三成が家康に従うということは、家康の統制下に入るということだから、家康は七将襲撃事件の時
彼らを押さえ三成の身柄を守った前例があるだけに、家康はいわゆる反三成派と三成を
和解させることはできただろう。
それが三成にとって良い結果に成るかどうかは別として。