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小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法

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0001人間七七四年2011/09/23(金) 17:50:27.74ID:Blwz8JaE
かなりのムリゲーだけど徳川・伊達と組んでたら可能性はあるんじゃないかな
0431人間七七四年2011/11/01(火) 14:26:16.68ID:lTwxIDx9
>>430
適当でもなんでもないと思うけど
沼田問題は豊臣家が裁定して領域を取り決めたわけだけど
それを突然反故して攻めとるという暴挙に出たわけだから
どうみても豊臣家に喧嘩売ってるとしか思えない
こんな事したらどこの大名でも戦になるよ
0432人間七七四年2011/11/01(火) 15:48:32.89ID:Go0qZC29
北条が名胡桃城攻めたのは実は秀吉の罠だったとか、秀吉は知ってて見ぬ振りしてたとか色々できるな
0433人間七七四年2011/11/01(火) 21:42:24.94ID:lTwxIDx9
そこまで緻密にコントロール出来るなら戦なんてする必要ないよ
04342011/11/03(木) 05:59:32.69ID:2gqLy2ER
本能寺の後滝川一益をやっつけたメンバーって小田原征伐の時いたんだろ?
いたなら情けない負け方したもんだな
一益蹴散らした武勇は何処行ったんだよ?
0435人間七七四年2011/11/03(木) 06:35:40.93ID:F7gNBckt
だってその時は滝川より数が多かったんだもん
今度は向こうのほうが大兵力だし
0436人間七七四年2011/11/03(木) 07:34:21.57ID:Rdzs4wKN
それを思えば信長公はすさまじい根性があったよな 桶狭間の時の話だけど
0437人間七七四年2011/11/03(木) 08:32:25.67ID:fdU2vzwa
今川軍がせいぜい1万ちょいで、信長軍が5000ぐらいだろ?
三河勢の分、今川軍がもう少し多いかもだけど、本土決戦という地の利を
考えればそこまで絶望的でもねえべさ。
0438人間七七四年2011/11/03(木) 10:23:20.40ID:0mAuU5dN
>>434
あの時、直前まで滝川の下にいたのは信長という後ろ盾あってこそ従っていた
関東の諸豪族がほとんどで、滝川直轄の兵はそんないなかった。
変が知れて、関東諸豪族のほとんどは北条へ寝返り、みんな逃げちゃった。
(もちろん滝川勢に与したままの関東勢もいたけど)
だから北条が勝って当然。織田軍は当主の死で浮足立ってるしな。

>>436
>>437の言う通り、織田方の砦に主戦力を向けて兵力を分散していたとこへ
本陣へ特攻だから。
勝ち戦で生きて帰りたい連中に死兵が突っ込めば、多少の兵力差はどうとでもなる
3万とか言われる今川軍の全兵力が全部固まって迎撃したわけじゃないからな。
0439人間七七四年2011/11/03(木) 11:09:04.91ID:me2JYb0e
>>438
いや、今川軍の総数が2万とか3万とかいうのが信用ならんという話なのだが。
本国に氏真率いる守備隊も残してるんだし、駿河・遠江の石高を考えても、遠征軍全体で
せいぜい1万ぐらいじゃね?って話。
一方、尾張の全域を支配してないとはいえ、豊かな尾張で順調に勢力を伸ばしてた
織田軍が全軍で三千ってのもおかしい。
通説だと、各砦に立てこもった部隊を含めて三千だけど、直率だけで三千だったんじゃないかね?
そう考えてくと、信長と義元の率いていた兵力はほぼ互角だったんじゃないかな、と。
有利な高地に布陣していた義元軍が正面攻撃で粉砕されてるんだから、死兵とか奇襲とか
あっても、兵力差があったら勝てないと思う。
兵員のレベルに差があったって話もないし。
ご承知とは思うが、尾張はむしろ弱兵で有名。
0440人間七七四年2011/11/03(木) 11:48:05.95ID:1P5gImMI
松平まで含めれば留守居を置いても2万程度出せるだろ
これに軍夫を含めると4万ぐらいになる
軍記物の数が大袈裟に見えるのは軍夫まで総数に含めてるからだろう
そこを考慮すればそれほど不自然な数字ではない
0441人間七七四年2011/11/03(木) 12:32:45.92ID:Rdzs4wKN
桶狭間は本当に運が良かっただけ でも戦わずに城に籠もってしまっては奇跡も起きないってことやね
北条は小田原城に5万もの軍勢を入れてたと聞く このなかから玉砕覚悟の3千ほどの決死隊を
集めて出撃し、ただひたすら秀吉の首を目指せばどうなっていたか・・・
まさに万に一つ、なにか起きたかもしれない・・・
0442人間七七四年2011/11/03(木) 14:13:05.07ID:e8pq5J6o
さすがに秀吉に近寄るのは不可能だけど大名の2、3人ぐらいは討ち取るべきだったな
徳川の陣に集中攻撃しかければ崩せたと思う
0443人間七七四年2011/11/03(木) 14:32:38.52ID:O1sXGFFA
布陣の厚さで言ったら
夏の陣の家康本陣>>>>>>>>>>>>>>>小田原の役の秀吉本陣
捨て身の突撃で突き崩せたろ
0444人間七七四年2011/11/03(木) 14:36:01.35ID:q6w/fyfJ
>>439
今川の兵力は駿河・遠江だけでなく三河も含めるべきでないかと
この三ヶ国の石高合計は凡そ70万石に達する。

因みに小田原役でコ川は100石につき7人役だった
今川70万石を100石につき7人役で計算すると49000人になる

よって桶狭間時の今川が2万とか3万という兵力は余裕で動員可能
0445人間七七四年2011/11/03(木) 15:09:56.55ID:mvzowQ0R
>>443
何のために、捨て身の攻撃をしなきゃならないんだ?
って後北条の武将は思うんじゃね?
桶狭間の信長家中や、松平麾下の三河衆と、後北条傘下の関東衆じゃモチベーションが違うと思う。
0446人間七七四年2011/11/03(木) 17:25:46.17ID:B9Vox8jX
>>443
そんなに差があるうわけないだろう。
秀吉は小田原包囲に兵力を割いていたものの本陣は山の上の城だぞ。

家康本陣の方こそ平地なうえに司令部が秀忠と二つある分守備兵力も二分されている。
0447人間七七四年2011/11/03(木) 17:44:24.29ID:m7MKmPpD
>>446
当時の指揮系統は家康一本だが
0448人間七七四年2011/11/03(木) 19:13:57.21ID:QC4PdJ2W
桶狭間の戦いも丘の上に布陣した義元本陣を奇襲したって説が
あったけ。本当のところはどうなんだろうか
0449人間七七四年2011/11/03(木) 19:22:06.44ID:Rdzs4wKN
>>448
小泉純一郎さんも読んだという「信長の棺」では、降伏するといって信長公と幹部が非武装で
義元本陣に出向き、伏兵で暗殺したって説をとなえてました 斬新です 完全なるだまし討ち
もはや犯罪に等しい・・・
0450人間七七四年2011/11/03(木) 22:38:48.56ID:InUfBQay
そもそも数が少ないと勝てないと思い込んでるのがおかしいのだよ
世界戦史上でも勿論日本戦史上でも寡兵で大軍を破った例はいくらでもある
だから桶狭間で織田勢が寡兵で勝ったにしても別に不思議でも何でもない
根拠もないのに無理に変な説を唱える事の方が不可解
0451人間七七四年2011/11/04(金) 03:38:33.05ID:qKSlljEf
だから勝ち方を言えっての
0452人間七七四年2011/11/04(金) 04:05:05.37ID:iSG3QWqw
>>450
>世界戦史上でも勿論日本戦史上でも寡兵で大軍を破った例はいくらでもある
大軍で小軍を破った戦いのほうが多いんだよ

兵数は勝利の絶対条件ではないけれど、数ある十分条件の一つ
多いなら多いほうがいい
もちろんそれをきちんと運用できれば、の話しだけどね
0453人間七七四年2011/11/04(金) 08:25:24.46ID:T+q1+INK
今川の例で言えば、今川本隊に2万いたわけではなく、桶狭間時点ではほぼ互角
だったと個人的には思う。
でも義元を討ち取ることが出来たのはたまたまだったんじゃないかな。
秀吉と家康の小牧長久手でも、家康が当時の名だたる武将を討ち取った事から
秀吉が譲歩したとも言われている。
そう考えると、後詰めがない状態だし、打って出れば、万が一があったかもし
れないね。
0454人間七七四年2011/11/04(金) 11:22:50.39ID:hEh5WEjN
寡兵で勝つ事や引き分けるは珍しくもなんともないが
桶狭間が名勝負たる由縁は大名を討ち取って戦況一変させた事だろう
まあ、同じ事を北条にやれと言うのは無理だけど
秀吉は完全に包囲した上に城に滞在しているし
0455人間七七四年2011/11/04(金) 17:40:18.65ID:EzvNi059
城出来たから奇襲は不可能だと悟って降伏したんだろうな
築城が早かったとはいえグズグズし過ぎだ
0456人間七七四年2011/11/04(金) 18:19:49.14ID:qKSlljEf
一旦城に篭ってその周りを囲まれたら奇襲はもう無理だろう。
城門からしか出られないから大軍で一気に突入できないし。
0457人間七七四年2011/11/04(金) 19:53:43.96ID:J14S+MFL
仮に20万で囲ってたんなら
一日60万食、10日で600万食必要なんでしょ
一日2食でとかいったらそれこそ士気がた落ちだろうし
むしろ秀吉のことだからいいもんふるまったりしそう
我慢してれば秀吉側が食うもんなくなって一時退却してくれたんじゃないかなどと考えるんだけど。
そうもいかないのかな。
0458人間七七四年2011/11/04(金) 20:02:14.71ID:0mkb7I3w
>>457
いや、まったく正しい 退却ってか、講和になる そのとき北条側に有利な講和になる
島津などは逆らったのに玉砕して戦うといったら全所領安堵された
海外との貿易をスムーズにするために徳川がサービスしたと言われている
ほかでは上杉、毛利が2カ国残った 北条も半年籠城できれば2カ国、
1年籠城すれば全所領安堵が狙えたと思う
0459人間七七四年2011/11/04(金) 20:45:02.28ID:qKSlljEf
でも朝鮮出兵の時は16万を10ヶ月、焦土作戦で干枯らびた半島に送り込んで
戦い続けてるからな。
海を隔てながらこの補給力ということは西国から関東へ20万人分の兵站維持って
秀吉には余裕だったのかもしれんよ。
0460人間七七四年2011/11/04(金) 20:53:54.69ID:8BD/HKyP
朝鮮の頃には東北と関東の収入も増えてるんだから比較対象になるの?
0461人間七七四年2011/11/04(金) 20:58:26.68ID:cvE/2Ei+
>>457
そうもいかない

極端なことを言ったら小田原城と忍城に包囲軍を貼り付けておけばいいので全軍を退却する必要は無い
それに関東の反北条軍の兵糧は自前だから頭数では使える兵力
上杉や徳川は嫌がるだろうけどこいつらに無理をさせればいい

あと兵糧が無くなるのは北条も同じ
豊臣の方は開城した北条の城から微量ながら兵糧を回収できる
そこまで必要はないかもしれないが奥羽から兵糧を献上させればいい
それに豊臣は兵站を確保できているので駿河や遠江の兵糧基地から輸送できる

逆に包囲された北条は枯渇するのを待つだけ
時間が経てば兵糧は必ず減るが増える可能性は皆無



北条は好きだけど粘れば何とかなるレベルではない


0462人間七七四年2011/11/04(金) 22:30:56.76ID:UzV6XumA
そもそも、これ以上の長期戦は不可能だったから開城したわけだし
もっと粘っていればと言う議論は無意味
籠っていられるものなら実際そうしてるよ
0463人間七七四年2011/11/04(金) 23:00:22.39ID:cvE/2Ei+
攻撃は最大の防御ということだな


0464人間七七四年2011/11/04(金) 23:08:13.59ID:wON/29x/
火器がそれほど発達してない時代に
兵力差以上のことで戦況を覆すのは無理だよ

攻撃側もそれぞれが付け城に篭もってるから奇襲も不可能
0465人間七七四年2011/11/05(土) 00:00:52.00ID:8ZnUcAJs
兵糧以上に士気が問題だよね
仮に5年分の食糧があったとしても、いつ敵襲があるかわからない状況で
長い期間気張って生活はできないよ
「いつか終わる」って希望が勝つのでも負けるのでないと続かない
0466人間七七四年2011/11/05(土) 00:04:04.61ID:9mvJv5Hz
総構えでどうにかならんの?
0467人間七七四年2011/11/05(土) 00:11:20.87ID:LqlAMgO8
豊臣方は大砲持ってきてないし
惣構え+鉄砲を突破するのは不可能
まあ、鉛と硝石が尽きるのを待てば良いのだが
0468人間七七四年2011/11/05(土) 00:57:20.50ID:IBtALlyW
>>457
北条側の希望的観測としてはあったかもしれない。
しかし、豊臣側は事前に20万石の兵糧を用意していたし
新規の補給も受けられる状況だった。
対する北条側は補給の可能性は無かった。

秀吉は織田軍の武将時代3年間にわたる三木城包囲を経験してる。
また三木城包囲の同時期に織田軍は有岡城包囲も行っており
このときは大軍で攻撃した後、包囲に必要な兵力を残し
信長はじめ主力は退却するという戦略をとっている。
小田原の豊臣軍もこういった選択肢もあるわけで
北条側より先に兵糧が無くなりはしないだろう。
0469人間七七四年2011/11/05(土) 01:00:38.79ID:IBtALlyW
>>467
>豊臣方は大砲持ってきてないし
コ川軍が支城攻略戦で大砲を使用している。

もっとも惣構え+鉄砲の突破に有効かとうかは別の話で
おそらくあまり有効では無かったと思う。
0470人間七七四年2011/11/05(土) 05:25:24.89ID:yibjUPDz
上杉の小田原攻めの時とは状況が大きく異なるからなぁ
冬は越後からの物資補給が不可能になるし、武田の動きも不穏だったから明らかに上杉不利だった。
なのに「あの上杉謙信でも落とせなかった我が城が農民上がりの秀吉に落とせるわけがない」と
いう過剰な自信を持ってしまった。
0471人間七七四年2011/11/05(土) 05:35:03.86ID:9mvJv5Hz
たかが関東管領の出征とは違って
関白だしな
04722011/11/05(土) 07:00:42.99ID:bm4d8Lim
滝川一益対北条の戦いは互角の勝負じゃなかった?
兵力は
0473人間七七四年2011/11/05(土) 08:54:22.92ID:aW3dAspf
>>457
小田原に籠もってる側の兵糧より、小田原方領地の稲作が致命的になんじゃね?
足軽なんかは、ほぼ半農だろ?それを抱える領主も来年どうしょう?って頭を抱えるだろうし。
2月から7月って完全に農作業の時期に戦争を仕掛けられた時点で篭城側は積んでんじゃね?
もう少し頑張ってたら、一門の誰かが氏政氏直のクビを持って降参したかもしれん
0474人間七七四年2011/11/05(土) 09:21:45.78ID:jO6oXox9
でもでも光武帝は100万の包囲を3000で開囲したよ。
ギネス級のこの兵力差、嘘八百なのか?
たかが20万。
0475人間七七四年2011/11/05(土) 10:39:43.57ID:8ZnUcAJs
>「あの上杉謙信でも落とせなかった我が城が農民上がりの秀吉に落とせるわけがない」と

よく使われるけど小説とかの話だろ、それ。
実際に北条勢がそんな発言したって資料でもあるの?

本気で北条が小田原籠城で(堅城である事を頼みに)迎え撃って撃退できるなんて考えてなかったろ
もうそうするしかない状況に追い込まれて籠城するのと
作戦・戦略として籠城するのじゃ意味が違うんだから。

上杉・武田の時だって、堅城が頼みの綱だったわけじゃなく
どっちもそんな長期間本拠を開けてられないのがわかってるから籠城しただけの話であって
秀吉が成り上がりだからとか、上杉武田を退けたからとか、そんな理屈で戦略を選ばないだろ
いくら何でもそれは馬鹿にし過ぎ
0476人間七七四年2011/11/05(土) 10:57:56.53ID:aW3dAspf
>>474
万里の長城なんて名付ける国だぜ。
数字なんて適当さw

ただ戦争シミュレーションゲームでなら、小田原での北条勝利は無理ゲーじゃないかもだがな
でも、豊臣方は最悪、小田原城下を火の海に沈めるって選択肢だってある。
戦争を選択して篭城を選択した時点で詰みだろ
0477人間七七四年2011/11/05(土) 12:51:37.59ID:JDZyAzTH
以下のレスは、いろいろ用語がおかしいとは思うが、無知ってことで大目に見てくれ。

>>475 戦略って言っても・・・このころの北条って、「現状の方針を維持、これで版図が拡がれば儲けもの」(裏返せ
ば、そんなにアンテナは張り巡らしていない)という原則で動いているとしか見えないなあ。上方の軍勢が経済力に
バックアップされた大軍であるがゆえ、武田も上杉も非常に苦しい戦いを強いられていたのだが、この時期
の北条って、「信長と同盟したから後はOK」と楽観してるとしか思われないよ。「明日は我が身」と少しでも考え
ていたのなら、普通、「天下統一を目指している以上、そのうち北条の領国にもクチバシを挟みかねんだろjk」
→織田軍に強固なパイプをつないでおく→秀吉が「攻城戦、兵糧攻めの名手」であることを確認して、
さらなる情報収集。ぐらいのアクションは当然じゃないのか?風魔は全国的にもトップレベルの忍びなんだし、
このころの関東って比較的平和な時期 だったらしいから、忍びが足りないってわけでもなかろうに。
「謙信玄だって退却させた我らが小田原城! あの二人以上の敵なんて、来るわけねーだろjk」という観測に
基づいて、「安逸を貪ることに慣れて」
いる、としか・・・。俺みたいに無知な外野からの視点だと、そうとしか見えないのだが。
毛利・佐竹・上杉・徳川・(そういえば信長の子孫も、だっけ)といった連中は、
敵対するにしても父親の代からの因縁であり、やむを得ず戦ってそして滅ぼされそうになったりしてるが、
先が読めていて織豊政権と仲良くしている場合には、権力者にアゴで使われて
先祖代々の土地を削減されたり取り上げられたり、屈辱的な和約を結んだりしてでも、家名の存続に
奔走しているよね(徳川にとっては結果的に栄転)、しかし北条は
織田と握手するときは頑張っているのに、豊臣に対しては腰が重い・・解せない。

・・とりあえず、北条家にとって「関東の民のために、豊臣に屈服なんぞしないんです、独立を維持するんですキリッ」というのが
重要な存在意義だったといえる・・カモ?と俺は思ってる。「最大領土の氏政」と「戦国サラブレッド・氏直」の評価に泥を
塗ったにせよ、「北条家の経世済民の理想は、のちに狭山藩の民を救うの
です!!」・・あ、これで納得できた。

>>474 あの民族には、白髪三千丈・・の伝統がありますからな。たとえば、白起が長平で
「捕虜40万人を生き埋め(戦死者とは別計算)」という数字がありますけど、これもどうなんだろーね・・・。
 
うわっ長文&駄文だわ・・・スレ汚しスマソ。
0478人間七七四年2011/11/05(土) 13:21:17.32ID:sjCLgVb+
しょせん北条なんて時勢に疎い田舎大名だったということですわ
0479人間七七四年2011/11/05(土) 13:30:24.19ID:7bWabZrA
あっそ
0480人間七七四年2011/11/05(土) 13:36:05.10ID:PM7Z0Tu/
それを言っちゃうと
徳川の世になったことを認められずに滅んだ豊臣をはじめ
生き残れなかった大名家全部がそういうことになっちゃうからなあ<時勢に疎い
もちろん江戸時代に取りつぶしにあった大名家も含めてね
0481人間七七四年2011/11/05(土) 13:40:01.61ID:PM7Z0Tu/
× もちろん江戸時代に取りつぶしにあった大名家も含めてね
○ もちろん福島家などの江戸時代に取りつぶしにあった大名家も含めてね
0482人間七七四年2011/11/05(土) 13:59:54.18ID:8ZnUcAJs
>>477
「風魔はトップレベルの忍びなんだし」で読むの止めた。
もうちょっと勉強して
0483人間七七四年2011/11/05(土) 14:04:56.32ID:bpKXAOuo
そもそも
謙信の小田原侵攻
信玄の小田原侵攻
秀吉の小田原侵攻
この3つ北条も相手方も状況が全く違う
0484人間七七四年2011/11/05(土) 14:49:51.38ID:FlXn65k5
籠城は後詰めがある事が大前提だからな
後詰めと言うのは援軍と言う意味だけではなく物資の補給も含めての事
海外では何年もかけた長期籠城の例が結構あるけど、これは外からの補給線が繋がっていたから可能であったわけで
小田原城みたいに外の勢力は元より支城との連絡線すら絶たれた状況では
単に「まだ生きている」と言うだけで先の見通しは完全に絶たれており、実質落城した事と同じだ
その点で上杉や武田の小田原攻めとは全く状況が異なっている
0485人間七七四年2011/11/05(土) 16:18:19.97ID:aW3dAspf
>>482
トップレベルだろ?
伊賀、甲賀、雑賀(傭兵集団らしいが)、根来(傭兵集団らしいが)の全国区の次くらいには入るんじゃね?
0486人間七七四年2011/11/05(土) 16:40:40.54ID:sjCLgVb+
>>480
バカかお前は。
俺は北条のことを言ったんだよ。
お前はあれか、なんでもかんでも一元視しかできない無脳者か?
そんなんだからいつまで経ってもチンコの皮が剥けねーんだよ。
0487人間七七四年2011/11/05(土) 17:24:31.68ID:jO6oXox9
白起将軍は墨家を一挙にせん滅したという小説がありましたな。
あくまでも小説ですけど。
忽然と墨家が姿を消した。
0488人間七七四年2011/11/05(土) 18:01:08.37ID:JDZyAzTH
477です。気づいたらこんな流れになってたのか(汗) ちなみに>>485さんは
俺じゃない。これから日付が変わるまでパソコンの前に座れないので、
その間消えます・・あしからず。m(_ _)m
0489人間七七四年2011/11/05(土) 18:12:03.15ID:8ZnUcAJs
>>485
えっとさ、伊賀甲賀も雑賀・根来衆もいっぱい史実の資料に基づいた本出てるよね?
風魔ってあるかな?小説以外で裏付けるような資料が。
漫画とゲーム以外の分野にも触手を伸ばしてみてね
0490人間七七四年2011/11/05(土) 18:16:24.48ID:8ZnUcAJs
軍記物に出てくるだけで、誰も研究者が調べていない人物・集団を
さも全国規模で活躍したかのように言っている時点で何も調べてないんだなーと思われるよ

他にもゲームでは常連だけで実在疑われてる人物としては
鬼小島さんとか、丹波の青鬼・籾井教業とか、いろいろいるので調べてみてね。
0491人間七七四年2011/11/05(土) 18:29:45.02ID:2sMHxGfv
PUMA小太郎
0492人間七七四年2011/11/05(土) 18:56:29.48ID:aW3dAspf
>>489
その伊賀甲賀〜の次だから嘘じゃなかろうと思うが?
武田だって、なんか諜報活動をやってたらしいが、その家臣の名前なんて出てこないだろ?
毛利も同じく、島津も同じく。朝廷にしたって。
伝記に出てくるだけ大物だろ?

馬鹿じゃね?
0493人間七七四年2011/11/05(土) 19:17:16.77ID:8ZnUcAJs
そもそも何を典拠に伊賀甲賀の次とか言ってるの?妄想?ゲーム?
武田忍び(とされる人物)については風魔よりもたくさん資料残ってるよ。名前・事績が残ってる奴もたくさんいる。
(割田重勝とか出浦盛清とか)
毛利や島津の忍び?太閤立志伝でもやったのかな?そいつらも一緒。伝説の域をでない。
朝廷の人物なんて言わずもがなw いくらでも資料も事績も出てくる。

そろそろやめといた方がいいよ。浅はかな知識で自己主張するのは
0494人間七七四年2011/11/05(土) 19:33:09.86ID:jO6oXox9
でもまあ風祭に行くとなんかぶきな雰囲気だしな。
きっとハコネ山椒の燻製なんか食ってたんだよ。風間一族は。
0495人間七七四年2011/11/05(土) 21:08:16.93ID:vDcR5+1O
情報収集・情報工作はどの大名だってやってるだろうし、
破壊工作だって必要に応じてやってる。
前者を専門に請け負うのは現在ではスパイ、後者は特殊部隊ってことになると思うけど、
これらをまとめて忍者って分類されてる現状は正直どうかと思うね。

伝承通りなら、武田の歩き巫女や上杉の軒猿衆が破壊工作をするような者たちではないし、
逆に風魔なんかの夜盗・強盗崩れは破壊工作専門じゃない。
一緒くたに語るのはどうかと思う。

あと、繰り返しになるけど破壊工作をする為に夜盗強盗の罪を免じて徴募するのは常套手段。
夜盗強盗を忍者って呼びたいなら、まあ構わないけどね。
0496人間七七四年2011/11/05(土) 21:59:43.36ID:xK29atUB
風間の立ちすぐり居すぐりはマンガの墨攻でも出てくるね
0497人間七七四年2011/11/06(日) 00:50:32.61ID:UiJxZp+C
>>492
この馬鹿はもう出てこないの?さすがに恥ずかしくなっちゃった?
0498人間七七四年2011/11/06(日) 10:05:47.90ID:TS4YgxqZ
忍者の定義って解んないよね。

ナルトなんかの漫画のスレなんかだと、本来の忍者はとかなんか定義があるように
語ってる人々がいるけど、本来の忍者ってなんだっけ?って思ってしまうよ。
0499人間七七四年2011/11/06(日) 10:05:50.96ID:M2pfJRlb
>>452
百年戦争なんて数が少ない方が数が多い方を破った例が多いんだが

確かに数が多い方が有利なのはそうだが
寡兵のほうが必死になる分か
寡兵が大軍を破る例が多い
百年戦争に限らず
0500人間七七四年2011/11/06(日) 10:09:15.18ID:cGhBWdZo
さっき起きた

天気予報調べたら曇りのち雨
ちゃりで近所の裏山行って帰ってくるしかないな
0501人間七七四年2011/11/06(日) 10:12:01.75ID:M2pfJRlb
10人対20人で綱引きをした場合
統計だと
10人側のほうが一人当たりの力が強くなるらしいぞ

0502人間七七四年2011/11/06(日) 12:04:01.10ID:Kzt2/sZu
でも10人の方が負ける確率圧倒的に高いだろう?
0503人間七七四年2011/11/06(日) 14:17:28.18ID:0SK/xnFY
そりゃ綱引きじゃ単純な力だけだから同程度の能力の人間でやれば人数多い方が有利に決まっている
だが、喧嘩や戦争になると全く別
0504人間七七四年2011/11/06(日) 14:52:19.24ID:Kzt2/sZu
基本的におんなじだろ。

少ないほうが大軍を破った戦争の方がインパクトが大きいから歴史に残るだけであって
実際は大半の戦いは数が多いほうが勝ってるんだぜ。
0505人間七七四年2011/11/06(日) 16:56:31.51ID:0SK/xnFY
そりゃ嘘だろ
統計取るなんて恐ろしく面倒臭い事してないでしょう?
日本の、更に戦国時代の、更に1540年〜1590年の50年間のみに絞ったとしても大小1000回ぐらいは戦が行われていると思う
これらの戦の兵力と勝敗を調べて統計を取るなんて研究家ですらやった人いないはずだよ
0506人間七七四年2011/11/06(日) 17:16:27.16ID:1vyLDa2x
少なくとも
信長秀吉が後詰めを誘い出して、それ以上の兵力を用意して叩き潰せるようになってからは
加速的に支配領域が増えて行ったな

結局数が正義って事
0507人間七七四年2011/11/06(日) 17:29:26.97ID:9NE0h5DU
>>506
野戦築城を行って数の劣勢をしのぎ
機が熟してから相手よりも大量の兵をもって有利な野戦で決着

簡単に見えるけど、実践するのは難しいだろうな
0508人間七七四年2011/11/06(日) 18:43:58.90ID:Kzt2/sZu
>>505
本気で戦争に数があんまり関係ないと思ってるの? 
それなら大勢力はわざわざ大軍を動員する必要ないじゃん。

簡単な例を教えてやろう。
信長が南近江の六角を攻めたときに一日で30以上の六角の軍事施設を攻め落とした。
もちろんどれも小規模で守っていた兵力も極少数。

六角は数が少ないばかりに1日に30以上の負け戦をし、逆に信長は30以上の勝ち戦を挙げた。
もし六角方の拠点の2つか3つにでもそれぞれ5万の兵力があったら
信長は交戦せずに撤退していた可能性さえある。
それくらい数というのは重要な要素。
0509人間七七四年2011/11/06(日) 21:03:19.35ID:UiJxZp+C
2つか3つに5万て10〜15万も動員できるんなら信長じゃなくても撤退するわな
0510人間七七四年2011/11/06(日) 21:26:22.05ID:6fWRE6si
>>508
信長の六角攻めとか思いっきり特異な例だよ
普通は戦力差があっても引き分けになる場合が多い
少なくとも一気に壊滅するような事は滅多にない
0511人間七七四年2011/11/06(日) 21:28:20.22ID:H4Pj5ohF
ドズル・ザビ中将も「戦いは数だよ」と言っているぞ!
0512人間七七四年2011/11/06(日) 21:37:51.83ID:V+u/uBIE
中世の合戦だから装備、練度に優れた寡兵が
寄せ集めの大軍を破るくらいはあるだろう
ソマリアの民兵1000〜2000vs取り残されたアメリカ軍5人じゃ無理だろうけど
0513人間七七四年2011/11/06(日) 21:41:38.58ID:eySSZ30A
180人に滅ぼされたインカ帝国・・・
0514人間七七四年2011/11/06(日) 22:39:09.62ID:No2t/PKT
>>513
あれはインカ帝国に対する抵抗運動にスペインが便乗しただけ。
0515人間七七四年2011/11/07(月) 00:45:30.76ID:A9UxDVWA
>>512
ところが小田原征伐は装備、練度供に豊臣軍が圧倒的に上だという現実
0516人間七七四年2011/11/07(月) 03:29:12.90ID:2HiT87NC
知恵さえあれば普通に寡兵で大軍を破れるとか思ってるとしたら完全に中二病全開だろう
三国志演義とかいつまでも信じ込んでる場合じゃねえぞと
0517人間七七四年2011/11/07(月) 07:56:25.95ID:wD8u3mN4
寡兵で大軍を破る場合に必要なものの一つは相手の失態だからな
自軍は失態を犯さずに相手の失態には完全に乗じるとか、
もはや人間業じゃねぇ
0518人間七七四年2011/11/07(月) 08:19:35.87ID:mhsUEjlP
まあ、寡兵で大軍を破るのが難しいから、後世に記録として残っている訳
だし、基本的には無理でしょ。
それを言ってしまうとこのスレは終了なわけだけど、さて、どうしたものか。
0519人間七七四年2011/11/07(月) 11:04:00.01ID:fwJRbPv+
戦は装備と統制が第一だよ
兵力はそれに次ぐ
烏合の衆はいくら集まっても烏合の衆
下手に大軍で一ヶ所が崩れると総崩れになるから士気の低い兵は連れていかない方がマシなぐらい
ただ、小田原攻めの場合で見ると装備、統制、兵力共に豊臣の方が上回っている
つまり詰んでいる
0520人間七七四年2011/11/07(月) 14:31:40.46ID:2HiT87NC
兵力の優劣を語る場合、特別な事情がない限りそれ以外の要素は同等と仮定してるのが普通だろう。
0521人間七七四年2011/11/08(火) 08:21:34.65ID:Bg4lOyKP
まあ、いずれにしても、詰んでいる事に変わりはない。
0522人間七七四年2011/11/08(火) 09:43:06.44ID:g4YuTIRz
まあな、勝つ要素がない
0523人間七七四年2011/11/08(火) 20:21:49.14ID:AW8fxg2q
したり顔で無理とか詰んでるとか言ってるだけで良いの?
もっと熱くなれよ…!!
熱い血燃やしてけよ…!!
人間熱くなったときがホントの自分に出会えるんだ!
崖っぷち?
その崖っっぷちが最高のチャンスなんだぜ!!
自分の全ての力を出し切れるんだから!!!
崖っぷちありがとう!!
最高だ!!!
0524人間七七四年2011/11/08(火) 21:53:36.51ID:s4QG+O4T
勝ち負けどちらでも構いませんから大勝負は見てみたかったですね^^
籠城するよりも敵本陣に突入した方が名は残せたはず!

 【勝戦の例】桶狭間合戦:清洲城から出撃し今川本陣に突撃した総大将の織田信長
 【負戦の例】大坂夏の陣:大坂城から出撃し徳川本陣に突撃した一部将の真田信繁 

豊臣本陣に突撃するのはかなり困難かと思われますが
信長も信繁も困難の中やってみせたので氏直も気概を見せてほしかった〜


0525人間七七四年2011/11/08(火) 23:06:56.31ID:OoUI+BEh
いや、だって北条の場合はそんな戦いじゃないし
豊臣の先鋒(これだけで北条より大軍)が北条の諸城を落とし、小田原を包囲してから秀吉がのんびりやって来たわけで
更に秀吉は小田原城より高い所に城を築いて本陣としたし
とてもじゃないが北条が突入する隙などない
0526人間七七四年2011/11/08(火) 23:09:56.60ID:g4YuTIRz
山中城が一日で抜かれた時点でなあ…
せめて一月でも豊臣主力を拘束できれば話はちょっとは変わってくるんだがね
0527人間774年2011/11/08(火) 23:12:38.92ID:EEzsA96P
兵力が20万人以上いて、
全方向分厚いのに、
たどり着くのさえ無理でしょう。
ヘリコプターがあれば上空からたどり着けたかもね。
0528人間七七四年2011/11/09(水) 00:49:35.63ID:F3HcAu22
兵力が20万人以上いて、
全方向分厚いのに、

それを各個撃破しちゃえばいいのにとか言っちゃう奴がいるんだぜ・・
0529人間七七四年2011/11/09(水) 02:23:23.13ID:fNCfOscl
ただ一つ秀吉に一時撤退もしくは講和させる方法がある。
戦争の序盤に全力で本体前衛に猛攻の限りを尽くし家康を戦死させるんだ。
出鼻をくじくしかない。
ものすごく難しいけど秀吉を討ち取るよりは簡単なはず。
0530人間七七四年2011/11/09(水) 03:06:08.39ID:l5xxdF75
山中城で後詰決戦とかか。
524がいうような熱い勝負も起きそうだな!
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