あ〜ごめん、この時代に詳しいわけでもないので
間違えた。
それと邪推と言うけどそれはお互い様だろう。
空白を疑うのではなくどう説明するのが妥当か
に関して「冷静に書けるかね」というのもそんなに
合理的説明にはなってないだろう。
また「市街戦」というが本能寺と妙覚寺だけでそれも午前中に済んでる。
また御湯殿を偶然というのも大事件があった年なので
やはり当時の一級史料「御湯」「兼見」「言経」に共通して欠損改竄があるのを
すべて「個別の事情」としてしまうのがどうだろうかということ。

個別の事情を間違っているとかおかしいというのではなく
トータルでどうだろうか、ということね。
個別で考えて説明できるから「単に偶然が重なった」というのなら
それはそれで立派な解釈。

それと「日記の欠落ー朝廷黒幕」なんて誰も言ってないから。
専門家は「黒幕はいない」という説明はしているが変の理由に
ついてはまだ明解な統一見解はないだろう。
史料中心だとそうならざるを得ないわけで
結局「歴史の出来事はすべて偶然の集積」「史料にある以外の
ことは全て妄想」とならざるを得ない。
こういうのは学問とか研究としてはどうなんだろうかという話にもなる。

平安では清盛ご落胤説が専門家に採用されたりそれなりの
史料からの推定ー妄想?もありなんだが織豊のあたりは妙に
そういうのに抵抗があるような。
これに関しても「その外」から語られてる部分があるんだが
長くなったのでまたの機会にしようか。