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【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ16【東軍】

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0001人間七七四年2011/05/11(水) 23:28:04.21ID:69tmvV5W
130年あまり続いた戦国時代晩期の合戦である「関ヶ原の戦い」。
東西両軍合わせて20万人もの動員を繰り出した、想像を超える大規模なものだったにも関わらず
わずか数時間の戦闘で勝敗が決したという希有な戦い。
全国津々浦々から名立たる武将・智将が一同に会した、戦国屈指のドラマ「関ヶ原」を
あらゆる角度から検証するスレ第十六弾です。
次スレは>>980>>990あたりで

過去ログ
関ヶ原の戦い総合スレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1106458926/
関ヶ原の戦い総合スレ2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108139654/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ3【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1124859382/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ4【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1127129116/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ5【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129471584/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1135858991/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142346577/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ8【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1145149465/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ9【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149346897/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ10【東軍】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152870727/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176221394/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】 ※12
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194438306/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ13【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214108230/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ14【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1253350983/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ15【東軍】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1264805400/
0002人間七七四年2011/05/12(木) 07:20:48.62ID:oOv8TIDA
0003人間七七四年2011/05/13(金) 08:22:01.18ID:R07/ha/S
四本健光「島津氏と関ヶ原合戦 −島津義弘の参戦事情と徳川の島津処分」(『鹿児島大学教育学部研究紀要』18巻<人文社会科学編>、1966年12月25日発行)

藤井治左衛門『関ヶ原合戦史料集』(新人物往来社、1979年9月20日発行)

池田公一「相良頼房と関ヶ原合戦」(『戦国史研究』19号、1990年2月28日発行)

會田康範「石田・上杉共謀説について」(『戦国史研究』23号、1992年2月29日発行)

笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館、1993年2月25日発行)

笠谷和比古『関ヶ原合戦―家康の戦略と幕藩体制』(講談社、1994年2月1日発行)

西本誠司「関ヶ原合戦前の島津氏と家康」(『戦国史研究』34号、1997年8月25日発行)

宮本義己「徳川家康の人情と決断−三成゛隠匿″の顚末とその意義」(『大日光』70号、2000年3月26日発行)

笠谷和比古『関ヶ原合戦四百年の謎』(新人物往来社、2000年6月10日発行
0004人間七七四年2011/05/13(金) 08:24:17.02ID:R07/ha/S

藤井尚夫『フィールドワーク関ヶ原合戦』(朝日新聞社、2000年9月15日発行)

笠谷和比古『関ヶ原合戦と近世の国制』(思文閣出版社、2000年12月20日発行)

林千寿「関ヶ原合戦における細川家−その動向と動機」(『熊本史学』76・77合併号、2000年12月20日発行)

石田明夫「神指城と関ヶ原−上杉影勝の城づくり」(『会津若松市史研究』3号、2001年発行)

宮本義己「徳川家康の豊臣政権運営−「秀吉遺言覚書」体制の分析を通して」(『大日光』74号、2004年3月26日発行)

山本博文『江戸時代の国家・法・社会』(校倉書房、2004年8月20日発行)
0005人間七七四年2011/05/13(金) 08:26:18.01ID:R07/ha/S

布谷陽子「関ヶ原合戦の再検討―慶長五年七月十七日前後」(『史叢』73号、2005年9月30日発行)

宮本義己「内府(家康)の公儀掌握と関ヶ原合戦」(『大日光』76号、2006年3月17日発行)

白峰旬「関ヶ原の戦いに関する時系列データベース―城郭関係史料を中心として」(『愛城研報告』10号、2006年8月発行)

福田千鶴『淀殿』(ミネルヴァ書房、2007年1月10日号発行)

光成準治「関ヶ原前夜における権力闘争−毛利輝元の行動と思惑」(『日本歴史』707号、2007年4月1日発行)

三池純正『敗者から見た関ヶ原合戦』(洋泉社、2007年5月22日発行)

土居聡朋「関ヶ原合戦における四国侵攻と武井宗意」(『地方史研究』57巻4号、2007年8月1日発行)

田端泰子『北政所おね』(ミネルヴァ書房、2007年8月10日発行)

布谷陽子「関ヶ原合戦と二大老・四奉行」(『史叢』77号、2007年9月30日発行)

笠谷和比古『戦争の日本史17 関ヶ原合戦と大坂の陣』(吉川弘文館、2007年11月1日発行)

笠谷和比古『関ヶ原合戦』(講談社学術文庫、2008年1月10日発行)

笠谷和比古「関ヶ原合戦余聞−「三成、家康屋敷に逃げ込む」の嘘」(『本』33巻2号、2008年2月1日発行)

平井上総「関ヶ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年3月1日発行)

宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』78号、2008年3月31日発行)
0006人間七七四年2011/05/13(金) 08:28:35.02ID:R07/ha/S

白峰旬「関ヶ原の戦いに関する再検討」(『別府大学大学院紀要』10号、2008年3月発行)

三宅正浩「「秋長」書状の年代比定をめぐって―関ヶ原合戦と蜂須賀家政」(『ヒストリア』210号、2008年6月10日発行)

太田浩司『近江が生んだ知将 石田三成』(サンライズ出版、2009年3月1日発行)

光成準治『関ヶ原前夜―西軍大名たちの戦い』(日本放送出版協会、2009年7月30日発行)

高橋明「会津若松城主上杉景勝の戦い・乾―奥羽越における関ヶ原支線の顛末」(『福大史学』80号、2009年10月30日発行)

林千寿「慶長五年の戦争と戦後領国体制の創出―九州地域を素材として」(『日本歴史』742号、2010年3月1日発行)

水野伍貴「秀吉死後の権力闘争と会津征伐」(和泉清司編『近世・近代における地域社会の展開』岩田書院、2010年3月31日発行)

桐野作人『関ヶ原島津退き口―敵中突破三〇〇里』(学研新書、2010年発行)

大西泰正「宇喜多騒動をめぐって―光成準治著『関ヶ原前夜』第五章への反論―」(『日本史研究』573号、2010年5月20日発行)

水野伍貴「佐和山引退後における石田三成の動向について」(『政治経済史学』530号、2010年12月22日発行)

白峰旬『新「関ヶ原合戦」論―定説を覆す史上最大の戦いの真実―』(新人物往来社、2011年3月22日発行)

0007人間七七四年2011/05/13(金) 17:56:07.05ID:Nvcsl8+b
左近や兼続って、大して役に立って無いよな。
0008人間七七四年2011/05/13(金) 23:25:04.29ID:zg7sWHRw
兼続はまあ上杉存続に奔走したが、左近は速攻で討ち死にしたからな。
0009人間七七四年2011/05/14(土) 12:25:35.08ID:dqVz8wAm
蒲生頼郷や蒲生郷舎の方が頑張ってるよな。
0010人間七七四年2011/05/14(土) 12:39:04.97ID:wlKL+Cdz
左近は杭瀬川の戦いがピーク
0011人間七七四年2011/05/15(日) 08:21:33.18ID:FR8Kw0q/

白峰旬「慶長5年の上杉景勝VS徳川家康・伊達政宗・最上義光攻防戦について : 関が原の戦いに関する私戦復活の事例研究(その1)慶長5年の上杉景勝VS徳川家康・伊達政宗・最上義光攻防戦について : 関が原の戦いに関する私戦復活の事例研究(その1)」

(『史学論叢』2010年3月発行)
0012人間七七四年2011/05/16(月) 22:02:20.40ID:5T8fSrIl
戦国武将
家紋・旗・馬印FILE100って本が571円と安かったので惹かれて買ったんだけど
意外と楽しめて面白い

ところで疑問なんですが合戦時の兵員数と言うのは荷駄人足とかも含んでいるの?
0013人間七七四年2011/05/16(月) 22:05:20.65ID:5T8fSrIl
5/18にNHK歴史秘話ヒストリアで島津の敵中突破やりますね
0014人間七七四年2011/05/16(月) 22:30:10.18ID:hsJFQuGs
島津が万全な状態で参戦したら面白かったのに
0015人間七七四年2011/05/16(月) 22:44:25.93ID:CkMvs51R
>>12
含む
0016人間七七四年2011/05/17(火) 14:30:46.30ID:DX8eZ/L1
>>14
万全な状態というのは
義久が軍勢を率いて東軍として参加するということになると思う
0017人間七七四年2011/05/17(火) 17:13:43.71ID:dqcHzz/T
>>16
地元の不穏分子が大喜びで挙兵するなw
0018人間七七四年2011/05/17(火) 23:07:45.22ID:XT3HfaaB
>>16
どっちかって言うと悪久じゃね?
0019人間七七四年2011/05/18(水) 18:49:39.13ID:xEjmfFTV
白峰旬「慶長5年7月〜同年9月における石田・毛利連合政権の形成について」(『別府大学紀要』第52号、2011年2月発行)
0020人間七七四年2011/05/19(木) 07:23:34.20ID:8U7m1WFD
つか西軍に味方した大物大名って軒並み問題抱えてるよな
毛利、宇喜多、長宗我部…
上杉ぐらいか…なんとかまとまってたのは
0021人間七七四年2011/05/19(木) 08:59:13.43ID:Vn8ORvPP
上杉は藤田を追放したから
0022人間七七四年2011/05/19(木) 12:44:47.67ID:cX1Dbesu
藤田さんは末路を考えると上杉に残ってた方がマシだったのではと思わなくはない
0023人間七七四年2011/05/19(木) 12:48:58.24ID:WpXvErRg
藤田さんは上杉に残っても、別の形で大騒動を繰り広げただろう。
有能だけど生きた時限爆弾みたいな人だからな。
0024人間七七四年2011/05/20(金) 08:14:52.00ID:Ftkg3kUP
岡、坂崎の末路もろくなもんじゃない
戸川も微妙
0025人間七七四年2011/05/24(火) 17:15:00.60ID:x2B+igSv
【関ヶ原】陣幕に床几スタイルでお茶が飲める「武将カフェ」。期間限定でオープン ★3
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1306046832/
0026人間七七四年2011/05/28(土) 06:29:29.42ID:W4XRo8Wr
ディレクターチェアは快適だけど
床几は結構苦痛だよな
0027人間七七四年2011/05/30(月) 10:41:45.65ID:Pkgwr/4z
http://mitubaaoi.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13144240

上のトピックでのS氏のカキコミについてどう思う?
0028人間七七四年2011/05/30(月) 10:56:11.75ID:3S4BNHdO
時計なんてものがない当時の間隔で、厳密な時間の共有なんぞ不可能
せいぜい、お天道様がてっぺんにある午の刻がなんとか信用できるかどうか

ついでにいうと終わったという認識も、戦局の転換か、相手の総崩れか、
残敵掃蕩までかというのも各自の立場と認識で変わる

徳川史観というのは筆者の遠慮位はあるだろうが、徳川家の組織的な関与
なんていうのは一笑に付して良い
0029人間七七四年2011/05/30(月) 11:23:43.52ID:Pkgwr/4z
>>28
ありがとう。
じゃあS左衛門氏の上にあげたトピックでのカキコミは概ね正しいってことでいいのかな?(白峰旬批判を含めて)
0030人間七七四年2011/05/30(月) 11:35:29.68ID:wrjG+g3k
>>29
概ね信じていいと思うよ。
というか徳川史観なるものを強調する本や研究者はまず信用しないほうがいいw
0031人間七七四年2011/05/30(月) 14:13:42.54ID:J0nF25fc
ところがそれなりに、やっと出た詳細な研究、みたいに喜んでる
カキコもよく見かけるな。
ところでこの白峰って誰?
0032人間七七四年2011/05/30(月) 15:17:40.74ID:PEgHwMRt
別府大学文学部史学科准教授 白峰旬
0033人間七七四年2011/05/30(月) 17:04:05.18ID:J0nF25fc
もうちっと過去の論文とかそういうの。
0034人間七七四年2011/05/30(月) 17:45:05.40ID:3S4BNHdO
http://ci.nii.ac.jp/author?q=%E7%99%BD%E5%B3%B0%E6%97%AC&count=20&sortorder=1
0035人間七七四年2011/05/30(月) 19:28:27.56ID:bbztFqsE
宗茂さえ本戦にきてれば…

秀忠率いる本隊ごと蹴散らしただろうに
0036人間七七四年2011/05/30(月) 19:58:42.87ID:3S4BNHdO
大して意味はない
0037人間七七四年2011/05/30(月) 20:14:30.64ID:Du1h7wQE
家康が西軍についてたら西軍が勝ってた
0038人間七七四年2011/05/30(月) 21:50:35.95ID:J0nF25fc
>>34
さんきゅ。
お城系の人なんだね。九州のそういう研究会ってのは有名なのあるのかな。
0039人間七七四年2011/05/30(月) 23:53:07.94ID:HsPxsbER
秀吉は小早川を優遇しすぎたんだよ

毛利の分断工作としては成功だったけど、全国規模で見ると徳川の圧勝に終わってしまったじゃないか
0040人間七七四年2011/05/30(月) 23:57:26.56ID:GTxDEYZW
三成が家康排斥の為に豊臣を二分する戦なんて起こさなければ家康は豊臣の家臣のままで豊臣も存続しただろうに・・・
0041人間七七四年2011/05/31(火) 00:15:59.33ID:6ou96sCR
「豊臣家康」あるいは「豊臣秀忠」が「豊臣家当主」になっていた可能性が高いな。
0042人間七七四年2011/05/31(火) 00:27:01.88ID:PeCJjNhj
低いと思う。外様は外様。姓を与えられても一門じゃない。
徳川政権の松平姓といっしょ。
0043人間七七四年2011/05/31(火) 01:16:57.25ID:yddycHYT
>>40
そうしたら徳川が実効支配することになる。徳川執権制なのか豊臣関白が徳川を
征夷大将軍に任ずるのかはよく分からないけど。

>>42
豊臣譜代じゃ官僚機構維持できない・・・もし徳川が代理支配しない/できないなら
室町幕府並みの弱体政権で50年ぐらいで第二次戦国時代に逆戻りだろ。
0044人間七七四年2011/05/31(火) 15:36:18.04ID:BRyEv1mY
2〜3代目の力も重要だろうけど、徳川の場合は家康のお膳立てが
すごかったからね。
家康が関が原直後あたりに死んでたらそれこそ二都並立状態で
その後の人物の出現によって歴史は変わったろうからどうなってたか。
心配なのはすでに海外勢が日本に来てたからそれらに利用されたりすると
ちとヤバいことになってたかもしれないな。
0045人間七七四年2011/06/01(水) 12:20:35.44ID:M7xlD8LE
>>40
あそこまで巨大な勢力を持っていたら何が何でも自分の天下になるように行動するだろ
自分のモノになったら当然豊臣の姓を使っていたとしても代える罠
0046人間七七四年2011/06/01(水) 12:53:02.52ID:5aWpvo8j
>>45
関ヶ原以前の石高じゃ無理。関ヶ原の仕置きで豊臣本家の領地を削って諸大名に与えたり豊臣の金銭収入源を自分の物にしたりして豊臣恩顧の大名が全員集まっても徳川に対抗できないだけの力を付けてから初めて武家の棟梁としての力を持ったのであって、
関ヶ原が無ければ豊臣の家老以上の力は持てなかった。
0047人間七七四年2011/06/01(水) 16:11:33.87ID:YqZsSXdP
決戦が無かった場合、豊臣方を難癖つけてひとつひとつ潰していくんだろうけど
時間的に間にあったかどうか怪しいかな
0048人間七七四年2011/06/01(水) 16:22:02.26ID:oz/p/Zyz
ある程度潰したら豊臣に喧嘩吹っかけて反抗勢力を糾合させて一網打尽とかかねぇ
0049人間七七四年2011/06/02(木) 00:50:06.83ID:NOEZpUIx
>>46
デカい対抗勢力を一つずつ削っていく
そのたびに配置換えして領地を広げていくだろう
まあ家康ならどうにでもできる
0050人間七七四年2011/06/02(木) 01:03:44.96ID:tW1x+F2V
とにかく関ヶ原というのは圧勝どころではない、歴史上類を見ないほどの爆勝で、
この爆勝が家康に豊臣家を越える権威を与えた。
0051人間七七四年2011/06/02(木) 01:37:00.83ID:aW9eAr90
>>50
関ヶ原だけじゃ豊臣の権威を上回れないんだけどね・・・
0052人間七七四年2011/06/02(木) 01:55:14.38ID:gvrQhRGC
こら、揚げ足をとらない
0053人間七七四年2011/06/02(木) 02:01:20.43ID:7nwe4C7s
>>50
関ヶ原は所詮豊臣の内紛。
その後の仕置きが徳川天下の要因。
0054人間七七四年2011/06/02(木) 10:21:55.04ID:tW1x+F2V
>>51
将軍宣下以前に既に、天下の主催者は家康だという認識は広く行き渡っている。
そもそも関が原後の大改易は家康の名前で出している。豊臣家に既にそんな権能は無い。

関が原後、たしかに豊臣家にも権威は残ったが、それは非常に形式的なもので
実質に置いて家康以上の権威ではない。
0055人間七七四年2011/06/02(木) 12:15:19.12ID:1buKfsAh
関ヶ原後の安堵状や宛がい状とか家康の名前で出してないって有名な話じゃないの?
0056丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11 2011/06/02(木) 19:16:36.75ID:An5i4iLN
豊臣家に誰もが飽き飽きしていたんじゃないかな?
頭のぼけた老人に二回も渡海させられて、
恩賞は無し。
太閤亡き後、安定的なリーダーを望むのは、至極当たり前の事。
0057人間七七四年2011/06/02(木) 19:44:49.24ID:7nwe4C7s
関ヶ原は家康が豊の筆家老じゃなければ戦にもならなかった。
豊臣恩顧の大名が家康につかないから。
0058人間七七四年2011/06/02(木) 21:49:29.01ID:EnpxYd3R
白峰旬「慶長5年の上杉景勝VS徳川家康・伊達政宗・最上義光攻防戦について−関ヶ原の戦いに関する私戦復活の事例研究(その1)−」(『史学論叢』第40号、別府大学史学研究会、2010年3月)
白峰旬「慶長5年の九州における黒田如水・加藤清正の軍事行動(攻城戦と城受け取り)について−関ヶ原の戦いに関する私戦復活の事例研究(その2)−」(『史学論叢』第41号、別府大学史学研究会、2011年3月)
白峰旬「直江状についての書誌的考察」(『史学論叢』第41号、別府大学史学研究会、2011年3月)
0059人間七七四年2011/06/04(土) 15:52:34.82ID:UCmwxY6N
なんか自費出版本が出てるねぇ。
0060人間七七四年2011/06/04(土) 16:02:56.37ID:F9wWWqou
関ヶ原ってこれ以上土地開発されないように何らかの制限を作った方が良いね
もうすでにあるのかもしれんが…
0061人間七七四年2011/06/04(土) 16:30:10.14ID:UCmwxY6N
長久手あたりがひどいことになちゃったからね。
家康の見た景色はもう戻らない・・
0062丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11 2011/06/05(日) 11:46:29.10ID:qkU9wE7Q
合戦場を保存する必要はない。
天下分け目の戦が行われたとしても、例外ではない。

0063人間七七四年2011/06/07(火) 20:22:30.58ID:ViimGW8m
上杉が最上をさっさと片付けてたら伊達の動きも変わってたと思うんだ
0064人間七七四年2011/06/07(火) 20:24:10.29ID:pstm/cO1
上杉にそんな機動力があるかよ
0065人間七七四年2011/06/07(火) 20:37:01.92ID:c6kQRR0Q
上杉が南下したら面白かったのに
0066人間七七四年2011/06/07(火) 20:51:36.11ID:YGhCyh5I
最上が相手なら謝って済む問題だけど
徳川に逆らったらマジ殺される
0067人間七七四年2011/06/07(火) 21:52:33.39ID:UbVL005O
>>65
間違いなく結城秀康に虐殺されただろうな
0068人間七七四年2011/06/07(火) 23:22:41.68ID:7a4kGkvN
>>63
抑えを除いてほぼ全力で攻めたのにあれが精いっぱい

>>61
2000年の頃はまだ建物も少なかったけど
困ったものだ
0069人間七七四年2011/06/08(水) 00:44:16.40ID:y0ZfqlX3
人口増えてるわけでもないのに宅地だけは増えるのな
0070人間七七四年2011/06/08(水) 06:12:40.41ID:rNXB+Q/X
昔と違って嫡男ですら家をでてしまう御時勢だ
0071人間七七四年2011/06/09(木) 00:14:30.05ID:D3hzl8UQ
出生率が下がって全体の人口が増えていないだけで、
30〜40代の購買層は多いんだから宅地が増えるのは当然。
0072人間七七四年2011/06/09(木) 13:22:06.04ID:iNT9eErF
長久手あたりの景色は宅地でなくて、万博とかリニアの話ね。
名古屋の守山区は今でも唯一地下鉄のない区で開発されないからタカを
くくってたんだがあんなもん作りやがって。

それと土地や需要があるからといって宅地が増えるかというとそれは
別の話で、マンションみたいに空中へ伸びたりするほうが多いみたいだね。

>>68
平和公園とか一社のあたりはほんの30年ぐらい前までは江戸時代とそうはかわらん
ぐらい。田んぼばっかりだった。あれから通るたびに変わっていったもんなぁ。
桶狭間のあたりもそうなんだけどね、ってなんの話・・だ
0073人間七七四年2011/06/10(金) 00:31:20.21ID:rMNgrWLq
宅地開発や条例も購買者が居なけりゃ意味が無いに決まってんだろ。
みんながみんなマンションに住むとでも思ってんのか。
0074人間七七四年2011/06/14(火) 15:35:22.23ID:VwWa9sb8
webの読物としては面白いな

http://www.m-network.com/sengoku/sekigahara/index.html
0075月孔雀2011/06/15(水) 14:26:32.23ID:BFxDfeI0
家康は、三成の挙兵をどこまで、想定していたか?
0076人間七七四年2011/06/15(水) 15:53:00.44ID:mbYlshyL
>それは一般論の話をしてんだけど。
>対策をしていない=想定していない の図式は常に成立するわけではない。
>なので、対策をしていなければ同じ事、という事にはならない。
彼の考えがよくわからないので何とも言えんな。
0077人間七七四年2011/06/15(水) 18:40:49.81ID:ijr37OZi
>>76
その粘着荒らし毛利厨がまず頭がおかしいから議論が成立しない。
0078人間七七四年2011/06/15(水) 19:24:39.01ID:00JrrHt9
>>75
してない。と言うか単独で挙兵しても石田が馬鹿なだけだし。
毛利挙兵にビビったんじゃない?「本気でやるの?」みたいな。
0079人間七七四年2011/06/15(水) 20:42:01.50ID:Gmmoz3UV
破滅しかけたけど天下を取れたから結果オーライ
0080人間七七四年2011/06/15(水) 21:02:49.01ID:CGSEpr5j
>>75
大坂要路の人心を得たと家康は思っていたから
三成が挙兵しても同調するやつはいないだろうから
義弘の兵を入れた伏見城による支援があれば
大津城は佐和山兵だけでは落とせないと想定していた。
しかし大坂が裏切り大津城の京極も大坂に面従腹背してしまい、
敵味方がわからなくなった伏見城では義弘の入城すら拒否するほど疑心暗鬼になった
0081人間七七四年2011/06/15(水) 21:55:51.95ID:mbYlshyL
こっちで続けなされ。

425 名前:人間七七四年 :2011/06/15(水) 20:05:19.82 ID:ijr37OZi
>>423 普通にレスを追っていけば、論に付強としての傍証がいろいろ出て補強されてると思うけど?

『三成に西軍を指揮する権限なんかない。』
根拠は三成は蟄居中。家康に対する弾劾状や輝元の添え状には三成の連署はない←君に意見だよね。

『ある。三成が蜂起し、家康を誤算せしめたからだ。』
7/17の別所吉治宛書状などに三成・長束・増田・徳善院の連署で罪なき上杉征伐〜と書いて連署してる。
同日付の真田宛書状には長束・増田・徳善院・前田が連署してるから
ただ単に三成には他にやるべきことがあり分業してるだけ。
別紙として内府たがいの状、また別紙として大老宇喜多秀家、輝元連署状が同日付けで添付される形式。

『家康が誤算した、という記録は?』
7/22に秀忠も滝川に大坂奉行が雑沙汰を申してきてるが別儀無いと言っており
7/23の家康書状でも三成と大谷が才覚をもって方々へ書状を廻している雑説があるから進軍ストップと最上に伝えてる。
家康は明らかに三成と大谷が敵ととらえている。
7/27に至っても榊原が安東に淀や大坂三奉行が上洛するように言っている。
7/29になって奉行まで裏切ったのを知り黒田長政に池田輝政と相談するように言ってる。
等々>>378で説明があるね。

でさ、誤算ではなくすべて計算通りだとする根拠を追求されたないから
>>414みたいな意味不明な逃げレスになるんだよね。つまりケチつけてるだけで君にはなんら意見がないわけだ。


426 名前:人間七七四年 :2011/06/15(水) 20:09:10.13 ID:ijr37OZi
>>424
あははwついに自演毛利厨携帯Ver.も降臨してきたねw
急度の解釈で単発ID自演で誤読誤読と捏造を喚いたりどうしようもないクズw

>>349の指摘に従って消えろよクソ荒らし。


427 名前:人間七七四年 :2011/06/15(水) 20:20:32.22 ID:tf1mEA66
>>425
要は、『家康は誤算した』という記録が出れば良い。
第三者目線で、家康公が過小評価しなさってた、でも良い。

>7/22に秀忠も滝川に大坂奉行が雑沙汰を申してきてるが別儀無いと言っており
>7/23の家康書状でも三成と大谷が才覚をもって方々へ書状を廻している雑説があるから進軍ストップと最上に伝えてる。
>家康は明らかに三成と大谷が敵ととらえている。
>7/27に至っても榊原が安東に淀や大坂三奉行が上洛するように言っている。
>7/29になって奉行まで裏切ったのを知り黒田長政に池田輝政と相談するように言ってる。
>等々>>378で説明があるね。

この文章のどこから、家康が誤算した事を汲み取れるのか丁寧に教えて欲しい。

それと、どうしても自演にしたいらしいが、その必要がどこにある?
こちらの要求に全く答えられないキミに自演をかます必要は全くない。

0082人間七七四年2011/06/15(水) 22:50:46.52ID:mbYlshyL
関ヶ原研究の基礎本となる笠谷氏『関ヶ原合戦と大坂の陣』
「家康は小山の評定の時点では、大坂奉行衆が反家康の弾劾運動を
 主導しているということには思いは至っておらず、(中略)増田
 長盛ら豊臣奉行衆を信じていたようで〜」
また、小山評定のあと、7月29日付黒田宛て家康書状で「大坂奉
行衆が裏切ったと(上方から)通報があったので、重ねて相談しな
くてはと思っていたが〜」と書き送っている。
第一、奉行衆は家康と毛利に三成謀反を通報している。この時点で
は本人たちも三成の挙兵をただのクーデターと考えている。
0083月孔雀2011/06/15(水) 22:53:50.86ID:BFxDfeI0
要点をまとめてください。
0084人間七七四年2011/06/15(水) 23:03:54.53ID:KGHGyxgW
小山会議前の7月21日細川忠興の書状には石田と毛利が同心していることを告げる文面がある
細川が知っていることを家康が知っていないはずがない
0085人間七七四年2011/06/15(水) 23:20:15.93ID:uVZpBgQz
>>84
知っていないはずがない理由は?
0086人間七七四年2011/06/15(水) 23:30:09.96ID:KGHGyxgW
>>85
細川は関東宇都宮辺りにいて、家康は江戸にいて一里飛脚を置いて彼等に情報を伝達していた
つまりこの情報は家康発ということになる
0087人間七七四年2011/06/15(水) 23:53:17.57ID:mbYlshyL
毛利は国許にいた。
奉行衆は大坂にいる。
大坂が西軍についたことは大きい出来事
0088人間七七四年2011/06/16(木) 00:12:10.20ID:Gi/A1RhI
>>82
笠谷の認識には矛盾がある。
7/24、家康等が小山到着。
同日、鳥居の使者から伏見城が包囲された旨が伝えられたとある。
であれば、この時点で毛利同心の状況を把握している事になる。
0089人間七七四年2011/06/16(木) 00:21:11.06ID:HBEYB2Ht
毛利は奉行じゃないよ。
0090人間七七四年2011/06/16(木) 00:29:25.77ID:Gi/A1RhI
そうだね、確かに毛利は奉行じゃないね。
言い方を変えよう。

小山評定の時点で、
>三成の挙兵をただのクーデターと考えている。
という認識にはならない、という事。
0091人間七七四年2011/06/16(木) 00:34:18.64ID:HBEYB2Ht
ん?
ただのクーデターだと思っていたのは奉行衆の話。
「クーデターが起きた。助けて」と毛利や徳川に送ったのが奉行衆。
そして家康も奉行衆は淀殿や前田家同様に自分の味方だと認識していた。
奉行衆本人たちも徳川に助けを求めているのに、彼らの気持ちより先に
家康が「あいつらもいずれ裏切るんだ」と想定していましたというのは
どうなのかな。
0092人間七七四年2011/06/16(木) 00:42:02.54ID:Gi/A1RhI
話が噛んでいない事を今理解した。
本人たち=家康等と認識していた、スマン。

笠谷の言う、二段階論に疑問を持っていたもんで。
0093人間七七四年2011/06/16(木) 02:11:30.46ID:tnccIKLp
そもそも淀や奉行が三成が謀反したと家康に通報していたため
毛利や奉行とかが三成に組みしたたぐいの話を家康は
三成や大谷による雑説として捉えていて
小山評定の時の家康はそれらを不確かなウソ情報だと考えている。
伏見城攻撃においても包囲される以前に家康に出した書状にはおそらく毛利らが敵になったような詳細がわからぬものだったのだろう。
そのため落城の心配を一切してない家康は伏見城への後詰めや支援などを京極らにまったく命じてすらいない。
しかもその後になっても榊原なんかも奉行や淀は家康の味方で上洛して三成を討つように言ってると安東らに伝えてる。
それが一変するのが、7月末における奉行らが三成に同心したから輝政と相談しろと黒田長政に家康が通報した書状からで
その後に藤堂に出した家康書状で福島や田中らとも相談をもったのがわかる。
0094人間七七四年2011/06/16(木) 02:32:17.71ID:Gi/A1RhI
>>93
あれ、こっちに引っ越したんだ。これは助かる。
そんな事より、先にこっちの回答を待ってるよ。(>>81

キミの論拠に史実性を確認した後、議論をする準備は十分にあるよ。

>>7/22に秀忠も滝川に大坂奉行が雑沙汰を申してきてるが別儀無いと言っており
>>7/23の家康書状でも三成と大谷が才覚をもって方々へ書状を廻している雑説があるから進軍ストップと最上に伝えてる。
>>家康は明らかに三成と大谷が敵ととらえている。
>>7/27に至っても榊原が安東に淀や大坂三奉行が上洛するように言っている。
>>7/29になって奉行まで裏切ったのを知り黒田長政に池田輝政と相談するように言ってる。
>>等々>>378で説明があるね。

>この文章のどこから、家康が誤算した事を汲み取れるのか丁寧に教えて欲しい。
0095人間七七四年2011/06/16(木) 02:43:10.00ID:tnccIKLp
>>94
でさ、君の具体的反論を聞こうか?
まず君はどの点をどういった史料を提示して反論するの。
君のスタンスはどの立場か明示しようや。
俺の反対なら
家康は大規模反乱を予測してた←途中から反論が怖くてうやむやにし始めてたね。
三成には指揮権はなかった←これへの反論には君は反論してこなかったね。
これになるのかね?
まず君も自分の意見とそれの論拠を明示してから議論に移ろうよ。
まともな頭をしてればこの説明を理解できるよね?
0096人間七七四年2011/06/16(木) 02:46:32.43ID:Gi/A1RhI
>>95
それは、リセットさせてください、という申し出で良いのかな?
つまり、>>81には回答出来ません、という敗北宣言と認識して良い?

とりあえず寝ます。
0097人間七七四年2011/06/16(木) 02:50:02.79ID:tnccIKLp
>>96
はいはいまた毛利厨得意の逃げ口上ですねw
批判が怖くて自分の意見や立場を明示できないとかアホですか?
そんなことじゃディスカッションできないだろ。
そういうのを荒らし行為って言うんだよ。
0098人間七七四年2011/06/16(木) 03:30:36.74ID:DCorsGmw
 
「正義」の概念が違う日本人と付き合えるか

http://s1.shard.jp/deer/0202/1/111_3.html

日本には完全に異なる二種類の民族がいる。
それは、大和朝廷以来、離合集散を繰り返し、最終的に「徳川一族」となって、
世襲的に権力を維持している民族と、
その他の、「いじめられ民族」だ。
だが、この権力側の徳川一族は歴史的に卓越した偽装工作技術を有しており、
特に、その「ゆでガエル」方式いじめにおいては、被害者は、「ほめ殺し」に会い、
実際に物理的、社会的に抹殺される。
だが、誰もそのいじめを感じない。
この徳川一族は、生まれた時から、「一族の繁栄」、「部外者のいじめ」、
「偽装工作による善人の演出」が正義だと信じ込まされており、
教育や、強制で表面上は反省するように見えても、絶対に信念を変えない。
それが、「赤穂浪士」であり、「蘇我兄弟」の物語になる。
だから、政治改革がどうのこうの、「政権交代」がどうのこうの、と議論しても、
世の中は、まったく違う次元で物事が進んでいる。
「バカは死ななきゃ治らない」という言葉が身にしみてくる。
0099人間七七四年2011/06/16(木) 07:26:18.09ID:HBEYB2Ht
2chで勝ちも負けもあるかよ・・・。
お互い情報交換して議論深めればいいだろ。
subはそういうところが餓鬼だな。

>>94
>>94については>>93の回答でほぼOKだと思うけど。
増田からの報告も「三成大谷挙兵の雑説」だし。
吉川も三成の挙兵に毛利は加担していない旨を書き送っている。
どこまでの規模の挙兵なのか情報が錯綜していたんだと思うよ。
家康は政権執行部の中で大坂にいた奉行衆は味方と認識していた→
その奉行衆が内府違いの条々を発する。

政権執行部が家康の正当性を否定する内府違いの条々は効果絶大で、
東北では最上表で会津征伐軍が帰陣を始めるなどの混乱を見せる。
伊達は井伊らにでかい態度を取り、「お前らだけに言うけど、内府
が調子こいてるからこんなことになるんだよ。大坂を渡す訳にいか
ないので、奉行衆にわび入れて謀反に加わらないよう説得したほう
いいぞ(手遅れ)」と書き送る。豊臣に弓引いたはずの上杉は「公
儀(豊臣)のため」と伊達や最上と組んで関東攻めを計画する。
0100942011/06/16(木) 07:41:09.51ID:sCy91ywa
>>97
こちらが逃げるという事は、そちらが優位という事だなぁ。
逃げ出して話をリセットしたい所だけど、このままナントカ頑張るとするよ。
で、>>94の回答を頼む。

>>99
レスサンクス。sub本人からの解説が重要なので申し訳ない。
>>93の時系列については、当方も認識しております。
0101人間七七四年2011/06/16(木) 08:57:07.74ID:tnccIKLp
>>99
俺さぶじゃないから。むしろだがと誤解される方が圧倒的に多いし。
それと一切、論拠も持論もない相手だから一度たりとも情報を得られなかったので議論自体が成立しない相手だから。
単にケチつけて私怨で絡んでくるだけの存在。
>>100
はいはい時系列も何もお前知らなかったじゃねーかwww
知ってたとする証明レスを教えてもらおうかwww
それと>>95に回答しようや。
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