トップページsengoku
984コメント317KB

天正10年の武田攻めを語るスレ 3

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2011/03/29(火) 22:15:05.50ID:w+Csi68T
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。

【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
0835人間七七四年2012/01/02(月) 12:52:26.80ID:w+V24P0r
長篠後のある程度の時期までは武田のほうこそ決戦を欲してたと思うが
高天神救援も徳川単独とならって思惑もあろう
0836人間七七四年2012/01/02(月) 13:05:02.62ID:o6aVKUlR
徳川単独という前提が既に自身に都合の良い設定だと思う
想定戦場も織田・徳川にとって高天神は遠く、逆に長篠は近すぎる
0837人間七七四年2012/01/02(月) 13:09:57.07ID:7VhLsaRP
長篠後は徳川にすら劣勢になった。
馬防柵に特攻させた勝頼の責任はあまりにも重い。
0838人間七七四年2012/01/02(月) 13:14:09.06ID:7VhLsaRP
氏真が下らないプライド見せて、信玄からの三河共同出兵申し入れを蹴ったのがなあ。


これやってれば、徳川は1ヶ月で滅亡したのに。
0839人間七七四年2012/01/02(月) 13:29:43.55ID:w+V24P0r
>>836
天正2年に織田軍を釣り出せてたらどうなってたかなあ
いくら信長にやる気がなくても武田が城を落とさない限りは進軍するしか無かっただろうし
0840人間七七四年2012/01/02(月) 14:47:48.79ID:90CoNdWp
普通に高天神城を取り返されておしまい
0841人間七七四年2012/01/02(月) 15:31:41.82ID:78FsLkHH
>>812
結局、この該当書状は存在しないってことでOK?
0842人間七七四年2012/01/02(月) 17:28:22.23ID:90CoNdWp
突然なに言ってるんだ
0843人間七七四年2012/01/02(月) 21:54:44.92ID:wijLU9kf
>>841
なんも反応ないってことは、
ガセ書状っぽいな。
08448242012/01/02(月) 23:07:38.74ID:Jjg8IjMv
>>841
>>843
>>812はいくつかの書状が混じっているんじゃないかって気はするが、
自分のレスだけで判断はしないで欲しいと思う。
朝倉側の書状までは記憶していないのでそっちにあるのかもしれないし、
自分だって浅井の書状をすべて確認したわけじゃないので。

ただ何かで8月に今月中に武田が出陣してくるって言っていたのがあったような気はする。
08458242012/01/02(月) 23:12:19.16ID:Jjg8IjMv
加賀勢が出陣してくるっていう長政の書状は8月25日だったが、それにかいてあったかなぁ?
でも8月中に出陣は義景のことだった気がするし。
ないほうを証明するのは難しいな。

でもまあ病気で延期したって越中宛に書いているから、それが言い訳じゃないんなら、
>遠征前からすでに病の体だとするのは甲陽軍鑑のネタ。
これはネタじゃなく事実ということだろう。
0846人間七七四年2012/01/02(月) 23:20:09.19ID:wijLU9kf
>>845
信玄は花押を書くのがめんどくさい時は、
眼病になったとか、
病になったとか
いい加減な理由つけてサボるからなあ。
その書状に花押が書いてあれば、
ホントに病だったかも知れ無いが。
0847人間七七四年2012/01/02(月) 23:34:17.85ID:QtK2+xjT
面倒なんて理由で判にするかよw
宅急便にチョチョイとサインで済ませるのとわけが違うぞ?
当時は書札礼が大事にされてたのに
0848人間七七四年2012/01/03(火) 00:01:31.77ID:oAHe9oBQ
面倒くさいという理由で花押を書くのをサボり、信頼を失う武田信玄であった
0849人間七七四年2012/01/03(火) 01:26:54.89ID:hMGQNeQN
清正でさえあほみたいにめんどくさい花押を書いていたというのに信玄はそんな事もできんのか

ぷげらやが
0850人間七七四年2012/01/03(火) 12:07:17.53ID:2A+2oEWw
信玄の花押はちゃんと下書きした後に、細い筆で丁寧に
何度もなぞったりしてメンドクサイもんだったから
手に腫れ物ができたからとか言って朱印で済ますケースはけっこうあったが、
2/16の本願寺宛て書状(野田城落城し翌日信濃へ北上)
ではちゃんと花押を書いてるから、すくなくとも体調が悪いってことはなく
健康だったんじゃないかな。
>>841
うーんわからん。そんな書状ほんとにあったのかな。
0851人間七七四年2012/01/03(火) 12:29:24.96ID:oAHe9oBQ
メンドクサイから信用される。
それをウソでごまかせばどうなるか、誰でもわかること。
0852人間七七四年2012/01/03(火) 13:24:10.85ID:2A+2oEWw
信長なんてほとんど黒印だけで済ましてるけどな。
花押の価値を高めるのが信玄の狙いだったと言うのが真相だろうし。
そもそもそんなに数も多くない。
眼病→蒲原宮内 あて先不明の2通 
手に傷→浦野三河 浦野宮内 大井弾正の3通
取り乱し→大井左馬の1通
0853人間七七四年2012/01/03(火) 21:29:15.61ID:OOzrjULl
名もなき女達は何で田野までついてきたんだろうな。どういう仕事をしてた女達なんだろう。
0854人間七七四年2012/01/03(火) 23:49:50.18ID:SjND5o9n
北条の姫の付き人とか、付き従った武士の縁者とかでは。
0855人間七七四年2012/01/04(水) 01:35:42.23ID:6E33q3CV
>>852
余程織田信長にコンプレックス持ってるんだな
織田信長が関係あるのか?

真相だろうというお前の妄想だな、正確に物事はいうように
花押を押した書状はむしろ年代が降るにつれ多くなるから価値を高めるとかはお前の妄想w
いや、願望か?w
花押は約500、晴信朱印はその十分の一
これで価値を高める?w
面白いなw
是非根拠を聞かせてもらおうかw
そして自筆文書は元亀三年四月までのものしか確認されていない
この頃から体調悪いんだろw
しかも現存する朱印書状は祐筆の筆跡と同じで、あえて「自ら筆をとった」なんていってブラフかますあたり、相当体調悪かったんじゃね?w
まあこれも根拠ないけど、少なくとも書状から「信玄は二月十六日まで健康だった!」というのは無理やりすぎるって覚えとけw
0856人間七七四年2012/01/04(水) 10:10:57.48ID:nc197XvE
二月十六日まで健康だったとすると、俗説扱いの狙撃伝説がいよいよ信憑性が増してくるね
ま、ないと思うけど
0857人間七七四年2012/01/04(水) 12:31:46.79ID:ZuP2iPx4
大して重要と言うか地位が高くない相手にしか、
病だからとか理由つけて朱印にしてたり、
諏訪大社への年賀みたいな習慣みたいなもんも朱印で済ますから、
花押をもらうと有難い感を出してたのは確かなんじゃない。
しかも完全に信玄手書き書状は、
祐筆が留守以外だと、
神に約束してたのに、
聞いたところ関で税をまだ取ってると聞いて驚いた。
いますぐやめさせろとか
結構に緊急性あったり
軍事機密だから祐筆を通さない書状だったり重要な時だし。
自筆文書を基本的に信玄は書かない人。
ちなみに信長の自筆文書は超激レアで数点しか現存してないから、
ほとんど書いてないんだろ。
15歳の細川忠興宛の初陣で武功を挙げたのを褒める信長自筆文書は重要文化財指定されてるほど。
0858人間七七四年2012/01/04(水) 13:47:43.97ID:2NWlXkV9
信玄「病気だから花押かけないんで朱印にするね」

信玄「今回は健康だから花押書くね」



さて質問です。
花押をもらった方は、これによって「花押だ、ありがたい」と感じるでしょうか?
0859人間七七四年2012/01/04(水) 14:06:02.84ID:M+joJc4O
自筆も何も年代鑑定からして大議論ものなのに・・・
0860人間七七四年2012/01/04(水) 15:19:14.22ID:2NWlXkV9
などと言いつつ、別スレではこんな事を言ってしまう>>859であった


924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 14:31:03.52 ID:M+joJc4O
>>891
>>いやそう書いてあるじゃん
はぁ?>>>>現存する今福昌和の起請文は、永禄九年、あるいは永禄十年に出されたもので
これのドコがそう書いてんだwお前は年代を確定できてなかった。
またネットから拾ってきたから、そこに年が書いてないからわからなかったんだろうが。
0861人間七七四年2012/01/04(水) 17:26:13.31ID:6E33q3CV
>>857
まず「面倒だから」とかいうくだらない理由で朱印用いたって事を証明するのが先だろw
武田厨の愛する信玄公は「体調わるいんでかけないんっすわwサーセンw」言ってるのになんでお前らがそれを信じてあげないんだw
外交文書の宣伝は文面どおり取るのに、なんで朱印は文面どおり受け取らないんだか武田厨はw
ここからお前ら自身に都合よく恣意的な解釈してるのがみえみえww
花押押されてる書状は1300点中500点で四割近い
これで花押が貴重?wありがたい?w笑わせんなよw
あと、自筆云々に逃げんなよ?w
>>852
>花押の価値を高めるのが信玄の狙いだったと言うのが真相だろうし。
>花押の価値を高めるのが信玄の狙い
>花押の価値
花押だからなw
0862人間七七四年2012/01/04(水) 17:28:06.19ID:nc197XvE
>>860
恐らくだが氏は歴史的事実や史料の方から永禄十年だと考えているのだろう。

今福昌和起請文に関しては、実物の彼の起請文内には年号は確認できない。
同じような起請文を書いてる別の武田家臣が永禄十年八月七日とあって、
史料にもそうあるからこいつも多分そうだろうと考えられてるだけで。
0863人間七七四年2012/01/04(水) 18:15:42.75ID:364qaM1a
>>861
鴨川氏が仮病を使ったりしてると書いてるから。
>>862
永禄九年の起承文は戦国遺文武田の1007から1010の連番収録されてるから
お前の屁理屈を通した今福のは絶対に九年じゃない。
ここで屁理屈言わずに、
遺文編集してる学者に文句言ってくれ。
いまのところ、
それへの反論論文は読んだことがない。
0864人間七七四年2012/01/04(水) 18:42:45.39ID:nc197XvE
>>863
屁理屈も何も最初から永禄十年は書いてある。
永禄十年なんてのは他の武田家家臣の起請文の日付でわかること。

ただ起請文の実物は見たことあるか?
今福昌和のそれからは年号を本来確認することはできないんだよ。
つまりこの起請文だけでは年号を判断することはできない。

恐らくその学者も永禄十年八月七日に武田家家臣が起請文を奉納したという史料の記述と、
他の武田家家臣の起請文が永禄十年八月七日だから、今福のもそれであろうと判断してそこにいれたのだろう。
0865人間七七四年2012/01/04(水) 19:20:46.77ID:6E33q3CV
>>863
具体的に?
どの論文でどういう論拠に基づいてどういう論理でそういってるのか明らかにしろよ、できるもんならなw
こう聞くと「相手にする価値無い」とか言って逃げるんだろw

まあ下みたいな人格攻撃しか出来ないやつに聞いたところで無駄だろうがなwwww
535 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 16:24:38.42 ID:364qaM1a
やっぱり織田厨って真性キチガイだな

関ヶ原の西軍の真の首謀者は毛利輝元だったのか?
545 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 17:03:53.34 ID:364qaM1a
>>514
分封問題をタネに家康に、
毛利領に介入されまくって輝元が
屈伏した挙句に
父兄の契りだからな。
どんだけ輝元が悔しかったかわかるな。

【反逆者】 荒木村重 【薄情者】
101 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 17:35:56.93 ID:364qaM1a
>>100
信長は裁判などやってないから、
罪をはかることなど出来ない。
信長領国には最後まで分国法が存在してない。

武田信玄は過大評価されすぎ!!part2
929 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 17:40:52.48 ID:364qaM1a
こりゃ完全に織田厨は
頭がおかしいわ。
曲解と屁理屈とケチをつけてるだけ。
完全に話にならんわ…

上杉景勝VS伊達政宗
906 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 18:01:02.12 ID:364qaM1a
>>904
デタラメ書くなよ。
そんな妄想はお前の頭の中でやれ。

天正10年の武田攻めを語るスレ 3
863 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 18:15:42.75 ID:364qaM1a
>>861
鴨川氏が仮病を使ったりしてると書いてるから。
>>862
永禄九年の起承文は戦国遺文武田の1007から1010の連番収録されてるから
お前の屁理屈を通した今福のは絶対に九年じゃない。
ここで屁理屈言わずに、
遺文編集してる学者に文句言ってくれ。
いまのところ、
それへの反論論文は読んだことがない。

信玄は上洛できるのか?
130 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 18:19:04.32 ID:364qaM1a
織田厨が誤魔化し始めたワロタ

0866人間七七四年2012/01/04(水) 22:49:46.13ID:6E33q3CV
541 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/01/04(水) 12:11:56.81 ID:ZuP2iPx4
>>539
しかし、
「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
一方の三成にはなんら首謀者としての傍証すらなし。
(三成→直江書状を偽書状とした場合に限り)

546 名前: 539 投稿日: 2012/01/04(水) 22:18:51.61 ID:G2UmPFBW
>>541
何度も言ってるけど、文章改竄するのはやめれば?みっともないよ。

× 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
○ 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高いのではなかろうか。」

文意が変わらないなら原文に正確に転載すればいい。
0867人間七七四年2012/01/05(木) 10:32:17.46ID:ywpcixfX
コピペ鬱陶しいんだけど。
0868人間七七四年2012/01/05(木) 10:49:15.39ID:GmUui5sy
信濃を取った後の武田は基本的に雪隠詰めだったんだよなぁ
0869人間七七四年2012/01/05(木) 12:02:53.59ID:Coj05OML
信玄の早すぎる全盛期だった
今川攻めも所詮はたなぼた
0870人間七七四年2012/01/05(木) 18:15:35.09ID:b6UB/6A5
不思議だな
だがさんのコピペはうっとうしいだの言われないのにw
0871人間七七四年2012/01/06(金) 02:34:35.34ID:nd7J59bT
天目山より本能寺が先だったら武田は生き残ってたんだろうか
08722012/01/06(金) 02:40:38.54ID:+/k95//+
生き残ったべ
家康は武田を高く評価していた
秀吉は勝頼を生かして関東の先鋒に使う考え持ってたようだし
0873人間七七四年2012/01/06(金) 06:39:07.66ID:/KkYhMzy
糞コテの糞妄想乙
0874人間七七四年2012/01/06(金) 09:27:31.20ID:Z19tA+/w
>>872
ソース
0875人間七七四年2012/01/06(金) 09:31:48.79ID:J20Aw3Je
武田というか勝頼が独立独歩を諦められるかどうかじゃないか 北条と同じ末路を迎えそう
史実より徳川が弱体化するのは間違いないが
0876人間七七四年2012/01/06(金) 13:50:41.04ID:oJHd8nRr
家康は武田を高く評価していた → たぶん徳川実紀
秀吉は勝頼を生かして関東の先鋒に使う考え持ってたようだ → ???

0877人間七七四年2012/01/06(金) 19:03:27.33ID:zyAJYRCe
秀吉は長篠に従軍したから、勝頼のあまりに無謀な突撃を見て恐れを抱いたんだろうな。
08782012/01/06(金) 19:22:48.78ID:5EQTqTyB
http://takeshi.boy.jp/takeshi/jyozan/jyozan115.html
秀吉が武田勝頼の滅亡を惜しんだこと

ほれ
家康は武田をお気に入りだったでしょ旧武田の家臣信長に殺されるの
防いでかくまったり
0879人間七七四年2012/01/06(金) 21:08:22.31ID:V5JcAWQr
常山紀談は江戸時代中期の作

著者が儒学者

さすがにこれは完全にお察しの信憑性だろ。
0880人間七七四年2012/01/06(金) 21:19:01.60ID:zyAJYRCe
小田原攻めの先兵にするとか、いかにも秀吉が天下握って小田原攻めた史実を知ってる人の後づけぽいな。

しかし、今に続く勝頼擁護厨の先駆けだな。
0881人間七七四年2012/01/07(土) 01:59:11.51ID:zIZPJZYe
死より痴に改名した方がいいくらいの頭の悪さ

だが並みに気持ちが悪いなお前は
0882人間七七四年2012/01/07(土) 14:48:47.96ID:E8OcvRu7
「われらも多年、骨を折った甲斐があったものよ」
「光秀!」
甲州軍は、既に二流の軍団に過ぎなかったから、手放しで信忠の働きを誉めるのをためらわれたのも確かだった。
「いつ働いた己れが。失せろ!てろ頭め」
0883人間七七四年2012/01/08(日) 17:36:19.70ID:9tN4nQ6w
たとえ事実だったとしても、先陣に使った後に改易だろうな。家康のように。
0884人間七七四年2012/01/08(日) 23:15:36.19ID:0eA+PPRW
というか氏素性のわからないたかが織田家の一武将にそんな評価をされてもね。

小田原攻めの先兵とか完全になめられているし、落ちるとこまで落ちたとしか見えんな。
0885人間七七四年2012/01/10(火) 00:51:19.60ID:yK9porRs
織田家家臣の時代に言ったわけじゃないだろ。
天下統一後に秀吉が回顧して語ってただけじゃねえの?
0886人間七七四年2012/01/10(火) 01:07:52.82ID:jdRvNwUr
結果論だが信忠軍団が旧武田領に配置されたことで中央が手薄になったわけで
0887人間七七四年2012/01/10(火) 18:00:03.40ID:esgHaS8q
むしろ中央に光秀の勢力圏を持たせすぎてることが仇。
京から北にいけば光秀の領国丹波
京から東にいけば光秀の領国近江坂本

明智謀叛を聞いて信長が是非に及ばずと言った気持ちもわかる。
家康で言うなら本多忠勝や榊原康政が家康に反逆するようなもの。
0888人間七七四年2012/01/10(火) 20:35:49.62ID:jdRvNwUr
忠勝や康政なんて幕府時代でも10万石で個々の謀反なら無問題
武田滅亡前なら東西三河の重鎮である忠次や数正なら光秀並
0889人間七七四年2012/01/11(水) 00:39:08.17ID:2bXpO+Gj
信長の軍団は、信忠の軍にひと月遅れて、後詰めの形で出発したが、戦らしいこともなく、ゆるゆると動いて上諏訪まで来たのである。
その夜、宿泊した法華寺で酒宴があった。
不意に甲走った信長の怒号が上がったのは、酒宴の半ばである。それが自分にむけられたものだと解ったとき、光秀は一瞬蒼ざめた。
信長は敷皮の上に突っ立ち、日向、ここへ来い、と叫んでいた。
「なにごとか、お気にさわりましたか」
「白々しいことをぬかす」
「われらとは貴様がことか。吐かせ、今度の戦で貴様がどう働いた?」
0890人間七七四年2012/01/28(土) 17:28:28.16ID:ULroEyD1
高遠で籠城した武将に、三月五日討ち死にとあるのだが
高遠が落ちたのは三月二日だよな

一度書き直しがされている文書らしいのだが、
書き直しで間違えたか、三月五日まで何かあったのか
どっちなんだろう
0891人間七七四年2012/01/28(土) 18:24:11.79ID:6RNaz/r1
単純な写し間違えとか良くある事だからなんとも言えん
0892人間七七四年2012/01/28(土) 18:45:00.29ID:K4rkc6Xw
>>871
信忠は確実に領国の美濃に引き返すだろうしね
でも小山田の裏切り後なら結局落ち武者狩りされてそう
小山田の裏切り前なら岩殿城に入城→北条、徳川の動きを見つつ甲斐の再統一かな
ただ信忠が生きてる以上織田家が即崩壊するわけでもなさそうだから信濃はどうだろうね
上杉、上州に居る真田と連携しながら押さえる感じなのかな
光秀と結ぶか信忠に松姫送って恭順するか
0893人間七七四年2012/01/29(日) 12:42:25.81ID:bfQRfyy/
甲斐を再統一しようにも手勢が40人しかいない勝頼じゃどうしようもないだろう。


「武田軍」は上原城から新府城への道中で霧散し、新府出発以降は「勝頼一行」でしかない。
0894人間七七四年2012/01/29(日) 13:08:35.26ID:D3g33PqJ
>>888
本能寺の教訓から本多や榊原には大領を持たせなかったとも考えられるんだよな
0895人間七七四年2012/01/29(日) 13:25:27.01ID:0NCgkQVE
勝頼のベストな逃げ先は、真田が裏切らなかったと仮定して、真田の庄経由で上杉まで行くのがいいかな?
どうせ上杉も織田との決戦を避けらない状況だから突き出されりゃしないだろうし。
村上と肩を並べて上杉の客将になるのも没落大名らしくていいよね。
上杉落とすまで東国に常駐するわけにいかない信長が京に帰れば本能寺が起きるかもしれないし。
うまくすれば、川尻への一揆の頭目として返り咲けるかもしれない。
徳川の干渉さえ退けられれば、あるいは。
0896人間七七四年2012/01/29(日) 13:42:13.84ID:zB0rRwcG
死にたくないだけなら真田経由上杉が一番だろうな
景勝は武田滅亡の報に接して勝頼保護の指令出してるし
昌幸は以外に義理堅いから、一益を逃がした時のように勝頼逃がしてから
何食わぬ顔してしれっと北条に降伏するだろうし
ただし勝頼生存なら本能寺は起きないか、少なくとも違う形にはなるので
勝頼復権まで予想するのは難しい
0897人間七七四年2012/01/29(日) 13:46:51.37ID:jIK1uVci
仮に上杉に逃げ込んだら織田軍は追ってきそうだけどな
甲斐進軍を後回しにして北上すればいいだけだし
0898人間七七四年2012/01/29(日) 15:05:14.94ID:mNneeRuM
勝頼が上杉領に逃げる前提の時は一応本能寺が史実通り起きる仮定にしないと話が続かない
上杉も本能寺がなければ確実に滅亡してるし
0899人間七七四年2012/01/29(日) 17:42:36.14ID:jIK1uVci
>一応本能寺が史実通り起きる仮定にしないと話が続かない

なら無理ってことだな
0900人間七七四年2012/01/29(日) 17:48:44.94ID:5rpYCe4f
よっぽどの奇跡が起きないとな
地震とか台風とか
0901人間七七四年2012/01/29(日) 18:16:04.87ID:8pxjTtEj
甲州征伐からそのまま一気に上杉攻めは無理じゃね?
いくら織田でも補給が続かねえだろ。
0902人間七七四年2012/01/29(日) 20:19:43.40ID:mVkYCXwk
真田経由の最大の問題は勝頼はともかく奥方などの女子がそこまでいけるか
てとこだよな、見捨てればいけるだろうけど。
0903人間七七四年2012/01/29(日) 20:23:55.24ID:3tK6WBRz
予定通り甲州征伐して信長・信忠は引き上げ、越後に逃げた勝頼は北陸軍と関東軍に任せたってとこじゃないのかね
勝頼個人が生きてても武田家っていう勢力は滅亡して領土も得たわけだから目的はほぼ達成してるし
0904人間七七四年2012/01/29(日) 20:35:38.40ID:bfQRfyy/
山賊に囲まれて「北条夫人を差し出したら、通してやる」と言われかねないほどの少人数だからな。
0905人間七七四年2012/01/29(日) 20:46:20.28ID:jIK1uVci
>>902
そこが信長との違いだな
北条夫人だけ小山田に預けて(北条に引き渡すの前提)、父子・近臣で駆ければ一応領内だしどうとでもなる
0906人間七七四年2012/01/29(日) 23:20:59.44ID:YVt3w3qR
最初から小山田じゃなくて真田頼ってればね
笹子峠で小山田が裏切ったの知ったんでしょ?
後ろからは織田軍が迫ってるわけであそこから北上しようとしたら今の時代でもかなりきついでしょ
0907人間七七四年2012/01/29(日) 23:26:50.69ID:4yN9Ir1V
ぶっちゃけ真田も内通してただろ。
武田家臣で地方領主とはいえ滝川の下にすんなり収まりすぎ
0908人間七七四年2012/01/29(日) 23:39:16.28ID:jIK1uVci
真田に限らず内藤・高坂ら信玄重臣の子らも許されてるから、単に甲斐進行ルートから外れてて戦わずに降れたから
ちなみに南信の山県・馬場の子らは討ち死にしたとも殺されたとも
0909人間七七四年2012/01/29(日) 23:40:03.84ID:/OdxjD1L
>>907
真田は位置的に、上杉に着かれる可能性もあるから、
そうなると、多少とはいえ、面倒になる。
0910人間七七四年2012/01/30(月) 00:11:56.10ID:+7JM3pFV
真田は裏切ってない、って前提がないとどっちにしても積みだよね。
北条家のへの書状はあるけど、なにせ昌幸さんが北条相手に出した書類だから、全然信用出来ないw
0911人間七七四年2012/01/30(月) 00:24:09.73ID:WHu97vLW
捕まえろ、いやです。と馬鹿正直に言う奴は居ないわな
まして昌幸さんとなれば妄想の種が尽きない
0912人間七七四年2012/01/30(月) 00:28:10.23ID:CqN8D11G
最初から真田経由で上杉に落ち延びて本能寺があればどうかな?
どさくさ紛れに上杉の兵借りて海津城あたりまで掠めとって、その後は上杉と共に秀吉と同盟
徳川と対立した秀吉のお陰で最終的には甲信の大名に返り咲き、関東に押し込められた徳川ににらみを利かせる
元々徳川家康と武田勝頼は犬猿の仲だし秀吉にとってはかなり心強そう
0913人間七七四年2012/01/30(月) 00:45:31.69ID:F8UIGOse
北陸軍・信忠軍・北条軍・徳川軍・新発田軍らの集中攻撃で上杉がボコられるだけでは
織田と誼を通じたい東北諸将も参戦するかも
09148952012/01/30(月) 06:40:55.89ID:+7JM3pFV
>>913
だから、史実通りでも上杉はボコられてるわけで、その間に本能寺が起これば?って話でしょ?
予定外の上杉を壊滅するまで甲州だか信濃だかに信長がずっと張り付いてるわけにもいかないだろうし。
んなことしてたら、毛利方面とかどうなるかわからん。
0915人間七七四年2012/01/30(月) 08:58:09.42ID:4wOhfVl2
信長「甲斐から帰ったら中国行くからお前丹波に帰って先に行ってろw」
光秀「えっ」

どっちにしろ信忠まで帰るとは思えんけどな
0916人間七七四年2012/01/31(火) 06:38:53.28ID:1VY4W2YP
ほとんど活躍らしい活躍もない真田なんて
浅間山噴火直撃地が原因だろうから
戦えるような状況じゃなかったんだろ。
0917人間七七四年2012/01/31(火) 08:15:39.82ID:dxOSYKWI
そのまま越後に逃げてしまえば信忠も相手してる場合じゃなさそうだけど
勝頼の首を取るのが目的じゃなくて甲信の支配が目的なんでしょ?
0918人間七七四年2012/01/31(火) 09:18:12.02ID:hcEq1dYh
武田の滅亡が目的だろ
武田が滅亡さえすれば勝頼なんざどうでもいいって気もするが…
0919人間七七四年2012/01/31(火) 09:39:42.73ID:pyn6FspO
滅亡とはどういう状態の事を指すのか
0920人間七七四年2012/01/31(火) 11:38:04.47ID:b5Z+9c35
>919
土地を失うってことじゃね?

0921人間七七四年2012/01/31(火) 15:14:04.27ID:LZJfaO5L
この時代はいったん逃れてから後援を受けて失地回復した例も多いからなんとも
0922人間七七四年2012/01/31(火) 15:24:03.18ID:CZuQbG72
>>919
土砂崩れで城ごと埋もれちゃう
0923人間七七四年2012/01/31(火) 18:22:06.04ID:ojCAJ8tH
村上に続いて武田まで上杉を頼るって流れはなかなか歴史の皮肉を感じるね
0924人間七七四年2012/01/31(火) 19:35:43.82ID:OGx897a5
信長はあまり、相手の首領のクビに固執しないような。
勝頼が甲信の外に逃げれば完了とみなして、自らは京に戻り本能寺の展開もあり得ると思う。
0925人間七七四年2012/01/31(火) 20:26:29.01ID:A8EGnByo
リスク考えたら大将首は必要だと思うがね
それまでの大名と比べたら武田は巨大組織なんだし
0926人間七七四年2012/01/31(火) 20:47:20.77ID:pOgZGRIS
少なくとものんびり富士山を見たり、家康の接待を受けたりはしないだろうな。
家康が堺見物に行くこともなさそうだ。
0927人間七七四年2012/01/31(火) 21:17:14.64ID:bGmXD7v1
>>925
武田の場合、苛性で人心が離れてたからなあ。
信長は合理主義者だから失地回復の危険性が無い以上放置プレイじゃないかな。
0928人間七七四年2012/01/31(火) 23:15:36.62ID:58S7+mwV
>>924
逃したのって斎藤龍興や六角くらい?
松永みたいに降るならまだしも(降っても波多野処刑の例もあるし宇喜多の時も文句言ったらしいが)、攻め潰したからには朝倉のように大将首獲るまで追撃しそうだが
勝頼が死ななければ信忠は岐阜なり信濃なりで督戦するだろうから、本能寺のような父子同時襲撃可能な状況になるだろうか
0929人間七七四年2012/02/01(水) 03:26:22.48ID:m6GpDDi3
越後に勝頼が逃げたと仮定するとそれは柴田勝家の北陸方面軍の担当なんじゃないの?
史実でも森長可が北信濃から春日山に向けて進撃してるけど信忠は京に居たし
0930人間七七四年2012/02/01(水) 08:30:34.72ID:3aj3MPCb
信長は毛利方面でやることがあるし、
名目上とはいえ、当主として各方面を仕切るためにも、信忠は京に戻ったろう。
2人揃って、長期に必要以上に京を空けると思えない。
まだ不安定な信濃に信忠置き去りにするとも思えないし、岐阜まで戻るなら京に行く。
0931人間七七四年2012/02/01(水) 10:37:27.15ID:olv4p+VA
信忠は実質的に濃尾織田家当主であり京に常駐してたわけではないでしょ
0932人間七七四年2012/02/01(水) 12:13:28.74ID:PfRtPQXR
信長も安土だな。
0933人間七七四年2012/02/01(水) 12:17:04.92ID:iqGVvFQG
>930
平時は信忠は岐阜、信長は安土に常駐して京には村井が所司代としていたけど
0934人間七七四年2012/02/01(水) 15:43:06.61ID:jXvFBxfV
ifなんて絶対結論出ないのにまだやってるのか
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。