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天正10年の武田攻めを語るスレ 3

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0001人間七七四年2011/03/29(火) 22:15:05.50ID:w+Csi68T
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。

【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
0653人間七七四年2011/11/30(水) 05:04:17.03ID:ZOmJtjMb
>>649
俺は別に公記が「一切あてにならない」とはいってないけど?
何他人と同一認定してんのww
本当に自分の敵が一人だとおもいたがってるんだなww馬鹿すぎww
普通に公記でも信長に都合の悪いところ書いてあったり
整合性が取れるところは使っていいんじゃないの
でないと信長政権とか存在自体が謎だらけ、資料少なすぎてww

だから公記w
あ、信長ってこういった重要事項まで家臣が独断で行えるくらいに君主権力ガタガタだったんですねw
さすがは適当放任体制でワロスw
本能寺一発で崩壊して誰も織田家を守ろうとしなかったのも納得だわww
0654人間七七四年2011/11/30(水) 19:38:51.18ID:d6WWGRD/
武田家は戦じゃなくて調略で崩されたよね。
0655人間七七四年2011/11/30(水) 20:57:44.35ID:6XeVpN/+
決戦でフルボッコにされてるんだから
0656人間七七四年2011/12/01(木) 02:42:50.53ID:+ovC4ROW
織田信長本軍はおろか織田信忠・・・の援軍を得た木曽義昌すら倒せなかった弱小武田軍団だから
0657人間七七四年2011/12/01(木) 04:05:52.14ID:geMZdhtj
>>656
浅間山噴火で甲斐や北信濃が混乱し
それどころじゃなくなって退却したんだよ。
0658人間七七四年2011/12/01(木) 08:50:22.90ID:4e5XxG/w
>>656
勝頼を積極的裏切った穴山、木曽、小山田がそのご悲惨な末路をたどってるのは因果応報だなぁ
あの甲州攻めで内戦作戦で次々に織田、徳川、北条を撃破とか信玄でも無理だろうね
木曽の離反とその後の信豊の敗北ですでに終わってた感じ
若いころの勝頼なら3000位直卒で木曽討伐してただろうけど信豊に任せたのが運の尽き
最後にまともに戦えずに滅亡するとか・・・
0659人間七七四年2011/12/01(木) 15:38:30.11ID:dLMGx9f+
>>657
浅間山なんか噴火してないだろ
0660人間七七四年2011/12/01(木) 16:36:48.67ID:geMZdhtj
浅間山噴火
1582年2月 武田征伐
1590年 小田原征伐
1591年 大崎葛西の乱〜九戸政実 
0661人間七七四年2011/12/02(金) 19:02:16.30ID:TeCvsSZH
義信を東光寺にゆーへーするのじゃーーっ
0662人間七七四年2011/12/03(土) 00:20:02.81ID:zkX0WBc2
>>658
圧倒的劣勢の最前線なので木曽義昌だけはどう考えても裏切ったほうが良いだろう
その後だって所領もあるし、ちゃんと畳の上で死ね訳だしね
0663人間七七四年2011/12/03(土) 09:00:48.47ID:5vWJYztq
本人は良くても人質だった家族が可哀想。
0664人間七七四年2011/12/03(土) 15:23:50.62ID:bWOOvJAN
>>662
その後に木曽は森長可に脅迫され
上杉の後援でやってきた小笠原貞種に
信長や家康から安堵された安曇郡と筑摩郡をごっそり奪われ
しかもそいつと対立した小笠原貞慶が
家康から安曇郡と筑摩郡を安堵されて完全に涙目の木曽・・・
最後は街道収入や木材収入も無い
現在の千葉県旭市(下総国海上郡阿知戸)1万石に飛ばされる木曽・・・
まぁ穴山や小山田みたいに殺されないだけマシだったけどな。
0665人間七七四年2011/12/03(土) 15:26:06.76ID:ACWoEw6B
そして息子が馬鹿すぎて改易
0666人間七七四年2011/12/04(日) 09:05:16.06ID:/y3/hvsm
その息子が頼った先が母親……信玄の娘だからな
0667人間七七四年2011/12/11(日) 16:18:42.93ID:iWwfIr4k
新府城の木曽ファミリー打ち首って斬られる方も斬る武田も涙目だよな。

0668人間七七四年2011/12/11(日) 21:23:05.49ID:jDhv03MI
結果論だけど、俺たちなんの為に人質とったんだろうって話になる
なんだかやるせないよね
0669人間七七四年2011/12/11(日) 22:46:14.91ID:ppd9UiGR
しかも人質って勝頼の甥もいたわけだしな
0670人間七七四年2011/12/12(月) 23:49:36.33ID:XLNc+V27
武田元明は年の割には頑張ったと思う。
0671人間七七四年2011/12/24(土) 00:09:27.70ID:ejr6RWP3
徳川、北条相手にジリジリ侵食されながらも持ち堪えていた武田が、織田が攻め込んできたら戦わずに逃げ出したのは何故なんだろうね。


長篠のトラウマかな。
0672人間七七四年2011/12/24(土) 00:40:22.64ID:0D/fMFg6
>>671
木曽と穴山が裏切ったからだろうな
0673人間七七四年2011/12/24(土) 00:56:04.68ID:J5wJSPTy
>>671
徳川北条とは確かに戦っていたが織田軍主力とは長篠以降は本格的に事を構えていない。
だから織田相手という言い方は若干おかしいな。まぁ徳川に大量の援助はしていたがな。

武田の最期は経済的に行き詰まったのと敵を増やしすぎて内部の動揺が拡大し
とどめが織田の大軍の心理的圧迫だろうね
0674人間七七四年2011/12/24(土) 01:35:06.99ID:k0y26PSF
浅間山噴火で戦争どころじゃなかっただけの話
0675人間七七四年2011/12/24(土) 05:26:44.25ID:AKsY8ZD+
>>674
また浅間山ネタですか?
京で浅間山噴火が武田滅亡の凶兆されたのは解るが、甲斐信濃が動揺したというソースは無いの?
0676人間七七四年2011/12/24(土) 15:27:58.01ID:ejr6RWP3
武田軍は長篠後すっかり自信を無くしてしまったように見える。


甲斐信濃に織田軍が攻めてきたときは、ほうとう食い逃げの逃亡兵ばかりだし。
0677人間七七四年2011/12/24(土) 16:03:58.82ID:3zoaF2rJ
浅間山噴火の影響は過小評価できないと思うが
織田厨さんはぜったいに認めようとはしないだろう。
京からでも群馬県の噴火が観測されてるほどの規模は洒落にならないと思う。
0678人間七七四年2011/12/24(土) 17:20:01.71ID:15qTPH4K
400キロ離れた噴火を視認して日記書いてるのが凄いな。
京都から広島に落ちた原爆を視認した並みの距離だからな…
そりゃあ武田将兵にとっちゃ戦してる場合じゃないわ。
0679人間七七四年2011/12/24(土) 17:22:51.61ID:FEKCn8tW
武田軍の上げたのろしまで見えてたんだろうな
0680人間七七四年2011/12/24(土) 20:59:31.25ID:8hEL1+eP
675=679=いつものキチガイ
0681人間七七四年2011/12/24(土) 22:00:10.70ID:FEKCn8tW
自分がID変えて自演してるからって、他人もそうだと信じないようにね
0682人間七七四年2011/12/24(土) 22:15:44.58ID:6kjZtd6i
えーと、噴火で甲信以上に大変なはずの関東の北条さんが織田に同調して攻め込んでる件は?
そんなに大変なら北条は戦争どころじゃないでしょ?
0683人間七七四年2011/12/24(土) 22:24:37.96ID:FEKCn8tW
上杉も元気に活動してるな
まとめると、武田だけが軍事行動起こせないほどの被害を受けて、周囲の越後上杉相模北条遠江徳川近江織田は被害受けずに軍事行動起こせたと
具体的にどんな被害があったのよ?
聞いてあげるから史料明示して説明してごらん?
0684人間七七四年2011/12/24(土) 22:33:50.56ID:nXXZNSuU
そもそも現在進行形で壊滅してる土地に攻めこむか?
本当なら逆に武田の寿命が伸びたと思うわ
0685人間七七四年2011/12/25(日) 03:01:11.69ID:31g+7DCE
あの世の信玄が、


・長篠の戦い
・新府築城
・信濃喪失


を見たらどう思っただろうか。
0686人間七七四年2011/12/25(日) 03:11:01.92ID:Djc1QHc3
自分がやってたことの間違いに気づく
0687人間七七四年2011/12/25(日) 08:17:18.92ID:JQWAzn0e
浅間山は武田領だし、
甲府のほぼ真北に位置してる。
被害の中心は武田領国。
北条は出陣見合わせで、
実際に出陣したのは20日。
しかも織田の猛進を聞いて、やべぇと焦っての出陣に過ぎない。
富士山と勘違いしてるバカみたいだが、
浅間山に近いのは由良氏であり北条じゃない。
上杉は景勝の16日越中出馬予定が延期。
織田厨はなにも知らないくせに
言い加減な書き込みを断言口調で書くからクソなんだよな。
0688人間七七四年2011/12/25(日) 08:43:25.34ID:kGwlV7ym
ほー、京都から見えるような大噴火が甲斐にしか影響ないのか―
甲斐って広いんだねー
0689人間七七四年2011/12/25(日) 09:38:43.47ID:JvSmC59u
そもそも末期は織田に土下座外交してるし火山も糞もなく普通に武田家は限界きてる。
0690人間七七四年2011/12/25(日) 10:10:57.04ID:f6sIb6wP
>>687
>>688の言うような大規模なのに、同心円を描くとほぼ越後全土含むのに、上杉は元気に走り回ってるから
北条領なんか上野のごく一部と武蔵にちょろっとかかるぐらい
で、具体的にどんな影響が出たのかも未だに出てこない
普通噴火の影響って数日そこらで変わるもんじゃないよw
いい加減こじつけでしたって認めなよw
ついでに言うと武田は何度も何度も出陣延期とかしてるから
そのたびに浅間山噴火してたんか?w
そういう日常的に延期してたんだから、たまたま延期が重なっただけだよw
君は占いとか信じちゃうタイプかな?w
0691人間七七四年2011/12/25(日) 10:53:55.45ID:31g+7DCE
本願寺和睦、退去後の勝頼の危機感は半端なかっただろうな。
0692人間七七四年2011/12/25(日) 11:09:06.76ID:31g+7DCE
特に、笹子峠で小山田に阻まれてからの勝頼の危機感はかなりのものだったはず。何とか武田軍を立て直して、長篠、岩村を奪回しなければと思ってたんだろうな。


0693人間七七四年2011/12/25(日) 11:13:19.73ID:7RsSUaX8
なんにしても土屋がたった千人しか倒せなかったのは
勝頼にとって最大の誤算だろう
0694人間七七四年2011/12/25(日) 11:20:03.65ID:WDMx9wmW
>>687
人をクソ扱いするなら甲斐、信濃大混乱のソースをだそうなw
0695人間七七四年2011/12/25(日) 12:04:26.41ID:RgzgQfMc
>>694>>683
お前ホントに屑織田厨ぶりを晒してるなw
いい加減に恥を知れよ。
0696人間七七四年2011/12/25(日) 12:18:16.96ID:LWomy4Hm
>>693
土屋とか言う人に赤兎か、それが無理でも百段でも与えてやれればな
そうじゃないんだから千でも伝説もんだろ?
0697人間七七四年2011/12/25(日) 13:34:55.86ID:tQaNr+OI
>>695
ソースが出せないなら、妄想である事を認めたら?
みっともないよ。
0698人間七七四年2011/12/25(日) 14:03:21.58ID:qHCZ9zbM
>>687
なるほど。確かに噴火のせいで、
上杉と北条は出陣延期してんだな。
木曾の謀反に噴火が重なり、
武田領国は混乱してしまったんだろうな。
0699人間七七四年2011/12/25(日) 17:19:06.24ID:4TQq5wrA
ついてない人間ってそんなもんだよな
WW2末期の東海地震とか菅政権の大震災とか
的確にとどめ刺しに来るな
0700人間七七四年2011/12/25(日) 18:19:36.14ID:RgzgQfMc
>>699
昔の人は天災を神の啓示と思って
自らの政と不徳を恥じて心を改める感受性があったが
いまの政治家や支配階級は想定外wとか言ってクソすぎだよね。
0701人間七七四年2011/12/25(日) 18:25:15.94ID:4TQq5wrA
>>700
ポンペイとか繁栄中に天変地異で壊滅した例もあるけど
やはり悪政+天災のコンボは人々の記憶に残りやすいんだろうな
飢饉とかも悪政とリンクしやすいし
0702人間七七四年2011/12/25(日) 23:02:32.36ID:JvSmC59u
はっきりいって噴火なんかより木曾と穴山の裏切りが一番やばいでしょ

準一門だし影響のでかさは凄まじい。
更に重要な防御拠点が根刮ぎ無くなるんだからどうしようもない。

木曾はまだ遠いとして駿河素通りされたらもう甲斐は守りきれない。
0703人間七七四年2011/12/26(月) 00:02:50.08ID:ZRtbMSFC
穴山って噴火後に裏切り決意したでしょ?
0704人間七七四年2011/12/26(月) 00:29:23.91ID:mZYj+Jfu
>>700
おまいが政治家だったとしても
想定外と言ってただろうよ
0705人間七七四年2011/12/26(月) 00:35:08.79ID:yLQWjEa9
想定外と言えば許される現代と言い訳しても自分の首で責任取るしかない戦国時代との違いだわな
勝頼もここまで裏切り起きるとは想定外だったろうし
0706人間七七四年2011/12/26(月) 00:38:14.40ID:UCIwX9bK
穴山が寝返って助かったのは駿河に兵を進めてた徳川くらいだろ。

信濃の玄関口に陣取る木曽義昌が寝返って、
その木曽義昌に軍を派遣して討伐できなかった時点で
武田家の命運なんて尽きたも同然

謀叛者に負けた武田というのが武田家内外に伝わった
0707人間七七四年2011/12/26(月) 00:42:16.84ID:yLQWjEa9
信豊が戦犯ということだな
0708人間七七四年2011/12/26(月) 06:16:15.96ID:N9bm0S35
武田も長篠後は負け戦ばかりだからなあ。


勝頼が鉄砲に突撃した代償は重かった。
0709人間七七四年2011/12/26(月) 08:56:04.85ID:njgtpd+z
>>706
そりゃあ噴火で後背地たる本国甲斐を含めた北信濃と西上野が混乱したら
木曾討伐どころじゃないだろ。
率いてきた兵力の大半は地元が気にかかり
おちつかせようとするべく帰ろうとするだろ。
地元に守りを押し付けて帰られたら
次々と自落するわな。
諏訪湖近辺から進軍出来ずに、
しかも高遠城を見捨てて勝頼が本国へ帰るなんてのは
まさに噴火で混乱し治安悪化した甲斐の姿が垣間見えるだろ。
0710人間七七四年2011/12/26(月) 11:47:04.88ID:CWhgPhmA
武田が悪政と書いてるのは
武田征伐を開始した時の信長公記だけだけどな。
火山噴火の事実を覆い隠して、悪政悪政ってやたら強調してて
明らかに作意が見え透いてる。
むしろ織田の方が数万以上の大虐殺を越前でやったり
上京を燃やして略奪恐喝したりと大逆悪政をしてるけどな。
0711人間七七四年2011/12/26(月) 11:47:53.59ID:e1NCVvzb
>>709
噴火といっても小さな噴火で火山灰降る範囲も限定的だったでしょう。
武田好きで何でも噴火の仕業にしたいんだろうけど見苦しいよ。
0712人間七七四年2011/12/26(月) 11:48:36.77ID:CWhgPhmA
>>708
北条相手の関東では連戦連勝だよ。
0713人間七七四年2011/12/26(月) 11:53:00.63ID:WX1pliAb
>>709
幾らはっきりしたソースが無いからって、『だろ』ばっか使ってると妄想丸出しだな

因みに1582年の噴火は大噴火ではない
0714人間七七四年2011/12/26(月) 11:53:52.00ID:/5Ln4VyZ
>>712
東海でもだろ、これだから織田厨は馬鹿だ
0715人間七七四年2011/12/26(月) 12:33:19.77ID:/4Slks2H
>>710
越前で数万以上の大虐殺、上京を燃やして略奪恐喝…w
これこそまさに作意が見え見えだなwww
0716人間七七四年2011/12/26(月) 12:55:06.05ID:CWhgPhmA

>>711
京からの観測で天あかくと書かれ
浅間山までの距離は約400キロであり
西国なら広島の原爆の爆発を京から視認できたのに相当する。
さらに雪ことことしきなどと書かれているのは
京に噴火の粉塵が降ってきたということ。
和仁親王が体調を崩されて天に祈祷をしているなど
浅間山噴火は京でも只事でない状況になってる。
>>713
被害記録がちゃんと残ってるか、残ってないかで
大噴火か噴火かを気象庁が判断してるだけで、
寺社を通して庶民の戸籍登録が為されている
江戸時代の天明3年大噴火は
川越松平藩と幕府勘定奉行所の記録も去ることながら
かなり詳しい絵図付きの記録が残っているから大噴火認定をされており、
浅間山噴火での詳細記録と言うのは残念ながら非常に珍しい。
武田滅亡の混乱から噴火の状況記録は京での視認記録しかないのが現状であり
武田滅亡という大事件を誘発した以上は大噴火の可能性は大いにありうる。
>>715
事実の羅列に過ぎないが。
0717人間七七四年2011/12/26(月) 13:14:29.45ID:CWhgPhmA
1108年(天仁元)の浅間山噴火が大噴火認定されているかについて
藤原宗忠の日記で天仁元年8月25日に京から東方天色甚赤と視認される。
9/5に上野国の国司から朝廷に浅間山噴火とその被害詳細について報告を受けている。
この朝廷への報告詳細により大噴火認定を受けている。
京で浅間山噴火が視認されている共通点が見出せる。
0718人間七七四年2011/12/26(月) 21:21:17.77ID:5DztXtfK
それだけの大噴火が起きれば武田だけじゃなく徳川、織田も相当やばい。

風向き次第では関東全部やばい。
なのにどうして他の国が全く被害を受けていないのか?
0719人間七七四年2011/12/26(月) 21:26:59.76ID:+MazXnCo
京から視認できるほどの大噴火なら織田も攻めこまないだろ
当時の武田に、わざわざリスクを犯してまで即攻めしなければならな脅威はないし
噴火で大混乱してるのに岩櫃行きを薦める馬鹿もいない
0720人間七七四年2011/12/26(月) 21:37:35.09ID:ZMSD+msX
>>716
「可能性がある」
針小棒大とはまさにお前のためにあるような言葉だなw
京都から観察できるほどの大規模な噴火なのに、武田領土に集中して被害が出ている
そして影響があるといいつつ、軍事行動のオクレをあげているが、それ以外の被害記録はその他の国どころか武田家にも残されていないと

ちょっと考えてみなよ?
君の家が大爆発しました
神奈川県だから名古屋あたりからもその模様が観察できました
でも他に記録はありません
あったのは電車が遅れたということだけ
これでさあ・・・大噴火?可能性?w
面白い思考だよなw
0721人間七七四年2011/12/27(火) 03:10:26.32ID:WBi5iNQu
>>709
何を勘違いしているのかは知らんが、木曽討伐に派遣されたのは武田信豊、今福筑前といった信濃衆だぞ。
積雪で思うように進軍できないうちに織田の援軍を得た木曽義昌と鳥居峠で接触して敗北。
だから甲斐本国の連中と比べて信濃国の連中の寝返りが多いんだよ。実際戦って負けてるから。
0722人間七七四年2011/12/27(火) 03:30:23.06ID:KWWVj+b/
駿河もかなり侵食されてるとは言え武田攻め始まるまでは甲斐信濃上野駿河半国持ってたんだからなぁ
こんな大勢力があんなに簡単に崩れるとは信長自身思ってなかっただろうな
0723人間七七四年2011/12/27(火) 07:21:34.06ID:cNhEIrvT
>>721
ソースは?
0724人間七七四年2011/12/27(火) 17:04:21.15ID:mhunsbe2
>>721
武田信豊は父の信繁を継いでるから信濃に領地なんて無いだろ。
兄弟は信濃国佐久郡の望月氏を継いでるが、
そこは浅間山に激近いし上野国に隣接してる。
それと今福筑前守は駿河国久能城主だし。
信濃衆とする根拠はなんだ?
だいたい武田信豊が木曽討伐に向かったのと
今福筑前守が織田を迎撃した話は完全に別物なのに見事に混同してるし。
まず信豊が鳥居峠で木曽に敗北って甲陽軍鑑の話だろ・・・
しかもその時はまだ織田軍は来てないし
後詰の勝頼2万は諏訪で軍議をするが
信廉は派遣先の伊那から無断で甲府に帰るし
諏訪に帰ってきた信豊も病気と言って軍議欠席がちで勝頼は諏訪で立ち往生。
そのうち織田軍がやってきたが、やはり諏訪で動けずにいたら
穴山が謀反した報が入り、勝頼を見捨てる者続出し軍は崩壊。
この武田軍の混乱ぶりは、すでに余震や小規模噴火が多発していたので
諏訪から動けない状況になっていたのではなかろうか。

公記の記事に従うと2/2に木曽討伐に15000で勝頼が出陣したとされる。
2/6に木曽が信長に援軍を求めてるのが史料でわかる。
それを受けて信忠が2/11に岐阜を出陣してるのも史料でわかる。
2/14火山噴火
公記に従うと14日に信忠は岩村に到着して滝川や川尻を差し遣わせる。
公記によれば14日に松尾城の小笠原が織田に味方すると言うので
団や森らが先陣として木曽峠を越えて松尾城落城させ(飯田地域平定)
さらに進んで2/16に今福筑前守が織田と交戦して鳥居峠で敗北とされる。

公記によれば伊奈口節所に滝が沢要害を構えて下条伊豆守が守備してたが
2/6に下条伊豆を裏切り家老の下条九兵衛が逆心
し川尻与兵衛を岩村口に引き入れたとする。
2/7に高倉永相が村井貞勝から信濃半分をすでに制圧したと聞いている。

これについては2/6に武田軍が木曽氏討伐に出撃を受けて
木曽氏が織田に援軍要請している段階なので非常に怪しい記述。
事実としても岩村口に位置してると思われるので最前線の一砦が
侵攻前の調略段階ですでに内通してたのだろうし
こんなところが落ちたレベルは大した問題じゃないのはわかる。
信濃半国制圧は2/14の松尾城を落としてもまだまだ達成できない話で
2/7現在でそれはありえないし、それに付随したウソが滝が沢要害話ではなかろうか。
やはり14日がターニングポイントになってるのは認めざるを得ない。
0725人間七七四年2011/12/27(火) 17:41:45.61ID:M+4jMW0p
>>724
疑問なんだけど、
「噴火の粉塵とか火砕流とかそう言う影響は微細
一番影響を与えたのは噴火が起きたという事そのものが与えた精神的ショックで、武田軍は崩壊した
決して織田軍の影響ではない」
っていう理解でいいのかな?
0726人間七七四年2011/12/27(火) 20:31:27.20ID:Cpzxl3ac
迷信が幅利かしてた時代だし「あー武田ももう終りだわ」って思わせる効果はあっただろうね
0727人間七七四年2011/12/27(火) 20:40:40.40ID:u3X5xFRp
信長は黄金の安土城を築いたのに平気でいられて、勝頼はボロ新府城を築いただけで領民から総スカンを食らったのは何故?
0728人間七七四年2011/12/27(火) 20:47:19.43ID:LC2t5mFs
>>727
新府城を築いただけで総スカンのソースは?
0729人間七七四年2011/12/27(火) 22:17:20.45ID:WjnkoY7a
武田は貧乏だからなあ。
0730人間七七四年2011/12/27(火) 22:25:00.44ID:x/mD7Nwj
新府城ってより戦線拡大で経済的に行き詰まったんだろ。

織田側は強大な経済力を背景に年中軍隊を無理なく動員出来るのに対し、
甲信駿上程度の経済力で年中軍を動かすには限界がある。

織田徳川に対抗すればする程、武田はやせ細っていき最後は折れる。
そういう運命。

0731人間七七四年2011/12/27(火) 23:42:17.40ID:u3X5xFRp
武田の滅亡が運命だったような論調もあるが、長篠での勝頼の采配ミスが最大の要因。
0732人間七七四年2011/12/27(火) 23:51:31.74ID:cPBpyvHL
>731
ミッドウエーで大敗しなくても結局はというのと同じじゃ?
0733人間七七四年2011/12/28(水) 00:03:07.99ID:RT6PT3X/
>>723
信長公記や甲陽軍鑑
つか、この時の大筋の流れしってりゃわかる話なんだけども

>>724

>>それと今福筑前守は駿河国久能城主だし

それ親父の方じゃなかったか?親父も筑前守とかで混同したとかならすまんが。

>>木曽氏が織田に援軍要請している段階なので非常に怪しい記述。

別に怪しくもなんともない。
そもそも織田にとっては木曽救援は甲斐征伐の一環で、武田征伐と木曽救援が同時に行われている。

それが証拠に信長公記で木曽御加勢の人間は織田源五、織田、織田孫十郎、稲葉彦六、梶原平次郎、塚本小大膳、水野藤次郎、簗田彦四郎、丹羽勘助で
既に信濃方面の各所で展開していた森勝蔵、団平八、河尻与兵衛の名前はなく、もちろん主力たる織田信忠、滝川一益の名もなし。
村井が色をつけて「しなの半分」と言ったのも、既に武田征伐そのものが行われると決まっていたからこそだろ。
0734人間七七四年2011/12/28(水) 01:27:51.57ID:0bm8mf67
>>725
京都まで見えるような噴煙が上る噴火でも、火砕流や火山灰は大した事ない
可能性はあるものなぁ。特に浅間山の場合はしょっちゅうそういう噴火を起こしているし。

たとえば、1947年の噴火は噴煙の高さ12kmもある噴火だったけど、死者はあまり
多くなく11人、農作物への被害もそれほど大きくはなかった模様。
1958年の噴火は噴煙の高さが7〜8kmだったけど、死者はなし。ってな具合。
0735人間七七四年2011/12/28(水) 08:15:35.97ID:ax4lKcLn
信長公記や甲陽なんて軍記なんだから
信用性ゼロだろ。
公記は攻め滅ぼした側の正当化だし、
甲陽は何から何まで勝頼が悪いと無理くり理由を考えてる。
そんなのが悪政なんて書いてたとかでソースになるかよ。
一次史料だせよ。
軍記ものは滅びた原因に悪政と書くのは常套句だし。
金がないってのも、本を読むと御館の乱で景勝側に買収された勝頼を根拠にしてるくらい。
しかし政治外交で利害が絡むのは当たり前。
そんなのは根拠にならない。
美濃の臨済宗の大動員かけて斉藤義龍と対抗したほどの人望ある快川紹喜が、
甲斐を離れなかったのは
勝頼が取り立てて悪政をしてたと言い切れない証拠だと思うが。
0736人間七七四年2011/12/28(水) 10:01:50.76ID:FAY9EEYr
>>734
しょっちゅう被害の少ない噴火を起こしてて武田征伐の時もそうだったなら、噴火と滅亡の関連性は薄いってことだな
0737人間七七四年2011/12/28(水) 10:11:56.74ID:ax4lKcLn
>>734
京都から赤い空と噴煙が観測されたが、
大したこたとなかったとする実例ソースは?
そもそも京で観測された浅間山噴火は天仁元年(1108年)と天正10
年の噴火だけだろが。
0738人間七七四年2011/12/28(水) 11:16:01.19ID:qh1/uV/f
何で大災害だ!って言ってる人は>>725に応えられなかったの?
0739人間七七四年2011/12/28(水) 11:37:32.51ID:Mmf0ptPy
>>737
前から聞いてるんだが、それなら信濃甲斐大混乱の実例ソースを早く出せよ
噴火が武田滅亡に関わる大事件なら、史料が残ってない事自体がおかしい



0740人間七七四年2011/12/28(水) 12:06:57.95ID:1fgJPa7O
武田が滅んで資料が無くなったので無理です(キリッ
0741人間七七四年2011/12/28(水) 13:16:39.93ID:DOu4gWGF
信長って武田が持ってた伊勢物語の原本を「武田の住居と一緒に燃やすのは惜しい。」とか言って武田攻めの前に穴山を通じて掠め取ったのに、結局、安土城と一緒に灰になったらしいね。
0742人間七七四年2011/12/28(水) 13:39:56.38ID:2yoCETeW
>>737
また織田厨のウソだったのか。
デタラメばっかり吐いて、
ほんとタチ悪いよな。
0743人間七七四年2011/12/28(水) 19:18:25.90ID:N3LLRzwl
これまでだがさんが武田攻めの時の噴火の被害について具体的に提示できたものは
>>716

>さらに雪ことことしきなどと書かれているのは
>京に噴火の粉塵が降ってきたということ。

と、「雪=火山灰だ!」という強引な話しか無いんですが。
0744人間七七四年2011/12/28(水) 19:24:33.18ID:bVu0rL0b
天気つき日記じゃないから
特別な大雪とかで無い限り
天候の話は書かれてないよ。
0745人間七七四年2011/12/28(水) 20:48:14.31ID:qh1/uV/f
なら京都で大雪だったんじゃね
0746人間七七四年2011/12/28(水) 22:56:09.48ID:RT6PT3X/
大体織田軍が攻めなきゃ武田が滅びることなんてなかった
噴火厨はいい加減に武田は織田に滅ぼされたことを強く認識するべき
0747人間七七四年2011/12/29(木) 00:27:59.32ID:rUwZU0bf
>>746
>>725
0748人間七七四年2011/12/29(木) 00:34:09.43ID:XhpKf5gx
勝頼が謀反や一揆で殺されたとかならともかくwwww
0749人間七七四年2011/12/29(木) 00:45:40.72ID:F+5iQ+oE
勝頼に火山弾でも当たったかのような言い方だなw
0750人間七七四年2011/12/29(木) 01:31:26.62ID:c9cIjoTd
その後の展開を知ってるだけに上杉領に逃げ込んで信長の自滅を待って欲しかったね
もし本能寺が起こると仮定するならば上杉から3000くらい兵借りて川中島経由で信濃に乱入
真田昌幸が呼応して甲斐信濃切り取ってた可能性も
0751人間七七四年2011/12/29(木) 01:54:24.64ID:51ZYrfic
勝頼が死ななきゃ本能寺も起きん
0752人間七七四年2011/12/29(木) 01:54:40.48ID:WJdcp+jP
信長に討たれるより猿の家臣となる事を望むなら、それもいいだろうな。
真田に裏切られて上杉・北条・徳川いずれかへの手土産にされる可能性もあるが…
0753人間七七四年2011/12/29(木) 02:06:48.76ID:c9cIjoTd
>>752
甲信抑えてればどうなるか分からんよ
実際には甲信も抑えた徳川が北条との同盟のお陰で背後の憂いなく西に集中できたけど
武田・上杉が堅固に同盟維持してるわけで柴田、徳川、織田、羽柴の力関係にかなり影響出るでしょ
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