんぞ行われていないのに何を一生懸命議論してるのか
そんなに石田三成人気が妬ましいのか毛利くん
0717人間七七四年
2012/07/24(火) 19:34:50.31ID:gthLpY0hだから何が徳川史観でいつどうやってどんなふうに捏造されて、その捏造主体は誰なんだよ?
そこをはっきり定義し説明しろよ。そうやって正体不明の「トクガワシカン」で逃げないでさw
0718人間七七四年
2012/07/24(火) 21:04:08.25ID:FWby35/Nという評価が覆らないのでレッテルを貼るくらいしか出来ないのが三成信者
0719人間七七四年
2012/07/24(火) 21:16:10.29ID:HN6bv5Snその朝廷の官位に拘ったのが秀吉の豊臣政権でしてね
公家と同じ待遇の殿上人の公家成と地下人である諸大夫成には明確な差があるわけですよ
他の大名の家臣とまったく変わらない身分ですね
0720人間七七四年
2012/07/24(火) 21:24:17.17ID:FWby35/Nありもしない失態を、妹婿共々半ボケの上司にいいつけて
自分は上司に気に入られてご褒美もGET、遠くで戦ってる将は釈明もできずに処分
完全に小賢しいスネオ
0721人間七七四年
2012/07/24(火) 22:59:44.11ID:FWby35/N三成がしゃしゃり出て結束を乱しぶち壊しにした
0722人間七七四年
2012/07/24(火) 23:31:47.55ID:73T9nBl2徳川史観とやらで捏造する必要なんてあるのか?
石田が豊臣家を代表する立場・存在なら別だが。
そんな事実は全くないよな。
0723人間七七四年
2012/07/25(水) 00:18:32.98ID:Fe5QTGXN秀吉も深層ではコイツを信用していない
0724人間七七四年
2012/07/25(水) 07:32:54.57ID:t5V/wsx0> 五奉行の中でも四番手だからな
お前知障だろ(笑)
0725人間七七四年
2012/07/25(水) 08:11:57.98ID:yz5GR6yB0726人間七七四年
2012/07/25(水) 08:27:27.29ID:JetuZ+/Gちっとも反論出来ないんだなお前ら三成信者は。
0727人間七七四年
2012/07/25(水) 08:40:32.47ID:Fe5QTGXN0728人間七七四年
2012/07/25(水) 16:58:54.79ID:6B6bW18I376 名前: 人間七七四年 投稿日: 2012/07/25(水) 09:02:16.42 ID:yz5GR6yB
行政・統治実態・軍組織整備などを無視して
国力とか持ち出す時点で
織田厨の頭はゲーム脳
ID:yz5GR6yBの目的は推して知るべし
0729人間七七四年
2012/07/25(水) 19:50:17.67ID:nvdbb6x2讃える褒めることは出来ないのが、徳川の時代。
資料が無くても当たり前で、
保存がバレたら疑われて命が危ない。
0730人間七七四年
2012/07/25(水) 20:12:12.55ID:JetuZ+/G同時代から既に酷評する史料は山ほどあるのに。
0731人間七七四年
2012/07/25(水) 21:03:57.44ID:JetuZ+/Gその上で軍事行政双方で何の功績もない(よく知られるものは殆ど小説の創作)
どころか忍城攻め(この辺は成田記や関八州古戦録が詳しい)はじめ切腹ものの失態もしてる
三成が豊臣政権内で問題が起こる毎に加増されてるのと
七将襲撃事件や関ヶ原の東軍の面子が唐入りや秀次事件絡みである事実をよく見ることだ。
0732人間七七四年
2012/07/25(水) 21:04:34.89ID:EysdGnnrカルト宗教と一緒だぞ?
0733人間七七四年
2012/07/25(水) 21:50:25.79ID:JetuZ+/G有名なのだと碧蹄館の作戦を立案だなんていう噴飯ものの電波。
未だにWikipediaに載ってるがいい加減書き直さないとな
0734人間七七四年
2012/07/25(水) 22:05:23.50ID:9ULme5W50735人間七七四年
2012/07/26(木) 00:39:52.17ID:69/h0t2eその理由がわからんし、過大評価としか思えないんだが。
0736人間七七四年
2012/07/26(木) 01:20:17.14ID:+r0rI2R0フォローとして淀殿や大野治長と並んでスケープゴートにし易い立場だったって感じ。
0737人間七七四年
2012/07/26(木) 01:28:03.07ID:+r0rI2R00738人間七七四年
2012/07/26(木) 06:27:37.38ID:tkKQMCCS0739人間七七四年
2012/07/26(木) 12:34:24.55ID:+r0rI2R00740人間七七四年
2012/07/27(金) 00:27:49.69ID:nmli+mn3というのがよくわかんないんですけど。
豊臣政権期の行政・軍政に関わる三成の発給文書や
三成宛の諸大名の書簡類は、存在自体がないことになってるんですか?
豊臣政権期の行政を知るうえでも、三成個人の行政・軍政面での
業績を知る上でも不可欠で、当然ながら一次史料で大量に残ってるんですが、
そういうのは全部無視ですか?
>>731
>信者さんは、まずは当代記をはじめとする一次史料を読め。
>その上で軍事行政双方で何の功績もない(よく知られるものは殆ど小説の創作)
つか、豊臣政権の行政を扱った日本史の論文で、三成の具体的な業績や
重要性を「何の功績もない」なんて否定するようなまともな学術論文て、
実際のところあるんですか??寡聞にして知りませんが。
それとも、三成に関する日本史の論文や研究書、あれはぜんぶ嘘か講談なんですか><?
0741人間七七四年
2012/07/27(金) 01:29:41.17ID:g06JeLPaまず、キミの知る論文では三成個人の業績をどう評価してるんだ?
その内容次第では、そもそも否定する論文の必要がなくなるわけだが
0742人間七七四年
2012/07/27(金) 04:42:44.65ID:xF7ha0GUここにこだわると不毛な議論になる嫌な予感がするんだけど
仮に、豊臣政権において、ある特定の行政・軍政職務の担当者として
名前が明記され、実際にその政策を実施し、それが文書として現在も残り、
所蔵されている(=一次史料で裏づけられる)ということなら、
三成に関しては、もろもろの奉行職、取次職に関して「業績がある」
と言えるでしょうね
例えば、太閤検地に関しては、奉行として担当した三成の作成した検地帳や
花押入りの検地尺が、実際に史料として島津領や佐竹領をはじめとする
各地に残ってるわけで、
太閤検地そのものの歴史的意義については、戦後史学のなかで
それはそれは長い論争があるわけで、評価は様々ですが、
石田三成が、いわゆる太閤検地の中心的な実施者であったことを
否定するような研究はないはずです
そりゃ、実際に現場で升で測量するのは下級の担当者ですけど
それをいうなら、実際に大坂城をつくったの秀吉じゃなく大工さんになるわけで
0743人間七七四年
2012/07/27(金) 10:41:54.54ID:ztMqjs9a否定する論文が必要ない云々言ってるけどあるなら純粋に教えて欲しい
読みたいから
0744人間七七四年
2012/07/27(金) 10:42:01.79ID:jRhPcAqd三成にも並みの奉行として実績くらいはあるだろうが
西軍の実質大将を気取ってもいい程の実績はない
三成の功績という話題で検地の方にいってしまうことがその証明でしょ
0745人間七七四年
2012/07/27(金) 11:48:00.45ID:hK4ZWBTx「書き記してある資料を基にしか」出来ないこと。
三成を嫌ってたと書かれた資料は多い。
「三成を一目置いていた」と書かれた資料がないから
三成を無能とするのが多い。
徳川家の世で三成を褒められる訳が無いんだから、
捨てるか、褒めないのが当たり前なんだけど。
論文は想像では書かれないからw
豊臣の実力者なんだから
なにかしら良い面はあっただろう。
40歳で世の中動かすんだから、
筋道を守るとか信じられる魅力か何かがあったんだろう。
家康からすれば、「三成は非道な奴」でないと困ったんだろう。
0746人間七七四年
2012/07/27(金) 12:15:06.65ID:UQC6FR2k権力を取り戻したいがために関ヶ原を起こし玉砕した
呼応したのは家康に権力が集中するのを防ぎたい者だけ
0747人間七七四年
2012/07/27(金) 15:37:10.74ID:htUOZ74i賤ヶ岳の際に浣腸した記録が称名寺文書に残ってるのと
小田原征伐で「こんな城水攻めしろとか無茶ぶりしすぎッスよ勘弁して下さいよ」
って書いた本人の書状が残ってる以外には本当に謎だよね。
唐入りに関しては幸州山城攻めに加わった以外は特に前線に出てないみたいだが。
0748人間七七四年
2012/07/27(金) 15:39:41.60ID:03fKgh1b0749人間七七四年
2012/07/27(金) 15:55:01.73ID:htUOZ74i別に世間で言われてるような「身の程を弁えずにしゃしゃり出てた」印象は無いなあ。
美濃方面だって総大将は宇喜多さんじゃないの?
治部殿は小西さん同様、身分が低いから戦後処理として潰しやすかった。
0750人間七七四年
2012/07/27(金) 17:09:57.35ID:03fKgh1b0751人間七七四年
2012/07/27(金) 20:40:44.26ID:03fKgh1b小早川同様に神棚
0752人間七七四年
2012/07/28(土) 11:23:19.27ID:sss7Ekhj>徳川家の世で三成を褒められる訳が無いんだから
なぜ?三成は豊臣家から見ても謀反人だし、実際西軍は非公認だ。
別に、徳川家にとってタブー視される存在でもなんでもない。
それこそ、キミの妄想では?
0754人間七七四年
2012/07/28(土) 12:00:23.02ID:qZfVxznP当時の豊臣家って一体何を指して言ってんの?
0755人間七七四年
2012/07/28(土) 12:08:22.16ID:sss7Ekhj0756人間七七四年
2012/07/28(土) 12:13:16.89ID:qZfVxznPだから、誰を指して豊臣家って言ってんの?
当時、奉行や大老が「年寄」若しくは「おとな」と呼ばれ、
豊臣家の家老だったわけだけど。
他の何かが「豊臣家」としての意思を表してたとでも思ってるの?
0757人間七七四年
2012/07/28(土) 12:24:39.00ID:m1+/StD4あと淀や秀頼も三成が謀反人であると認めていなかったっけ?
0758人間七七四年
2012/07/28(土) 12:45:52.66ID:qZfVxznP> 秀吉の遺言により家康が豊臣政権の執権者だったんでしょ
そんな馬鹿な。豊臣秀吉遺言覚書にそんな事は一言も書いてない。
家康は伏見で「諸職御肝煎」に命じられているけど、
これが「政務を任された」などと意訳され、それを見た馬鹿が勘違いしただけ。
実際には長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場ってだけ。
政権としての重要な決定については別途定められてる。
当然、当時淀殿に豊臣家を代表するような権限は無いし、
0759人間七七四年
2012/07/28(土) 12:47:07.97ID:qZfVxznP七歳の秀頼が謀反人だと認めるとか意味不明。
0760人間七七四年
2012/07/28(土) 13:01:32.96ID:m1+/StD40761人間七七四年
2012/07/28(土) 13:02:59.08ID:nuDeGR2Y0764人間七七四年
2012/07/28(土) 13:39:41.39ID:qZfVxznPあのなぁ、だから九条は所謂二頭体制についてで、
家康と利家の確認を取る事、十条は>>758に挙げた通り。
どこにも政権運営を家康に任せるだなんて書いてねーよ。
0766人間七七四年
2012/07/28(土) 14:09:53.48ID:m1+/StD4自分で言ってんじゃん、二頭体制だってw
秀吉や前田が死んで庇護者が誰もいなくなった三成なんてガラにもならんわ
0767人間七七四年
2012/07/28(土) 14:43:41.86ID:m1+/StD4三成は驕り高ぶっていた権勢を取り戻したいがために家康の付け入る隙を与えてしまった
0768人間七七四年
2012/07/28(土) 15:54:14.62ID:qZfVxznP> 二頭体制って家政は利家、政務は家康に任せるってことだろ
違うに決まってんだろw
利家の家政ってのは十一条にある大坂での惣廻御肝煎の事で、
家康の政務ってのは十条にある伏見での諸職御肝煎の事だと思うけど、
ここで言ってるのは二人の職分についてで、
利家は秀頼側近の相談・調整役で家康は伏見での相談・調整役。
その事と九条の何たる儀も内府・大納言殿へ御意を得〜ってのとは当然別の話。
二頭体制ってのは大老・奉行が定められているが、実際の政治決定は
五奉行の決定に際して家康・利家の承認を得たり、
家康(利家)について利家(家康)と五奉行が確認するといった事が定められている
事が多いのでそう呼ばれている物だ。
利長が逼塞する事で結局この体制は崩れてしまうが、
秀吉死後の起請文で、政治決定は大老・奉行の合議によるものとなっており、
戦争当事者の徳川・上杉を除く全員の合意による決定は豊臣家の決定として何ら不備は無い。
0770人間七七四年
2012/07/28(土) 16:46:49.23ID:qZfVxznP0771人間七七四年
2012/07/28(土) 16:53:28.39ID:1QLSuGI0また偉い理論だなあw
0772人間七七四年
2012/07/28(土) 17:11:58.80ID:qZfVxznP前田、浅野、石田は少なくともその時点では処分を受け入れてしまっている訳で、
それを覆すのに当人が主張しても意味は無い。
だからこそ内府ちかひの条々では上記処分に言及しており、
当然石田はそれに連署していない。
0773752
2012/07/28(土) 23:03:56.93ID:sP0c1tLV>>徳川家の世で三成を褒められる訳が無いんだから
>なぜ?三成は豊臣家から見ても謀反人だし、実際西軍は非公認だ。
>別に、徳川家にとってタブー視される存在でもなんでもない。
>それこそ、キミの妄想では?
これはこれでいいんだろ?w
0774人間七七四年
2012/07/29(日) 01:12:14.98ID:kftCXEbVそんな論調は存在しない
0775人間七七四年
2012/07/29(日) 02:31:39.57ID:gzj5OZvJ実際に運用しなければ分からない判例など何も積み重ねられていない
要するに上記の政治決定方法の是非については個々人が脳内で勝手に解釈しているレベルでしかない
三成たちが二頭体制抜きで自分達で決定できるという妄想を抱くのは当然の欲求であって参考にならない
現代ならば最高裁判所で争うところであろうが当時はそれが関ヶ原だったというだけの話だ
0776人間七七四年
2012/07/29(日) 09:12:01.69ID:JoldGJHM政治決定方法が脳内で勝手に?秀吉の遺言にきちんとあるって説明してんだろ。
0777人間七七四年
2012/07/29(日) 09:14:57.39ID:tx/p/5Ok忘れた頃に『御肝煎』の議論が再燃するな。
>家康は伏見で「諸職御肝煎」に命じられているけど、
>これが「政務を任された」などと意訳され、それを見た馬鹿が勘違いしただけ。
>実際には長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場ってだけ。
ソースは?識者の解説でもいいや。キミの個人的な解釈なら勘弁してくれ。
0778人間七七四年
2012/07/29(日) 09:22:56.99ID:tx/p/5Ok違うぞ。
五奉行=年寄は、秀吉と緊密な主従関係で結ばれた豊臣家の家老だが、
五大老は、秀吉と血縁関係や情で繋がった大大名。秀吉の死の目前で
『御奉行五人』として豊臣政権の『国政の執権機関』として位置づけられた。
つまり、五奉行は豊臣家家老の位置づけだが、豊臣家の家老ではない。
豊臣政権の国政執行機関だ。
0779人間七七四年
2012/07/29(日) 09:23:31.03ID:tx/p/5Ok0780人間七七四年
2012/07/29(日) 09:24:41.24ID:tx/p/5Ok>>778
× つまり、五奉行は豊臣家家老の位置づけだが、豊臣家の家老ではない。
○ つまり、五奉行は豊臣家家老の位置づけだが、五大老は豊臣家の家老ではない。
0781人間七七四年
2012/07/29(日) 10:20:31.10ID:JoldGJHM先ず、十条で書かれてるのは家康が伏見で諸職御肝煎だって事と前田と長束が留守居だって事だ。
伏見では前田と長束が留守居として日常業務を行っており、家康はその「御肝煎」って事。
そもそも訴訟の取り扱いは十人衆、財政は五奉行が家康・利家の請取りを貰う、など
重要な決定事項は別途定められているのに、伏見の肝煎ってだけで
政治決定権が全て家康にあるような解釈が出鱈目なだけ。
ちなみに、「諸職御肝煎」についてだけど、これを「最高責任者」だと解釈するなら、
五奉行・五大老の「諸職御肝煎」である宇喜多は豊臣政権のトップって事になるw
>>778
五奉行は五大老の事を「奉行」と呼んでるけど、家康等は五奉行の事を「奉行」と呼んでるんだよ。
お互いが相手をただの執行機関である「奉行」に過ぎない、と主張しているって事。
ただ、これって俺が言ってる豊臣家の意思=大老・奉行の総意では無く、
豊臣家の意思=五奉行の決定って言ってる事になるんだけど、分かってる?
0782人間七七四年
2012/07/29(日) 10:30:02.04ID:bQCh8446そうである以上、彼らは実力で自分の権限を設定せざるを得ない。
豊臣政権というのはそれまでも仕組み、組織のはっきりしない政権だったが、その曖昧さ(秀吉の独裁運営には
都合が良かった)の弱点が秀吉死後一気に出てきたのだと見るべきだな。
0783人間七七四年
2012/07/29(日) 10:57:49.51ID:gzj5OZvJ遺言にどう書かれていようとそれはしょせん紙の上のことに過ぎない
現実に運用すれば乖離が発生し解釈の争いが出てくるのは現代の憲法を見ても一目瞭然だ
三成たちは家康を排除して政治決定が出来るという解釈をしたがるし
家康は自分が筆頭として政治決定を握るという解釈をしたがるのは当然であり
これらは別に遺言違反でもなんでもない
内府ちかひの条々だって現代風に言えば「〜が憲法違反だ」と裁判に訴えたというレベルでしかなく
訴えたから家康の行為が遺言違反だと確定するわけでもない
そして法解釈の争いに決着をつけるのが関ヶ原という裁判だったというだけだ
結論からすれば家康が勝訴したのだから家康の解釈が正しい
後で家康が幕府を作ったり秀頼を倒したことは別の問題であってこれには関係ない
0784人間七七四年
2012/07/29(日) 11:22:15.52ID:tx/p/5Okちゃんとポイントを抑えてくれるかな。
「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758)
のソース、もしくは識者の解説を求めている。
奉行の呼称云々の話もしていない。
五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関。
>>756>>776の認識は誤りだと思うが。
>豊臣家の意思=五奉行の決定って言ってる事になる
ならない。五奉行は行政実務担当。豊臣家の意思決定機関ではない。
現に、増田等が西軍に参加したところで、豊臣家=西軍ではない。
キミは、関ヶ原が徳川家VS豊臣家と主張してるんだったっけか?w
0785人間七七四年
2012/07/29(日) 12:14:29.47ID:JoldGJHMだからソースは豊臣秀吉遺言覚書だよ。説明してんだろ。
「何に対して」→同条で前田と長束が留守居ってなってんだから当然それに対する物。
「どういった権限」→宇喜多の例を挙げてるよね。
で、そもそも家康が独断で政治決定を行えるような権限があっただなんて
主張してる研究者なんて聞いた事ないんだけど。
呼称の話をしてない?何言ってんの?
> 五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関。
これって阿部氏の主張が元だと思うけど、その根拠がその「呼称」なんだけど。
ただ、それについては堀越氏が逆に五奉行を「奉行」だと呼んでいる物があり、
互いに相手を「奉行」と呼んでいたって言ってんの。
> ならない。五奉行は行政実務担当。豊臣家の意思決定機関ではない。
自分で家老って言ってんじゃんw
家老(年寄)ってのは当主に次ぐ家臣団の最高職であって、
当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事なんだけど。
っていうか、
> 五奉行は行政実務担当。
これじゃ、「奉行」って事で、上で言ってる「家老」ってのと矛盾してんだよ。
0786人間七七四年
2012/07/29(日) 12:49:38.32ID:tdX13OnZ大老も家康以外は問題ありの状態になっちゃったからねぇ
0787人間七七四年
2012/07/29(日) 12:54:49.01ID:tx/p/5Okであれば、キミは勘違いをしている。
浅野家文書・豊臣秀吉遺言覚書第十条では、留守居の責任者を徳川家康とし、
前田・長束は家康の留守に就く事としている。
キミは、大老が豊臣家に属するとしているだろ?(>>756>>776)
『五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関』
なので、その認識は誤っていると言ってるんだよ。
繰り返すが、五大老は豊臣家の家老ではない。
>当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事
初めて聞いた。簒奪目的の家臣は別として、それは暴論でしょ。
>「奉行」って事で、上で言ってる「家老」ってのと矛盾
別に矛盾しないよ。言ってみれば、家老は職階、奉行は職名。
0788人間七七四年
2012/07/29(日) 13:34:05.72ID:JoldGJHMだからさぁ、一体どこに「責任者」なんて書いてあるんだよ。
「諸職御肝煎」については説明したんだけど。
で、お前前田と長束が徳川家康の留守を預かるって思ってんの?
留守って秀吉(秀頼)に決まってんじゃねーか。
何で伏見城が家康の城になってんだよw
> なので、その認識は誤っていると言ってるんだよ。
だからな、
> 『五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関』
これは堀越氏に否定されてんだよ、って教えてあげたはずなんだけど。
当主が不在、若しくは幼君である場合、家臣団の合議によって家の運営は行われるのは
当然で、家老ってのはその長。まさかこれが初耳だって言いたいわけ?
ってか、だったら誰が家の意思決定をすると思ってんの?
> 別に矛盾しないよ。言ってみれば、家老は職階、奉行は職名。
じゃあ何か?家老ってのは実務担当者程度の権限しか有して無いとでも思ってるのか?
0789人間七七四年
2012/07/29(日) 13:59:04.11ID:xiCdRbje事実から言えば奉行はあくまで秀吉の意志を実行に移す使いっ走り、あるいは秘書官に過ぎず、
彼らが主体的に豊臣政権の意思決定に関わったことはなかった。
そういった秀吉の時期からの慣例で考えれば、奉行は政権の意思決定に関わるものではなく
奉行衆自信がどう考えようが、彼らは行政技術者に過ぎない、と捉えられても仕方がないし、
実際「大老」はそう考えたと推測できる。
0791人間七七四年
2012/07/29(日) 14:15:27.95ID:tx/p/5Ok第十条の初文そのものと、宮部継潤作成・豊臣秀吉遺言覚書 第二条にあるよ。
・「伏見ハ内府御座候て、諸職被成御肝煎候へと御意候、・・・」
・「・・・、内府『惣』様御留守居候事、・・・」
なので、それを否定するキミの
「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758)
のソース、識者の解説を求めてるんだが?キミは全く提示してないよ。
堀越氏は否定してないよ。
『当主が幼君だと家老が代表するという事』が初耳w(>>785)
意思決定は個別様々だろう。少なくとも、関ヶ原で豊臣家が旗幟を西軍としなかった
のは、増田・長束等の奉行が決定したことではない。
職階と職名の違いを調べた方がいいよ。
同じ職階で、違う職名なんて普通にあるよ。
0792人間七七四年
2012/07/29(日) 14:15:42.27ID:xiCdRbjeだけど、そもそも秀吉が死ぬまで使いっ走りに過ぎなかった三成ら「秀吉奉行」たちが、
秀吉が死んだ途端「実は使いっ走りじゃない」と言っても説得力はないだろ。
みんな彼らが使いっ走りであることを見ていたんだから。
0793人間七七四年
2012/07/29(日) 15:12:20.53ID:JoldGJHM全く根拠になってないよ。
> ・「伏見ハ内府御座候て、諸職被成御肝煎候へと御意候、・・・」
諸職御肝煎は「責任者」とはならないってのは説明した通り。
> ・「・・・、内府『惣』様御留守居候事、・・・」
前田・長束が一番、その他一人が二番、家康が全体的にって事であって、
当然序列を表す言葉じゃない。
もちろん、この中に伏見の留守居=全ての政治決定権があるなんて内容は一切見当たらない。
そもそも家康が独断で政治決定を行う権限を持ってたって主張してる研究者って誰よ?
俺はそんな人は知らないんで、それを否定も何も無いんだけど。
> 『当主が幼君だと家老が代表するという事』が初耳w(>>785)
俺のレスにきちんと答えられて無いんだけど。
当主が自らの意思を決定出来ない場合に、家臣団がその家の意思決定をするのは
当然だと思うんだけど、これを否定する理由は何?
> 意思決定は個別様々だろう。少なくとも、関ヶ原で豊臣家が旗幟を西軍としなかった
だからその「豊臣家」なるものが別個に存在していると思ってるのが間違いだって言ってんの。
豊臣政権と豊臣家が分けられたのは片桐が家老として置かれた関ヶ原後の話。
それまでは豊臣政権=豊臣家だ。
> 堀越氏は否定してないよ。
阿部氏が主張したのは「五奉行」=「年寄」で、「五大老」=「奉行」だったって事。
で、奉行ってのは実務の執行機関だから、国政レベルの権力の執行機関だったって言ってるわけ。
で、それに対して堀越氏が五大老は五奉行の事を「奉行」って言ってるわけで、
お互いが相手をただの実務担当だと主張したって言ってんの。
> 職階と職名の違いを調べた方がいいよ。
> 同じ職階で、違う職名なんて普通にあるよ。
「おとな五人」「御奉行五人」と同じ条文に分けて書かれてんだけど。
0794人間七七四年
2012/07/29(日) 15:41:15.60ID:JoldGJHM> みんな彼らが使いっ走りであることを見ていたんだから。
例えば島津が
「江州沢山ノ城主石田治部少輔、太閤公ノ為股肱ノ臣其勢威無比肩人〜」
って言ってんだから、みんながただの使い走りだと思ってただなんてのは無理があるな。
取次にしても単純に奏者としての物と御指南としての物がある訳で、
前者は使い走りに近いけど、後者はもっと上位の権限を持っている事になる。
とは言え、家康方は五奉行を「奉行」と言っており、そこには「ただの使い走り」という
意味合いがあったと思うけどね。
0795人間七七四年
2012/07/29(日) 15:50:25.76ID:tx/p/5Ok>諸職御肝煎は「責任者」とはならないってのは説明した通り。
いや、誤魔化さないでさ。まずは、
「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758)
ソース、もしくは識者の解説を提示してくれ。何度も言わせないでもらえるか?
少なくともこの条文をもって、『伏見において、家康が国家の政務を委ねられた』とする識者は明確にいる。
>伏見の留守居=全ての政治決定権があるなんて
>家康が独断で政治決定を行う権限を持ってた
いやその前に。そもそもこんな極論を誰が主張したんだ?レス番で教えてもらえるか?
自分の発言に責任持ちなよ。そもそも>>785でしょ。
>当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事なんだけど。
家臣団が、幼君だからとこれを差し置いて『代表する』というのがおかしいと言っている。
> それまでは豊臣政権=豊臣家だ。
なわけないでしょ。政権を構成する五大老は豊臣家ではない。
>お互いが相手をただの実務担当だと主張したって言ってんの。
本当によく誤魔化そうとする人だ。こんな話はしていない。
『五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関』
要約しているが阿部氏はこれに触れており、堀越氏はこれを否定していない。
五大老は豊臣家には帰属しない。キミの>>756>>776は誤った認識。
職階、職名の話はいいや。会社務めになればわかるよ。
0796人間七七四年
2012/07/29(日) 17:00:03.48ID:JoldGJHMだから何度も言っているように、ソースは同文。
俺が主張してるのは>>758で言っているように
「政務を任せられた」と意訳されている物を>>758のように
「豊臣政権の執権者」だったと勘違いしているという事。
お前が証明すべきは
> 『伏見において、家康が国家の政務を委ねられた』とする識者は明確にいる。
こんな事じゃなくて、「家康は豊臣政権の執権者」だったという事。
> いやその前に。そもそもこんな極論を誰が主張したんだ?レス番で教えてもらえるか?
え?じゃあ何か?家康にはそんな権限は無かったって言いたいの?
そうすると西軍が非公認って事の根拠に家康が豊臣政権の執権者だった
って挙げている>>757は全く無意味って事になるんだけど。
幼君を蔑ろ?意味が分からない。
本人に意思決定する能力が無いのに他にどうしろと?w
> なわけないでしょ。政権を構成する五大老は豊臣家ではない。
こりゃまた驚いたけど、五大老は豊臣家の家臣じゃないって言いたいの?
少なくとも秀吉は「家」による統治を志向していた訳で、
家康以外の大老は豊臣姓・羽柴氏を下賜されてるし、
家康も羽柴氏を名乗っていた形跡があり、当然豊臣姓も下賜されたと考えられる。
「国政レベルでの権力を執行する機関」ってのは、
この場合の「奉行」に対する説明って事は分かるよね?
で、堀越氏は「奉行」という呼称は必ずしも五大老に対する呼称ではなく、
お互いが相手をそう呼んでいたって言ってるわけ。
それは相手をただ命令を奉じて執行するだけの機関だと主張してるって事。
> 職階、職名の話はいいや。会社務めになればわかるよ。
あんまり幼稚な煽りはやめた方が良いな。恥ずかしいよ。
0797人間七七四年
2012/07/29(日) 17:32:01.95ID:tx/p/5Okだから何度も言ってるわけだけど。
豊臣秀吉遺言覚書第十条のどこをどう読んだら
>「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758)
になるの?原文をソースに持ってきても意味ないでしょ。キミの訳の根拠を聞いてるわけだから。
繰り返すけど、この条文をもって『伏見において、家康が国家の政務を委ねられた』とする識者は明確にいる。
一般的・普遍的な認識をキミが否定する以上、証明責任はキミにある。
キミは本当に卑怯な人だな。
こちらが主張していない極論を、さも主張したかのようにソース要求するから、
そのレス番を求めただけだ。(>>795)
誤魔化さなくていいから、レス番を示そうよ。それとも、嘘つきだったのかな?w
>五大老は豊臣家の家臣じゃないって言いたいの?
またこちらが言ってもいない事を、堂々と押しつけてくるね。
五大老は豊臣家ではない。誤りがあるとすれば宇喜多秀家だね。それは認める。
五大老は豊臣政権の国政執権機関だ。これは阿部氏も主張している。
本当に同じ事を何度も言わせないで欲しいな。
相手をどう呼称していようがどうでもいい話。
五奉行が豊臣家の家臣であり、五大老が豊臣政権の国政執権機関であること。
堀越氏はこれを否定しているのか?イエスかノーで答えてくれ。
そして否定しているというのなら、掲載文献を教えてくれ。
こちらが読んだ堀越氏の主張は転載文だが、答えはノーだ。
この程度は煽りのうちに入らないよ。短気なんだね。
0798人間七七四年
2012/07/29(日) 17:44:54.51ID:tx/p/5Ok追記。なんか「政務を任された」のトーンが随分変わってないか?w
ネガティブな表現だったのが、いつのまにかポジティブだね。
本当に卑怯だな〜。
>>758より
>家康は伏見で「諸職御肝煎」に命じられているけど、
>これが「政務を任された」などと意訳され、それを見た馬鹿が勘違いしただけ。
>実際には長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場ってだけ。
>>796より
>「政務を任せられた」と意訳されている物を>>758のように
>「豊臣政権の執権者」だったと勘違いしているという事。
0799人間七七四年
2012/07/29(日) 17:46:26.74ID:VCUHvvem家康が奉行なら利家や輝元も奉行になる
でもいくら三成が紙の上の文言を振りかざして威張ったとしても現実として利家や輝元の後ろ立てがなければ三成は何もできない
三成の自分は年寄でもう一方は奉行だなんて主張は完全に現実と乖離し破綻しており説得力がない
というか本当に三成は関ヶ原でも自分は年寄で輝元は奉行と呼んでいたのか?
そこまでいったらただの馬鹿だよなw
0800人間七七四年
2012/07/29(日) 18:00:04.82ID:xiCdRbjeというべき史料が注目される
(略)
全11条であるが、6条目までは家康・前田利家・徳川秀忠・前田利長・宇喜多秀家、そして上杉景勝・毛利輝元らに対し
秀頼の取り立てを要請している。第7条では五奉行たちが連携して秀頼を盛り立てるようにと命じている。
第8条では、五奉行は蔵入地などの算用を行い、家康・利家の検閲を得ること、第9条では何事も家康・利家の
御意を得て行うこととしている。
第10条では家康は伏見城にあって政務をとること、第11条では利家は大阪城にあって秀頼を補佐することを、それぞれ
命じている。
このように先の秀次事件の際には家康と輝元とが重視されたのであるが、臨終に際しては、主として家康と利家に
後事が託されたのであった。とりわけ、政務を託された家康が置かれた立場は重要で、まさに五大老の筆頭として
豊臣公儀を担うことになったといえよう。宮本義巳氏はこの様な「遺言覚書」に基づく統治の仕組みを、「秀吉遺言覚書」体制
と呼ばれている。
慶長3年(1598)8月18日、秀吉は伏見城中で波乱にとんだ63年の生涯を閉じた。その死の前後から、家康と五奉行、
とりわけ三成との不和が表面化し、権力闘争が激しくなっていった。あらためて起請文が交わされたが、
とりわけ9月3日付の五大老・五奉行による連署起請文は「十人連判の誓紙」と呼ばれて重視された。秀頼を尊重することは
もとより、相互に隔意が無いよう誓っているが、「諸事御仕置」については「十人の衆中多分に付て」、つまり
五大老・五奉行の多数決によって決めるとされている。明らかに「遺言覚書」で政務を任されたはずの家康の裁量権が
制約されていて、宮本氏は三成の画策があったのではないかと推測されている』
本多隆成『定本・徳川家康』(p179〜180)
0801人間七七四年
2012/07/30(月) 00:46:24.86ID:ZT9T8G/S>家老(年寄)ってのは当主に次ぐ家臣団の最高職であって、
>当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事
三成がこういう自信(というか願望)を持っていたのは事実だろうね
それを粉々に打ち砕いて否定したのが七将事件なわけ
豊臣家老・家臣団の最高職を自負する三成が今までリンチされずにすんだのは「大老」たる利家の威光のおかげ
リンチされそうになったのを助けてもらえたのは「大老」たる家康の威光のおかげということになり
三成は紙切れを盾に威張っていただけで実際は何の力も権威もないことが白日の下に晒された
この事件によって三成側が奉行・家康側が大老であることが確定したと言っていい
三成だって返り咲きをするためには毛利・宇喜多という大老の力にべったり依存するしか道はなくなったわけだしね
結局のところ自身の力を持たない奉行が大老の方を奉行に落として自分達が年寄と称することに無理があった
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