自称子孫本説への反論は藤本が洋泉社の新書でやってるから、
そっちを読んでくれ。おおむね妥当だと思う。
自分なりの疑問を書くと、この説では光秀は単なる謀反人ではなく、
家康を救った恩人ということになる。
なのになぜ、光秀は江戸時代ずっと謀反人として誹謗され続けるんだ?
家康は天下を取ったあと、「光秀は謀反人ではなく、自分を救ってくれた
恩人」だとなぜ言わないんだ?
織田家はもう衰えてるんだし、「信長が同盟を破って家康を殺そうとしたから
天罰が当たって家臣に殺された」と発表しても何の問題もない。
家康は恩人の光秀の名誉回復もしようとせず、江戸時代光秀はずっと謀反人と
して誹謗されている。
また江戸時代の書物にも、「信長が家康を殺そうと企んだ」とあるのを
聞いたことがない。
この説が事実なら江戸時代の書物の一つにそのことが書かれててもいいはずだし、
光秀は謀反人どころか、神君家康の恩人として顕彰されてもおかしくない。
これはいったいなぜ?