天正10年の武田攻めを語るスレ 3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2011/03/29(火) 22:15:05.50ID:w+Csi68Tわずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。
【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
0208人間七七四年
2011/06/07(火) 20:28:07.21ID:JCkLDcfv0209人間七七四年
2011/06/08(水) 00:07:43.72ID:l6yMEdloパッとしない逸話もあるけど、親父よりも史料に出てくるのは信豊のほうが
多いんじゃないか?勝頼期にはかなり重要な地位を占めてたようだし。
0210人間七七四年
2011/06/08(水) 14:38:37.48ID:mNyIJwYt上杉との同盟とかで取り次ぎ役してますね
0211人間七七四年
2011/06/08(水) 18:49:07.48ID:wRZw0qac0212人間七七四年
2011/06/08(水) 20:45:52.02ID:l6yMEdlo柴辻俊六氏は「なお議論の余地はあるが」後世のものだろうとし、最近ミネルヴァから
出た『武田勝頼』(笹本正治氏)でも特に考察はないけど、柴辻説を引用している。
0213人間七七四年
2011/06/13(月) 16:26:56.52ID:UyXCU9I30214人間七七四年
2011/06/13(月) 22:56:21.46ID:1/4phLNM0215人間七七四年
2011/06/14(火) 16:38:04.22ID:ojKfBNuMその後北条と手切れした理由は何?
甲相越で不戦条約的な事出来なかったんだろうか
0216人間七七四年
2011/06/14(火) 17:54:00.76ID:s2n0TdzE0218人間七七四年
2011/06/14(火) 21:55:20.54ID:iGYMMkt5敵の味方は敵ってことじゃねえの?
北条自身が落ち目の武田より織田と通じたいってのもあっただろうが(景虎支援に消極的だった一因でもあるかと)
0219人間七七四年
2011/06/14(火) 23:02:36.04ID:bk6x0T1g中途半端に侵略するより
佐竹で牽制も出来るし上杉も援軍少しは出すでしょ
0221人間七七四年
2011/06/15(水) 08:04:15.54ID:rztiUn68北条は織田にかなりの土下座外交してた。でも、織田にとっては
まともな同盟国としてみられていなかったようで、武田攻め後の仕置きでは
北条が攻め込んだ駿東 -> 徳川へ
北条が厩橋城などに圧力をかけた上野 -> 滝川一益
北武蔵、下総の国人衆 -> 滝川一益参りをしている
と言った具合で、恩賞がないどころか、傘下の国人衆を切り崩されている始末。
本能寺の変がなかったら、北条は伊豆・相模ぐらいまでしか
安堵されなかったんじゃないかという説もあるぐらい。
0222人間七七四年
2011/06/15(水) 20:37:23.97ID:CotAlGlJ0223人間七七四年
2011/06/15(水) 21:18:01.20ID:rztiUn68織田相手に土下座外交をしたのにも関わらずああだったのと、
秀吉が一貫して北条に敵対的だったのと、武田攻め前後に比べれば
北条もひょっとすると倍近くになるぐらいに巨大化したのと。
上野のごく一部と下野の一部と常陸以外の関東全域が勢力圏だし、
徳川・伊達とは同盟関係にあったし。
0224人間七七四年
2011/06/15(水) 22:01:32.33ID:ppDOYyp3あれだけ下手に出る外交政策が、短期でまとまったとは思えないよね。
交渉以前に、国内の意見を一致させるまでに、相当な時間がかかるはず。小田原評定の家だしw
武田と手切り後のあっという間の徳川・織田との提携を見るに、事前交渉が十分にあったとしか思えないわ。
0225人間七七四年
2011/06/15(水) 22:47:46.49ID:rztiUn68本能寺の変後の北条の動きもとんでもなく速い。
6月2日に本能寺の変だったけど、神流川の戦いはそのちょうど2週間後の
6月16日。しかも、そのたったの2週間で5万人以上動員。
0226人間七七四年
2011/06/16(木) 01:13:35.36ID:hYWOySOK武蔵付近なんて、関東制圧が悲願の北条にとって、いつかは必ず奪還すべく考えていた地だろうし、
元々地の利もあり、何か機会があれば、いつでも攻撃できるような計画くらいは事前にあったと思われる。
あと、5万はないよね、実際。
0227人間七七四年
2011/06/19(日) 19:38:04.51ID:U+dimFEq0228人間七七四年
2011/06/21(火) 15:44:50.92ID:iJT59+dx武田滅亡なんて夢にも思ってないから
事態の急展開に付いていけず
心構えなんて北条には無かったから織田の力が図れず動揺したんだと思う。
しかし秀吉の時は充分な時間が与えられていたからね。
しかも真田にちょっかい出したらあんなに秀吉がキレるとも思ってないから既成事実を作っちゃえとか条件闘争の交渉材料を作ろうとしただけでしょ。
それに長宗我部や島津は本領安堵されてるから反抗しても伊豆と相模くらいは安堵されんだろみたいな甘さもあったかも。
0229人間七七四年
2011/06/22(水) 08:29:46.80ID:N55rH6pS北条だけで籠城じゃ結局負けるのは当然というか
ただ信長の浅井・朝倉征伐以降それまでの常識を越えた侵攻スピードの戦いが起きてる事実を
北条が見誤ってたのは確かだろうね
0230人間七七四年
2011/06/22(水) 08:47:07.48ID:MzkmZ4/D尾張兵は弱兵だったっていう話だけど実際はよく訓練されてた気がする
やっぱ徳川史観で神君の活躍なくして、信長公の立身はなかった!っていうアレかね
0231人間七七四年
2011/06/22(水) 16:07:38.10ID:tCp2+ZIq0232人間七七四年
2011/06/22(水) 19:51:08.33ID:Lkfi/X4N小田原城は強襲で落城したことはないわけで
0233人間七七四年
2011/06/23(木) 03:28:57.55ID:I+ypMESY島津なら薩摩だし長宗我部なら土佐なわけだし一応
0234人間七七四年
2011/06/25(土) 18:19:26.14ID:YhxIh+Ck0235人間七七四年
2011/06/26(日) 00:35:08.54ID:0Y4sqilP0236人間七七四年
2011/06/26(日) 02:46:19.45ID:0Y4sqilP岩村城の救援に勝頼直卒3000くらいの兵で後詰めとかできなかったものか
信忠は若いから付け入る隙もありそうだが
ここで秋山だけでも救出していれば山県、馬場等を失った勝頼にとってだいぶ違ったと思うんだが
0237人間七七四年
2011/06/26(日) 08:05:10.36ID:BohoYIwTと言っておくだけで良かったと思うんだよね。
美濃・駿河を放棄して、北条に集中しても。
0238人間七七四年
2011/06/26(日) 10:35:05.46ID:B/UNEGWlこの時代占領地を放棄するのはかなり難しいんだろうけど
秋山って元々高遠城の城代だし勝頼とは何かと接点あるんだよな
0239人間七七四年
2011/06/26(日) 17:26:53.26ID:4thw/0eq0240人間七七四年
2011/06/26(日) 18:17:37.50ID:gaC6JBbb・北条との手切れ
・北条への対応で高天神への後詰もできず
・朝敵指定
・浅間山の大爆発
すべてがからんで滅ぶべくして滅んだ
0241人間七七四年
2011/06/26(日) 18:59:14.55ID:4thw/0eq0242人間七七四年
2011/06/26(日) 19:00:52.66ID:ga/FF0a0そうなんだ、そういうディテールって考え出すとちょっと面白いな
天井裏とかチェックする係いたんだろうなw
0243人間七七四年
2011/06/26(日) 19:09:08.11ID:gaC6JBbbと誰もが思っていたみたいな状況だったとのこと
0244人間七七四年
2011/06/26(日) 19:35:43.00ID:s7m1tUw+0245人間七七四年
2011/06/26(日) 20:59:30.98ID:We4wsB320246人間七七四年
2011/06/27(月) 01:59:37.74ID:wFFlaEZeむしろ信忠を若僧と思って舐めていたんじゃね?
勝頼はもちろん秋山も
長篠の余勢を駆って織田軍が岩村城に押し寄せてくるのは十分予想出来たのに何の手も打ってなかったし
0247人間七七四年
2011/06/27(月) 02:24:28.73ID:9zkiSGoG0248人間七七四年
2011/06/27(月) 02:30:19.45ID:G+JO8D9R0249人間七七四年
2011/06/27(月) 02:54:16.94ID:LhJR2B/B後詰めが出来ないのなら織田の軍勢が来ると知ったときにさっさと撤退させればよかったのにねえ
秋山が逆さ磔という惨めな最期になったのは完全に勝頼のせいだと思う
0250人間七七四年
2011/06/27(月) 08:57:47.56ID:ZLtJ7DmA木曽への牽制の意味でも、岩村は簡単には抜かせられない地だ。
いくら秋山が貴重でも、あそこで戦わずに撤退させることはできない。
0251人間七七四年
2011/06/27(月) 10:03:00.71ID:v4RAZJ0Mそこだよな
でもそうなら意地でも後詰めしなきゃいけないわけで
勝頼も御親類衆があてにならないことは長篠で嫌というほど思い知らされたんだから
直卒で救出に向かうべきだったと思う。
信忠の性格を考えると包囲を解いて撤退は考え辛いし
城には歴戦の秋山もいるわけで結構面白いことになりそう
ただ信忠を敗走させても信長が出てくるだろうし甲府〜岩村の距離考えると東美濃の維持は困難だわな
0252人間七七四年
2011/06/27(月) 10:19:00.72ID:TbppxpAX0253人間七七四年
2011/06/27(月) 10:43:13.01ID:v4RAZJ0M信長は当然勝利だと宣伝するだろうし武田の威信は失墜したかな
織田徳川が追撃した場合三増峠や三方原のように返り討ちにあってたかも知れないけど
0254人間七七四年
2011/06/27(月) 12:03:21.91ID:20Yt/Aev統制が効かない状態になったんじゃないかとも思える
信玄以来甲斐国内に多大な負担強いて他国に出兵して
ただでさえ不満がくすぶってたし
0255人間七七四年
2011/06/27(月) 20:54:53.70ID:B2qB3jt/恐ろしい軍事力だな
0256人間七七四年
2011/06/28(火) 08:23:22.31ID:jw1mxZER0257人間七七四年
2011/06/28(火) 18:31:35.25ID:nyHGQ9My長篠の被害そのものよりも、その後の政策による不信任のストレスが相次ぐ離反につながった気がする
逆に家臣団の寝返りがなければ、あの時点では、まだ滅びるところまではいかなかったかも
0258人間七七四年
2011/06/28(火) 20:07:36.33ID:Eulbf6GYそうは言ってもあの侵攻を内戦作戦で各個撃破するのはほぼ無理だろ信忠撃破しても信長が出張ってきてるし
0259人間七七四年
2011/06/28(火) 20:31:33.72ID:9LZ9ZN1B東は徳川に任せて放置が美濃を完全に確保して以降の基本方針だったんだし。
寝返りを前提に徳川が大規模侵攻を打診してきたので、乗っかったんだと思う。
0260人間七七四年
2011/06/28(火) 22:04:14.42ID:RbzJsQSg後回しにされていれば、本能寺みたいに何か激変して、生き延びられた可能性は高まるかねぇ。
0261人間七七四年
2011/06/28(火) 23:06:36.22ID:Hit98A2iしかし、木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で
かといって長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし
なんか、長篠で、ってか鳶ノ巣砦落とされた時点で、すでに詰んでたのかも
0262人間七七四年
2011/06/28(火) 23:44:26.31ID:7zjPHd4h>長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし
通説のように家臣団が開戦に反対してたなら、不満が高まるってことは無いのじゃないの?
出陣組、特に山県や馬場が反対組なら、まさか高坂ら居残り組が不満を言うわけないし
>木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で
木曽の寝返りの一因は新府築城だから、しなければ歴史は変わったかも
問題は穴山のほうで、あいつが裏切らなければ信濃で決戦くらいはできたやも
0263人間七七四年
2011/06/28(火) 23:52:52.35ID:Eulbf6GY織田、徳川、北条に完全に包囲されて後詰めも期待できないとなると・・・
どっちにしろ信長が死んでくれないことにはその内詰みそうだね
0264人間七七四年
2011/06/29(水) 06:51:54.35ID:dwjSUaGI上杉もそう簡単には墜ちないんじゃないかね。
後方で反乱起こしてる人はとりあえず押さえの軍を置いてりゃなんとかなるレベルだし。
武田が徳川に削りきられる前にどれだけ北条領を切り取って勢力確保できるか、
というチキンレースになりそうだな。
0265人間七七四年
2011/06/29(水) 07:50:29.21ID:tyJ5eHlK徳川が攻め寄せる度に甲信から軍勢出してたらキリがない
家康は勝頼が出てくれば逃げるんだし
ただどこかで徳川は叩いておかないといけないね
0266人間七七四年
2011/06/29(水) 09:28:31.08ID:QLnxVo05これちょっと意味分かんないですね
0267人間七七四年
2011/06/29(水) 09:56:35.33ID:hAYpXuqX勝頼としては決戦で家康を討ち取って状況打開するしかないのだけど、それがわかってる家康は避けた
長篠後でも徳川単独相手なら武田有利だったろうからね
遠征して救援に来る武田に対して、近所に出かける気分の徳川は一時的に引いても潜在的に相手城を囲み続けてるようなもの
0268人間七七四年
2011/06/29(水) 18:49:52.86ID:F48mnKPCそういった勝頼中心の政策をしないで、うまく家臣達の利権を守りつつ、領内を統治できていれば。
前スレの方がいうように織田徳川の大規模攻撃そのものが、あの時点では起きずに、歴史も変わっていた可能性はあるよね
0269人間七七四年
2011/06/29(水) 19:57:09.16ID:/rtb3IVuそれを行わないのなら、軍備再建できずに領地を削られ
最後にやはり大離脱と大侵攻くらって史実より早く滅亡することに
0270人間七七四年
2011/06/29(水) 20:13:46.92ID:ecxCEE4I好き勝手動かれたら史実より早くに潰れそうだ
というかそういうのは本来親父の信玄がやるべきだったんだろうけどな<中央集権化
0271人間七七四年
2011/06/29(水) 20:39:43.03ID:tfPyRMdg長篠で仮に見事撤退ができていればの仮定が成立するなら、
駿河は穴山でなく、山県の統率下にあったはずだから、寝返りの可能性は限りなく低くなる気がする。
0272人間七七四年
2011/06/29(水) 21:04:28.10ID:JpCFcYUxそもそも木曽がそこまで武田に義理立てなくてはいけない理由がわからない。
0273人間七七四年
2011/06/29(水) 21:23:34.66ID:tfPyRMdg武田への義理立てというより、木曽の家名や名誉的な意味で、最低な行いって方がウエイト大きいかと。
結果的に家を潰してしまっているのも、裏切った意味がなかったとなるし。
0274人間七七四年
2011/06/29(水) 23:28:54.28ID:5naOXnB0山県なら駿府の目の前まで徳川に削られることはなかっただろうね
>>272
一応一門扱いじゃなかったっけ?
0275人間七七四年
2011/06/29(水) 23:30:18.34ID:5naOXnB0因果応報と言うべきか
0276人間七七四年
2011/06/30(木) 07:01:16.08ID:T5oKB+8r0277人間七七四年
2011/06/30(木) 21:42:01.81ID:/RWhFZtj足利義昭が追放されて浅井、朝倉、長島一向宗が壊滅した以上あえて信長と対決する意味あったのかね?
信長と和睦したら勢力伸ばすには上杉正面しかないけどさ
信勝は織田と繋がりあるし上手く立ち回れば浅井亡き後美味しいポジション占められたような気もするんだが
0278人間七七四年
2011/06/30(木) 22:56:25.43ID:D6ild+6f0279人間七七四年
2011/06/30(木) 23:12:45.94ID:/RWhFZtjあのまま信長が死んでなかったら家康どうなったんだろ
0280人間七七四年
2011/07/01(金) 04:02:23.61ID:i/PR74kK畿内の勢力が概ね叩かれたからとりあえず本願寺勢力としては
畿内にいる織田主力を畿内の外へ誘き出す
↓
その間に畿内で反抗を試みる+各地の戦力の整理
↓
武田軍が織田軍に多少なり出血させれればラッキー
だった。
結果は主力が畿内から出でも余剰戦力のある織田軍になすすべ無し
武田軍、織田軍に出血もさせれず惨敗と悲惨な結果だけが残った。
0281人間七七四年
2011/07/01(金) 04:14:43.07ID:i/PR74kK流石に徳川に養子送り込んだりはしないと思うけど国替えくらいはあるかも?
っとは言っても移動する土地も1582年時じゃ限界あるからなぁ
九州は島津大友は恭順しめしてるし
北条は不信抱きつつも土下座外交してるし
伊達は奥州勢引き連れて揃って恭順だろうし
移動出来そうなのは
毛利領
上杉領
長宗我部領
肥後肥前等の空白地
くらいしか残ってない
0282人間七七四年
2011/07/01(金) 14:21:31.86ID:iuiBJB0G中国→九州に飛ばされるくらいは、余裕でありそうだ。
0283人間七七四年
2011/07/01(金) 18:41:47.38ID:F6qwAJKm0284人間七七四年
2011/07/01(金) 18:56:09.62ID:zD9MDftj0285人間七七四年
2011/07/01(金) 19:16:03.60ID:tLGv5XSs逆だろ。
山がちで盆地だから、国自体が一つの城みたいなもんだ。
実際、天正10年の武田攻め意外は全て攻め込んだ連中をさんざんに破ってる。
0286人間七七四年
2011/07/01(金) 19:36:43.04ID:T7ygIssd諏訪と北条には大敗している。
0287人間七七四年
2011/07/01(金) 22:23:56.73ID:i1lu/zPG武田は信玄以降籠城戦の経験は殆どないのに
0288人間七七四年
2011/07/02(土) 01:11:56.73ID:vNB6i56P新府城建設は穴山の進言で云々ってのがあるけど本当かいな、彼奴はいつから謀反の思惑があったのか、マッチポンプじゃないか
0289人間七七四年
2011/07/02(土) 06:28:00.04ID:z4i7F7E1武田の信濃支配の象徴で、遠江、三河への進出拠点である高遠城が敵の攻撃を受けて、あっさり落ちたんだから。信玄公が苦労して獲った信濃を放棄し、信玄公が何度も進撃していった棒道を逆に甲斐に向かって大軍が侵攻してくるという衝撃。
0290人間七七四年
2011/07/02(土) 09:22:41.41ID:/5mSY0/fあれあくまで甲州街道沿いに諏訪方面から攻め込んでくる前提なんだよな
穴山の裏切りで甲斐方面が動揺した時点で新府城の士気が崩壊したのも当然というか
勝頼的には元諏訪四郎だったことに何か期待でもしてたのかな?
0291人間七七四年
2011/07/03(日) 12:28:08.49ID:OA8BGNus防衛線を整理する
徳川方面に打って出る
浜松と岡崎城下を焼き払い青田刈り
家康が単独で決戦を挑むor信長に泣きついて織田徳川連合軍と決戦
勝頼も長篠とは違って慎重だから野戦陣地に突っ込むようなことはあり得ない
織田徳川連合軍4万vs武田軍2万
0292人間七七四年
2011/07/03(日) 14:20:50.24ID:CxTQ4FR30293人間七七四年
2011/07/03(日) 14:24:32.32ID:8glUSEBY0294人間七七四年
2011/07/03(日) 16:27:26.86ID:xA4wAry3真田昌幸
武田信豊
土屋昌恒?
もう勝頼が直接7000位率いてヒットエンドランやって徳川に嫌がらせするくらいしか
0297人間七七四年
2011/07/03(日) 23:38:18.61ID:QsRTvU1a0298人間七七四年
2011/07/04(月) 11:29:31.49ID:DZeAXI0X特に野戦なんて命令に手足の如く動き臨機応変に状況の変化に対応できる武将がいてこそでしょ
前備 武田信豊
本隊 武田勝頼 参謀 真田昌幸
右備え 武田信廉
左備え 武田信勝 土屋昌恒
予備 穴山信君
みたいなことになるよ
もちろん陣形はもっと複雑だけど
もう木曽とか御坂峠とか峠防御専門にしか使えなさそう
0299人間七七四年
2011/07/04(月) 15:58:37.33ID:+dY1td9G0300人間七七四年
2011/07/04(月) 19:56:56.00ID:Giue8ddF高橋招運の岩屋城はたった763人の兵で島津三万に対して半月粘り、島津の兵を数千道連れにした。
長篠の奥平は兵500で勝頼一万五千に対して一ヶ月も粘ってついに落ちなかった。
長谷堂城の志村は兵1000で二万の上杉を退けた。
それに比べると仁科はあまりに情けなさすぎる。
どこが奮戦なのかさっぱりわからない。
0301人間七七四年
2011/07/04(月) 21:24:25.66ID:fg4r0nSx0302人間七七四年
2011/07/04(月) 21:45:17.49ID:7XeAmro4確かに…時間的には田野の戦とあんま変わらんな
高遠城は籠城戦には向いてないのか
バンザイ突撃したのか
仁科は嫌いじゃないからあんま悪口は言いたくないけど、半日で落城はちょっとな
シンデレラ城でも落城しなさそう
0303人間七七四年
2011/07/04(月) 22:01:30.19ID:QDsFM5vH上野方面担当は真田でしょ
昌幸って戦術的には神懸かり的だけど調略部分ではどうだったんだろうか
親父は調略のプロだったけど
0304人間七七四年
2011/07/04(月) 22:04:59.69ID:+dY1td9G兵力差からしてどうせ一日で落ちるなら信忠の首とってやんよって事。
突撃して織田の一族の首とったりもしたけど、力及ばず。
しかも信忠は本陣に居なくて総大将なのに絡めてで前線指揮とってたという。
0305人間七七四年
2011/07/04(月) 22:09:55.23ID:+dY1td9G調略も上手いよ。
つか親父同様に信濃上野にまたがっていた、
海野氏ネットワークを活用するのが上手かった感じ。
戦術的には小国人にも負けることもあって神懸かり的てのは講談の中の話だな。
0306人間七七四年
2011/07/04(月) 22:29:41.27ID:yqbWL3hA織田軍の侵入にともない、武田領の伊奈、飯田方面は総崩れおこしているぞ。
続々と寝返って、高遠城も内部からの寝返りで開城…のはずだったが、不発。
強襲となった。
0307人間七七四年
2011/07/05(火) 03:56:00.99ID:vFKc0TDWなんかもう勝手気ままに武士の本懐遂げたって感じだな
信玄の息子として
確かに信盛の戦いぶりはあの甲州崩れの中では輝いてるけど
高遠城には勝頼が岩殿に落ち延びるって話は届いてたんだろうか?
もし知ってたなら信盛の役目はやはり持久戦だったと思うのだが
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています