【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その十三
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001人間七七四年
2011/05/16(月) 23:30:22.84ID:6ZI3J41U幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。
東京が首都となったのも、家康が始原。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。
前スレ
【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その12
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1297989990/
関連スレ
□【信康・忠輝】歴代松平一族を語る【長親・清康】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1303368850/
【史実】徳川家康の人質時代を語るスレ【推測】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1254761474/
0003人間七七四年
2011/05/17(火) 08:16:08.07ID:JJXl7HP8いえ武田家滅亡の時点でもう家康は信長の同盟ではありません。
まず家康と言えば信長の「同盟者」という認識が強いですが、最終的に史実でも「臣下」へ格下げに
なっています。それは武田征伐の「恩賞」として信長から駿河一国を拝領していることからわかります。
「恩賞」とは、「主君」から「臣下」へ与えられるものであり、駿河一国を貰った時点で家康は信長に臣
下の礼をとったことになります。つまり、柴田勝家や羽柴秀吉などと同列になったことになります。ただ
三遠駿の三カ国を治めている以上、彼らよりは「実質的に格上」であると思われますし、信長もそう扱っ
ています。
0004人間七七四年
2011/05/19(木) 12:24:23.32ID:XGY86Twg重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0005人間七七四年
2011/05/19(木) 13:44:27.16ID:vjlhD9wJあんまり上手くなくて逆に面白かった
0006人間七七四年
2011/05/19(木) 17:58:23.70ID:5tDFg3Qb>露も重きは 落つるものかな
これ秀吉の辞世をふまえた返歌だな
露と落ち 露と消えにし我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢
0007人間七七四年
2011/05/19(木) 19:02:56.77ID:KkvdvTiU前スレ全レス拾えてねー
この板落ちるの早いな
0008人間七七四年
2011/05/20(金) 01:53:45.67ID:DftIxwsK前回いけなかったのが悔しい
0009人間七七四年
2011/05/20(金) 09:35:56.81ID:DftIxwsK0013人間七七四年
2011/05/24(火) 22:55:54.90ID:CKTHzQG20014人間七七四年
2011/05/24(火) 23:33:36.89ID:cAi/WPdk彼女の死後は、秀忠の養育を委ねられた阿茶の局が実質的な正妻の地位にあったと思うんだ。
小牧長久手に従軍し、秀忠、忠吉を養育し、関ヶ原では人質として大阪に残り、大阪の陣では、家康の代理人
として大阪方と交渉し、家康死亡時には、家康自身から尼になるなと言われ、秀忠から母親扱いされて和子入内
の付き添いまで頼まれたんだから、徳川家康の北の政所と言っても良い女性だったんじゃないかな?
0015人間七七四年
2011/05/25(水) 15:51:07.95ID:fJYiXtBr西郷局が築山殿の死後に実質正室だったというのは
「西郷殿」と記された史料があることや外国人が書いた文章に「秀康が後継ぎにならなかったのは秀忠と違って正室の子供ではないから」と書かれているから、
らしいな
阿茶局がその後の実質正室というのは同意だが
秀忠と忠吉の養母になった話の出典がわからん
あと義直生母のお亀にも注目すべきだと思う
0016人間七七四年
2011/05/26(木) 18:34:18.33ID:8j651M8G岡崎城拾える兵力あったんじゃないの?
0017人間七七四年
2011/05/27(金) 23:11:27.00ID:9qbOmVAr水野信元の使いに先導されて岡崎に帰り着く途中で落ち武者狩りに襲われたって話かな?
話は変わるが、家康の側室で一番古いのは、西郡局で、次が於万、西郷局(お愛の方)
阿茶局、お竹、下山殿、お牟須、お茶阿、お梶、お仙、お亀、お万、お夏、お梅、お六
関ヶ原の時に大坂の人質三人衆と呼ばれた側室は、西郡局、阿茶局の二人は、ほぼ
確定だと思うが、残りの一人は、お竹だったのか、お梶だったのかはっきりしないな。
小説では、お梶が阿茶局の指示で、関ヶ原直前の家康のもとに駆けつけるってのがあったが
実際は、どうだったんだろうな?
0018人間七七四年
2011/05/28(土) 11:11:24.23ID:d9fE9th0俺はこんなのを貼りに来た程度なのに・・・
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/square/intro/100year/100chara.htm
つーか前スレなんかでもう出てるネタ?出てるよなあ
0019人間七七四年
2011/05/28(土) 12:36:31.32ID:ucnP/Pw8あと、浜松と言えば鑑定団はいつだっけ?家康メインになると聞いたが……
0020人間七七四年
2011/05/28(土) 12:44:41.69ID:uny0fgt+0021人間七七四年
2011/05/28(土) 13:52:40.30ID:X2C8OhDC関ヶ原に同行した側室、一般的には梶と言われるけど
たまに奈津、と書いてある本を見るけど
実際どうなんだろう
あと1611年ごろの秀頼に祝いをもらった順番が
亀、阿茶、梶
という順番で
万と茶阿局が阿茶梶より下なのが
気になる
0022人間七七四年
2011/05/29(日) 10:11:05.70ID:s/suKQNA彼は震災以降も無事でいますか?
0023人間七七四年
2011/05/29(日) 12:36:48.02ID:1+0g1riy亀は、忠吉、信吉アポーン、忠輝駄目だし状態で、義直、頼宜を生んだ新世代徳川家の国母
阿茶は言わずと知れた家康の実質正妻兼秘書室長
梶は、次世代の阿茶ともいえる存在。家康の第一秘書
万は、潜在的大坂派結城秀康の母親、茶阿は、あの忠輝の母親だから、この3人より落ちるのは
無理もない。
0024人間七七四年
2011/05/29(日) 13:03:08.94ID:3OE2/Lke0026人間七七四年
2011/05/29(日) 13:47:34.20ID:T8m5QSja「子供をバンバン生んだ上に秘書役を務めるおまけに家柄も文句なし」みたいな女性が家康にはいないな
側室に上手いこと役割分担させて
一人の女性が権力にぎらないようにしてたんだな
連投すまん
0027人間七七四年
2011/05/29(日) 14:00:32.17ID:1+0g1riyこちらこそ申し訳ない。亀の子供を間違えてしまった。
たぶん、亀、阿茶、梶が席次が上なのは、家康に仕えた順じゃないかな。
亀 =義直の生母
阿茶=実質正妻
梶=この前年、娘を失い、万の子供、頼房の養母となる
というわけで、万は、二男を梶の養子にせざる得ないほど立場が弱かったのかもしれない。
0028人間七七四年
2011/05/29(日) 14:24:04.65ID:nIibvUkn0029人間七七四年
2011/05/29(日) 14:30:38.44ID:Chm7itrH0030人間七七四年
2011/05/29(日) 15:49:29.25ID:nIibvUknそんなことも分からんで天下人発言とは笑止千万
0031人間七七四年
2011/05/29(日) 16:01:32.15ID:upajqUOQ0032人間七七四年
2011/05/29(日) 16:19:27.38ID:N5MhgGV40033人間七七四年
2011/05/29(日) 17:04:57.68ID:lYhFbNon日吉がその辺で斬られてたら。
運が良かったんだろ。
>>26
大奥が残念だ(´・ω・`)
0034人間七七四年
2011/05/29(日) 17:29:48.09ID:3OE2/Lke0035人間七七四年
2011/05/29(日) 19:17:29.04ID:T8m5QSja側室になった順番かなるほど
自分が勝手に考えたのは
万は元々、阿茶か梶とか他の側室の部屋子出身だったりしたのかもしれん
だから男児を二人生んでも阿茶梶より下なのかもと思った
たいした根拠ないけど
0036人間七七四年
2011/05/29(日) 19:21:35.87ID:nIibvUkn痛いトコを突かれたら、茶化して誤魔化しか。
空脳は空脳。
0037人間七七四年
2011/05/29(日) 19:45:40.61ID:9PDKWKXI0039人間七七四年
2011/05/29(日) 20:05:37.13ID:gbueUS6a0040人間七七四年
2011/05/29(日) 20:06:59.79ID:rQaEBG02この人って、くらみ姫と言われるくらい目が悪かったんだよね
仕事とか出来たんだろうか
0041人間七七四年
2011/05/29(日) 20:28:09.15ID:T8m5QSja万は梶より年下だし側室になったのも梶より後だし
あなたが言ってるように頼房が養子になってるし
くらいの根拠しかないけど
>>40
権現の側室で二代将軍の生母の視力が悪かったなんて話をわざわざ捏造する必要性を感じないので
この話は本当だったのかなと思っている
仕事をしてたかどうかはわからないけど戦場に同行したりはしてないよね
西郷局って視力が悪いし早死にしてるし
あまり健康な女性ではなかったのかもしれん
小牧長久手に同行したのも阿茶局だし
視力が悪い女性をわざわざ側室にしたのは
西郷家が三河の名門だったからか
それとも他に気に入るような理由があったのか
0042人間七七四年
2011/05/29(日) 20:39:02.89ID:3OE2/Lke0043人間七七四年
2011/05/29(日) 20:41:34.65ID:rQaEBG02同じく目の悪い女性の生活の面倒みたりと、優しい人だったんだろうな
0044人間七七四年
2011/05/29(日) 21:14:29.04ID:1+0g1riy西郷局は、目の悪い人のために福祉事業を行ったという人だから、正妻の築山殿と全く
違うキャラだったんだろう。最古参の側室の西郡局ともうまくいってたんじゃyないかな。
0045人間七七四年
2011/05/30(月) 01:14:05.15ID:ufvlsi4k家康って位が高い女は築山で懲りて
それからはそんなに地位が高くない女を選んだっていうんじゃなかったっけ
自分のやることに口出ししないようなタイプ
女のことはよく知らん('A`)
0046人間七七四年
2011/05/30(月) 02:00:28.35ID:gv36n0nUそれだけではなく、何か才のある人というのも優先だと思う
0047人間七七四年
2011/05/30(月) 02:18:15.16ID:e2RB3aWC0048人間七七四年
2011/05/30(月) 16:04:14.92ID:KZwByOjDでしゃばらないおとなしい女性だったんだろう
秀忠の母親がそういう女性というのは納得できる
西郷局のお母さん(秀忠の母方祖母)の再婚相手が服部正尚という人物で
伊賀越えの時に活躍したという伝説がある
服部家と縁がある女性だった、ということも考えるべきかも
0050人間七七四年
2011/05/30(月) 19:41:24.14ID:gv36n0nUあれは房中術だよね 長生きもそのおかげかも
0051人間七七四年
2011/06/03(金) 08:45:22.38ID:9GDAaSYT片仮名は光世の時代に無いとか、妙純=斎藤利国の時代と一致しないとか言われてるけど、
そもそもあれって一回磨り上げられてるから磨り上げ前にあの銘があったかどうかはわからないんだよな?
0052人間七七四年
2011/06/03(金) 10:01:49.98ID:d4vxDNBN刀はもっと細身にして軽くすべきだと思ってるw
0053人間七七四年
2011/06/04(土) 00:30:54.97ID:TgIx1h52実際には摺り上げられた物じゃない。
0054人間七七四年
2011/06/04(土) 01:56:05.59ID:aYUgFh48やっぱり新書に書いてあることはそうそう信じちゃだめか
けど、そういう本って坂上宝剣も同じ本の中で扱って異名のそはやのつるぎまで紹介してるのに
家康のソハヤノツルギとの関連性については触れないんだよな
0055人間七七四年
2011/06/04(土) 20:36:31.82ID:XCmmMxWg0056人間七七四年
2011/06/05(日) 01:07:56.02ID:0TQVwSw30057人間七七四年
2011/06/05(日) 21:57:25.46ID:0F0WwNN+フェミニスト共
0058人間七七四年
2011/06/06(月) 12:58:29.36ID:2fgXsUQS0059人間七七四年
2011/06/08(水) 00:29:02.96ID:VbnqWS4f証拠として取って置いたの?
0060人間七七四年
2011/06/08(水) 02:16:09.45ID:mhxYwG6X呪いをかける本体を処分したから鐘なんてどうでもいいんだろ
0061人間七七四年
2011/06/08(水) 07:39:55.38ID:FyUU9oWf単なる口実
0062人間七七四年
2011/06/08(水) 12:01:02.41ID:0YfBZLBO0063人間七七四年
2011/06/08(水) 12:26:42.24ID:6/y6W6H/0064人間七七四年
2011/06/08(水) 16:55:30.09ID:acXDSWeMこの事件は、豊臣家攻撃の口実とするため、家康が崇伝らと画策して
問題化させたものであるとの考え方が一般的である。
一応、清韓自身は家康の諱を「かくし題」とした意識的な撰文である(「国家安康と申し候は、
御名乗りの字をかくし題にいれ、縁語をとりて申す也」)と弁明しており、
五山の僧の答申はいずれも諱を避けなかったことについて問題視している。
そのため、家康側の全面的なこじつけではなく、豊臣側の軽率な行為をいいがかりにした性格が強い[6]。
しかし銘文も鐘もまったく破壊されず現在まで残っており、少なくとも徳川家は
本当に呪詛だとは思っていなかったか、もしくは呪詛の効力など信じていなかったことは確実である[7]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E9%99%A3#.E6.96.B9.E5.BA.83.E5.AF.BA.E9.90.98.E9.8A.98.E4.BA.8B.E4.BB.B6
0065人間七七四年
2011/06/08(水) 17:03:40.12ID:6/y6W6H/0066人間七七四年
2011/06/08(水) 17:59:05.96ID:qevPdRvI0067人間七七四年
2011/06/08(水) 18:58:15.14ID:AiNiiYMS0068人間七七四年
2011/06/08(水) 21:20:14.94ID:vh14U6pF0069人間七七四年
2011/06/08(水) 21:26:30.49ID:FyUU9oWf不吉な銘文が入った鐘を敢えて残したというその事実こそが、
幕府が天海の主張するような豊臣家による呪詛説を一顧だにしていなかったという証なんだから
結局数百年後に残ったのは豊臣家を難癖付けて滅ぼしたという家康の汚名だけ
0070人間七七四年
2011/06/08(水) 21:45:42.53ID:AiNiiYMSあの鐘は豊臣家が徳川家を侮辱した証拠として残したわけだ
0071人間七七四年
2011/06/08(水) 22:00:53.34ID:FyUU9oWf家康の悪意を証明する遺物として語られ続けるのは歴史の皮肉だね
0073人間七七四年
2011/06/08(水) 22:56:35.71ID:W1iEwLJp0074人間七七四年
2011/06/08(水) 23:02:23.86ID:m73wzA0W0076人間七七四年
2011/06/08(水) 23:29:03.51ID:FyUU9oWfこれだけ卑しい人格の持ち主が名実ともに当代最高の学者だったということは日本史の汚点
0077人間七七四年
2011/06/08(水) 23:38:02.48ID:AiNiiYMS0078人間七七四年
2011/06/08(水) 23:46:22.93ID:FyUU9oWf宗教者はその宗教の規定する道徳の道から外れないようにするべき
曲学阿世の徒や破戒僧が如何に世に溢れようが、その原理原則は変わらないよ
家康が晩年羅山や崇伝のような奸物を重用したのは非常に残念なこと
0079人間七七四年
2011/06/09(木) 01:00:09.50ID:rqC4Zqbtそしたら、天海も正純も利勝も奸物になってしまう
0080人間七七四年
2011/06/09(木) 09:34:47.95ID:pIVXi78N0081人間七七四年
2011/06/09(木) 11:57:01.70ID:pIaUJuSZ必要だと思うんだ、、、
0082人間七七四年
2011/06/09(木) 21:28:46.90ID:bZS77dFy極悪人の家康だからこそ、羅山みたいな曲学阿世でも、崇伝のような悪僧でも
天海のようなカルトでも正純のような姦臣でも自在に使いこなせた。
こやつらの暗黒面の力を用いて、260年の平和を将来した家康こそ、戦国時代
最強の悪人だ。極悪人家康が曲学阿世や悪僧を用いるのは当たり前だ。
0083人間七七四年
2011/06/09(木) 22:32:12.38ID:vnnqFdnj0084通常の名無しさんの3倍
2011/06/10(金) 00:00:28.50ID:Gd2Im5Dh0085人間七七四年
2011/06/10(金) 00:38:51.89ID:F4Xx5THR0086人間七七四年
2011/06/10(金) 00:49:06.62ID:KyOOZc3+0087人間七七四年
2011/06/10(金) 00:56:54.43ID:T8to3jlE自分で言ってる始末なのがね。
まだ戦国の気風が色濃い時代なのに危機感が欠けていたと思うよ。
幕府としちゃどうやって喧嘩を売ろうかと思案していたと思うが、
望外に豊臣から喧嘩を売ってしまった。
0088人間七七四年
2011/06/10(金) 02:15:20.16ID:5/isu3yE方広寺鐘銘事件での難癖のみが人口に膾炙しているが、
同時期に幕府は照高院宮興意法親王が染筆した大仏殿の棟札に対し、
「建築に携わった大工の棟梁の名前が棟札に抜けてるのはおかしい」
なんて言いがかりをつけて、逆に
「方広寺みたいな大伽藍の棟札で、大工の名前まで載せたという前例こそない」
と反論されその件については沙汰止みになってるからね
(後に徳川家を呪詛したという嫌疑を掛けられ蟄居)
豊臣家側の危機感関係なく、徳川家は幾らでも
屁理屈を捏ねて豊臣家を非難することが可能だったし、
実際にそうしたというだけのこと
0089人間七七四年
2011/06/10(金) 08:36:25.56ID:c426UtbM0090人間七七四年
2011/06/10(金) 10:18:29.87ID:A058bHio単に潰すだけじゃなくて、復活できないように完璧にしちゃったわけだから。
さすがしか言いようがないわな。
0091人間七七四年
2011/06/10(金) 13:44:27.76ID:xE7jzZrP数で圧倒している夏の陣で、危うく討ち取られそうになってる醜態で、
こいつが運だけの糞デブだっつーのは明らか
関ヶ原の勝利も、キチガイの気まぐれ頼みだったしな
小牧長久手で、こんなデブにしてやられた秀吉も、たいしたことはない。
0092人間七七四年
2011/06/10(金) 17:11:44.68ID:K48rDluD自分が生きている内に決着つけたかったんだろうね
そして大坂の陣後にようやく安心して死んでいけたんだろうな
戦国大名としちゃ、珍しい死に方だろうな
0093人間七七四年
2011/06/10(金) 18:04:43.00ID:A058bHioそれだけでもたいしたもんだ。
0094人間七七四年
2011/06/10(金) 18:31:35.81ID:4dDQMYOa棟札がどうのこうのとか開眼供養を別の日にしろだのの徳川の荒らしに、切れて
「呪詛しちゃるわ、家康ざまぁぁぁぁぁぁwwwwww」
ってマジ切れしたのがキモデブ引きニートの秀頼ってのが、いかにも2ちゃんねるぽくって
笑えるな。
0095人間七七四年
2011/06/11(土) 08:29:52.93ID:3CdL80r0外見的にはもっと地味な、内面的にはもっと鋭利そうなイメージがある
0096人間七七四年
2011/06/11(土) 10:08:15.50ID:g4WP0o49西田敏行のほうがらしさが出てると思う
0097人間七七四年
2011/06/11(土) 13:27:44.40ID:os7IyPIM松方家康だよ
あれこそが真の家康
0098人間七七四年
2011/06/11(土) 13:52:30.36ID:SWZZZumeオレは好きだったな
0099人間七七四年
2011/06/11(土) 14:48:47.04ID:j1wOKqJ4岡田眞澄 高倉健 豊川悦司 舘ひろし
あたりの寡黙なイメージの俳優が合うに決まってる。
NHKなどのプロデューサーが無能なだけw
0100人間七七四年
2011/06/11(土) 14:55:16.17ID:T5GGaEyC0101人間七七四年
2011/06/11(土) 15:31:29.22ID:ZpyOuLtq良い意見だな。全面的に同意だが、俺なら三浦友和、藤岡 弘みたいな誠実系キャラが、
一皮むけば腹黒という演技を見せて欲しい。
0103人間七七四年
2011/06/12(日) 21:25:22.07ID:1GBeuOMP明らかなミスキャストだったし、家康を善人に仕立てている脚本も最悪。
0104奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/06/12(日) 22:50:12.77ID:VyQlxAwM0105人間七七四年
2011/06/12(日) 23:41:50.38ID:fRxg08vL0106人間七七四年
2011/06/13(月) 13:12:56.65ID:Io28IFU+0107人間七七四年
2011/06/13(月) 15:37:15.33ID:Io28IFU+家康の悪口言うと怒るの?
0108人間七七四年
2011/06/13(月) 16:03:16.16ID:qI0m8a7Eなんせ家康がいなかったら
関東なんてただの田舎の一地方のままだった。
関東人が今あるのも全て家康のおかげ。
だから家康を否定する関西人が大嫌い。
という小物っぷりは家康そっくり。
0109人間七七四年
2011/06/13(月) 18:39:41.75ID:x55Etq7X関東人だからといってとくに家康を有難がったりはしない
少なくとも関西人が秀吉にいだくような感覚は全く無い
0110人間七七四年
2011/06/13(月) 18:42:14.19ID:zo8xUBlF秀吉はあんまり好きではないし、ついでに野球好きだけど阪神も好きではない。
0111人間七七四年
2011/06/13(月) 18:47:09.74ID:m+Irl/93誘拐されて大都市で正室押付けられながら厳しく育てられ、
仇敵と同盟してまで勢力を安定成長させ
子孫繁栄の為に経産婦ばかりを側室にし
強敵相手に出撃せざるをえなくて大敗し
有望な嫡子も自害に追いやり
同盟者頓死の大チャンスでも、無理せず甲斐信濃へ出撃し
自重に自重を重ねてやっと天下取った人物が
大きな声で笑うとか考えづらいだろ。
お前ら知識はあっても、洞察力は皆無だな(;¬_¬)
0112人間七七四年
2011/06/13(月) 18:47:42.30ID:baQwQ+do家康が品川に旗本の武家屋敷建てたいが為に、印旛沼に洪水起こるようにされて、下総民は大迷惑したっつーの。
俺ら下総民の英雄は佐倉宗吾唯一人だ。
0113人間七七四年
2011/06/14(火) 03:24:58.03ID:LeOYXO4Y0114人間七七四年
2011/06/14(火) 06:15:35.34ID:DvpyQL25たまたま西三河出身(桶狭間は織田方)だけど、
敵ながら天晴れみたいな武将もたくさん居る。
0115人間七七四年
2011/06/14(火) 06:46:29.81ID:LeOYXO4Y武田勝頼とかも個人的には好きだ
0116人間七七四年
2011/06/14(火) 09:45:15.69ID:7DGljTqZ出身地も大嫌いですが
それ以上にこういう運だけの能無しが天下を簒奪する様は
まるで無能政治家が力のある者に擦り寄り
ひたすらイエスマンを貫き、
気付けば実力者が他にいなくなったので
態度を豹変させて権力を振るい出すという
昨今の総理大臣の糞っぷりと当に被ります。
0117人間七七四年
2011/06/14(火) 11:00:29.64ID:PvxiHXHW0118月孔雀
2011/06/14(火) 11:38:21.17ID:gLKEDKb90119人間七七四年
2011/06/14(火) 12:31:53.83ID:Rv/SD9hq0120人間七七四年
2011/06/14(火) 16:25:05.66ID:zVFTzTIvこの3ヶ月で素早く自宅の耐震化すらできない
自分の事は棚上げして、総理には迅速勝つ適切な対応求める
バカ国民やメディアのせいでしょ。
後手後手じゃない国民が何%居るんだかw
0121月孔雀
2011/06/14(火) 20:52:44.97ID:gLKEDKb90122人間七七四年
2011/06/14(火) 20:58:27.55ID:yvZO69ODそれこそ彼が首相でいる意味がないわけで
凡人としては、自分たちの国のトップにはそれなりに卓越した人物であって欲しいと思う訳なのですよ
0123人間七七四年
2011/06/14(火) 21:41:56.04ID:zVFTzTIv小泉jrは再選されるのかな?
0124人間七七四年
2011/06/14(火) 22:00:15.93ID:W60xilH2秀吉家康みたいな大悪党に比べりゃ
菅や小沢なんて家康がガキの頃いじめてあとで腹を切らされたやつとか
いい話スレの宗茂を誹謗しようとしてヒコザーモンに一喝された小物レベルだろ
0125人間七七四年
2011/06/14(火) 23:58:10.23ID:zMUOuu2jあまり全国的ではないなあ
0126人間七七四年
2011/06/15(水) 00:01:29.95ID:wxobPc1cアンチ大いに結構だが、百姓亡き後もう少しレベルの高いアンチ希望
0128人間七七四年
2011/06/15(水) 00:06:48.47ID:wxobPc1c0129人間七七四年
2011/06/15(水) 08:38:53.76ID:Gmmoz3UV0130月孔雀
2011/06/15(水) 11:07:44.49ID:BFxDfeI00131人間七七四年
2011/06/15(水) 11:11:49.09ID:j6Sy6AZp0132人間七七四年
2011/06/15(水) 16:15:26.97ID:sqXmmLa7天下獲って翌年ポックリだからね。
どうせなら夏の陣の前に死ねばよかったのにね。
0133人間七七四年
2011/06/15(水) 17:29:22.63ID:Gmmoz3UV0134人間七七四年
2011/06/15(水) 21:59:09.51ID:EbEfhB8y家康の死因は癌だったという説がある。
初期症状が出ていたから、強引に仕掛けたんだと思う。
0135月孔雀
2011/06/15(水) 22:12:28.59ID:BFxDfeI00136人間七七四年
2011/06/16(木) 00:09:02.55ID:Zwrmf/xL急死でしょ、癌とかどっから出たのよ
0137人間七七四年
2011/06/16(木) 00:57:20.03ID:W5AuXW31それ以前から体力の衰えは自覚していたんだろ
0138人間七七四年
2011/06/16(木) 04:37:47.92ID:MY1m9NAS0139人間七七四年
2011/06/16(木) 04:39:55.90ID:MY1m9NAS0141人間七七四年
2011/06/16(木) 19:55:28.97ID:GgQMg5t6ネット上でそういう意見が結構あるから、そんなものかと思っただけ。
症状から言って胃がんの可能性があるそうだ。
歴史や医学の専門家ではないから、よく分からないけど、
厳密な研究の場でもないので、可能性として排除する必要もないと思う。
逆に、家康の死因で通説ってあるの?
0142人間七七四年
2011/06/16(木) 20:21:52.68ID:d2ieftoi0143人間七七四年
2011/06/17(金) 00:27:48.16ID:1R3EEapl0144人間七七四年
2011/06/18(土) 01:09:50.87ID:vQoIDUpM0145人間七七四年
2011/06/19(日) 21:51:44.84ID:TawO2Q2I0146人間七七四年
2011/06/20(月) 15:30:44.97ID:poSDuLcB突然動けなくなってから2週間だよ。
最初は延命治療をしたが、現代医学でこうだから、当時は急死なんだろうな。
0147人間七七四年
2011/06/21(火) 22:15:27.03ID:IpEWWD1aピンピンしてたのがあっという間・・こわいよな〜と思った。
0148人間七七四年
2011/06/21(火) 22:26:55.01ID:YmQYXQQ90149人間七七四年
2011/06/21(火) 22:38:08.20ID:/qRbmKtu0150人間七七四年
2011/06/22(水) 01:28:57.27ID:xn542fU50151人間七七四年
2011/06/22(水) 15:45:06.77ID:vXoFeTXE家康が出て行かざるを得ないような状況をさらに作って、結局は打ちのめされただろう。
たとえば、浜松城下や近隣の村々を焼き払うとか、逃げまどう領民をなで斬りにするとか・・・・
信長がよくやった作戦。
0152人間七七四年
2011/06/22(水) 20:23:40.88ID:I4e/dUdp0153人間七七四年
2011/06/23(木) 13:30:57.46ID:AnOU7Eny目の前で武田軍が徳川領を荒らしまくれば、家康が面目を潰され出陣せざるを得ない。
(武将として今後立ち行かなくなる)
信長は、初陣の時から火つけは得意技で、籠城している浅井をこの方法で引きずり出した。
ということを言ってるんだよな?
0154人間七七四年
2011/06/27(月) 11:28:19.92ID:W8CbbBI40156人間七七四年
2011/06/27(月) 17:22:18.29ID:MSGqVVFAどうしても戦っておきたかったのはむしろ家康
あの信玄と戦ったというだけで箔が付くし、事実「海道一の弓取り」という名声を得た
0157人間七七四年
2011/06/27(月) 19:15:06.06ID:1EFRjjUH忠勝や康政が生き残ってくれたからよかったものの
0158人間七七四年
2011/06/27(月) 20:11:17.76ID:ga/6PZty0159人間七七四年
2011/06/27(月) 20:36:50.12ID:MSGqVVFAここで城攻めをするほど余裕はないが、相手に示威的な行動を示しておきたかったから
それで家康が出てこなければ、労することなく相手に自軍の強さを認めさせたことになる
家康としてはそれは戦国武将として最も困ることなので、あわてて追いかけて信玄と戦った
0160人間七七四年
2011/06/27(月) 22:20:59.53ID:NgJHBpoK0161人間七七四年
2011/06/28(火) 01:13:05.69ID:IV6R3WlT信長に自重しろと言われているし。
むしろ家康が信さんに気を利かせすぎたんじゃない?
0162奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/06/28(火) 01:32:02.57ID:tVdD1vDx0163人間七七四年
2011/06/28(火) 01:53:31.09ID:OYIoBe30だからずっと信玄を尊敬していられた
信長のため戦ったとしたらこの最大の敵への畏敬の念は失せていただろう
0164人間七七四年
2011/06/28(火) 04:46:47.67ID:rb1QmRjN戦った事無かったっけ?
んでスルーしてたら勝ち目があったの?
0165人間七七四年
2011/06/28(火) 08:54:58.85ID:RKswRTNj0166人間七七四年
2011/06/28(火) 10:53:16.80ID:cKZHAMXp0167人間七七四年
2011/06/28(火) 13:02:41.63ID:5tyH+YTa籠城されることが一番信玄にはこたえることがわからないとは
才が無い証拠。
自分のために戦ったなんて余裕かましたような必死な言い訳にはワロタ。
運良く命拾いしたというのにね。
忠実な三河犬どもに担がれていなかったらとっくにのたれ死んでたレベル。
0168人間七七四年
2011/06/28(火) 13:16:37.90ID:oBjXMv2K0169人間七七四年
2011/06/28(火) 13:30:52.94ID:mxvoKa+z大敗しても意地を見せたと取るのもねぇとは思う。
あんなところでバクチ打つ御仁では無いと思うのだ。
0170人間七七四年
2011/06/28(火) 14:07:50.13ID:gapWcINh年食ってからも、そういう面をのぞかせるし
ただただ、慎重なだけの人物なら天下は取れない
0171人間七七四年
2011/06/28(火) 17:50:04.09ID:pzigmYUZ0172人間七七四年
2011/06/28(火) 18:50:54.01ID:H4XM1DDJ0173人間七七四年
2011/06/28(火) 19:17:39.33ID:kpZvqXwL好んでやる奴なんていねぇしw
0174人間七七四年
2011/06/28(火) 23:51:16.66ID:TrdMUvVZ0175人間七七四年
2011/06/29(水) 09:14:48.23ID:Sr6mZZ1L家康だけが馬鹿なので飛び出して逝った。
当にアホ当主の典型だった。
それでも必死で主君を守った家臣たちに
家康はもっと感謝すべき。
0176人間七七四年
2011/06/29(水) 09:19:26.45ID:3MEYldHFつ しかみ像
0177人間七七四年
2011/06/29(水) 21:36:50.78ID:LcRnVXXZヽ;;;;;;;;;;;;;;;;l
. /;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',
. /;;;;;;;;;;;;;;;;;;l;;;;;;;;;;;;;;',
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l;;;;;;;;;;;;;;;;;;',
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;';;;;;;;;;;;;;;;;;、L
. /;;``''''ー--------‐''";;;:::;',
. ,r':、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、:-i''ヽ,
/;;::: ``'''''''''''''''''''''''''"´ :;;;;l
. l;;;:: :;;l
. |;;: _,,,,,,,,_ヽ / _,,,,,,,,,,__ ;l. _
,r'ヘ;; ''''" __,,,_`,'. ', ..._,,,,,_ _ ,'´ l
l ; l ,:'=<_〇,>; ':,く〇,,>,= ' l、.l l
ヽ 、l/ ヽ_ ~ l l ~ / ヽ/./
゙、〈 '、,r‐:l l-、 / /.,ィ,)t、
. ヽゝ、 .ゝ,r.、 ,riノ ,r'',r' ! /l、
l.ト //゙;彡三三ミ;ヽ /" / |/ ス
__,,,,,,l ヽ リ!''‐´ ''' `ヤリ ./ ノ / ./┴''" ̄ ̄
,,,,,,r'ヽ. ヽ ヽ. / / ノ
| ヽ. ヽ `':、 r‐‐-.、 ,、:' ,イ
. | ヽ. ヽ `'l;;;;;;;;;r'" .t'"', ',
| ヽ ヽ l;;;;;/ 人. ゙,.゙,
| ヽ ヽ. リハ,_,,、-‐''"´/\',.',
l ヽ. ヽ l'! ゝ、-、 \ \゙、
0178人間七七四年
2011/06/29(水) 23:28:08.17ID:C0zwmnxJ0179人間七七四年
2011/06/30(木) 01:39:08.11ID:Jpdv8L6l祖父も父も家臣に殺されてるし
0180人間七七四年
2011/06/30(木) 02:49:06.46ID:VOg1yhke0181人間七七四年
2011/06/30(木) 08:42:29.63ID:+NwZKGyQ0182人間七七四年
2011/06/30(木) 10:40:21.69ID:oWqOR2R1織田の謀略って定説なの?
0183人間七七四年
2011/06/30(木) 14:29:13.84ID:hPFSr/O7状況的に見ても疑う余地がない
0184人間七七四年
2011/06/30(木) 15:56:38.25ID:l33qzLdd0185人間七七四年
2011/06/30(木) 17:55:30.81ID:7zLmci7U0186人間七七四年
2011/06/30(木) 18:36:28.65ID:pADwhWwU暗殺事件にどちらが主体的に動いていたかはなんとも言えないのよね
0187人間七七四年
2011/07/01(金) 00:23:21.32ID:0DG5sYsU0188人間七七四年
2011/07/01(金) 22:09:55.39ID:G5KjOOqg1酒井(忠次) 2石川(数正)だとは思っているのですが、
あとはただ漠然と、四天王(当時からこの呼称が使われていたのかわかりませんが)、本多(正信)、本多(重次)、鳥居(元忠)、
それに大久保や土井、平岩や服部家なんかが渾然となっていてよくわかりません
それと、家格を超える個人というのも多いのでしょうか?
たとえば、家格では石川家のほうが井伊家よりも上だが、直政だけは別格で上位である、みたいな これは普通のことでしょうか?
とりとめのない文章ですみませんが、有名どころのだいたいの序列を教えていただければと思います
よろしくお願いします
0189人間七七四年
2011/07/01(金) 22:35:11.09ID:Fb7UFKtU徳川家に軍役帳みたいなものが残ってたら良いんだが、聞いたこと無いしな
石高や官位の動きを見て推測するしかないんじゃないの
0190人間七七四年
2011/07/02(土) 01:14:33.40ID:jHbsP/ML素人学習だから、後で詳しい人がフォローしてくれる事を希望して。
永禄12年の遠州攻め前に出されたと言われる徳川家中の役職一覧が、「東遷基業」に載ってるらしい。
ただし内容の信頼性は要検証だとか。
でも、内政メンバーの参考にはできると思う。
酒井は東三河、石川(数)は西三河、大久保は二俣、石川(家)は掛川、大須賀は横須賀ってのが、対武田の頃の前線武将。
独自に家臣を持ってるのは、一族の多い大久保だけかと思う。
徳川は基本的に、侍大将につけられた武将は、家康からの与力だから、勝手に部下を率いて行動を起こせない体制みたい。
殆どの武将は関東に移ってから、領国経営の為に、はじめて家臣を持てたとか。
武将だと、先手(前線部隊)に本多忠勝、鳥居元忠とか。
旗本(家康の身辺護衛)に、平岩、植村、天野とか。
旗本は個人の武勇伝があるけど、部隊持ちじゃないので、ちょっとマイナーな印象。
三方ヶ原で亡くなってるのは、旗本武将ばかり。
旗本、先手の構成は、ちょくちょく変化してるから、その都度参戦確認が必要かも。
本多重次は浜名湖の運輸関係文書でもチラチラ名前が出てくるから、奉行やってたのは三河だけじゃない可能性あり。
本多正信は甲信平定期から連署で文書に名前が多く出てくるので、それ以前は徳川にいなかったと言われてる。
個人的には、徳川家中って家康のワントップで、今川家の三河支配の体制をそのまま引き継いでるぽい。
序列の階層が、家康から直接枝分かれしてるイメージだもんで、二番手がいない印象。
特に江戸に移る前までは。
江戸に移ってからは、組織構造が変わった気がする。
家格については、譜代と言われる人でも、家康から仕え始めたって人も結構いるから、直政の抜擢だけが特別とは思わないなぁ。
むしろ、家康が本家より傍流筋を立ててる場合も多いので、◯◯家だから偉いとかはあまりない気がする。
的外れな回答してたらごめん。
0191188
2011/07/02(土) 21:37:10.97ID:+ul245Pq明確な序列があると思っていたのですが、史料として残っているような物というのもあまりないということは、
わりとあいまいでなだらかな上下関係だった部分もあるんですね
皆が家康(徳川家)に直接仕えているイメージというのは、なんだかわかるような気がしました
どうもありがとうございました
0192人間七七四年
2011/07/04(月) 17:56:59.77ID:HbcK56pT旧織田軍団が内部分裂して、
漁夫の利狙って他国も攻めて来る」
って言って無根拠に否定されてるんだけど
現に甲信取った徳川スレのみんなはどう思う?
0193人間七七四年
2011/07/04(月) 18:08:55.65ID:uJkiyb+c領土手に入れたからあまり参考にならないと思うよ
0194月孔雀
2011/07/04(月) 18:45:58.87ID:MpCN9dDC0196人間七七四年
2011/07/04(月) 20:53:13.51ID:L8jQAhO2織田の同盟者の徳川が甲信取った方がマシじゃね?
0197人間七七四年
2011/07/04(月) 21:51:35.42ID:jtk9fjNG本能寺の変で信長が死ぬと、上野の滝川や川中島の森は逃げ帰るし甲斐の河尻は一揆で死ぬし大混乱。
↓
北条と上杉が甲斐信濃上野に触手を伸ばしてくる。
↓
家康「織田家の重臣さん方、甲信に兵を入れるけどいい?」
↓
秀吉「おk。北条や上杉から甲信を守ってね」
という流れ。秀吉の書状も残っている。
このへんのことについては、平山優「天正壬午の乱」がめちゃくちゃ詳しい。
0198人間七七四年
2011/07/04(月) 23:16:47.38ID:MuT5ZLq8年を重ねると好みの味覚が変わってくるのと同じなのか、
今は家康に関心持ってる。幼少時代の人質経験からくる?
「待ち」の哲学。好機をじっと窺うしたたかさ。でも知人の歴史マニア曰く、
「家康は腹黒いよ」。 そこにも魅力を感じてる今日この頃。
0199人間七七四年
2011/07/04(月) 23:20:10.95ID:L8jQAhO2家康は、家臣の言う事を(採用するかどうかはともかく)ちゃんと聞いてくれる所が好きだ
0200人間七七四年
2011/07/05(火) 06:40:25.14ID:3thr3y5B派手にやれば一発屋で終わるしw
0201人間七七四年
2011/07/05(火) 08:35:40.96ID:gs+JNpMD0202月孔雀
2011/07/05(火) 10:50:16.11ID:4izue16U0203人間七七四年
2011/07/05(火) 11:13:20.30ID:QS1v1eUm0204月孔雀
2011/07/05(火) 12:23:07.00ID:4izue16U0205人間七七四年
2011/07/05(火) 22:35:07.48ID:BjC8V0DW0206人間七七四年
2011/07/05(火) 23:23:39.46ID:fQbKCMS6反抗勢力が出揃わないうちに各個撃破するのが上策
むしろ出ていくのが遅すぎたのが明智の敗因
0207人間七七四年
2011/07/05(火) 23:27:46.75ID:gs+JNpMD0208人間七七四年
2011/07/06(水) 09:21:23.67ID:TeucWuyD徹底防戦するかしか勝ち目が無かったんだよ > 光秀
0209人間七七四年
2011/07/06(水) 11:39:10.62ID:hZt3jJA90210人間七七四年
2011/07/06(水) 12:01:34.60ID:6cd1KOpJ八方敵になってただけでしょう
北条家の小田原篭城といっしょ
0211人間七七四年
2011/07/06(水) 12:37:21.24ID:TeucWuyD0212人間七七四年
2011/07/06(水) 12:43:04.85ID:PJy2aACw0213人間七七四年
2011/07/06(水) 12:46:43.71ID:6cd1KOpJ篭城してる明智とは連携取れないよ
敵の敵が味方になるとは限らないと思うよ
0214人間七七四年
2011/07/06(水) 12:48:40.06ID:RU3aZDXV0215人間七七四年
2011/07/06(水) 13:47:06.20ID:TeucWuyD光秀が籠城してたら、グチャグチャドロドロで
秀吉なんか末席に追いやられたって言いたいだけだからw
0216人間七七四年
2011/07/06(水) 15:26:35.41ID:PJy2aACw0217人間七七四年
2011/07/06(水) 21:49:06.19ID:w6mJcbZ+「光秀を討った」という事実がめちゃめちゃでかいわけだからねえ
こればっかりは根回しとか政治工作ではどうにもならない重みなんだろうけど
0218人間七七四年
2011/07/06(水) 23:09:01.86ID:mQOwrDgfだからこそ秀吉は必死に光秀の首を狙ったわけだし
0219人間七七四年
2011/07/07(木) 00:06:41.08ID:02eQYx0V光秀即死でも織田領は半分取られてたんだから
1年も籠城されてたら討取る前に崩壊もしくは諦めて帰国。
その後光秀は、毛利か徳川になびいて羽柴と3大勢力で覇権争い
って感じかなと思ってるw
0220人間七七四年
2011/07/07(木) 00:47:46.52ID:DmRf7lck何か絡まれたら厄介だから、適当に飼い馴らしとけ みたいな感覚だったんだろうか
でも大坂の陣の神保さんのは酷い…
0221人間七七四年
2011/07/07(木) 09:37:37.17ID:JkyI6uMR0222人間七七四年
2011/07/07(木) 10:09:20.73ID:JVX/7gnI戦国初期〜幕末に至るまで^^;
0223人間七七四年
2011/07/07(木) 11:17:22.09ID:bkqbulLk幕府がそこまで伊達に気を遣わなくてはならない理由なんてないし
むしろ減封するチャンスを逃すわけない
0224人間七七四年
2011/07/07(木) 22:05:00.96ID:r65MzjXC頭からアンチ行為しようとしてる人の作った本だなあと妙に感心した
所々なるほどと思うところはあったが
それ以上に無理のある理屈もかなりあった
オカルトのトンデモ本と同じ構造だなと感じたwww
0225人間七七四年
2011/07/08(金) 10:02:06.55ID:PqN8pv2o0226人間七七四年
2011/07/08(金) 22:09:39.17ID:dSIeRMEg諸葛亮孔明とで2人同時にこき下ろしてたからぐぐると出てくると思う
ちなみにトンデモ本もそれしか読んでない人はそれを「正」と信じちゃうから危険だよなあと
0227人間七七四年
2011/07/09(土) 15:18:00.22ID:pDQPVeAA家康公が敵対したのは分かるけど、武田北条が同盟破棄したのが分からん。
0228月孔雀
2011/07/09(土) 16:02:46.58ID:+xjQDJpE0229人間七七四年
2011/07/09(土) 16:10:07.39ID:JaieBzhXこの機に滅ぼして領土拡大を狙った方が得策だと考えたのだろう
北条は関東支配が目的なので西での騒乱は不本意であり同盟の維持を望んだが
今川を支援すると武田と上杉の両面からの攻撃に晒される事になった
一時は上杉と和解して武田に当たる事を模索したが
北条と上杉の両者の目的が関東支配にあるので当然のように上手くはいかなかった
更に武田が関東諸氏を自陣に引き込み背後を脅かした為、結局は北条も今川を捨てて武田を和解する導を選んだ
0230人間七七四年
2011/07/09(土) 17:07:37.12ID:OzanyBQU氏真の能力ではでは支えきれなかったのかなあと
それでも義元死んで9年間は持ちこたえられたけど
あと雪斎のような人が氏真にはいなかったってのも原因?
0231人間七七四年
2011/07/09(土) 18:05:52.24ID:J84E88+r質素に自制していた長寿の家康は、
太っているわけでもなく、健康体でしたよ。
デブの家康を想像してる人は、
ドラマの影響だけで語っている。
0232月孔雀
2011/07/09(土) 18:31:00.10ID:+xjQDJpE>231
0233人間七七四年
2011/07/09(土) 18:35:13.79ID:OzanyBQUでも年中鷹狩してるし、中年太り+筋肉質ってのもあるのかな
0234人間七七四年
2011/07/09(土) 18:57:53.64ID:jL/IK0T0どちらかと言うと力士かと
力士はデブでも運動量多いから健康体である
0235人間七七四年
2011/07/09(土) 19:06:46.21ID:OzanyBQU家康もそんな感じか
0236人間七七四年
2011/07/09(土) 20:42:29.47ID:jxz4DbCb0237人間七七四年
2011/07/09(土) 20:44:48.27ID:2ZRDXqIt0238人間七七四年
2011/07/09(土) 21:23:03.39ID:qVy5dEN5ウルフなんかは一般人以下ぽいけど
家康は30%以上ありそうな感じ
0239人間七七四年
2011/07/10(日) 01:57:33.51ID:CKruMPFT誰か光秀スレ来てね。 昼からで良いからw
0240人間七七四年
2011/07/10(日) 02:00:53.33ID:n8S8JL6Q不毛な仮説論ばかりで面白くないし
0241人間七七四年
2011/07/10(日) 04:29:12.38ID:Ggkp4Nyi0242人間七七四年
2011/07/10(日) 11:01:15.95ID:DqJCgOc9もっと粘った歴史を想像するのは有意義だろ。
本来の史実に興味ある人は来てね!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1307845255/l15
0243人間七七四年
2011/07/10(日) 13:09:41.23ID:QU7NzqLk武田の侵攻に対して気概を見せるために迎撃したんだろうという説
0244人間七七四年
2011/07/10(日) 14:16:03.70ID:vh8E54L5そんな習慣ないし
だいたい当主の死と大損害で家中が混乱してるのに外征とか正気じゃない
弔い合戦しないから離反が相次いだのではなく、離反が相次いだから弔い合戦などやっている場合じゃなかったと言うのが正しい
0245上杉謙信
2011/07/10(日) 14:21:04.03ID:syVJwf5I0246人間七七四年
2011/07/10(日) 15:36:30.95ID:n8S8JL6Q0247武田信玄
2011/07/10(日) 16:08:39.73ID:y9s5DPc8いくら貴種を気取ろうと、さすがに下衆な守護代の血筋は隠せんな。
家康は、まさに紙だぞ。おのれの糞をおのれで拭いたのだからなw
0249人間七七四年
2011/07/10(日) 23:06:41.39ID:xhAA0o+O0250人間七七四年
2011/07/10(日) 23:51:20.72ID:Zu4cZcPQ0251人間七七四年
2011/07/11(月) 00:27:06.41ID:TYH+e12c日光東照宮かなぁ?
0252人間七七四年
2011/07/11(月) 07:55:08.13ID:rIht/CRthttp://s1.shard.jp/rabbit1/0204/43/289_2.html
八百長戦争の特徴がある日本史上の戦が数々あった。
0253人間七七四年
2011/07/11(月) 12:05:41.16ID:a+iSm9do0254人間七七四年
2011/07/11(月) 12:44:29.94ID:491F1qZF俺も家康=カスのイメージしかなかった
0255人間七七四年
2011/07/11(月) 12:56:27.98ID:kj+FP9an0256人間七七四年
2011/07/11(月) 15:32:47.81ID:Nmp+MTsa自分の墓所として、
自分が惚れ込んだ人物に所縁があるところとして
どこが相応しいかと思った。
一緒に墓に入ってくれると言ってくれる女の先祖の墓
父方・母方先祖の墓。
大好きな映画のロケ地。
色んな考え方が出来るから、悩んでるんだ。
0257人間七七四年
2011/07/11(月) 17:39:59.24ID:UtsRVWqB0258人間七七四年
2011/07/11(月) 18:10:00.36ID:cex6GKfI0259人間七七四年
2011/07/14(木) 16:35:04.27ID:bwxe/3BI戦国時代で腹黒い人なんて家康以外にもいっぱいいるわな
0260人間七七四年
2011/07/14(木) 21:38:40.96ID:4vQ9tgz3兄弟の中でこの三人が特別扱いされたのはなぜなのでしょうか?
また、秀康は別としても、忠吉が松平姓のままだったのも疑問です。
0261人間七七四年
2011/07/14(木) 21:47:48.41ID:lnKEPNpiだから分家の「徳川」家を作る必要があった
忠吉は……東条松平を継がせたかったのか、それとも後から徳川姓を名乗らせるつもりだったのかは俺にはわからん
そして何故信吉をスルーしたし
0262人間七七四年
2011/07/14(木) 22:48:42.43ID:iG4nFxnN彼らは秀忠が家督を継いだ後に、徳川姓を名乗っている
つまり宗家の継承が確立するまでは他に徳川姓を名乗らせなかった
0263人間七七四年
2011/07/15(金) 01:25:21.16ID:mVl2Zove0264奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/07/15(金) 04:49:15.09ID:MJjf9HYf0265人間七七四年
2011/07/15(金) 15:17:49.61ID:/vKySa460266奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/07/15(金) 20:34:51.34ID:zxrtWRbu0267人間七七四年
2011/07/16(土) 16:51:26.49ID:mX5mKpDAそうで無いの>松平、その他
と言うこと?
0268人間七七四年
2011/07/16(土) 17:23:50.22ID:PKRWTa5w0269人間七七四年
2011/07/17(日) 17:22:47.32ID:7qKICJWz秀忠による宗家継承が成った後だから、というのがポイントなのでしょうか?
ならば、忠良が生きていた場合徳川を名乗り、尾張家を創始することになったのかも気になります。
0270人間七七四年
2011/07/17(日) 17:30:45.31ID:HEIkqf1K0271人間七七四年
2011/07/17(日) 17:36:11.91ID:xW9Bj6Vg忠良は家康の異父弟だが
忠吉は想像するしか無いが、次の代に徳川姓になっていたかもしれない
>>270
現在は宗家・御三家・御三卿・松戸徳川・慶喜徳川の9家
0272人間七七四年
2011/07/17(日) 19:27:53.94ID:2QQR4+i0火縄銃で名手って、どれくらいのスナイパー率なんだろうか
0273人間七七四年
2011/07/17(日) 20:19:27.92ID:xW9Bj6Vg他にも天下一と称された浅野幸長は5町(約545m)の的を三度狙い、内二つを黒点に当てている
0274人間七七四年
2011/07/17(日) 20:50:33.35ID:2QQR4+i00275人間七七四年
2011/07/17(日) 21:02:43.99ID:oJRZDByJ0276人間七七四年
2011/07/17(日) 23:23:08.38ID:lo9J1Y9F最近の銃でも的に当てるのは500mとかが限界のはず。
0277人間七七四年
2011/07/17(日) 23:46:37.26ID:Gtyv19Ao0278人間七七四年
2011/07/18(月) 00:09:08.64ID:/15Iz9830280人間七七四年
2011/07/18(月) 00:15:16.47ID:fsCVF6t50282人間七七四年
2011/07/18(月) 10:51:06.71ID:VZGV8JpQ幸長はリアルゴルゴになれるよ
0283人間七七四年
2011/07/18(月) 21:12:11.50ID:5r2zkoVT0284人間七七四年
2011/07/18(月) 23:23:04.96ID:fQjQnCUA一昨年、結構金かけて直したばかりだし
0285人間七七四年
2011/07/19(火) 21:50:37.67ID:AZsiVnHa別に城攻めが下手な訳じゃないよね
誰が最初に言い出したんだろうか シバリョ?
0286人間七七四年
2011/07/19(火) 23:08:29.17ID:R4yMgvsFむしろ戦は苦手としか思えない
家康は明らかに文官タイプ
0287人間七七四年
2011/07/19(火) 23:12:05.16ID:Sj600Njf0288人間七七四年
2011/07/19(火) 23:36:16.56ID:R4yMgvsFあんなに酷い戦い方は戦国時代でもそうそうない
関ヶ原でも戦術的に見れば最悪な陣取りしてるし
お世辞にも戦が得意とは言えない
0290人間七七四年
2011/07/19(火) 23:47:28.50ID:tTJ7LRbT大坂の陣は特に問題ないし、関ヶ原も敢えて包囲される危機を考慮した上で進んでいる
三方ヶ原とて夕方に始めたので直ぐに夜になったので破滅的という程ではない
0291人間七七四年
2011/07/19(火) 23:53:25.03ID:R4yMgvsF総大将が取るものも取らず逃げ出す有り様では問題ありまくりだろ
ここまで無様な崩れ方を2度も経験した大名は戦国時代を通しても数人だろう
0292人間七七四年
2011/07/19(火) 23:57:34.66ID:AZsiVnHa何を参考にしたのか知らないけど
敗戦と判断したら、大抵の総大将が引くでしょ
信長だって金ヶ崎で慌てて逃げ出したじゃん
0293人間七七四年
2011/07/20(水) 00:05:36.32ID:2yyoj/my天王寺・岡山合戦では実際に家康がどの程度、逃げたか後退したのか不明
少なくとも切腹云々というのはゴシップ
0294人間七七四年
2011/07/20(水) 00:16:39.70ID:wu9EhFcm新参譜代(本多正純・成瀬正成・安藤直次・竹腰正信)
近習出頭人(松平正綱・板倉重昌・秋元泰朝)
僧侶(南光坊天海・金地院崇伝)
学者(林羅山など)
豪商(茶屋四郎次郎・後藤庄三郎・角倉了以・湯浅作兵衛・長谷川左兵衛)
代官頭(伊奈忠次・大久保長安・彦坂元正)
外国人(ウィリアム・アダムス・ヤン・ヨーステン)
0296人間七七四年
2011/07/20(水) 13:36:26.51ID:SsbFTIDR南光坊って真言宗のお寺だよね?
どうして天台宗の天海が南光坊なんだろう?
0298人間七七四年
2011/07/20(水) 14:55:51.10ID:SsbFTIDRアホな質問してすみまんでした
0299人間七七四年
2011/07/20(水) 15:05:27.60ID:wu9EhFcm0300人間七七四年
2011/07/21(木) 11:26:20.22ID:unJGjihs0302平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv
2011/07/25(月) 21:28:48.15ID:TTRRp6WH0303仙台藩百姓
2011/07/27(水) 17:01:41.49ID:63XuJYBmそれでも生きてる運の良さだお。(^ω^)
おまけに寿命も長いと来れば最強だお。(^ω^)
0304人間七七四年
2011/07/27(水) 18:31:31.45ID:PqG1sVf30305人間七七四年
2011/07/27(水) 18:37:40.80ID:AB++kyH40306人間七七四年
2011/07/27(水) 18:49:01.99ID:DaHjvCS40307人間七七四年
2011/07/27(水) 22:33:03.94ID:dA/oI7YY0308奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/07/27(水) 22:38:33.86ID:6t1+1WMu0309人間七七四年
2011/07/28(木) 21:46:50.36ID:wZpmyDs9数は多いと言うけど本物で120万だったか、もう少ししても
いい感じだけどな。
家康とかはじめの3代関連だとそういうプライスのついた
ものはあるのかなぁ。
嫁入り道具とか籠とかそういうのを見かけたことはあるんだが。
0310人間七七四年
2011/07/29(金) 00:23:19.27ID:u8HDhUe1ttp://maiise.dtiblog.com/blog-entry-2463.html
家光の見たことないけど、どうだろうね
0311人間七七四年
2011/07/29(金) 12:45:15.16ID:yFFf7G4h徳川はよく資料は残ってるからもし出たらこのぐらいというのが
わかっていいなあ。
国宝関連でも徳川はどうなんだろう。
美術館には案外少ないのだったか。
刀剣とか白天目は重要美術品どまりが多いかな。
0312人間七七四年
2011/07/30(土) 14:36:58.49ID:IYcpfzPa芳しい評判を得られないのだろうな
その点は不運だ
0313人間七七四年
2011/07/30(土) 15:37:48.51ID:1dX6cWBjむしろ憐れむべきは家光や綱吉
0314人間七七四年
2011/07/30(土) 15:41:13.97ID:X6wTtgmQ日本人が海外に雄飛するチャンスをみすみす潰したクソ馬鹿野郎だから
0315人間七七四年
2011/07/30(土) 15:44:34.37ID:+9rxfl9F0316人間七七四年
2011/07/30(土) 15:57:00.11ID:G5r/WUKc0317人間七七四年
2011/07/30(土) 16:06:18.28ID:aKKvPbZi富の偏在が激しくなって、政権側が剰余を吸収しきれずにまた騒乱に陥るんじゃないか?
0318人間七七四年
2011/07/30(土) 16:22:51.56ID:wvQLW9zd0319人間七七四年
2011/07/30(土) 16:27:51.09ID:bDpcnlUl9千石の武家みたいな
大名未満の独立勢力って無いの?
そもそも大名の定義があいまいだけど
無ければ陣借りとかでも良いから!
0320人間七七四年
2011/07/30(土) 16:29:14.33ID:xrEjnSBZ0321人間七七四年
2011/08/01(月) 20:05:30.23ID:yL7v4u8l徳川家康の特徴…信長や秀吉のような天才ではないが、並外れた忍耐強さ、模倣
主義、自己抑制力、といった性格で天下を制した、一種の異常人。
294 :人間七七四年:2011/07/20(水) 00:16:39.70 ID:wu9EhFcm
家康の側近て豪華だよね
新参譜代(本多正純・成瀬正成・安藤直次・竹腰正信)
近習出頭人(松平正綱・板倉重昌・秋元泰朝)
僧侶(南光坊天海・金地院崇伝)
学者(林羅山など)
豪商(茶屋四郎次郎・後藤庄三郎・角倉了以・湯浅作兵衛・長谷川左兵衛)
代官頭(伊奈忠次・大久保長安・彦坂元正)
外国人(ウィリアム・アダムス・ヤン・ヨーステン)
*上記はこのスレからのコピペ
菅総理の応援団
政治家 亀井静香・石井一・北沢防衛大臣
学者 田坂広志内閣参与(言霊詩人・東大出身の原子力専門家)…林羅山
http://www.sophiabank.co.jp/audio/japanese/2011/03/post_340/
小宮山宏(元東大総長)など
豪商 孫正義(ソフトバンク社長)…角倉了以
女優 吉永小百合
音楽家 坂本龍一・小林武史
スポーツ 岡田武史
映画監督 宮崎駿
0322人間七七四年
2011/08/01(月) 22:07:19.36ID:rgRMPfAg賊がビビって手を出して来ない程度の兵数なら
連れて行っても問題無かったんじゃないの?
0323人間七七四年
2011/08/02(火) 11:15:22.24ID:vJfuVgwx近くに味方の兵はいるし、京なんて自分の支配下中の支配下であり
お膝下、大声出せば誰でも自分の味方、というところ。
0324人間七七四年
2011/08/02(火) 17:08:06.91ID:/fDJCUrb伊賀だか甲賀だかで3人一組で信長狙撃したけどミスって
しばらくあとに2回目やってもミスった奴いたようだし忍者より腕いいってすごいな
0325人間七七四年
2011/08/02(火) 18:27:48.10ID:fahdC+qYそれは宿泊先の話だろう?
道中が怖くないのか?
0326人間七七四年
2011/08/02(火) 20:11:31.00ID:ZJKRKFLE0327人間七七四年
2011/08/02(火) 21:36:17.85ID:hsvGY0WG零細の大名行列状態だったんでしょ?
信長への遠慮とかあったのかなぁ?
0328人間七七四年
2011/08/02(火) 22:00:15.08ID:9ImFqjTd家康が何百人も連れていくわけにはいかないだろ
まして余所の領内に行くわけだし、大勢つれていっては無用の疑念を招くだけで何の得もない
この頃になると織田の重臣でさえ追放されるぐらいで
下手な事すれば自分の身も危ういという危機感が強かったはずだから尚更だ
0329人間七七四年
2011/08/02(火) 22:00:24.64ID:Xhpt05fX朝鮮人にしたらカンも民主党も極めて優秀な連中だよな。
順調に国を売り、日本を壊し、あくどい法律を内緒で通そうとし、
日本の危機には対応できないどころか悪化させてる。
もうカンは勲章もらえるんじゃね、韓国から。
0330人間七七四年
2011/08/03(水) 06:57:37.22ID:nDYfC+Skスエズ運河は日本が作った。
http://s1.shard.jp/deer/0203/35/244.html
明治維新の本当の目的は、スエズ運河だった。
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html )
0331人間七七四年
2011/08/04(木) 23:03:53.67ID:AZ8SJlGU公家や商人がよりつかないから少数の無防備状態。
お邪魔する方も兵なんて連れて他国領に入ったら
それだけでアヤシイ。
ただ家康だけはそれなりに精鋭メンバーだし結構
ガッチリ固めてるけどすでにかなりのVIPだから
特に問題はないかな。
しかもそれで脱出に成功してるからそういうのもさすがというか
強運というか。
0332人間七七四年
2011/08/05(金) 10:15:54.98ID:5e1mUE8m明治政府が徳川幕府disってたから?
0333人間七七四年
2011/08/05(金) 14:15:36.71ID:ekuadSYI0334人間七七四年
2011/08/07(日) 22:16:25.23ID:MPrdvFp9戦国三英傑の中で唯一神になった男ってことがわかるな
家康すっげぇええ個人的に言うと一番好きな家康は小牧長久手のころだな
機内一帯を支配してた秀吉に逆らうとかカッコよすぎ
0336人間七七四年
2011/08/08(月) 00:00:49.20ID:7W5yY8Sl自分は三方ヶ原の戦いで、家臣たちが止めるけど
「敵がわが城外をこれみよがしに踏みつけて行くのに、一矢を酬いぬのは、男ではない」
と言って出撃した家康さんは、負けたけど格好いいと思ったよ
0338人間七七四年
2011/08/08(月) 07:01:29.79ID:wu7RJfhOあそこでやられてたら日本史がどれだけ変わってたことか。
もちろん本人は自分がここまで偉大になるとはまだ思って
なかったろうけど。
0339人間七七四年
2011/08/08(月) 10:37:36.09ID:hOnKvlVw0340人間七七四年
2011/08/08(月) 15:06:10.58ID:MezPQjz40341人間七七四年
2011/08/08(月) 20:17:13.87ID:2vyYYTEy倒幕した明治政府による捏造です。
狸親父の肥満体もまた同様。
(節制による長寿の家康は健康体)
前政権の江戸幕府を貶めるために
故意に歴史を歪めて国民へ教育しました。
その誤った知識は、明治以降から平成に至る現在まで続いています。
0342人間七七四年
2011/08/08(月) 22:53:06.81ID:x+s2Mzah三河物語ってまだ読んだことないんだが、作者が作者だから家康賛辞、大久保家万歳みたいな感じなのかな
0344人間七七四年
2011/08/08(月) 23:58:52.36ID:x+s2Mzah0345人間七七四年
2011/08/09(火) 00:56:44.77ID:jWpeWX4m大河ドラマでも家康本人が「わしはうんこをもらした」などと言ってる始末
0346人間七七四年
2011/08/09(火) 01:48:31.24ID:ZN13Gnpgまああれは全力否定してたけど
0347人間七七四年
2011/08/09(火) 02:00:13.14ID:HmEV7BS1彦左衛門が捏造してまで主君を貶める理由はあるまい
0348人間七七四年
2011/08/09(火) 07:56:15.00ID:GgQJDh0V0349人間七七四年
2011/08/09(火) 09:26:18.89ID:CfixjwMiあれだけの神なんだから都合の悪いのはカットできただろうに。
三河物語は案外イヤミみたいな表現もない?
そのあたりが正直でおもろい。
0351人間七七四年
2011/08/09(火) 16:23:35.50ID:Epl3hWw4あれだけぼろ負けしてたら隠しようがないw
隠すのは無理だからぼろ負けを美談にすり替えようと必死に捏造したんだよ
0352人間七七四年
2011/08/09(火) 19:56:18.75ID:ZN13Gnpgわざわざ自分の敗戦の姿を描かせる辺り、よほど応えたんだろうな
以降、家康はその絵を見て、己を常に戒めたというし
失敗は成功の元って言葉がよく似合うわ
しかし自分の負け戦を絵にしたなんて武将、家康以外いたっけか?
0353人間七七四年
2011/08/09(火) 20:09:26.94ID:DCFD4lIo0354人間七七四年
2011/08/09(火) 22:25:35.07ID:aHBJbtop美談にすりかえた、というのはその通りだと思うけど
本当に戦の直後に描かせたのか、とかそのあたりにちょと
疑問があるんじゃなかったっけ。
信玄自体は名将として当時から人望厚かったろうし
負けたこと自体はそんなに恥と思ってなかったかも
とかそういうのも見かけたことあるな。
0355人間七七四年
2011/08/10(水) 01:10:22.66ID:JOkBuaO0戦える自体が恐怖もあるだろうけど、あの信玄と ってことで嬉しさもあったのかなあ
0356人間七七四年
2011/08/10(水) 01:26:20.83ID:idJgilM0義元や信長には格下として接しなければならなかったが、
信玄は戦っている限り対等でいられるからね
0357人間七七四年
2011/08/10(水) 01:37:05.34ID:m3FIMLD1長子相続にこだわったんだろ?
普通に優秀な弟の国松を世継ぎにしとけば、竹千代(のちの徳川家光)の苦労はなかったと思うんだ
0358人間七七四年
2011/08/10(水) 02:10:25.19ID:yMi0yRQQ恐らく、政権の継承がシステム化され継承争いの芽を無くせると考えたのでは。
0360人間七七四年
2011/08/10(水) 04:10:45.56ID:URVX2U1mもしあそこで国松に継がせていたら、次代から子供全員が相続権を主張するようになる
世継ぎ争いで暗殺が横行したり、家臣同士が争って分裂したりで御家の衰退と崩壊に繋がる
0361人間七七四年
2011/08/10(水) 09:08:07.43ID:w7MquBf0弊害はあるけどそれが基本のシステムだからなぁ。
でも家光で良かったみたいな評価はどうなの?
結果的に家光でかなりシステムが完成されてはいただろうし。
0362人間七七四年
2011/08/10(水) 12:51:18.47ID:d6Kkzqc60363人間七七四年
2011/08/10(水) 16:47:35.49ID:JOkBuaO0健康体の国松の方が将軍になってた方がいい という考えも間違いじゃないかなあ
健康体で利発なら、他の人だって納得するだろうし
家綱から(養子にしたとはいえ)弟の綱吉が続いて将軍になってるのを見ると
忠長の自決が凄く虚しく思える
でもそれで長子相続以外で決めるとすると、じゃあ他にどの方法が一番いいんだということにもなるし
忠長の駿府などの治世ってどうだったんだろう
民から、猿が農作物荒らして困ってると訴えられて、猿退治したというから
民心のことも考えられる人だったとは思うけど
0364人間七七四年
2011/08/10(水) 17:09:17.94ID:MjsPKO0q決めとけば良いだけじゃないの?
0365人間七七四年
2011/08/10(水) 19:08:32.83ID:Rx0hikSu当主に指導力があって、指名される後継者が優秀で申し分ない人物なら
それでうまくいくかもしれない。
だが、自分より無能な弟が後継者に指名されたりしたら、兄は黙ってるだろうか。
0366人間七七四年
2011/08/10(水) 19:30:18.45ID:KX1hW/0n当主に反感持ってる家老が反抗して、常に後継者争い勃発になりかねない
それなら、長子相続をまず根本にした方が、決めやすいんじゃないかな
あと、初代家康公がお決めになられたことって言うだけで、充分効力あるだろうし
0367人間七七四年
2011/08/10(水) 20:38:05.18ID:HQ+HDk+W(先代に認められた優秀な)当主が早決めして、そこら中で
お家騒動起きる方が健全じゃないのか?
0368人間七七四年
2011/08/11(木) 06:20:52.36ID:qEkB6n9a家康の後継者として当初から育成されてきたのは秀忠。
官位も秀忠の方が高い。
お家騒動起きる方が健全って考え方がよくわからんな。
ずっと戦国時代やってろってことか。
0369人間七七四年
2011/08/11(木) 11:07:55.23ID:oMNhPsGw後継者枠には入れないだろ
よその家に養子に行った人間は、どこでも後継者にはなれない
お家騒動起きる方がお家の恥だろう
お家騒動がひどすぎて改易になった家もなかったか
0370人間七七四年
2011/08/11(木) 23:03:22.85ID:3ximrjdJどういうギャグ?
0371人間七七四年
2011/08/11(木) 23:52:16.17ID:XW4x6nhtVS 一部の反対派と庶子
で圧倒的大差の小競合いくらい無きゃ
平和ボケちゃうでしょ。
田舎の警察官じゃないけど、乱を忘れず だw
0372人間七七四年
2011/08/11(木) 23:57:52.31ID:oMNhPsGw争いを起こさせない事が第一だろうが 何のために戦国の世を終わらせたと思ってるんだ
0373人間七七四年
2011/08/12(金) 05:24:48.72ID:PVlIZb7e御三家全員の反対を押し切って好き放題は出来ない。
良い緊張状態があったからこそ、
超長期政権だったのではないのか?
0374人間七七四年
2011/08/12(金) 05:34:31.98ID:PVlIZb7e血祭りに挙げるような暴動が起こる国なら
もっと良い世の中になると確信するけどな。
原発事故らせた責任者(設計当時の役員?)は、
日本から兆円単位(俺だけでも千万)の富を失わせたのだから
私財没収の上、終身刑が妥当と思われる。
0376人間七七四年
2011/08/12(金) 06:23:42.01ID:S9ad4s0b0377人間七七四年
2011/08/12(金) 10:15:17.74ID:JB3De6/8にしても暴動が起こる国が良い世の中って
すさまじいな〜。
0378人間七七四年
2011/08/12(金) 17:08:30.67ID:LXncL11T虐殺されて当然だろ?
腐った組織は根本から絶たないと良くならない。
0379人間七七四年
2011/08/12(金) 17:25:06.94ID:kvYsXv6g夏の暑い時でも、熱いうどんを啜ったと聞いたが(同じように旬の過ぎたものも食わない)
自分は権現様のようにはなれない…… この暑さは冷たいものいくらあっても足りんわ
0380人間七七四年
2011/08/12(金) 20:08:35.39ID:1VU4DAeP0381人間七七四年
2011/08/12(金) 20:41:57.34ID:kvYsXv6g体内から熱くなってきてやっぱりダメだった 慣れなんだろうか
0382人間七七四年
2011/08/12(金) 20:59:24.13ID:LXncL11T冷たいとかあったのか (′・_・`)?
大樹寺かどこかに陣構えて、「鶏が鳴いたら起こせ」って命じて
メチャ早く鳴いたけど起こしたら、物凄く良いタイミングで勝てた
って話無かったっけ?
0383人間七七四年
2011/08/13(土) 13:13:57.33ID:RDwqtWn8当時だって氷室はあったんだろうし
0384人間七七四年
2011/08/13(土) 17:36:58.73ID:XfdPa1tlとても体を壊せるほどの量は冷やせないと思うw
5月に銀座の井戸水
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1898319.jpg
触ったけど、大して冷たくなかった(10度?)から
その辺が限界じゃないの?
放射冷却か何かの原理を利用しても無理w
0385人間七七四年
2011/08/13(土) 18:37:54.19ID:BP8twgTw冷たい食事は、火を通していないものもあるから
食中毒の危険性もあるので、避けていたって、本で読んだことある
0386人間七七四年
2011/08/13(土) 21:42:23.72ID:XfdPa1tl俺は井戸で冷やしたキュウリとか思い浮かべてたんだけど
この時代の冷たい食い物って何?
0387人間七七四年
2011/08/13(土) 22:10:55.36ID:kC6Ww9zJ家康本人は食べてたんだろうか?
0388人間七七四年
2011/08/14(日) 10:25:01.63ID:r5NxAu3z0389人間七七四年
2011/08/14(日) 12:19:47.69ID:o2VoK20W0390人間七七四年
2011/08/14(日) 19:16:23.22ID:7PC1tYvL後ろを向くが良い
0392人間七七四年
2011/08/14(日) 19:53:30.67ID:58/2aI55再現してたみたいね、気化熱を利用するの。
井戸水売りが「ひやっこ〜い」て売ってたし
氷とまではいかないけど井戸水の冷たさを
知ってる人も少なくなったろうねぇ。
0393人間七七四年
2011/08/14(日) 23:10:24.94ID:8vyiIMpN織田家以外は大して似てない気がしたのだが、、、
0394人間七七四年
2011/08/14(日) 23:27:11.98ID:7PC1tYvLキュウリを輪切りにしたときの模様が、葵の紋に似ていたかららしい
御家人や旗本は、恐れ多くて食べられなかったんだと
0396奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/08/14(日) 23:47:53.69ID:uQOlNkSK0397人間七七四年
2011/08/15(月) 06:43:43.28ID:UfKGN9fBものすごく好きだったんだっけか。
0398人間七七四年
2011/08/15(月) 14:35:15.14ID:6GyWH9Wp大抵キュウリっぽくなると思うんだけどな、、、
0399人間七七四年
2011/08/15(月) 19:11:17.57ID:eHBZhEIIttp://www.photolibrary.jp/mhd7/img127/450-2009070114252146561.jpg
言われてみれば、確かに葵のご紋っぽいかも
0400人間七七四年
2011/08/15(月) 19:25:27.89ID:NveXDfL0即ち、あらゆる情勢について
重臣十数人くらいの規模で集まって、
意見交換や方針を話合うとかだけど。
大事な事だと思うのに、軍議以外では4人くらいで決めちゃって
日常的にあんまり話合ってるイメージが無い。
0401人間七七四年
2011/08/15(月) 19:28:57.17ID:NveXDfL0いまこういう工作掛けられてるから注意しろとか
数人の近臣で何でも決めたらいけないくらい
大事だと思うんだけどなぁ、、、
0402人間七七四年
2011/08/15(月) 20:02:19.08ID:LNrrdclm合戦に勝利したとか、今こんな状況だとか、やはり手紙による伝達方法じゃ
数週間、数ヶ月もかかるから、細目に何度も何度も同じ手紙出したみたいだね
あと本当に届けられたかどうか判断できないのって、すごくもどかしいだろうな
0403人間七七四年
2011/08/15(月) 20:21:50.40ID:NveXDfL0野戦の時なんか
1〜〜したらこうしろ
2〜〜したらこうしろ
3〜〜したらこうしろ
4〜〜したら降伏しろ
絶対〜〜はするな!
みたいにある程度パターン化して紙で命令しておけば
もっと思い通りに動いたはずなんだよな (′・_・`)
0404人間七七四年
2011/08/15(月) 20:54:02.83ID:dfpnvFMA0405人間七七四年
2011/08/15(月) 21:13:43.22ID:dfpnvFMA信長の完全支配下である地域に
VIP待遇でお呼びがかかったんだから
兵士を連れて行く必要は無いね
四天王など側近は同行者として当然の格だから
>>337
高橋紹運を始めとしてバカ武将というのは山盛りおりますな
>>354
わざわざ公的に記録として「○○年に描かせた」なんて残すものじゃないしね
しかし明らかに否定できる何かが出てくるまではそのままでいいんじゃないかと
最近よくある肖像画の訂正とかね
>>355
アンチに言わせれば信玄戦国最強説は家康の格を上げるためだと
あの信玄に負けたなら仕方ないと思わせるために
ヲタにしろアンチにしろ歴史の彼方のことだからなんとでも言えるけどねwww
>>366
家康の威光は相当後まであったようだから無駄な争いを作らなくしたという点については評価できると思う
何代も前に家康から貰った書状を盾に時の権力の要請すら撥ね付けた例もあったというから家康すごすぎるwww
その威光を物凄く高めたのは家光だよなあ
>>395
でも食ってたと思うよwww
0406人間七七四年
2011/08/16(火) 00:05:19.25ID:qQBeT+CLこの理論が成立つって事は、
大名は色んな支配城に護衛数人で入ってたって事?
伊達輝宗みたいな事って稀だったの?
0407死
2011/08/16(火) 05:40:22.48ID:pwL9FcEK0409人間七七四年
2011/08/16(火) 22:06:55.44ID:6LS8tnge本能寺の頃ってことだから近畿は信長が完全に抑えちゃってたから
変な心配は無くない?
明智だからこその油断だったわけだし
0410人間七七四年
2011/08/16(火) 22:33:50.87ID:dr/eKGf2確実に察知されるだけの兵数(千とか)じゃないと
討取れなかったのだろうか?
0411人間七七四年
2011/08/16(火) 23:11:20.81ID:JRQfTHo/0412人間七七四年
2011/08/16(火) 23:48:05.11ID:sTTdx1yb結構いたような希ガスる
伊賀越えについて研究した人の本に全員に名前があって
ただこれは単なるお呼ばれだけどwww
兄貴が舎弟を招いてちょっと自慢したかったみたいな
それと共にこの差はもうお前は俺に歯向かえないぞという威圧
0413人間七七四年
2011/08/17(水) 13:05:04.77ID:8GGGNWxS家康公以外はバリバリの武人でしょ。
実際100人程度だから敵が仕掛けて来ずに
小金で我慢したんじゃないのか?
買収して供に出来る連中居なかったんかな?
0414人間七七四年
2011/08/17(水) 13:49:16.97ID:MrtQ/cnl0415人間七七四年
2011/08/17(水) 14:24:37.15ID:8GGGNWxS武将よりは数段弱かったんじゃないのか?
0416人間七七四年
2011/08/17(水) 16:01:44.06ID:wrtbLFqD0417人間七七四年
2011/08/17(水) 17:04:06.60ID:Lrm5Sx6y0418人間七七四年
2011/08/17(水) 17:05:14.62ID:hF/llaZ00419人間七七四年
2011/08/17(水) 18:24:43.55ID:eW2mCXtn秀吉とかも免許皆伝してないの?
0420人間七七四年
2011/08/17(水) 18:46:18.03ID:wrtbLFqD掛かっていたら、何人か斬ったとかの話があるだろうが、その手の話は
三方ヶ原の戦いで逃げるときに騎射で突破したという話くらい
秀吉はやはり出自の問題等で、そういうのを学ぶ気がなかったんでしょう
0421人間七七四年
2011/08/17(水) 18:47:11.66ID:XHHYPLz90422人間七七四年
2011/08/17(水) 20:49:05.93ID:hF/llaZ00423人間七七四年
2011/08/17(水) 20:56:46.38ID:XHHYPLz90424人間七七四年
2011/08/17(水) 20:57:59.17ID:wrtbLFqD0425人間七七四年
2011/08/17(水) 20:59:44.14ID:Lrm5Sx6y秀秋が最前線で戦ったら大将にあるまじきと領地半減の厳罰
0426人間七七四年
2011/08/17(水) 21:02:52.94ID:Uji8NutIスレチで悪い。
0427人間七七四年
2011/08/17(水) 21:08:37.57ID:wrtbLFqD0428人間七七四年
2011/08/18(木) 00:37:02.18ID:f3hXaWuS三河時代くらいなら戦績無いの?
0429人間七七四年
2011/08/18(木) 03:05:47.88ID:lcZmFnh3一番問題の伊賀越えの頃までには服部の関係者が護衛に付いたり
金銭ばら撒きで素通りさせたという話があるんで
実際襲撃はあったとはいえ無難に通過できたんじゃないのかね
本能寺のときは北条までも織田方になってて徳川領は全方位味方
後顧の憂いも無く最強の側近家臣団を引き連れて遊覧して回ったと思われるから
>>428
武将・大名といっても基本的に当主は一番奥にいて
家臣は先頭で暴れることもあったんじゃないかね
一揆鎮圧のときは乱戦になって鉄砲で撃たれたところまではあったとか
0430人間七七四年
2011/08/18(木) 14:12:30.03ID:1zABU6oo伊賀越えの時大人しく引下った連中で
後に重用されたのって居ないのかなぁ?
半蔵と佃村くらいしか覚えてないw
0431人間七七四年
2011/08/28(日) 21:04:14.40ID:P7jRVU3E本当に暗殺恐れて?
0432人間七七四年
2011/08/28(日) 21:49:30.06ID:b849g2Fj0433人間七七四年
2011/08/28(日) 22:01:14.25ID:QcjGOYQE0434人間七七四年
2011/08/28(日) 22:02:47.53ID:Xkgxuhh20435人間七七四年
2011/08/29(月) 02:17:02.65ID:HhwXTGSY誰もいないのはおかしい
0436人間七七四年
2011/08/29(月) 02:19:57.29ID:Jz6crQoq0437人間七七四年
2011/08/29(月) 10:31:51.08ID:+ZfBQNrJそれが一番の理由だと思うなぁ
まだ若い秀忠にこれから始まるドロドロの謀略劇を見せたく無かったのも
あるだろうなぁ。
見せてしまうと父親不信になって出奔とかしかねない。
0438人間七七四年
2011/08/29(月) 12:11:13.47ID:9QHUGWpf側室も持てないほどのカカァ天下だったんじゃないの?
0439人間七七四年
2011/08/29(月) 18:41:37.34ID:G7S70noy最初から跡取りにしねぇ しかも父親はあの家康なんだし
0440人間七七四年
2011/08/29(月) 19:51:07.11ID:42DrzXVb居なくなったら活動を始めたのが家康だぞ
秀忠は同じことをやってるだけで
資質としてなんの問題も無いよ
ただ家康は時代として武の方もなければならなかったけど
秀忠は武が要らなくなってくる時代向けの人間だから
それも見定めて秀忠に決めたんだろうし
あとついでに3代目を家光にしたのも正解だったなと思えるよ
忠長は父母に可愛がられすぎてた
3代目になったら家光どころじゃないわがまま暴君になってた危険性があったと思う
そうなったらまだ出来立ての幕府では各地に不満分子がまたたまってきて
あっさりと幕府転覆という方向に
0442人間七七四年
2011/08/29(月) 23:22:25.90ID:/qiv5LXVあんなお古を秀吉から宛がわれて
何の罰ゲームだ
0443人間七七四年
2011/08/29(月) 23:59:53.31ID:W+lQ7gGp切捨てるかさっさと離縁すると思うのだが
そういう大名って少なかったのか?
後北条くらいしか思いつかんのだが、、、
0444人間七七四年
2011/08/30(火) 01:04:26.79ID:4hXTaKg30445人間七七四年
2011/08/30(火) 01:21:16.70ID:VrX4ARZD0446人間七七四年
2011/08/30(火) 01:26:21.35ID:ZEPL0D5Uビビッときたんでないだろうか
0447人間七七四年
2011/08/30(火) 01:34:18.99ID:fpPxBspv織田系の大名だっていまだ健在だし
0448人間七七四年
2011/08/30(火) 14:09:25.02ID:jkii8kjz現に次々と産んでたわけだから・・・。
0449人間七七四年
2011/08/30(火) 17:44:52.91ID:lIS/ilAu0450人間七七四年
2011/08/30(火) 20:52:34.37ID:wK6kRxZc秀吉のゴリ押し婚だろ
0451人間七七四年
2011/08/30(火) 22:44:19.52ID:WoyNgELo0452人間七七四年
2011/08/31(水) 01:47:24.54ID:wfoo6p12茶々は子種極薄の秀吉の子を2人も生み、完、江、和子、珠姫はパコパコ
生んでいる。
何気に気付いたけど家康ってあれだけ子だくさんなのに娘は少ないよね。
0453人間七七四年
2011/08/31(水) 02:06:35.65ID:bPuSQstp0454人間七七四年
2011/08/31(水) 08:53:41.65ID:PYHBf7BI0455人間七七四年
2011/08/31(水) 15:34:23.44ID:fwmU/OgY丈夫力でもすごいもんだわな。
0456人間七七四年
2011/08/31(水) 16:34:44.00ID:BKxFkt4Uその繁殖力は大したもんだね
0457人間七七四年
2011/08/31(水) 16:37:52.83ID:zCy8ZROv0458人間七七四年
2011/08/31(水) 16:38:29.42ID:bPuSQstp0459人間七七四年
2011/08/31(水) 19:37:23.96ID:jQ4lKJld織田の防波堤にはなってたけど
豊臣に対してはやはり障害だったと思う
0460人間七七四年
2011/08/31(水) 19:58:57.75ID:Q17qP946人材不足の豊臣統治にも貢献してるよ
0461人間七七四年
2011/08/31(水) 20:28:59.78ID:PYHBf7BI0463人間七七四年
2011/08/31(水) 23:32:55.27ID:IOYVj3pB家康って苦労人というより機を捉えてコツコツと努力を積み重ねていった人
って感じだね
0464人間七七四年
2011/08/31(水) 23:53:37.19ID:zCy8ZROv見た見た もう一時間ほしかった 中途半端に終わりすぎだ
ああいう人だからこそ、最後に天下取れたのかな
0465人間七七四年
2011/09/01(木) 10:16:48.15ID:5Kzc+Aab0466人間七七四年
2011/09/01(木) 11:11:02.93ID:llxtB2qc村正の話は初耳だったけどw
0468人間七七四年
2011/09/02(金) 00:11:44.55ID:nAeM1ExL2ちゃんねるの名無しの書き逃げ1レスっていうのはよくある
0469人間七七四年
2011/09/02(金) 00:15:55.36ID:/tsr3TT+0470人間七七四年
2011/09/02(金) 00:42:37.82ID:lOA9pGXV2chならソース出せって言えば嘘か本当か直ぐに分かるけど
TVはソースも提示せずに平然と珍説流したりするから始末に悪い
しかも一方的に押し付けるだけだし
事実云々以前にTVはかなり害がある
0471人間七七四年
2011/09/02(金) 08:14:38.65ID:X2cBP2AY0472人間七七四年
2011/09/02(金) 08:15:41.33ID:X2cBP2AY0473人間七七四年
2011/09/02(金) 09:27:44.21ID:BUPsOr79頭からテレビがダメと言ってる奴はテレビ叩きたいだけなんだろう
ヒストリアの家康について言えば、小和田の意見に反対という人はいるだろうが、
紹介してる内容は通説なぞってるだけだから問題になりようがない
0474人間七七四年
2011/09/02(金) 12:48:15.22ID:XFzHDnjc0476人間七七四年
2011/09/02(金) 14:06:05.31ID:i0t0eR7t昔からTVの捏造・偏向報道が問題になってるだろ
TVに限らず書籍に関してもソース挙げないものは信頼に足らない
悪意すら含んでいるものがあるから、マスコミのやる事には疑ってかかるべきである
0477人間七七四年
2011/09/02(金) 17:07:28.88ID:aqGgVsQD他国のささいなデモは報道するくせに
0478人間七七四年
2011/09/02(金) 18:42:37.95ID:lXFm58a2いやだからソースはっていうと2ちゃんねるの名無しなんだよ
それはすでに過去のどこかのスレに出たものだから
更にそのソースの本人に問いただそうとしてもスレが終わってたりするし
どうせそいつも逃げて答えない、日付が変わったらIDも変わっちゃうからね
そんなことだから2ちゃんの名無しにコロッと騙されてるやつが
それに沿ってテレビを叩いてる滑稽さがあるということ
ここでの話のことだとしたら
>>473でいう通説はなかなか書き換えが難しいから
専門の論文でもないかぎり通説を使わざるを得ないというのはやむをえない話
例えば今じゃ有名な合戦ですら真偽取りざたされてるけど
それぞれ通説を覆すほどの決定的証拠が無いというのもまだ通説を使っている拠り所でもあるし
今のところ通説が一番書き換えられつつあるのがやっとのことで長篠ぐらいなもんじゃないかね
それ以外はまだこれからというところ
0480人間七七四年
2011/09/02(金) 23:11:30.64ID:UcMPF7EWいや、だからそうやって確認とれるわけだよ
そういう風にソース出せって言って出せなければ嘘だって直ぐに分かるだろ?
だがTVは一方的に垂れ流すだけだから極めて危険なものだ
>>479
あくまでTVよりマシと言うだけで信頼できるわけじゃない
ただ、こうやって会話できるだけTVよりは価値がある
例えくだらない議論でもお互い交わしていれば信頼できる情報か取捨選択し易くなる
0481人間七七四年
2011/09/02(金) 23:27:34.71ID:4V5TGJM1そういうのの真偽を見分けられない各個人の能力ちゅうか
それ以前の知識考え方の問題じゃないのか。
トイレの落書きを信用するか疑うかなんて
いちいち語り合うことでもあるまい。
台風の気圧低下でみんなどうかしちゃったのか。
0482人間七七四年
2011/09/03(土) 00:40:44.00ID:S7Ac/Kr+ソースなんてこのような匿名掲示板ではめったにお目にかからないし、
むしろソース出せなんて2ch的議論に負けた奴の言い草にすぎない
0483人間七七四年
2011/09/03(土) 00:52:56.44ID:U+BHUIwX0484人間七七四年
2011/09/03(土) 01:16:53.41ID:ego8UTAjそれって自称富裕層が毎回勝ちって事なのか?
んなわけねーだろw
0485人間七七四年
2011/09/03(土) 01:24:48.48ID:tMFmL00q0486人間七七四年
2011/09/03(土) 10:12:48.55ID:9BE5JBmO現金収入の最新証拠画像うpできるヤツが皆無な不思議の事だよ。
0487人間七七四年
2011/09/03(土) 10:17:57.78ID:fNIrR2ajう
で
も
い
い
ス
レ
違
い
0490人間七七四年
2011/09/03(土) 17:37:40.61ID:8SLhnFZk0491人間七七四年
2011/09/03(土) 20:12:39.94ID:rIovr3LN0492人間七七四年
2011/09/03(土) 22:40:49.79ID:XxI/3ywh当然それらしい証拠は必要だろう?
0493人間七七四年
2011/09/04(日) 08:12:39.94ID:Uz5IqJkh0494人間七七四年
2011/09/04(日) 11:20:00.31ID:YK5cAeiJ0495人間七七四年
2011/09/04(日) 11:41:09.05ID:vwBCTotm3日前に存在しなかった、話題性皆無な(土日の病院紹介)
CATV番組を毎月うpしてるのに、
その地区住んでないとか言われてるw
意固地なヤツには、何したって無駄だと思いつつ
暇だから相手しちゃう ( ´△`)
0496人間七七四年
2011/09/05(月) 18:39:14.34ID:yCA0ZFmx0497人間七七四年
2011/09/05(月) 21:08:46.94ID:mrtimebo0498人間七七四年
2011/09/06(火) 11:13:49.70ID:qtVH07MZ0499人間七七四年
2011/09/06(火) 12:39:38.52ID:8IVzDf/g入ったときは僅かな供のみなので数百
暗殺計画が判明した後に、平岩を大将として大番・御家人が大坂に向かったので数千かと
0500人間七七四年
2011/09/06(火) 16:05:54.44ID:ZK/WW8O00501人間七七四年
2011/09/06(火) 16:17:15.30ID:+CQQvI0P0502人間七七四年
2011/09/06(火) 17:23:42.84ID:0wYJR5Mfその場合の兵糧はどうするんだ?
0503人間七七四年
2011/09/06(火) 19:57:48.12ID:H6plasOzその辺のヤツに斬られたりしなかったの?
東西で敵になりそうな大名に
不意打ち食らわせる隙は無かったの?
護衛をゾロゾロ連れて歩き回るわけじゃあるまいし、、、
0504人間七七四年
2011/09/06(火) 20:07:42.21ID:+CQQvI0P0506人間七七四年
2011/09/07(水) 11:08:20.38ID:KZ3u4jJ8島津討っときました。テヘ!
で片付くんじゃね?
0507人間七七四年
2011/09/08(木) 15:54:50.53ID:4s6/40vC0508人間七七四年
2011/09/12(月) 03:23:17.99ID:3p3hJWd/0509人間七七四年
2011/09/12(月) 14:09:55.58ID:lz3yYsf3なんだかしょぼい
0510人間七七四年
2011/09/19(月) 15:43:36.35ID:qH33QaG3豊臣はその家康に応えるどころか反発して自滅した。情けない。
0511人間七七四年
2011/09/19(月) 18:12:00.63ID:u2b41KZT家康は秀頼を殺したから酷い というけど
秀信は秀吉の臣従してるから生き残ってるんであって
秀頼は徳川に臣従拒否したから戦って負けたんたじゃないの?
0512人間七七四年
2011/09/19(月) 19:27:54.71ID:V8lMLWH1秀信と比べるなら当然国松だろ。
打ち首にされたけど。
0513人間七七四年
2011/09/19(月) 22:46:58.35ID:AJLoJ0jW家臣が主君に臣従を迫ると言う時点で家康の反乱であり理不尽な下剋上でしかない
秀信の場合は、秀吉は秀信の家臣じゃないし家康の場合とは全く別物
0515人間七七四年
2011/09/19(月) 23:34:30.50ID:6KqBUMsT0516人間七七四年
2011/09/20(火) 00:04:47.55ID:4e60VIX4信長→信忠への権力移行は進められていたが、本能寺の変で二人とも死んだ為にそこで主従関係は喪失している
秀信ー秀吉の主従関係は成立していない
むしろ信雄や信孝が織田家の当主として立とうとしたところを秀吉の尽力によって秀信が当主として立つ事ができたわけで
逆に秀吉が秀信に恩を与えた形になり、御恩と奉公の関係が成り立つ
たが、家康の場合は秀吉→秀頼と主従関係を結んでいる
そしてそれを解消する事もなかったから最後まで家康は秀頼の臣下である
臣下が主君に臣従を迫ったり攻めかかったり、挙げ句に殺害にまで及ぶなど言語道断
これは法的にも倫理的にも重罪である
だから家康は現代に至るまで非難され続けているわけだ
実際、非難されるべき罪を犯している
0517人間七七四年
2011/09/20(火) 00:53:42.95ID:l8kLQzIc立ててそこで熱弁ふるえば?
0518人間七七四年
2011/09/20(火) 00:56:26.69ID:5/H2vY720519人間七七四年
2011/09/20(火) 01:28:07.52ID:oVsxTp3W秀頼殺害指示は秀忠じゃないの?
0520人間七七四年
2011/09/20(火) 02:33:31.19ID:XcAPPEDE家康は将軍就任によって秀頼との関係などとっくに解消している
さらに豊臣は将軍家に対して不逞浪人を集めて反逆を企てた
これは法的にも倫理的にも重罪である
淀や秀頼は死刑にされてもまったく問題がないことは明らか
0521人間七七四年
2011/09/20(火) 08:28:32.98ID:zS0Ha55c豊臣は武家として存続するなら徳川に臣従すべきだし、
それがイヤなら大阪を捨てて公家化するべきだった
0523人間七七四年
2011/09/20(火) 09:39:38.42ID:n1ctOpjS二代目は秀頼に譲りますなどと大ウソをついていたし
0524人間七七四年
2011/09/20(火) 09:59:03.65ID:p2ZDYXGR豊臣家が政権担当能力を失った時点で、主従関係を振りかざす根拠はない
主従関係は一方的なものでなく、相互に利がないと成立しない
>>523
誰が言ったそんなこと
0525人間七七四年
2011/09/20(火) 11:49:10.04ID:XcAPPEDE豊臣の主従関係というのはあくまで天皇に忠誠を誓わせた上で
自分が天皇を補佐する関白だから自分にも服従しろという論法なわけ
関白職が五摂家に返還されて徳川が朝廷から将軍に任命されたことで
全大名の豊臣に対する主従関係は消滅している
どうも君は豊臣の主従関係を通常の武士の主従関係と勘違いしているようだ
0526人間七七四年
2011/09/20(火) 12:11:04.56ID:tRvYPPtF0527人間七七四年
2011/09/20(火) 12:50:10.53ID:VR2FW6yF豊臣の主従関係は天皇を由来するものと、もう一つ擬似一族を形成してその族長として主導するという二つの面を持っていた
>どうも君は豊臣の主従関係を通常の武士の主従関係と勘違いしているようだ
鏡に向ってどうぞ
あと>526氏の言うとおり、秀吉死後にもはっきりと秀頼に対して臣従を誓っているしね
0528人間七七四年
2011/09/20(火) 12:56:53.51ID:oGDwXKJfおそらく騙す事にかけては古今東西、家康の足元に及ぶ人間はいない
0529人間七七四年
2011/09/20(火) 13:08:38.11ID:p2ZDYXGR0531人間七七四年
2011/09/20(火) 13:38:03.83ID:uFlaqZIf0533人間七七四年
2011/09/20(火) 15:06:26.92ID:wz/fnWGG伊達を騙し、
豊臣家の大老の名のもとで東下軍を騙し、
淀、秀頼を騙し、
豊臣家を騙し討ちにした。
家康=たぬきとは良く言ったものだ。
0534人間七七四年
2011/09/20(火) 15:24:59.41ID:1dFQUsjP表面的な歴史しか知らない基地外だな
0535人間七七四年
2011/09/20(火) 15:39:29.65ID:wz/fnWGG●権力者にはひたすら忍従あるのみ。所謂、長い物には巻かれろ。
●権力者のためには家族も殺せ。兎に角、自分が一番。
●権力が手に入ったら豹変しよう。
●敵には容赦無く、どんな卑怯、理不尽な事をしても殲滅しよう。
●サプリメントを飲もう。
0536人間七七四年
2011/09/20(火) 15:42:26.49ID:spwL93Y4福島正則を味方につける為に、豊臣家への忠誠は揺るがないと騙し
毛利の本領安堵してやるからと吉川広家を騙し
大坂城で籠城しようとする毛利輝元を本領安堵してやるからと騙して開城させ
日本史上いや世界史上、家康ほど人を騙す事に長けた人間はいない
0537人間七七四年
2011/09/20(火) 15:44:04.81ID:6jtc1uQL0538人間七七四年
2011/09/20(火) 15:46:06.82ID:spwL93Y40539人間七七四年
2011/09/20(火) 15:50:20.28ID:6jtc1uQL※秀吉失態集※
・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・三木城攻略に2年も費やし、当時竹中重治と双璧といわれた谷を戦死させる
・ 熊見川で宇喜多、大友、南条、河野等にボロクソに負ける雑魚毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、 光秀軍よりも多い損害を被る
(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの
法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で後ろから襲って反撃され、逆に撃退される
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの信雄・家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に2〜3万で攻めて散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条に対し まともに倒せず
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・わずか500しか兵がいない伊豆韮山城を3万で攻めて3か月近く手間取り、重臣一柳直末を戦死させる
・わずか300程度の伊豆山中城攻防戦で重臣始め大多数の被害を出し大苦戦する
・わずか1000ほどしか兵がいない忍城を3万で攻めて落とせない
・わずか1000程度の小田原城に手も足も出ない
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
0540人間七七四年
2011/09/20(火) 15:54:30.32ID:wz/fnWGG権力者の取り巻きに潜り込んで
ひたすら尽くして覚えを頂き、
年長になるまで堪え忍び、
怖い相手が居なくなるや手のひら返してふんぞり返るという
才能とか無縁のまさにカス政治家の歩みそのものだな。
凡人が権力者になる方法で
現在でも多くの強欲なカスに支持されてるわけだな。
0541人間七七四年
2011/09/20(火) 15:55:58.53ID:5/H2vY72何をするにしても、まずは生きてこそだし
0542人間七七四年
2011/09/20(火) 15:57:25.07ID:1dFQUsjP猿の血族退治ご苦労様でした
0543人間七七四年
2011/09/20(火) 16:02:24.89ID:wz/fnWGG家康の歩みをカスどもが、これなら俺でもできると
手本にしたの間違いだな。
とても信長や秀吉のマネはできんからな。
凡人の神、権現様はさすがだね。
0545人間七七四年
2011/09/20(火) 16:06:35.95ID:wz/fnWGGそこは確かにな。
長生きすりゃあいいことも有るよという
老人の希望の星だ。
こりゃあ家康公、失礼しますた。
0546人間七七四年
2011/09/20(火) 16:06:49.16ID:p2ZDYXGR0548人間七七四年
2011/09/20(火) 16:10:24.79ID:5/H2vY72生き方の細々とした所が参考になる
0549人間七七四年
2011/09/20(火) 16:19:35.80ID:wz/fnWGGというより、権勢欲のためにこんだけ非人道的な行いをして
恥ずかしいとか考えなかったのかね。
名より実を獲るというやつか、
いるよね、こういう田舎の勘違いした
自称名士とかいうオッサン。
0550人間七七四年
2011/09/20(火) 16:20:52.35ID:6jtc1uQL0551人間七七四年
2011/09/20(火) 16:22:10.46ID:5/H2vY72はいはい(笑)で済まされている辺り、家康公もそうだったんだろうな
さすが器が違うな
0553人間七七四年
2011/09/20(火) 16:25:26.56ID:6jtc1uQL0554人間七七四年
2011/09/20(火) 16:31:46.49ID:c0J2LGt9最早、非人道的領域を突き抜けている
0555人間七七四年
2011/09/20(火) 16:37:08.54ID:wz/fnWGG騙して横領するだけだからな。
0557人間七七四年
2011/09/20(火) 16:40:18.50ID:5/H2vY720559人間七七四年
2011/09/20(火) 16:53:36.17ID:wz/fnWGG起こさずとも良い乱を自ら起こし、
関ヶ原では全国に戦を波及させ、どれだけの人が死んだの?
伏見の元忠以下配下2000人を計画的見殺しって、
大坂の陣なんて騙して大虐殺ショーじゃん。
圧倒的物量で攻めながら本陣急襲されて
逃げ惑うという演出までしてくれるのは
さすが家康公。
0560人間七七四年
2011/09/20(火) 16:58:37.51ID:6jtc1uQL>起こさずとも良い乱を自ら起こし
それって勝手に兵を挙げた身の程知らずの三成がしでかしたことじゃね?w
恩顧()も望んでいましたな
大坂の陣で大虐殺ショーってあったっけ?
0561人間七七四年
2011/09/20(火) 16:59:47.81ID:wz/fnWGGよっぽど悔しいんだろうね。
家康の悔しさを代弁してるのか?
律儀だね。家康は草場の陰で喜んでるぞ。
0562人間七七四年
2011/09/20(火) 17:01:29.20ID:6jtc1uQLいや、ずっと豊臣がなんちゃらという話をしていただろw
悔しいのは大好きな豊臣家を完膚なきまで滅ぼされたおまえだろw
0563人間七七四年
2011/09/20(火) 17:06:02.77ID:c0J2LGt9どっちが悔しいかなんて分かりきったことを…
0564人間七七四年
2011/09/20(火) 17:11:14.82ID:wz/fnWGG家康が憑依したおまえらにとってもこわーいんだろうな。
同盟者なのにひたすら下僕の如き忍従っぷりで
秀吉相手の時みたいに、ちょっと逆らって意地だけでも見せてみようなんて
微塵も考えた事無かった相手だからな。
無理ないか。
0567人間七七四年
2011/09/20(火) 17:17:09.96ID:f3bNWSdNつまり主の力が弱まったから叛いたってことだろ?そこは否定していないよ
下克上は当時の日本では必ずしも否定されるべきことではなかったから
信長だって秀吉だってそうやって前の主を乗り越えて天下人になったのだからね
ただ、全面的に肯定されることでもなかった、やはり人の心は裏切りを嫌った
だから下克上を目指すものはみな名分やらなにやらに気を使ったもんだ
(細心の注意を払わなかった下克上は大抵ロクな結果にならない)
0568人間七七四年
2011/09/20(火) 17:17:53.10ID:FvCFQ8NV0571人間七七四年
2011/09/20(火) 17:28:34.09ID:wz/fnWGG人の質問って何?
非人道とか?まさか大坂の陣の事いってんの?
だから、秀吉が非人道でないなんて一言も言ってないし、
そうだな家康の場合は無理難題を押しつけたり、
ゴリ押し因縁つけたり、見苦しい騙しばっかという
当にイジメ的非人道で、よりオマエらも身近に思えるとか言ってたな。
だいたい、オマエは勝手に三成が挙兵したとか、
大坂の陣の虐殺を知らん白雉レベル全開のくせに
>人の質問に答えましょうね
なんて上から目線口調でアンカーまでつけて言う
恥ずかしい人間だということに気付けよ。
0572人間七七四年
2011/09/20(火) 17:30:52.70ID:6jtc1uQLそして豊臣方に与するものは浪人衆しかなかった
豊臣恩顧なんて脆いものだ
>>571
なら大坂の陣での大量虐殺ショーの詳細を教えてくれよ
虐殺の意味をわかってんだろうな?
0573人間七七四年
2011/09/20(火) 17:34:24.84ID:6jtc1uQL方広寺の鐘の事か?
あれは大坂方の挑発行為であったとの見方が今はされているんだよ
0574人間七七四年
2011/09/20(火) 17:34:43.39ID:f3bNWSdN「家康は秀吉(あるいは豊臣家、秀頼)と主従関係になかった(あるいは、切れた)、
だから家康が豊臣を滅ぼしたのは主に背く下克上ではない!」
そう主張して、否定されると今度は
「豊臣が力を失ったから家康が天下を獲ったんだよ」
と下克上の論理で家康を肯定しようとする
当時の価値観と現代人の価値観をごっちゃにするから主張も混乱する
個人的には家康の行為も下克上でいいと思うのだけどねえ
ただ、信長や秀吉と異なるのは、前主の血統を臣下として政権に組み込めなかった
0575人間七七四年
2011/09/20(火) 17:39:13.07ID:wz/fnWGG出たよ。教えてクレクレだよ。
こういうヤツには教えない。
というかホント知らないって驚き。
せめて屏風絵だけでも見てきたら。
0577人間七七四年
2011/09/20(火) 17:43:27.16ID:gD7Eh1gPあんなもんコピペするなよw
0578人間七七四年
2011/09/20(火) 17:46:53.88ID:O8oFqoVYあと内堀埋立も約束通りだったって。
0579人間七七四年
2011/09/20(火) 17:47:24.92ID:wz/fnWGGおまえホントに恥ずかしいやつやな。
0582人間七七四年
2011/09/20(火) 21:09:18.90ID:6713mpaZ名を捨てて利を取るか、利を捨てて名を取るか
と言う選択で家康は前者を選んだわけだから
後世に奸臣として叩かれるのは家康も覚悟していただろう
だから無理矢理善人に仕立てる必要はない
家康は奸雄としてこそ価値がある
0583人間七七四年
2011/09/20(火) 21:59:58.99ID:cC9LFbfB子孫からは恨まれ、世の識者達からは嘲笑されるだろ
豊臣を潰すことをためらったのは、名を惜しんだからではなく、
秀吉の信頼を裏切ることが心苦しかったからにすぎない
0584人間七七四年
2011/09/20(火) 22:52:30.56ID:XcAPPEDE>豊臣の主従関係は天皇を由来するものと、もう一つ擬似一族を形成してその族長として主導するという二つの面を持っていた
君の言う擬似一族というのはどう拡大解釈しても豊臣姓を貰った連中くらいしか入らない
別に家康は豊臣の擬似一族でもなんでもないから後者は関係ないわけ
前者については関白職返還と将軍就任により豊臣との関係は解消されているから問題ない
淀や秀頼がこの解消を認めないかどうかなどまったく重要ではない
0586人間七七四年
2011/09/20(火) 23:19:29.95ID:5/H2vY72だね 家康がやったことはやったことだし
清濁併せ呑んでこそだろうにね
どこぞの小説家のように、秀吉好きなくせに晩年の秀吉は愛せないような
心の狭いことは言いたくない
0588人間七七四年
2011/09/21(水) 00:40:04.55ID:MhDCDUp40589人間七七四年
2011/09/21(水) 00:57:51.65ID:CCTIZEYh二代将軍秀忠の「秀」の字が秀吉からの偏諱であることは
『徳川実紀』にも記されている周知の事実だし、
家康秀忠の両人が豊臣姓を名乗っていた可能性も近年指摘されている(村川浩平氏の研究など)
それに加えて家康の後妻として秀吉の妹である朝日姫を嫁がせ、
その嫡男である秀忠の妻に秀吉の側室であり秀頼の母親である淀の妹江を宛てがい、
更には秀頼の正妻として秀忠の娘千姫を嫁がせることを約束させるなど、
秀吉側からの血縁による「徳川家取り込み戦略」というのは割りと執拗で効果的だった
関ヶ原の戦いの後、家康は秀頼成人後に権力を返すという名目で
豊臣家を懐柔し征夷大将軍に就任したと言われるが、
客観的に見れば明らかに豊臣政権からの離反を意味するこの叙任も、
「親戚のおじさんが言うことだから大丈夫」みたいな気安さが
豊臣家側にあったとすれば理解できなくもないと思う
0590人間七七四年
2011/09/21(水) 01:11:57.34ID:s/9GPaO/家康も羽柴武蔵大納言・羽柴江戸大納言って残ってるだろ。
当然息子や他の大老同様、羽柴氏だけでなく豊臣姓も下賜されていただろうね。
0591人間七七四年
2011/09/21(水) 01:15:49.88ID:Bi+PWIHh0592人間七七四年
2011/09/21(水) 01:27:29.98ID:CCTIZEYh家康秀忠への豊臣賜姓の事実は一言も記されていないんだよね
『東照宮御実紀』の序文を読むと、徳川家が創設以来
始終一貫して新田源氏を称していたかのような記述をなされている
秀吉存命中の徳川家の昇叙は豊臣氏として受けた可能性が高いと思われるが、
家光の依頼によって再発行され、現在日光東照宮に残されている
宣旨では源氏として受けたこととなっている
おそらく一時的にでも徳川家が豊臣氏の「御連枝」として位置づけられたことが
江戸幕府にとって如何にも都合が悪かったから、後世に改竄されたんだろう
0593人間七七四年
2011/09/21(水) 09:30:09.35ID:Bi+PWIHh0594人間七七四年
2011/09/21(水) 11:42:37.64ID:Zbox1VwH家康の大好きな鎌倉幕府なんか源氏→藤原→宮家と将軍の氏がころころ変わってるし
0595人間七七四年
2011/09/21(水) 11:56:00.77ID:Bi+PWIHh徳川幕府の開祖が氏をコロコロ変えてたのがまずいって話だぞ?
0596人間七七四年
2011/09/21(水) 12:27:14.22ID:6IRotTAm■■■■■朝鮮人がまたも日本文化を愚弄■■■■■
∧ ∧
ヽ<`∀´>ノ < 「氏名」は差別ニダ!
(( ノ( )ヽ ))
< >
神戸市が「氏名」を差別用語認定へ
http://s.webry.info/sp/hibikan.at.webry.info/201103/article_16.html
0597人間七七四年
2011/09/22(木) 00:29:38.64ID:+vUOx3tdハイレベルで相手にしない人と知らない人がいそうだが。
安土幕府とか藤田も立派なトンデモさん指定になっちゃたか。
0598人間七七四年
2011/09/22(木) 07:14:46.91ID:63j5E2iG0599人間七七四年
2011/09/22(木) 11:25:19.28ID:DlNWIy+Rいわゆる歴女の支持を得ている武将は伊達以外は関ヶ原で家康に敵対した武将だからねえ。
0600人間七七四年
2011/09/22(木) 11:38:41.17ID:BBBKz9+p戦死してないからね
0601人間七七四年
2011/09/22(木) 14:05:16.00ID:ZC1g8zzK0602人間七七四年
2011/09/22(木) 14:10:17.90ID:yPQSH/T00603人間七七四年
2011/09/22(木) 14:20:29.22ID:4E8OMKHbこの人は地味だからこそいいんだ
0604人間七七四年
2011/09/22(木) 14:34:09.48ID:zIphogKS0605人間七七四年
2011/09/22(木) 14:39:41.01ID:4E8OMKHb0606人間七七四年
2011/09/22(木) 15:27:07.80ID:UAZ3hP0s0607人間七七四年
2011/09/22(木) 16:06:57.21ID:2NpvCf4/大坂の陣での虐殺数は20万人と信長と秀吉以上にうんと派手だったからな
0608人間七七四年
2011/09/22(木) 16:14:44.40ID:oYU0uz2m信長と秀吉は本人の指示だが、家康のそれは家康の指示か?
0610人間七七四年
2011/09/22(木) 17:53:08.01ID:4E8OMKHb女子供容赦なく撫で斬りとか、籠城していた人全員皆殺しは虐殺じゃないの?
0611人間七七四年
2011/09/22(木) 19:32:00.25ID:ien3zNOq家康の指示じゃないとしたらなお悪い
徳川軍は全く統制がとれておらず野盗紛いの軍団だったと言う事だ
0612人間七七四年
2011/09/22(木) 19:40:34.73ID:rewZTO0G家康は大名の統率程度できないボンクラを証明してるようなもんだ
0613人間七七四年
2011/09/22(木) 19:49:25.69ID:yPQSH/T0しかも虐殺数は20万人ってのは何の話だ?
それにどこの大名所属かもわからない下層足軽のやる事まで面倒みれるかよ
0614人間七七四年
2011/09/22(木) 19:56:21.34ID:4E8OMKHb0615人間七七四年
2011/09/23(金) 00:10:35.61ID:9HmTHXFM悪逆非道の豊臣を倒した「我らが同胞の英雄」であるとしてw
0616人間七七四年
2011/09/23(金) 00:17:40.37ID:IOUHzGU7信長や秀吉の政策はどう評価されてるんだろう
0618人間七七四年
2011/09/23(金) 01:18:03.25ID:ln4uRqly厳しく教育されて実力を蓄えていたんだ
そして桶狭間の戦いの後人質生活から解放されて今までたまっていたマグマが爆発したんだ!
マグマが大爆発して潜在能力を発揮しまくりの家康が最終的に天下を取るのは
必然のことだと思う
0619人間七七四年
2011/09/23(金) 01:52:38.31ID:hH5j7W1d・・・読まないで飛ばした
たぶん正解
0620人間七七四年
2011/09/23(金) 03:29:34.17ID:ZAxMlNoT因果は巡るという奴ですな。
0621人間七七四年
2011/09/23(金) 08:16:11.95ID:NRao6q4N秀吉は家康みたいに一族根絶やしはしてないけど?
残忍度では家康の方がずっと上
0622人間七七四年
2011/09/23(金) 08:17:53.11ID:7QzjfLbQあそこまでやったら根絶やしにされて当然w
0624人間七七四年
2011/09/23(金) 08:49:23.22ID:5APFghmK秀吉は戦争じゃないからタチが悪い
しかも殺し方も鬼畜そのもので常軌を逸している
0625人間七七四年
2011/09/23(金) 08:54:10.82ID:tmW8Gn+70626人間七七四年
2011/09/23(金) 10:35:51.91ID:veNQB94v0627人間七七四年
2011/09/23(金) 12:32:27.62ID:ZAxMlNoT信孝切腹、信雄追放、信包改易だぜ。
家康の場合は結果論として豊臣家を滅亡させたけどそこに至るまで
色々妥協案を提示ている。
秀頼に提示した条件は秀信の待遇よりずっと良いものだし。
自身が高齢にもかかわらず長期間かけて臣従させようとしていた。
そういった条件を全て蹴って臣従しないのだからしょうがない。
0628人間七七四年
2011/09/23(金) 21:17:58.26ID:eCO7z5Hi信孝を切腹させたのは信雄
信雄は既に秀吉の臣下であったのにも関わらず主命に逆らったのだから自業自得
しかも大幅な加増であったにも関わらず何故逆らったのか謎
信包も同様
しかも改易されたものの、直ぐに大名として復帰できた
秀信は危うく織田家の当主を奪われるところを秀吉に保護して貰い、嫡流の命脈を保つ事が出来た
以上の様に秀吉は非常に甘い
まあ、結局この甘さが命取りになったわけだが
一方、家康は秀頼の臣下であるにも関わらず専横の限りを尽くし
揚げ句に不敬にも大坂城から出てけと言う始末
これはもう言い訳できるレベルじゃない
まさに奸臣のなかの奸臣
キンギオブ奸臣だ
0631人間七七四年
2011/09/23(金) 22:56:13.41ID:7QzjfLbQ0632人間七七四年
2011/09/24(土) 09:46:33.36ID:bvDEYpEy震災で亡くなった(?)荒らしは秀吉厨というより家康アンチだったから、
向こうのほうが純粋だったなあ
0633人間七七四年
2011/09/24(土) 14:53:02.54ID:xRt3Axfv0635人間七七四年
2011/09/24(土) 15:06:09.06ID:AN/ho3AU0636人間七七四年
2011/09/24(土) 15:13:05.29ID:ARQbJGxK0637人間七七四年
2011/09/24(土) 16:48:38.92ID:ZlVe8NFuこれなら仙台百姓が地獄からよみがえって来る方がまし。
0638人間七七四年
2011/09/25(日) 12:44:38.21ID:GCuwD7oW0639人間七七四年
2011/09/25(日) 13:12:30.64ID:RFjBBp7e家康公とのギャップというか、素朴のような儚げなような、そんな印象を受けた
0640人間七七四年
2011/09/26(月) 09:45:01.07ID:IUtrZD5N0641人間七七四年
2011/09/26(月) 09:48:31.53ID:TqlBvwjk利休切腹、秀次一族虐殺事件に関与した大河の石田三成は
一体どこが正当化されてたの?
裏切り者ばかりだったよね?
石田厨は黙りましょうね
0642人間七七四年
2011/09/26(月) 10:02:11.70ID:IUtrZD5Nそりゃ、それ以下って事なんだから当然なんだがな。
信長から秀吉って、あまりそう感じさせないんだが
秀吉から家康って、どうも手際が悪いんだよな。
いかにも残りカスって格の違いが明かで。
0643人間七七四年
2011/09/26(月) 10:08:08.50ID:TqlBvwjk0644人間七七四年
2011/09/26(月) 10:42:04.91ID:+z6kIInJ信長は別格
0645人間七七四年
2011/09/26(月) 16:42:54.25ID:OHfhXgUn0646人間七七四年
2011/09/26(月) 17:28:22.58ID:IUtrZD5N0647人間七七四年
2011/09/26(月) 18:13:40.84ID:cfvZ3EJt家康は昔から棚ぼたと言われて信長や秀吉より格下に扱われている
やはり「戦国の覇者」ではなく「派閥争いの勝者」である点が日本人の嗜好に合わず低評価になっているのだろう
0648人間七七四年
2011/09/26(月) 19:36:12.74ID:efH7QDyo0649人間七七四年
2011/09/26(月) 21:34:55.15ID:rc660gVp人気がない、の間違いだろ。
世間で一番評価が高いのは家康だぞ。いやホントに。
0650人間七七四年
2011/09/26(月) 23:33:20.21ID:erwwilnn年寄りで家康嫌いというのは少し歴史をかじったぐらいのが多いし
マジ嫌ってるとしたらその人の認識がどっかでおかしいんだろうし。
0651人間七七四年
2011/09/27(火) 00:12:44.75ID:iVH/hvYqそれを覆したのが、山岡荘八の「徳川家康」と聞いたんだけど
0653人間七七四年
2011/09/27(火) 05:46:23.42ID:tsiRuQEl0654人間七七四年
2011/09/27(火) 07:56:53.39ID:XY2DIxhz人間性全般という意味じゃなくて歴史認識ということね。
好きな偉人がゴダイゴ天皇とか言われるとそれ以上
話はしたくないわな。
0655人間七七四年
2011/09/27(火) 07:57:37.02ID:zXGA212Yって真顔で主張するのが家康厨だからね
家康は間違いなく日本史最大の英雄の一人だが、
家康厨の民度は歴史ファンの中でも低い方
>>651
明治維新の後でも人気はともかく、武将としての評価自体は決して低くなかった
薩長によって江戸幕府の創始者家康が不当に貶められた、っつうのは根拠が無いし
そういう状況の中、平和の求道者、忍耐の人家康という
性格付けを行なって家康の再評価を行ったのが山岡荘八
今の家康人気の土台は山岡家康が作ったと言っても過言じゃないと思う
まあ歴史小説の系譜で言えば山岡の後に司馬や津本なんかが来るわけで、
家康sageの流れが完全に覆ったかというとそうでもない
0656人間七七四年
2011/09/27(火) 08:03:13.50ID:SgqsBtvW今でもヒットラー、スターリンを崇拝する奴がいるが
あれと全く一緒
0658人間七七四年
2011/09/27(火) 09:46:22.61ID:I2UX++PQ0659人間七七四年
2011/09/27(火) 10:58:03.75ID:fYlVKB7Fいまでもいてそういうのは家康が嫌いって話ね。
「江戸城を築いたのは家康」「違う、大工さんだ」って論理。
非暴力主義とか人民から搾取した政治家とか
そういう教育を受けてるから仕方ないのだけど。
本気で江戸暗黒史観を語るのはここにもたまにいるでしょう。
あ〜いう感じがリアルにもいるって話ね。
0660人間七七四年
2011/09/27(火) 11:20:05.05ID:rjapbaY90661人間七七四年
2011/09/27(火) 13:14:31.68ID:I2UX++PQ言うに事欠いてマルクスって
誰の受け売りだよ。
無能な独裁国家はマルクスどころの話じゃないよ。
まさに北朝鮮か江戸幕府かだよ。
家康マンセーはイタイのばっかだな。
0662人間七七四年
2011/09/27(火) 13:38:09.88ID:iVH/hvYqアンチだけしたいのなら、専スレ立ててやってくれよ
0664人間七七四年
2011/09/27(火) 18:00:42.85ID:FPycp9Gg0665人間七七四年
2011/09/27(火) 19:18:22.60ID:zXGA212Y信者が「○○の良さは大人になって初めて分かる」
「○○を悪役として描く小説家の××は糞」
挙句の果てに「○○の人気がそんなにないのは××の捏造のせい」
なんて言わない武将かな>信者の民度の高い武将
0666人間七七四年
2011/09/27(火) 20:53:55.74ID:AJthLuEu0667人間七七四年
2011/09/27(火) 20:59:46.38ID:zXGA212Y家康以外の殆ど全部の戦国武将って言いたかったんだが、伝わらなかったのかな
歴史小説みたいな創作物における扱いが悪いからって、その作者及び読者に対する
誹謗中傷を延々繰り返すのは他の武将ファンには見られない顕著な特徴
信長信者も秀吉信者も妄信的に崇め奉る馬鹿はいるが、遥かにマシ
0668人間七七四年
2011/09/27(火) 21:05:08.38ID:spcSm3Tn0669人間七七四年
2011/09/27(火) 21:10:31.13ID:RGopo2FK自分の言いたい事が正しく伝わらないのは、それを正しく表現出来ないあなた自分に問題があります。
あなたは他人を批判する前にまず自分のコミュニケーション能力の低さを反省するべきです。
0670人間七七四年
2011/09/27(火) 21:35:04.03ID:IzogFS910671人間七七四年
2011/09/27(火) 23:39:13.46ID:Q6OVRPDz乱世の英雄なんて悪どくてナンボなんだから無理矢理善人に仕立てる必用はない
信長、松永、真田、政宗らなんかはその悪どさや苛烈さがむしろ人気を後押ししている
家康もそのまんま陰険なタヌキ親父キャラで通していれば人気が出たのに
無理矢理にでも仁君に仕立てようとする人間が多いせいで無個性なつまらない人物像になってしまった
0672人間七七四年
2011/09/28(水) 05:48:44.82ID:1+KVxncC0673人間七七四年
2011/09/28(水) 05:53:52.09ID:1+KVxncC徳川は明治政府によりだいぶ歪められたのだが
0674人間七七四年
2011/09/28(水) 06:03:33.21ID:1+KVxncC現代の価値観に合わせれば悪なんだろうがね
0675人間七七四年
2011/09/28(水) 07:37:22.44ID:TYF7pCaE何か史料に基づいて言っているのか
0677人間七七四年
2011/09/28(水) 07:58:35.58ID:TYF7pCaE家康ら歴代将軍に対しても事実のみを淡々と記述するニュートラルなもの
明治以降の反家康の流れは福本日南や徳富蘇峰などの
在野の史家によるもので、政府の思想とは全く関係ない
江戸時代に秀吉人気を弾圧したことと混同してんじゃないの
>>676
ドヤ顔のオウム返し君にも一応聞いとくね
徳川は明治政府によりだいぶ歪められた、って何の史料に基づいて言ってんの?
0678人間七七四年
2011/09/28(水) 08:10:53.60ID:8S6Z2F1p家康公スレに張り付いてるの?
0679人間七七四年
2011/09/28(水) 10:05:53.69ID:f7ptgfJc無能棚ぼた家康崇拝者=ニートなんだから
0680人間七七四年
2011/09/28(水) 10:19:20.78ID:DZDyqpAu石田に外様が多く付いた事をみれば
この人が優秀だったことがわかる。
むしろ、人を引きつける魅力は有る方でしょ。
反目してるのは自分の無能を棚上げし
妬み嫉みを抱く馬鹿ばっか。
そいつらが家康に札束で横面叩かれて
主家を見捨て我欲に走ったというに
なぜ、三成が叩かれるのか理解不能。
徳川史観に騙され続けてるアホが
いまだに生存しているのはお笑い。
368 人間七七四年 2011/09/28(水) 10:12:25.71 ID:KJsDvxMg
もう許してやれよ
無能嫌われ者三成崇拝者=ニートなんだから
0681人間七七四年
2011/09/28(水) 10:31:51.13ID:8DTCw7RI0682人間七七四年
2011/09/28(水) 10:51:29.48ID:f7ptgfJc無能でも運と悪意があれば天下をとれるかもしれない。
>幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
強い相手にはひたすら土下座
>武田信玄との対戦。
無能丸出し
>小牧・長久手での熟練した軍略。
たまたま油断して寝ていた弱い相手に不意打ち→これが野戦の名手な ら信長秀吉は神
>豊臣政権下での着実な勢力伸張。
実際何もしていない。悪運のみ。しいて言えば怖い秀吉の顔色を伺い 北条を見捨てる律儀物。
>そして文句なしの関が原での勝利。
根回ししまくったのに紙一重の大苦戦。
>天領400万石の圧倒的な徳川幕府。
今までの土下座人生からの反発、弱い物イジメへと豹変。
>天下泰平250年。
まさに閉ざされた日本の暗黒期
>江戸は世界最大の都市の一つとなった。
徳川がいなけりゃ、もっと栄えた。
>東京が首都となったのも、家康が始原。
秀吉のおかげ
>死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。
土下座してれば、いつかは僕も、ニートの憧れ
0683人間七七四年
2011/09/28(水) 11:29:54.78ID:CRKte2+L都合悪いと何でもアンチにするなよ
0684人間七七四年
2011/09/28(水) 11:56:34.23ID:SGxF/tYbそれをのみを強調して女はすばらしいと評する
家にいる姉妹母がだらしない、いわゆる汚部屋状態で生活している
それのみを強調して女はダメだと評する
どちらも正しいが、どちらか一方だけでは誤りだろ?
前者で盛り上がってるところに後者の人間が入ってくれば当然kyとアンチと排斥される
それ専用のところで女はダメだと言ってろよってことだ
0685人間七七四年
2011/09/28(水) 12:25:09.77ID:DZDyqpAu何がどう棚ぼたで、パクリ野郎なのか明示されないと
ちなみに信長や秀吉の死は直接的には家康の危機です
0686人間七七四年
2011/09/28(水) 14:06:35.30ID:pC8wEAvU帰ってきてくれないかなあ
0687人間七七四年
2011/09/28(水) 20:51:46.08ID:TYF7pCaE0688人間七七四年
2011/09/28(水) 21:23:51.15ID:vDqfDe7A0689人間七七四年
2011/09/28(水) 23:56:50.31ID:qvDO7q4Q0690人間七七四年
2011/09/28(水) 23:58:20.38ID:/qOgKM5M0691人間七七四年
2011/09/29(木) 00:03:59.19ID:AhW5TIHg0692人間七七四年
2011/09/29(木) 00:22:35.91ID:0avV13zPエンゲルベルト・ケンペルという医者が綱吉時代に来日した時に
鎖国制度のことを高く評価してるみたいだね
0693人間七七四年
2011/09/29(木) 08:10:13.25ID:Bc7RkMCl0694人間七七四年
2011/09/29(木) 10:09:22.11ID:41NnW6kd「棚ぼたパクリ」
う、うまい。低レベルな家康にはピッタリの表現。
0696人間七七四年
2011/09/29(木) 14:37:54.27ID:0avV13zP0699人間七七四年
2011/09/29(木) 20:04:56.03ID:dBLDpEWo大番にしたってそういう役職ってだけだし
0700人間七七四年
2011/09/29(木) 20:19:27.51ID:owLIQX+T前政権のいい所を取り入れるのは非難に値することではない
0701人間七七四年
2011/09/29(木) 20:21:10.83ID:0avV13zP江戸幕府の基礎は北条の政策も入っているんだし
0702人間七七四年
2011/09/29(木) 20:32:06.69ID:dBLDpEWo日本史上重要な意味を持つ事績で
家康が創設したものは他にあるわけで
(三貨制度は完全に家康の独創ってわけでもないけど)
大砲って何よ?
おそらく大坂の陣で天守にまぐれ当たりしたことを言ってるんだろうが、
むしろ家康は大砲に痛い目に遭わされた方だろう
関ヶ原で大砲を数問持ってきた寡兵の石田隊相手に苦戦したことは、
『関原合戦当日記』にも記されているわけで
0703人間七七四年
2011/09/29(木) 20:44:57.12ID:SziF/e4Y0704人間七七四年
2011/09/29(木) 20:46:37.95ID:0avV13zP関ヶ原の前にも、出版という方法で文教政策の振興を図っていたというし
0706人間七七四年
2011/09/29(木) 22:37:35.80ID:G/XKlrVH何か突然素晴らしいアイデアが閃いたとすれば、
それは信長が偉いのか?
信長に霊感を与えた何だか訳のわからないものが偉いだけだろ
0707人間七七四年
2011/09/29(木) 23:32:38.56ID:SziF/e4Y0708人間七七四年
2011/09/29(木) 23:46:22.99ID:G/XKlrVH0709人間七七四年
2011/09/29(木) 23:48:47.15ID:U7/1G2ox建築に関しては職人の功績
徳川幕府も政策は殆どが坊主のアイディア
家康は「考えろ」と命令したに過ぎない
0710人間七七四年
2011/09/30(金) 01:32:59.32ID:PR8rcAec屁理屈だと一蹴されたが
0711人間七七四年
2011/09/30(金) 05:44:13.83ID:ea61wdbC実質的に外様である西国大名が
作ったものが殆どからね
「大坂城を作ったのは秀吉ではなく大工さん」
という理屈に当てはめるなら、秀吉のところに入るのは
家康ではなく加藤清正ら豊臣恩顧の大名たち
0712人間七七四年
2011/09/30(金) 08:13:23.12ID:PR8rcAec0713人間七七四年
2011/09/30(金) 11:07:37.24ID:SKsryyxB大名なんかなにもしてない
ただの穀潰し
特に家康は豚のように飯を食らってウンコするたけの糞垂れ野郎
ぶくぶく太ってみっともないったらありゃしない
0714人間七七四年
2011/09/30(金) 11:22:47.57ID:l/jrVj65大工さん話しで盛り上がるのか。
小学校レベルだな。
0715人間七七四年
2011/09/30(金) 12:22:52.83ID:8q99Ew6x超バカスwwwwwwwww
小学生以外の知能w
0716人間七七四年
2011/09/30(金) 12:55:28.11ID:l/jrVj650717人間七七四年
2011/09/30(金) 13:51:37.07ID:PR8rcAec0718人間七七四年
2011/09/30(金) 14:49:21.79ID:8q99Ew6x反論の一つもできないカス
0719人間七七四年
2011/09/30(金) 16:06:00.05ID:PR8rcAecあぁできないさ出来るわけが無いさ、馬鹿らしくて
0720人間七七四年
2011/09/30(金) 16:40:12.68ID:8q99Ew6x0721人間七七四年
2011/09/30(金) 17:32:18.72ID:wUlJ2D6R一応、家康は最後まで健康に気を配っていたからデブというわけではなかった筈
結構な筋肉質だったとかね
伊達政宗とか浅井長政とかはデブだったらしいがな
0722人間七七四年
2011/09/30(金) 20:38:14.68ID:k87xVSV50723人間七七四年
2011/09/30(金) 21:34:11.00ID:Hfv9IdPk0724人間七七四年
2011/10/01(土) 13:42:20.19ID:bxWtmyrT百姓がいたころは他のアンチも自重していたな
このスレの品位を保つのに一番貢献していたのが百姓
0725人間七七四年
2011/10/01(土) 15:59:10.33ID:zRPKAvel0726人間七七四年
2011/10/01(土) 20:39:10.69ID:T4DOxx9Jこのスレに限って言えば信者もアンチも同レベルだよね
0727人間七七四年
2011/10/04(火) 15:22:24.81ID:t6dJzI7P当時から言われてたんでしょうか?
それとも後世になってから?
0728人間七七四年
2011/10/05(水) 02:22:47.40ID:p+PSJFiY0729人間七七四年
2011/10/05(水) 07:46:29.31ID:QgRpOMQK0730人間七七四年
2011/10/05(水) 14:21:16.75ID:zh3QGyVP0731人間七七四年
2011/10/05(水) 14:56:47.88ID:j2VaT18A狸ってのは昭和になってからというのも聞いたことあるなぁ。
あの猿関白みたいな落書で狸とか江戸時代にあったのかなあ。
0732人間七七四年
2011/10/05(水) 15:51:12.05ID:vCQvQ9L4って言ったという話もあるけど、別に侮辱の意味じゃないしね
中国の影響か、猿は神様のようなものだと当時の人は認識していた話も聞いたことあるけど
0733人間七七四年
2011/10/05(水) 18:32:56.84ID:BNR+FK+90735人間七七四年
2011/10/06(木) 22:31:30.76ID:Pie8xp770737人間七七四年
2011/10/07(金) 13:02:09.42ID:wU2z9yss家康らしいバランスの取れたとこだと思うが。
0738人間七七四年
2011/10/07(金) 15:19:08.32ID:g07A5/b0この前どこのすれか忘れたが、関が原で改易しまくったとか言ってる人いたから
0739人間七七四年
2011/10/07(金) 17:00:34.70ID:wU2z9yssなんとか図鑑とかゲーム解説本みたいなレスが多いもんなぁ。
戦後処理ってのは徹底的に弾圧抹殺するのもあるし
首謀者のみを処罰してあとは恩を着せるようなのもある。
家康の場合は関ヶ原あたりからは徳川家の長期安定存続を
目指してたのが一貫してるからうまいことやったとは思うんだ。
恩顧の老臣が死んで直系秀頼殺してそのあとは「憎き徳川」という
敵がそんなにいない。
源平とか織田家豊臣家とかのようにはならないという反面
教師的な教訓がうまいこと活用されてるとは思うのだよね。
0740人間七七四年
2011/10/07(金) 18:21:42.82ID:MtmHJ/QG織田や豊臣の失敗例もちゃんと頭に入れているからこそ、徹底しているんだろう
それが普通だと思うけどな 狸って褒め言葉だよ
0741人間七七四年
2011/10/07(金) 22:37:41.67ID:Dw5P3FK2そもそも関ヶ原前の豊臣家は贅沢三昧やりたい放題の限りを尽くしていたのだから
前後の両方を考慮すればバランスが取れているというかむしろ豊臣家に甘すぎる方とも言える
豊臣家への処分が酷いと言ってる奴の大半はそれ以前の豊臣家の振る舞いを都合よく無視しているだけ
0742人間七七四年
2011/10/07(金) 23:30:03.14ID:bsrGHk5+0744人間七七四年
2011/10/08(土) 11:50:59.48ID:6CccbBjm家臣が主君を処分するなんて有り得ない
それは反乱と言うんだ
まあ、実際は処分じゃなくて単なる論功行賞だったわけだが
当時、家康は秀頼の陣代として出陣し、豊臣政権の政務も一任されていたわけだから
それを上手く利用して豊臣家を領地を恩賞としてバラまいた
このあたりはさすが天下を取るだけあってなかなか狡猾だ
家康が明確な野心を表したのはこの時からと言っていいだろう
0745人間七七四年
2011/10/08(土) 13:42:19.34ID:QwKfvc0Mとは思うんだよね。
ただ秀忠遅参とかもあって豊臣直領地?を結局豊臣家恩顧の
武将に分割することになったのは家康最大の誤算だろう。
ただ結果的にそれを徳川は豊臣に反乱したのではないと
いうような方向で生かさず殺さずの方向で利用したのがさすがとは思う。
741も言ってるが、本来もっと厳しくしたかったろうがそうすると
徳川についた豊臣系武将との関係が微妙になってくる。
秀頼さまのためではなく私利私欲だったかみたいな。
なのでやっぱりものすごくうまくやったとは思うのだよね。
秀吉が本能寺から関白就任までパーフェクトだったように
家康も秀吉死後は完璧だろう。
結果論という人もいるが本人が意思を持って行動したのを認めないのは
どうかとは思うところ。
0746人間七七四年
2011/10/08(土) 17:53:24.70ID:bKo91DdRでも豊臣家臣は遠くに、徳川譜代は身近においてるようだし
それはそれで上手くやったようにも思える
0747人間七七四年
2011/10/08(土) 23:53:30.94ID:N5bd9wSQ0748人間七七四年
2011/10/08(土) 23:55:41.40ID:Fiq+cxWS0749人間七七四年
2011/10/09(日) 22:22:45.93ID:Eu5rWhou0750人間七七四年
2011/10/10(月) 00:12:51.48ID:RF1WJEBcとりあえず、川上秀忠という名でぐぐらないことをお勧めする
0751人間七七四年
2011/10/11(火) 16:06:26.29ID:kpyONwN4浅井の淀と一緒に粛清しただけだろw
0752人間七七四年
2011/10/11(火) 17:59:08.29ID:kpyONwN4義元と一緒に斬られて死ぬ重臣役
(武将らしいセリフがあり)だったんだけど
今思うと誰も思いつかないのだが、そんな重臣居た?
0753人間七七四年
2011/10/15(土) 01:18:31.21ID:s6IPhQzj借り。
家康にしたら、結果的に、今川家からの独立という得難い貴重な機会を与えてもらった
源氏の僭称を朝廷に正式に手続きとってもらった(らしい)
長篠で武田を破ってくれた
貸し。
武田の脅威がある中、金ヶ崎やら姉川やらに家臣のように引きずり回された
後継者を難癖付けられて殺させられた(詳細不明)
危急存亡の三方原の時に紙のような援軍しか送ってもえない捨て殺し
貸し借りどっちも大きいけど、とんとんといったとこなのかな
0754人間七七四年
2011/10/15(土) 04:06:42.95ID:tz6lEosAこれはよく分からない
借りと言えるかは謎
>武田の脅威
信長も信玄も和睦を望んでいたのに家康が好きで敵対していたのだから仕方がない
>後継者を殺された
さすがにこれは矛盾だらけで今は否定的な意見が多数になっている
>三方ヶ原の援軍
徳川は家臣ではないし捨て殺しとは言えない
3000の援軍で十分に義理は果たしている
0755人間七七四年
2011/10/15(土) 13:39:02.69ID:M4QVabD0野戦を望んだのは家康の事情だしねえ
0756人間七七四年
2011/10/15(土) 18:22:04.83ID:IvgMLY1Zブチブチいうのは。
家康が姉川でした援軍に比べるとはるかに「いいかげん」とは思うけど。
義理をはたした、というだけでね。
今川家からの独立、というのもそんな「恩」には思ってなかったかもしれない。
桶狭間後に信長は家康を攻めたりしてるし「脅して同盟を結ばせた」みたいな
解釈もある。
家康から見たらどっちにつくかはあくまで自分の先見の明ってとこだろう。
家康から見たら姉川長篠はじめ、信長が天下人に近づけたのも自分のおかげ
みたいなのも多いだろうし実紀はまともにそんな感じ。
大体浅井朝倉の時に信長がやられたらなんのために信長についたか
わからないし、最後も家臣にやられて「アホか、あのおっさん」というとこだったろう。
あくまで大雑把だから個々の論点はまた異論が多いのはよく知ってるが。
0757人間七七四年
2011/10/15(土) 18:24:37.79ID:awV9BTHk祖父清康は織田との戦いで討ち死にし、父広忠は織田の刺客に殺されたので
織田は家康の仇 だが今後の為に同盟せねば という内容だったね
0758人間七七四年
2011/10/15(土) 21:07:29.20ID:1YNjjIGZ佐久間らは主君から城を固く守るように命じられて来たわけだし、家康の無謀な行動に従う理由も義理もない
それなのに一緒に出陣したわけだから、やる気がないと言う事はない
しかも武将の戦死者まで出してるし、むしろ過剰なぐらい協力したと言っていい
信長も家康の無謀な戦いで配下を殺されたのに別段文句も言っていないし
0759人間七七四年
2011/10/15(土) 21:25:55.36ID:IvgMLY1Zもちろんそうなんだが、過剰なぐらいの協力かどうかは
ともかく結果としてあまり役に立たなかった、というような
思いが家康側にはあったか、ということね。
信長が文句言わないのも最初から期待してなかった、
大した軍ではなかったか、なんて解釈もあるし。
大体、城を守るように言いつけられた兵、というのも
中途半端で、それを出陣させた家康が悪い、というのも
聞いたことがあるが、戦場なんてそんなに「これだけの役をしてればいい」
というものでもないだろうしね。
信長から見ると「ちゃんと援軍出したではないか、城を守る、という命令も
出した、それを別目的で使った家康が悪い」というとこなんだろうが、それなら少しは
文句いいそうなもんだし、「こっちは本軍で命懸けで協力したのに、部分的援軍、
しかも部分的命令、それはないだろう」というようなのが家康側にあったのかな
という話で。
信長と家康には結構意見の相違があるから、そのあたりの一つの逸話みたいな
もんなんだけどね。
0760人間七七四年
2011/10/15(土) 21:28:05.04ID:RurEfr5e当時の情勢から判断したら家康の織田への接近は
一種の外交革命と言えるかもしれない
0761人間七七四年
2011/10/15(土) 21:32:52.77ID:IvgMLY1Zだからいつごろ同盟?関係になったかというのは結構
細かい議論してる人もいるな。
0762人間七七四年
2011/10/16(日) 01:31:34.93ID:fZJPKvWSそれはもう家康個人の心情の問題だからどうにもならないし、他人がどうこうも言えない
どんなに第三者からみて恩を与えていると見えても、当人が主観で恩を感じなければそれまでなんだから
0763人間七七四年
2011/10/16(日) 05:15:09.22ID:NSPVPUIY恩というのはどっかでエンエンとやってたなあ。
0764人間七七四年
2011/10/16(日) 13:07:03.32ID:qe166l7Y0765人間七七四年
2011/10/16(日) 22:13:38.56ID:Hn9jM1Cs0766人間七七四年
2011/10/16(日) 22:42:47.28ID:qTGWZ7wdへえ〜そうなんだあ。
清洲同盟って戦国時代において奇跡の同盟と言われてるよね。
地理的ものもあったと思うけど家康はよくあの信長を裏切らなかったと思う。
ただよく家康は忍耐の人ってイメージがあるけど本質的には信長と似たような
部分があったんじゃないかな。
家康の息子達は結構アレ的というか気の荒い人物が多いけどこれって家康の血
だと思うだよなあ。
晩年狸爺とか呼ばれるのも色んなしがらみがなくなって(つまり権力者になって)
本来の資質が顔を出したんじゃあるまいか。
0767人間七七四年
2011/10/16(日) 22:44:35.72ID:QN8KDvbx秀忠はなんか、突然変異なのかなんなのか 殺生沙汰とか聞いたことないけど
0768人間七七四年
2011/10/16(日) 22:47:07.91ID:v+QZio3X秀吉のことも死ぬまで臣下でいた
0769人間七七四年
2011/10/16(日) 22:48:13.75ID:C1iRBFAC0770人間七七四年
2011/10/16(日) 22:50:25.10ID:tauknxb+0771人間七七四年
2011/10/16(日) 22:52:32.97ID:QN8KDvbxそもそも改易などに私情なんて挟まないだろ
0772人間七七四年
2011/10/16(日) 23:28:16.31ID:Ptu1bS7Tしまくったのは転封だったはず
0773人間七七四年
2011/10/16(日) 23:34:02.12ID:dgWykVOo無理やりな養子とかも認めてたんでしょ?
0775人間七七四年
2011/10/17(月) 00:14:58.06ID:wAbgVXUW松平家はちょっと狂気っぽい血も入ってると思う。
>>768
裏切るのならとうの昔に裏切ってるだろう。
0776人間七七四年
2011/10/17(月) 00:16:10.79ID:feNnpfve0777人間七七四年
2011/10/17(月) 04:50:09.03ID:JOJZrQd7嗣子断絶も中期以降は見て見ぬ振りして決まるまで待ってあげるケース多いな
秀忠さんときはそんな暗黙も出来てないから容赦ない
0778人間七七四年
2011/10/17(月) 08:58:04.30ID:Sen0xpkc0779人間七七四年
2011/10/17(月) 10:43:04.00ID:BChysWUA0780平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv
2011/10/17(月) 12:26:43.76ID:mw5bNaYH徳川黎明会と
徳川ミュージアムの
スレッド立てたいんだが
財団スレは、どの板になんのかな?
0781人間七七四年
2011/10/17(月) 18:58:44.91ID:vsU706cDそうなのか
藤野保は四一家二六家としてるけど
これでも七割は無かったな、六割ちょいか
五十ってどこどこ?
0782人間七七四年
2011/10/17(月) 20:03:24.61ID:NCvIj12j徳川一門+家臣団まで相手にするこのスレですら
何日も書込まれないのに
過疎スレ建てたいなら好きにすれば?
0783人間七七四年
2011/10/17(月) 22:24:48.05ID:lycWbbqM2 松平 忠吉 (無嗣断絶)
3 天野 康景
4 稲葉 通孝 (無嗣断絶)
5 津田 信成
6 稲葉 通重
7 筒井 定次
8 前田 茂勝
9 桑山 清晴
10 小笠原 吉次
11 中村 忠一 (無嗣断絶)
12 木下 勝俊
13 松平 忠頼
14 水野 忠胤
15 皆川 広照
16 堀 忠俊
17 金森 長光 (無嗣断絶)
18 平岩 親吉 (無嗣断絶)
19 有馬 晴信
20 松平 忠清 (無嗣断絶)
21 山口 重政
22 大久保 忠佐 (無嗣断絶)
23 里見 義高
24 富田 信高
25 石川 康長
26 高橋 元種
27 石川 康勝
28 大久保 忠隣
29 佐野 信吉
30 里見 忠義
31 奥平 信昌 (無嗣断絶)
32 豊臣 秀頼
33 古田 重然
34 福島 高晴
35 織田 信重
36 松平 忠輝
37 藤田 重信 (無嗣断絶)
38 大久保 忠為 (無嗣断絶)
39 坂崎 直盛
40 村上 忠勝
41 関 一政
42 伊奈 忠勝 (無嗣断絶)
43 田中 忠政 (無嗣断絶)
44 由良 貞繁 (無嗣断絶)
45 本多 正純
46 成田 氏宗 (無嗣断絶)
47 松平 忠直
48 西尾 嘉教 (無嗣断絶)
49 本多 紀貞 (無嗣断絶)
50 内藤 清政 (無嗣断絶)
0785人間七七四年
2011/10/18(火) 06:05:44.53ID:TgFtgfya平岩親吉なんか死んだの1612年だし、大久保忠隣とか岡本大八事件の有馬晴信とか、
家康の指示により改易されてるわけでしょ。
最終的には幕府の命令なんだから将軍秀忠が命令を下したのには相違ないんだが。
0786人間七七四年
2011/10/18(火) 08:19:07.64ID:sbPx8RNU奇跡の同盟、というのは家康からじゃなくて信長からでも
そうなんだろうなとは思える。
あれ、最後は破棄されたわけでもなくて片方が死んだだけだから
今でも継続してるって言い方もできるんだよな。
明智子孫が本能寺についての本で、信長は家康を暗殺しようとした
というのがあるんだけど、この両者の関係はそれなりにたえず頭に
入れておくと面白い。
最後に信長が家康を堺見物に招待するけど、これも異例ではある。
そこで信長がやられちゃったというのもなんか出来過ぎなんだよね。
陰謀論の話じゃないけど。
0787人間七七四年
2011/10/18(火) 09:30:12.88ID:L9n+PDcj本能寺の時点で家康を暗殺しようとしたってのはさすがにどうかと思う
「緊張感を持った関係」と「相手を抹殺せずにはいられない積極的な動機」
はそれぞれ別のものだぜっと
それに家康を殺した後の東海三国をどうするのかという問題が抜け落ちていると思う
当時の織田家の事情をみれば、旧武田領は占領したばかりで
統治を落ち着かせるにはまだ時間がかかる状況
東北地方は上杉攻めが佳境にはいったところ、北条や出羽の大名の協力は欠かせない
そしていざ何かあったときの援軍となる信忠軍団は、西国遠征の予定
これで家康暗殺して東海三国が大人しく従えばいいけど、もし逆効果になったら?
そしてそうなった場合に早急に派遣して鎮圧するべき軍事力がない
もし混乱がまだ落ち着いていない甲斐や信濃にまで波及したら?
正直、本能寺の時点で家康暗殺はねーわと思う
0788人間七七四年
2011/10/18(火) 10:39:12.99ID:K7zIpGD7駿河は貰ったばかりだし、信康事件や大賀弥四郎事件など三河遠江も不安定だった
後に出奔する事になった石川数正の不和もあるし決して一枚岩ではない
まあ、でもこの時期に徳川潰しはないと思うけどね
武田を潰して一息はついたものの、まだ毛利との決戦を控えているし
長宗我部や上杉の攻略も着手したばかりで徳川潰しをやる余裕はない
この三勢力を潰せば取り敢えず好戦的な大勢力は消滅するから
そこで徳川潰しをする可能性は十分にある
本能的の変の際に明智家臣や宣教師が「家康を攻撃するのかと思った」と言っているように
いずれ徳川も潰されるだろう、と世間でも見ていたのは間違いないなさそうだ
0789人間七七四年
2011/10/18(火) 13:46:50.49ID:sbPx8RNUだからあの時期に家康暗殺して三河ー旧武田領を統治というのは
そんなに難事とも思えないところもある。
毛利とかは秀吉にまかせられただろうし
同時に多方面と戦うのは信長はいつもそうだったし。
ただ普通に考えて家康は最後でいいだろうし本能寺の
時点でというのはさすがに無理があるだろね。
不思議なのは、家康暗殺説だと前後がそれなりに説明できて
逆に矛盾点があんまり見つからないのと
例の本城覚書みたいに「信長ー家康不仲」というのが
結構唐突に思えること。
あれがなかったら清須同盟は堅固以上の信頼関係にあった
というぐらいの状況ではある。
知られてる歴史以上に信長ー家康関係は微妙なものだったか
という問題提起にはなってるかもね。
0790人間七七四年
2011/10/18(火) 16:26:47.39ID:sbPx8RNUそれに家康を攻撃といってもそんなに深い意味はなかったかもしれない。
近くにいた、とか知ってる武将が家康ぐらいだったとか。
だからあの覚え書きをあまり一般論とかに拡大して
解釈するのは少しまたむつかしいとも思うんだよね。
0791人間七七四年
2011/10/18(火) 22:03:10.66ID:nP7NDCbh0792人間七七四年
2011/10/18(火) 23:51:10.74ID:TPpvVTmZ同盟者の家康としては危機感がかなり強かっただろうと思うけどね
ある意味一番信長を狙う動機があったと言える
まあ、あり得ないけどw
0793人間七七四年
2011/10/20(木) 12:12:41.87ID:wxISges60794人間七七四年
2011/10/20(木) 14:58:06.88ID:feoBhw4K0795人間七七四年
2011/10/20(木) 15:00:25.42ID:JNj/nBCp秀吉が信長?とか言うわけねぇだろw
0796人間七七四年
2011/10/20(木) 15:10:14.99ID:72Gec9Ki次のシリーズには家康でるのかね
0797人間七七四年
2011/10/20(木) 19:42:17.78ID:MTH7mQoZ同意だな。
単に機内周辺の近くにいた家康の名前を挙げただけという見方もある。
ただ信長が生きていた場合家康をどのように扱ったかはとても興味がある。
0798人間七七四年
2011/10/21(金) 00:13:48.03ID:6B3F1QI1790だけど、単なる兵隊さんが家康の動向をしってたか、というのもあるね。
だからあそこで家康の名が出てくるのは案外唐突な感じでね。
我々は家康が後にすごい英雄になるのを知ってるからあれだけど
信長はそんなことわからないから、律儀で有能な奴、と重用したんじゃないかな。
本能寺の時点で暗殺というのはかなり違和感があるわな。
0799人間七七四年
2011/10/21(金) 10:14:27.37ID:iG3G4Pp7ここでつか?
火事場泥棒のスレは?
0800人間七七四年
2011/10/21(金) 15:06:37.29ID:oUlDZrrP明智は徳川家の饗応役を仰せつかっていたわけだし知っていても不思議ではない
それに当時、家康は3国を支配する大大名であり
織田家をあげて歓迎していたわけだから動向は皆が注目していたはずだよ
それに、外国人である宣教師らでさえ家康殺害の噂を聞き付けていたし
そろそろ徳川も危ないのではないか?と言う雰囲気は世間もそれとなく感じていたのではないかと思う
でも本能寺の変の時点は全く有り得ないわな
信長の歓迎ぶりは相当なものだったし、その後家康を見送って信長自身は中国遠征へ取りかかったわけで
あのタイミングで暗殺は有り得ない
仮に家康を油断させる策であったとすれば光秀も当然家康に連絡するだろうし
だが、変後もお互い全く交流した形跡がない
当然、家康黒幕説も成り立たない
0801人間七七四年
2011/10/21(金) 16:49:43.99ID:vilFrFp2なるほどね。
単なる兵でも「親分どこ?」「狸の接待」「へ〜来てるのか」という感じで知ってたというのは
そうだろねぇ。ある程度の立場なら動向も気にするだろうけど単なる兵は
そういうのは気にしたのかなとは思ってたけど、それとは別に「単に知ってた」というのは
やっぱりありそだね。
後半だけど、子孫説ではまさにそれで「家康を油断させるー光秀が家康に密告ー手を組んだ」
という流れなんだ。
家康も自国に戻ったあと比較的迅速に兵を用意して織田家への敵討ち?としては
やけに手回しがいいな、とは思ってたんだけど、これは光秀と合流するため、という解釈でもおかしくは
ないからね。
そしたら、意外や意外、秀吉からの使いで「もう討っちゃったよ」では兵を引くしかないし。
これは家康黒幕説とは違って光秀裏切り説というところなんだけどね。
家康はあくまで協力者ということで一種の光秀単独犯行説ってとこ。
世間一般まで「次は徳川が危ない」なんて思ってるというのが成立するなら
十分に成立する余地がでてきて困るのだけどね、子孫説・・
0802人間七七四年
2011/10/21(金) 19:56:03.85ID:HwfYVOgJ>>322 で言ってんじゃん!
0803人間七七四年
2011/10/22(土) 00:07:24.09ID:Yz4O80b5数百数千の兵と一緒に京見学でもするのか?
0804人間七七四年
2011/10/22(土) 00:48:06.64ID:9V0S6wpXいるのかな。
いかにも結果論からの推測なんですよね、そういう「おかしい」というのは。
0805人間七七四年
2011/10/22(土) 01:31:41.60ID:b4cQhdmT家康が数千連れてきたりした方が可笑しいなw
0806人間七七四年
2011/10/22(土) 03:31:19.53ID:5zL1DszHってびっくりする位少ないよね。
0807人間七七四年
2011/10/22(土) 07:30:04.42ID:IQQ1YUD0そんなに気を許して良いものなのか?
3〜40人とかさすがに少ないだろう?
せめて精鋭で2〜300は欲しい。
0808人間七七四年
2011/10/22(土) 07:30:55.32ID:IQQ1YUD00809人間七七四年
2011/10/22(土) 08:13:23.29ID:sExjz2iN0810人間七七四年
2011/10/22(土) 12:59:44.89ID:0Mcu+JfB盟友というのは基本的に対等な立場だから、お互いに上下関係を意識してせめぎ合いがあるんだよ
普通は相手国には入らないから(当主が城下に入るのは従う事を意味する)会う時も段取りして国境で会見するようだし
合戦の時でもなければ直接顔を合わせる事はなかったはずだよ
0811人間七七四年
2011/10/22(土) 13:21:55.51ID:Yz4O80b5信長自身に供が少ないのも含めてね
実際家康は本能寺の変起こるまでは呑気に京見学してるわけだし
結果から物事を考えてる典型的パターンだ
0812人間七七四年
2011/10/22(土) 13:58:00.27ID:K4sEi1YXいくら何でも無用心だしね
でも、上洛の目的の一つが畿内安全のパフォーマンスだから仕方ない
0813人間七七四年
2011/10/22(土) 21:57:00.63ID:5zL1DszHそういうもんなんだ。
じゃあ、あれだけ長期の同盟でも実質の顔合わせは少ないんだな。
でも一応は顔合わせは無くはないんだからもう少し二人の
エピソードが残ってもいいような気はする。
0814人間七七四年
2011/10/22(土) 22:33:56.98ID:4Yc9PfKV書かれてる。すごいな。まったく。
なにかカッコいい話でもないと満足できなくてそういうエピソード
を求めたり、そういうのを人より多く知ってることをレベルが高いとか自慢
したい年頃なんだろうなぁ。
0815人間七七四年
2011/10/22(土) 22:42:35.23ID:Yz4O80b5家康の上洛と信長の接待は、その前の信長東海道帰還中の接待に対するお礼でもある
信長が徳川領歩んだときどんくらい軍勢いたんだろう
武田攻めの後だからそこそこいたと思うけど千単位もいたのだろうか
0816人間七七四年
2011/10/22(土) 22:47:07.42ID:kqOp6JYU>家康も自国に戻ったあと比較的迅速に兵を用意して織田家への敵討ち?としては
やけに手回しがいいな、
うろ覚えだが、お供した重臣の誰かが留守居に『帰ったら西国平定の応援に行くかも知れないから準備しといて』というような手紙を送ったという話を聞いた事がある。
本能寺の変は想定してなくても、次の仕事の準備はしていたのかも。
0817人間七七四年
2011/10/23(日) 03:46:24.77ID:J627xl3Bヒント:祖父・父親。
すぐ思い付くだけで、伊達輝宗・武田信虎・武田義信・織田信行とかも
隙だらけでやられたよなw
>でも、上洛の目的の一つが畿内安全のパフォーマンスだから仕方ない
数千はケンカ売ってるけど、数百くらいは必要だろう。
豊臣秀「頼」政権下の大名行列と同程度は問題無くね?
0818人間七七四年
2011/10/23(日) 06:27:18.59ID:uxu4O5E5人数多ければ織田方の負担が増えるし無駄に大勢連れていくと色々と失礼になるかと
0819人間七七四年
2011/10/23(日) 09:55:38.21ID:+VXgdM24進物とかがやたらめったら多いなら別だが
0820人間七七四年
2011/10/23(日) 11:11:18.80ID:eQwPN/lb0821人間七七四年
2011/10/23(日) 11:43:41.86ID:bBdQyRuH0822人間七七四年
2011/10/23(日) 12:08:42.34ID:uxu4O5E50824人間七七四年
2011/10/23(日) 13:42:49.82ID:eQwPN/lbところで何で本能寺の頃って、上洛を少数でしてたの?
「賊が」ビビって手を出して来ない程度の兵数なら
連れて行っても問題無かったんじゃないの?
0825人間七七四年
2011/10/23(日) 19:50:52.57ID:uC7hE+oK>織田の警備が不安ですって言ってるようなもんだからな
そもそも信長がきちんと自分の周りに
2000−3000くらい常備してなかったのが悪い
結果論じゃなくて、天下人に手が届こうかという
立場の人間としては有り得ないくらいの軽率さ
信長側で身辺警護がしっかりしてれば
そもそも本能寺の変なんて起らなかっただろうし、
例え明智の謀反が有っても他の織田軍団が駆けつけるまでに
畿内の適当な城で家康を含めて籠城できたはず
0826人間七七四年
2011/10/23(日) 19:58:36.88ID:+VXgdM240828人間七七四年
2011/10/23(日) 20:05:17.65ID:ptuk5PsC0829人間七七四年
2011/10/23(日) 20:07:24.82ID:uC7hE+oK現に秀吉も家康も身辺警護はばっちりだったわけで、
出来てなかった信長は迂闊だと言われても仕方がない
0832人間七七四年
2011/10/23(日) 22:20:51.02ID:TirrNEWCさらに本能寺は堀をめぐらせた一種の城塞でもあったことが発掘調査で判明している
おそらく、明智の接近と謀反が事前に漏れていれば、信長は逃げ出すなり京に分宿していた
軍勢を終結させて本能寺に篭城するなりできていただろう
これは、一万の軍勢を隠密行動させて一晩で京にまで移動させることに成功させた
光秀の手腕を褒め称えるしかない
秀吉の中国大返しにも匹敵する光秀の機動戦だと自分は評価している
0833人間七七四年
2011/10/23(日) 23:24:07.70ID:hev3Lt/g方面軍に全力投入だったのかもなwww
成り金に多い考え方だ( ´,_ゝ`)
>結果から物事を考えてる典型的パターンだ
低脳はスルーで!!!
低脳はスルーで!!!
低脳はスルーで!!!
0834人間七七四年
2011/10/24(月) 11:38:31.03ID:UpLYmEMN賊対策なら30人も居れば十分過ぎるだろ
日頃何十人も徒党を組んで襲ってくるような賊はいない
女でさえ一人歩きしていたぐらいだし、余程辺鄙な所を彷徨かない限り武士なら一人でも十分だ
0835人間七七四年
2011/10/24(月) 11:38:31.26ID:UpLYmEMN賊対策なら30人も居れば十分過ぎるだろ
日頃何十人も徒党を組んで襲ってくるような賊はいない
女でさえ一人歩きしていたぐらいだし、余程辺鄙な所を彷徨かない限り武士なら一人でも十分だ
0836人間七七四年
2011/10/24(月) 11:44:15.78ID:UpLYmEMN0837人間七七四年
2011/10/24(月) 12:31:25.03ID:h2uam84Yそれもよく引用されるよね。
家康黒幕説?にもつながりそうであれなんだが。
ただ、自分がいない間の緊張感持続のためとか普通に次の
用意はしておくものだろうし特に深読みする必要もむつかしいところ。
自分が、手回しいいな、と言ったのは、別に織田家の敵討ちに
すぐ出陣する必要もないだろうし、あくまで織田家内のゴタゴタだし
どういう意味で出陣したかはやっぱりいろいろ考えないとね、ということで。
秀吉のつかいというのも、家康なら出陣してくるかも、と想定してたということなのかね。
家康の動き何かわからないわけだし。
その点、秀吉の行動は何から何まで完璧すぎるのが目立つ。
この時点では信長と同格の家康に対し秀吉は単に家臣のひとりにしか
すぎない。戦後処理によってはやっぱり、猿は猿、で終わったかもしれないのだよね。
敵討ちしたから立場はナンバー1だろうが、それなら忠臣ということで家康との戦いにはならない。
家康は清洲会議の結果を注視してたろうが、じっとどうなってもいいように何を
どこまで想定してたのだろか。旧武田領にちょっかいかけながら
自分の将来をどこまで見据えていただろか。
0838人間七七四年
2011/10/24(月) 13:00:52.49ID:NJ92igr2>>834
日吉は狙われなくても、
秀吉は狙われるだろw
0840人間七七四年
2011/10/24(月) 23:14:22.26ID:wHpQHunD>>権執行者の危機管理は結果論云々つう問題じゃないと思うよ
そう思う。
ただ「信長公記」を読んだらわかるけど信長は若い頃から戦場以外では
結構無鉄砲な部分がある。危機管理が薄いというか。
それを正直運で危機を切り抜けたんだと思う。
家康と秀吉の身辺警護がばっちりなのは信長の最後をこの上なく反面教師
にしてるからだしょう。
0841人間七七四年
2011/10/24(月) 23:39:37.02ID:3BXpTFmZでも、部下にいきなり裏切られたら対処は難しいよ
家康だって、忠勝がいきなり襲ってきたらどうなってたか分からない
とは言え、忠勝が裏切るなんて考えられない
その辺は、身辺警護よりも家臣との信頼関係が大切かもね
0842人間七七四年
2011/10/25(火) 00:54:57.22ID:QEb6e5VBだからこそ現代まで動機不明のまま様々な説が議論百出のまま結論も出ないままなんだろう
0843人間七七四年
2011/10/25(火) 01:40:15.59ID:YokZzOEE殺されているから、家臣との関係はある意味どんな人間関係よりも心を砕いていた
んじゃないかな。
勿論徳川四天王などの家臣を信頼していたと思うけどギリギリのラインでは
どこか突き放したというか信頼しきらないようにしていたのではないか。
それを家臣に悟られない力量が家康にはあったのだと思う。
信長は良い意味でも悪い意味でも坊ちゃんなんだと思う。
猜疑心が強いのに、その反動のせいか信頼したらとことん信頼する。
本当に信長にとって光秀の謀反は晴天の霹靂だったんだろうな。
0844人間七七四年
2011/10/25(火) 02:17:33.71ID:52TItc0/大封を与えたのは井伊ぐらいだし
実権と国力の両方を持たせるのを恐れていたのだろう
家康自身の経験からして、この辺りは慎重になっていたのだろうね
0845人間七七四年
2011/10/25(火) 03:21:27.71ID:vAZo1pUq裏切られないなんて、
当時から誰も思ってなかったんじゃないか?
信長も秀吉もただの一発屋だw
0847人間七七四年
2011/10/25(火) 11:14:37.09ID:Vy+fUff3とか言ってなかったっけ。秀忠も家臣の家に訪ねていったり個人的な
信頼関係を結ぼうとした努力のあとが見える。
やっぱりそういうのが大事なのをよくわかってたんだろな。
ところで徳川って信長のことをあんまり感謝したり褒め称えたり
してる記録ってないんじゃないか。どっちかというとケチョンケチョンだろう。
秀吉の場合は直後だしやったことがアレだからなかなか信長には
言及しにくかったろうが、平和な徳川の世になれば「信長みたいになっちゃいかん」とか
いろいろ言えただろうし、清洲同盟が堅固と言われるほど信長を「すごい
人であった、今は感謝してる」みたいな記録もないんじゃないか。
このあたりがなんかな〜って。
0848人間七七四年
2011/10/25(火) 13:57:08.91ID:YokZzOEE綴られていた箇所があった。
原文のままで訳がないので正確な所はわからんが「信長は知略・武略にもたけていて
よく人を使い、近世の名将だった。ただ彼自身の奢りから(ここら辺りはよくわからんが
信長側に非があるような書き方だった)光秀のような一件が起こった」
みたいな事が書いていたなあ。
>>847
「信長みたいになっちゃいかん」と思っていてもクチには出しにくいだろう。
天下餅をこねたのは信長なんだし、最終的にそれを食べた家康がそんな事
いえば器量が低く見られる。
0849人間七七四年
2011/10/25(火) 14:02:11.67ID:NpD9gmuPここらへんに
火事場泥棒と墓荒らしが居るって聞いてやってきますた。
0850人間七七四年
2011/10/25(火) 14:06:06.99ID:Vy+fUff3本心が出やすいというかね。
信長に非があるような書き方としたらそれが戒めちゅうか
反面教師というかね。
結局桶狭間直後のかなり初期のまだ青年の頃から
家康は信長と五分のつきあいをしてきたわけだから
家臣たちと違ってどう見えていたかというのは興味
あるんだよね。
長い間に息子切腹とかいろいろあったわけだしね。
本能寺だってある意味一番影響受けたぐらいだろうから。
0851人間七七四年
2011/10/25(火) 16:34:39.99ID:nagWTN9vだからこそ家康も信長の事は触れたくなかったのだろう
0852人間七七四年
2011/10/25(火) 16:53:55.93ID:yJHksfOPもっとも信康切腹で途絶えるけど
0853人間七七四年
2011/10/25(火) 17:03:55.90ID:YokZzOEE家康は信長と五分のつきあいをしてきたわけだから
家臣たちと違ってどう見えていたかというのは興味
あるんだよね。
長い間に息子切腹とかいろいろあったわけだしね
確かにね。
長期の同盟者というだけではなく、家康にとっては信長が桶狭間の戦い
で今川義元の首を取ってくれたおかけで独立出来たというのもあるんだよね。
そういう意味でも縁の深い2人だとは思うけど。
天下人になってからはさすがにこき使われたというか
0854人間七七四年
2011/10/25(火) 17:47:23.60ID:Vy+fUff3初期は五分というか信長主導だと思うんだ。
年齢差もそうだし桶狭間の勝利というインパクト、とか。
独立のきっかけ、というのは微妙で家康からみたら
利用したのはお互い様、みたいなとこはあるかもしれない。
最初は感謝しててもだんだん薄れていったか、とかね。
ただ中期というか姉川以降はどうも家康の方は信長を
そんなに「すっご〜い、ついてきます〜」とは思ってなかったんじゃないかなと。
そういうのが実紀あたりに微妙に出てるというか。
信長と家康の思いは意外と違ってたんじゃないかというようにも
考えてるんだよね。
0855人間七七四年
2011/10/25(火) 21:41:05.94ID:YokZzOEE最初は感謝しててもだんだん薄れていったか、とかね。
そうだろうね。
でもそれって家康に限らず光秀も秀吉もそうだったんじゃないのかなあ。
家康は従兄の水野なんちゃらに光秀が使用していた武器を与え「光秀の武勲
にあやかれ」と言ってたらしいから、訓戒状に書かれた内容とあわせても
本能寺の変ら関しては光秀に同情的だったんだろう。
それは自分自身が信長にこき使われて心情的に理解出来る部分があったのではないか。
0856人間七七四年
2011/10/25(火) 22:30:39.14ID:Vy+fUff3薄れていく部分と濃く?なってく部分もあるだろうしね。
秀吉、光秀は出世のたびに濃い部分も増えた気もする。
この人についていけばもっとセレブになれる、みたいなね。
家康が光秀に同情的というのはなかなか良い指摘とは思う。
例の春日局採用も天海説じゃなくて光秀ゆかりに対する抵抗は
あまりなかったということでね。
当初は謀反人だからあれだけど、天下を握ったあとなら
そこはなんとでもなるだろうし。
勝海舟がいろんな話を残してくれたように家康あたりも
一代記みたいなのを残してくれたら日本史は楽だったろ〜な〜。
0857人間七七四年
2011/10/26(水) 00:58:40.37ID:wkyuqWW4光秀ゆかりに対する抵抗はあまりなかったということでね。
まあ、光秀が信長を殺ってくれたからこその天下人だもの。
確か。。。千姫付の侍女に津田信澄の嫁さんで光秀の娘さん使ってるし、
あとホントか嘘かわからないけど淀君の側近の1人は光秀の娘だったかも
しれないらしい。
光秀は謀反人とは言われているけど実際の所はそう悪く見られていなかった
のかなあ。勿論主君殺しは戦国時代でも歓迎されないけど信長相手だと
「気持ちはわからんでもない」というのがあったのかも。
0858人間七七四年
2011/10/26(水) 02:13:52.77ID:I8mowDut結局、秀吉も家康も似たようなことをしてるわけで
光秀のことを悪く言うと自分にふりかかってきますからね。
そのあたり得をしてるのは光秀か。
ただやっぱり最初に行動したのはたいしたもんでしょな。
ところで本能寺直後に家康は何を思ったでしょうね。基本は織田家内のゴタゴタ
だから跡継ぎが決まったところで会見、というのが普通なんでしょが
秀吉がしたことは光秀並みというかかなりエグいし、意外な展開をどう思ってたか。
家康も旧武田領を狙ったりしてますが、これは特に織田家に対する火事場泥棒とも
思えない、このぐらいは後で「織田に返すつもりだった」とでも言い逃れるし。
だから家康は結局誰に対してもエクスキューズはなかったかもしれないとも
思うのですよね。
まぁ、秀吉が家康の先を何歩も進んでいたのでさすがに振り回されたというか
さすが秀吉というか、それでも直接対決では打ち破ってるのでさすが家康というか
座ったまま食べたとはちと失礼だろうなぁ。
0859人間七七四年
2011/10/26(水) 04:25:56.99ID:eWCLqo48打倒豊臣で頑張って貰えるからでしょ。
0860人間七七四年
2011/10/26(水) 05:49:26.99ID:+gnCb5xy家康「北条や上杉から甲信を守るために出陣します」、秀吉「よろしくお願いします」
っていう書状が残ってる。
織田側としても他人に取られるよりは同盟者の徳川に入ってもらった方が
いいと考えたんだろう。
0862人間七七四年
2011/10/26(水) 10:19:07.82ID:RoRAessl0863人間七七四年
2011/10/26(水) 10:52:51.34ID:fanwylSp経済面から家康を見るらしい
0864人間七七四年
2011/10/26(水) 14:16:33.96ID:Uodp6TTE年次はどうなってたっけ。
0865人間七七四年
2011/10/26(水) 19:16:54.39ID:wkyuqWW4秀吉がしたことは光秀並みというかかなりエグいし、
そう、そう。秀吉のやった事も光秀とたいして変わんないだけどね。
でも秀吉は謀反人とは言われない。
>>862
確か柴田勝家も家康に御礼か何かの手紙を送っているんだよね。
0867人間七七四年
2011/10/26(水) 20:49:33.72ID:Uodp6TTEアホ息子を残しておいたのはそのための口封じだろうしそれで懐柔されるほうもアホ。
ただ世間はちゃんと秀吉のエグさはわかってたとは思う、さすがに。
ただ、学問的には、織田家は息子同士の跡継ぎ争いで滅んだだけで秀吉は
謀反どころか織田家を存続させた忠臣である、みたいに言われる。
もちろん記録などはそうなってるけど、そういうのを真にうける史料中心主義
というのもどうなんだろねぇ。
徳川スレだから話それて申し訳ないんだけど、案外家康もそういう部分はないかと思ってね。
つまり、秀吉末期の出兵事件なんかで豊臣家は自ら滅びの種をまいた、みたいに。
秀吉も家康も上手にやりすぎで決して無駄な禍根は残さないようにしたから
さすがなんだけど、「天下を平和にするためだった」みたいな大義名分論を
マジで主張するのもやはりちょっとこそばゆいところがあるような。
0868人間七七四年
2011/10/26(水) 21:51:02.30ID:RoRAessl俺様の妄想こそが正しいってか
0869人間七七四年
2011/10/26(水) 22:01:45.04ID:wkyuqWW4結局の所勝てば官軍なんだよね。
>>ただ世間はちゃんと秀吉のエグさはわかってたとは思う、さすがに
特に旧織田家臣の中では色々思う人はいただろう。天下人相手にどうこうは
言えないけどさ。
信長側近で秀吉にも重用されていた堀秀政は織田家没落を深く嘆いていたと
従兄の直政が書き残しているし。
>>案外家康もそういう部分はないかと思ってね。
つまり、秀吉末期の出兵事件なんかで豊臣家は自ら滅びの種をまいた、みたいに。
確か別スレで書いていたけど豊臣家が滅亡した日がちょうど信孝の命日で
家康が「豊臣家が滅んだのは主家を蔑ろにしたからだ」と側近に漏らしていた
らしいけど(まあおまえが言うなという気はするが)、基本路線は「滅びる側
に問題があるのさ」だろうね。
家康の場合は結果論ではあるが「天下を平和にするためだった」という大義名分
を250年も継続させたのだからりっぱだと思うけどね。
0870人間七七四年
2011/10/27(木) 00:21:49.32ID:KuHnNaLk家康の場合は、お家存続が最大優先事項で
そのための必要条件が「天下を平和に」だから
これは確かに私利私欲?が最初でもたいしたものとは思う。
今の「国民のため」と言いながらそんなこと全く考えてない
政治家とは違うもんね。国と民を守る、というのが受け入れられていたからこそ
ほぼ同一の統治体制でかくも長く続いたわけだし。
アホ息子で思い出したけど、安土城を燃やした、というの
これは事実かどうかわからないけど一般に受け入れられてたというのが
またすごい。これが、世間の秀吉のエグさ理解、の最初かもしれんなぁ。
命日の話ってのも、専門家ほどそういうのを軽視するように思うなぁ。
ある出来事が同一日時に起きていて、関連していたろう、というと
たいてい「証拠はない、偶然だろう」って。
自分が気付かなかったことをシロウト研究家に指摘されて
ごまかしてるとしか思えなくてかわいいけどね。
徳川は記録がはっきりしてるからまだ指摘されてないそういう日時の
関連、命日にちなんだとか、築城にちなんだ、とかあるかもしれないね。
0871人間七七四年
2011/10/27(木) 07:34:59.99ID:df0lB3GN0872人間七七四年
2011/10/27(木) 20:16:06.06ID:Xba2YrfD0873人間七七四年
2011/10/27(木) 22:49:30.46ID:0N5r1zMOやたら長文で史料に沿った話は無く、全部主観。
0874人間七七四年
2011/10/28(金) 07:24:48.18ID:rUfGwf+T色んな論評で盛上ればそれで良い(^-^)
0875人間七七四年
2011/10/28(金) 09:05:06.84ID:XrvnJDMy>歴史なんて主要説以外は、全部主観だろw
は?んな訳ねーだろ。
どこのパラレルワールドの話だよw
主観のみの馬鹿丸出しな話を長文で
延々続けられたらウザいに決まってんだろ。
0876人間七七四年
2011/10/28(金) 11:18:10.01ID:SQfXYlpk0877人間七七四年
2011/10/28(金) 12:59:38.33ID:8a0T1w9Z低脳には理解出来ないらしいな( ´,_ゝ`)
主要説:民法キー局系
マイナー説:低俗雑誌社
0878人間七七四年
2011/10/28(金) 13:20:57.39ID:8a0T1w9Z邪馬台国の場所みたいなもんだろ。
2大説以外は、しょうもない史料からの主観。
反論待ってるぞ低脳君( ´,_ゝ`)
0879人間七七四年
2011/10/28(金) 13:44:21.25ID:3MxCDMMo0880人間七七四年
2011/10/28(金) 16:33:06.02ID:SQfXYlpk気に入らないからウザいというのがすごいな。
0881人間七七四年
2011/10/28(金) 18:00:34.14ID:3MxCDMMo面白い内容かどうかは読んで見なければ分からないだろうに
0882人間七七四年
2011/10/28(金) 19:00:21.09ID:i+VXS9cH2ちゃんが最後の強がり出来る場所だから
自分の領域侵されるのが嫌なんでしょ。
ネットの向こうだと、こんなバカでも
殴って黙らせられないから不便だ。
0883人間七七四年
2011/10/28(金) 19:20:12.94ID:z2LxJxJB【家康くん日記】キャラ選手権 優勝!天下統一じゃ(;▽;)
http://hamamatsunogenki.hamazo.tv/e2882367.html
都市対抗野球大会2011-家康くん初優勝 #kurojishi #shizuoka #hamamatsu | ヤマハの音とネットワーク製品を語る
http://projectphone.typepad.jp/blog/2011/10/2011--kurojishi-4af4.html
都市対抗野球:キャラクター選手権、浜松の家康くん初優勝 パッチョ破る - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/news/20111027mog00m050008000c.html
雑記帳:都市対抗野球応援キャラ ヤマハ「家康くん」初V - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111028k0000m040043000c.html
ネット投票で家康くん1番人気 都市対抗野球で企画 | 静岡新聞
http://www.at-s.com/news/detail/100072199.html
0885人間七七四年
2011/10/28(金) 21:02:07.37ID:SQfXYlpk参詣のとき以外でもないのかな。
なにか理由はあるのでしょかね。
0886人間七七四年
2011/10/28(金) 23:45:37.81ID:hXsSlg5o0887人間七七四年
2011/10/29(土) 02:07:32.07ID:N5xglhc7まさにそのままの話題
0888人間七七四年
2011/10/29(土) 04:58:31.72ID:cbBJaR5J奢りがある奴は
どれだけ権力を持っていても凋落する
信長、秀吉と同じく。
最後まで奢れることがなく、自分の生き方にブレが無かった家康はやっぱ偉いよ。
質素倹約質実剛健こそが、長期的に人生を繁栄させることが出来る最善策。
0889人間七七四年
2011/10/29(土) 14:17:25.24ID:N5xglhc7よしもと新喜劇「茂造の『やらまいか!浜名湖はシネマチックに』」
家康くん出た
0890人間七七四年
2011/10/29(土) 15:22:03.62ID:YIwAU9Rj女で苦労してたのに、大奥対策してないのだけが悔しい。
0891人間七七四年
2011/10/29(土) 16:03:06.91ID:M0rZ05Mg0892人間七七四年
2011/10/29(土) 16:05:54.39ID:Wx48pjzs0893乱ちゃんだってお伝えします
2011/10/29(土) 16:12:03.35ID:gAkZKrWa私は「影武者徳川家康」が好きでやんす。
特に二郎三郎とお梶がセックスしてる所♪
ウフフ☆
0894人間七七四年
2011/10/29(土) 22:46:23.09ID:zIWGN/jX確かに半年しか猶予がなかったからな
半年で国を潰すほど豹変するのはある意味かなりの才能が必要だ
0895人間七七四年
2011/10/29(土) 23:05:53.13ID:prGJfq/970のおじいちゃんだから女も何もないわなぁ。
0896人間七七四年
2011/10/31(月) 00:20:58.60ID:IoLAL5020897人間七七四年
2011/10/31(月) 00:22:02.72ID:oUsVU9ux元就さんは70歳だっけか
0898人間七七四年
2011/10/31(月) 00:44:38.47ID:Y/UGQpguそういう環境を作りやすい大名さんなら高齢でも
がんばったんじゃないかね。
にしても現在でも大変だろうから当時としてはすごいと思うわ。
家康に関してはそこまでしてお家存続に精魂かけたというように
考えるとわかりやすいだろね。
0899人間七七四年
2011/10/31(月) 00:48:57.72ID:oUsVU9ux子供は多いに越したことはないだろう でもその分お家騒動が…
0900人間七七四年
2011/10/31(月) 01:36:03.87ID:oUsVU9ux息子も跡取りとして育てているし、築山殿死亡後に、正室に格上げってのは考えなかったのかな
それとも正室にしたらしたで色々と面倒なことになりそうだから、そのままにしたんだろうか
0901人間七七四年
2011/10/31(月) 10:28:02.22ID:rZHDUktk愛人の子がたくさんいて平等に財産分割ならいいけど
一人を正室にして総取りになったら残りは大騒ぎ。
真面目な研究家は「正式に決定したほうがトラブルが起きない」から
決めなかったのは御家騒動のもとみたいに言うけど
こういうのは典型的な「世間知らず」だろなーとは思う。
逆に言うと天下人なのにそういう人間の機微
欲得の恐ろしさをちゃんと理解してた家康はさすがだろう。
御三家なんか完全に狙ってお家存続の一環として
下半身にムチうって作ってる。実際に100年後にそれが機能した
のもおそろしい先読み洞察。
ちょっと言い過ぎだが家康が好きだった古書誌が現在に残るのも
御三家が機能したおかげとも言える。空襲でよく焼けなかったものだ。
0902人間七七四年
2011/10/31(月) 11:17:04.41ID:137XztY9側室は一生側室
0903人間七七四年
2011/10/31(月) 11:56:55.47ID:8491cwzbなるほど色んな考え方があるもんだ
0904人間七七四年
2011/10/31(月) 13:07:06.39ID:1cV8X3H0これだと引き摺り下ろしたりなどの策動が激しくなる
能力による選定などは最たるもの
だから後継者を確定した場合、選ばれなかったかつての候補者から
継承の可能性を摘み取っておく必要がある
やり方は様々、オスマントルコのように全て殺す極端なものまで
>>900
中国でそれがあるんで誤解されがちだけど、日本では側室を正室するというのはない
側室は側室として嫁ぐ、正室は正室として嫁ぐ
>>901
これは家康を持ち上げすぎだな
0905人間七七四年
2011/10/31(月) 13:14:16.99ID:rZHDUktkいや間違いとは思わないよ。
後継者は決めないといけないからそれは当然だが
その後の話で。
例えば関係者が漁夫の利や権威をかさにして
お家を支配というのはよくあるでしょ。
また非関係者が納得せずに禍根を残すというのも
よくある話。
そしてこの二つは直接関係したりずっと後で影響したりしてくる。
徳川で言うとたくさん側室はいただろうがその特定の
出自の家が権力をもったりそれを利用したりとかそういうのは
意外と少ない。
そりゃ長いから細かいのはあったろうがそれが屋台骨を揺るがしたり
それが元でお家が滅びそうとかそういうのはほぼ見かけない。
何気ないようだけどこういうのは予期して事前に防ぐというのはなかなかできないだろうし
幕府開設直後に武闘派と官僚派の争いがお約束で起きたときも
禍根を引きずらずうまく処理してるように感じる。
義教が自分が将軍になった時に親族がそのお祝いを受けただけで
「将軍職を利用したりワイロ?みたいなのをもらうことは許さない」
と厳しく処罰して天魔の所業と呼ばれたんだが、今でも誰かが出世したりすると
コネを生かしたり「オレ、政治家の00と連れだよ」と自慢したりするのは
普通にいるでしょ。
そういう公私混同とか権威の流用利用を許さないというのはなかなか
出来ることじゃない。
批判は出来るけど実際に権力者になった時にちゃんと自分で自分を律する
ことができるかどうか。
トラブルを防ぐというのもそういうことで徳川では日本のお約束的な
トラブルが260年の間あんまりないような。
これは何気にすごいことだとは思うんだよね。
あくまで大雑把だけどさ。
0906人間七七四年
2011/10/31(月) 13:21:09.80ID:RqthZdIo0907人間七七四年
2011/10/31(月) 13:49:39.37ID:8491cwzbそれ後継者の確定というのかな
>>905
話の軸がずれてると思うけど?
後継者を決定するのとしないのと、どっちがトラブルが起きないのか、決めた方だろう
だから決めなかったら騒動の元と繋がっていくのに、
後継者の確定以外を例えに、人様を世間知らずと断じるってかみ合って無いでしょ
0909人間七七四年
2011/10/31(月) 14:27:31.12ID:rZHDUktkあぁ、ごめん、世間知らずの話はもう終わったかと
思った。
それと思うと書いただけで断じてないからね。
話変わるが講演会なんかの最後の質疑応答で
たまに鋭い質問が出てどう答えるかと会場が期待?してると
「自分はそうは思いません、はい次」という先生がいたりして
失笑が起きたりするが、喫茶店で長居してお茶を出されたら
それは「そろそろ帰れ」という暗黙の催促でしょう。
「自分はそうは思いません」と言うのはそれこそ世間知らずだろう。
これはほぼ断定出来るんだが自分は喫茶店にも先生にも
悪いのでうまく気を使ったりするのに大変だったりした。
こないだ初めてのお寿司屋さんで軽くつまんで注文せずに話してたら
おしぼりを出されたがあれは何かの催促だったんだろうか。
世間知らずなのでよくわからん。
0910人間七七四年
2011/10/31(月) 14:56:07.29ID:8491cwzb0912人間七七四年
2011/10/31(月) 15:36:55.61ID:crOPPBT1これ何かしたっけ?
0913人間七七四年
2011/10/31(月) 15:39:03.06ID:gStDyt9/0915人間七七四年
2011/10/31(月) 18:15:43.40ID:u7+gFz2Y正室が側室に格下げ、もめったにないよ
正室がいらなくなったのなら離縁するから
そして正室の座は空いたまま側室を容れて、
誰か適任がいたら新たに正室を迎える
信長や家康がそうだね
日本におけるいい例になるのが、藤原道長が娘を一条天皇の后に押し込んだとき
中国でなら先にいた皇后が格下げされて道長娘が新しい皇后になったんだろうけど
日本では道長娘も「もう一人の(実質的な)皇后」という扱いで捩じ込んだ
0916人間七七四年
2011/10/31(月) 19:06:46.15ID:+gFPogdc記録なんかで見ると事実上正室として家内を取り仕切ってたり
その立場として外にも対してた人はいたはずだけど
側室多くて誰だか忘れたwww
0917人間七七四年
2011/10/31(月) 23:53:43.85ID:+uhcWxSb人質時代に過ごした駿府に住むことを選んだ理由ってなんですか?
0918人間七七四年
2011/11/01(火) 00:21:38.61ID:GSB2+uV6・気候が温暖
・米が美味い
・交通の便が良い
とかだった気がする
0919人間七七四年
2011/11/01(火) 08:35:42.01ID:xTdn+QM+だからふるさとみたいなもんだったのかも
0920人間七七四年
2011/11/01(火) 12:10:09.67ID:lTwxIDx9家康は物心ついてから成人するまで、多感な時期を駿河で過ごしたから
三河や遠江より駿河の方が家康にとって懐かしむべき故郷だったのは間違いない
まあ、もちろん駿河を選んだのは政治的な意味が大きいだろうけど
0921人間七七四年
2011/11/01(火) 12:23:49.93ID:inc8dMqX義元の死を嘆いて切腹しようとして、寺の住職に止められたって話あったなあ
0922人間七七四年
2011/11/01(火) 22:52:51.30ID:RT1ph/xS兵を整えるまでがある程度影響あるってくらいじゃね?
0923人間七七四年
2011/11/01(火) 22:54:22.57ID:32TslEVb0924人間七七四年
2011/11/01(火) 23:14:07.30ID:vgfBJzgs回答ありがとうございました。
世間一般に流布してる人質時代の体験の印象から、
そういう場所は避けたくなるのではと思ってました。
0925人間七七四年
2011/11/01(火) 23:24:11.26ID:inc8dMqX織田同盟時代の縁の地で、何か家康の逸話はないのかな
0926人間七七四年
2011/11/01(火) 23:42:34.06ID:ix4gczfD今で言う小〜中学生ぐらいだから大変だったろうがまだ何もわからないというか。
それより桶狭間後に岡崎戻ったぐらいのほうが高校生の年代で
うつけ100%の信長とやりあわなきゃいけないし一揆は押さえないといけないし
より苦難だったかもしんない。
0928人間七七四年
2011/11/02(水) 00:45:56.07ID:VH6AaTzJ尾張では何回かしてるとか。
0929人間七七四年
2011/11/02(水) 01:35:51.10ID:DaXXI3m3あとは榊原康政とか鳥居元忠まわりの話がちらほら
0930人間七七四年
2011/11/02(水) 09:16:31.37ID:BzwlC8/f全然違う、「信長公記」「家忠日記」を照らし合わせれば
二人が吉良で鷹狩をして合っていたことが伺える
0931人間七七四年
2011/11/02(水) 15:14:35.75ID:/417QIHUへ〜。
自分は聞いただけだから判断できないけど
「伺える」というのは、「確実なのは天正六年だけであとは
伺えるという感じ」、なのか「確実に毎年吉良で鷹狩りをしていた」のか
どっちなのかな。
細かくて悪いがせっかくの機会なのでお聞きしてますです。
0932人間七七四年
2011/11/02(水) 16:59:22.15ID:BzwlC8/f天正三年長篠の戦い
天正四年「信長公記」十二月二十三日から三日間、吉良で鷹狩、「武徳編年集成」家康これを饗応する
天正五年「信長公記」十二月十五日吉良で鷹狩「家忠日記」家康一七日に岡崎
天正六年「信長公記」正月十八日吉良に鷹狩、「家忠日記」二十一日に信長(御家門様)岡崎(家康は十六日清洲か)
0937人間七七四年
2011/11/03(木) 00:37:01.19ID:OTj3TiW6古くに豊臣寄りが多い西国に対して江戸の手前で食い止めるという意味もあったと
さすがに>>918は違うだろwww
現代で第二の人生を過ごす人の理由だよ
静岡県は相変わらず人気が高いらしいから
>>919
>>926
ありゃ人質じゃなくて三河をできるだけ穏便に支配するための戦略による取り込みだね
一族にしてしまったら三河の連中も反発できなくなる
0938人間七七四年
2011/11/03(木) 11:37:30.26ID:m7MKmPpD公人として語ると彼の問題点を語らざるを得ないが、私人としては悪く言いたくないので
語らなかったのだと思う
0939人間七七四年
2011/11/03(木) 11:46:20.66ID:bsOSEPOYロクな扱いされて無いんじゃね?
0940人間七七四年
2011/11/03(木) 11:55:10.78ID:876wmeG+0941人間七七四年
2011/11/03(木) 18:19:36.03ID:ol6sruf5秀吉を最も反面教師したのは家康
0942人間七七四年
2011/11/03(木) 18:23:39.05ID:8lix6E8S朝早くからあんな激しいスポーツしてるのか…そりゃガタイよくなるわ
0943人間七七四年
2011/11/03(木) 21:01:57.59ID:vLa1ctj50944人間七七四年
2011/11/03(木) 22:50:01.03ID:InUfBQay朝から鷹狩りで遊んでられるなんて殿様は良い身分だよ
0945人間七七四年
2011/11/03(木) 23:32:57.97ID:61oV2MY00946人間七七四年
2011/11/03(木) 23:44:48.09ID:2EbIdx5Y0947人間七七四年
2011/11/03(木) 23:47:52.99ID:8lix6E8S0948人間七七四年
2011/11/04(金) 00:50:13.22ID:P4cDS1z/もそっと詳しく!
0949人間七七四年
2011/11/04(金) 01:56:11.88ID:cAgcFap10950人間七七四年
2011/11/04(金) 09:20:31.48ID:jfAK8xka0952人間七七四年
2011/11/04(金) 13:05:25.35ID:i0+Yv3qR鷹匠に捕まえさせるんじゃなかったっけ。
もちろん自分も動いたりはしただろうが。
それと秀忠に将軍職譲渡後もおじいちゃんなのに
鷹狩りをしょっちゅうしていて、元気だった、みたいによく
言われるけどあれは若い秀忠補佐の意味合いで各地に
鷹狩りという名目で出かけてただけで
実際に各地で沙汰処理までしてるんじゃなかったか。
単に良い身分とかスポーツマンとかというのは
少しテレビネタだろな。
0953人間七七四年
2011/11/04(金) 23:07:12.25ID:UyBPmfWH家康は生涯現役だったと言える
本来は隠居したら隠居領と直臣以外へは干渉しないのだが
家康は頻繁に箱根を越えて将軍のお膝元である武蔵周辺で鷹狩りをしたり沙汰を出したりしている
これは秀忠の力を抑えて家康自身の影響力を保持するものだ
駿府に隠居したのも西国大名や朝廷からの使者が一旦家康の元に立ち寄るようにして検分できると言う意味合いが強い
0954人間七七四年
2011/11/04(金) 23:16:52.43ID:jfAK8xka0955人間七七四年
2011/11/04(金) 23:45:01.79ID:i0+Yv3qRそれをいかに秀忠に移譲していくか、これが最大の懸案事項かな。
役割分担なんかは発給文書の細かな表現から
解釈してる人がいるけど対外政策から国内までうまいことやってるよね。
ブレーンも外人はいるわライバル同士の僧もいるわ
幅広いもんなぁ。
そういや、イチャモン事件の張本人の林羅山って
徳川初期4代に仕えてるんだよね、これってなかなかすごいような。
0956人間七七四年
2011/11/05(土) 00:21:40.91ID:Ig51Fqz9自分で鷹を使ってあちこち動き回るんじゃない
ゴルフみたいなもので一見全然スポーツじゃないけどという感じで
0957人間七七四年
2011/11/05(土) 05:56:26.50ID:ak6IQPeR飯はうまくなるし、疲れて早く寝ちゃうから女と遊んで精力を減らすこともないって
言ってるね。
0958人間七七四年
2011/11/05(土) 11:00:08.26ID:Wu05eVfU肉や魚モリモリ食って子作りした方が
質素倹約するより世の為領民の為じゃね?
0959人間七七四年
2011/11/05(土) 11:14:28.83ID:2sMHxGfv金持ちのじいさんの健康増進を兼ねた趣味
とりまきがナイスショット!とかいうんだろうな
0960人間七七四年
2011/11/05(土) 11:45:53.45ID:6Qru8p7Pってか、鷹匠組ってのがいてその人たちが鷹を使って
小動物を捕まえるんでしょ。鷹って凶暴だから慣れてないと危険だよ。
鷹場ってのもあってそこでちゃんと訓練した鷹を使うし。
もちろん技術指導されて自分でもやっただろうから少しは動き回っただろうけど
お殿様たちってのは基本的には自分では何もしない人たちだからね。
0961人間七七四年
2011/11/05(土) 12:31:40.37ID:QtOh7OhDあと、家康は、何でも自分でやる人みたいだよ。鉄砲も撃ったし、隠居後、まだ子供の御三家当主の後見してて、年貢の皆済状も自筆で書いてたとか。
お殿様は自分じゃ何もしなくて済むようになったのは、太平の世になってから。
0962人間七七四年
2011/11/05(土) 13:14:32.85ID:lLx76hV4家康生存時は名目だけで実質家康の支配下にあったと言っていい
0963人間七七四年
2011/11/05(土) 13:23:55.47ID:6Qru8p7Pこないだ鑑定団に皆済状出てたね。書かれた場所がおかしいというのが
よくあるというのだけどこれもおもろいところか。
0964人間七七四年
2011/11/05(土) 14:04:38.59ID:S6SndSPx家康は普通の殿様と違うだろう
0965人間七七四年
2011/11/05(土) 21:14:16.06ID:Wv86740c安いの無いかな?
0966人間七七四年
2011/11/05(土) 21:20:54.67ID:6Qru8p7P本物だと最低200万ぐらいかな〜。
0967人間七七四年
2011/11/05(土) 21:59:11.80ID:mgoEzMXzhttp://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201101090154.html
0968人間七七四年
2011/11/05(土) 22:00:41.64ID:mgoEzMXz0970人間七七四年
2011/11/06(日) 12:31:32.97ID:P6AUcXupあれって勘違いしておみやげに利用する人いるんじゃないかな〜。
地名だから別に家康には関係ないし強硬にこじつければユカリにもなるんかな。
名古屋〜三河ではそんなに焼き味噌って食べなくて
飛騨の山奥の旅館なんかで出る朴葉みそというのが美味しい。
0971人間七七四年
2011/11/06(日) 15:42:00.43ID:OWG1hR300972人間七七四年
2011/11/06(日) 19:26:53.86ID:75MIDmdY0973人間七七四年
2011/11/06(日) 20:18:12.55ID:7pDVTaqc0974人間七七四年
2011/11/07(月) 02:04:36.45ID:lJpr9XdJ尾張徳川家の邸宅(明治以降)の所在地とその周辺で、今は、美術館、公園、古文書館がある。
まあ、尾張徳川家が寄付した文化遺産の所在地だね。
0975人間七七四年
2011/11/07(月) 14:29:49.29ID:b/eaYxWRググってもらえればわかるけど、周りのマンションは全部ハイツ徳川、徳川ライフ
みたいなもんだし徳川コロッケとか以前は普通に近所にあった。
最近はシャレたケーキ屋さんとかも増えてあまり歴史っぽくはないけど
歴女さんは喜ぶかもなぁ。
徳川ハムとかは通販とか宣伝もしてるから、関係ないと知ってても
利用したりする人はいるかな、とかね。
ちなみにガキンチョの頃学校に、徳川さん、って女の子はいた。
それなりにご子孫さんとか遭遇してたのかもしれない。
三河に行くと、松平郷、という感じでゆかりの地名があるけど
これはド田舎で400年前と変わってないかもしれなひ・・
サッカーのトヨタスタジアムの近くってば近くだけどね。
0976人間七七四年
2011/11/07(月) 19:32:52.55ID:KcO01TOk0977人間七七四年
2011/11/07(月) 21:02:53.05ID:Cn9eETrthttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1320656201/
何か無断で関連スレを無視するような次スレが立てられてるぞ
0978人間七七四年
2011/11/07(月) 23:09:26.60ID:YqPYiwxf四天王とかの各種スレで分散して、過疎りまくってたのを
俺が何年も掛けて統合して行ったから、
1スレ2年だった本スレが、
百姓死んでも半年で終わる様に成ったんだぞ!
0979人間七七四年
2011/11/08(火) 11:38:02.86ID:0yDySvLHフェイクかも知れんのに、とどめも刺さずに大将が近付くとか
大河は色々滅茶苦茶だなw
そもそも「幸村」って何十年後かに出来た呼び名だろ?
0980人間七七四年
2011/11/08(火) 12:20:49.14ID:HQwke4eB0981人間七七四年
2011/11/08(火) 14:33:48.37ID:hUnYWLgg呼び合うもんだ いや待てよ これが国持ち大名なら三河殿とか地名で呼べるし、
大きな官位があれば中納言さまとか内府どのとかあるし、大岡越前守なら越前って
呼べるけど真田幸村は大した官位ないし浪人だし、なんて呼ばれてたんだろうな
0982人間七七四年
2011/11/08(火) 14:39:58.61ID:uV6NPPO10983人間七七四年
2011/11/08(火) 14:51:41.92ID:4Ls+OcKpここもついにそこまで成り下がったか。
0984人間七七四年
2011/11/08(火) 15:58:38.12ID:it01/zX70985人間七七四年
2011/11/08(火) 17:13:18.97ID:VBnt4pUE監修の小和田は大河では毎回「信繁」にするよう提案しているが、
却下されるとどこかで書いていた。
0986人間七七四年
2011/11/08(火) 20:42:54.44ID:it01/zX70987人間七七四年
2011/11/08(火) 20:48:34.43ID:hUnYWLggでも有名になりすぎて正式な記録書にも採用されてるそうな たいしたものよのう
そういえば西郷隆盛が実は隆盛じゃないって話を思い出した
おじさんか誰かが間違って登録してしまったそうだが、西郷隆盛本人も知らなかったような気がする
0988人間七七四年
2011/11/08(火) 21:49:02.11ID:8hHi0kEd0989人間七七四年
2011/11/08(火) 23:47:33.10ID:4Ls+OcKp0990人間七七四年
2011/11/09(水) 03:54:37.31ID:K9FzbdQJ0991人間七七四年
2011/11/09(水) 13:33:08.66ID:TOZ+lAPc0992人間七七四年
2011/11/09(水) 14:58:25.59ID:vBNZSp03当時本名で呼ぶことはタブーだったから、仮名を使うのは当たり前だった。
0993人間七七四年
2011/11/09(水) 15:07:37.20ID:S+EDS9+G坂本家の男子は直を付けた。
龍馬は幼少のころの名、または通称で、
正式な書類に署名されたのは「直柔」。
これが本名ということらしい。
0994人間七七四年
2011/11/09(水) 15:23:56.85ID:PULC1EsFもちろん学者、ってか坊主はそのへんも詳しかったんだろうけど
足利尊氏は後醍醐天皇(諱は尊治)とたもとを分かち、戦火を交えるようになってもなお
後醍醐帝に頂いた尊の字をありがたがって使い続けたそうな
0995人間七七四年
2011/11/09(水) 15:28:30.62ID:+g4CjchI幸村なんて、「何だよお前、叩き切るぞ!?」って言われるw
0996人間七七四年
2011/11/09(水) 15:29:17.49ID:+g4CjchI【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その14
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1320656201/
0997人間七七四年
2011/11/09(水) 20:04:23.59ID:+g4CjchI0998人間七七四年
2011/11/09(水) 20:18:37.78ID:E1EtzfuB0999人間七七四年
2011/11/09(水) 20:19:53.79ID:E1EtzfuBヽ;;;;;;;;;;;;;;;;l
. /;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',
. /;;;;;;;;;;;;;;;;;;l;;;;;;;;;;;;;;',
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l;;;;;;;;;;;;;;;;;;',
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;';;;;;;;;;;;;;;;;;、L
. /;;``''''ー--------‐''";;;:::;',
. ,r':、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、:-i''ヽ,
/;;::: ``'''''''''''''''''''''''''"´ :;;;;l
. l;;;:: :;;l
. |;;: _,,,,,,,,_ヽ / _,,,,,,,,,,__ ;l. _
,r'ヘ;; ''''" __,,,_`,'. ', ..._,,,,,_ _ ,'´ l
l ; l ,:'=<_〇,>; ':,く〇,,>,= ' l、.l l
ヽ 、l/ ヽ_ ~ l l ~ / ヽ/./
゙、〈 '、,r‐:l l-、 / /.,ィ,)t、
. ヽゝ、 .ゝ,r.、 ,riノ ,r'',r' ! /l、
l.ト //゙;彡三三ミ;ヽ /" / |/ ス
__,,,,,,l ヽ リ!''‐´ ''' `ヤリ ./ ノ / ./┴''" ̄ ̄
,,,,,,r'ヽ. ヽ ヽ. / / ノ
| ヽ. ヽ `':、 r‐‐-.、 ,、:' ,イ
. | ヽ. ヽ `'l;;;;;;;;;r'" .t'"', ',
| ヽ ヽ l;;;;;/ 人. ゙,.゙,
| ヽ ヽ. リハ,_,,、-‐''"´/\',.',
l ヽ. ヽ l'! ゝ、-、 \ \゙、
1000人間七七四年
2011/11/09(水) 20:20:35.44ID:E1EtzfuB/:l::\
|:::!::::::|
| :!::::::! _ __ _
|::l::::::|´:/,.-‐<::\
,. ―┴゙ーく:/ / } .:.:ヽ
{`ー---―::'}:く. l ..::.::l
/`二¨二 ̄´ヽ::ヽ. | ..::.::|
/ 二ニ二 ヽ. } :::}. l ..::.::|
l__ _ _ _ ,.へ;リ | ..::.::|
{テテ! fテテ、_ ,.-、ヽ.___ |..:::.:::|
厂:r| -、 ̄´ノ ! :}:::::入ゝ--"
__ ____ ______{:::/ 'ー‐'ヽ ::::: 丿//::::::! _____ _
/:::::| ::::::::::::::::::!{ ━ ) |ー }::Υ´7 ̄:::::::::::::::::::/:::::::::\
/ :::::::: | ::::::::::::::::::人_` ⌒ __, 八__丿::ノ:::/:::::::::::::::::::::/:::::::::::::::::::::
/ ::::::::::::::::|_::::::::/ヽ、:\._;三二´-‐'::/::/::::::::::::::::::/:::::::::::::::::::::::::::
/:::::::::::::::::::::::| l |/::::::::::::\._:::::::::::::::::::_;. ‐':::::/:::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::
/:::::::::::::::::::::::::::::| l |::::::::::::::::::::::::/ ̄ ̄ ̄::::::::::::/:::::::::: /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
. /::::::::::ノ:::::___::::::::::: | l |:::::::::::::::::::::/:::::::::::::::::::::::::::/::::::: /:,. -―:::::::::::::::::::::::::::::::::
. /:::::::::::::〈_/ :::::::::: /| l | ::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::/:::: /::/::::::::::::::::::::::_.......-―::
/::::::::::::::::::::/ ̄ヽ:::{:::::| l |:::::::::::::/ ::::::::::::::::::::::::::::,':::::/::/:,...-―‐::::: ̄::::::::::::::::::::::::
|:::::::::://::::::::,. -、}:!::: | l | :::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::|:::/:/::::/__:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
|:::::::/::/::::::::/::::::::::ヽ::::| l !::::::::::' ::::::::::::::::::::::::::::::: |:::|::l:::/:::::: \::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/|:::::::ー':::::/:::::::::::::::::::ヽ:| l :|::::::::::| :::::::::::::::::::::::::::::::::|:::|::l::|::::::::::::::::\:::::::::::::::::::::::::::::::
. /:::: ヽ:;. '::::ノ:::::::::::::::::::::::_'| l :| :::::::::| ::::::::::::::::::::::::::::::: ヽヽ、! ::::::::::::::::::: \:::::::::::::::::::::::::
/::::::::/:: / ::::::::::::::::::/:: ,.┴゙┴、:::::::|::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\|:::::::::::::::::::::::::::::ヽ、::::::::::::::::::
-‐ '´:::/ :::::::::::::::::::::/:::/ '二ニ}_:::: {::___:::::::::_...-― '|::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::___
::::::::/ ::::::::::::::::::::::::/< ,.二二ソ::: ̄// // ̄´::::::::::::: 「):ヽ、:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
-‐'::::::::::::::::::::::::::::::/:::/: ̄:丿_:::::::::::: // [{二二二二二二}]「仄\::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
:::::::::::::::::::::::::::::::: //::::::::/ :::::: ̄ ー// //::::::::::::::::::::::::::::|_) ̄ ̄\:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::/ :::::::/`..ー-..__:::::// __//゙77:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: \:::::::::::::::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄´ :::::::/:::::::::::::::::::::::`. ̄// //:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: \::::::::::::::::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::/ ̄...ー-...__:::::::::::::::// //:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`.ー―――‐
10011001
Over 1000Threadー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
./ | | ',ヾ゙ / / / / l http://hobby9.2ch.net/sengoku/
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。