戦国ちょっといい話28
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0001人間七七四年
2011/08/04(木) 21:20:45.23ID:gjgsfj31戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話27
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1307622844/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話27
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1310476690/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0403人間七七四年
2011/09/02(金) 12:28:49.28ID:RpXRtaE/あの場合は、永井の取った行動も最もな事だし仕方ないと思うけどなw
冷静になって、あれは自分を呼んだのではなく井伊万千代の事だったと気付いたはずだが
その後に権現様に直次殿からの貰い首と正直に言って褒められたエピも良い
0404人間七七四年
2011/09/02(金) 16:17:33.80ID:J6MLLiZh覇王の家をして読み返したけど、何故あんなに永井に厳しいんだろ
永井も家康に正直に事情を話したと文中に書いてるくせに
他人に想われ慣れた者の厚かましさとか
首を討ったのは確かなのに
譲り受けていわばけろりとしていたなんて書いたり。
逆に直政に対しては
その美貌は婦人にも稀なほどとか想い人のように好意的w
家康との衆道も、徳川家のみならず
町人まで知ってる事実とか断定しちゃってる
0408人間七七四年
2011/09/02(金) 18:41:10.75ID:C9EFOOU5エッセイ等よめばよく分かるが、
司馬は「欲深い人間」が死ぬほど嫌いなんだよ。
金銭欲、名誉欲、領土欲等を人一倍持ってると司馬に判断された人間は糞みそに悪く書かれちゃう。
反対に、司馬がヒーローを書く時は、多少無理があっても
「無欲で、自分の力を試したい・公平な世の中を作りたいという原動力で生きた人」として作っちゃうわけ。
だから、大封を得ても質素な生活を貫いた井伊直政には甘いし、
黒田官兵衛なんか暗黒面のエピソードを完全にスルーして「無欲で明るいクワンピョウエ」なんて無理あり過ぎる美化をしちゃうw
0409人間七七四年
2011/09/02(金) 18:46:11.15ID:DmRk64ggこの要素で真っ先に思い浮かぶのは太閤殿下だなw
0410人間七七四年
2011/09/02(金) 18:47:16.72ID:64WNbTQ70411人間七七四年
2011/09/02(金) 19:17:24.29ID:p64izSXP良くも悪くも
0412人間七七四年
2011/09/02(金) 20:00:55.44ID:xNNneUWv0415人間七七四年
2011/09/02(金) 20:38:42.36ID:9cpoU8IS0416人間七七四年
2011/09/03(土) 03:01:52.54ID:C6/r1ovK声を上げた。これを聞いた又兵衛は
「味方が負けた。救援せねば」と発言した。
共にいた黒田長政から
「何故そんな事が判るのだ?」と尋ねられると、
「声が次第に近づいてくるのが退却している証拠です。」と説明し、
遠方の戦場から立ち上がる砂ぼこリを見て、
「迫る敵が立てるほこりは向こうからこちらへかけて黒々と見え、逃げる際のほこりは
遠くなるので白く見えるものです。あれに見えるほこりは白いので敵の敗北でしょう。」
と語った事もあり、いずれもその通りだったという。また、朝鮮軍の拠点である晋州城を攻める際、
加藤清正と共に厚い板で防御を固めた「亀甲車」という戦車を開発。これに自ら乗り込んで城を攻撃し、勝利に貢献したという。
0417人間七七四年
2011/09/03(土) 04:43:38.35ID:uKuLvphp0419人間七七四年
2011/09/03(土) 05:48:37.75ID:uKuLvphp0420人間七七四年
2011/09/03(土) 05:53:26.66ID:JKEKkIT40421人間七七四年
2011/09/03(土) 06:24:00.62ID:zIE4mU9e0422人間七七四年
2011/09/03(土) 06:25:34.81ID:uKuLvphp0423人間七七四年
2011/09/03(土) 06:47:02.13ID:fSOJRertそのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0424人間七七四年
2011/09/03(土) 06:54:26.59ID:uKuLvphp0426人間七七四年
2011/09/03(土) 07:43:03.02ID:uKuLvphp0427人間七七四年
2011/09/03(土) 07:52:30.63ID:XKWm4KLahttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0428人間七七四年
2011/09/03(土) 08:03:59.75ID:81XZEsGI0429人間七七四年
2011/09/03(土) 08:09:28.85ID:uKuLvphpそれなら電波だよね。歴史的に。
0430人間七七四年
2011/09/03(土) 08:18:09.32ID:fhSR0+ix最上家とか創作多すぎだろ
0431人間七七四年
2011/09/03(土) 08:21:11.59ID:XKWm4KLa0433人間七七四年
2011/09/03(土) 08:50:56.54ID:DIJ4yLYf「又作大櫃以藏兵, 下爲四輪車, 賊數十人着鐵甲, 擁鐵楯, 推車薄城, 以大鐵錐鑿城」と
それらしき記述があったり。
0436人間七七四年
2011/09/03(土) 09:17:35.42ID:u7NiVGto0438人間七七四年
2011/09/03(土) 11:11:08.55ID:GemYUzuB以前見た長宗我部の歴史本とかでもマンマ使われてたのも見た事ある。
皆さんがどれだけ歴史本とかに目を通してるか分からないけど
ああ言う歴史本の編集者が労力をかけずに武将の逸話を簡単に見れる所がここだから
自分が興味がある戦国武将でしか見てないから他の武将とかは解らないが
かなりの確率で文体とかニュアンスを変えたりして利用されてるよ、ここ
編集側からしたらこれほど旨い場所はないよ、勝手に逸話が量産されてくるんだから
417とかじゃないけど俺も提示出来るのなら出した方がいいと思う。
それが思い出せないとか難しかったなら『確か○○で見た』とかでもいいと思う
0439人間七七四年
2011/09/03(土) 11:40:29.79ID:IugRXrva提示がなくてもよし、あればなお良し
現状通りで何の問題もない
というかそこらへんはっきりし過ぎると場合によっては著作権で問題になりそう
0440人間七七四年
2011/09/03(土) 11:50:33.57ID:7TwTTPuz0441人間七七四年
2011/09/03(土) 12:27:56.32ID:GemYUzuB問題なのはそういった歴史本編集側が
ここのソースが不明なものを平然と載せるのが問題だし
それにその逸話の出所を知ってる人は<<431みたいに何らかのフォローが入るしね。
このスレがそういった関係者に悪用されてる事は周知しておいた方がいいと思う。
0442人間七七四年
2011/09/03(土) 13:14:39.18ID:kDYAdMJQ妄想や小説書き連ねた物でしょ
0444人間七七四年
2011/09/03(土) 13:44:22.49ID:uVeW1VoF三流歴史ネタ本ってそういうもんだし
普通のねらーならそこらへんは織り込み済みで書き込んでると思うよ?
0445人間七七四年
2011/09/03(土) 15:22:04.52ID:IugRXrva古文書とかなら大丈夫だけど、編集物や研究書にも著作権はあるから面倒くさいんだよ
言ってしまえばこのスレのネタの数々にも著作権は発生してる、権利者を特定できないだけでね
戦国武将の迷言みたいな新書なり文庫からネタを引っ張ってきたとして、
その本の著作権者が意義を申し立てたら場合によっては対応しなければならない可能性もある
本当に安全だと言えるのは、著作者(編集物の編集者)が死んでから五十年たったものだけ
日本ゆえにそこまで問題にはならないだろうけれど、
あんまりこれだ、と明言しまくるのは余計なトラブルを招くだけだと思う
とはいえ諸々の理由でネタ元を明かしたい人だっているだろうから、
現状維持を支持する
0446人間七七四年
2011/09/03(土) 17:24:17.98ID:Chp/OXCx0447人間七七四年
2011/09/03(土) 19:25:23.32ID:XotMuuQvというかむしろここで罠でウソ書いて採用されるというのも面白いくらいだが
さすがに一般読者に迷惑かかるから良くないな。
数年前に某ネトゲの検証記事でファミ通がそれやらかして軽く祭になったっけ。
0448人間七七四年
2011/09/03(土) 22:58:02.58ID:9ENzCk8Jそもそも、コンビニで売られてるような本は
昔の本の焼き直しってのが多いよ。もちろん出版社は違うわけで・・・
けっこう出版界ってそんなもの。
ネットだからって盗作されている訳じゃない。盗作の材料にネットが増えただけ。
0449人間七七四年
2011/09/03(土) 23:02:27.27ID:Ifk51JxEそれが問題だ。
0450人間七七四年
2011/09/03(土) 23:56:16.80ID:v3hUVUgJ0451人間七七四年
2011/09/04(日) 00:51:22.58ID:wv0cFwbX同意。
昔細川忠興公の逸話を
書き込んだ事があるが、
元ネタは、Googleで検索して
「おっ、まだ書かれてないし
スレが盛り上がるかもだし
とりあえず書いてみっか」
という考えで逸話書いたし
細かい事気にせず
逸話を楽しめる現状の形でいいかと。
0452人間七七四年
2011/09/04(日) 04:31:52.84ID:Pg3N7EMeそこら辺は皆わかってワイワイやってるのがこのスレの良い所だもんな
DQN四天王だって為政者としては立派な人達だってわかった上で皆ネタにしてんだしね
0453人間七七四年
2011/09/04(日) 06:27:02.91ID:i2lD06Jt0454人間七七四年
2011/09/04(日) 10:34:01.23ID:BZvGkTZFあくまでも逸話を紹介するスレなんだから
0455人間七七四年
2011/09/04(日) 11:00:24.56ID:WYjtFUz00456人間七七四年
2011/09/04(日) 11:13:14.45ID:i0k4tUol0457人間七七四年
2011/09/04(日) 11:19:04.78ID:XCrDs8dV終始2ちゃん語で語られると読み難くくてしかたない
あと台詞調の語りも書き手の自慰臭が激しすぎるときが多いよね〜
0459人間七七四年
2011/09/04(日) 11:44:01.08ID:WYjtFUz00460人間七七四年
2011/09/04(日) 11:45:22.40ID:alSrCokmでもまーくんは優秀な部分はすっかり忘れてて単なるDQNになってたけど
この間の大震災でいろいろまーくん作の防災対策がいくつか出てて思い出した。
0461人間七七四年
2011/09/04(日) 12:29:51.13ID:UuF0Kzeqこの度の津波で、ぎりぎり来なかった境目にいくつが神社が建てられていて
調べてみたら、ちょうど綺麗に連なっているんだよね びっくりした
慶長三陸地震で発生した津波や、貞観年津波などで学習して作ったんだろうと知って感動した
0462人間七七四年
2011/09/04(日) 14:54:25.92ID:zfplFunb大阪冬の陣の事。慶長19年(1614)12月16日、幕府軍による備前島からの大筒の攻撃で、砲弾が大阪城本丸の
淀殿の居間の櫓を打ち壊し、侍女数名が即死するという事態に至った。
これに恐怖した淀殿は秀頼に和議を勧めた。だが秀頼は強い難色を示し、結論は出ない。
そこで大野治長は大広間に組頭以上の者たちを集め、この事を協議させた。
と、ここで進み出て声を上げたのが後藤又兵衛基次である。彼はいう
「もし近い内に徳川軍の総攻めが行われれば、我々牢人衆は討ち死にするでしょう。
同じく、仮に和議になっても、籠城している我々牢人衆は責任を取り腹を切らされるでしょう。
だが討死も切腹も、どちらであっても豊臣家のお役に立って死ぬ、名誉あることことなので、
この点を心配することはありません。
秀頼様は、和議後の牢人衆の立場がどうなるかが心配で、これに反対しておられるのでしょうが、以上の理由により
その心配は無用なのです。
私としてはむしろ、家康の身の安全を願うばかりです。」
最後の言葉は、主戦派の将軍秀忠と違い和議を進めようとしている家康に何かあれば講和は成立し得ない、
なので和議が纏まるまで家康の無事を祈っているのだ、ということだろうか。
これに賛同者も出て、治長はこの意見を淀殿に申し上げ検討したそうである。
(慶長見聞記)
0463人間七七四年
2011/09/04(日) 20:21:53.74ID:UU7jyu51永禄六年(1563年)七月、将軍家の仲裁によって毛利と大友の和睦が成立し、
毛利隆元が防州から出雲へと向かう途上のこと。
隆元は途中、厳島に滞在していた聖護院道増(将軍・足利義輝の使者)に挨拶した。
「長いこと防府に駐屯してたので、愚父・元就にずっと会っておらぬのですよ。
日に日に老い、さぞ疲れも溜まっていることだろうと心配しておりましたが、
将軍様の調停で大友との和睦が成立したので、
やっと父に会いに行くことができて、最高に嬉しく思っています。
大友征伐が完遂できなかったのは本意ではありませんが、
ともあれ、父に会えるのは喜びのきわみでございます」
さらに数日後、吉田郡山の麓に到着した。
帰城して4、5日なりとも休息をとってから出立しましょうと言う家臣に、隆元、
「長らく父上のお顔を見ていないのだから、大友と和睦がなったうえは、
できるだけ急いで父上のもとに見参すべきだ!
父上はこの六・七年ほど、出雲の大敵・尼子に対峙して、
お眠りになるにも席をお空けにならず、食事をなさるにも味をお忘れになるほど、
心身を削っていらっしゃるのだ。
それなのに子の私が、一人だけ楽をするために家に帰ろうなど、
不孝もはなはだしく、天に顔向けできることではない!」
と言って目の前の家城には立ち寄りもせず、一路出雲を目指した。
人々は口々に隆元の孝心を賞賛したそうな。
大友征伐に意外にもイケイケだった隆元。
どんだけ父ちゃんが恋しいねん、というお話。
まあ、会う前に死んじゃうんですけどね。
0464人間七七四年
2011/09/04(日) 20:35:01.98ID:UuF0Kzeq隆元本当にお父さん大好きなんだなあ…尊敬しているというよりお父さん子な印象だ
大友征伐したかったとか、さらっと物騒なこと言ってるが、やはり隆元も戦国時代の人間なんだな
>>まあ、会う前に死んじゃうんですけどね。
何たる悲劇…
0465人間七七四年
2011/09/04(日) 20:36:18.72ID:JRaYkgNT文禄の役が終わった頃の話。
天草のセミナリオに1人の男がやってきた。
男は自分の故郷の田舎に教会を建て、そこで一生をデウスの教えのために捧げたいのだと言う。
宣教師が理由を尋ねると、男は「デウスは驚くべき異常な方法で自分の命を救ってくださったからだ」と言った
男の語るところによると――
彼は朝鮮で重病にかかり、周囲の者たちから見捨てられていた。
折からの兵糧不足により食べる物もなかったので、男はなんと、懐に入れてあったロザリオを食べて飢えをしのいだ。
これが効いたのかはまったく分からないが、男は数日間生き延び、病状は回復し、日本に帰ってくることができた……と、フロイス日本史は伝えている。
0466人間七七四年
2011/09/04(日) 20:46:34.91ID:mMDiDCCN0467人間七七四年
2011/09/04(日) 20:48:35.45ID:AP2omeEr0468人間七七四年
2011/09/04(日) 20:54:37.77ID:trfjbcS80469人間七七四年
2011/09/04(日) 21:00:51.39ID:DBIsXMPf革でできていたのか?
0470人間七七四年
2011/09/04(日) 21:04:56.28ID:alSrCokm0471人間七七四年
2011/09/04(日) 22:50:54.38ID:s89fuxTgしかし出典がフロイスか
0472人間七七四年
2011/09/04(日) 23:32:28.80ID:qW//eUqF0473人間七七四年
2011/09/05(月) 00:02:50.96ID:g/4LWtxw0474人間七七四年
2011/09/05(月) 00:21:13.99ID:nklGYT/Qこの時期にそれが日本に伝わってたかは怪しいけど
0475人間七七四年
2011/09/05(月) 00:57:26.45ID:5szuz5Tr0476人間七七四年
2011/09/05(月) 02:55:52.58ID:lyIP4fpg0477人間七七四年
2011/09/05(月) 02:57:56.02ID:67lIseDQ0478人間七七四年
2011/09/05(月) 03:37:17.43ID:tyky81fe2chなんてほとんどが書き手の自慰行為だろ
ニュー速の話だが、歴史スレで三成ageのレスを連投しまくってた2,3人が全員(大阪府)だったしなw
ここだって一部の詳しい人間を除いたら大して変わらん
信者がエピ書いてアンチがちゃちゃ入れまくってるだけだからなw
0480人間七七四年
2011/09/05(月) 03:57:10.62ID:HzJyI8Krまさか僧侶の数珠とかも?
0481人間七七四年
2011/09/05(月) 08:27:59.87ID:ijHiF5Ol0482人間七七四年
2011/09/05(月) 21:13:40.11ID:HzJyI8Krまさか巫女がお払いに使うのとかも?
0483人間七七四年
2011/09/05(月) 22:13:39.29ID:xZCj+Eth北条氏康の掟の話から
自分の領内を家臣達ともに視察しながら歩いていた氏康はある時、掟を書いた立て札を見つけます。
この立て札、民たちの悪事などを戒めるための掟を書いたものなのですが、周りを見回すとこういう掟を書いた立看板が行く所々で立っていて目立つので、ふと氏康は家臣たちに訪ねます。
氏康「なんで戒めの掟を書いた立て札がこんなに沢山立っているんだ?」
家臣「はい。それは最近、領民たちが悪事を働く事が多くなり、それを取り締まる回数が増えたためでございます。その為、掟を増やしたのです」
と家臣は理由を説明します。すると氏康は答えます。
氏康「バカモン!領民たちが悪事に手を染めるというのはよほどの理由があってのことだ。ましてや悪事を働ける程、領内は治安が悪いと言うことだ。それにそのような掟を出し続け、政を行うお上にも責任の一端があるということだ。」
「人はな、どうしてもやるなと言われた事はやりたくなる質な上に反発もするものなのだ。それに掟というのは多ければよいと言うものではない。多ければ行動に制約が出るうえに色々と我慢をせざるえないし、そしてそれら全て守るにはどうしても限度がある。」
「ならば、いっそ守るものは少ない方が民も自由が効く上に、反発も少なくて済む。それに掟を連続で出すということはそれだけ政がうまく行っていない事と同じなのだ。お上がだす掟というのは我らの政の能力を問われている部分でもあるのだ」
(原文はもう少し長かった上にうろ覚え気味だったので要約しました。スマソ)
これを聞いた家臣は一理あると納得して掟の数を減らしたのだという。
0484人間七七四年
2011/09/05(月) 22:22:03.62ID:XaMtUpvR後北条は規律に厳しい反面、こういうゆとりも持たせるんだね
そういや、誰かが久しぶりに小田原来た時立て札見て
「こんなに掟が多くなってるなんて 昔はこんなんじゃなかったのに」と嘆いた話なかったっけ?
0485人間七七四年
2011/09/05(月) 22:48:18.96ID:ijHiF5Ol御幣は今じゃ紙で作られてるけど元々はニワトコやクルミやマツの樹の皮で
作られてたから一年たったら古くなった御幣は煮て食うか燃やして処分
(厄災的な意味であまり作られた年に非常食にするのは宜しく無い)
0486人間七七四年
2011/09/05(月) 22:50:39.03ID:9dpStkQlそれはそうと御幣餅なら食えそうだ
0487人間七七四年
2011/09/06(火) 00:21:23.30ID:jT3E161sある日、秀吉はロレンソ了斎に冗談めかしてこう言った。
「側室を持つ事さえ許されるならキリシタンになるのもやぶさかではないんだがな」
「わかりました、許可しましょう。
殿は地獄に落ちるでしょうが、殿がキリシタンになれば他の多くの者もキリシタンになって、デウスに救われるでしょうから」
これを聞いた秀吉は、満足そうに大笑いしたという。
0488人間七七四年
2011/09/06(火) 00:44:47.37ID:dav9PBig0489人間七七四年
2011/09/06(火) 02:46:56.39ID:xlVS43IW一度でも殺すリストに入った奴らはちょっとした事でもアウトだけど
0490人間七七四年
2011/09/06(火) 03:27:00.71ID:LWDbcZgS古今東西を問わないんだろうなぁ。
0492人間七七四年
2011/09/06(火) 08:59:36.71ID:rmDO18Rz0493人間七七四年
2011/09/06(火) 13:34:29.14ID:KZlNvCnY赤松氏が禁教政策をとっており、その厳しさは、蓮如の跡を継いだ実如が
「総じて赤松と申す者は、御一宗に怨をなし、播磨一国の尼入道に念仏をさえ心安く申させぬ者にて候」
と嘆くほどであった。
そんな中、山科本願寺に何と赤松政則がやってきたのである。
実如は、敵対する大大名の当主の突然の訪問に驚きながらも、自らもてなしたのだが、政則は機嫌を損ねて帰っていった。
「???」
訳がわからなくなる実如。
「えっ?なんで怒って帰ったの?そもそも何をしに来てたの??」
真相を調べるとこうであった。
赤松政則は実如秘蔵の名馬「ちぢみ栗毛」を欲しており、何度も譲り渡しを申し入れたが埒があかず、ついに痺れを切らし、
かくなる上は自ら貰い受けに出向かん!と本願寺を訪れたのだった。
しかし、取次の下間上野があの馬は実如が大変大事にしているものであるから、渡すなんてことありえないだろうと判断して、
政則がこれを欲しがっていることも、直談判するためにやって来たことも、実如には一切伝えていなかったのだ。
これを知った実如は、下間の思慮の足りなさを叱り、
「播磨一国の尼入道が安心して念仏ができるようになるのであれば、名馬どころか、自分が売られても惜しいとは思わない。」
と、周囲の反対を押し切って政則に「ちぢみ栗毛」を進呈した。
名馬の効果は覿面で、播磨での禁教は解かれ、一向宗は大いに広まったが、名馬を手にした政則は間もなく病にかかり、命を落としてしまった。
(栄玄記)
0494人間七七四年
2011/09/06(火) 13:42:20.93ID:2IPCdcl90495人間七七四年
2011/09/06(火) 13:49:35.08ID:1GMLn5sr0497人間七七四年
2011/09/06(火) 18:10:23.27ID:3s40ZfNQ0498人間七七四年
2011/09/06(火) 18:17:38.80ID:1GMLn5sr結果的に偶然正則が死んだけど普通に『ちょっと』いい話でしょ
実如の対応はもちろん、正則にしたって和解のきっかけを求めてた政治的行動だろうし
余計な気を回した下間が空気読めなかったのがまずいだけ
0499人間七七四年
2011/09/06(火) 18:37:04.78ID:3s40ZfNQ額面通りに考えると口すら聞かない宿敵の馬を貰い受けようと
厚かましくも寺に乗り込んで手厚いもてなしを受けたが目的は達せず不機嫌で帰り
結局馬を送って和したものの(祟りで?)死んだって悪い話だろ・・。
出店の資料が本願寺の息がかかってる気がするけどw
0500人間七七四年
2011/09/06(火) 18:53:37.15ID:1GMLn5srそういう解釈でも成り立つからそれはそれでいいけど、少なくとも実如のいい話としては
成り立ってるんだからそんな目くじら立てんでもええがな
0502人間七七四年
2011/09/06(火) 19:40:11.32ID:vM+SORV5■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています