あのさ、正直、自分は武断派が好きで三成はどっちかというと嫌いなんだけど、
石田が豊臣政権下において飛び抜けてオールマイティな官僚であったのは
職歴から否定しようもないわけで、飛び抜けた出世を遂げても不思議でも
なんでもねぇよwww
ましてや、同時代人にも理由がわからなかったとかありえんわ

天正14年の堺奉行を振り出しに、
諸大名との外交面では、島津・佐竹(のちに毛利も)の「取次」を担当し、
博多の都市整備を町割奉行として担当、豊臣直轄領の代官、京都所司代を歴任
立案したかどうかはともかく、太閤検地や人掃令・刀狩令も
日本各地で実際に実施したのは石田や浅野長政だった
軍政面では、文禄・慶長の役には奉行で派遣されているわけで、
重要事項の決定・変更には三成の同意が必要で、秀吉への最終的な報告も
三成が行うという非常に強い権限を与えられた(だから、武断派と齟齬が起こった)

これだけ多様な役目をひとりで果たしえたのは豊臣政権の人材のなかでも稀で、
他にはせいぜい、浅野長政くらいでしょうに