当時は石高に応じて軍役が算定され
侵攻地に近い大名は軍役が重く
遠い大名は軍役が軽いのは戦国時代の基本

なので朝鮮に近い大名は比較的軍役は重かったが
他の戦役い比べて特別に重い軍役は無かった。
朝鮮から遠かった東国大名は皆軍役は軽かった。
上杉や伊達も実際に軽い軍役だった。
文禄の役で上杉5000、伊達1500
慶長の役に至っては上杉・伊達の動員そのものが無かった。

>>299の「朝鮮で重役課」や
>>300の「朝鮮でも課役すげー課せられてるけどな。」
なんて話は思い込み以外の何物でもない。