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戦国ちょっといい話28

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0001人間七七四年2011/08/04(木) 21:20:45.23ID:gjgsfj31
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0202人間七七四年2011/08/24(水) 08:25:35.19ID:03e9R+xW
>>201
微妙に時代が合わないかな?とはオレも思ったんだけど
秀忠に結構な厚遇で召抱えられた太田某という辺りは合ってるんじゃないかと

あの逸話が十代前半の少年の話だとしたら
相当のバカか大物かのどちらかだろうな
0203人間七七四年2011/08/24(水) 12:27:15.90ID:g2fxC7UO
その帯刀さんも1605年で2300石しかもらってなかったからなぁ。
秀忠はケチな家康と他の家臣に遠慮したのかも。
秀忠が500石と言って、家康が3000石と正せばどこからも文句は来ないだろうしな。

買いかぶりすぎだろうけど。
0204人間七七四年2011/08/24(水) 12:50:56.46ID:gHdvGeYG
俺様は若年とはいえお梶の甥なんだから、高禄で雇え!ってことなんじゃね?
0205人間七七四年2011/08/24(水) 12:56:03.43ID:FRXAyI5o
>>203
帯刀もすぐに加増されたけどね
しかも自分だけ家康の手違いで周りの半分しか貰えてなかったことに
文句の一つも言わずに黙っていたというところが、この人のいい所
0206人間七七四年2011/08/24(水) 13:42:46.31ID:mHjK+aWp
前から聞きたいと思ってたことがあるんだけどさ
政宗が死んだ時に家光が江戸、京都を巻き込んだものすごい服喪をやったじゃん
アレってどれぐらい凄いことか分かる人いる?

家康、秀忠は多分質素に済ませただろうけど、
例えばその後の将軍の葬式や天皇崩御の時はどうだったのか、とか
0207人間七七四年2011/08/24(水) 13:53:50.69ID:eG/ZbfIq
>>206
当時の評判に「秀忠の時と同じくらい」ってのがあったから、実際に秀忠の服喪に匹敵したかはともかく、
世間的に同等に見られたのは確かなのだろう。実質上の国葬だったのだろうね。

ただこれは、秀忠が死ぬ前に政宗に「家光のことを頼む」と遺言していて、家光も世間もその事を知っており、
政宗が家光の、一種の公的後見人だったことが大きいと思われる。
0208人間七七四年2011/08/24(水) 17:04:20.61ID:3LEPh/kC
秀忠って、位牌以外は新調するなと遺言で言っていたらしいけど
それでも物凄かったんだろうな
0209人間七七四年2011/08/24(水) 17:05:05.26ID:NQCPxybx
さすがに将軍だからな
それに家光って派手好きだし
0210人間七七四年2011/08/24(水) 17:20:14.22ID:3LEPh/kC
あと政宗がよっぽど好きだったんだろうと
お忍びでお見舞いに行くほどだし
0211人間七七四年2011/08/24(水) 17:35:27.13ID:f9UVLGRP
政宗もさすがに将軍相手にひどい無茶をしないだけの分別はあるし
家光にとっての政宗は、なんか他所ではワケの分からんこといろいろしてるらしいけど
目の前にいるこいつは楽しいおじいちゃんだな、って感じだろうか。
0212人間七七四年2011/08/24(水) 17:41:21.00ID:3LEPh/kC
でも政宗、秀忠に会いに行く約束してたのに
二日酔いだからと仮病使ってたりするじゃん
まあ、二日酔いのヘロヘロ状態で会いに行くのもそれはそれで失礼なんだろうけど
0213人間七七四年2011/08/24(水) 17:42:15.15ID:P/fM8fj+
家光の大好きな権現様の武勇伝を戦国の生き残りの政宗がリスペクトして
いろいろ聞かせてくれたからって感じかね、家光が政宗を贔屓したのって
0214人間七七四年2011/08/24(水) 20:07:34.85ID:w3TsDkLu
家光の「生まれながらの将軍」宣言は
政宗が進言したといわれているからな
0215人間七七四年2011/08/24(水) 21:11:19.80ID:Zmhm4+Ck
家光は年寄りの逸話好きで、まるでいい話スレ・悪い話スレ住人みたいな人だな
0216人間七七四年2011/08/24(水) 22:01:32.09ID:xstQA5jN
実際、激動の時代を生き抜いた人が近所にいたら
根掘り葉掘り聞きたくなるよな
0217人間七七四年2011/08/24(水) 22:12:54.06ID:3LEPh/kC
戦争を経験したおじいちゃんの話を聞く孫って感じか
0218人間七七四年2011/08/24(水) 22:13:25.15ID:mHjK+aWp
そっか、秀忠のはちゃんと大々的なのをやったんだ
苦労人なんだから遺言ぐらい聞いてやれよと思わないでもないがw
0219人間七七四年2011/08/24(水) 22:23:11.77ID:3LEPh/kC
でもやっぱり、二代目将軍の葬儀が質素なのは流石にアレだと思ったんだろう
生母の江も火葬で凄く豪華だったから尚更
0220人間七七四年2011/08/24(水) 23:12:07.17ID:f9UVLGRP
宋の華元が主君の文公が亡くなる時に遺言で厚葬を禁じたのにそれを破り
盛大に行って一部から批判されたなんてのもあるな。

殉死を禁じる遺言を破った例も結構あるし、この辺は自分の死の間際になっても
なお周囲を気遣うほどの主君だからこそ逆にそれは聞けないって感情もあるのかもしれない。

関係ないけど上の宋の主従で思い出した、この時代に宋が楚に攻められて首都包囲された時に
鳥居強右衛門とよく似た話があったよね。
勝頼の立場の楚の荘王は使者を殺さず許したというのが大きく違うけど、信玄や弟達
だったら教養あったからこの話も当然知ってただろうし強右衛門を殺すようなことはしなかった
だろうなあ、と思ったりする。
0221人間七七四年2011/08/25(木) 00:23:52.42ID:uY06rW9f
>>220
日本と中国は似ている部分も異なる部分もある
中国でそうしたからって必ずしも日本でも同じことをするのが美徳とは限らないでしょ

例えば、周公旦は人材を求めて人が訪れたときには食事の最中でも髪を結っている途中でも対応に出向いた
これは美徳とされている
ところが日本では平将門が藤原秀郷が訪れたときに同じことをやって、「こんな軽率な大将では大事は成せない」
と見限って敵に回ることになった、ここでは不徳とされているわけだ
0222人間七七四年2011/08/25(木) 00:30:14.69ID:p2OQSlW5
信玄の場合は鳥居さんに「援軍は来ない」なんて言わせずに
無言で鳥居さんのバラバラ死体を城の中に放り込んできそうなイメージ
0223人間七七四年2011/08/25(木) 07:37:47.01ID:5Fjze/9k
単に成功した人物の行いを「徳がある」とか「善」とし、
失敗した人間のしたことを「不徳」「悪しき行い」と言っているだけじゃないの
0224人間七七四年2011/08/25(木) 11:40:46.14ID:lesJgVgs
>>222
死体を見せて援軍なんて来ないと分からせれば開城したはずなのに
何で本人に言わせたんだろww
長篠城さえ落としてればあんな惨敗は避けられたのに・・・
0225人間七七四年2011/08/25(木) 12:06:27.04ID:zNErPRFN
だから勝頼さんなんだろ・・・
0226人間七七四年2011/08/25(木) 12:17:15.68ID:U/rq7m5G
死体みせても援軍が来るか来ないかは判断つかないからね
とはいえ、磔の状況で援軍は来ないと言っても素直に信じられないと思うが
0227人間七七四年2011/08/25(木) 12:28:27.81ID:4uu251es
勝頼「めんどくさい事で有名な三河者に
命乞いさせることに成功したら父を超えられる…!」
0228人間七七四年2011/08/25(木) 12:31:46.53ID:SKXQCTOn
本当に三河者なんだろうな・・・
0229人間七七四年2011/08/25(木) 14:10:14.87ID:prBPLEgH
コンビ誕生

栗山備後守利安と母里但馬守友信は、黒田如水が若い頃から側近くで使っていた。
その頃栗山は善助、母里は萬助と呼ばれていたが、如水は両人とも将来見どころのあると思い、
いつか取り立ててやろうと思った。が、問題がひとつ。もちろん母里萬助に、である。

母里萬助はいつも無分別に粗暴なことばかり言い廻り、人間として非常に問題があった
(萬助は無分別に荒き事のみ言廻り、大方人外の體なれば)
そのため朋輩たちもうんざりし、我慢も限界という状況であったそうだ。だいたい母里但馬という人は、
大人になり立身してからも、とんでもないやらかしが多かったのに、まして子供の頃なんてどれほどだったか、
想像がつくでしょう?(年たけ立身仕りてさへ、笑止なる事多し。まして童の時は、思ひやられたり)
とにかく黒田家の大問題児だったと言うことですね

さて一方の栗山善助だが、こちらは少年の頃からおとなしく、道理を良くわきまえ、日常の過ごし方も
年来の功者のようであった。
彼は15の頃から如水の側近くで使われていたが、その頃から何かことが起こった時に一言意見を
言わせてみても、聞くほどに優れた意見であったと言う。
こちらは黒田家の若き秀才でありエリートであったわけです。

こんな問題児と秀才の二人をある時、黒田如水が静かな場所へと呼び出した。そして彼らに言うには

「お前たち二人を取り立てたいと思うんだ。だからこれからは善助は兄、萬助は弟として、ほんの僅かなことでも
話しあって、お互い支えあうようにしてほしい。善助はおとなしくて、萬助はいたずらものだ。
萬助、今後見放すこと無く、兄として善助を引き立ててくれよ?」

そう言われて男気に感じたか、萬助は即座に承知をし畏まってこれを受けた。
と、そう簡単にこれを承知できないのが善助である。

「それはできません」「どうしてだ?」
これに栗山善助、秀才らしく理路整然と答える

「突然のお申し出ですが、私は自分一人の取り回しさえ満足に出来ていません。
そうであるのに兄として人の指南など、やって良い訳がありません。それ故、達てお断り申し上げます。」

如水、これを聞いて自分の目が間違っていないことを知った。
『ああ、かねてからこいつは自分の身の程を知っている人間だと思っていたが、ここまでしっかりしているとは。
これはどうしたって萬助の奴の兄になってもらわないと!』
そう思い善助に対し日を変え場所を変え、事あるごとに了承してくれるよう頼んだ。頼み込んだ。
これに善助もついに根負けし、これを承知した。すると如水は案文を調え誓紙を二枚書かせ、
1枚は善助、萬助の二人が交換し、残りの1枚ずつは「これは、後日の証文にしておくよ」と、如水が受け取った。

幾星霜の時が流れる。
黒田如水に死が近づいていた。

如水は、今や黒田家を支える重臣となった栗山備後、母里但馬の二人を密かに呼び出した。
そしてしみじみと言う

「お前たち、俺の指図に背かず今に至るまであの時の約束を守ってくれていること、ありがとう。
かえすがえすも嬉しいよ。
これからもお互い相談しながら筑前守(長政)を引き立ててやってくれ。」
そして2枚の紙を取り出し

「これはあの時の誓紙さ。本当なら今はもう返すべきだと思うのだが、最後まで約束を守ってくれた
頼もしい誓紙だからな、冥土まで持って行こうと思ってる。俺が死んだらさ、お守りとして棺の中に
入れておいてくれ。」

そう笑いながらそれを、大切そうに懐に中に入れたという。

栗山備後と母里但馬が義兄弟になったいきさつと、その後のことである。
(古郷物語)
0230人間七七四年2011/08/25(木) 19:10:49.98ID:idDN7PFP
>>221
その平将門と藤原秀郷の日本外史バージョンでは
髪を整えず飯を食いながらでむかえ、しかも、落ちた飯を自分で拾って食べた
おかげで藤原秀郷に見限られた、てことになっているが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4607.html
この話の老婆なら米を大事にしてくれた、と喜ぶかもしれん
0231人間七七四年2011/08/25(木) 19:44:19.29ID:kdpfwAcR
将門公の時代から三秒ルールがあったのかもしれないな
0232人間七七四年2011/08/25(木) 20:16:30.09ID:4EXmYpDS
都人目線での評価だからなー
藤原的には「ないわーww」でも
東国基準では合理的なヘアスタイルだったかもしれん

>落ちた飯を自分で拾って食べた
自 分 で 拾ったのがNGだったんじゃね?
0233人間七七四年2011/08/25(木) 20:24:50.26ID:idDN7PFP
>>232
「源平盛衰記」では自分で払いのけただけだから、おそらく「自分で」がNGだったっぽい
「日本外史」では、「拾うて之を食う」になっているから、「食べた」までがNGのような気がする
0234人間七七四年2011/08/25(木) 20:33:59.95ID:R//Cz7aJ
両人の立場の違いってのが大きいのでは。
周公旦は食客より遥かに身分が高いから、髪を結ってる途中でも逢ってくれれば感激されるが
平将門と藤原秀郷だったら同格に近いから、無礼だと怒られる。
0235人間七七四年2011/08/25(木) 21:50:10.76ID:umOpofXB
片や宰相(実質的に統治者として見られていた)と就職活動中の浪人の会話。
片や戦乱や政争に臨んでる時代の有力者同士の会話。

しかも中国の食客は時代が下る毎に立場が下がる仕様の、ローマで言えば高級奴隷みたいな立場。
一番食客が重んじられた春秋近隣の話とは言え、周公旦クラスとでは流石に足下にも及ばない。

状況がこれだけ違えば意味合いも違ってきて当然だ罠。
現代だって就職活動中の人間に会社役員が「食事中でも構わないなら」と会うのと、
会合に来た取引先や支配下企業の役員に会社役員が「食事中でごめんねーw」とやるのとでは話が違う。
0236人間七七四年2011/08/26(金) 10:36:37.94ID:VLpOzuAJ
寛永10年(1633)8月、徳川家光は品川沖で新造の御座船『安宅丸』の進水式を行なった。

百丁の櫂、四百人の水夫を用いたという巨船の進水式は、松平信綱・阿部忠秋などの重臣が早船で
周囲を警護する中、伊達政宗親子・池田光政・毛利秀就ら江戸在番の大名を招き、大々的に行なわれた。

無事に進水式が終わり、祭事を行なって船の魂入れをした後、品川の海岸で酒宴が開かれた。

「♪舟より御下りなば、拷訴(拷問)を致そう。」「♪拷訴と言わば、捨身の行。」
「♪命を取ろう。」「♪命を取るとも、ふっと下るまじ。」

酒宴の座興で、池田光政は伊達忠宗と組んで、能楽『自然居士』
(説法者・自然居士が、人買いの舟に乗り込み、売られようとしている子供たちを救う、という筋書き)
の謡をして、喝采を浴びた。続いて、金森重頼が仁王のマネをして受けを取った。

「…お船方にとりてはァ…お船祝いがござんするゥ…フゥフゥ…蓬莱山は、ハヒー沖の船で…ゼェゼェ……」
「もういい…!もう…休めっ…!秀就……!」
“松平(毛利)長門守秀就は、ふとり過たる人ゆへ大黒舞を舞ひしが、誠にふつつかなれば、
舞果てずして止みぬ。”(徳川実紀)

「さ、されば次は、それがしが領内に伝わる須古踊りを仕る!」
名乗り出たのは、鍋島勝茂だった。
エイヤットウ「♪あわずばかえれ かえれきみ このほどに さだめことばを まちれども……」
踊る勝茂の姿を、家光はじめ一同は黙って見つめた。

「……うっ……くっ………ぐっ、ぐははははははははははっ!!!」
見つめていたのだが、厳格をもって知られる池田光政が、真っ先にこらえ切れず吹き出したのに釣られて
爆笑の渦に包まれ、宴は盛会のうちに果てたという。


よかったね直茂さん、息子さんはしっかり成長(?)してますよ…
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5695.html
0237人間七七四年2011/08/26(金) 17:29:10.72ID:RYodRbID
立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(1)

慶長11年、御書院番頭(将軍の親衛隊長)として二代将軍秀忠に召し出された立花宗茂、駿府から江戸に出てきた
大御所家康に拝謁した際、徳川家に仕える心得を尋ねられた。
「天下は安泰なる今、さしたる役にも立たぬ身。御門の一つなりとお守りし、御酒でも頂戴し、千秋楽を謡い舞おうと勤めております」
「聞きしに勝る武辺者よのう」
宗茂の返事に満足した大御所は、江戸城の天守に登ることを許した。
これに対し、旗本たち、ことに三河以来の名誉の旗本たちは、密かに不平を漏らした。
代表的な例としては、三河者の魂とも言うべき、この人の話が有名である。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4314.html
その後、奥州棚倉において3万5000石まで加増された宗茂は、大阪冬の陣では、豊臣最強の将毛利勝永の動きを封じ、
夏の陣においては大野治房による自爆的突撃で、壊乱しかけた秀忠の本陣を守り通した。以降、宗茂に対する陰口は
ピッタリとやんだ。
何故なら、大御所本陣を守るはずの天下の旗本が、無残なまでの敗走し、三河者の魂と呼ばれた槍奉行ですら、
打ち捨てられた旗を拾って転進するのが精一杯という有様だったからだ。
0238人間七七四年2011/08/26(金) 17:30:46.53ID:RYodRbID
立花宗茂ちょっと良い話  門を託される(2)

元和2年、三傑最後の巨木、大御所倒れるの報が天下を駆け巡ると世上に様々な風聞が流れた。
ある者は福島正則の、またある者は奥州王”伊達政宗”の、またある者は島津の反乱を囁やき、
江戸城内に不穏な空気が流れた。そんな中、家康の見舞いに秀忠は、馬廻衆と共に強行軍で駿府
に向かった。
駿府に到着し、拝謁を願った秀忠は、家康の代理人たる本多正純に詰問された。
「天下の将軍たる大樹様が、軽々しく江戸を空にするとは何事か、と大御所様は仰せです。
まもなく本復する故、直ちに江戸にお帰りをとの・・・・・・」
「城の大手は、立花左近将監に託したと伝えていただきたい。その上で、帰れと言われれば、
仰せに従おう。疾く取り次がれよ!」
秀忠の気迫に押された本多正純が「江戸城の大手を立花左近将監に託した」との秀忠の言葉を
病床の家康に告げると、一瞬、絶句した家康は次の瞬間、笑い出した。
「我れが大樹に及ばざるは、この一事に尽きるか・・・・・・よし大樹と会見いたそう」
秀忠と会見した家康は、終始、上機嫌だった。
0239人間七七四年2011/08/26(金) 20:59:13.14ID:2/fmLTF6
>>236

輝元のときは気位があってワザと踊らなかったのか
下手で馬鹿にされるから踊れなかったのかと二通り見れたけど
今度は秀就を助けるためにワザと下手に踊ったか
それとも本当に下手だったのか、この前の逸話と並べてみると面白いね


0240人間七七四年2011/08/26(金) 21:14:51.27ID:sLZeWD61
>>236
自分はわざと下手に踊って流れを変えたとみたい
勝茂も大人になったんだろうか
それはそれとして、光政さんの爆笑姿がなんかツボったw 楽しそうだなあ
0241人間七七四年2011/08/26(金) 21:23:53.49ID:3Ti9DVXE
もしも、直茂パパンが信之兄さん並みに短命だったら、「お前は何故、あのような下手な踊りを披露したんだ?」と説教食らってたと思うんです
0242人間七七四年2011/08/26(金) 21:34:46.46ID:ruwEWR6Z
徳川家光がいたからじゃない?別に勝茂側には毛利のご機嫌うかがう必要もないわけで
江戸期の外様大名って将軍の寵を競ってお互いにライバル心むき出しだったからさ
0243人間七七四年2011/08/26(金) 21:35:58.85ID:sLZeWD61
それなら政宗が一番変になってないとおかしい!
0244人間七七四年2011/08/27(土) 00:04:39.15ID:DU5wA9HS
つか光政ってこの面子の中じゃ一番年下だよな
それが爆笑って非礼じゃないのか
0245人間七七四年2011/08/27(土) 00:21:26.24ID:M1RyOch3
まあそれは野暮ってもんだよ
0246人間七七四年2011/08/27(土) 01:54:12.32ID:eUzoBoEv
>>234
事実政宗は一番変じゃないかw
0247人間七七四年2011/08/27(土) 11:28:51.21ID:lu7mFZz6
>>237-238
譜代でもないのに宗茂への信頼度の高さはすごいなぁ・・・
家光も結構贔屓してたし
0248人間七七四年2011/08/27(土) 12:29:57.75ID:5pZiCbOM
外様で信用あるのって藤堂もだよな
藤堂は関ヶ原から忠節を尽くしてるけど立花は敵対してたのにすごいね
0249人間七七四年2011/08/27(土) 13:11:53.27ID:1ki89kUV
秀忠と宗茂はとにかくウマがあったらしい。
それに秀忠にとって宗茂は外様というより、自分が取り立てた家臣だしね。
0250人間七七四年2011/08/27(土) 13:22:22.12ID:YuvQd5wn
家光の二大贔屓の外様だもんな、まーくんと宗茂は
秀忠もか?
0251人間七七四年2011/08/27(土) 13:23:43.13ID:2phoVTJq
土井利勝に「上田への国替えをお願います。」と言って受け入れたという仙石忠政は贔屓だったんだろうか。
0252人間七七四年2011/08/27(土) 13:23:45.12ID:YuvQd5wn
あ、秀忠は三斎か
0253人間七七四年2011/08/27(土) 13:35:00.26ID:98HikQDi
>>252
鍋島忠茂と丹羽長重も
0254人間七七四年2011/08/27(土) 16:43:21.86ID:9ItczVCG
大御所だと誰だろ、高虎とまーくん?
0255人間七七四年2011/08/27(土) 16:53:26.23ID:PADwzSYL
>>229
母里の人外の體ってどんなんなんだ
かぶきまくって人に見えなかったとかそんなのか?
0256人間七七四年2011/08/27(土) 17:05:59.01ID:6pTFi6De
人か物の怪かという姿形の事じゃなくて、素行振る舞いが常識外れ
当時の人の思考からするとぶっ飛んだ考えの人
世間体の体、体を成すの体
0257人間七七四年2011/08/27(土) 17:23:04.39ID:GtND0Z/i
つまり母里さんは
ニコ厨がネタにしまくってるチャージマン研!みたいな人なのか
0258人間七七四年2011/08/27(土) 17:30:45.20ID:6pTFi6De
チャー研はキチ○イなんかじゃないやい!
0259人間七七四年2011/08/27(土) 17:34:22.50ID:YuvQd5wn
>>254
あと最上家親とかか
0260人間七七四年2011/08/27(土) 18:19:57.68ID:PADwzSYL
>>256
ただ今のところ出てる話では根は真面目そうだよな
関羽や張飛あたりの侠客のイメージになるのか?
0261人間七七四年2011/08/27(土) 18:39:04.50ID:6pTFi6De
栗山を関羽、母里を張飛とみると二人の間柄も性格もそんな感じだね
0262人間七七四年2011/08/27(土) 19:47:47.09ID:Yc1d3TBo
>>254
悪久じゃね。あの島津家の曲者の中で唯一の親徳川派だし。
0263人間七七四年2011/08/27(土) 21:03:01.05ID:RPGVeP2o
戦国いい話の前に…

【集団ストーカー犯罪】とは、

加害者達が集団で、被害者を鬱病や統合失調症に仕立て上げ、
社会から抹殺しようとする凶悪な犯罪です。

この犯罪は海外でも存在し、アメリカではテレビでも報道され、
【生命倫理に関する大統領諮問委員会】も開かれています。

日本では20年以上も隠蔽され続け、年間自殺率3万人以上と増加の一途。
一刻も早く集団ストーカー犯罪を規制する法律が必要です。

0264人間七七四年2011/08/27(土) 22:21:30.42ID:0U1S1nwa
前田利常「将軍家から嫁をもらいつつガチ喧嘩(謀反疑惑)もやる、ついでに人の家をフルチンで闊歩する、これぐらいできてこそ将軍家の真の友人というものだ」
0265人間七七四年2011/08/27(土) 22:25:09.34ID:1dynxkfS
こんなところにまで人権擁護法案の工作員が…
0266人間七七四年2011/08/27(土) 22:48:36.80ID:YuvQd5wn
>>264
前田利常は幕府に目を付けられないように睨まれないようにと恭順な態度示し、
鼻毛伸ばしたりアソコを見せたりしてアホを演じた苦労人だからな
0267人間七七四年2011/08/27(土) 23:02:13.31ID:/uyGzAn+
鼻毛チ○コ殿はあらゆる意味ですごいよな
0268人間七七四年2011/08/27(土) 23:07:44.91ID:1ki89kUV
利常「参勤交代の途中で食ったダンゴがあまりに美味かったので、それを作ったババアを金沢まで拉致しました!」
0269人間七七四年2011/08/28(日) 00:16:17.62ID:RHYqlsNf
そもそも幼名が当主(犬千代)と犬猿の仲になれと言わんばかりの猿千代だったからな。
しかもその名前になった由来も、じつはラスボスが利家の側室に勝手に手をつけて産ませた子だったんじゃないか説まで出てたというし。
まさに生まれついての苦労人w
0270人間七七四年2011/08/28(日) 00:41:42.63ID:b849g2Fj
自分の子生まれるのすら苦労してるのに
よそで手をつけた女がそんな簡単に妊娠するものかいな
秀頼すら怪しまれているのにねぇ
0271人間七七四年2011/08/28(日) 00:57:51.38ID:vNTeeaAV
不倫の方が妊娠率は高いらしいけどねえ
0272人間七七四年2011/08/28(日) 07:52:40.43ID:TpDurZmV
秀忠「ほんの出来心で浮気した時に限って妊娠判明というのは稀に良くある事」
0273人間七七四年2011/08/28(日) 11:36:08.19ID:RA89/r4g
ラスボスの隠し子だったら養子にする利長さんの器量がただ事じゃねえw
0274人間七七四年2011/08/28(日) 11:45:06.05ID:b849g2Fj
保科正之って本当に秀忠の子だったのか疑問だ
家光が江の子供じゃないと言及する輩は後を立たないのに
周りから常に監視されている江の子供すら、そんなこと言われて
側室でない、他の男と充分接触あっても不思議ではないその女の子供が
なんで秀忠の子としてすんなり受け取られているのか甚だ疑問なんだが
正之は本当に秀忠の子かって疑問に思ってる学者さんているの?
いないのならどんだけ杜撰なんだ
0275人間七七四年2011/08/28(日) 12:17:09.28ID:ZHdetznJ
そもそも前田利常自体が、利家が名護屋出張中にうっかり女中に手を出してその過ちで生まれた子だし。
ちなみに利常生母の寿福院(千代)は、利家正妻の芳春院(まつ)とガチで仲が悪かったそうなw
0276人間七七四年2011/08/28(日) 12:35:46.41ID:8mRTkC67
ある日、前田利常が目付衆を呼んで命じた。
「金沢城下の侍が、側妾を小屋敷に召し置いており、これを『囲い女』などと呼んでおるそうな。
もっての外である。いったい誰と誰がそんな事をしておるのか、調べて参れ。」

さっそく目付衆は調査に乗り出し、とりあえず調べのついた五、六人の名を書き付け、利常に報告した。
報告を受けた利常は、重臣の津田玄蕃を呼んだ。

「こやつらが『囲い女』を持っておるとか。この中で、妻子のある者はおるか?」
「(いかん、妻子持ちが囲い女など、けしからんとお考えか?)さ、さあ・・・良く覚えておりませぬ。
調べて報告致します。」

数日後、再び玄蕃は利常に呼ばれた。先日の書き付けの、幾人かの名に印が付けられていた。

「この者ども、妻子を持っていよう。」
「・・・・・・!」
「ふふ、わしが妻子持ちを罰すると思っているな?逆だ。連中は、自宅で『山の神』を祭らねばならぬ。
よって女を外に置いておるのだろう。もっともな事だ。
独身者はそうではない。女を置くに、誰はばかる事ないはず。外に囲うなど、もっての外である。」

玄蕃が『囲い女』持ちの男に利常の言葉を伝えると、心底を見透かされた男たちは、何とは無しに
女を囲うのをやめたという。(微妙公夜話より)


( ;∀;) イイハナシナノカナー?
0277人間七七四年2011/08/28(日) 12:44:18.01ID:YNTzrsME
何時の世も嫁さんはおっかないと言う事か、家内だけにナンチテ( ´w`)
0278人間七七四年2011/08/28(日) 13:05:01.71ID:RzaCxoKu
>>274
そりゃ家光が一目見て、俺の親父(大御所様)にくりそつと思ったからじゃないかw
そりゃ秀忠が認知御するはず無い罠。
家光同様、自分の親父の子供だもの。
0279人間七七四年2011/08/28(日) 13:07:10.47ID:lbMHfbc+
>>278
そういう俗説極まるものをここで自慢気に言われても困る
0280人間七七四年2011/08/28(日) 13:08:55.64ID:jqU02deL
たいして高尚でもないし、戦国からはみ出た話じゃないんだからケンケンいってやんなよ
0281人間七七四年2011/08/28(日) 13:36:51.08ID:b849g2Fj
>>278
加賀辺りは詳しくないんだが、山岳信仰だったの?
山の神は女を嫌いというけど
0282人間七七四年2011/08/28(日) 13:40:42.98ID:ZHdetznJ
>>281
嫁さんのことを俗に「山の神」っていうんだよ。
0283人間七七四年2011/08/28(日) 13:47:28.41ID:prw/VQVG
ちなみに「容貌が醜く、嫉妬深い」とされるのが一般的>山の神
0284人間七七四年2011/08/28(日) 13:58:02.42ID:b849g2Fj
>>282-283
ああ、そういう意味なのか ありがとう
つまり隠語ってこと?
0285人間七七四年2011/08/28(日) 14:13:32.80ID:l2fB0eCC
>>274
将軍の乳母の侍女だと将軍以外の男との接触はダメとかでね?
0286人間七七四年2011/08/29(月) 00:12:53.95ID:XjaPiXcv
高遠城の戦いの後、二の丸の城将であった保科弾正忠正直は、森長可によって軟禁された。

「やぁ森殿、今日は朝から騒がしいですな。何ぞ騒動でもありましたかな?」
「おお、保科殿!実は上方より、こんな書状が届きましてな。」
長可は書状の一部を手で隠しつつ、正直に見せた。

“武田逍遥軒並びに保科弾正○○の事”
「さて、○○の部分は何と書いてあるでしょうか?」「…まあ、ロクな事は書いてありますまいな。」
「正☆解〜!」
長可が手をどけると、そこには

“誅罰”の二文字があった。

「!!で、では今朝からの騒ぎは……」

「左様。すでに、わが手の者が逍遥軒のもとに向かっておる。しかし保科殿、貴殿の安否は心易かれ。
貴殿をも誅罰するつもりであれば、何でこの書状を見せようか?
この事、上方には報告しておらぬが、きっと信長様にお願いして貴殿の命、続かしめん!」

「も、森殿……!」

一種の信頼すら芽生えた二人だったが、直後に本能寺の変が起こると長可は旧領に帰って
二度と信濃に現れず、長可去った後、正直も祈願寺の僧の勧めによって滝川一益に仕え、
森家と保科家が再び交わる事はなかった。(赤羽記)

まあ、槍弾正Jrが殺しの軍団・森家の仲間入りしてヒャッハーするのも見たかった気はする。
0287人間七七四年2011/08/29(月) 00:13:29.12ID:YQOn2IMO
うめぇwwwwwwwwwwwww
0288人間七七四年2011/08/29(月) 00:14:25.01ID:YQOn2IMO
誤爆につき介錯をお願いいたす
0289人間七七四年2011/08/29(月) 00:15:40.13ID:G7S70noy
いい…話?
0290人間七七四年2011/08/29(月) 00:39:12.81ID:gvRheARJ
てっきり油断させといてぶっ殺すのかと思ったら
普通に助けてあげたからいい話だなー
0291人間七七四年2011/08/29(月) 00:41:38.74ID:6GU0T4ht
信長の命令無視した上に事後承諾取り付けたる!
なんて、信長に気に入られてるのをかさに着て傍若無人な振る舞いしてたのが良い方向に発揮された良い話じゃないか。
しかし、鬼(畜)武蔵さんは
「ヒャッハーお前なかなかやるじゃねえか、気に入ったぜ!」
的な台詞が似合いすぎて困る
0292人間七七四年2011/08/29(月) 01:00:02.25ID:VnHIVZzA
気に入らない奴らは皆殺しだけど
見所のある敵は家臣に取立てる
ある意味信長のやり方を忠実に守ってるとも言える
0293人間七七四年2011/08/29(月) 02:03:26.55ID:ZNcONyn1
久しぶりに鬼武蔵キター。
毎回ほとんど似たような話しなのに、テンション上がるー。
0294人間七七四年2011/08/29(月) 02:17:14.63ID:bpRQGDGi
鬼武蔵的には敵陣営の人間でも
戦の上手そうな奴はウェルカムなのか
0295人間七七四年2011/08/29(月) 02:24:23.86ID:wAjyQQcS
しかしまぁ毎度毎度出展が違うのにキャラがブレないのは感心する。
0296人間七七四年2011/08/29(月) 02:31:22.87ID:du+DpSpI
しかし遺言状?を読んで感動して
「きっと父も弟も戦で死んだから、戦が嫌いになったんでしょうね」
といった学者か小説家がいたとか前に見たような
0297人間七七四年2011/08/29(月) 05:27:38.20ID:Ebs0gaA+
この人はちょっぴりSATSUGAIが好きなだけで、器の大きさを感じさせる逸話も結構あるんだよな。
0298人間七七四年2011/08/29(月) 13:26:18.36ID:Z+30jwXX
スレチだが今週の『信長の忍び』に森長可(12歳)が出てきた
「後に戦国時代を代表する狂戦士となる男である」と解説されてたw
0299人間七七四年2011/08/29(月) 14:31:46.92ID:v2bcXCOi
長可は最期の呆気無さがなぁ
0300人間七七四年2011/08/29(月) 15:05:02.26ID:ztDFfdd0
潔くていいじゃないかw
まさに武士の鑑
0301人間七七四年2011/08/29(月) 16:13:00.58ID:6+cu9AVu
小牧長久手で勝って欲しかった。 残念。
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