「北政所は家康と親しく、子飼いの加藤清正、福島正則らを徳川方に属させた」と尤もらしく書かれるが、後年の俗説のようです。

大谷吉継の実母・東殿は北政所の側近。

北政所は、関ヶ原の合戦の前(慶長5年7月)に宇喜多秀家の出陣式(豊国神社)に列席。(『梵舜日記』)

石田三成の三女である辰姫は慶長3年(秀吉の死の年)、北政所の養女となっています。

一説には小西行長の母ワクサ(洗礼名:マグダレーナ)も側近。

関ヶ原の際、西軍寄りと見られる行動を取っている。
・北政所側近の孝蔵主が大津城開城の交渉にあたっている。
・北政所の甥である木下家の兄弟の多くが西軍として参加し領地を没収されている。