天正10年の武田攻めを語るスレ 3
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0001人間七七四年
2011/03/29(火) 22:15:05.50ID:w+Csi68Tわずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。
【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
0177人間七七四年
2011/05/31(火) 07:12:46.27ID:Nw8xLJ2Y0178人間七七四年
2011/05/31(火) 10:29:35.22ID:YAycwTAH本来なら長兄信綱嫡男、つまり幸隆嫡孫に家督が回るべきでしょ
ちなみに次兄昌輝にも男子はいます
勝頼と昌幸のウマがあったかはわからんが、武田・真田家中が昌幸家督を許す環境だったのは確か
0179人間七七四年
2011/05/31(火) 11:44:05.39ID:ugjK/MLH0182人間七七四年
2011/05/31(火) 12:37:02.21ID:7p2Ytw77岩櫃城代を真田にそのまま任せようとすれば昌幸が継ぐしかない
0185人間七七四年
2011/05/31(火) 13:10:44.54ID:CLfiSSDMそっか
ま、真田信勝も逐電したとか斬殺されたとかで、はかばかしい活躍もなかったのではありまするが
0186人間七七四年
2011/05/31(火) 13:52:53.36ID:7p2Ytw77武田に義理立てというかどうか
0187人間七七四年
2011/05/31(火) 20:15:50.16ID:boRkwwnl一発逆転狙うなら、あの直接対決しかなかったとはいえ。
0189人間七七四年
2011/05/31(火) 21:36:05.66ID:boRkwwnl次ぐにふさわしい年齢の弟やらがいたという話は知らないが。
0190人間七七四年
2011/05/31(火) 21:46:14.89ID:YAycwTAH年齢だけなら継いでもおかしくない弟が二人いたが、そいつらも養子に出されてるから昌幸には勝てんな
0192人間七七四年
2011/06/01(水) 04:50:12.60ID:WlKNlNAQhttp://katsuyoritosa.web.fc2.com/
武田勝頼土佐の会
こんなのあるんだ
0193人間七七四年
2011/06/01(水) 19:59:12.93ID:ZZMtl5FY恥ずかしくないのかね?
0194人間七七四年
2011/06/01(水) 21:11:47.38ID:gd6fLZag0195人間七七四年
2011/06/01(水) 22:42:20.97ID:aGb+A7cm本家ですら信玄や昌幸の血は引いてないからなあ
0196人間七七四年
2011/06/01(水) 23:04:15.35ID:87nnkfyf0197人間七七四年
2011/06/01(水) 23:42:22.18ID:je6rhpet昌幸の場合、竜朱印状の奏者をつとめたこともあるなど、若いころから武田氏のそば近くにあったわけだし、
彼が真田氏を継ぐほうが勝頼にとってもプラスとなる面は多いだろう。
馬があったかどうかは別としても勝頼は真田昌幸を重用しているな。
>>195
国持クラスの大名ですら藩祖の血を引いていないケースもあるくらいだしな。
0200人間七七四年
2011/06/03(金) 20:36:00.74ID:KoLFIYsE0201人間七七四年
2011/06/03(金) 20:40:27.19ID:BSV5TAKDやるなら穴山とつるんどけよと
0202人間七七四年
2011/06/03(金) 22:05:54.23ID:oalE/xZZ0203人間七七四年
2011/06/03(金) 22:08:23.86ID:7RZn+vP6しかし、小山田信茂の家臣に阻まれ、やむなく今度は田野へ抜ける大菩薩峠を目指し武州の北嶺を越えようとした。
が、ここも北条軍らに遮られ追撃を受けてしまう。
詮なく、武州の箱根ヶ崎に撤退し様子を見ようとしたところ、今度は別の北条軍に攻められ、ついに一族は勝頼の安否不明のまま滅んでしまったといわれている。
武州上野原の豪族加藤丹後守信景一族
0204人間七七四年
2011/06/03(金) 23:08:42.15ID:DoKn+9f0言い訳家譜じゃなくて滅んでるのか、せつないな
0205人間七七四年
2011/06/04(土) 03:26:47.12ID:woohBj7h負けるにしろ
0206人間七七四年
2011/06/04(土) 03:58:29.29ID:kwlR9GBJ0207人間七七四年
2011/06/07(火) 13:17:27.99ID:/8LKQLBW0208人間七七四年
2011/06/07(火) 20:28:07.21ID:JCkLDcfv0209人間七七四年
2011/06/08(水) 00:07:43.72ID:l6yMEdloパッとしない逸話もあるけど、親父よりも史料に出てくるのは信豊のほうが
多いんじゃないか?勝頼期にはかなり重要な地位を占めてたようだし。
0210人間七七四年
2011/06/08(水) 14:38:37.48ID:mNyIJwYt上杉との同盟とかで取り次ぎ役してますね
0211人間七七四年
2011/06/08(水) 18:49:07.48ID:wRZw0qac0212人間七七四年
2011/06/08(水) 20:45:52.02ID:l6yMEdlo柴辻俊六氏は「なお議論の余地はあるが」後世のものだろうとし、最近ミネルヴァから
出た『武田勝頼』(笹本正治氏)でも特に考察はないけど、柴辻説を引用している。
0213人間七七四年
2011/06/13(月) 16:26:56.52ID:UyXCU9I30214人間七七四年
2011/06/13(月) 22:56:21.46ID:1/4phLNM0215人間七七四年
2011/06/14(火) 16:38:04.22ID:ojKfBNuMその後北条と手切れした理由は何?
甲相越で不戦条約的な事出来なかったんだろうか
0216人間七七四年
2011/06/14(火) 17:54:00.76ID:s2n0TdzE0218人間七七四年
2011/06/14(火) 21:55:20.54ID:iGYMMkt5敵の味方は敵ってことじゃねえの?
北条自身が落ち目の武田より織田と通じたいってのもあっただろうが(景虎支援に消極的だった一因でもあるかと)
0219人間七七四年
2011/06/14(火) 23:02:36.04ID:bk6x0T1g中途半端に侵略するより
佐竹で牽制も出来るし上杉も援軍少しは出すでしょ
0221人間七七四年
2011/06/15(水) 08:04:15.54ID:rztiUn68北条は織田にかなりの土下座外交してた。でも、織田にとっては
まともな同盟国としてみられていなかったようで、武田攻め後の仕置きでは
北条が攻め込んだ駿東 -> 徳川へ
北条が厩橋城などに圧力をかけた上野 -> 滝川一益
北武蔵、下総の国人衆 -> 滝川一益参りをしている
と言った具合で、恩賞がないどころか、傘下の国人衆を切り崩されている始末。
本能寺の変がなかったら、北条は伊豆・相模ぐらいまでしか
安堵されなかったんじゃないかという説もあるぐらい。
0222人間七七四年
2011/06/15(水) 20:37:23.97ID:CotAlGlJ0223人間七七四年
2011/06/15(水) 21:18:01.20ID:rztiUn68織田相手に土下座外交をしたのにも関わらずああだったのと、
秀吉が一貫して北条に敵対的だったのと、武田攻め前後に比べれば
北条もひょっとすると倍近くになるぐらいに巨大化したのと。
上野のごく一部と下野の一部と常陸以外の関東全域が勢力圏だし、
徳川・伊達とは同盟関係にあったし。
0224人間七七四年
2011/06/15(水) 22:01:32.33ID:ppDOYyp3あれだけ下手に出る外交政策が、短期でまとまったとは思えないよね。
交渉以前に、国内の意見を一致させるまでに、相当な時間がかかるはず。小田原評定の家だしw
武田と手切り後のあっという間の徳川・織田との提携を見るに、事前交渉が十分にあったとしか思えないわ。
0225人間七七四年
2011/06/15(水) 22:47:46.49ID:rztiUn68本能寺の変後の北条の動きもとんでもなく速い。
6月2日に本能寺の変だったけど、神流川の戦いはそのちょうど2週間後の
6月16日。しかも、そのたったの2週間で5万人以上動員。
0226人間七七四年
2011/06/16(木) 01:13:35.36ID:hYWOySOK武蔵付近なんて、関東制圧が悲願の北条にとって、いつかは必ず奪還すべく考えていた地だろうし、
元々地の利もあり、何か機会があれば、いつでも攻撃できるような計画くらいは事前にあったと思われる。
あと、5万はないよね、実際。
0227人間七七四年
2011/06/19(日) 19:38:04.51ID:U+dimFEq0228人間七七四年
2011/06/21(火) 15:44:50.92ID:iJT59+dx武田滅亡なんて夢にも思ってないから
事態の急展開に付いていけず
心構えなんて北条には無かったから織田の力が図れず動揺したんだと思う。
しかし秀吉の時は充分な時間が与えられていたからね。
しかも真田にちょっかい出したらあんなに秀吉がキレるとも思ってないから既成事実を作っちゃえとか条件闘争の交渉材料を作ろうとしただけでしょ。
それに長宗我部や島津は本領安堵されてるから反抗しても伊豆と相模くらいは安堵されんだろみたいな甘さもあったかも。
0229人間七七四年
2011/06/22(水) 08:29:46.80ID:N55rH6pS北条だけで籠城じゃ結局負けるのは当然というか
ただ信長の浅井・朝倉征伐以降それまでの常識を越えた侵攻スピードの戦いが起きてる事実を
北条が見誤ってたのは確かだろうね
0230人間七七四年
2011/06/22(水) 08:47:07.48ID:MzkmZ4/D尾張兵は弱兵だったっていう話だけど実際はよく訓練されてた気がする
やっぱ徳川史観で神君の活躍なくして、信長公の立身はなかった!っていうアレかね
0231人間七七四年
2011/06/22(水) 16:07:38.10ID:tCp2+ZIq0232人間七七四年
2011/06/22(水) 19:51:08.33ID:Lkfi/X4N小田原城は強襲で落城したことはないわけで
0233人間七七四年
2011/06/23(木) 03:28:57.55ID:I+ypMESY島津なら薩摩だし長宗我部なら土佐なわけだし一応
0234人間七七四年
2011/06/25(土) 18:19:26.14ID:YhxIh+Ck0235人間七七四年
2011/06/26(日) 00:35:08.54ID:0Y4sqilP0236人間七七四年
2011/06/26(日) 02:46:19.45ID:0Y4sqilP岩村城の救援に勝頼直卒3000くらいの兵で後詰めとかできなかったものか
信忠は若いから付け入る隙もありそうだが
ここで秋山だけでも救出していれば山県、馬場等を失った勝頼にとってだいぶ違ったと思うんだが
0237人間七七四年
2011/06/26(日) 08:05:10.36ID:BohoYIwTと言っておくだけで良かったと思うんだよね。
美濃・駿河を放棄して、北条に集中しても。
0238人間七七四年
2011/06/26(日) 10:35:05.46ID:B/UNEGWlこの時代占領地を放棄するのはかなり難しいんだろうけど
秋山って元々高遠城の城代だし勝頼とは何かと接点あるんだよな
0239人間七七四年
2011/06/26(日) 17:26:53.26ID:4thw/0eq0240人間七七四年
2011/06/26(日) 18:17:37.50ID:gaC6JBbb・北条との手切れ
・北条への対応で高天神への後詰もできず
・朝敵指定
・浅間山の大爆発
すべてがからんで滅ぶべくして滅んだ
0241人間七七四年
2011/06/26(日) 18:59:14.55ID:4thw/0eq0242人間七七四年
2011/06/26(日) 19:00:52.66ID:ga/FF0a0そうなんだ、そういうディテールって考え出すとちょっと面白いな
天井裏とかチェックする係いたんだろうなw
0243人間七七四年
2011/06/26(日) 19:09:08.11ID:gaC6JBbbと誰もが思っていたみたいな状況だったとのこと
0244人間七七四年
2011/06/26(日) 19:35:43.00ID:s7m1tUw+0245人間七七四年
2011/06/26(日) 20:59:30.98ID:We4wsB320246人間七七四年
2011/06/27(月) 01:59:37.74ID:wFFlaEZeむしろ信忠を若僧と思って舐めていたんじゃね?
勝頼はもちろん秋山も
長篠の余勢を駆って織田軍が岩村城に押し寄せてくるのは十分予想出来たのに何の手も打ってなかったし
0247人間七七四年
2011/06/27(月) 02:24:28.73ID:9zkiSGoG0248人間七七四年
2011/06/27(月) 02:30:19.45ID:G+JO8D9R0249人間七七四年
2011/06/27(月) 02:54:16.94ID:LhJR2B/B後詰めが出来ないのなら織田の軍勢が来ると知ったときにさっさと撤退させればよかったのにねえ
秋山が逆さ磔という惨めな最期になったのは完全に勝頼のせいだと思う
0250人間七七四年
2011/06/27(月) 08:57:47.56ID:ZLtJ7DmA木曽への牽制の意味でも、岩村は簡単には抜かせられない地だ。
いくら秋山が貴重でも、あそこで戦わずに撤退させることはできない。
0251人間七七四年
2011/06/27(月) 10:03:00.71ID:v4RAZJ0Mそこだよな
でもそうなら意地でも後詰めしなきゃいけないわけで
勝頼も御親類衆があてにならないことは長篠で嫌というほど思い知らされたんだから
直卒で救出に向かうべきだったと思う。
信忠の性格を考えると包囲を解いて撤退は考え辛いし
城には歴戦の秋山もいるわけで結構面白いことになりそう
ただ信忠を敗走させても信長が出てくるだろうし甲府〜岩村の距離考えると東美濃の維持は困難だわな
0252人間七七四年
2011/06/27(月) 10:19:00.72ID:TbppxpAX0253人間七七四年
2011/06/27(月) 10:43:13.01ID:v4RAZJ0M信長は当然勝利だと宣伝するだろうし武田の威信は失墜したかな
織田徳川が追撃した場合三増峠や三方原のように返り討ちにあってたかも知れないけど
0254人間七七四年
2011/06/27(月) 12:03:21.91ID:20Yt/Aev統制が効かない状態になったんじゃないかとも思える
信玄以来甲斐国内に多大な負担強いて他国に出兵して
ただでさえ不満がくすぶってたし
0255人間七七四年
2011/06/27(月) 20:54:53.70ID:B2qB3jt/恐ろしい軍事力だな
0256人間七七四年
2011/06/28(火) 08:23:22.31ID:jw1mxZER0257人間七七四年
2011/06/28(火) 18:31:35.25ID:nyHGQ9My長篠の被害そのものよりも、その後の政策による不信任のストレスが相次ぐ離反につながった気がする
逆に家臣団の寝返りがなければ、あの時点では、まだ滅びるところまではいかなかったかも
0258人間七七四年
2011/06/28(火) 20:07:36.33ID:Eulbf6GYそうは言ってもあの侵攻を内戦作戦で各個撃破するのはほぼ無理だろ信忠撃破しても信長が出張ってきてるし
0259人間七七四年
2011/06/28(火) 20:31:33.72ID:9LZ9ZN1B東は徳川に任せて放置が美濃を完全に確保して以降の基本方針だったんだし。
寝返りを前提に徳川が大規模侵攻を打診してきたので、乗っかったんだと思う。
0260人間七七四年
2011/06/28(火) 22:04:14.42ID:RbzJsQSg後回しにされていれば、本能寺みたいに何か激変して、生き延びられた可能性は高まるかねぇ。
0261人間七七四年
2011/06/28(火) 23:06:36.22ID:Hit98A2iしかし、木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で
かといって長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし
なんか、長篠で、ってか鳶ノ巣砦落とされた時点で、すでに詰んでたのかも
0262人間七七四年
2011/06/28(火) 23:44:26.31ID:7zjPHd4h>長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし
通説のように家臣団が開戦に反対してたなら、不満が高まるってことは無いのじゃないの?
出陣組、特に山県や馬場が反対組なら、まさか高坂ら居残り組が不満を言うわけないし
>木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で
木曽の寝返りの一因は新府築城だから、しなければ歴史は変わったかも
問題は穴山のほうで、あいつが裏切らなければ信濃で決戦くらいはできたやも
0263人間七七四年
2011/06/28(火) 23:52:52.35ID:Eulbf6GY織田、徳川、北条に完全に包囲されて後詰めも期待できないとなると・・・
どっちにしろ信長が死んでくれないことにはその内詰みそうだね
0264人間七七四年
2011/06/29(水) 06:51:54.35ID:dwjSUaGI上杉もそう簡単には墜ちないんじゃないかね。
後方で反乱起こしてる人はとりあえず押さえの軍を置いてりゃなんとかなるレベルだし。
武田が徳川に削りきられる前にどれだけ北条領を切り取って勢力確保できるか、
というチキンレースになりそうだな。
0265人間七七四年
2011/06/29(水) 07:50:29.21ID:tyJ5eHlK徳川が攻め寄せる度に甲信から軍勢出してたらキリがない
家康は勝頼が出てくれば逃げるんだし
ただどこかで徳川は叩いておかないといけないね
0266人間七七四年
2011/06/29(水) 09:28:31.08ID:QLnxVo05これちょっと意味分かんないですね
0267人間七七四年
2011/06/29(水) 09:56:35.33ID:hAYpXuqX勝頼としては決戦で家康を討ち取って状況打開するしかないのだけど、それがわかってる家康は避けた
長篠後でも徳川単独相手なら武田有利だったろうからね
遠征して救援に来る武田に対して、近所に出かける気分の徳川は一時的に引いても潜在的に相手城を囲み続けてるようなもの
0268人間七七四年
2011/06/29(水) 18:49:52.86ID:F48mnKPCそういった勝頼中心の政策をしないで、うまく家臣達の利権を守りつつ、領内を統治できていれば。
前スレの方がいうように織田徳川の大規模攻撃そのものが、あの時点では起きずに、歴史も変わっていた可能性はあるよね
0269人間七七四年
2011/06/29(水) 19:57:09.16ID:/rtb3IVuそれを行わないのなら、軍備再建できずに領地を削られ
最後にやはり大離脱と大侵攻くらって史実より早く滅亡することに
0270人間七七四年
2011/06/29(水) 20:13:46.92ID:ecxCEE4I好き勝手動かれたら史実より早くに潰れそうだ
というかそういうのは本来親父の信玄がやるべきだったんだろうけどな<中央集権化
0271人間七七四年
2011/06/29(水) 20:39:43.03ID:tfPyRMdg長篠で仮に見事撤退ができていればの仮定が成立するなら、
駿河は穴山でなく、山県の統率下にあったはずだから、寝返りの可能性は限りなく低くなる気がする。
0272人間七七四年
2011/06/29(水) 21:04:28.10ID:JpCFcYUxそもそも木曽がそこまで武田に義理立てなくてはいけない理由がわからない。
0273人間七七四年
2011/06/29(水) 21:23:34.66ID:tfPyRMdg武田への義理立てというより、木曽の家名や名誉的な意味で、最低な行いって方がウエイト大きいかと。
結果的に家を潰してしまっているのも、裏切った意味がなかったとなるし。
0274人間七七四年
2011/06/29(水) 23:28:54.28ID:5naOXnB0山県なら駿府の目の前まで徳川に削られることはなかっただろうね
>>272
一応一門扱いじゃなかったっけ?
0275人間七七四年
2011/06/29(水) 23:30:18.34ID:5naOXnB0因果応報と言うべきか
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