当時の気風がどうかはともかく「本城惣右衛門覚書」なんか見るに雑兵レベルだとそれほど問題はなさそう。
光秀の幹部連中も利三の帰属問題などで信長と揉めても分裂の気配があった気配があったとはきかないし、変後の動きを見ても団結は高かったようで問題は無かったんじゃないかな?
一般的にそうだとは敷衍できないだろうが。

>>565
たしか光秀は丹波制圧後も「信長様に拾われて感謝してる」云々あったはず。
だからこれまで散々便利使いされてきても喜びすらあれ恨みはなかった。
しかし、「どうも信長様の寵愛も秀吉に移ってしまって、オレは2位以下になってしまったようだ。悔しいっ!!!」
と愛憎裏返ってついつい機会を得て謀反!
っていう与太。
先行説があるかは知らんw