小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法
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0001人間七七四年
2011/09/23(金) 17:50:27.74ID:Blwz8JaE0397人間七七四年
2011/10/31(月) 06:15:24.15ID:5LvgjohQ家の浮沈のかかった対豊臣外交を、平時の外交予算で安くおさめたいとか世の中なめすぎだろ。
「戦争による勝機は徳川が屈服した時点でなかった」なら
「外交で済むなら、それに越したことはないし、それがダメなら戦争というだけの話。」にはならない。
なんとしても外交で決着をつけねばならず、そのためにはさっさと上洛せねばならない。
>>387でいう主戦論者が氏照・氏邦という超大物なのに上洛降伏でまとまってるとか無理ありすぎ。
協議が割れてるからこそ氏規や重臣に適当な事言わせて時間を稼いでいたと観るべき。
外交武将の捕縛は名胡桃事件の後の話。
要するに上洛しか選択肢がないのにだらだらと引き延ばしたあげく
名胡桃事件というタイムリミットがやってきたという話だろ。
戦争に関しては詭弁乙としか言いようがない。
戦端を開く前に降っていれば過去の例から言って本領(伊豆相模)の安堵くらいはあっただろ。
本拠地に集めた兵で最初から後詰のない籠城を選択するような愚策は島津や長宗我部もやっとらんぞ。
城を枕に華々しく散るためとしても結果は降伏開城切腹。sage
0399人間七七四年
2011/10/31(月) 06:19:20.31ID:5LvgjohQ・北条がちんたら上洛しなかったから攻め込まれた>そんな事はない、一門や重臣を送ってる。
大名は最後に交渉に赴くもので、実際に氏政が上洛準備をしていた書簡も残っている。
.>時間稼ぎでも一門や重臣ぐらい送る。協議が割れてても、ある程度の準備くらいはしとくだろ。
・総無事令出してるのに名胡桃城攻めたのが悪い>この事件そのものの資料性が怪しい
>というならソースくらい出してほしいな。まさかまた個人研究HPじゃあるまいな?
・後詰もないのに籠城かよ、小田原城に頼り過ぎw >野戦に打って出て勝てる戦況ではない。
>初手から籠城で勝てる戦況ではもっとない。
小田原を囲まれる前に降るか、でなきゃ>>362の言うように内線作戦による各個撃破でも狙うべき 。
俺が言いたいのはこんなとこ
0400人間七七四年
2011/10/31(月) 06:29:36.23ID:nnkguKvFそういえば氏規が上洛する時に特別税を領域全体から取ってたね
どのくらいだったかまでは記憶にないけど
>>396
武田や上杉クラスを撃退できれば上々だろ
0401人間七七四年
2011/10/31(月) 08:01:30.65ID:fp29bjTLそれが財政を圧迫してたのは想像に難くない。
氏規の上洛ですら特別税を領域全体から徴収せねば成らないようでは氏政の上洛どころではないだろう。
常識的に考えて北条が上洛降伏でまとまってるとしたら有り得ない予算配分だな。
0402人間七七四年
2011/10/31(月) 08:18:13.50ID:ZmImM8Q7秀吉がやる気満々な状態では、現実的に難しいよなぁ。
0403人間七七四年
2011/10/31(月) 09:52:05.78ID:4Om6MU5tあれはなんでだ?
0404人間七七四年
2011/10/31(月) 10:17:14.28ID:RqthZdIo0405人間七七四年
2011/10/31(月) 11:00:12.85ID:4Om6MU5t1次は、援軍の見込みなしで講和だったけどあんまり書籍がないからあれだけど、
冬将軍のおかげみたいと書いてる。スルタンのやる気の問題だったのかな?
小田原よりはるかに冬は寒いんだろうな。リンゴができるから青森くらいの寒さか。
小田原はミカンができるからな。
大阪小田原間は500Km、コンスタンチノープルとウィーンは1000Km。
ウィーンの城壁周囲4km、小田原の総構9Km。守備兵ともに5万ほど。
ウィーン攻囲兵12万という資料がある。たぶん北条兵の方が強兵だと思いたい。
ウィーンは弱兵だと思いたい。でもウィーンはしのいだぞ。
0406人間七七四年
2011/10/31(月) 11:26:38.47ID:zL+imXvdそれを秀吉から見れば北条は口では恭順の意を唱えながら
言を左右して氏政の上洛を先送りしつつ
国許では国力の大半をつぎ込んで軍備増強を図る怪しげな辺境の大国となるな
0408人間七七四年
2011/10/31(月) 12:57:42.39ID:MieqfexH名胡桃事件の出典がどこなのか、(できれば複数の)良質史料があるのか否かだろう
>>394はそこを出せばいいわけだ
>時間稼ぎでも一門や重臣ぐらい送る。協議が割れてても、ある程度の準備くらいはしとくだろ。
>小田原を囲まれる前に降るか、でなきゃ>>362の言うように内線作戦による各個撃破でも狙うべき 。
これはお前の主観だな。単に自分の主張を否定されムキになってるだけだ
0409人間七七四年
2011/10/31(月) 13:32:20.25ID:VkmZvxm/まずスレタイに対しては戦争が始まってから北条が勝つのは無理。
外交交渉どうのこうのというのはそもそもスレ違いだろう。
0410人間七七四年
2011/10/31(月) 15:52:14.44ID:RmNCFHua0411人間七七四年
2011/10/31(月) 16:32:45.80ID:LunJPNhp・総無事令出してるのに名胡桃城攻めたのが悪い>この事件そのものの資料性が怪しい
>というならソースくらい出してほしいな。まさかまた個人研究HPじゃあるまいな?
↑まず、個人HPを出典にしてたのは俺じゃない。
スレ内検索をしてもらえればわかるが、名胡桃城事件に関しては怪しい部分をいくつか指摘してある。
(城主の鈴木のそれまでの事績がゼロ、首謀者とされる猪俣(北条では重臣の方)の最後が不明瞭)
逆に「信ぴょう性が高い」とする資料を出して欲しいのだが。
0412人間七七四年
2011/10/31(月) 17:05:58.46ID:CeNV9hpCこのてのスレで語れる事ってほとんどなくね?
0413人間七七四年
2011/10/31(月) 18:56:17.55ID:j26y61PVなので終了。
0414人間七七四年
2011/10/31(月) 18:57:39.24ID:y97LGdU6第一次ウィーン包囲も長引けば援軍がくるかもしれない危惧はあった。
皇帝カール5世がウィーンで包囲されていた訳ではなく
包囲していたウィーンはハプスブルク領の一部でしかなく、
他の大部分のハプスブルク領は未制圧であり、
対仏戦の状況しだいでは大挙救援も有り得た。
他のカトリック諸国が援軍として加勢する可能性も常にあった。
このあたりが北条が孤立無援で、領土の殆どが先に制圧されていた小田原包囲との違い。
0415人間七七四年
2011/10/31(月) 20:16:43.49ID:LunJPNhp「その程度の」理由くらいを立証できる資料ないの?
「なかった」って立証するのは難しいんだよ
「あった」なら信用できる一次資料出すだけだろ?できないの?
0416人間七七四年
2011/10/31(月) 21:19:51.69ID:tkfAV1ae完全に豊政権に対する敵対行為。
主犯格は良くて切腹、悪くすりゃ三族根絶やし。
〜無事令が、言い掛かりなら、
言い掛かり付けてまで滅ぼしたいんだから
良くて、三族根絶やし。
どっちころんでも、秀吉が死ぬ前に講和なんて今時の平和ボケ以外には思い付かない選択肢だと思うんだが?
どうでもいい、揚げ足とりをするしかないほど、
小田原の役での北条方の勝利は無理なのか?
0417人間七七四年
2011/10/31(月) 22:18:51.75ID:WgH0FzKu小田原までの道中の何処かで奇襲をかければ
千に一つとか万に一つの確率で太閤さんを討てたんじゃね?
その場合であっても、太閤さんの後継者の座を巡って軍は瓦解するか(=小田原攻め回避)
太閤さんの仇討ちとして小田原に攻めてくるかは
わからんけどさ
0418人間七七四年
2011/10/31(月) 22:58:56.80ID:VHbHbAr50419人間七七四年
2011/11/01(火) 00:18:11.91ID:Go0qZC290420人間七七四年
2011/11/01(火) 06:26:17.45ID:HHmPH7C90421人間七七四年
2011/11/01(火) 06:37:04.55ID:aSBp1H/A0422人間七七四年
2011/11/01(火) 07:42:55.55ID:A5oFJudG0423人間七七四年
2011/11/01(火) 08:25:42.12ID:I9rIButx戦中なのに余裕で東北の大名を招集しているくらいだし、途中での奇襲は
まず無理じゃないかな。
そう考えると、石垣山に全軍突撃の方が勝算はあるか?
まあ、大阪城夏の陣と同じで、後々勝算じゃなくて、称賛はされる行動と
言われるかもしれないかなw
0424人間七七四年
2011/11/01(火) 09:00:26.45ID:sSyPlplv0425人間七七四年
2011/11/01(火) 09:36:23.72ID:pzDjGr4Wすたこら逃げると思うが
0426人間七七四年
2011/11/01(火) 11:11:21.26ID:93BYBj7e0428人間七七四年
2011/11/01(火) 11:58:50.90ID:lTwxIDx9横レスだが
小田原征伐の直接の原因が名胡桃城強奪事件なのは間違いないかと
秀吉自身がそう言ってるわけだし
0430人間七七四年
2011/11/01(火) 13:14:03.67ID:xTdn+QM+なんか最近どうも第一次湾岸戦争にカブって見える 父ブッシュとサダム・フセインの戦い
あのときアメリカの外交官はさかんにサダム・フセインにクウェートに侵攻してもアメリカは
中立を保ちますよと言ってた それでサダムはやったんだ やったとたんアメリカは宣戦布告した
北条のときも何人かの外交僧があのへんは北条が切り取ってもかまわないと嘘の情報を
流してたらしい それより前に秀吉は戦争を決意していた なぜか知らないけどもうやると
決めてたんだ そして適当な開戦理由を探してた
0431人間七七四年
2011/11/01(火) 14:26:16.68ID:lTwxIDx9適当でもなんでもないと思うけど
沼田問題は豊臣家が裁定して領域を取り決めたわけだけど
それを突然反故して攻めとるという暴挙に出たわけだから
どうみても豊臣家に喧嘩売ってるとしか思えない
こんな事したらどこの大名でも戦になるよ
0432人間七七四年
2011/11/01(火) 15:48:32.89ID:Go0qZC290433人間七七四年
2011/11/01(火) 21:42:24.94ID:lTwxIDx90434死
2011/11/03(木) 05:59:32.69ID:2gqLy2ERいたなら情けない負け方したもんだな
一益蹴散らした武勇は何処行ったんだよ?
0435人間七七四年
2011/11/03(木) 06:35:40.93ID:F7gNBckt今度は向こうのほうが大兵力だし
0436人間七七四年
2011/11/03(木) 07:34:21.57ID:Rdzs4wKN0437人間七七四年
2011/11/03(木) 08:32:25.67ID:fdU2vzwa三河勢の分、今川軍がもう少し多いかもだけど、本土決戦という地の利を
考えればそこまで絶望的でもねえべさ。
0438人間七七四年
2011/11/03(木) 10:23:20.40ID:0mAuU5dNあの時、直前まで滝川の下にいたのは信長という後ろ盾あってこそ従っていた
関東の諸豪族がほとんどで、滝川直轄の兵はそんないなかった。
変が知れて、関東諸豪族のほとんどは北条へ寝返り、みんな逃げちゃった。
(もちろん滝川勢に与したままの関東勢もいたけど)
だから北条が勝って当然。織田軍は当主の死で浮足立ってるしな。
>>436
>>437の言う通り、織田方の砦に主戦力を向けて兵力を分散していたとこへ
本陣へ特攻だから。
勝ち戦で生きて帰りたい連中に死兵が突っ込めば、多少の兵力差はどうとでもなる
3万とか言われる今川軍の全兵力が全部固まって迎撃したわけじゃないからな。
0439人間七七四年
2011/11/03(木) 11:09:04.91ID:me2JYb0eいや、今川軍の総数が2万とか3万とかいうのが信用ならんという話なのだが。
本国に氏真率いる守備隊も残してるんだし、駿河・遠江の石高を考えても、遠征軍全体で
せいぜい1万ぐらいじゃね?って話。
一方、尾張の全域を支配してないとはいえ、豊かな尾張で順調に勢力を伸ばしてた
織田軍が全軍で三千ってのもおかしい。
通説だと、各砦に立てこもった部隊を含めて三千だけど、直率だけで三千だったんじゃないかね?
そう考えてくと、信長と義元の率いていた兵力はほぼ互角だったんじゃないかな、と。
有利な高地に布陣していた義元軍が正面攻撃で粉砕されてるんだから、死兵とか奇襲とか
あっても、兵力差があったら勝てないと思う。
兵員のレベルに差があったって話もないし。
ご承知とは思うが、尾張はむしろ弱兵で有名。
0440人間七七四年
2011/11/03(木) 11:48:05.95ID:1P5gImMIこれに軍夫を含めると4万ぐらいになる
軍記物の数が大袈裟に見えるのは軍夫まで総数に含めてるからだろう
そこを考慮すればそれほど不自然な数字ではない
0441人間七七四年
2011/11/03(木) 12:32:45.92ID:Rdzs4wKN北条は小田原城に5万もの軍勢を入れてたと聞く このなかから玉砕覚悟の3千ほどの決死隊を
集めて出撃し、ただひたすら秀吉の首を目指せばどうなっていたか・・・
まさに万に一つ、なにか起きたかもしれない・・・
0442人間七七四年
2011/11/03(木) 14:13:05.07ID:e8pq5J6o徳川の陣に集中攻撃しかければ崩せたと思う
0443人間七七四年
2011/11/03(木) 14:32:38.52ID:O1sXGFFA夏の陣の家康本陣>>>>>>>>>>>>>>>小田原の役の秀吉本陣
捨て身の突撃で突き崩せたろ
0444人間七七四年
2011/11/03(木) 14:36:01.35ID:q6w/fyfJ今川の兵力は駿河・遠江だけでなく三河も含めるべきでないかと
この三ヶ国の石高合計は凡そ70万石に達する。
因みに小田原役でコ川は100石につき7人役だった
今川70万石を100石につき7人役で計算すると49000人になる
よって桶狭間時の今川が2万とか3万という兵力は余裕で動員可能
0445人間七七四年
2011/11/03(木) 15:09:56.55ID:mvzowQ0R何のために、捨て身の攻撃をしなきゃならないんだ?
って後北条の武将は思うんじゃね?
桶狭間の信長家中や、松平麾下の三河衆と、後北条傘下の関東衆じゃモチベーションが違うと思う。
0446人間七七四年
2011/11/03(木) 17:25:46.17ID:B9Vox8jXそんなに差があるうわけないだろう。
秀吉は小田原包囲に兵力を割いていたものの本陣は山の上の城だぞ。
家康本陣の方こそ平地なうえに司令部が秀忠と二つある分守備兵力も二分されている。
0448人間七七四年
2011/11/03(木) 19:13:57.21ID:QC4PdJ2Wあったけ。本当のところはどうなんだろうか
0449人間七七四年
2011/11/03(木) 19:22:06.44ID:Rdzs4wKN小泉純一郎さんも読んだという「信長の棺」では、降伏するといって信長公と幹部が非武装で
義元本陣に出向き、伏兵で暗殺したって説をとなえてました 斬新です 完全なるだまし討ち
もはや犯罪に等しい・・・
0450人間七七四年
2011/11/03(木) 22:38:48.56ID:InUfBQay世界戦史上でも勿論日本戦史上でも寡兵で大軍を破った例はいくらでもある
だから桶狭間で織田勢が寡兵で勝ったにしても別に不思議でも何でもない
根拠もないのに無理に変な説を唱える事の方が不可解
0451人間七七四年
2011/11/04(金) 03:38:33.05ID:qKSlljEf0452人間七七四年
2011/11/04(金) 04:05:05.37ID:iSG3QWqw>世界戦史上でも勿論日本戦史上でも寡兵で大軍を破った例はいくらでもある
大軍で小軍を破った戦いのほうが多いんだよ
兵数は勝利の絶対条件ではないけれど、数ある十分条件の一つ
多いなら多いほうがいい
もちろんそれをきちんと運用できれば、の話しだけどね
0453人間七七四年
2011/11/04(金) 08:25:24.46ID:T+q1+INKだったと個人的には思う。
でも義元を討ち取ることが出来たのはたまたまだったんじゃないかな。
秀吉と家康の小牧長久手でも、家康が当時の名だたる武将を討ち取った事から
秀吉が譲歩したとも言われている。
そう考えると、後詰めがない状態だし、打って出れば、万が一があったかもし
れないね。
0454人間七七四年
2011/11/04(金) 11:22:50.39ID:hEh5WEjN桶狭間が名勝負たる由縁は大名を討ち取って戦況一変させた事だろう
まあ、同じ事を北条にやれと言うのは無理だけど
秀吉は完全に包囲した上に城に滞在しているし
0455人間七七四年
2011/11/04(金) 17:40:18.65ID:EzvNi059築城が早かったとはいえグズグズし過ぎだ
0456人間七七四年
2011/11/04(金) 18:19:49.14ID:qKSlljEf城門からしか出られないから大軍で一気に突入できないし。
0457人間七七四年
2011/11/04(金) 19:53:43.96ID:J14S+MFL一日60万食、10日で600万食必要なんでしょ
一日2食でとかいったらそれこそ士気がた落ちだろうし
むしろ秀吉のことだからいいもんふるまったりしそう
我慢してれば秀吉側が食うもんなくなって一時退却してくれたんじゃないかなどと考えるんだけど。
そうもいかないのかな。
0458人間七七四年
2011/11/04(金) 20:02:14.71ID:0mkb7I3wいや、まったく正しい 退却ってか、講和になる そのとき北条側に有利な講和になる
島津などは逆らったのに玉砕して戦うといったら全所領安堵された
海外との貿易をスムーズにするために徳川がサービスしたと言われている
ほかでは上杉、毛利が2カ国残った 北条も半年籠城できれば2カ国、
1年籠城すれば全所領安堵が狙えたと思う
0459人間七七四年
2011/11/04(金) 20:45:02.28ID:qKSlljEf戦い続けてるからな。
海を隔てながらこの補給力ということは西国から関東へ20万人分の兵站維持って
秀吉には余裕だったのかもしれんよ。
0460人間七七四年
2011/11/04(金) 20:53:54.69ID:8BD/HKyP0461人間七七四年
2011/11/04(金) 20:58:26.68ID:cvE/2Ei+そうもいかない
極端なことを言ったら小田原城と忍城に包囲軍を貼り付けておけばいいので全軍を退却する必要は無い
それに関東の反北条軍の兵糧は自前だから頭数では使える兵力
上杉や徳川は嫌がるだろうけどこいつらに無理をさせればいい
あと兵糧が無くなるのは北条も同じ
豊臣の方は開城した北条の城から微量ながら兵糧を回収できる
そこまで必要はないかもしれないが奥羽から兵糧を献上させればいい
それに豊臣は兵站を確保できているので駿河や遠江の兵糧基地から輸送できる
逆に包囲された北条は枯渇するのを待つだけ
時間が経てば兵糧は必ず減るが増える可能性は皆無
北条は好きだけど粘れば何とかなるレベルではない
0462人間七七四年
2011/11/04(金) 22:30:56.76ID:UzV6XumAもっと粘っていればと言う議論は無意味
籠っていられるものなら実際そうしてるよ
0463人間七七四年
2011/11/04(金) 23:00:22.39ID:cvE/2Ei+0464人間七七四年
2011/11/04(金) 23:08:13.59ID:wON/29x/兵力差以上のことで戦況を覆すのは無理だよ
攻撃側もそれぞれが付け城に篭もってるから奇襲も不可能
0465人間七七四年
2011/11/05(土) 00:00:52.00ID:8ZnUcAJs仮に5年分の食糧があったとしても、いつ敵襲があるかわからない状況で
長い期間気張って生活はできないよ
「いつか終わる」って希望が勝つのでも負けるのでないと続かない
0466人間七七四年
2011/11/05(土) 00:04:04.61ID:9mvJv5Hz0467人間七七四年
2011/11/05(土) 00:11:20.87ID:LqlAMgO8惣構え+鉄砲を突破するのは不可能
まあ、鉛と硝石が尽きるのを待てば良いのだが
0468人間七七四年
2011/11/05(土) 00:57:20.50ID:IBtALlyW北条側の希望的観測としてはあったかもしれない。
しかし、豊臣側は事前に20万石の兵糧を用意していたし
新規の補給も受けられる状況だった。
対する北条側は補給の可能性は無かった。
秀吉は織田軍の武将時代3年間にわたる三木城包囲を経験してる。
また三木城包囲の同時期に織田軍は有岡城包囲も行っており
このときは大軍で攻撃した後、包囲に必要な兵力を残し
信長はじめ主力は退却するという戦略をとっている。
小田原の豊臣軍もこういった選択肢もあるわけで
北条側より先に兵糧が無くなりはしないだろう。
0469人間七七四年
2011/11/05(土) 01:00:38.79ID:IBtALlyW>豊臣方は大砲持ってきてないし
コ川軍が支城攻略戦で大砲を使用している。
もっとも惣構え+鉄砲の突破に有効かとうかは別の話で
おそらくあまり有効では無かったと思う。
0470人間七七四年
2011/11/05(土) 05:25:24.89ID:yibjUPDz冬は越後からの物資補給が不可能になるし、武田の動きも不穏だったから明らかに上杉不利だった。
なのに「あの上杉謙信でも落とせなかった我が城が農民上がりの秀吉に落とせるわけがない」と
いう過剰な自信を持ってしまった。
0471人間七七四年
2011/11/05(土) 05:35:03.86ID:9mvJv5Hz関白だしな
0472死
2011/11/05(土) 07:00:42.99ID:bm4d8Lim兵力は
0473人間七七四年
2011/11/05(土) 08:54:22.92ID:aW3dAspf小田原に籠もってる側の兵糧より、小田原方領地の稲作が致命的になんじゃね?
足軽なんかは、ほぼ半農だろ?それを抱える領主も来年どうしょう?って頭を抱えるだろうし。
2月から7月って完全に農作業の時期に戦争を仕掛けられた時点で篭城側は積んでんじゃね?
もう少し頑張ってたら、一門の誰かが氏政氏直のクビを持って降参したかもしれん
0474人間七七四年
2011/11/05(土) 09:21:45.78ID:jO6oXox9ギネス級のこの兵力差、嘘八百なのか?
たかが20万。
0475人間七七四年
2011/11/05(土) 10:39:43.57ID:8ZnUcAJsよく使われるけど小説とかの話だろ、それ。
実際に北条勢がそんな発言したって資料でもあるの?
本気で北条が小田原籠城で(堅城である事を頼みに)迎え撃って撃退できるなんて考えてなかったろ
もうそうするしかない状況に追い込まれて籠城するのと
作戦・戦略として籠城するのじゃ意味が違うんだから。
上杉・武田の時だって、堅城が頼みの綱だったわけじゃなく
どっちもそんな長期間本拠を開けてられないのがわかってるから籠城しただけの話であって
秀吉が成り上がりだからとか、上杉武田を退けたからとか、そんな理屈で戦略を選ばないだろ
いくら何でもそれは馬鹿にし過ぎ
0476人間七七四年
2011/11/05(土) 10:57:56.53ID:aW3dAspf万里の長城なんて名付ける国だぜ。
数字なんて適当さw
ただ戦争シミュレーションゲームでなら、小田原での北条勝利は無理ゲーじゃないかもだがな
でも、豊臣方は最悪、小田原城下を火の海に沈めるって選択肢だってある。
戦争を選択して篭城を選択した時点で詰みだろ
0477人間七七四年
2011/11/05(土) 12:51:37.59ID:JDZyAzTH>>475 戦略って言っても・・・このころの北条って、「現状の方針を維持、これで版図が拡がれば儲けもの」(裏返せ
ば、そんなにアンテナは張り巡らしていない)という原則で動いているとしか見えないなあ。上方の軍勢が経済力に
バックアップされた大軍であるがゆえ、武田も上杉も非常に苦しい戦いを強いられていたのだが、この時期
の北条って、「信長と同盟したから後はOK」と楽観してるとしか思われないよ。「明日は我が身」と少しでも考え
ていたのなら、普通、「天下統一を目指している以上、そのうち北条の領国にもクチバシを挟みかねんだろjk」
→織田軍に強固なパイプをつないでおく→秀吉が「攻城戦、兵糧攻めの名手」であることを確認して、
さらなる情報収集。ぐらいのアクションは当然じゃないのか?風魔は全国的にもトップレベルの忍びなんだし、
このころの関東って比較的平和な時期 だったらしいから、忍びが足りないってわけでもなかろうに。
「謙信玄だって退却させた我らが小田原城! あの二人以上の敵なんて、来るわけねーだろjk」という観測に
基づいて、「安逸を貪ることに慣れて」
いる、としか・・・。俺みたいに無知な外野からの視点だと、そうとしか見えないのだが。
毛利・佐竹・上杉・徳川・(そういえば信長の子孫も、だっけ)といった連中は、
敵対するにしても父親の代からの因縁であり、やむを得ず戦ってそして滅ぼされそうになったりしてるが、
先が読めていて織豊政権と仲良くしている場合には、権力者にアゴで使われて
先祖代々の土地を削減されたり取り上げられたり、屈辱的な和約を結んだりしてでも、家名の存続に
奔走しているよね(徳川にとっては結果的に栄転)、しかし北条は
織田と握手するときは頑張っているのに、豊臣に対しては腰が重い・・解せない。
・・とりあえず、北条家にとって「関東の民のために、豊臣に屈服なんぞしないんです、独立を維持するんですキリッ」というのが
重要な存在意義だったといえる・・カモ?と俺は思ってる。「最大領土の氏政」と「戦国サラブレッド・氏直」の評価に泥を
塗ったにせよ、「北条家の経世済民の理想は、のちに狭山藩の民を救うの
です!!」・・あ、これで納得できた。
>>474 あの民族には、白髪三千丈・・の伝統がありますからな。たとえば、白起が長平で
「捕虜40万人を生き埋め(戦死者とは別計算)」という数字がありますけど、これもどうなんだろーね・・・。
うわっ長文&駄文だわ・・・スレ汚しスマソ。
0478人間七七四年
2011/11/05(土) 13:21:17.32ID:sjCLgVb+0479人間七七四年
2011/11/05(土) 13:30:24.19ID:7bWabZrA0480人間七七四年
2011/11/05(土) 13:36:05.10ID:PM7Z0Tu/徳川の世になったことを認められずに滅んだ豊臣をはじめ
生き残れなかった大名家全部がそういうことになっちゃうからなあ<時勢に疎い
もちろん江戸時代に取りつぶしにあった大名家も含めてね
0481人間七七四年
2011/11/05(土) 13:40:01.61ID:PM7Z0Tu/○ もちろん福島家などの江戸時代に取りつぶしにあった大名家も含めてね
0483人間七七四年
2011/11/05(土) 14:04:56.32ID:bpKXAOuo謙信の小田原侵攻
信玄の小田原侵攻
秀吉の小田原侵攻
この3つ北条も相手方も状況が全く違う
0484人間七七四年
2011/11/05(土) 14:49:51.38ID:FlXn65k5後詰めと言うのは援軍と言う意味だけではなく物資の補給も含めての事
海外では何年もかけた長期籠城の例が結構あるけど、これは外からの補給線が繋がっていたから可能であったわけで
小田原城みたいに外の勢力は元より支城との連絡線すら絶たれた状況では
単に「まだ生きている」と言うだけで先の見通しは完全に絶たれており、実質落城した事と同じだ
その点で上杉や武田の小田原攻めとは全く状況が異なっている
0485人間七七四年
2011/11/05(土) 16:18:19.97ID:aW3dAspfトップレベルだろ?
伊賀、甲賀、雑賀(傭兵集団らしいが)、根来(傭兵集団らしいが)の全国区の次くらいには入るんじゃね?
0486人間七七四年
2011/11/05(土) 16:40:40.54ID:sjCLgVb+バカかお前は。
俺は北条のことを言ったんだよ。
お前はあれか、なんでもかんでも一元視しかできない無脳者か?
そんなんだからいつまで経ってもチンコの皮が剥けねーんだよ。
0487人間七七四年
2011/11/05(土) 17:24:31.68ID:jO6oXox9あくまでも小説ですけど。
忽然と墨家が姿を消した。
0488人間七七四年
2011/11/05(土) 18:01:08.37ID:JDZyAzTH俺じゃない。これから日付が変わるまでパソコンの前に座れないので、
その間消えます・・あしからず。m(_ _)m
0489人間七七四年
2011/11/05(土) 18:12:03.15ID:8ZnUcAJsえっとさ、伊賀甲賀も雑賀・根来衆もいっぱい史実の資料に基づいた本出てるよね?
風魔ってあるかな?小説以外で裏付けるような資料が。
漫画とゲーム以外の分野にも触手を伸ばしてみてね
0490人間七七四年
2011/11/05(土) 18:16:24.48ID:8ZnUcAJsさも全国規模で活躍したかのように言っている時点で何も調べてないんだなーと思われるよ
他にもゲームでは常連だけで実在疑われてる人物としては
鬼小島さんとか、丹波の青鬼・籾井教業とか、いろいろいるので調べてみてね。
0491人間七七四年
2011/11/05(土) 18:29:45.02ID:2sMHxGfv0492人間七七四年
2011/11/05(土) 18:56:29.48ID:aW3dAspfその伊賀甲賀〜の次だから嘘じゃなかろうと思うが?
武田だって、なんか諜報活動をやってたらしいが、その家臣の名前なんて出てこないだろ?
毛利も同じく、島津も同じく。朝廷にしたって。
伝記に出てくるだけ大物だろ?
馬鹿じゃね?
0493人間七七四年
2011/11/05(土) 19:17:16.77ID:8ZnUcAJs武田忍び(とされる人物)については風魔よりもたくさん資料残ってるよ。名前・事績が残ってる奴もたくさんいる。
(割田重勝とか出浦盛清とか)
毛利や島津の忍び?太閤立志伝でもやったのかな?そいつらも一緒。伝説の域をでない。
朝廷の人物なんて言わずもがなw いくらでも資料も事績も出てくる。
そろそろやめといた方がいいよ。浅はかな知識で自己主張するのは
0494人間七七四年
2011/11/05(土) 19:33:09.86ID:jO6oXox9きっとハコネ山椒の燻製なんか食ってたんだよ。風間一族は。
0495人間七七四年
2011/11/05(土) 21:08:16.93ID:vDcR5+1O破壊工作だって必要に応じてやってる。
前者を専門に請け負うのは現在ではスパイ、後者は特殊部隊ってことになると思うけど、
これらをまとめて忍者って分類されてる現状は正直どうかと思うね。
伝承通りなら、武田の歩き巫女や上杉の軒猿衆が破壊工作をするような者たちではないし、
逆に風魔なんかの夜盗・強盗崩れは破壊工作専門じゃない。
一緒くたに語るのはどうかと思う。
あと、繰り返しになるけど破壊工作をする為に夜盗強盗の罪を免じて徴募するのは常套手段。
夜盗強盗を忍者って呼びたいなら、まあ構わないけどね。
0496人間七七四年
2011/11/05(土) 21:59:43.36ID:xK29atUB■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています