>>971この津軽のハットリくんは、のび太ならぬ3代藩主・信義の大ぼらの
尻拭いをさせられたことがある。

江戸城年賀で「金沢城の六尺太鼓は日本一」と聞いた津軽信義は「弘前では
その程度は子供の玩具。城内には十尺に余る太鼓がある」と口走ってしまう。
居合わせた諸大名が「されば雪解けを待って見届け役を送ろう」と衆議一決
したため、焦った信義は国元へ早馬を走らせた。

「何とかしてよ、ハットリくん」「またでござるか、ノブヨシ氏」。

服部康成は急いで大太鼓を作らせ、春に間に合わせた。弘前入りした検使は
大太鼓の現物を見届けて、唖然としながら帰って行ったという。

4代藩主・信政はこの大太鼓を本所上屋敷に運び込み、隅田川を越えて響き
渡る轟音は江戸名物になった(弘果という地元企業のHPより)。

今でも夏の弘前ねぷた&青森ねぶた祭では、打ち手の背丈より大きい太鼓が、
山車とともに市街を巡行します。