トップページsengoku
1001コメント444KB

小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2011/09/23(金) 17:50:27.74ID:Blwz8JaE
かなりのムリゲーだけど徳川・伊達と組んでたら可能性はあるんじゃないかな
0305人間七七四年2011/10/27(木) 23:25:40.21ID:xSaPF64Y
つか朝鮮出兵の東日本の大名の軍役をそのまんま数字だけで判断してもなあ
九州、中国とは訳が違う
0306人間七七四年2011/10/28(金) 01:08:42.92ID:LLHyWD4j
当時は石高に応じて軍役が算定され
侵攻地に近い大名は軍役が重く
遠い大名は軍役が軽いのは戦国時代の基本

なので朝鮮に近い大名は比較的軍役は重かったが
他の戦役い比べて特別に重い軍役は無かった。
朝鮮から遠かった東国大名は皆軍役は軽かった。
上杉や伊達も実際に軽い軍役だった。
文禄の役で上杉5000、伊達1500
慶長の役に至っては上杉・伊達の動員そのものが無かった。

>>299の「朝鮮で重役課」や
>>300の「朝鮮でも課役すげー課せられてるけどな。」
なんて話は思い込み以外の何物でもない。
0307人間七七四年2011/10/28(金) 01:13:38.87ID:tw/6eoyn
>>303
小早川や吉川が独立大名化していて毛利本隊とか関係ない、ダメージはないってのは
どう考えても無理やり過ぎ

>>304
一戦交えたからこそ、本拠は安堵されて、そこの支配権も失わずに済んだんだろ>島津・長宗我部
一戦も交えないで上洛したら、一気に家臣団の結束は緩み、家臣の内紛や跡継ぎ問題に付け込まれて骨抜きにされて終わり。
戦も外交の1つなんだよ。どっちにしろ領土が減るのは見えてるわけで、秀吉に勝とうなんて思ってないの。
どれだけ有利な条件で和議を結べるか?という選択肢の1つに外交があり戦争があるんだよ。
戦わなければもっと有利な条件で安堵されたろうなんてのは夢想に過ぎない。

秀吉の頃は上杉は既に大大名と呼べるクラスではなくなっていたし
毛利は次々と小早川もそうだし、領内の鉱山とか勢力を奪われて骨抜きにされてる。
往年の領土をそのまま丸々と安堵されたわけではない。

朝鮮出兵に関しては流れで他の大名と並べただけで
伊達と上杉という中でも少ないのを持ってきて軍役が軽いとするのはどうかと恣意的過ぎるだろ
島津や毛利は大損害受けてるがな。
0308人間七七四年2011/10/28(金) 01:40:14.25ID:tw/6eoyn
>>306
自分でも書いてるけど、毛利の1500と伊達の1500じゃ意味合いが違うのはわかるよな?
石高的にも、移動距離的にも。
他の大名に比べて、ではなく、その家としては「重役」を毛利も伊達も負わされてるだろ?って話だから
0309人間七七四年2011/10/28(金) 02:57:05.21ID:RY0wTmgc
取り敢えず信長存命時の北条の対織田への立ち回りは他の大名とは比較にならないほど上手だった。
でもその先どうなるかまで考え出すと誰にも解らんし、まず信長がまっ先に死んじまってる。
これが現実でしたとしか言いようがない。

豊臣に対しては、早期に北条が秀吉に臣従してたとすれば
上野、下野、常陸からの完全撤退くらいで済むんじゃないかな。

秀吉は何も一戦交えた後でなければその大名を認めないなどというわけではない。
敵対したから戦ったまでのこと。
むしろ地方の統一は急いでいたから最初から臣従してくる大大名なんかがいたら
喜んで臣下に加えただろう。


0310人間七七四年2011/10/28(金) 05:57:43.44ID:nbRkzFSM
まあ結局小田原の時点じゃムリゲーってこったな
0311人間七七四年2011/10/28(金) 08:35:13.77ID:vutUTJts
御館くらいまで巻き戻さんとゲームにならんですか。
0312人間七七四年2011/10/28(金) 11:15:26.80ID:tw/6eoyn
>>309
誰も一戦交えてからじゃないと大名を認めないという話などしていない
外交の1手段として戦争もあり、徳川・島津・長宗我部は、それをやったというだけの話。
もちろん外交だけでうまくまとめる方法もある。
戦争というのは相手にも自分にもある程度の「これだけやったのだから」という面子を作る為の手段に過ぎない。
ただ、小田原の頃にはもうそういう余地がある状況ではなかったので
北条だって馬鹿ではないし、外交で結論出そうと交渉を重ねた。
しかし、秀吉がしびれを切らして攻め込んだ、そういう事だろ。
北条から無理難題をふっかけたわけでも、外交を拒否したわけでも、宣戦布告したわけでもない。
0313人間七七四年2011/10/28(金) 11:43:47.59ID:RY0wTmgc
>>312
いずれにせよ氏政か氏直が秀吉のもとに出向かなかった時点で
外交的には北条の失策としか言いようがないだろう。
0314人間七七四年2011/10/28(金) 12:54:51.40ID:wiEPoWz/
なあ、スレ的に勝利する方法であって、今の議論は何となくズレてね?
0315人間七七四年2011/10/28(金) 13:04:16.94ID:LLHyWD4j
結局、朝鮮出兵で伊達や上杉が重役課と言ってる人は
根拠を何も示さず思い込みで語っているだけだ。
0316人間七七四年2011/10/28(金) 13:23:22.74ID:ZNWuGYDR
ズレてるね。
とくに秀吉厨の方。
0317人間七七四年2011/10/28(金) 13:43:23.57ID:ixERkw7B
そもそも秀吉はだまし討ちにしてる時点で「武力では勝てない」と認めたようなもんだ
0318人間七七四年2011/10/28(金) 14:02:35.24ID:qu1rlIvs
一戦一戦ってはしゃいでるこのウスラバカは何なの?
一戦交えれば「うむむ、やるなお主」「いやいや、お主こそ」的な信頼が生まれて一目置かれるとか思ってるの?www
漫画と現実の区別ついてないんじゃないの?w
一戦交えた滝川、佐々、長宗我部、島津はなんで冷遇されたの?
一戦も交えなかった織田旧臣等や、毛利、宇喜多、上杉、佐竹などは何で優遇されたわけ?
前田なんか戦わずに撤退して寝返ったが優遇されてるけど
一戦交えなきゃ骨抜き?
一戦交えた長宗我部は世継ぎ争いで内訌起きてるし、島津は伊集院らの反乱でグダグタ、徳川も石川らの引き抜き食らってるし
一戦も糞も関係ない
2つや3つにパターン化出来るほど現実社会は単純じゃないよ
0319人間七七四年2011/10/28(金) 16:26:03.13ID:Abh5vgF1
>>317
武力でやると損害出るじゃん
そんなの極力避けるのは誰だってやる
だまし討ちだとすれば、この時代なら「騙される方が悪い」で終わる
0320人間七七四年2011/10/28(金) 16:56:08.03ID:ixERkw7B
流石にそこまでの和議破りって戦国時代ではそんなに無い気がするけど。

例えるなら島津とか長曾我部におんなじことをやってるのと同じことだけど
秀吉は全然やってないよね。
0321人間七七四年2011/10/28(金) 17:10:32.88ID:DNwOftmJ
そもそもだまし討ち云々はそういう説も有ると言う程度のはなしだろ
それを定説のように語っちゃってる北条厨はおかしい
0322人間七七四年2011/10/28(金) 19:54:39.60ID:RY0wTmgc
○○厨とか、お互いに馬鹿なレッテル貼り始めたらそのスレは既に死につつあると言っていい。

このスレもそろそろ命数を使い果たしたのかな?
0323人間七七四年2011/10/28(金) 20:05:40.97ID:OyHuYv2r
レッテル貼りっつかさ、実際意見が偏ってるんだよな
議論のためじゃなく単に勝ち負けを競ってるだけみたい
0324人間七七四年2011/10/28(金) 20:44:40.35ID:hXsSlg5o
いやいや 面白いからさ、ゴウグルとかで検索して探してんですよ 秀吉が北条に上下総州2カ国、
約70万石ぐらいを安堵すると約束して武装解除させて裏切ったって話
でも検索してもなかなかでてこないんですよね ネタくさい でも子供の妄想としてもなかなかよく出来てる
もともと総州は里見家のものだったんだけどまさに北条攻めのときに里見義康が遅参したとして
没収されてるわけです これをやるから降伏せえや、というのはいかにもありそうな話
ちなみに北条早雲が最初に切り取り、北条家にとって思い出深い伊豆1国を安堵して欲しいと
北条は望んだという説もありますが、徳川軍団の初戦の活躍で秀吉は
かなり早い段階で伊豆1国を家康にあたえ、家康も戦争中にもかかわらずすぐに行政活動を
行って領土化してたのでもう北条に返すわけにはいかなかったとも聞きました
0325人間七七四年2011/10/28(金) 21:04:59.31ID:ixERkw7B
戦国時代を知らないお前としては全部里見のものだと思うんだろうな。
のぶやぼレベルだwから
0326人間七七四年2011/10/28(金) 21:14:52.19ID:oUpUSRaF
北条なんてザコは無理だよ
0327人間七七四年2011/10/28(金) 21:17:39.42ID:6gFPQXJX
ソースがないのは説とは言えん
妄想だ
0328人間七七四年2011/10/28(金) 21:27:28.60ID:ixERkw7B
ソース書いてたサイトは失念したな。探してくるよ。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1669/ichimonn.html

ここにも書いてあるよ

こいつは人に妄想とか書いておいてソース皆無な上総は里見のものだの
(のぶやぼみたいに本城落とせば全部国がてにはいるとおもってるんだろうな)
人から聞いただの爆笑物の幼稚なレスしか書いてないのに人を妄想扱いするんだから
恐れ入る
0329人間七七四年2011/10/28(金) 22:37:16.79ID:ixERkw7B
子供の妄想の割には上のサイトでも別ページでかなり細かく書いてるから
彼の低レベルレスより数億倍価値があると思う
0330人間七七四年2011/10/28(金) 23:32:57.23ID:Abh5vgF1
>>323
最後は揚げ足取りになって本題からどんどん遠ざかっていく・・
武田関連のifスレなんかその典型やね
0331人間七七四年2011/10/29(土) 00:44:38.97ID:V13Orajk
長曾我部が土佐、島津が薩摩大隅諸県郡を安堵ってのを考えると
伊豆相模ではなく、上総下総ってのは違うと思うがなぁ

義頼が安房と上総、下総南部の安堵を秀吉から得たとか何かで読んだ気がする

0332人間七七四年2011/10/29(土) 06:38:54.12ID:hqylH4Wc
>>328サイト、だまし討ち云々のソースに該当する記述が見つからないのだが・・・
0333人間七七四年2011/10/29(土) 07:14:11.13ID:QdQTU+go
>>332
よく見ろ、氏規の項に書いてある。

降伏の条件は助命と2カ国安堵の線で進んでいた〜という微妙な表現だが。
つか出典も明らかではない個人研究の記述などソースにならん。
0334人間七七四年2011/10/29(土) 07:58:09.69ID:V08kYk8+
>>328のサイト
>北条氏の領地は300万石に及ぶ広大なものとなった。

このあたりで続き読む気がなくなった
0335人間七七四年2011/10/29(土) 08:44:52.02ID:tcvz7Fp4
>>328HPの管理人コメント

戦国史が好きでいろいろ調べてきましたが、一般的には後北条氏に関しては語られるこ
とが少ない様で、寂しく思っていました。今回、北条3代目「氏康」を題材にしたHPを立ち
上げたのも、少しでも後北条氏について知ってもらいたいとの思いからです。あくまで、
素人のレベルでポツポツ書き加えていくつもりですので、あまり専門的なことには触れて
おりませんし、おかしな点もあるかもしれませんがご容赦いただければ幸いです。


こういうのがソースになると思ってるとか…やはり北条厨は頭がおかしいw
0336人間七七四年2011/10/29(土) 09:21:31.84ID:l+arOhp6
328の紹介では高いエビデンスの資料とはいえない。
0337人間七七四年2011/10/29(土) 09:42:26.52ID:Lhy8LVSB
ひでぇなw
北条厨とアンチの誹謗合戦か?

後北条のメンタリティも、まさにここの北条厨程度だったんだろ
戦争をやる前なら伊豆一国くらいは貰えたかもなのに、
意気地も無いのに戦争やって、まけそうだから自分が制圧したわけでも無い上総、下総2国安堵なんて妄想で降参したってのが現実じゃね?

戦いきる根性が無いのに新型爆弾2発で全面降伏した血統が良く出てる。

日本人は自戒せにゃならん。
自分にはこんな浅はかな血が流れてると。
半端はいかん。やるならやる!これが出来そうにないなら、さっさと土の中に帰った方が良い
0338人間七七四年2011/10/29(土) 10:28:48.40ID:l+arOhp6
スン型爆弾で降伏したわけじゃないだろ。も少し戦史を勉強せい。
0339人間七七四年2011/10/29(土) 11:19:18.82ID:Lhy8LVSB
>>338
3発目は東京だよ!(b^ー°)
って言われて
大元帥が泣き喚いたなんて信じてたまるか(-_-#)
うちのは不具でも軽かったが、今更、引っ込みが付かないことになってる家は山ほどあったんだから
0340人間七七四年2011/10/29(土) 11:56:31.36ID:nzvjJKQZ
はいはい終了終了
糸偏に冬
0341人間七七四年2011/10/29(土) 12:30:58.95ID:bU753rg7
本格的に終了な流れだなw
0342人間七七四年2011/10/29(土) 15:05:23.68ID:i1y7ySLA
http://mokuou.blogspot.com/2009/04/blog-post_05.html

子供の妄想扱いしてる割には相当詳しく書いてあるページ

里見上総だの聞いただのより遥かにましだと思う
0343人間七七四年2011/10/29(土) 15:09:11.45ID:lk2SyDK5
イーエヌディーと書いてEnd
0344人間七七四年2011/10/29(土) 16:07:33.65ID:Wx48pjzs
勝つ方法はない

終了
0345人間七七四年2011/10/29(土) 18:31:20.72ID:JMP82OiR
最初からそう言えばいいのに、織田との関係がどうだとか恥ずかしいこと言うから。。。
0346人間七七四年2011/10/29(土) 19:22:26.68ID:bU753rg7
みんな最初から勝ち目がないの解ってて話してたスレですから。

一種の言葉遊びですよ。
0347人間七七四年2011/10/29(土) 21:16:24.08ID:qxlDkG4y
仕掛けるんなら、徳川が土下座したタイミングで、徳川を攻撃して豊臣勢力を引き込む…
九州や四国が落ち着く前なら豊臣の動員兵力もたかが知れてる。
せいぜい、徳川+上杉+前田+織田(信雄)ぐらいしかできないだろう。
この程度なら、小田原に籠城して耐え切れるんじゃなかろうか。
0348人間七七四年2011/10/29(土) 21:31:39.80ID:l39/W9hm
秀吉はんに上洛せえゆわれたときに上洛すりゃよかったんや
そーしてたら秀吉はんも悪いよーにはせんかったやろー
0349人間七七四年2011/10/29(土) 22:04:10.35ID:k1JVsgky
城に籠って耐えるだけの時点で勝ちはないわけで
0350人間七七四年2011/10/29(土) 22:43:46.60ID:zIWGN/jX
時間的な余裕はかなりあったはずなんだがね
遅くとも沼田の裁定が済んだ時点で上洛すれば何の問題もなかったのに
0351人間七七四年2011/10/29(土) 23:25:37.60ID:Wx48pjzs
上洛する気がなかった
それだけ
0352人間七七四年2011/10/30(日) 06:35:45.47ID:G1SSKmc3
>>337
おまえが関東一帯に支社を持つ社長でさ、
大阪の企業家から、
「君の会社乗っ取るから。
1つくらい支社残してそこの支店長くらいの座はやるから、それで我慢してよ
後は全部うちがもらうから、だから挨拶に来いや」

って言われて「はいそうですか」って出向くの?

「ちょ、待ってくださいよ」って株を過半数取られたとしても交渉は続けるだろ
そうこうしているうちに実力行使で強引に全て取り上げられたってのが真相であって
後から歴史を知ってる俺らが結果論で「さっさと降伏してれば」なんてのがおこがましいんだよ
0353人間七七四年2011/10/30(日) 06:39:57.07ID:G1SSKmc3
>>351
後の人間からすれば「遅すぎる」という結果論になるんだろうが
氏政が直前まで上洛の準備をしていた資料はたくさん残ってる。
なんだかんだ理屈つけて遅れに遅れたのは時日だが
その前にも氏規行かせてるし、重臣も何度も派遣してる。
交渉がもつれている段階で当主だけが出向いても仕方ないだろ
最終局面にならなきゃ、そんなにホイホイ当主が出向くものではない
当主が出向く=全面降伏って事なんだから。

今だってそうだろ、外務大臣が出向くのと、国家元首が出向くのでは意味がまったく変わる
0354人間七七四年2011/10/30(日) 06:43:28.10ID:4yZBQnVO
後から歴史を知ってる俺らが結果論で「こうすれば勝てた」なんてのがおこがましいんだよ
0355人間七七四年2011/10/30(日) 07:57:10.64ID:nNpy13+I
俺らが歴史を語る事そのものがおこがましいw

我々は北条が秀吉に攻め滅ぼされ「汁掛け飯」や「小田原評定」などの
マヌケな逸話を残した事実を粛々と受け入れればいいのである
0356人間七七四年2011/10/30(日) 08:44:21.20ID:G1SSKmc3
「汁掛け飯」も「小田原評定」も勝者が「創った」話だけどもな。
0357人間七七四年2011/10/30(日) 08:53:54.08ID:/8UPUfUY
北条を貶めてるのは裏切り上等の徳川史観なの?
それともこの場合の勝者は文字通り秀吉史観なの?
0358人間七七四年2011/10/30(日) 09:20:00.31ID:JRbKNXSe
>>357
余程のアンチ徳川家康みたいだなw

基本的には徳川時代に徳川に都合の悪い情報は抹消してから伝えてる。

但し、それ以上に明治維新の動乱期に、維新の元勲に都合が悪くなりそうな資料は全て破却されてると考えるのが普通。

誤魔化す必要もなく、戦争大好きな武人視点からしたら、
篭城、降伏、切腹となった北条頭首なんて、
バカじゃね?pgr
だったろうと思う。
0359人間七七四年2011/10/30(日) 09:53:16.48ID:/8UPUfUY
>>358
いやそれほど徳川アンチじゃないんだけど、どっちかと言うと当方
小田原市民で北条厨なんだけど、敗れた秀吉より徳川のほうが腹が立つ。
何ゆえか。

しかし明治政府と後北条はなんか関係あるんかいなです。
0360人間七七四年2011/10/30(日) 10:20:40.09ID:769pFDP+
>>352
最初から従ってれば領土も減らされてないだろ。
他の地への国替えはあったかも知れないが。
0361人間七七四年2011/10/30(日) 10:23:52.08ID:S6Twi14v
他の城はほとんど落ちたけど小田原城は惣構え(外堀)すら無事だったんだから、
もっと籠城できたろ なんで食料が3ヶ月でなくなるんだよ もっと人間の数と食料を計算して
うまいことバランスとっとけよ 
そんで半年でも1年でも籠城して全所領安堵してくれるまで出てこないもん!って言えよ
0362人間七七四年2011/10/30(日) 11:41:51.07ID:xrvcrY2X
そもそもなんで最初から籠城なのか意味不明。
伊達の後詰は間に佐竹・宇都宮がいるから期待できんし、
小牧・長久手で援軍を出さず、秀吉に屈した徳川がいまさら味方してくれると考えるのも虫の良すぎる話。
早い話が後詰のあてがないわけで、
こういう局面なら進攻してくる敵に対し内戦作戦による各個撃破を狙うだろ。普通。
最終的に籠城するにしても、緒戦で勝てれば士気も上がるしその後の和平交渉も有利になる。
初手から籠城はどうにも不可解。
0363人間七七四年2011/10/30(日) 11:45:38.64ID:S6Twi14v
まさに小田原評定
0364人間七七四年2011/10/30(日) 11:55:48.55ID:JRbKNXSe
>>359
氏素性のしれん新政権にとって、土着の支配者は悪く言っといた方が得。
後北条なんて、ついこないだまで学校では、伊勢しんくろうって浪人って説明だったし
(浪人どころか、伊勢氏の血統書付きらしいが)

四民平等のどさくさに、歴史改竄しまくっててもおかしくない。

事実、小田原なんて自称北条の末裔の暴力団の噂を聞くんだが
0365人間七七四年2011/10/30(日) 12:03:26.74ID:XZEjU1Oh
財政面から言うと、上洛ってめっちゃ金かかるんだよね
毛利輝元の上洛日記みるとまあ大変w
北条は北関東ではずっと交戦中だし財政は苦しかったみたいね
氏規の上洛でもかなりの出費
上で氏政の上洛準備してる史料あるって言ってるけど、準備はしてるけど整えられないのが現実で
行かなかった(行けなかった)一つの理由にはなってると思うな
0366人間七七四年2011/10/30(日) 12:09:56.71ID:Uoy4tGL0
上洛より遥かに金がかかる戦の準備は出来たのに、上洛の準備は出来ないとはこれいかにw
0367人間七七四年2011/10/30(日) 15:59:09.00ID:FmkXxsL+
>>362
まあたぶん、普通に秀吉の力を見くびってたんだろうな。

敵対する勢力は容赦なく粉砕しその領土を自分の勢力に組み込んでいった強靭な信長政権に対し、
統一を急いで反抗しても最後に降参すれば寛大に処遇することで性急に勢力を拡張した秀吉は
北条からみれば張子の虎に見えたのかもしれない。

実際豊臣政権は張子の虎のようなところはあったけどそれが表面化するのは秀吉死去後であって
秀吉の存命中は相応の実力を伴っていたし、特に北条にとって不幸だったのは小田原攻めの前は
天下統一の総仕上げという意味もあって豊臣方の士気は最高潮にあったことだろうな。

今の人間から見れば秀吉に対する北条の対処は失点が多過ぎだと簡単に言えるが
当時の地方の人間から見れば豊臣の力を正確に計るのは案外難しかったのかもしれない。
潰されたのは北条だけだけど秀吉に無謀な戦いを挑んで負けたのは長宗我部も島津も同じだし。
かといって秀吉死後の豊臣家支配の崩れ方は余りに呆気ないし。
0368人間七七四年2011/10/30(日) 16:21:34.11ID:S6Twi14v
よく見くびってた、なめていた、甘く見ていた、関東は遠いからそんなに秀吉がすごいとは
気がつかなかったっていうけどほんとかなあ 隣国の徳川と上杉が土下座してる相手だよ?
関東以外ぜんぶ抑え、関白になってるのにさ それをたいしたもんじゃねーだろってほんとに
思ってたならあたまイカレてるよ 比喩じゃなくてガチで
0369人間七七四年2011/10/30(日) 16:27:49.98ID:Vtbyoye8
上杉も徳川もそこまであれだったか?
どっちも領土を取り上げられた訳でもなく、むしろ政権の取り次ぎ役みたいなことやらせてもらってるんだぞ
0370人間七七四年2011/10/30(日) 16:30:43.24ID:G1SSKmc3
>>360
丸々安堵するわけねーだろ北条クラスをあの時代に。
朝鮮控えて恩賞にする領地も必要なのに
0371人間七七四年2011/10/30(日) 16:33:32.48ID:G1SSKmc3
>>366
上洛するって事は、真田みてーなのが留守中にちょろちょろしないか警戒もしないきゃいけないし
平時の資産から資金を出さなきゃいけないわけで
必要に迫らせて無理くり徴収する戦費とは別物だろ
それくらいもわからんのか
0372人間七七四年2011/10/30(日) 16:33:57.69ID:Vtbyoye8
さらに言うならこの段階では旧主筋とは言え一度は合戦までやった信雄も無傷だしなあ
むしろ北条の回りは秀吉政権の弱さしか見えなかったんじゃないか九州四国は遠いし
0373人間七七四年2011/10/30(日) 16:37:26.07ID:Vtbyoye8
>>371
曲がりなりにも家が保てるかどうかの瀬戸際なのに甘っちょろ過ぎる気が…
それこそ合戦レベルの覚悟が必要だった気がする
0374人間七七四年2011/10/30(日) 16:47:30.09ID:FmkXxsL+
>>368
情報網の貧弱なあの時代なんてたぶんそんなもんだったんだよ。
島津だって関白秀吉に普通に戦争始めてるし。
徳川や上杉なんて北条の半分とかそれ以下の勢力だし国境を接してるから
取り敢えず従属したくらいにしか思ってなかったんだろう。
0375人間七七四年2011/10/30(日) 17:36:27.87ID:G1SSKmc3
>>362
>小牧・長久手で援軍を出さず

ほんのちょっとだけど北条は小牧長久手で徳川に援軍出してるよ。ほんのちょっとだけどな

>>373
家が保てるかどうかの瀬戸際だからこそ、一門や重臣を派遣して外交を重ねていたんだろ
北条から開戦したわけでも、挑発したわけでもない(名胡桃城の件が怪しいのは前に書いた)。
それを外交の使者を途中で捕縛したり、難癖つけて攻め込んできたのは秀吉の方じゃん
もともとやる気満々だったんだから、どう北条が動いても開戦は回避できんかった。
徳川が小牧長久手やってる頃に服従でもしてれば別だけどな。
あの時代にあのレベルの勢力が残っているって事自体がもう滅亡フラグなんだから。
0376人間七七四年2011/10/30(日) 17:41:54.89ID:5rUOcYJU
>>362
ちょうどその頃、沼尻の合戦の真っ最中ですがな
北条の参戦を妨げたい秀吉の意を受けた佐竹らの軍事行動、って見方もあるぜ
まあそれが本当なら、秀吉すげえって話だけどね
0377人間七七四年2011/10/30(日) 19:08:35.54ID:XZEjU1Oh
>>366
北条クラスの大名当主が上洛するのは、まさに戦一つ分の出費を必要とする
だからこそ上洛すんのか、そんなのに金かけるなら戦でもっていう議論が巻き起こるわけで
そんなことも想像できない阿呆が何を言う、もうっと勉強しようぜ
0378人間七七四年2011/10/30(日) 19:24:12.06ID:CqC9gUMN
>>375
そうだよな…戦は一方がやる気満々で勝算と計画を立ててると、もう回避できない
それを回避するにはもう一方も武力を増強するか策略で相手の軍事力を削ぐか、相手に土下座するしかない
0379人間七七四年2011/10/30(日) 20:47:03.06ID:JRbKNXSe
お気軽に戦争(尾張・三河勢からしたらゴッコがつく代物)を仕掛けてみたら
秀吉が本気で受けちゃったって話だろ?

応仁の乱の主戦場からも離れ、地場勢力の小競り合いに慣れすぎた平和ボケ地域には、酷な戦争だったんじゃね?
0380人間七七四年2011/10/30(日) 22:39:00.51ID:m66S1SuZ
>>377
ほう
頭の良い君に質問だが
上洛にかかる費用はいかほどなのかね?
合戦にかかる費用と両方教えてくれ
0381人間七七四年2011/10/30(日) 23:09:32.07ID:6jdGXxTG
>>362
上の方じゃ、北条厨が愚にもつかない言い訳をぐだぐだとならべているが
早い話が屈服するか、開戦するか、どのように戦うか
対応策を協議してるうちに時間切れ、戦機をのがして籠城しかなくなったのさ
「汁掛け飯」はともかく「小田原評定」はガチだろう
0382人間七七四年2011/10/30(日) 23:45:49.72ID:XZEjU1Oh
>>380
揚げ足取りな言い方だね。まあそうでもしないと反論できないのはわかる。
氏政は実際に上洛してないんだから、どのくらいのお金かけたかは無理だが
北条以前に上洛して京都に滞在した毛利輝元を例にとって考えてる

輝元は上洛に当たって領国内の家臣に寄付を求めてる。
付き添う兵は3千人。出発から帰国までの期間は2ヶ月。
上洛先では秀吉を始め各大名に挨拶、その度に贈り物。
他にも公家・商人に同様の措置。
滞在費用・贈呈費用いくらになるか

輝元と氏政が一致するわけではないよ、率いる兵なんか特に。
でも安芸⇔京都と小田原⇔京都だと北条の方が日数かかるね
外務大臣クラスの氏規の上洛でも氏邦が反対するのもわかるだろ

単に上洛して秀吉と会ってハイおしまい、ってわけないんだからね
0383人間七七四年2011/10/30(日) 23:51:32.23ID:zotx7lmg
北条はお金が無いから上洛できない赤貧大名w
0384人間七七四年2011/10/31(月) 00:13:03.86ID:xkwSKxDp
銭を惜しんで家を滅ぼした守銭奴大名だろw
0385人間七七四年2011/10/31(月) 00:16:23.93ID:gStDyt9/
無理にもほどがあるわ それぐらいならまだかっこつけてた説のほうが信じられる
北条氏政もバカじゃないから秀吉の家来にならないといけないことはわかってた
でも氏政はなぜか自分は軍神謙信なみの武闘派大名なのでかっこつけないと
いけないと思い込み、せめて徳川の武勇伝である秀吉生母人質取りぐらいは
やんないと自分を軍神とあがめる関東武士がガッカリすると思った説
0386人間七七四年2011/10/31(月) 00:20:21.40ID:r7pZ93Iy
>>377
ほほう、上洛には関東の全領土を売り飛ばさなきゃならないくらいの費用がかかるのかね?
0387人間七七四年2011/10/31(月) 00:22:50.96ID:LunJPNhp
>>381
徳川が屈服した時点で北条に「戦機」なんて残されていないんだが。
協議はほとんど上洛降伏でまとまってるし、そのために氏規や重臣を派遣してる。
主戦論者がいたのは事実だが、北条から戦をふっかけたわけではない。
「おい、上洛しろよ」と言われてホイホイ大名が話もまとまってないのに莫大な費用かけて上洛するわけがない
ましてや、この時期ともなれば、いかなる外交を北条が尽くそうとも、秀吉が北条領を奪おうとしていたのは明白で
それが戦争によるものか移封(減封)になったかの違いでしかない。
早々に降ったところで、他に与える替え地も東北しか残ってないわけで、そんな事やるわけがない。
(相模伊豆の安堵だって徳川と隣接してる以上なかっただろ)
0388人間七七四年2011/10/31(月) 00:25:08.41ID:LunJPNhp
>>386
>>371
0389人間七七四年2011/10/31(月) 00:48:11.98ID:8LEXrfnj
>>382
自分で論拠も示さず他人をアホ呼ばわりしておいて、根拠の提示を求めたら揚げ足取りだとかどんだけ自分勝手なんだよw

それで、その数千人のお供と貢物を持って2ヶ月間上方に滞在するのが
大普請人足を賦課して領内の城をいくつも普請し、少年から老人に至るまで動員して、槍・弓・鉄炮・弾薬を増産し、期間未定の戦支度をする事より金がかかると言う根拠はなに?
0390人間七七四年2011/10/31(月) 00:52:14.33ID:xkwSKxDp
>>387
つまり北条は「戦機」なんて残されていないにも関わらず素直に屈服せず
「おい、上洛しろよ」と言われても銭を惜しんで上洛せず
秀吉が北条領を奪おうとしていたのは明白なのに最初から後詰のない籠城を選択し
早々に降れば減封で済んだところを半端に粘って全てを失った馬鹿大名ってことだなw
0391人間七七四年2011/10/31(月) 02:05:34.35ID:y97LGdU6
>>382

で、いくらになるの?
0392人間七七四年2011/10/31(月) 02:17:37.75ID:LunJPNhp
>>389
平時の外交予算と、戦時の臨時徴収を並べてどっちが費用かかるの?って言ってるのと同じ
比べる対象がおかしい。
結果論だけ見て、「ほらこっちの方が安かった」というのは簡単だが
外交で済むなら、それに越したことはないし、それがダメなら戦争というだけの話。

>>390
「戦争」による勝機は徳川が屈服した時点でなかった。
「外交」による譲歩・交渉の余地があるかと思って一生懸命一門やら重臣やら派遣してるのに
秀吉がそれに応じる気がなく、戦争やる気満々だったんだから、どうにもならない。
(でなければ徳川が外交帰途の武将を捕縛したりしない)
要するに外交しか残された選択肢がなく、それが一方的に受け入れられない状況に追い込まれ
「詰み」の状況に置かれたわけで、残された選択肢は戦うしかなく
大軍相手に兵を分散すれば各個撃破されるのはわかってるから小田原に集中させたまで。
捨てる場所は放棄して局地に兵を集めるのは島津だって長宗我部だってやってる。戦の常道。
早々に降ったら減封で済んだ=これがまず状況的にありえないと説明したつもりなんだが。
(東北のどっかの小領主に関東の大大名からあっさりと転落しろって要求をのんだらそれこそヘタレ呼ばわりされて後世に名を残したろ)

要するに大坂の陣の豊臣勢と同じだよ、戦をするしかない状況へ追い込まれた
後はへりくだって微禄で我慢するか、華々しく散るか、という詰みに持ってかれただけ。
0393人間七七四年2011/10/31(月) 02:20:01.37ID:LunJPNhp
俺は単に負け組の大名は勝ち組に悪くしか書かれないというのが嫌で
通説だけでなく負けた側の大名(末期の甲斐武田とか朝倉とか)について
色々調べるのが好きなだけで、別に北条が好きなわけではない。

通説と結果論だけで語るんじゃなく、光が当たらない負け側の資料もいろいろ調べてから物を言った方がいいよ
0394人間七七四年2011/10/31(月) 02:25:43.95ID:LunJPNhp
話がかなり脱線してるけど

・北条がちんたら上洛しなかったから攻め込まれた>そんな事はない、一門や重臣を送ってる。
大名は最後に交渉に赴くもので、実際に氏政が上洛準備をしていた書簡も残っている。

・総無事令出してるのに名胡桃城攻めたのが悪い>この事件そのものの資料性が怪しい

・後詰もないのに籠城かよ、小田原城に頼り過ぎw >野戦に打って出て勝てる戦況ではない。

俺が言いたいのはこんなとこ
0395人間七七四年2011/10/31(月) 02:40:13.27ID:ymQ5YXFM
北条は悪いことしてないが馬鹿だった
上杉憲正みたいだった
0396人間七七四年2011/10/31(月) 03:09:18.67ID:VkmZvxm/
城塞王国と呼べるくらい多数の堅固な支城で領内を固めてた北条だけど
ひとつの城に守備兵の10倍以上の兵力を当てて損害を顧みずに攻めまくられたら
そう長く持たずに落ちるもんだな。
北条の防衛網といっても武田や上杉クラスの攻撃を撃退できるという程度のものだったってことか。
0397人間七七四年2011/10/31(月) 06:15:24.15ID:5LvgjohQ
>>392
家の浮沈のかかった対豊臣外交を、平時の外交予算で安くおさめたいとか世の中なめすぎだろ。

「戦争による勝機は徳川が屈服した時点でなかった」なら
「外交で済むなら、それに越したことはないし、それがダメなら戦争というだけの話。」にはならない。
なんとしても外交で決着をつけねばならず、そのためにはさっさと上洛せねばならない。

>>387でいう主戦論者が氏照・氏邦という超大物なのに上洛降伏でまとまってるとか無理ありすぎ。
協議が割れてるからこそ氏規や重臣に適当な事言わせて時間を稼いでいたと観るべき。
外交武将の捕縛は名胡桃事件の後の話。
要するに上洛しか選択肢がないのにだらだらと引き延ばしたあげく
名胡桃事件というタイムリミットがやってきたという話だろ。

戦争に関しては詭弁乙としか言いようがない。
戦端を開く前に降っていれば過去の例から言って本領(伊豆相模)の安堵くらいはあっただろ。
本拠地に集めた兵で最初から後詰のない籠城を選択するような愚策は島津や長宗我部もやっとらんぞ。
城を枕に華々しく散るためとしても結果は降伏開城切腹。sage
0398人間七七四年2011/10/31(月) 06:17:19.23ID:5LvgjohQ
>>393
通説や結果を無視して、負け側に都合のいい説や解釈ばかりを定説の如く語るのはやめた方がいいよ。
0399人間七七四年2011/10/31(月) 06:19:20.31ID:5LvgjohQ
>>394
・北条がちんたら上洛しなかったから攻め込まれた>そんな事はない、一門や重臣を送ってる。
大名は最後に交渉に赴くもので、実際に氏政が上洛準備をしていた書簡も残っている。

.>時間稼ぎでも一門や重臣ぐらい送る。協議が割れてても、ある程度の準備くらいはしとくだろ。

・総無事令出してるのに名胡桃城攻めたのが悪い>この事件そのものの資料性が怪しい

>というならソースくらい出してほしいな。まさかまた個人研究HPじゃあるまいな?

・後詰もないのに籠城かよ、小田原城に頼り過ぎw >野戦に打って出て勝てる戦況ではない。

>初手から籠城で勝てる戦況ではもっとない。
小田原を囲まれる前に降るか、でなきゃ>>362の言うように内線作戦による各個撃破でも狙うべき 。


俺が言いたいのはこんなとこ
0400人間七七四年2011/10/31(月) 06:29:36.23ID:nnkguKvF
乗り遅れてしまったが、
そういえば氏規が上洛する時に特別税を領域全体から取ってたね
どのくらいだったかまでは記憶にないけど

>>396
武田や上杉クラスを撃退できれば上々だろ
0401人間七七四年2011/10/31(月) 08:01:30.65ID:fp29bjTL
北条は小田原の役の数年まえから豊臣戦のために城の普請やら動員やら、やたらとやってる訳で
それが財政を圧迫してたのは想像に難くない。
氏規の上洛ですら特別税を領域全体から徴収せねば成らないようでは氏政の上洛どころではないだろう。
常識的に考えて北条が上洛降伏でまとまってるとしたら有り得ない予算配分だな。
0402人間七七四年2011/10/31(月) 08:18:13.50ID:ZmImM8Q7
いや、だから豊臣勢に勝てる方法をだね・・・。
秀吉がやる気満々な状態では、現実的に難しいよなぁ。
0403人間七七四年2011/10/31(月) 09:52:05.78ID:4Om6MU5t
同時代だとウィーンはしのぎきったぞ。
あれはなんでだ?
0404人間七七四年2011/10/31(月) 10:17:14.28ID:RqthZdIo
援軍が来たから
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています