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天正10年の武田攻めを語るスレ 3

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0001人間七七四年2011/03/29(火) 22:15:05.50ID:w+Csi68T
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。

【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
0208人間七七四年2011/06/07(火) 20:28:07.21ID:JCkLDcfv
そうでもない。
0209人間七七四年2011/06/08(水) 00:07:43.72ID:l6yMEdlo
>>207
パッとしない逸話もあるけど、親父よりも史料に出てくるのは信豊のほうが
多いんじゃないか?勝頼期にはかなり重要な地位を占めてたようだし。
0210人間七七四年2011/06/08(水) 14:38:37.48ID:mNyIJwYt
前線指揮官より内政向き?
上杉との同盟とかで取り次ぎ役してますね
0211人間七七四年2011/06/08(水) 18:49:07.48ID:wRZw0qac
北条夫人の祈願文は後世の作り物だと確定したんでしたっけ?
0212人間七七四年2011/06/08(水) 20:45:52.02ID:l6yMEdlo
>>211
柴辻俊六氏は「なお議論の余地はあるが」後世のものだろうとし、最近ミネルヴァから
出た『武田勝頼』(笹本正治氏)でも特に考察はないけど、柴辻説を引用している。
0213人間七七四年2011/06/13(月) 16:26:56.52ID:UyXCU9I3
鴨川達夫「武田信玄と勝頼」(岩波新書)のP197に「また、これも重臣の小山田信茂は、勝頼を討ち取ることを信忠に申し出たという」と書いてありますが、根拠となる文献あるいは書状などはあるのでしょうか?
0214人間七七四年2011/06/13(月) 22:56:21.46ID:1/4phLNM
諏訪神軍はまだか?
0215人間七七四年2011/06/14(火) 16:38:04.22ID:ojKfBNuM
御館の乱で景虎見捨てたわけだけどさ
その後北条と手切れした理由は何?
甲相越で不戦条約的な事出来なかったんだろうか
0216人間七七四年2011/06/14(火) 17:54:00.76ID:s2n0TdzE
北条の動きが悪すぎたからじゃね?
0217人間七七四年2011/06/14(火) 19:21:20.31ID:Hj7H5zc9
>>215
上野半国から上野一国を支配した勝頼は関東制覇を目指す北条と対立してしまったのだよ。
0218人間七七四年2011/06/14(火) 21:55:20.54ID:iGYMMkt5
>>215
敵の味方は敵ってことじゃねえの?
北条自身が落ち目の武田より織田と通じたいってのもあっただろうが(景虎支援に消極的だった一因でもあるかと)
0219人間七七四年2011/06/14(火) 23:02:36.04ID:bk6x0T1g
勝頼の時代に小田原城包囲するくらいの北条との激突すべきだったな
中途半端に侵略するより
佐竹で牽制も出来るし上杉も援軍少しは出すでしょ
0220人間七七四年2011/06/14(火) 23:24:00.60ID:oYQXZpre
>>215
もう徳川通して、織田との話も着いてたんでしょ、北条は。
0221人間七七四年2011/06/15(水) 08:04:15.54ID:rztiUn68
>>220
北条は織田にかなりの土下座外交してた。でも、織田にとっては
まともな同盟国としてみられていなかったようで、武田攻め後の仕置きでは
北条が攻め込んだ駿東 -> 徳川へ
北条が厩橋城などに圧力をかけた上野 -> 滝川一益
北武蔵、下総の国人衆 -> 滝川一益参りをしている
と言った具合で、恩賞がないどころか、傘下の国人衆を切り崩されている始末。

本能寺の変がなかったら、北条は伊豆・相模ぐらいまでしか
安堵されなかったんじゃないかという説もあるぐらい。
0222人間七七四年2011/06/15(水) 20:37:23.97ID:CotAlGlJ
そのくせ信長以上に巨大な勢力となった秀吉に歯向かって潰されるとかどうしようもないな。
0223人間七七四年2011/06/15(水) 21:18:01.20ID:rztiUn68
>>222
織田相手に土下座外交をしたのにも関わらずああだったのと、
秀吉が一貫して北条に敵対的だったのと、武田攻め前後に比べれば
北条もひょっとすると倍近くになるぐらいに巨大化したのと。

上野のごく一部と下野の一部と常陸以外の関東全域が勢力圏だし、
徳川・伊達とは同盟関係にあったし。
0224人間七七四年2011/06/15(水) 22:01:32.33ID:ppDOYyp3
>>221
あれだけ下手に出る外交政策が、短期でまとまったとは思えないよね。
交渉以前に、国内の意見を一致させるまでに、相当な時間がかかるはず。小田原評定の家だしw
武田と手切り後のあっという間の徳川・織田との提携を見るに、事前交渉が十分にあったとしか思えないわ。
0225人間七七四年2011/06/15(水) 22:47:46.49ID:rztiUn68
>>224
本能寺の変後の北条の動きもとんでもなく速い。

6月2日に本能寺の変だったけど、神流川の戦いはそのちょうど2週間後の
6月16日。しかも、そのたったの2週間で5万人以上動員。
0226人間七七四年2011/06/16(木) 01:13:35.36ID:hYWOySOK
神流川の戦いは遠征じゃなく、所領奪還戦みたいなものだから、領地から近く迅速に行える範疇に思う。
武蔵付近なんて、関東制圧が悲願の北条にとって、いつかは必ず奪還すべく考えていた地だろうし、
元々地の利もあり、何か機会があれば、いつでも攻撃できるような計画くらいは事前にあったと思われる。
あと、5万はないよね、実際。
0227人間七七四年2011/06/19(日) 19:38:04.51ID:U+dimFEq
すこしは 小山田氏を 社会に だしてね。
0228人間七七四年2011/06/21(火) 15:44:50.92ID:iJT59+dx
やっぱさ、織田が武田進攻なんて聞いても、北条はまた付き合い程度に兵を出しとくか〜くらいな軽い気持ちで
武田滅亡なんて夢にも思ってないから
事態の急展開に付いていけず
心構えなんて北条には無かったから織田の力が図れず動揺したんだと思う。
しかし秀吉の時は充分な時間が与えられていたからね。
しかも真田にちょっかい出したらあんなに秀吉がキレるとも思ってないから既成事実を作っちゃえとか条件闘争の交渉材料を作ろうとしただけでしょ。
それに長宗我部や島津は本領安堵されてるから反抗しても伊豆と相模くらいは安堵されんだろみたいな甘さもあったかも。
0229人間七七四年2011/06/22(水) 08:29:46.80ID:N55rH6pS
北条が秀吉に抵抗したのは家康との同盟と伊達の後詰め期待してでしょ
北条だけで籠城じゃ結局負けるのは当然というか
ただ信長の浅井・朝倉征伐以降それまでの常識を越えた侵攻スピードの戦いが起きてる事実を
北条が見誤ってたのは確かだろうね
0230人間七七四年2011/06/22(水) 08:47:07.48ID:MzkmZ4/D
確かに迅速だよね
尾張兵は弱兵だったっていう話だけど実際はよく訓練されてた気がする
やっぱ徳川史観で神君の活躍なくして、信長公の立身はなかった!っていうアレかね
0231人間七七四年2011/06/22(水) 16:07:38.10ID:tCp2+ZIq
長宗我部や島津でも本拠地には攻め込ませてないのにいきなり本城囲まれてる時点で終わり
0232人間七七四年2011/06/22(水) 19:51:08.33ID:Lkfi/X4N
元々野戦する気が全くないからなぁ
小田原城は強襲で落城したことはないわけで
0233人間七七四年2011/06/23(木) 03:28:57.55ID:I+ypMESY
小田原城は東側からの侵攻に対してほぼ最前線になるからな。領土と本城の位置が良く無かったよ
島津なら薩摩だし長宗我部なら土佐なわけだし一応
0234人間七七四年2011/06/25(土) 18:19:26.14ID:YhxIh+Ck
西側からの侵攻じゃなくて?
0235人間七七四年2011/06/26(日) 00:35:08.54ID:0Y4sqilP
とは言っても西側も箱根があるわけで
0236人間七七四年2011/06/26(日) 02:46:19.45ID:0Y4sqilP
信玄は村上に惨敗した後に塩尻峠で劣勢にもかかわらず大勝して形勢を戻したんだよなぁ
岩村城の救援に勝頼直卒3000くらいの兵で後詰めとかできなかったものか
信忠は若いから付け入る隙もありそうだが
ここで秋山だけでも救出していれば山県、馬場等を失った勝頼にとってだいぶ違ったと思うんだが
0237人間七七四年2011/06/26(日) 08:05:10.36ID:BohoYIwT
後詰ができないから、外地駐屯部隊は敵の包囲を受けそうになったら逃げてこい、
と言っておくだけで良かったと思うんだよね。
美濃・駿河を放棄して、北条に集中しても。
0238人間七七四年2011/06/26(日) 10:35:05.46ID:B/UNEGWl
東美濃はさっさと放棄して木曽で阻止すればよかったのにね
この時代占領地を放棄するのはかなり難しいんだろうけど
秋山って元々高遠城の城代だし勝頼とは何かと接点あるんだよな
0239人間七七四年2011/06/26(日) 17:26:53.26ID:4thw/0eq
高遠落城の夜に信忠は高遠城に泊まったらしいが、何百人が斬り合いした建物にその日のうちに寝泊まりするって昔の人はどういう神経なんだ。。。布団は仁科が使ってたやつかな
0240人間七七四年2011/06/26(日) 18:17:37.50ID:gaC6JBbb
どちらにしても武田は詰みだな

・北条との手切れ
・北条への対応で高天神への後詰もできず
・朝敵指定
・浅間山の大爆発
すべてがからんで滅ぶべくして滅んだ
0241人間七七四年2011/06/26(日) 18:59:14.55ID:4thw/0eq
浅間山の灰を夫人に浴びせてはならぬと勝頼は岩ひつ行きを避けたのか
0242人間七七四年2011/06/26(日) 19:00:52.66ID:ga/FF0a0
>>239
そうなんだ、そういうディテールって考え出すとちょっと面白いな
天井裏とかチェックする係いたんだろうなw
0243人間七七四年2011/06/26(日) 19:09:08.11ID:gaC6JBbb
浅間山の噴火と凶事を結びつけ、武田家の命運もこれまで
と誰もが思っていたみたいな状況だったとのこと
0244人間七七四年2011/06/26(日) 19:35:43.00ID:s7m1tUw+
泣きっ面に蜂というか気持ちは分からんでもない
0245人間七七四年2011/06/26(日) 20:59:30.98ID:We4wsB32
1944年に東海地震で三菱の飛行機工場潰れた日本みたいなもんだな
0246人間七七四年2011/06/27(月) 01:59:37.74ID:wFFlaEZe
>>236
むしろ信忠を若僧と思って舐めていたんじゃね?
勝頼はもちろん秋山も
長篠の余勢を駆って織田軍が岩村城に押し寄せてくるのは十分予想出来たのに何の手も打ってなかったし
0247人間七七四年2011/06/27(月) 02:24:28.73ID:9zkiSGoG
長篠の損害が大きすぎて兵がいなかっただけ
0248人間七七四年2011/06/27(月) 02:30:19.45ID:G+JO8D9R
信長の従属勧告におとなしく従ってれば本能寺後に再起の可能性もあったのに…。
0249人間七七四年2011/06/27(月) 02:54:16.94ID:LhJR2B/B
>>247
後詰めが出来ないのなら織田の軍勢が来ると知ったときにさっさと撤退させればよかったのにねえ
秋山が逆さ磔という惨めな最期になったのは完全に勝頼のせいだと思う
0250人間七七四年2011/06/27(月) 08:57:47.56ID:ZLtJ7DmA
下った遠山氏を見捨てるようなマネしたら、さらに離反が加速するだろう。
木曽への牽制の意味でも、岩村は簡単には抜かせられない地だ。
いくら秋山が貴重でも、あそこで戦わずに撤退させることはできない。
0251人間七七四年2011/06/27(月) 10:03:00.71ID:v4RAZJ0M
>>250
そこだよな
でもそうなら意地でも後詰めしなきゃいけないわけで
勝頼も御親類衆があてにならないことは長篠で嫌というほど思い知らされたんだから
直卒で救出に向かうべきだったと思う。
信忠の性格を考えると包囲を解いて撤退は考え辛いし
城には歴戦の秋山もいるわけで結構面白いことになりそう
ただ信忠を敗走させても信長が出てくるだろうし甲府〜岩村の距離考えると東美濃の維持は困難だわな
0252人間七七四年2011/06/27(月) 10:19:00.72ID:TbppxpAX
信長が長篠に出張った時に秋山を岐阜に進攻させて牽制したら長篠の戦況はどうなったかな?
0253人間七七四年2011/06/27(月) 10:43:13.01ID:v4RAZJ0M
長篠で撤退してた場合どうなったんだろう
信長は当然勝利だと宣伝するだろうし武田の威信は失墜したかな
織田徳川が追撃した場合三増峠や三方原のように返り討ちにあってたかも知れないけど
0254人間七七四年2011/06/27(月) 12:03:21.91ID:20Yt/Aev
ただでさえ他家と比べて大きい家臣団の発言力がさらに増大して
統制が効かない状態になったんじゃないかとも思える
信玄以来甲斐国内に多大な負担強いて他国に出兵して
ただでさえ不満がくすぶってたし
0255人間七七四年2011/06/27(月) 20:54:53.70ID:B2qB3jt/
なんか浅井朝倉征伐以降の織田軍団ってノブヤボ並に戦国大名滅亡させてるんだよな
恐ろしい軍事力だな
0256人間七七四年2011/06/28(火) 08:23:22.31ID:jw1mxZER
迅速さも伊達じゃないしね
0257人間七七四年2011/06/28(火) 18:31:35.25ID:nyHGQ9My
滅亡する一、二年の武田勢力内における勝頼の評価ってどうだったのかな

長篠の被害そのものよりも、その後の政策による不信任のストレスが相次ぐ離反につながった気がする

逆に家臣団の寝返りがなければ、あの時点では、まだ滅びるところまではいかなかったかも
0258人間七七四年2011/06/28(火) 20:07:36.33ID:Eulbf6GY
>>257
そうは言ってもあの侵攻を内戦作戦で各個撃破するのはほぼ無理だろ信忠撃破しても信長が出張ってきてるし
0259人間七七四年2011/06/28(火) 20:31:33.72ID:9LZ9ZN1B
木曽と穴山の裏切りが無ければ、織田+徳川連合の大規模侵攻自体が無かったんじゃね?
東は徳川に任せて放置が美濃を完全に確保して以降の基本方針だったんだし。
寝返りを前提に徳川が大規模侵攻を打診してきたので、乗っかったんだと思う。
0260人間七七四年2011/06/28(火) 22:04:14.42ID:RbzJsQSg
毛利とどっちを先にするか、天秤にかけてた説が本当なら、
後回しにされていれば、本能寺みたいに何か激変して、生き延びられた可能性は高まるかねぇ。
0261人間七七四年2011/06/28(火) 23:06:36.22ID:Hit98A2i
>>257>>259
しかし、木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で
かといって長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし
なんか、長篠で、ってか鳶ノ巣砦落とされた時点で、すでに詰んでたのかも
0262人間七七四年2011/06/28(火) 23:44:26.31ID:7zjPHd4h
>>261
>長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし

通説のように家臣団が開戦に反対してたなら、不満が高まるってことは無いのじゃないの?
出陣組、特に山県や馬場が反対組なら、まさか高坂ら居残り組が不満を言うわけないし

>木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で

木曽の寝返りの一因は新府築城だから、しなければ歴史は変わったかも
問題は穴山のほうで、あいつが裏切らなければ信濃で決戦くらいはできたやも
0263人間七七四年2011/06/28(火) 23:52:52.35ID:Eulbf6GY
もし木曽、穴山の裏切りがない場合先に上杉が滅亡して川中島から織田軍団が流れ込んでくる可能性も
織田、徳川、北条に完全に包囲されて後詰めも期待できないとなると・・・
どっちにしろ信長が死んでくれないことにはその内詰みそうだね
0264人間七七四年2011/06/29(水) 06:51:54.35ID:dwjSUaGI
信濃口から森軍団が攻めこんでこなければ、越中に集中できたわけで、
上杉もそう簡単には墜ちないんじゃないかね。
後方で反乱起こしてる人はとりあえず押さえの軍を置いてりゃなんとかなるレベルだし。

武田が徳川に削りきられる前にどれだけ北条領を切り取って勢力確保できるか、
というチキンレースになりそうだな。
0265人間七七四年2011/06/29(水) 07:50:29.21ID:tyJ5eHlK
駿河の防衛は穴山に任せるしかないよね
徳川が攻め寄せる度に甲信から軍勢出してたらキリがない
家康は勝頼が出てくれば逃げるんだし
ただどこかで徳川は叩いておかないといけないね
0266人間七七四年2011/06/29(水) 09:28:31.08ID:QLnxVo05
>家康は勝頼が出てくれば逃げるんだし
これちょっと意味分かんないですね
0267人間七七四年2011/06/29(水) 09:56:35.33ID:hAYpXuqX
>>266
勝頼としては決戦で家康を討ち取って状況打開するしかないのだけど、それがわかってる家康は避けた
長篠後でも徳川単独相手なら武田有利だったろうからね
遠征して救援に来る武田に対して、近所に出かける気分の徳川は一時的に引いても潜在的に相手城を囲み続けてるようなもの
0268人間七七四年2011/06/29(水) 18:49:52.86ID:F48mnKPC
よく言われている新府城築城や中央集権化みたいな政策が、寄り合い色の強い武田家臣団と勝頼の間に溝を作ったのかな?
そういった勝頼中心の政策をしないで、うまく家臣達の利権を守りつつ、領内を統治できていれば。
前スレの方がいうように織田徳川の大規模攻撃そのものが、あの時点では起きずに、歴史も変わっていた可能性はあるよね
0269人間七七四年2011/06/29(水) 19:57:09.16ID:/rtb3IVu
勝頼の政策ってのは押しなべて言えば強制軍事力増強政策な訳で
それを行わないのなら、軍備再建できずに領地を削られ
最後にやはり大離脱と大侵攻くらって史実より早く滅亡することに
0270人間七七四年2011/06/29(水) 20:13:46.92ID:ecxCEE4I
>>268
好き勝手動かれたら史実より早くに潰れそうだ
というかそういうのは本来親父の信玄がやるべきだったんだろうけどな<中央集権化

0271人間七七四年2011/06/29(水) 20:39:43.03ID:tfPyRMdg
>>265
長篠で仮に見事撤退ができていればの仮定が成立するなら、
駿河は穴山でなく、山県の統率下にあったはずだから、寝返りの可能性は限りなく低くなる気がする。
0272人間七七四年2011/06/29(水) 21:04:28.10ID:JpCFcYUx
「木曽の裏切り」とか言ってるが
そもそも木曽がそこまで武田に義理立てなくてはいけない理由がわからない。
0273人間七七四年2011/06/29(水) 21:23:34.66ID:tfPyRMdg
ま、一応、武田の姫を嫁にもらってるしな。母親とか預けていて、裏切りの犠牲にしてるし。
武田への義理立てというより、木曽の家名や名誉的な意味で、最低な行いって方がウエイト大きいかと。
結果的に家を潰してしまっているのも、裏切った意味がなかったとなるし。
0274人間七七四年2011/06/29(水) 23:28:54.28ID:5naOXnB0
>>271
山県なら駿府の目の前まで徳川に削られることはなかっただろうね

>>272
一応一門扱いじゃなかったっけ?
0275人間七七四年2011/06/29(水) 23:30:18.34ID:5naOXnB0
勝頼を裏切った大物が軒並み悲惨な末路なのが
因果応報と言うべきか
0276人間七七四年2011/06/30(木) 07:01:16.08ID:T5oKB+8r
山県、原、馬場は長篠で死んどいてよかったかもよ。安土城で接待される山県や深志城を捨てる馬場だったら、ノブヤボの数値は半分くらいだったよ。
0277人間七七四年2011/06/30(木) 21:42:01.81ID:/RWhFZtj
信玄の西上も今じゃ否定されてるけどさ
足利義昭が追放されて浅井、朝倉、長島一向宗が壊滅した以上あえて信長と対決する意味あったのかね?
信長と和睦したら勢力伸ばすには上杉正面しかないけどさ
信勝は織田と繋がりあるし上手く立ち回れば浅井亡き後美味しいポジション占められたような気もするんだが
0278人間七七四年2011/06/30(木) 22:56:25.43ID:D6ild+6f
気まぐれな信長に限ってそれはない
0279人間七七四年2011/06/30(木) 23:12:45.94ID:/RWhFZtj
本能寺の頃に家康が消されると皆思ってたとかいう話があるけどさ
あのまま信長が死んでなかったら家康どうなったんだろ
0280人間七七四年2011/07/01(金) 04:02:23.61ID:i/PR74kK
>>277
畿内の勢力が概ね叩かれたからとりあえず本願寺勢力としては

畿内にいる織田主力を畿内の外へ誘き出す

その間に畿内で反抗を試みる+各地の戦力の整理

武田軍が織田軍に多少なり出血させれればラッキー
だった。
結果は主力が畿内から出でも余剰戦力のある織田軍になすすべ無し
武田軍、織田軍に出血もさせれず惨敗と悲惨な結果だけが残った。
0281人間七七四年2011/07/01(金) 04:14:43.07ID:i/PR74kK
>>279
流石に徳川に養子送り込んだりはしないと思うけど国替えくらいはあるかも?

っとは言っても移動する土地も1582年時じゃ限界あるからなぁ
九州は島津大友は恭順しめしてるし
北条は不信抱きつつも土下座外交してるし
伊達は奥州勢引き連れて揃って恭順だろうし

移動出来そうなのは
毛利領
上杉領
長宗我部領
肥後肥前等の空白地
くらいしか残ってない
0282人間七七四年2011/07/01(金) 14:21:31.86ID:iuiBJB0G
三河、遠江、駿河の3国領有なんて許さないだろうな。
中国→九州に飛ばされるくらいは、余裕でありそうだ。
0283人間七七四年2011/07/01(金) 18:41:47.38ID:F6qwAJKm
甲斐は 守るには 難しいところ。
0284人間七七四年2011/07/01(金) 18:56:09.62ID:zD9MDftj
そーかい
0285人間七七四年2011/07/01(金) 19:16:03.60ID:tLGv5XSs
>>283
逆だろ。
山がちで盆地だから、国自体が一つの城みたいなもんだ。
実際、天正10年の武田攻め意外は全て攻め込んだ連中をさんざんに破ってる。
0286人間七七四年2011/07/01(金) 19:36:43.04ID:T7ygIssd
山国が守りやすいは同意だが流石に言いすぎだな。
諏訪と北条には大敗している。
0287人間七七四年2011/07/01(金) 22:23:56.73ID:i1lu/zPG
韮崎に本拠を移したのも結果的には裏目に出たよな
武田は信玄以降籠城戦の経験は殆どないのに
0288人間七七四年2011/07/02(土) 01:11:56.73ID:vNB6i56P
新府城移転で人心離反しただけでなく木材調達役の木曽の離反も招いたしね
新府城建設は穴山の進言で云々ってのがあるけど本当かいな、彼奴はいつから謀反の思惑があったのか、マッチポンプじゃないか
0289人間七七四年2011/07/02(土) 06:28:00.04ID:z4i7F7E1
高遠落城は新府城を動転させたらしいね。
武田の信濃支配の象徴で、遠江、三河への進出拠点である高遠城が敵の攻撃を受けて、あっさり落ちたんだから。信玄公が苦労して獲った信濃を放棄し、信玄公が何度も進撃していった棒道を逆に甲斐に向かって大軍が侵攻してくるという衝撃。
0290人間七七四年2011/07/02(土) 09:22:41.41ID:/5mSY0/f
新府城の防御構想が歴史群像に載ってたことあったけどさ
あれあくまで甲州街道沿いに諏訪方面から攻め込んでくる前提なんだよな
穴山の裏切りで甲斐方面が動揺した時点で新府城の士気が崩壊したのも当然というか
勝頼的には元諏訪四郎だったことに何か期待でもしてたのかな?
0291人間七七四年2011/07/03(日) 12:28:08.49ID:OA8BGNus
御館の乱で北条と手切れするも積極的には攻めない
防衛線を整理する
徳川方面に打って出る
浜松と岡崎城下を焼き払い青田刈り
家康が単独で決戦を挑むor信長に泣きついて織田徳川連合軍と決戦
勝頼も長篠とは違って慎重だから野戦陣地に突っ込むようなことはあり得ない

織田徳川連合軍4万vs武田軍2万
0292人間七七四年2011/07/03(日) 14:20:50.24ID:CxTQ4FR3
数を揃えても木曽に大敗する程度の戦力では徳川単独相手でも勝てんだろう。
0293人間七七四年2011/07/03(日) 14:24:32.32ID:8glUSEBY
天正10年の徳川が青田刈りと出来ると思ってんの?
0294人間七七四年2011/07/03(日) 16:27:26.86ID:xA4wAry3
この時期まともに兵力預けて前線指揮官として戦える武将って何人いるのかな
真田昌幸
武田信豊
土屋昌恒?
もう勝頼が直接7000位率いてヒットエンドランやって徳川に嫌がらせするくらいしか
0295人間七七四年2011/07/03(日) 16:59:18.92ID:yWTnQB3Z
>>294
長篠で生き残った親族衆の面々
0296人間七七四年2011/07/03(日) 17:23:17.20ID:gRKRuAs2
>>295
信豊以外まともに使えなくね?
0297人間七七四年2011/07/03(日) 23:38:18.61ID:QsRTvU1a
本隊と信豊隊だけでかつかつなのに将ばか居てもな
0298人間七七四年2011/07/04(月) 11:29:31.49ID:DZeAXI0X
武将がいないと作戦なんて成立たんよ
特に野戦なんて命令に手足の如く動き臨機応変に状況の変化に対応できる武将がいてこそでしょ

前備 武田信豊
本隊 武田勝頼 参謀 真田昌幸
右備え 武田信廉
左備え 武田信勝 土屋昌恒
予備  穴山信君

みたいなことになるよ
もちろん陣形はもっと複雑だけど
もう木曽とか御坂峠とか峠防御専門にしか使えなさそう
0299人間七七四年2011/07/04(月) 15:58:37.33ID:+dY1td9G
そりゃ先手とかは数が必要だわな。まともな兵力って方面軍規模をさしてると思うけど
0300人間七七四年2011/07/04(月) 19:56:56.00ID:Giue8ddF
高遠城がたったの半日で落ちたというのが信じられん。
高橋招運の岩屋城はたった763人の兵で島津三万に対して半月粘り、島津の兵を数千道連れにした。
長篠の奥平は兵500で勝頼一万五千に対して一ヶ月も粘ってついに落ちなかった。
長谷堂城の志村は兵1000で二万の上杉を退けた。

それに比べると仁科はあまりに情けなさすぎる。
どこが奮戦なのかさっぱりわからない。

0301人間七七四年2011/07/04(月) 21:24:25.66ID:fg4r0nSx
昌幸ってあの時期にそんな大軍率いてたの?
0302人間七七四年2011/07/04(月) 21:45:17.49ID:7XeAmro4
>>300
確かに…時間的には田野の戦とあんま変わらんな
高遠城は籠城戦には向いてないのか
バンザイ突撃したのか
仁科は嫌いじゃないからあんま悪口は言いたくないけど、半日で落城はちょっとな
シンデレラ城でも落城しなさそう
0303人間七七四年2011/07/04(月) 22:01:30.19ID:QDsFM5vH
>>301
上野方面担当は真田でしょ
昌幸って戦術的には神懸かり的だけど調略部分ではどうだったんだろうか
親父は調略のプロだったけど
0304人間七七四年2011/07/04(月) 22:04:59.69ID:+dY1td9G
織田は損害無視の強攻して前線の城を1日で落として見せしめにするから
兵力差からしてどうせ一日で落ちるなら信忠の首とってやんよって事。
突撃して織田の一族の首とったりもしたけど、力及ばず。
しかも信忠は本陣に居なくて総大将なのに絡めてで前線指揮とってたという。
0305人間七七四年2011/07/04(月) 22:09:55.23ID:+dY1td9G
>>303
調略も上手いよ。
つか親父同様に信濃上野にまたがっていた、
海野氏ネットワークを活用するのが上手かった感じ。
戦術的には小国人にも負けることもあって神懸かり的てのは講談の中の話だな。
0306人間七七四年2011/07/04(月) 22:29:41.27ID:yqbWL3hA
>>300
織田軍の侵入にともない、武田領の伊奈、飯田方面は総崩れおこしているぞ。
続々と寝返って、高遠城も内部からの寝返りで開城…のはずだったが、不発。
強襲となった。
0307人間七七四年2011/07/05(火) 03:56:00.99ID:vFKc0TDW
>>304
なんかもう勝手気ままに武士の本懐遂げたって感じだな
信玄の息子として
確かに信盛の戦いぶりはあの甲州崩れの中では輝いてるけど
高遠城には勝頼が岩殿に落ち延びるって話は届いてたんだろうか?
もし知ってたなら信盛の役目はやはり持久戦だったと思うのだが
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