>>61
あれは、上杉の基本戦略からいえば間違ってはいない。
当初は、徳川本隊を革籠原に誘い込んで撃滅するつもりだった。
裏返せば、専守防衛戦略だったわけだ。ところが、石田挙兵で、徳川主力は西に向かってしまった。
こうした状況下、最も最良だったのは白河口から結城秀康勢を脅かすべく南進することだったろう。
しかし、専守防衛戦略で準備をしていたため、南進する兵站準備ができていなかった。
そして、越後口は旧上杉家臣を扇動しての一揆がおきており、越後口の堀氏等の戦力からも上杉の脅威として低かった。
となると、伊達か、最上をたたけ、ということになる。さっきも述べたように、上杉には兵站準備が整っていない。
従って、最も弱いはずの最上を攻める、という結論になった。消去法的には妥当な戦略だが、
関ヶ原の現実を考えれば、もう少し他の方法はなかったのか、とつい考えてしまう。