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小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法

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0001人間七七四年2011/09/23(金) 17:50:27.74ID:Blwz8JaE
かなりのムリゲーだけど徳川・伊達と組んでたら可能性はあるんじゃないかな
0453人間七七四年2011/11/04(金) 08:25:24.46ID:T+q1+INK
今川の例で言えば、今川本隊に2万いたわけではなく、桶狭間時点ではほぼ互角
だったと個人的には思う。
でも義元を討ち取ることが出来たのはたまたまだったんじゃないかな。
秀吉と家康の小牧長久手でも、家康が当時の名だたる武将を討ち取った事から
秀吉が譲歩したとも言われている。
そう考えると、後詰めがない状態だし、打って出れば、万が一があったかもし
れないね。
0454人間七七四年2011/11/04(金) 11:22:50.39ID:hEh5WEjN
寡兵で勝つ事や引き分けるは珍しくもなんともないが
桶狭間が名勝負たる由縁は大名を討ち取って戦況一変させた事だろう
まあ、同じ事を北条にやれと言うのは無理だけど
秀吉は完全に包囲した上に城に滞在しているし
0455人間七七四年2011/11/04(金) 17:40:18.65ID:EzvNi059
城出来たから奇襲は不可能だと悟って降伏したんだろうな
築城が早かったとはいえグズグズし過ぎだ
0456人間七七四年2011/11/04(金) 18:19:49.14ID:qKSlljEf
一旦城に篭ってその周りを囲まれたら奇襲はもう無理だろう。
城門からしか出られないから大軍で一気に突入できないし。
0457人間七七四年2011/11/04(金) 19:53:43.96ID:J14S+MFL
仮に20万で囲ってたんなら
一日60万食、10日で600万食必要なんでしょ
一日2食でとかいったらそれこそ士気がた落ちだろうし
むしろ秀吉のことだからいいもんふるまったりしそう
我慢してれば秀吉側が食うもんなくなって一時退却してくれたんじゃないかなどと考えるんだけど。
そうもいかないのかな。
0458人間七七四年2011/11/04(金) 20:02:14.71ID:0mkb7I3w
>>457
いや、まったく正しい 退却ってか、講和になる そのとき北条側に有利な講和になる
島津などは逆らったのに玉砕して戦うといったら全所領安堵された
海外との貿易をスムーズにするために徳川がサービスしたと言われている
ほかでは上杉、毛利が2カ国残った 北条も半年籠城できれば2カ国、
1年籠城すれば全所領安堵が狙えたと思う
0459人間七七四年2011/11/04(金) 20:45:02.28ID:qKSlljEf
でも朝鮮出兵の時は16万を10ヶ月、焦土作戦で干枯らびた半島に送り込んで
戦い続けてるからな。
海を隔てながらこの補給力ということは西国から関東へ20万人分の兵站維持って
秀吉には余裕だったのかもしれんよ。
0460人間七七四年2011/11/04(金) 20:53:54.69ID:8BD/HKyP
朝鮮の頃には東北と関東の収入も増えてるんだから比較対象になるの?
0461人間七七四年2011/11/04(金) 20:58:26.68ID:cvE/2Ei+
>>457
そうもいかない

極端なことを言ったら小田原城と忍城に包囲軍を貼り付けておけばいいので全軍を退却する必要は無い
それに関東の反北条軍の兵糧は自前だから頭数では使える兵力
上杉や徳川は嫌がるだろうけどこいつらに無理をさせればいい

あと兵糧が無くなるのは北条も同じ
豊臣の方は開城した北条の城から微量ながら兵糧を回収できる
そこまで必要はないかもしれないが奥羽から兵糧を献上させればいい
それに豊臣は兵站を確保できているので駿河や遠江の兵糧基地から輸送できる

逆に包囲された北条は枯渇するのを待つだけ
時間が経てば兵糧は必ず減るが増える可能性は皆無



北条は好きだけど粘れば何とかなるレベルではない


0462人間七七四年2011/11/04(金) 22:30:56.76ID:UzV6XumA
そもそも、これ以上の長期戦は不可能だったから開城したわけだし
もっと粘っていればと言う議論は無意味
籠っていられるものなら実際そうしてるよ
0463人間七七四年2011/11/04(金) 23:00:22.39ID:cvE/2Ei+
攻撃は最大の防御ということだな


0464人間七七四年2011/11/04(金) 23:08:13.59ID:wON/29x/
火器がそれほど発達してない時代に
兵力差以上のことで戦況を覆すのは無理だよ

攻撃側もそれぞれが付け城に篭もってるから奇襲も不可能
0465人間七七四年2011/11/05(土) 00:00:52.00ID:8ZnUcAJs
兵糧以上に士気が問題だよね
仮に5年分の食糧があったとしても、いつ敵襲があるかわからない状況で
長い期間気張って生活はできないよ
「いつか終わる」って希望が勝つのでも負けるのでないと続かない
0466人間七七四年2011/11/05(土) 00:04:04.61ID:9mvJv5Hz
総構えでどうにかならんの?
0467人間七七四年2011/11/05(土) 00:11:20.87ID:LqlAMgO8
豊臣方は大砲持ってきてないし
惣構え+鉄砲を突破するのは不可能
まあ、鉛と硝石が尽きるのを待てば良いのだが
0468人間七七四年2011/11/05(土) 00:57:20.50ID:IBtALlyW
>>457
北条側の希望的観測としてはあったかもしれない。
しかし、豊臣側は事前に20万石の兵糧を用意していたし
新規の補給も受けられる状況だった。
対する北条側は補給の可能性は無かった。

秀吉は織田軍の武将時代3年間にわたる三木城包囲を経験してる。
また三木城包囲の同時期に織田軍は有岡城包囲も行っており
このときは大軍で攻撃した後、包囲に必要な兵力を残し
信長はじめ主力は退却するという戦略をとっている。
小田原の豊臣軍もこういった選択肢もあるわけで
北条側より先に兵糧が無くなりはしないだろう。
0469人間七七四年2011/11/05(土) 01:00:38.79ID:IBtALlyW
>>467
>豊臣方は大砲持ってきてないし
コ川軍が支城攻略戦で大砲を使用している。

もっとも惣構え+鉄砲の突破に有効かとうかは別の話で
おそらくあまり有効では無かったと思う。
0470人間七七四年2011/11/05(土) 05:25:24.89ID:yibjUPDz
上杉の小田原攻めの時とは状況が大きく異なるからなぁ
冬は越後からの物資補給が不可能になるし、武田の動きも不穏だったから明らかに上杉不利だった。
なのに「あの上杉謙信でも落とせなかった我が城が農民上がりの秀吉に落とせるわけがない」と
いう過剰な自信を持ってしまった。
0471人間七七四年2011/11/05(土) 05:35:03.86ID:9mvJv5Hz
たかが関東管領の出征とは違って
関白だしな
04722011/11/05(土) 07:00:42.99ID:bm4d8Lim
滝川一益対北条の戦いは互角の勝負じゃなかった?
兵力は
0473人間七七四年2011/11/05(土) 08:54:22.92ID:aW3dAspf
>>457
小田原に籠もってる側の兵糧より、小田原方領地の稲作が致命的になんじゃね?
足軽なんかは、ほぼ半農だろ?それを抱える領主も来年どうしょう?って頭を抱えるだろうし。
2月から7月って完全に農作業の時期に戦争を仕掛けられた時点で篭城側は積んでんじゃね?
もう少し頑張ってたら、一門の誰かが氏政氏直のクビを持って降参したかもしれん
0474人間七七四年2011/11/05(土) 09:21:45.78ID:jO6oXox9
でもでも光武帝は100万の包囲を3000で開囲したよ。
ギネス級のこの兵力差、嘘八百なのか?
たかが20万。
0475人間七七四年2011/11/05(土) 10:39:43.57ID:8ZnUcAJs
>「あの上杉謙信でも落とせなかった我が城が農民上がりの秀吉に落とせるわけがない」と

よく使われるけど小説とかの話だろ、それ。
実際に北条勢がそんな発言したって資料でもあるの?

本気で北条が小田原籠城で(堅城である事を頼みに)迎え撃って撃退できるなんて考えてなかったろ
もうそうするしかない状況に追い込まれて籠城するのと
作戦・戦略として籠城するのじゃ意味が違うんだから。

上杉・武田の時だって、堅城が頼みの綱だったわけじゃなく
どっちもそんな長期間本拠を開けてられないのがわかってるから籠城しただけの話であって
秀吉が成り上がりだからとか、上杉武田を退けたからとか、そんな理屈で戦略を選ばないだろ
いくら何でもそれは馬鹿にし過ぎ
0476人間七七四年2011/11/05(土) 10:57:56.53ID:aW3dAspf
>>474
万里の長城なんて名付ける国だぜ。
数字なんて適当さw

ただ戦争シミュレーションゲームでなら、小田原での北条勝利は無理ゲーじゃないかもだがな
でも、豊臣方は最悪、小田原城下を火の海に沈めるって選択肢だってある。
戦争を選択して篭城を選択した時点で詰みだろ
0477人間七七四年2011/11/05(土) 12:51:37.59ID:JDZyAzTH
以下のレスは、いろいろ用語がおかしいとは思うが、無知ってことで大目に見てくれ。

>>475 戦略って言っても・・・このころの北条って、「現状の方針を維持、これで版図が拡がれば儲けもの」(裏返せ
ば、そんなにアンテナは張り巡らしていない)という原則で動いているとしか見えないなあ。上方の軍勢が経済力に
バックアップされた大軍であるがゆえ、武田も上杉も非常に苦しい戦いを強いられていたのだが、この時期
の北条って、「信長と同盟したから後はOK」と楽観してるとしか思われないよ。「明日は我が身」と少しでも考え
ていたのなら、普通、「天下統一を目指している以上、そのうち北条の領国にもクチバシを挟みかねんだろjk」
→織田軍に強固なパイプをつないでおく→秀吉が「攻城戦、兵糧攻めの名手」であることを確認して、
さらなる情報収集。ぐらいのアクションは当然じゃないのか?風魔は全国的にもトップレベルの忍びなんだし、
このころの関東って比較的平和な時期 だったらしいから、忍びが足りないってわけでもなかろうに。
「謙信玄だって退却させた我らが小田原城! あの二人以上の敵なんて、来るわけねーだろjk」という観測に
基づいて、「安逸を貪ることに慣れて」
いる、としか・・・。俺みたいに無知な外野からの視点だと、そうとしか見えないのだが。
毛利・佐竹・上杉・徳川・(そういえば信長の子孫も、だっけ)といった連中は、
敵対するにしても父親の代からの因縁であり、やむを得ず戦ってそして滅ぼされそうになったりしてるが、
先が読めていて織豊政権と仲良くしている場合には、権力者にアゴで使われて
先祖代々の土地を削減されたり取り上げられたり、屈辱的な和約を結んだりしてでも、家名の存続に
奔走しているよね(徳川にとっては結果的に栄転)、しかし北条は
織田と握手するときは頑張っているのに、豊臣に対しては腰が重い・・解せない。

・・とりあえず、北条家にとって「関東の民のために、豊臣に屈服なんぞしないんです、独立を維持するんですキリッ」というのが
重要な存在意義だったといえる・・カモ?と俺は思ってる。「最大領土の氏政」と「戦国サラブレッド・氏直」の評価に泥を
塗ったにせよ、「北条家の経世済民の理想は、のちに狭山藩の民を救うの
です!!」・・あ、これで納得できた。

>>474 あの民族には、白髪三千丈・・の伝統がありますからな。たとえば、白起が長平で
「捕虜40万人を生き埋め(戦死者とは別計算)」という数字がありますけど、これもどうなんだろーね・・・。
 
うわっ長文&駄文だわ・・・スレ汚しスマソ。
0478人間七七四年2011/11/05(土) 13:21:17.32ID:sjCLgVb+
しょせん北条なんて時勢に疎い田舎大名だったということですわ
0479人間七七四年2011/11/05(土) 13:30:24.19ID:7bWabZrA
あっそ
0480人間七七四年2011/11/05(土) 13:36:05.10ID:PM7Z0Tu/
それを言っちゃうと
徳川の世になったことを認められずに滅んだ豊臣をはじめ
生き残れなかった大名家全部がそういうことになっちゃうからなあ<時勢に疎い
もちろん江戸時代に取りつぶしにあった大名家も含めてね
0481人間七七四年2011/11/05(土) 13:40:01.61ID:PM7Z0Tu/
× もちろん江戸時代に取りつぶしにあった大名家も含めてね
○ もちろん福島家などの江戸時代に取りつぶしにあった大名家も含めてね
0482人間七七四年2011/11/05(土) 13:59:54.18ID:8ZnUcAJs
>>477
「風魔はトップレベルの忍びなんだし」で読むの止めた。
もうちょっと勉強して
0483人間七七四年2011/11/05(土) 14:04:56.32ID:bpKXAOuo
そもそも
謙信の小田原侵攻
信玄の小田原侵攻
秀吉の小田原侵攻
この3つ北条も相手方も状況が全く違う
0484人間七七四年2011/11/05(土) 14:49:51.38ID:FlXn65k5
籠城は後詰めがある事が大前提だからな
後詰めと言うのは援軍と言う意味だけではなく物資の補給も含めての事
海外では何年もかけた長期籠城の例が結構あるけど、これは外からの補給線が繋がっていたから可能であったわけで
小田原城みたいに外の勢力は元より支城との連絡線すら絶たれた状況では
単に「まだ生きている」と言うだけで先の見通しは完全に絶たれており、実質落城した事と同じだ
その点で上杉や武田の小田原攻めとは全く状況が異なっている
0485人間七七四年2011/11/05(土) 16:18:19.97ID:aW3dAspf
>>482
トップレベルだろ?
伊賀、甲賀、雑賀(傭兵集団らしいが)、根来(傭兵集団らしいが)の全国区の次くらいには入るんじゃね?
0486人間七七四年2011/11/05(土) 16:40:40.54ID:sjCLgVb+
>>480
バカかお前は。
俺は北条のことを言ったんだよ。
お前はあれか、なんでもかんでも一元視しかできない無脳者か?
そんなんだからいつまで経ってもチンコの皮が剥けねーんだよ。
0487人間七七四年2011/11/05(土) 17:24:31.68ID:jO6oXox9
白起将軍は墨家を一挙にせん滅したという小説がありましたな。
あくまでも小説ですけど。
忽然と墨家が姿を消した。
0488人間七七四年2011/11/05(土) 18:01:08.37ID:JDZyAzTH
477です。気づいたらこんな流れになってたのか(汗) ちなみに>>485さんは
俺じゃない。これから日付が変わるまでパソコンの前に座れないので、
その間消えます・・あしからず。m(_ _)m
0489人間七七四年2011/11/05(土) 18:12:03.15ID:8ZnUcAJs
>>485
えっとさ、伊賀甲賀も雑賀・根来衆もいっぱい史実の資料に基づいた本出てるよね?
風魔ってあるかな?小説以外で裏付けるような資料が。
漫画とゲーム以外の分野にも触手を伸ばしてみてね
0490人間七七四年2011/11/05(土) 18:16:24.48ID:8ZnUcAJs
軍記物に出てくるだけで、誰も研究者が調べていない人物・集団を
さも全国規模で活躍したかのように言っている時点で何も調べてないんだなーと思われるよ

他にもゲームでは常連だけで実在疑われてる人物としては
鬼小島さんとか、丹波の青鬼・籾井教業とか、いろいろいるので調べてみてね。
0491人間七七四年2011/11/05(土) 18:29:45.02ID:2sMHxGfv
PUMA小太郎
0492人間七七四年2011/11/05(土) 18:56:29.48ID:aW3dAspf
>>489
その伊賀甲賀〜の次だから嘘じゃなかろうと思うが?
武田だって、なんか諜報活動をやってたらしいが、その家臣の名前なんて出てこないだろ?
毛利も同じく、島津も同じく。朝廷にしたって。
伝記に出てくるだけ大物だろ?

馬鹿じゃね?
0493人間七七四年2011/11/05(土) 19:17:16.77ID:8ZnUcAJs
そもそも何を典拠に伊賀甲賀の次とか言ってるの?妄想?ゲーム?
武田忍び(とされる人物)については風魔よりもたくさん資料残ってるよ。名前・事績が残ってる奴もたくさんいる。
(割田重勝とか出浦盛清とか)
毛利や島津の忍び?太閤立志伝でもやったのかな?そいつらも一緒。伝説の域をでない。
朝廷の人物なんて言わずもがなw いくらでも資料も事績も出てくる。

そろそろやめといた方がいいよ。浅はかな知識で自己主張するのは
0494人間七七四年2011/11/05(土) 19:33:09.86ID:jO6oXox9
でもまあ風祭に行くとなんかぶきな雰囲気だしな。
きっとハコネ山椒の燻製なんか食ってたんだよ。風間一族は。
0495人間七七四年2011/11/05(土) 21:08:16.93ID:vDcR5+1O
情報収集・情報工作はどの大名だってやってるだろうし、
破壊工作だって必要に応じてやってる。
前者を専門に請け負うのは現在ではスパイ、後者は特殊部隊ってことになると思うけど、
これらをまとめて忍者って分類されてる現状は正直どうかと思うね。

伝承通りなら、武田の歩き巫女や上杉の軒猿衆が破壊工作をするような者たちではないし、
逆に風魔なんかの夜盗・強盗崩れは破壊工作専門じゃない。
一緒くたに語るのはどうかと思う。

あと、繰り返しになるけど破壊工作をする為に夜盗強盗の罪を免じて徴募するのは常套手段。
夜盗強盗を忍者って呼びたいなら、まあ構わないけどね。
0496人間七七四年2011/11/05(土) 21:59:43.36ID:xK29atUB
風間の立ちすぐり居すぐりはマンガの墨攻でも出てくるね
0497人間七七四年2011/11/06(日) 00:50:32.61ID:UiJxZp+C
>>492
この馬鹿はもう出てこないの?さすがに恥ずかしくなっちゃった?
0498人間七七四年2011/11/06(日) 10:05:47.90ID:TS4YgxqZ
忍者の定義って解んないよね。

ナルトなんかの漫画のスレなんかだと、本来の忍者はとかなんか定義があるように
語ってる人々がいるけど、本来の忍者ってなんだっけ?って思ってしまうよ。
0499人間七七四年2011/11/06(日) 10:05:50.96ID:M2pfJRlb
>>452
百年戦争なんて数が少ない方が数が多い方を破った例が多いんだが

確かに数が多い方が有利なのはそうだが
寡兵のほうが必死になる分か
寡兵が大軍を破る例が多い
百年戦争に限らず
0500人間七七四年2011/11/06(日) 10:09:15.18ID:cGhBWdZo
さっき起きた

天気予報調べたら曇りのち雨
ちゃりで近所の裏山行って帰ってくるしかないな
0501人間七七四年2011/11/06(日) 10:12:01.75ID:M2pfJRlb
10人対20人で綱引きをした場合
統計だと
10人側のほうが一人当たりの力が強くなるらしいぞ

0502人間七七四年2011/11/06(日) 12:04:01.10ID:Kzt2/sZu
でも10人の方が負ける確率圧倒的に高いだろう?
0503人間七七四年2011/11/06(日) 14:17:28.18ID:0SK/xnFY
そりゃ綱引きじゃ単純な力だけだから同程度の能力の人間でやれば人数多い方が有利に決まっている
だが、喧嘩や戦争になると全く別
0504人間七七四年2011/11/06(日) 14:52:19.24ID:Kzt2/sZu
基本的におんなじだろ。

少ないほうが大軍を破った戦争の方がインパクトが大きいから歴史に残るだけであって
実際は大半の戦いは数が多いほうが勝ってるんだぜ。
0505人間七七四年2011/11/06(日) 16:56:31.51ID:0SK/xnFY
そりゃ嘘だろ
統計取るなんて恐ろしく面倒臭い事してないでしょう?
日本の、更に戦国時代の、更に1540年〜1590年の50年間のみに絞ったとしても大小1000回ぐらいは戦が行われていると思う
これらの戦の兵力と勝敗を調べて統計を取るなんて研究家ですらやった人いないはずだよ
0506人間七七四年2011/11/06(日) 17:16:27.16ID:1vyLDa2x
少なくとも
信長秀吉が後詰めを誘い出して、それ以上の兵力を用意して叩き潰せるようになってからは
加速的に支配領域が増えて行ったな

結局数が正義って事
0507人間七七四年2011/11/06(日) 17:29:26.97ID:9NE0h5DU
>>506
野戦築城を行って数の劣勢をしのぎ
機が熟してから相手よりも大量の兵をもって有利な野戦で決着

簡単に見えるけど、実践するのは難しいだろうな
0508人間七七四年2011/11/06(日) 18:43:58.90ID:Kzt2/sZu
>>505
本気で戦争に数があんまり関係ないと思ってるの? 
それなら大勢力はわざわざ大軍を動員する必要ないじゃん。

簡単な例を教えてやろう。
信長が南近江の六角を攻めたときに一日で30以上の六角の軍事施設を攻め落とした。
もちろんどれも小規模で守っていた兵力も極少数。

六角は数が少ないばかりに1日に30以上の負け戦をし、逆に信長は30以上の勝ち戦を挙げた。
もし六角方の拠点の2つか3つにでもそれぞれ5万の兵力があったら
信長は交戦せずに撤退していた可能性さえある。
それくらい数というのは重要な要素。
0509人間七七四年2011/11/06(日) 21:03:19.35ID:UiJxZp+C
2つか3つに5万て10〜15万も動員できるんなら信長じゃなくても撤退するわな
0510人間七七四年2011/11/06(日) 21:26:22.05ID:6fWRE6si
>>508
信長の六角攻めとか思いっきり特異な例だよ
普通は戦力差があっても引き分けになる場合が多い
少なくとも一気に壊滅するような事は滅多にない
0511人間七七四年2011/11/06(日) 21:28:20.22ID:H4Pj5ohF
ドズル・ザビ中将も「戦いは数だよ」と言っているぞ!
0512人間七七四年2011/11/06(日) 21:37:51.83ID:V+u/uBIE
中世の合戦だから装備、練度に優れた寡兵が
寄せ集めの大軍を破るくらいはあるだろう
ソマリアの民兵1000〜2000vs取り残されたアメリカ軍5人じゃ無理だろうけど
0513人間七七四年2011/11/06(日) 21:41:38.58ID:eySSZ30A
180人に滅ぼされたインカ帝国・・・
0514人間七七四年2011/11/06(日) 22:39:09.62ID:No2t/PKT
>>513
あれはインカ帝国に対する抵抗運動にスペインが便乗しただけ。
0515人間七七四年2011/11/07(月) 00:45:30.76ID:A9UxDVWA
>>512
ところが小田原征伐は装備、練度供に豊臣軍が圧倒的に上だという現実
0516人間七七四年2011/11/07(月) 03:29:12.90ID:2HiT87NC
知恵さえあれば普通に寡兵で大軍を破れるとか思ってるとしたら完全に中二病全開だろう
三国志演義とかいつまでも信じ込んでる場合じゃねえぞと
0517人間七七四年2011/11/07(月) 07:56:25.95ID:wD8u3mN4
寡兵で大軍を破る場合に必要なものの一つは相手の失態だからな
自軍は失態を犯さずに相手の失態には完全に乗じるとか、
もはや人間業じゃねぇ
0518人間七七四年2011/11/07(月) 08:19:35.87ID:mhsUEjlP
まあ、寡兵で大軍を破るのが難しいから、後世に記録として残っている訳
だし、基本的には無理でしょ。
それを言ってしまうとこのスレは終了なわけだけど、さて、どうしたものか。
0519人間七七四年2011/11/07(月) 11:04:00.01ID:fwJRbPv+
戦は装備と統制が第一だよ
兵力はそれに次ぐ
烏合の衆はいくら集まっても烏合の衆
下手に大軍で一ヶ所が崩れると総崩れになるから士気の低い兵は連れていかない方がマシなぐらい
ただ、小田原攻めの場合で見ると装備、統制、兵力共に豊臣の方が上回っている
つまり詰んでいる
0520人間七七四年2011/11/07(月) 14:31:40.46ID:2HiT87NC
兵力の優劣を語る場合、特別な事情がない限りそれ以外の要素は同等と仮定してるのが普通だろう。
0521人間七七四年2011/11/08(火) 08:21:34.65ID:Bg4lOyKP
まあ、いずれにしても、詰んでいる事に変わりはない。
0522人間七七四年2011/11/08(火) 09:43:06.44ID:g4YuTIRz
まあな、勝つ要素がない
0523人間七七四年2011/11/08(火) 20:21:49.14ID:AW8fxg2q
したり顔で無理とか詰んでるとか言ってるだけで良いの?
もっと熱くなれよ…!!
熱い血燃やしてけよ…!!
人間熱くなったときがホントの自分に出会えるんだ!
崖っぷち?
その崖っっぷちが最高のチャンスなんだぜ!!
自分の全ての力を出し切れるんだから!!!
崖っぷちありがとう!!
最高だ!!!
0524人間七七四年2011/11/08(火) 21:53:36.51ID:s4QG+O4T
勝ち負けどちらでも構いませんから大勝負は見てみたかったですね^^
籠城するよりも敵本陣に突入した方が名は残せたはず!

 【勝戦の例】桶狭間合戦:清洲城から出撃し今川本陣に突撃した総大将の織田信長
 【負戦の例】大坂夏の陣:大坂城から出撃し徳川本陣に突撃した一部将の真田信繁 

豊臣本陣に突撃するのはかなり困難かと思われますが
信長も信繁も困難の中やってみせたので氏直も気概を見せてほしかった〜


0525人間七七四年2011/11/08(火) 23:06:56.31ID:OoUI+BEh
いや、だって北条の場合はそんな戦いじゃないし
豊臣の先鋒(これだけで北条より大軍)が北条の諸城を落とし、小田原を包囲してから秀吉がのんびりやって来たわけで
更に秀吉は小田原城より高い所に城を築いて本陣としたし
とてもじゃないが北条が突入する隙などない
0526人間七七四年2011/11/08(火) 23:09:56.60ID:g4YuTIRz
山中城が一日で抜かれた時点でなあ…
せめて一月でも豊臣主力を拘束できれば話はちょっとは変わってくるんだがね
0527人間774年2011/11/08(火) 23:12:38.92ID:EEzsA96P
兵力が20万人以上いて、
全方向分厚いのに、
たどり着くのさえ無理でしょう。
ヘリコプターがあれば上空からたどり着けたかもね。
0528人間七七四年2011/11/09(水) 00:49:35.63ID:F3HcAu22
兵力が20万人以上いて、
全方向分厚いのに、

それを各個撃破しちゃえばいいのにとか言っちゃう奴がいるんだぜ・・
0529人間七七四年2011/11/09(水) 02:23:23.13ID:fNCfOscl
ただ一つ秀吉に一時撤退もしくは講和させる方法がある。
戦争の序盤に全力で本体前衛に猛攻の限りを尽くし家康を戦死させるんだ。
出鼻をくじくしかない。
ものすごく難しいけど秀吉を討ち取るよりは簡単なはず。
0530人間七七四年2011/11/09(水) 03:06:08.39ID:l5xxdF75
山中城で後詰決戦とかか。
524がいうような熱い勝負も起きそうだな!
0531人間七七四年2011/11/09(水) 09:49:58.92ID:PULC1EsF
秀吉の首はとれないと思うけど無条件降伏はないわ ぜったいない
関ヶ原の負け組も2カ国は残ってるし、宇喜多秀家は切腹をまぬがれた
全部没収+当主(ほんとの当主は氏直だけど)切腹とかないわ
どんだけ下手うてばこんな悲惨な結果になるんだよ・・・
0532人間七七四年2011/11/09(水) 10:08:33.80ID:I4x8q87R
後北条方の失態ではなく、秀吉の思惑絡みだからじゃないかな。
氏直に別地を与える予定だったみたいだし、縮小、転地させるだけで、全取り
つぶしする気はなかった気が。
0533人間七七四年2011/11/09(水) 10:14:20.80ID:87Ju7BCl
すでに氏直は若神子で家康に戦術的に勝てない状態だからな。家康の首を取る
のは非常に困難だろうな。でも箱根で時間稼ぎができれば流れは変わったと思いたい。
0534人間七七四年2011/11/09(水) 11:15:42.81ID:s93JPhdy
だからこそ秀吉は強襲を命じたんだろうな
0535人間七七四年2011/11/09(水) 11:26:31.82ID:ipqBHjv9
でも時間をかけると北陸、信濃、常陸、下野辺りから攻め立てられて北部を脅かされるし
数万の水軍が裏手に回って相模を突き背後も脅かされる
出陣するなら一気に先鋒の徳川勢を突き崩すしかない
0536人間七七四年2011/11/09(水) 14:39:53.49ID:87Ju7BCl
先鋒を撃破できればいいけど、できなくてこう着状態になれば、
韮山が頑張れば下田も持ちこたえて、豊臣水軍が回り込むのは困難でないかい。
海上包囲がなければ、江の島からの補給の運搬は小田原までフリーで、長い対陣も有利。
東海道が詰まって、御殿場からの進軍は足柄城ががんばっていれば、北方支隊の侵攻は
謙信のそれと同じでたいしたことないきがす。
でも結局一勝もできないね。やっぱりだめかな。
0537人間七七四年2011/11/09(水) 15:25:46.44ID:qQr4IaYq
北条が家康のクビでも取ってくれたら、
弔い合戦に燃える秀康・秀忠が後の始末までしてくれるだろうから、秀吉にしちゃ万々歳じゃね?

ていうか、仲裁してくれる可能性がある国と殲滅戦になるような作戦って正気の沙汰じゃないよね
0538人間七七四年2011/11/09(水) 15:36:52.99ID:PULC1EsF
対上杉、武田戦で籠城作戦が功を奏したからねえ〜 
なかなか国境まで主力軍団を出して正々堂々と迎え撃つ気持ちには
ならなかったんだろうなあ〜
0539人間七七四年2011/11/09(水) 15:43:43.23ID:I4x8q87R
よくその話は出るけど、それは氏康の時代だよね。
氏政もそれを見ていて真似したんだろうか。
それとも、結局策がなくて籠城を選んだんだろうか。
0540人間七七四年2011/11/09(水) 16:35:22.67ID:V4Cgovsv
対上杉は崖っぷちの籠城戦
対信玄は本拠地強襲されて籠城戦
どっちも選択の余地があまり無い
0541人間七七四年2011/11/09(水) 16:55:53.21ID:fNCfOscl
>>537
そういう甘い期待が北条を滅ぼしたんだろうが。
0542人間七七四年2011/11/09(水) 17:07:16.18ID:qQr4IaYq
>>541
北条の失敗は、秀吉がまともだと思ったこと。

20万の大軍で3月の末から6月いっぱい張り付くなんて常識外れも良いとこ。

アメリカに襲われたイラクみたいなもんだろ?
(まあ、イラクは石油でも出るから価値はあるかもだが)
0543人間七七四年2011/11/09(水) 17:34:17.49ID:otsK97fN
まあ北条の判断はそこまでぶっ飛んだものじゃないよな。
20万超の軍勢を数ヶ月も動員し続けるってのは戦国大名の常識を逸脱してる。
そして戦国大名として真っ当なその判断がそれが戦国大名北条氏の限界。

>>539
領外に打って出るにせよ、内戦防御を取るにするにせよ、
分進合撃策を取ってくることは予想されてる訳で、どこかで敵を拘束する必要がある。
山中、松井田などがその拘束する城郭の一つであることは、入城してる兵数などから推測できる。
松井田城はそれでも一月近く持ちこたえたから一定の役割を果たしたと言える。
ただ肝心要の山中城が一日足らずで抜かれたから北条の戦略が破綻した。
山中城が持ちこたえていれば、各支隊を北条主力でぶっ潰して回るもよし、
敵本体の疲労を待って決戦を挑むもよし、戦略の幅は出る。
0544人間七七四年2011/11/09(水) 18:06:17.95ID:fNCfOscl
>>542
その言い方は語弊があるな。
北条が考える秀吉のまともさと、秀吉自身のまともさに大きな乖離があったということだ。

20万の大軍の数ヶ月の軍事行動も北条から見れば異常なことだったけれども
当時の秀吉にとっては普通にやってのけられる範疇のことだったんだってことだな。

0545人間七七四年2011/11/09(水) 18:24:07.07ID:qQr4IaYq
>>544
どうなんだろ?
勿論、小田原では破綻どころか勝ったし、その後、朝鮮まで攻めに行けてるから、
普通にやれたと言うのも一理といわずあるが。
種まき、田植え、草刈り時に労働力を動員しっぱなしというのは、当時の軍制を想像するに
かなり、ヤッチャッタ感がするんだが
0546人間七七四年2011/11/09(水) 18:28:35.44ID:PULC1EsF
大坂石山本願寺は10万の魔王信長軍の包囲に10年耐えたぞ!
3ヶ月で音を上げるとは屁タレにもほどがある くいもんなくなったら出撃して秀吉軍の
食料を奪って食え!あとせめて有名武将の首をひとつぐらい取れ!
0547人間七七四年2011/11/09(水) 18:40:00.68ID:eiucAIeR
>>545
>種まき、田植え、草刈り時に労働力を動員しっぱなし
北条の方はそれに加えて国土も蹂躪されていますから^^;
豊臣軍が関東に侵攻してきた時点で北条の長期的戦略も破綻してしまったと思います〜


0548人間七七四年2011/11/09(水) 21:13:04.16ID:eFamuHKZ
>>544
突然、位攻めした訳じゃなく
毛利との中国戦線〜柴田、四国、九州を経て
集大成として臨んでの位攻めだからなぁ
北条も少しは考えようぜ、ってのはある
0549人間七七四年2011/11/09(水) 22:04:07.14ID:eiucAIeR
まともに考えた結果、氏規を派遣して和睦の道を選択したはずだったんだけど
何であんなことになっちゃたんでしょうね^^;


0550人間七七四年2011/11/10(木) 00:57:43.38ID:VEkjzDIc
>>546
海上から物資補給してたじゃん。
織田の水軍はそんなに怖くなかったし。
0551人間七七四年2011/11/10(木) 05:59:21.44ID:ADoxq6fZ
>>548
氏照「あいつ九州攻めるときに餓死者出したらしいぜw」

氏政「じゃあ俺らが城に篭ったら余裕じゃねえ?」
0552人間七七四年2011/11/10(木) 07:42:29.42ID:rw2AJMGR
>>477です。
  亀レスになってしまいましたけど、>>487さんへ。そんな小説があるんですね、情報
ありがトン。

これにて退散します・・。
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