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【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る4

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0001人間七七四年2011/08/20(土) 12:33:36.37ID:qitcoN5Q
明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。

通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------以上wikipediaより転載---------

その他秀満や光忠などの明智一族、
斎藤や妻木や溝尾や藤田などの家臣も話題も歓迎。

■武家家伝_明智氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/aketi_k.html

■前スレ
【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167303526/
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298723473/
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1307845255/


■関連スレ
天海=明智光秀だった!!!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151671577/
本能寺の黒幕は朝廷だった!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1305979699/
0151人間七七四年2011/12/23(金) 16:50:34.73ID:lU0JrXGk
>>150

明確にって、あれをどう見たら明確だと捉えられるのかそれがさっぱり解らん。
あれは継ぎ接ぎだらけの言い訳という
0152人間七七四年2011/12/23(金) 17:07:02.62ID:6aoiX+FV
>>151
そう?
コメントのとこにわかりやすく整理して
書いてる人がいたでしょう。
子孫説を「家康黒幕説」と言ってる時点で藤本が
ちゃんと読んでないか誤読してるのは明らかじゃない?

それと言い訳、というけど藤本は「トンデモ説」と
切り捨てててちゃんと論じてないでしょう。
だから「つぎはぎの言い訳」じゃなくて子孫説一般への
反論ー説明をしてるということだけだと思うのだけど。

ちなみに藤本本は「本能寺〜」と鈴木との共著の「まだ信じますか?」
みたいなのがあるけどどっちも子孫説にはあまり反論どころか触れてないんじゃない?
だから147の「藤本が反論してる」という具体的な部分を自分が
知らないだけかもしれない。
だと申し訳ないがもし藤本が最新で反論してたら教えて
もらえるとうれしいけどね。

ちなみに詳しいのなら教えてほしいけど
福屋宛書状で桐野が天正十年と比定してるのを藤田が
天正九年だろうと言ってたよね、「証言〜」か「安土幕府」か
忘れたけど。
これは桐野の再反論みたいなのがあるのかな。
新刊の「織田信長」はまだ読んでないのだけど。
0153人間七七四年2011/12/23(金) 18:52:06.83ID:RXDPgEc4
『宇野主水日記』「信長は家康を接待するため懸命に奔走した」

明智子孫解釈「どうせ信長は家康を騙すために奔走したんだよ」

しかし実際「人騙しが上手い」「腹黒い」とフロイスやガラシャから言われてしまったのは
他ならぬ光秀公だった。
0154立花喬之助2011/12/24(土) 00:36:24.11ID:keStTPjA
立花喬之助
0155人間七七四年2011/12/24(土) 00:44:25.74ID:qomkgU2c
佐藤佑介乙
0156人間七七四年2011/12/24(土) 05:37:59.25ID:dA0reZC+
『かくて本能寺の変は起これり』園田豪 著  出版社 郁朋社
誰か読んだ?
0157人間七七四年2011/12/24(土) 05:50:55.50ID:qomkgU2c
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「信長公記」に隠された歴史の真実を暴く。光秀と家康が共有した危機感と秀吉の知略とは…。
家康と斉藤内蔵助の関係と家光誕生の真実を解き明かす。

出版社からのコメント
本書は、信長の野望の前に光秀と家康が共有した危機感と秀吉の知略を解き明かし、本能寺の変の真相を
解明するとともに家康と明智家家臣斉藤内蔵助との密約と家光誕生の経緯にも触れた作品です。
信長公記の裏に隠された歴史の真実にスポットライトを当てた意欲作と言えます。


ダメポ臭芬々…
0158人間七七四年2011/12/24(土) 11:05:13.92ID:BiM97kaq
>>157
断定的なキャッチコピーはダメポの典型。
0159人間七七四年2011/12/24(土) 13:10:42.58ID:fvdAjtGh
子孫説のパクリっぽいね。
こないだもそんなのが出てたなぁ。
0160片平弥平次2011/12/24(土) 13:34:54.42ID:keStTPjA
片平弥平次
0161人間七七四年2011/12/24(土) 14:17:15.69ID:qomkgU2c
西岡徳馬乙
0162人間七七四年2011/12/24(土) 14:20:53.37ID:jgf/mBKR
でお前ら「本能寺の変は丹波武士団の検地反対一揆だった」説についてはどう思うわけよ
0163人間七七四年2011/12/24(土) 14:47:19.67ID:qomkgU2c
検地反対だったら織田の尖兵である明智家に矛先向かうんじゃないの?常識的に考えて
軍法のこと考えると天正九年以前に蜂起の動きがないのも変だし
0164人間七七四年2011/12/24(土) 17:18:04.24ID:CjRdzO0j
結局春日局なのな>家康関与
だがこれにもツッコミ所がある。
家光と春日局の関係はみんなが知ってるが、春日局が
「父とその主君が謀反人呼ばわりされています」と家光に泣きつけば
家光は「おう、なんとかしてやろう」と応じそうだ。
ところがそんな形跡はまったくない。
斉藤利三と光秀がやはり謀反人だからなのではないか。もちろん
徳川は関係ない。
0165千夏2011/12/24(土) 19:56:42.09ID:keStTPjA
千夏
0166人間七七四年2011/12/24(土) 20:00:40.27ID:qomkgU2c
川島なお美乙
0167人間七七四年2011/12/24(土) 23:09:33.68ID:g3kMNKF8
元々信長の盟友ってのが政権奪取の正当化事由なんだから
そこは動かせないんだろう
実態としては臣従だとしても
0168人間七七四年2011/12/24(土) 23:21:04.60ID:DIBmmvfi
ふくが本能寺関係者だったことは同時代には知られてなかった説もある。
逆に家康だけは知っていたとかいわれそうだな。
政権奪取の正当化は意外と難しい話。
秀吉は別に織田家簒奪をしたわけではない、建前だが。
朝廷からは関白を取り戻してくれたとかそのあたりが
やっぱりでかいんだろなあ。
0169蕪木兵助2011/12/24(土) 23:41:21.25ID:keStTPjA
蕪木兵助
0170人間七七四年2011/12/26(月) 12:46:52.52ID:MS0i1eaF
小学校の教師してるけど
最近の小学生はネットとか見て勉強してるんだろうが
こないだ授業で本能寺の変をしてたら

俺が  敵は本能寺にあり 
生徒A 創作ですよね?授業で言うのはどうなんです?

俺   黒幕説がいくつもある 
生徒A 単独犯しか考えられないんですが、それ以外の説を教えるなら
    根拠や文献で教えてください
 
どうしろとw
0171人間七七四年2011/12/26(月) 13:07:06.53ID:9YtJ2Df8
わっはっは。
アツヒメの時に「明治維新の重要人物は?」「アツヒメ」ってのがあったようだが
「戦国時代の重要人物は?」「お江」ってなりそうだもんな。
今はモンペアが「先生がおかしい、国営放送でそうなってた」とか
クレームつけるらしいしなー。
「授業と違う答えはいけません」とごまかすらしいが、それでも
「納得できない」とカラむバカ親も多いとか。
歴女が親になったらどうなることか・・
0172人間七七四年2011/12/26(月) 13:10:04.76ID:5hnT51ru
頼山陽知ってる小学生素敵やん
0173人間七七四年2011/12/26(月) 13:58:54.44ID:FqHbrdDF
>>170
上杉鷹山でも出題してやれw
0174人間七七四年2011/12/26(月) 14:20:49.64ID:sMdUaGsJ
>>170
素晴しい生徒さんやないですかぁ〜〜

>どうしろとw
先生がやるべきことはただ一つ。
知ったかぶって小ネタの披露はやめること。
余裕があったら「教科書の内容も新史料など発見されれば今後変化することもある」と言えれば更に良し。
0175人間七七四年2011/12/26(月) 15:13:21.39ID:MS0i1eaF
>>174
俺も戦国オタだし、こういう板に書き込んでるので
それぐらいの知識はあるんだが
教科書とか参考資料をそのまま読むと
つっこまれるんだよ
真田幸村とか、そのまま授業で読むと
江戸時代に勝手に付けた名前を読むのはどうなんですか?
とかね
0176人間七七四年2011/12/26(月) 16:37:20.39ID:FqHbrdDF
>>784
その子の親を見習え。教育方針・姿勢を。
教師が王様なんて時代は終わったんだよ
0177人間七七四年2011/12/26(月) 16:56:18.76ID:SiNaYe9U
>>784に期待
0178人間七七四年2011/12/26(月) 20:58:33.60ID:9YtJ2Df8
>>175
まぁ、言ってるレベルが歴女なみだからいいんじゃないか。
「よく知ってますね、ではどうして教科書に載ってるか考えましょう」
って。
0179人間七七四年2011/12/26(月) 21:05:04.33ID:pULuou3l
日本史の授業で真田幸村って必要なん?
関が原浪人他がたくさん居ましたでいいんじゃないの
0180人間七七四年2011/12/26(月) 22:46:23.18ID:sMdUaGsJ
>>179
同意。
>>175
敵は本能寺とか、黒幕説とか、
そんなくだらないことが教科書参考書に書いてあるん?スペース勿体ない。
0181人間七七四年2011/12/26(月) 23:15:47.32ID:9YtJ2Df8
客寄せだろう。
教科書だって採用されないと儲からない。
0182人間七七四年2011/12/27(火) 00:12:13.93ID:R6xgVqqh
先生がもっと勉強すれば済む話でしょう
頑張って下さい
応援してます
0183赤垣伝兵衛2011/12/28(水) 01:35:28.51ID:e+uLUn0F
「これと〜日向守光秀が!てえええばあいいたす!貴様の首じゃあ!」
0184中山出雲守2011/12/29(木) 18:43:07.07ID:Pm2DrQ0W
中山出雲守
0185人間七七四年2011/12/30(金) 10:51:43.69ID:mcfViRu6

明智光秀こそ織田信長の黒幕。
織田信長が明智光秀。
したがって本能寺の変など起こらなかったし起こるはずもなかった。
こういう論調で進めて欲しいね。
0186人間七七四年2011/12/30(金) 10:59:00.36ID:AQ32WB8t
本能寺の変は、起こるべくして、起こった。
0187人間七七四年2011/12/30(金) 19:52:38.46ID:ke+CWghb
>>170
その子供にとって一番良いと思う事をやればいい。
自分を捨てる事が逆にその職業で生きる道になる。
0188人間七七四年2011/12/31(土) 01:44:47.62ID:1xer/rkT
佐野浅夫乙
01892011/12/31(土) 04:42:37.48ID:0ONUb276
みっちゃん勝算あると思ったのかな?
信長は殺せてもその後苦しいの分かる筈なのにな
賢い明智のみっちゃんならそこまで考えて行動すれば良かったのにな
0190人間七七四年2011/12/31(土) 11:50:13.04ID:DFuqOBjT
藤孝と順慶が味方してくれなかったのがなによりの誤算だったろうに
0191人間七七四年2011/12/31(土) 13:43:53.09ID:N1ZMqx5Q
八巻正治。氏の学歴は以下の通りです。

【学習歴の記録】
 美幌幼稚園 卒園  美幌小学校 卒業  美幌中学校 卒業   美幌高校 卒業  ※高校は途中転入で、しかも不登校でした!

 順天堂大学  体育学部  健康教育学専攻   卒 業 ※ガンガン勉強しました!

 青山学院大学  第U文学部  教育学科  卒 業 ※幼稚園での教育実習も行いました!

 東洋大学  第U文学部  教育学科  卒 業 ※養護学校の教員免許を取得しました!

 立教大学・大学院  文学研究科:博士課程(前期)   教育学専攻  修 了 ※良き学師たちに巡り合えました!

 カリフォルニア神学大学院日本校    博士課程  キリスト教神学  修 了 ※神様の深き愛の素晴らしさを学びました!

 米ニューポート大学大学院  博士課程  教育学専攻  修 了 ※論文執筆に燃えました!--------------------------------------------------------------------------------
0192人間七七四年2011/12/31(土) 18:57:08.73ID:1xer/rkT
明智光秀は信長を倒したら討っ手を引き受けて討ち死にするつもりだったろうけど、左馬助秀満が、それでは他の将兵が納得しないですよと言った
0193人間七七四年2012/01/01(日) 01:01:11.21ID:niDrPxSx
>>189
千載一遇のチャンスに飛びついた印象。
とにかく目の前にめったにないチャンスがあって見切り発車した感じ。
本来の光秀らしくない行動の為に隙が生まれてああいう結果になったと思う。
もし彼が謀反を用意万端に整えた上に起していたら結果は違ったものに
なったかもしれない。

>>199

でも晴天の霹靂のような謀反を起した光秀に味方してくれと
言われても躊躇するのが普通だと思う。
主君殺しなんて戦国時代でも褒められたものではないし、しかも光秀のやり方
が暗殺に近い。
味方しなかったのが誤算というより味方してくれると思う方が甘いと思う。
0194人間七七四年2012/01/01(日) 18:30:13.76ID:NyladVeY
>>193
>味方してくれると思う方が甘い
これかなり同意。

しかも細川筒井にとりわけ期待してたって話が事実なら相当甘い。
細川は信長にやたら恩を感じてる家だし(「綿考」ではその雰囲気。光秀と親友ってのも小説の創作だし)、
筒井だって大和の人でしょ?
大和といったら信長大好きの地域。光秀に味方したら地元民から反発受けるって予想は当然したと思う。
0195人間七七四年2012/01/01(日) 19:24:51.66ID:9DGEmAZX
筒井、細川の動きもあるが、羽柴が備中からあれだけ素早く上方に引き上げてくることが最大の誤算だったと思う
羽柴の動きがなければゆるゆる近畿を抑えて、行けたであろう。
じじつ近江、美濃は短時間のうちに抑えたのである
0196人間七七四年2012/01/01(日) 19:34:31.69ID:nrl3Cusr
>>194-195
筒井さんは一旦は南方衆を光秀の近江攻略戦に参加させていたが、秀吉大返し
の報告を受けて郡山に引き返している
それでは、筒井さんが秀吉・信孝方に味方したかといえばそうでもなくって、山崎
合戦当日も信孝から「信長公に忠誠を誓っていたのなら、大和から出兵しろ」って
お叱りの書状を受ける始末

大返しがなければ筒井さんはそのまま味方になったと思うね
01972012/01/02(月) 00:45:40.31ID:2zRsVnVK
結局謀反を起こして得したのは秀吉一人って感じの史実になってしまったしな
織田家壊滅、織田家臣の末路も悲惨
秀吉にいいアシストしただけだったな、みっちゃん
我慢すれば一国の主にはいれたかも知れないのにな
01982012/01/02(月) 00:54:26.09ID:2zRsVnVK
謀反起こして京都周辺にとどまったのも悪かったんじゃないかな?
謀反だから援軍来る可能性はゼロに近いし
黙って待ってても四方から攻め込まれるのは目に見えている
なら、信長の敵対勢力である毛利や、長宗我部に保護を求めて
進軍するのも一つの手だったかも知れないぞ
秀吉が大返しして来る前に秀吉の所に攻め込めばいいね、その後は毛利と合流や
0199人間七七四年2012/01/02(月) 00:57:09.51ID:cUKyykDx
>>198
勝家を警戒してたのかも。
02002012/01/02(月) 01:08:33.26ID:2zRsVnVK
とどまっててもいづれ北から柴田、西が秀吉、東から家康が
攻め込んで来るの分かってるのに
のんびり京都で身を構えてても不利になるだけなのにな
毛利か、長宗我部と合流するのを考えた方がいいだろうに
0201人間七七四年2012/01/02(月) 08:36:22.84ID:NCBGxDXr
毛利と連携すれば秀吉は姫路から動けない。
家康とは和議を結ぶだろう。
柴田ぐらいは勝てる自信あったろうし。
時がたてばたつほど日和見が味方になるだろうし
なんと言っても朝廷と連絡がついてるのが大きい。
京にいれば家康が攻めてきても「京守護」みたいな
勅をもらっておけば市中には攻めてこれないだろう
さすがに。
だから光秀がそんなに成算が無いとか
ノイローゼとかひどい状況だったとも思えないとこはある。
秀吉だけが想定外の異常のおったまげた猿だったと。
0202人間七七四年2012/01/02(月) 09:27:06.32ID:0U7GfIJg
そういえば安土城も抑えたし、秀吉のいない北近江もとっちまった
首都の京を中心に、信長王国の中心部をあっという間に制圧した感じ
秀吉軍を撃退すれば恐らく明智政権が出来てたかもしれない・・・
0203人間七七四年2012/01/02(月) 13:52:23.61ID:oVkgxBzP
それにしても、光秀は、謀反の計画を立てるときに、安土城をこれほど簡単に奪取できると見込んだのだろうか。
見込んだとすれば、その根拠は?
見込めないとすれば(安土城兵が逃げ出さないとすれば)信長を倒した後、安土城の城攻めを想定していたのか? これは容易なことではない。
ここが良く分からない。
0204人間七七四年2012/01/02(月) 14:25:19.07ID:X1NMAsFN
ゲームじゃあるまいし有事じゃないのに安土城に軍などいない。
信長信忠を討てば安土城を落とすのもたやすいと考えたのだろう。
実際京に近い近江坂本は明智領、近江の動向をつかむのも早いはず。

あとは普通にいけば秀吉は毛利と、勝家は上杉と対峙、旧信忠軍団、新興信孝軍団は瓦解すると考えたし概ねその通りになった。
実際光秀も近江方面に兵を備え柴田勝家、織田信雄、旧信忠軍団の動きを把握できるようにしている。
0205人間七七四年2012/01/02(月) 15:52:03.23ID:oTPlGtb1
「有事」そのものですよ。
信長の一報(一左右)で備中に出陣する直轄軍が、安土城やその周囲にいたことになっている。
02062012/01/02(月) 16:24:07.53ID:BRPtVLR9
毛利を相手にしてるから秀吉は動けないって?
そこが甘いんだよなぁ、すぐには動けなくてもいづれ動いて来るのは
目に見えてるのに、北から柴田、西から秀吉、東から家康が攻めかかれば
苦戦するのは必至
上杉が相手してるから、毛利が相手してるから動けない、と結論づけるのは安易なんだよな
3方から攻められたらまず勝てない
毛利か、長宗我部方面に進軍した方が面白くなったと思うね
0207人間七七四年2012/01/02(月) 16:26:41.42ID:JLKpsioa
と、自称軍略の天才が申しております
02082012/01/02(月) 16:26:42.62ID:BRPtVLR9
京都を制圧した後、毛利と合流を目指して中国方面に進軍
そこで秀吉軍団を挟み撃ちにして撃破、毛利と同盟を結んで
京に戻ればいい
02092012/01/02(月) 16:31:15.93ID:BRPtVLR9
京都にとどまれば、3方から攻められる危険があるんだぜ?
それを逃れる為にも中国方面に進軍するのは利益がある
中国方面に進軍すれば敵は秀吉一個師団のみ
敵対中の毛利と挟み撃ちにすれば撃破の可能性は高い
毛利にとっても逆転の好機到来だ、光秀の処遇は秀吉を撃破したあと考えればよい
京都はほったらかしにしてても問題ないだろ、京を離れた隙に柴田か家康に占領を許しても
秀吉を撃破した後、毛利と合流して決戦に臨めばよい
3方から敵に攻め込まれる京都在留よりよっぽど勝機はあるさね
02102012/01/02(月) 16:37:21.35ID:BRPtVLR9
と、どうせやるならここまで動いて欲しかったな明智のみっちゃん
例え史実で山崎の戦いで秀吉相手に善戦しても(撃破は出来ないと思う)
時間が経過すれば北から柴田がやってくるんだぜ?
東から家康が来る、挟み撃ちにされてお終いだよ、3方から攻められたら勝ち目は無い
秀吉撃破のついでに毛利と合流を目指すのはいい手だと思うんだけどな
02112012/01/02(月) 16:46:58.99ID:BRPtVLR9
長宗我部じゃ役不足だしな
毛利と合流以外にいい手はないな
後は籠城かw
安土城籠城でもするか?
02122012/01/02(月) 16:53:54.65ID:BRPtVLR9
惟任日向守ってかっこいいよね、なんか言葉の響きが
明智のみっちゃんってどんな人だったの?
人物像がイマイチピンと来ない家康は狸だけど
信長、秀吉、家康はピンと来るけど光秀の人物像はピンと来ない
大人しい人だったのかな?目立たない感じがするんだけど
武将としての実績は凄いものがあるし
でも地味なのが不思議
0213人間七七四年2012/01/02(月) 19:03:33.88ID:zYSFb9Jv
三七信孝、惟任長秀に合流しなかった筒井順慶、いち早く落飾したものの形勢をうかがっていた長岡父子からもわかるように、
惟任、羽柴、柴田の割拠と見た連中も少なくなかった。
0214人間七七四年2012/01/02(月) 20:58:15.06ID:2KzMlT/m

そこで迷探偵「浅井江」が活躍がはじまる。
幼いながらも伯父殺しの犯人を捜しに乗り出す。
まず最初はアリバイがあり被害者とも見られた徳川家康と伊賀越えに同行し家康を探る。
しかし確信が持てぬままにこんどは直接の下手人光秀を尋問する。
なおも疑問が解けぬうちに母の婚家にかこつけ勝家を探る。
それで最終的に最も怪しい秀吉の周囲を探ることになった。
そうこうしている内にようやく江は晩年に至りことの真相を知る。
それを語ったのが天海。
しかし天海は江がかって尋問し顔見知りの明智光秀ではなかった。

問  天海とは誰?
0215人間七七四年2012/01/02(月) 22:43:15.68ID:S6lEuFoL
>>214
続きをぜひw
0216人間七七四年2012/01/03(火) 15:46:02.92ID:2jXKIUh0
>>205
その信長が死んだからみんな逃げてしまったのでしょう
直轄軍もどき。光秀は安土城の中までよく知って軍がいないことを
知ってたろうから奪取は可能と思ってたんでしょ。
例え信忠がいたとしても美濃から攻めてくるのに安土あたりで
迎撃できるからこれは光秀有利じゃないかな。
叡山信者も多いだろうしね。
0217人間七七四年2012/01/03(火) 15:54:14.88ID:2jXKIUh0
光秀に対抗するのは柴田ぐらいだろうが
このぐらいは勝たないとどうしようもない。
家康はいったん軍は出したがそこまで長期で光秀と
戦う気があったかどうか。長期化すれば東がこわい。

光秀は、毛利、四国で三方囲めば秀吉はなんとか
なると思っただろう。

光秀ー家康が講和して美濃は光秀、尾張は徳川、と
こうなるのが普通の想定じゃないのかな。
家康は信濃、駿河、尾張の支配で満足だろうし、毛利四国は
自陣安堵さえしてもらえれば拡大には動かないだろう。
そうすると光秀は近江、京、美濃制覇で新幕府設立の可能性すらある。

年からいってこのあたりで光秀は死ぬだろうからあとは
やっぱり徳川が幕府解説かな。
なんか面白くないが。
0218人間七七四年2012/01/03(火) 20:32:08.09ID:FtSiNovc
山城、近江、美濃を制圧し、安土城の財宝も手に入ったが、急に兵力を増やすことができなかったのが悔やまれる。あと、占領地警備のため、兵を散らし過ぎた。 羽柴が尼崎まで参着した時点で、斉藤利三が建言したように、近江に撤兵して形勢を窺ったほうがよかった。
0219人間七七四年2012/01/03(火) 22:14:46.67ID:g38P4nxU
山崎の戦いでは惟任軍死傷者3000人、羽柴軍死傷者3300人。惟任軍はよく戦ったのである。
0220人間七七四年2012/01/03(火) 22:28:33.60ID:8I28AhyB
根拠無いんだろその数字
0221人間七七四年2012/01/03(火) 22:47:10.67ID:FtSiNovc
そんなことはない。「筧甚八印判状」「永松左兵衛訴陳状下文」にはきちんと数値の記載もある。
0222人間七七四年2012/01/03(火) 22:49:11.59ID:8I28AhyB
原田大二郎乙、中野誠也乙
0223赤垣伝兵衛2012/01/03(火) 23:09:59.62ID:FtSiNovc
分かっておったかwww
0224人間七七四年2012/01/03(火) 23:16:21.04ID:g38P4nxU
光秀決起の理由として、対長曾我部の窓口として同盟を推進してきたのにそれを翻し、
三七信孝、惟住長秀を大将として攻めることとし、なんの相談もなかった
のが不服だったからだと思います。
0225人間七七四年2012/01/04(水) 00:06:33.70ID:IDDWac5I
最近の漫画とかでは四国討伐封じ説が描かれてきているよね。
無くはないかも。
02262012/01/04(水) 02:44:27.95ID:C9mlvrcR
やっぱり信長って裏では家臣達に嫌われてたのかな?
明智も細川や筒井が味方になってくれる計算も建ててたみたいだし
そういうのって普段から信長に不満募らせてないと無いもんな
0227人間七七四年2012/01/04(水) 08:37:26.16ID:fQU5EqS3
初歩的な疑問をお聞きしてよろしいでしょうか?

そもそも明智光秀は優秀な武将なのでしょうか?
彼特有の武勇伝や政治活動は何がありますか?

丹波平定戦の事も信長に面目をほどこした、
などと周りの評価が下がり気味だったように感じられます。

あまり特筆されるほどの優秀な武将ではないのではないでしょうか?
0228人間七七四年2012/01/04(水) 11:31:51.36ID:GFh8xJ79
>>227
むむ たしかにいろんな説があるだろうけど、明智光秀は秀吉のライバルと言えるほどの
優秀な武将だったというのがよくある意見 光秀は凡将、というのは逆説、異説になるだろう
もちろんそれもおもしろいので研究を進めて欲しいものです
織田家における光秀の最大の功績は武装上洛作戦の成功じゃないでしょうか
織田家はあれで一気に首都圏をおさえ、戦国レースの単独トップに躍り出ました
ぜんぶ信長公の手柄になってますがあの作戦を立案、実行したのは光秀です
明智光秀は織田家を地方の大名から天下人にした武将だと思ってます
0229人間七七四年2012/01/04(水) 12:27:01.60ID:mKTmDHUx
>>226
嫌われてたというか わけわからん何しよんねんこのオッサン 気味悪がられてたんじゃないかに一票
0230人間七七四年2012/01/04(水) 13:03:35.01ID:xidYDTom
明智光秀は、敵に天王山が先に占領された状態でなぜ山崎の戦いにこだわったのだろうか。
0231人間七七四年2012/01/04(水) 18:48:28.41ID:VLAieHJm
自分も光秀は高く評価するなあ。
丹波平定を周りの評価が下がったというのは斬新な
とらえかただけどそれなら秀吉も信長もみんな
たいしたことなかったことになってしまう。

信長と義昭を結びつけたのは光秀だし
その信長を倒してるし、その間15年、ほぼ完璧に出世街道
まっしぐら。
しかも百韻読めるほどの学問までおさめてる。

秀吉と家康がバケモノだったので一番損な役回りになってしまったが
この両者以外では信玄謙信以上に天下に近づいたすごいやつだったかもしれない。
秀吉もだが30過ぎまで正体不明でそっから成り上がると言うのは
それだけででもすごいことだろなぁ。
0232人間七七四年2012/01/04(水) 21:16:10.38ID:8wu9zean
>>228
>ぜんぶ信長公の手柄になってますがあの作戦を立案、実行したのは光秀です
全く根拠が無いのに言い切りましたね
02332012/01/05(木) 00:08:32.43ID:+l3KIX3l
上洛と丹波平定くらいでは弱過ぎない?
家康と秀吉はもっと凄い事やったけど
0234人間七七四年2012/01/05(木) 00:12:57.16ID:G3qsM9I7
>>225
動機のひとつでも、おかしくはないわな
斉藤利三がいるわけだし
とゆうか、これも含めて光秀の単独犯だと思うが
0235人間七七四年2012/01/05(木) 00:50:22.58ID:KZTC6ULJ
辞書も明智五天王が揃ったよ
0236人間七七四年2012/01/05(木) 10:44:12.81ID:8l7aJsaV

もっと光秀どんを評価しなけりゃな。
例えば四国攻めだってあれは光秀どんが計画し信長に薦めた。
光秀どんは面子がどうのということはない現実的理想家だった。
しかし光秀どんにも欠陥はある。
あまりに先を見すぎて斉藤利三の不満を軽視し利三の単独犯行を招いてしまった。
本能寺に第三の馬揃えために駆け付けた光秀はすべてが終わったことを知った。

        是非二及バズ

この時の光秀どんの心境をまるまるパクリをしたのが大田牛一。
光秀どんの短いが、しかし本当の「本能寺の変」がこれから始まった。
0237人間七七四年2012/01/05(木) 12:05:46.22ID:Coj05OML
仮にも信長を殺して織田家臣を崖っぷちに追い込んだのは完全に評価モノ
信玄謙信を差し置き表舞台に出てきているあたり完全にこいつらより上
0238人間七七四年2012/01/05(木) 18:10:34.85ID:e1LI/Rba
>>230
日和見系たちが全部秀吉につくとは想定外だったんだろう。
筒井は当日まで悩んでるぐらいだし。
秀吉に味方したのは、能力、ではなくて単に「若さ」だったのでは
ないかとも思う。もちろん、お金、もあるだろうし。

敵討ちとか忠臣とかそういう観点から見ると光秀が悪者に
なってしまうけど、信長にうらみのあるのも多いだろうから
もっと味方が増えると思ったのに秀吉の方にそれがついてしまう
とは「オレって猿以下・・?」とかなり悲しかったろうな。
0239人間七七四年2012/01/05(木) 18:40:11.71ID:1BHz/InW
やはり近江に撤兵して形勢を見るということがどうしても我慢できず、
何が何でも西京の水際で羽柴秀吉軍を阻止したいと考えたのであろうか。
0240人間七七四年2012/01/05(木) 20:25:28.27ID:KZTC6ULJ
しかし兵力も名分も、筒井順慶、長岡父子との合体がならないと整わないわけだから、それができない以上、近江に引き、割拠経営こそ惟任光秀のとるべき道であった
0241人間七七四年2012/01/05(木) 21:07:17.29ID:/94PK3gp
また籠城話か?
後詰がなければ自滅するだけだと言われているのに。
0242人間七七四年2012/01/05(木) 22:22:37.42ID:KZTC6ULJ
山崎の戦いでは惟任側の鉄砲が湿気って使えなかったってマジ?
0243ソリマチ2012/01/06(金) 00:46:28.91ID:7a3U3ZSB
デアルカ光秀ェ
0244人間七七四年2012/01/07(土) 22:37:29.43ID:VKiDYCi4
フロイスの『日本史』は、光秀が摂津あたりの大名から人質を取らなかったことが
敗因、というようなことを書いています。順慶だけでなく、池田、高山、中川はじ
め、優勢な方に付く姿勢でいたことは間違いなさそうです。毅然として光秀の誘い
を蹴ったことになっている細川も、毅然どころか、逃げ道を残しています。
勝家と家康について。
勝家は、後になってわかることですが、光秀を挟撃する余裕など無かったはずです。
変から2週間以上経って近江に出てきたとき、佐々、佐久間、前田は北陸を動けず
おいてきています(上杉、および畠山旧臣の反乱、一向一揆などへの対応のため)。
しかも、このとき、5日前明智が倒れたことを知らなかったといいます。勝家は、
ほとんど有力与力も連れず、近江がどうなっているかも分からず(明智が支配して
いると思っている。それがどこまで拡大したか分からない)、手探りで近江に出て
きたのです。勝算のおぼつかない悲壮な出陣でなかったはずがありません。ドラマ
では、このとき、勝家が「仇討ちレース」に破れて「サルに先を越されたか」と悔
しがることになっていますが、お笑いとしか思えません。明智が倒れたと聞いて、
勝家陣営は喜びの声が上がったに違いないはずです。
家康が仇討ちレースの1人というのも眉唾です。織田家臣ではない家康にとって、
「仇」を討っても、確実に手に出来るものなどありません。家康が「確実」なもの
として狙ったのは、喉から手が出るほど欲しい尾張(またはその一部)のはずです。
家康が出陣した鳴海は、今川義元が尾張攻略の拠点としたところです。秀吉が恫喝
をかけて追い返しましたが(重臣会議を岐阜でなく尾張で行ったのも、家康への警
戒から尾張を空けたくなかったのが理由の一つと考えられます)。
後から見ての結果論ですが、短期的には、やはり京畿の武将の取り合いが、勝負所
であったと思われます。
0245人間七七四年2012/01/08(日) 09:25:22.80ID:1n5H2YAV
> 家康が出陣した鳴海は、今川義元が尾張攻略の拠点としたところです。秀吉が恫喝
> をかけて追い返しましたが

それ何の史料に載ってるの?
0246人間七七四年2012/01/08(日) 16:07:51.40ID:3sW9HeRg
どっかの電波ブログのコピペだろ。
0247人間七七四年2012/01/08(日) 20:58:28.90ID:i8bc7Gfh
春日局黒幕説なんてのもあったな。
0248人間七七四年2012/01/09(月) 03:34:11.74ID:yU8pxm5r
本能寺の変時点でのお福の年齢を踏まえてからものを言え
0249人間七七四年2012/01/09(月) 03:35:01.84ID:pxr1B8HE
>>245 家康が出陣した鳴海は、今川義元が尾張攻略の拠点としたところです。秀吉
が恫喝をかけて追い返しましたが

>それ何の史料に載ってるの?

この部分は、その位置や解釈は当然論点になるとしても、史実評価については、そ
れほど評価が別れないのではないかと思い記憶でかいています。もし、ここも別の
見解があるなら、すぐには取りかかれないものの、調べてみます。
わたしの理解は以下です。
「鳴海」が今川方の進出拠点であったことについては、『信長公記』や、桶狭間合
戦についての様々な解説で、それほど違いがないように思います。今川方の鳴海砦
と、それに対する信長方の付城とが対峙している状況があって、そこに今川軍が接
近してきたという状況だったと記憶しています。
秀吉が家康を追い返したというのは、確かに「追い返し」のところは強調ですが、
これも、一般的な見解ではなかったでしょうか。
また、これが違っていて、家康が自分から帰った(?)とすれば、史実は違うこと
になります。ただし、この場合も、わたしがここでのポイントに置いた「仇討ちレ
ースはなかった」こととはあまり関係しないのではないでしょうか。明智が倒れた
のでお帰り願うようにと織田方=秀吉方が勧めた(あるいは強要した)か、家康が
諦めて自分から帰ったのかは、仇討レースだとしても、尾張侵攻だとしても、どち
らの場合でも、双方ありうることだからです。なお、家康はすぐには引き上げず、
すこしぐずぐずしていたと記憶していました。

>>246さんは、鳴海砦や織田=秀吉方の動きについて、これとは違う、別の「史実」
を把握しておられるのでしょう。
出して貰うと有益です。


0250人間七七四年2012/01/09(月) 11:24:09.94ID:w8THOsU0
>>249
横だが、恫喝、の部分に問題があるんだろう。
お互いの立場を考慮すると秀吉が「追い返した」というのは
強調よりも誤謬に近いぐらいかもしれない。
後は織田家中のことなのでどうかお引き取りください、って
とこだろう。
秀吉がすぐに徳川の行動を把握考慮してたのはさすがだが
それを「追い返す」というのも少し結果論と感情入ってるし
そこから「恫喝」とかに結びつけるのも行きすぎと言うかね。

事実としては、鳴海説と熱田説がある、家康はいったん岡崎に戻り
そこから浜松へ、と若干様子見の姿勢を見せた、とこのあたりは普通か。
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