小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法
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0001人間七七四年
2011/09/23(金) 17:50:27.74ID:Blwz8JaE0241人間七七四年
2011/10/21(金) 14:15:47.55ID:dbr08xPe上方に戻ってから大坂城のそう構え化と京都の御土居建設に着手
0242人間七七四年
2011/10/21(金) 16:30:33.24ID:CFDsc5mlあんだけ人がいると一枚岩とはいかないからね
裏切るものとか出て士気が下がる、氏直と氏政の関係も最後は微妙そうだし
0243人間七七四年
2011/10/21(金) 20:01:59.64ID:p19p8Tj7そう考えると冬の陣、夏の陣の浪人達の団結力すげええ
0244人間七七四年
2011/10/21(金) 22:31:22.61ID:Mukm8SQ50245人間七七四年
2011/10/22(土) 00:59:17.18ID:iDJ7+t3c豊臣方と徳川方の和平に横槍入れまくってご破算にしたなんて話もあるくらい、
破れかぶれの連中だから
人生の背水の陣だよ
0246人間七七四年
2011/10/22(土) 11:21:05.18ID:P0jdCeUt0247人間七七四年
2011/10/22(土) 23:40:52.85ID:z6WZNNYj0248人間七七四年
2011/10/23(日) 05:11:40.38ID:Y/Ke6i/+その利鞘で経済成長出来るよ。
0249人間七七四年
2011/10/23(日) 10:01:10.95ID:kzUj7X+U0250人間七七四年
2011/10/23(日) 13:50:17.48ID:ZAssG72Aていうより、いつの間にか関東方は遊びみたいな戦争しか出来ないようになってたから、
負けたんじゃないの?
豊臣方からの再三の上洛(降伏)要請を蹴って、開戦を決行したのに事実上の無血開城じゃん?
小田家みたいな、何回負けても次のチャンスが来るなんてイクサに慣れ親しんだ結果、
本物のムシャじゃない豊臣方の生真面目さに攻め滅ぼされたのが後北条方の現実じゃないの?
まあ、よりによって北条なんて名前を名乗ったことによる先祖の祟りかもしれんがw
0251人間七七四年
2011/10/23(日) 14:13:18.33ID:vCRS+q3G0252人間七七四年
2011/10/23(日) 16:14:27.66ID:ZAssG72A伊勢って伊勢平氏の一門じゃね?
そうだとしたまさに平家一門。
北条と云えば、平家を滅ぼした平氏
0253人間七七四年
2011/10/23(日) 16:34:25.49ID:7lCDpYqJ0254人間七七四年
2011/10/23(日) 17:42:37.74ID:kzUj7X+U0255人間七七四年
2011/10/23(日) 18:54:58.91ID:xv4efLj6ほんとに上洛するところだったんだけどほんとに病気になっちゃって、
そのうちに秀吉側が、よくわからないんだけど戦をしたくなって、それで
適当に理由を見つけて開戦したとも聞いた 唐入りの前の予行練習的な
ものだったのかな 北条の惣無事令違反の前にすでにいくさを決意してて、
こっそり兵糧米を集めるなど準備はじめてたとも聞いた
0256人間七七四年
2011/10/23(日) 19:21:54.88ID:g9cOKamtそもそもこの事件に関わる当事者に関する資料が怪しい点。
鈴木重則はこの件以外資料にほとんど出てこないし、奪った猪俣も戦後どうなったか諸説あってハッキリしない。
特に猪俣なんかは北条の中じゃ重臣の部類だし、開戦契機の理由となった事件が事実だとするなら
当然、責任者として追及され、どう処分されたか明確な資料があってしかるべきなのにあやふや。
2・北条から宣戦布告したわけではない。
北条は最後の最後まで上洛に関しての外交を行っていたが
徳川が北条の使者(石巻康敬)を捕縛監禁するなど、
途中から秀吉陣営は明らかに交渉を拒否して、開戦へ向けて工作をはじめている。
3・いずれにせよ、氏政が早々に上洛したとて本領を全て安堵されるはずもなく
(徳川を完全服従させられなかった上に、それと婚姻関係にある北条を隣に並べて残すわけがない)
徳川含めた諸勢力の戦力・国力を落とす為にも、是が非でも北条は叩いておきたい相手だった
氏政が愚図愚図と上洛しなかったせいで・・・とよく言われるが
北条からしたら、どこまで本領を安堵されるかわからないまま、当主がホイホイ上洛=降伏するわけにもいかない
外交には慎重になるのが当たり前の話で、それにしびれを切らした秀吉が「もういいや」って難癖つけて攻め込んだってのが真相だろ
0257人間七七四年
2011/10/23(日) 19:23:55.01ID:tPe+Ge510258人間七七四年
2011/10/23(日) 22:52:51.86ID:fjIvj8ja秀吉時代になってからがサッパリだよな。
なんでこんなに急に外交音痴になっちまったんだろう。
0259人間七七四年
2011/10/23(日) 23:03:19.91ID:72wkQ9ZI0260人間七七四年
2011/10/24(月) 06:58:10.70ID:WP10N76tその前に上野一国制圧してるし。
徳川は初めから甲斐の一部領有してたし。
0261人間七七四年
2011/10/24(月) 11:27:54.57ID:UpLYmEMNむしろ滅茶苦茶だと思うが
信長は媚びる奴大嫌いだし、秀吉は媚びれば赦してくれるのに政策が正反対いってる
本能寺の変の際もいきなり滝川に襲い掛かるとか安直過ぎる
情報収集を全くやっていなかったとしか思えない
0262人間七七四年
2011/10/24(月) 13:59:36.82ID:sxbDjdl6>信長は媚びる奴大嫌い
漫画とかゲームのイメージか?
自ら降ってくる連中に対しては寛容な方だろ。刃向う奴には徹底的に殲滅戦やるけど。
事実、信長存命時代は攻められてないで同盟維持しとるがな。(後々はどうなったかわからんけど)
>秀吉は媚びれば許してくれる
大幅に所領を減らされた上でな。そこをいかに最小限に留めて和平に持ち込むかが外交だろ。
そら難航するわな。
>本能寺の滝川攻め
じゃあ、織田の混乱に乗じて甲斐信濃ぶん取った徳川も思慮が足りないって事になるな。
それに本能寺の変が知れ渡った時点で上野の旧北条勢力の国人が次々と滝川を離反してるわけで
それを指加えて放置してる方が情報収集をまったくやっていないという事になる。
滝川が本能寺を知らせた上で国人衆にどうするか自由にしろって言ったのは嘘で
滝川が本能寺を否定する書状を国人衆に出したのが残ってる。
つまり、本能寺が知れれば国人衆は離反するというのを滝川も知っていたわけ。
そこを付け込まないで傍観してる方が間抜けだろ
事実、そのあと織田が盛り返す事はなかったわけだし、それを理由に秀吉が不義だとか何だとか難癖つけたわけでもないわけだし。
それが戦国の習いってもんだろ。
0263人間七七四年
2011/10/24(月) 16:45:55.74ID:WP10N76t本能寺後の滝川攻める前の北条は、一旦滝川にまるで協力者のようなふりして
本能寺の真偽を確認したうえで信長の死亡の確認が取れると更に弔問の使者まで送って
相手を油断させようとするような手の込んだ手続きをしている。
少なくとも上野侵攻が安直だったわけでも情報収集を全くしてなかったわけでもない。
0264人間七七四年
2011/10/24(月) 17:12:06.88ID:J731d9di兵力何倍まで覆せるんかな、
小牧長久手の野戦で、三万五千差を引き分け、
大坂冬の陣で、十万差でも良い勝負出来た。
備と手の問題があるだろうけど、
北条も野戦決戦(ひらけた場所がないけど)
でもう少し粘れたんじゃない?
0265人間七七四年
2011/10/24(月) 22:46:27.17ID:0rJtLkWuいや、信長は北条の低姿勢外交を全く評価してないよ
武田攻めの後はますます露骨になったし完全に失敗している
逆に信長に脅しをかけるような事をしている徳川の方が知っての通りに親密だ
徳川の甲信侵攻は空白地を狙ったものだから北条の場合とは全く違う
表向きは織田方と戦火を交えてないので十分に名文は立つ
北条は単に織田家中が混乱した今がチャンスだと思って攻めただけであって短絡的過ぎる
信長の後継者がどうなるかとか思慮した形跡が全く見られない
滝川がどう動くかを見極めてから利用した方が遥かに有益だ
中央の勢力とは常に連動した動きをしなければ結局は不利になる
実際、支配を固めた徳川とは裏腹に北条は大義の無い侵略であった為に7年かかっても支配しきれず逆にこれが命取りになった
0266人間七七四年
2011/10/25(火) 00:37:57.08ID:REFMoN+Q>信長は評価していない
ソースは?信長があの後も生きていたら攻めるターゲットにはなったかもしれないが
死ぬ寸前までは不戦維持してるじゃん。
家康と比較して、ってのは同盟の期間が違うんだから、そもそも対象として比べるのがおかしい。
まず、信長が媚びるのを嫌い、降伏者・不戦同盟者に厳しいという話から
「それはない」って話になってるわけで。
朝倉の一門だって降った連中は一時的にとはいえ登用してるし
松永や三好だって、降ってきた連中で使い道がある奴は残してるじゃん
>>265
>信長の後継者がどうなるかとか思慮した形跡が全く見られない
だったら、名目上でも当主が信雄でも秀信でも織田家が残ってる以上、家康は甲斐信濃返さないと
名目は立たないわなー
織田家も秀吉も甲斐信濃上野の領有権を不義だから返せって言っていない以上
やってる事は同じだわなー火事場泥棒だもん。
そもそも、北条が軍を出さなくても、滝川配下の関東諸将が次々離反している以上
滝川勢が孤立→自滅するのは明らかなわけで、傍観してる方が情報収集も先を見通す戦略もないって事になるだろ
「滝川がどう動くか」を判断した結果(変後、滝川とも北条は書状のやり取りして外交やってる)
「攻め取る」って判断を下したんだろ。
>7年かかっても支配しきれず
真田以外は全部北条に降ってるけど
徳川だって信濃北部は上杉領だし、甲斐・信濃も旧武田の勢力を残したりしてて
完全に直轄にするには至っていないので、完全支配とは言い難い。
0267人間七七四年
2011/10/25(火) 09:30:58.20ID:yJHksfOP徳川は信濃は国人が残存しているが、甲斐は完全に掌握している
もっともそれは武田家が全滅したからなんだけど
0268人間七七四年
2011/10/25(火) 11:22:12.61ID:REFMoN+Q最初は穴山梅雪の遺児(1587年没)を名目的に立ててるよ。
つまり、信濃も甲斐も旧武田の連中を名目的にだろうが、立てておかないと
支配はおぼつかなかったって証明でもある。
北条も徳川もやってる事は火事場泥棒だし、何らかの大義が必要なわけだ
北条はもともと上野にかつて支配下に置いていた国人が多数いて、それが自ら滝川を離反したのだから
そいつらを再び支配下に置くため、要請に従って兵を出したという名分が立つし
徳川は武田にやられてた旧勢力を復活させる為、って名目がないと支配が確立できなかったんだろ
真田が服従していないのをもって、7年も上野の支配がおぼつかず〜と言うなら
徳川だって甲斐信濃を完全支配はしていないし、それに近い形にするまでに何年もかかってる
0270人間七七四年
2011/10/25(火) 17:56:25.75ID:nagWTN9v武田攻めの際に北条も上野と東駿河へ侵攻し制圧する戦果を挙げた
更に戦勝を祝って二週間で四回も信長に祝儀を送って信長に尽くしている
だが、知っての通り武田旧領は織田家臣と徳川へ分配され北条には一寸の土地も与えられなかった
そればかりが自力で切り取った東駿河と上野すらも引き渡すように迫られた
これは余りに辛辣でとても盟友に対する態度ではない
更に北条にとって衝撃であった事は東国の奏者が滝川へ任された事だ
北条は織田家の縁戚になって関八州の統治を任せて欲しいと信長に懇願していたが
縁戚の話しは完全に黙殺されていた上に、関八州の支配どころか信長の家臣である滝川の支配下に置かれてしまったのだ
この沙汰ほど信長が北条との関係を重視していなかった事が如実にあらわれているものはないだろう
0271人間七七四年
2011/10/25(火) 19:14:56.39ID:jfC5KVzi0272人間七七四年
2011/10/25(火) 20:03:23.54ID:REFMoN+Qだから甲斐の完全支配は穴山遺児が死ぬまでできてないじゃん。
(北条が上野を7年も完全支配できなかったのは大義がなかったからというレスに対しての反論なので)
徳川もそんな大義のある取り方してないから在地勢力を名目上でも残さないと支配できなかったんでしょ。
北条も徳川もやってる事に大差はない。織田の旧領をかすめとった事には変わりないんだから。
>>270
でも、それでやんわりとした従属関係は築けていたわけで
無理に信長が北条を取り潰すような事はおいそれとできないはずだよね。徳川との関係もあるし。
俺は織田・北条が、盟友=対等同盟とは一言も書いていないけど、不戦関係は少なくとも続いていたわけなのは事実でしょ。
信長は降伏者に厳しいのに低姿勢で、秀吉は降伏者に優しいのに外交を誤ったってレスに対して俺は反論してるわけで。
じゃあ、信長存命時に一戦交えて徹底抗戦したら北条は生き残れたの?
豊臣時代にさっさと上洛すれば本領安堵されたの?って話だから
どっちも無理だろ
0273人間七七四年
2011/10/25(火) 20:38:19.26ID:yJHksfOP穴山の領地は元々安堵されているし、勝千代が幼少なこともあって完全に徳川の支配を受け入れている
他の地域については言わずもがな
大義名分については織田諸将に対しては了解を取っていし、甲斐の侍に対しては登用を約している
0274人間七七四年
2011/10/25(火) 22:03:18.68ID:REFMoN+Q織田の諸将に承諾うんぬんって話のソースは?
つーか、甲斐信濃侵攻に関しては徳川の都合のいいように歴史の勝者は改ざんできるからな
河尻秀隆を失政者扱いしたりとかさ。
徳川には大義があって、北条にはない
徳川は甲斐信濃完全支配しているのに、北条は上野すら支配できてない
ここに↑俺は突っ込んでるんですが。
徳川だって甲斐信濃は完全支配してないし
北条にだって滝川の支配下に置かれていた関東諸豪族の解放って建前があったわけで。
0275人間七七四年
2011/10/25(火) 22:10:51.51ID:yJHksfOP平山優「天正壬午の乱」で秀吉からの書状にそういった内容がある
後、その手の「徳川家中心史観」には否定的ですので、私
何しろ、言ったもん勝ち
それとは別に私は「北条が上野すら支配出来ていない」とは考えていません
0276人間七七四年
2011/10/26(水) 01:05:30.36ID:qXKmrtAK地方の大勢力を片っ端から飲み込んでいく信長の統一政策を見れば
北条ほどの大大名がほぼ全旧領安堵の上に従属的とはいえ友好関係で存続していることが
信長時代の織田家では唯一の存在であることを考えれば
北条の織田家に対する外交は見事と言い切れるだろう。
そもそも武田制圧での北条の功績なんて無いに等しい。
織田と徳川がガンガン攻めてる中で出遅れ気味に東からコソ泥みたいなことしただけだし。
もし北条が武田攻めの手助けを理由に織田政権の下で関東全域を仕切らせてもらおうと考えてたとすれば
それは余りに調子に乗りすぎだし、さすがにそこまで空気読めない訳はないだろう。
0277人間七七四年
2011/10/26(水) 09:50:04.54ID:LoJK8PwW考えるのはいかがかと?
0278人間七七四年
2011/10/26(水) 13:03:56.69ID:qXKmrtAK上出来すぎるくらいだと思うけど。
だって急拡大してからの織田に対して徳川以外に大領を認めてもらえる大名なんて
まずなかったじゃん。
0279人間七七四年
2011/10/26(水) 14:15:48.69ID:2KQcCJWe0280人間七七四年
2011/10/26(水) 15:05:39.55ID:xgOO1dht0281人間七七四年
2011/10/26(水) 16:03:19.17ID:+Qtwm60Fとなると、交渉(外交)で、どこまで減らすのを留められるか続けるか
一戦交えて、有利な条件で和睦を結ぶかの二択しかないわけで。
>>277
じゃあ、君の言う「北条が見事と評価される外交」は信長存命時にどうするべきだったと?
伊達やら毛利やらと結んで織田に抵抗してた方が評価されたと?
0283人間七七四年
2011/10/26(水) 17:19:25.30ID:+Qtwm60F0284人間七七四年
2011/10/26(水) 19:01:06.79ID:57QxMJsUまあそういうスレだということか。
0285人間七七四年
2011/10/26(水) 22:15:06.50ID:EGJRevK7信長時代に土下座外交しても無駄だから本領を守りたいなら戦うしかないし
秀吉時代はさっさと上洛すれば本領安堵されただろ
0286人間七七四年
2011/10/26(水) 22:24:46.67ID:zH/NkQm10287人間七七四年
2011/10/26(水) 23:11:03.95ID:CDYMP4+Q徳川と北条がセットで臣従してきたら秀吉も困るような気がする
北条の方も何のお膳立ても無く臣従はできない
同格と思っている徳川があれだけお膳立てされているから自尊心が許さないか?
北条は徳川を秀吉に引き抜かれた時点で詰みだろう
0288人間七七四年
2011/10/27(木) 00:17:20.68ID:eD8OpyrHだから信長時代は従属的ながらも不戦同盟を維持しているし
秀吉時代にさっさと上洛したからって丸々本領が安堵されるわけがねーだろって言ってんだよ馬鹿
結果的に削られるなり、移封されるなりするにしても、外交も重ねずにさっさと上洛=降伏してたら
大名としての支配力がゼロになるってわかんねーかな?
だから島津だって長宗我部だって徳川だって、すぐさま上洛はしねーで一戦交えてんだろ
0289人間七七四年
2011/10/27(木) 00:20:55.72ID:hAeFfEAi0290人間七七四年
2011/10/27(木) 07:20:14.18ID:2TQ8ZcV40291人間七七四年
2011/10/27(木) 07:28:42.65ID:m5AJGohk0292人間七七四年
2011/10/27(木) 08:06:43.85ID:AnqsWVZKしかしそれは皆の知っている北条とは別のなにか・・・
0293人間七七四年
2011/10/27(木) 09:15:24.45ID:/u7QO9aMだから信長時代の北条は取り敢えずは100万石級の大名として信長と
同盟関係維持してたって言ってるじゃん。
信長が北条に対して生き延びるには戦って守りきるしかないような状況にいつ追い込んだ?
0294人間七七四年
2011/10/27(木) 09:37:52.85ID:PCXreDnt伊豆一国?
そりゃ結果論としては御の字だろうが、ちょっと呑み辛い
0295人間七七四年
2011/10/27(木) 09:53:07.67ID:23jD0Q+A0296人間七七四年
2011/10/27(木) 17:21:43.13ID:h2vCcHbT同盟関係維持できた根拠がどこにあるんだよw
長宗我部みりゃ分かるだろ
同盟なんか全く無駄
しかも信長は関東支配の勅命を朝廷から貰ってるんだよ
いくら北条がゴマ擦っても織田にしてみりゃ生かしとく理由などない
逆に秀吉は毛利や徳川など大大名をそっくり取り込んでるし
長宗我部、島津、伊達のような反抗的な大名でさえ本領安堵している
本領安堵されない可能性の方が圧倒的に低いわ
むしろ自ら進んで臣従した大名から理由もなく本領取り上げたごとなんてあったわけ?
0297人間七七四年
2011/10/27(木) 17:26:47.78ID:9GydJpuY上杉はすりつぶしだったろうから
最終的に北条に矛が向いた気がするね
0298人間七七四年
2011/10/27(木) 18:08:36.30ID:xSaPF64Yさすがに北条みたいな勢力をそのまま残すなんて どんな政権でもやるものだろうか
0299人間七七四年
2011/10/27(木) 18:49:24.76ID:eD8OpyrH少なくとも「信長存命時」の時点では不戦関係にあったのは歴然たる事実だろ。
そら、信長が生きていたらいずれは攻める対象になったろうが、
信長が生きてる時代に毛利やら上杉やらがコテンパンにやられてるのに
あえて敵対する理由がないわな。
少なくとも毛利・上杉よりは外交上手だったって事だろ
いずれ矛先が向くにせよ、本能寺直前時点までは不戦保ってるんだから。
>秀吉は毛利や徳川を取り込んでいる
後の歴史を観ればわかる通り、徳川は完全に取り込んだとは言えない。
表向きは臣従した事になってるけど極めて高い独立性を維持している。要は例外。
毛利は降伏したから全領土安堵されたわけじゃなく、秀秋送りつけられて
大幅に所領削減されてる。朝鮮攻めでもすごい重役課せられてる。
秀吉だって馬鹿じゃないから降伏すれば何でも許す、その後も放置しとくよ、ってわけじゃない。
毛利・島津・長宗我部・上杉なんかは朝鮮で重役課せたり、跡継ぎ問題や、家臣団との軋轢に介入して
勢力を減退させる工作は常にやってる。要するに降伏すれば全て安泰というわけではない。
>長宗我部、島津、伊達のような反抗的な大名でさえ本領安堵している
最盛期の勢力から、どれだけ削られたと思ってんだよ。
それだって一戦交えたからこそ、互いの面子が立っての結果だろ。
最初からホイホイ上洛してたら、その後の支配体制なんかガタガタだよ
0300人間七七四年
2011/10/27(木) 19:02:45.14ID:eD8OpyrHそれなりの勢力を有してる大大名なら、最終的に降伏するにしろ
外交を重ねるか、一戦交えるかして、一定の領土を保障させるか、戦後の面子を保つ理由が必要になってくるわけで
北条クラスの大大名が一戦も交えず降伏したから厚遇されたって例があるなら教えてくれよ
徳川だって一戦やってんだから、そこ忘れんなよ
伊達くらいか?大大名ってレベルじゃねーけど
大幅削減の上に、朝鮮でも課役すげー課せられてるけどな。
あれは単にほぼ日本統一したのに、東北くんだりまで完全制圧の為に軍出すの面倒くせえってレベルの話なだけだろ
0302人間七七四年
2011/10/27(木) 19:11:14.78ID:5Gvmf30A0303人間七七四年
2011/10/27(木) 19:35:06.06ID:63/eRCzR毛利本体は秀秋でダメージ受けてないだろ。
独立大名化していた、九州の小早川家を秀秋に譲っただけ。
しかも、九州の領地は秀吉から与えられたものに過ぎない。
九州攻めの手柄としてもらったものを取り戻された、とは言えるかも知れないけど。
0304人間七七四年
2011/10/27(木) 22:39:22.14ID:Yr4HhcJq秀吉と一戦交えた長宗我部や島津は大幅に所領を削減されている。
長久手の勝利を得たコ川は例外。
一方、秀吉にさっさと服属した毛利や上杉は所領を安堵されている。
毛利や上杉は信長との戦争で所領を失ったにすぎない。
>>299
>毛利・島津・長宗我部・上杉なんかは朝鮮で重役課せたり、
朝鮮役が他の戦役と比べて特に重役だったということはない。
特に上杉は5000人だけの軽い軍役だった。
>>300
>伊達くらいか?大大名ってレベルじゃねーけど
>大幅削減の上に、朝鮮でも課役すげー課せられてるけどな。
伊達が所領を削減されたのは、
惣無事令違反の蘆名攻略や
小田原への遅参など最初からホイホイ服従しなかったこと
さらには葛西大崎一揆扇動の嫌疑
によるもの。
朝鮮役で伊達は僅か1500人の軽い軍役にすぎない。
0305人間七七四年
2011/10/27(木) 23:25:40.21ID:xSaPF64Y九州、中国とは訳が違う
0306人間七七四年
2011/10/28(金) 01:08:42.92ID:LLHyWD4j侵攻地に近い大名は軍役が重く
遠い大名は軍役が軽いのは戦国時代の基本
なので朝鮮に近い大名は比較的軍役は重かったが
他の戦役い比べて特別に重い軍役は無かった。
朝鮮から遠かった東国大名は皆軍役は軽かった。
上杉や伊達も実際に軽い軍役だった。
文禄の役で上杉5000、伊達1500
慶長の役に至っては上杉・伊達の動員そのものが無かった。
>>299の「朝鮮で重役課」や
>>300の「朝鮮でも課役すげー課せられてるけどな。」
なんて話は思い込み以外の何物でもない。
0307人間七七四年
2011/10/28(金) 01:13:38.87ID:tw/6eoyn小早川や吉川が独立大名化していて毛利本隊とか関係ない、ダメージはないってのは
どう考えても無理やり過ぎ
>>304
一戦交えたからこそ、本拠は安堵されて、そこの支配権も失わずに済んだんだろ>島津・長宗我部
一戦も交えないで上洛したら、一気に家臣団の結束は緩み、家臣の内紛や跡継ぎ問題に付け込まれて骨抜きにされて終わり。
戦も外交の1つなんだよ。どっちにしろ領土が減るのは見えてるわけで、秀吉に勝とうなんて思ってないの。
どれだけ有利な条件で和議を結べるか?という選択肢の1つに外交があり戦争があるんだよ。
戦わなければもっと有利な条件で安堵されたろうなんてのは夢想に過ぎない。
秀吉の頃は上杉は既に大大名と呼べるクラスではなくなっていたし
毛利は次々と小早川もそうだし、領内の鉱山とか勢力を奪われて骨抜きにされてる。
往年の領土をそのまま丸々と安堵されたわけではない。
朝鮮出兵に関しては流れで他の大名と並べただけで
伊達と上杉という中でも少ないのを持ってきて軍役が軽いとするのはどうかと恣意的過ぎるだろ
島津や毛利は大損害受けてるがな。
0308人間七七四年
2011/10/28(金) 01:40:14.25ID:tw/6eoyn自分でも書いてるけど、毛利の1500と伊達の1500じゃ意味合いが違うのはわかるよな?
石高的にも、移動距離的にも。
他の大名に比べて、ではなく、その家としては「重役」を毛利も伊達も負わされてるだろ?って話だから
0309人間七七四年
2011/10/28(金) 02:57:05.21ID:RY0wTmgcでもその先どうなるかまで考え出すと誰にも解らんし、まず信長がまっ先に死んじまってる。
これが現実でしたとしか言いようがない。
豊臣に対しては、早期に北条が秀吉に臣従してたとすれば
上野、下野、常陸からの完全撤退くらいで済むんじゃないかな。
秀吉は何も一戦交えた後でなければその大名を認めないなどというわけではない。
敵対したから戦ったまでのこと。
むしろ地方の統一は急いでいたから最初から臣従してくる大大名なんかがいたら
喜んで臣下に加えただろう。
0310人間七七四年
2011/10/28(金) 05:57:43.44ID:nbRkzFSM0311人間七七四年
2011/10/28(金) 08:35:13.77ID:vutUTJts0312人間七七四年
2011/10/28(金) 11:15:26.80ID:tw/6eoyn誰も一戦交えてからじゃないと大名を認めないという話などしていない
外交の1手段として戦争もあり、徳川・島津・長宗我部は、それをやったというだけの話。
もちろん外交だけでうまくまとめる方法もある。
戦争というのは相手にも自分にもある程度の「これだけやったのだから」という面子を作る為の手段に過ぎない。
ただ、小田原の頃にはもうそういう余地がある状況ではなかったので
北条だって馬鹿ではないし、外交で結論出そうと交渉を重ねた。
しかし、秀吉がしびれを切らして攻め込んだ、そういう事だろ。
北条から無理難題をふっかけたわけでも、外交を拒否したわけでも、宣戦布告したわけでもない。
0313人間七七四年
2011/10/28(金) 11:43:47.59ID:RY0wTmgcいずれにせよ氏政か氏直が秀吉のもとに出向かなかった時点で
外交的には北条の失策としか言いようがないだろう。
0314人間七七四年
2011/10/28(金) 12:54:51.40ID:wiEPoWz/0315人間七七四年
2011/10/28(金) 13:04:16.94ID:LLHyWD4j根拠を何も示さず思い込みで語っているだけだ。
0316人間七七四年
2011/10/28(金) 13:23:22.74ID:ZNWuGYDRとくに秀吉厨の方。
0317人間七七四年
2011/10/28(金) 13:43:23.57ID:ixERkw7B0318人間七七四年
2011/10/28(金) 14:02:35.24ID:qu1rlIvs一戦交えれば「うむむ、やるなお主」「いやいや、お主こそ」的な信頼が生まれて一目置かれるとか思ってるの?www
漫画と現実の区別ついてないんじゃないの?w
一戦交えた滝川、佐々、長宗我部、島津はなんで冷遇されたの?
一戦も交えなかった織田旧臣等や、毛利、宇喜多、上杉、佐竹などは何で優遇されたわけ?
前田なんか戦わずに撤退して寝返ったが優遇されてるけど
一戦交えなきゃ骨抜き?
一戦交えた長宗我部は世継ぎ争いで内訌起きてるし、島津は伊集院らの反乱でグダグタ、徳川も石川らの引き抜き食らってるし
一戦も糞も関係ない
2つや3つにパターン化出来るほど現実社会は単純じゃないよ
0319人間七七四年
2011/10/28(金) 16:26:03.13ID:Abh5vgF1武力でやると損害出るじゃん
そんなの極力避けるのは誰だってやる
だまし討ちだとすれば、この時代なら「騙される方が悪い」で終わる
0320人間七七四年
2011/10/28(金) 16:56:08.03ID:ixERkw7B例えるなら島津とか長曾我部におんなじことをやってるのと同じことだけど
秀吉は全然やってないよね。
0321人間七七四年
2011/10/28(金) 17:10:32.88ID:DNwOftmJそれを定説のように語っちゃってる北条厨はおかしい
0322人間七七四年
2011/10/28(金) 19:54:39.60ID:RY0wTmgcこのスレもそろそろ命数を使い果たしたのかな?
0323人間七七四年
2011/10/28(金) 20:05:40.97ID:OyHuYv2r議論のためじゃなく単に勝ち負けを競ってるだけみたい
0324人間七七四年
2011/10/28(金) 20:44:40.35ID:hXsSlg5o約70万石ぐらいを安堵すると約束して武装解除させて裏切ったって話
でも検索してもなかなかでてこないんですよね ネタくさい でも子供の妄想としてもなかなかよく出来てる
もともと総州は里見家のものだったんだけどまさに北条攻めのときに里見義康が遅参したとして
没収されてるわけです これをやるから降伏せえや、というのはいかにもありそうな話
ちなみに北条早雲が最初に切り取り、北条家にとって思い出深い伊豆1国を安堵して欲しいと
北条は望んだという説もありますが、徳川軍団の初戦の活躍で秀吉は
かなり早い段階で伊豆1国を家康にあたえ、家康も戦争中にもかかわらずすぐに行政活動を
行って領土化してたのでもう北条に返すわけにはいかなかったとも聞きました
0325人間七七四年
2011/10/28(金) 21:04:59.31ID:ixERkw7Bのぶやぼレベルだwから
0326人間七七四年
2011/10/28(金) 21:14:52.19ID:oUpUSRaF0327人間七七四年
2011/10/28(金) 21:17:39.42ID:6gFPQXJX妄想だ
0328人間七七四年
2011/10/28(金) 21:27:28.60ID:ixERkw7Bhttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1669/ichimonn.html
ここにも書いてあるよ
こいつは人に妄想とか書いておいてソース皆無な上総は里見のものだの
(のぶやぼみたいに本城落とせば全部国がてにはいるとおもってるんだろうな)
人から聞いただの爆笑物の幼稚なレスしか書いてないのに人を妄想扱いするんだから
恐れ入る
0329人間七七四年
2011/10/28(金) 22:37:16.79ID:ixERkw7B彼の低レベルレスより数億倍価値があると思う
0330人間七七四年
2011/10/28(金) 23:32:57.23ID:Abh5vgF1最後は揚げ足取りになって本題からどんどん遠ざかっていく・・
武田関連のifスレなんかその典型やね
0331人間七七四年
2011/10/29(土) 00:44:38.97ID:V13Orajk伊豆相模ではなく、上総下総ってのは違うと思うがなぁ
義頼が安房と上総、下総南部の安堵を秀吉から得たとか何かで読んだ気がする
0333人間七七四年
2011/10/29(土) 07:14:11.13ID:QdQTU+goよく見ろ、氏規の項に書いてある。
降伏の条件は助命と2カ国安堵の線で進んでいた〜という微妙な表現だが。
つか出典も明らかではない個人研究の記述などソースにならん。
0334人間七七四年
2011/10/29(土) 07:58:09.69ID:V08kYk8+>北条氏の領地は300万石に及ぶ広大なものとなった。
このあたりで続き読む気がなくなった
0335人間七七四年
2011/10/29(土) 08:44:52.02ID:tcvz7Fp4戦国史が好きでいろいろ調べてきましたが、一般的には後北条氏に関しては語られるこ
とが少ない様で、寂しく思っていました。今回、北条3代目「氏康」を題材にしたHPを立ち
上げたのも、少しでも後北条氏について知ってもらいたいとの思いからです。あくまで、
素人のレベルでポツポツ書き加えていくつもりですので、あまり専門的なことには触れて
おりませんし、おかしな点もあるかもしれませんがご容赦いただければ幸いです。
こういうのがソースになると思ってるとか…やはり北条厨は頭がおかしいw
0336人間七七四年
2011/10/29(土) 09:21:31.84ID:l+arOhp60337人間七七四年
2011/10/29(土) 09:42:26.52ID:Lhy8LVSB北条厨とアンチの誹謗合戦か?
後北条のメンタリティも、まさにここの北条厨程度だったんだろ
戦争をやる前なら伊豆一国くらいは貰えたかもなのに、
意気地も無いのに戦争やって、まけそうだから自分が制圧したわけでも無い上総、下総2国安堵なんて妄想で降参したってのが現実じゃね?
戦いきる根性が無いのに新型爆弾2発で全面降伏した血統が良く出てる。
日本人は自戒せにゃならん。
自分にはこんな浅はかな血が流れてると。
半端はいかん。やるならやる!これが出来そうにないなら、さっさと土の中に帰った方が良い
0338人間七七四年
2011/10/29(土) 10:28:48.40ID:l+arOhp60339人間七七四年
2011/10/29(土) 11:19:18.82ID:Lhy8LVSB3発目は東京だよ!(b^ー°)
って言われて
大元帥が泣き喚いたなんて信じてたまるか(-_-#)
うちのは不具でも軽かったが、今更、引っ込みが付かないことになってる家は山ほどあったんだから
0340人間七七四年
2011/10/29(土) 11:56:31.36ID:nzvjJKQZ糸偏に冬
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