>>186
それで思い出した、常山紀談に載っているというお話

秀忠が将軍の頃に、太田某という人を雇って「お前に五百石与える」と折紙与えたら
太田某、その折紙を秀忠に投げ返して席を立ってしまった

死罪にしてくれようかとばかりに物凄い剣幕の秀忠に、同席していた井上正就が
「いやいやいや、その前に駿府に言って、大御所様にもお伺いを立てましょうよ」と恐る恐る宥める
秀忠も「それもそうだな」と考えなおして、井上を駿府に遣わした

大御所家康、この話を聞いて

『太田は誠に無礼なり。凡、賞罰中らざれば、下の恨むるは常の事にて、太田も無礼とは知りたらん。
己が身を捨てて諫むる心なるべし。臣下の直言して諫むる者、怒りに逢ひて刑罰せられ、
家を滅ぼし、大軍の中にかけ入る者は、多くの身を全うして功名を立つる故に、昔より諫臣を忠の第一とす。
然るに今、太田にあたふる禄、賞に中らざるや…』

太田のやったことは無礼だけど、太田はそれを知ってて命がけで秀忠を諫言したんだよ
そういう臣は大切にしなければならない そもそも太田に五百石じゃそりゃ怒るわ
あいつもまだまだ人を見る目ないなー と家康さん思ったかもしれない
その後、遣いの井上に「太田某は三千石与えよ」と指示して、秀忠も言われる通りにしたそうな

話の締めに「台徳院殿、井上には『汝が詞によりて孝行を知り、賞罰の道をわきまへたり』と仰せ有りて、
左文字の刀を賜りけり」 と記す

書いてて思ったけどこれ、秀忠がまだまだ未熟な悪いお話かもしれん