天正10年の武田攻めを語るスレ 3
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0001人間七七四年
2011/03/29(火) 22:15:05.50ID:w+Csi68Tわずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。
【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
0002人間七七四年
2011/03/29(火) 22:22:40.44ID:P3ML0tNu0003人間七七四年
2011/03/29(火) 23:57:46.43ID:pEFaANH70004人間七七四年
2011/03/30(水) 01:23:54.92ID:B0nHoH7N0005人間七七四年
2011/03/30(水) 08:16:17.16ID:AGjKsruB情勢無視で織田勢フルボッコ厨とか萎えるもんばっかだったし
初期の人たち帰ってこないべか
0006人間七七四年
2011/03/30(水) 08:54:30.03ID:KvRyi3EV足軽大将の城織部正が進言した。
「まず二万人のうち5千人をそれがしと横田甚五郎にお預け下されなば、一番合戦を
つかまつってごいす。また五千人を小山田八左衛門と初鹿野伝右衛門にお預け下され、
二番合戦をやらせ給うべし。
残る一万余人は小山田部衛尉、真田安房守、小幡上総介に指図させ、御旗本集とひとつに
なり九死一生の戦をなされませ。平場の合戦なれば、味方一人にて上方勢十人をあしらい
申しますれば、一応は切り崩しまする。御最期の合戦をば見事になされてのち、すみやかに
御生害あって然るべしと存じてごいす」
0007人間七七四年
2011/03/30(水) 08:57:21.44ID:KvRyi3EV正:小山田兵衛尉
0008人間七七四年
2011/03/31(木) 10:39:28.15ID:Sbw9jA04あしたの露と消え果つるとも
「湖衣姫・北条夫人」募集 武田勝頼公まつり 山梨
2011.2.26 02:11
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110226/ymn11022602110002-n1.htm
戦国武将、武田勝頼が自刃した武田家終焉(しゅうえん)の地の甲州市(旧大和村)で4月24日に開かれる「第46回甲州市ふるさと武田勝頼公まつり」
の実行委員会が、「勝頼公軍団」として武者や女武者に扮(ふん)する出演者を募集している。
甲冑(かっちゅう)姿の武者、着物に身を包んだ姫らの姿が戦国ロマンを彷彿(ほうふつ)とさせるまつりで勝頼一族の霊を慰め、遺徳をしのぶ。
0009人間七七四年
2011/04/05(火) 19:00:52.52ID:pbors8F60010人間七七四年
2011/04/05(火) 19:19:46.57ID:NyVLDIfe0011人間七七四年
2011/04/05(火) 20:22:00.33ID:0KPzNlLb0012人間七七四年
2011/04/05(火) 21:03:21.50ID:394tFq57「戦国武陣侠」とかいろいろ。
0013人間七七四年
2011/04/05(火) 22:40:58.36ID:NbWSP5viデタラメばっかり書いてきて
ことごとく論破されて涙目の織田厨哀れだったよなw
0014人間七七四年
2011/04/06(水) 07:36:57.84ID:GblM5TRo0015人間七七四年
2011/04/06(水) 08:04:10.30ID:A3MyHMRM0016人間七七四年
2011/04/06(水) 16:35:38.45ID:GblM5TRo0017人間七七四年
2011/04/07(木) 07:21:24.98ID:hdmkpGKg勝頼に殉じた土屋昌恒の嫡男は家康によって取り立てられ、二万石の大名にまで出世した。
土屋昌恒の死は無駄死にではなかった。後に、土屋家は老中を輩出するなど栄えた。
天目山での土屋昌恒の最期には諸説あるが、「士は子孫のために死す」とは、まさに土屋昌恒の為にあるような言葉だ。
なお、ドラマに何十回も描かれた赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際の土屋家の判断は、どのドラマを見てもお見事としか言いようがない。
私は子供のころ、ドラマで赤穂浪士を見るたびに、てっきり土屋家は三河譜代の徳川の家臣だろうと勝手に思い込んでいた。
土屋惣蔵昌恒の子孫と知ったのは昭和末期だった(恥)
0018人間七七四年
2011/04/07(木) 08:02:40.11ID:9pliNDpM0019人間七七四年
2011/04/08(金) 09:56:13.28ID:3gxvaJ3I戦う前に組織自体が崩壊してたように感じるね
0020人間七七四年
2011/04/08(金) 14:49:39.47ID:bGDO/RIh真田幸隆が死んだのが痛かったな
0021人間七七四年
2011/04/08(金) 18:39:58.86ID:fTkIVdTS真田が配下になるまではそんな感じだったような
0022人間七七四年
2011/04/08(金) 19:12:00.49ID:VvgPg4X90023人間七七四年
2011/04/09(土) 01:11:38.85ID:bbXGsoRm武田が織田をやるのは無理だろうね
0024人間七七四年
2011/04/09(土) 01:15:30.08ID:5aFIU0KU0026人間七七四年
2011/04/09(土) 01:37:42.81ID:sAHyZ3dB降伏を受け入れない提案をしてその場合武田家がどうなるかという
内容を記していたがこれが先を完全に読み切っているのに驚いた。
史実はその通りになってる。こういう相手と戦わなければならなかった
勝頼は気の毒だ。
0027人間七七四年
2011/04/10(日) 17:22:48.87ID:I0E4rtlB0028人間七七四年
2011/04/11(月) 13:53:43.82ID:sBw2f6wb0029人間七七四年
2011/04/11(月) 14:34:11.28ID:HS/aAeH+調略される側が、宗家争い家督争いとか内部に問題が生じてる時に行う例が多いな。
0030人間七七四年
2011/04/13(水) 14:01:52.84ID:myu05vCG鴨川 達夫 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4004310652
この本を読めば、現存する史料 (戦国大名が発給した文書はその最たるもの) で判
断する限り、武田家も、他の大名家も、武田家の家督は信玄から勝頼に継承され
た、という以外の認識はしていない、という「当たり前のこと」が分かります。
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1459809284
0031人間七七四年
2011/04/14(木) 09:55:58.92ID:bLIbSto9朝倉も信長にやられてるw
朝倉の裏切りは毎年の戦で疲弊して不満が高まって内部崩壊
勝頼と似てる
0032人間七七四年
2011/04/14(木) 15:04:07.93ID:gs43Ulx00033人間七七四年
2011/04/14(木) 17:15:06.97ID:cxEPepBj武士=忠義みたいなイメージを持ちすぎじゃね?
まだ戦国時代なんだから
0034人間七七四年
2011/04/14(木) 17:49:02.43ID:INOULJNg大友とかもそんな感じだが秀吉間に合っちゃった
信長は降伏できない感たっぷりだから起きやすいんだろう
0036人間七七四年
2011/04/15(金) 20:53:44.40ID:uidLIzIQ義景は寺で切腹できたが、勝頼は山中で飢えと疲労で討ち死に。
武田滅亡の方が派手だな。
0037人間七七四年
2011/04/15(金) 21:12:35.25ID:ogAOrEZS勝頼は確かに陣代じゃない。
しかし、『甲陽軍鑑』をもとにした多くの小説、ドラマ、映画の影響により、「勝頼は陣代だった」ということを信じ切っている人たちが今でも大半だと思う。
極めつけは映画『影武者』。勝頼が陣代だったという設定により、面白い映画となった。
ちなみに映画『影武者』で信玄の影武者が「動くな!」というシーンが名場面となり、年末の民放各局の番組で何度も流されていた(懐かしいなぁ・・・)。
0038人間七七四年
2011/04/16(土) 19:12:32.48ID:0gg8VM0r>甲陽軍艦にそのように記載されていること「のみ」を根拠にしています。
>甲陽軍艦は、歴史家が信頼できる史料と認めるものではないので、
>歴史家の立場からは「勝頼は信勝の陣代説」なるものは『存在しない』ことになります。
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1459809284
0039人間七七四年
2011/04/17(日) 01:53:09.22ID:2dn054k+「例式四郎、左馬助信豊聊爾故、無紋に城へ責め登り候、まことに恐怖候の処、不思議に乗り崩し候」
〜〜〜四郎勝頼は左馬介信豊と先頭に立って城へ攻めかけ、北条新三郎、清水、笠原、
狩野介などを悉く討ち取ったが、味方には一人の死傷者もなかった。
四郎勝頼は、攻撃の総大将であるにも拘らず、軍勢の先頭に立って攻め込んだのは、
無謀であり思慮なき行動である。恐れを知らぬということは幸いなものだ、
思いがけなく勝利を得ているのだから〜〜〜信玄
0040人間七七四年
2011/04/19(火) 20:56:40.41ID:ydFNuNmR0041人間七七四年
2011/04/23(土) 01:16:18.77ID:ryPSoubk0042人間七七四年
2011/04/30(土) 03:22:13.58ID:pTzxUrzJ駿河>信濃>甲斐
甲斐にこだわったのが失敗
0043人間七七四年
2011/04/30(土) 05:24:48.12ID:dUs0NIor0044人間七七四年
2011/04/30(土) 06:22:22.32ID:l+9f9hVG石高で言えば、信濃40万石・甲斐25万石・駿河15万石(・上野50万石)だけどな
金山や海運があるから一律には比べられんけど
0045人間七七四年
2011/04/30(土) 12:20:51.34ID:c7YiqVTm勝頼は必要以上に貶められすぎ
まぁ長篠以降の精細の無さは異常だけど
0046人間七七四年
2011/04/30(土) 13:19:40.21ID:fLq5qIEAでもそれが維持出来ないとあんまり意味ないような気も。。。。
武将としては一流だったのだからお兄ちゃんが生きてれば自分の器内で
さぞかし活躍が出来たろうに。
勝頼は外交センスの無さと戦略の拙さが大名としては致命的欠陥。
0048人間七七四年
2011/04/30(土) 22:22:03.33ID:pTzxUrzJ献花や舞奉納し武田勝頼を供養
甲州・景徳院で「慰霊法要」
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2011/04/25/10.html
武田勝頼の菩提(ぼだい)寺「景徳院」(甲州市大和町田野)で24日、
勝頼と武田家臣を供養する「慰霊法要」が行われた。
同寺には勝頼と家臣の墓があり、法要は例年、大和地区の一大イベント「武田勝頼公まつり」に合わせて実施してきた。
今年は東日本大震災を受けて祭りは中止して、法要だけとした。
檀家だんからが参加して勝頼の墓に献花。この後、地元・大和中の女子生徒ら10人が「巫女の舞」を奉納した。
同寺の平山金吾総代長は「祭りは中止になったが、法要は例年通り実施できて良かった。地域の伝統は絶やさないようにしたい」と話していた。
0049人間七七四年
2011/04/30(土) 23:57:02.79ID:ZuEZKD5m0050人間七七四年
2011/05/04(水) 06:19:48.83ID:BcY4FB00願文を納めたのは二月十九日のことである。
うやまって申し。
祈願のこと。
南無帰命頂礼八幡大菩薩、
この国の本主として武田の太郎と号せしより此かた、代々護り給ふ、
ここに不慮の逆臣出きたって国家を悩ます。
よって、勝頼運を天道にまかせ、命を軽んして敵陣にむかう。
しかりといへども、士卒利を得ざる間、その心まちまちたり。
なんぞ木曽義昌若干の神慮をむなしくし、
身の父母を捨てて、奇兵を起こす。これ自らの母を害するなり。
なかんずく勝頼累代重恩の輩、逆臣と心を一つにしてまちまちに覆さんとする。
万民の悩乱、仏法の妨げならずや。
そもそも、勝頼いかでか悪心ならんや。
思いの焔天にあがり、瞋恚なお深からん。
われもここにして相共に悲しむ。
涙らんかんたり。
神慮天命まことあらば、五逆十逆たるたぐい、諸天かりそめにも加護あらじ。
この時に至って神心。私なく渇仰胆に銘ず。かなしきかな。
神慮まことあらば、運命この時にいたるとも、
願わくば霊神力をあわせて、
勝つ事を勝頼一しに告げしめたまい、
仇を四方に退けん。
兵乱却って命を開き、寿命重遠子孫繁昌の事。
右の大願成就ならば、勝頼、われと共に社檀みがきたて回廊建立の事。
敬って申し。
天正十年二月十九日
みなもと勝頼うち
0051人間七七四年
2011/05/04(水) 07:06:33.71ID:KNqdciPkそうすれば勝頼も上杉領まで逃げ切れたかも知れないのに
0052人間七七四年
2011/05/04(水) 10:58:25.30ID:6Dqo6EP40053人間七七四年
2011/05/07(土) 21:22:18.27ID:ZVBQpBqx0054人間七七四年
2011/05/09(月) 12:49:30.40ID:26Q+5Rs20055人間七七四年
2011/05/10(火) 23:25:12.79ID:ATQMmuLLそれは無理、家康は謙信と同盟済み。信長のように国境を接していないので極めて良好な間柄
勝頼がつけ込む隙がない。
0056人間七七四年
2011/05/11(水) 22:12:35.33ID:LZINwqWT甲越相三国で和睦が出来れば多少は違った展開になるかもなんだがなあ。
天正四年に足利義昭が例によって勝頼・氏政・謙信の三者の和睦を画策しているんだけど、
(このころすでに謙信は本願寺と和睦し、信長と手切れしている)
「勝頼との和睦は上意に応じる用意があるが、氏政をそれに加えるのはたとえ自分が滅亡しようが
将軍家から勘当されようが断固拒否」というのが謙信側のスタンスで、結局実現しなかった。
ただ、少なくとも勝頼とは和睦の余地があると謙信は考えていたみたい。
0057人間七七四年
2011/05/11(水) 23:18:22.49ID:ebx+qIWQただ甲越同盟が果たされかどうかはまた別の話し。
0058人間七七四年
2011/05/12(木) 00:17:09.28ID:LLvga0on上杉からみれば織田と組んだまま武田本願寺攻めるほうが良かったわけだよな
0059人間七七四年
2011/05/12(木) 00:49:48.02ID:kfR5vJD0北陸で所領接してきてるから無理じゃねえの?
南進がちっとも成果上がらない状況では、織田と先端を開くのは大義名分的にも実利的にも良かったかと
0060ninja
2011/05/12(木) 07:30:57.98ID:Rzq8R1ni武田信玄はこうなることを予期して義信を死んだことにしておいた。
正統な武田の棟梁。武田家は見事にまとまりました。
0061人間七七四年
2011/05/12(木) 08:05:01.17ID:vVWwW0EhIFとしては面白いかもしれんけどありえないわ
0062人間七七四年
2011/05/12(木) 15:08:25.82ID:BODvsuKv「影武者」説明不要に近い名作
ただし、勝頼陣代説。
勝頼期も描いたドラマ
「おんな風林火山」 http://www.youtube.com/watch?v=_gr2U6s8Vdo
ただし、ドラマの基本コンセプトは恋愛&低視聴率
☆長篠の戦いや高遠城攻防戦や天目山あり(確か)
☆武田家滅亡後の本能寺の変あり(松姫と織田信忠絡みで)
☆武田の人質となる織田勝長(織田信房)が登場する珍しいドラマ
☆長篠の戦い直後に躑躅ヶ崎館で武田家の女性たちが「織田は卑怯にも鉄砲を使い」とか言っていたのが妙に面白かった
0063人間七七四年
2011/05/12(木) 18:49:23.96ID:vBlE5v7O0064人間七七四年
2011/05/13(金) 12:02:56.86ID:xsLwwzt1http://logsoku.com/thread/namidame.2ch.net/nhkdrama/1170333860/
21 : 日曜8時の名無しさん : 2007/02/04(日) 17:33:15.47 ID:chexJ/te [1回発言]
岡田が穴山夫人で比企理恵が木曾夫人だろ
穴山が武田を裏切った時の岡田の演技は神だと思った
26 : 日曜8時の名無しさん : 2007/02/05(月) 11:51:20.05 ID:vv1tpMob [1回発言]
歴史好きの友人が凄い凄いと見ることを勧めていたがなかなか機会がなかった。
見られるものなら見たいな。
長篠設楽原の戦で、鉄砲構えてる織田の竹矢来をよじ登って腹に銃口当てられて
撃ちまくられてるだ武田軍とか、よれよれになって裏の土間から帰ってくる
美木良介の勝頼とか、会いたいといって女の足で出かけていって「あそこが
信忠様の本陣でございます」とあっさり副将の本陣の裏を突いてしまう豪脚の
ヒロインとか、たしかに想像を超える場面の連続でのけぞった覚えが。
40 : 日曜8時の名無しさん : : 2007/02/10(土) 00:15:33.47 ID:VEvTrteX [1回発言]
本能寺の変で信忠が死ぬシーンが描かれてるのってこれぐらいじゃないの。
たいていの作品では信忠はスルーされてるし。
115 : 日曜8時の名無しさん : : 2007/04/13(金) 23:11:43.44 ID:a2sqTeas [1回発言]
そうそう穴山信君の裏切りのシーンもちゃんと出ていた。
116 : 日曜8時の名無しさん : : 2007/04/13(金) 23:46:23.81 ID:ckuj6ULk [1回発言]
本能寺後、穴山信君が土民に襲われて殺されるシーンもあったよね。
0065人間七七四年
2011/05/14(土) 15:39:08.23ID:S+f0WJsb内応すれば過大な恩賞を与えると調略を行っていた。
武田の諸将は信長の甘言を信じ込み、勝頼に背いて滅亡させたが、
自らも後を追うこととなった。
0066人間七七四年
2011/05/14(土) 18:38:36.79ID:S+f0WJsbリメイク希望
0067人間七七四年
2011/05/14(土) 19:48:36.00ID:DLwR+NQnへうげでやってたけど
0068人間七七四年
2011/05/14(土) 19:50:42.48ID:S+f0WJsb0069人間七七四年
2011/05/14(土) 22:10:06.82ID:iTM8cqwR0070人間七七四年
2011/05/14(土) 22:18:58.30ID:S+f0WJsb「武田家滅亡を描く『貴重なドラマ』」になるとは予想だにせず録画しなかった。。。
もうCSでしか見れないそうなので、是非ともリメイクして欲しい。
「歴女(笑)」が好む武将に武田勝頼が含まれているので、それなりの視聴率は取れると思うのだが。
0071人間七七四年
2011/05/14(土) 22:53:59.50ID:S+f0WJsb新田次郎さんの小説「武田勝頼」でも耳だった記憶あり。
「信忠は盛信に降伏を勧告したが、盛信は勧告を拒否。降伏の使いに来た僧侶の耳をそぎ落として追い払ったとされる。」
これが史料に残っているのか?逸話なのか?は知らんけど。
0072人間七七四年
2011/05/15(日) 01:03:28.07ID:t8GtgxYC実際真っ先に裏切った輩は最低限の厚遇は受けてると思うけど…
0073人間七七四年
2011/05/15(日) 08:32:49.84ID:PmYw21Gd日和見して動かなかった連中は、動かなくていいと言われてたのに滅ぼされてるよね
0074人間七七四年
2011/05/15(日) 11:38:04.88ID:1SAnCPwN0075人間七七四年
2011/05/15(日) 16:14:30.92ID:Pkm/6P3A0076人間七七四年
2011/05/15(日) 17:33:03.21ID:AMF7cqA6木曾は1600年に改易
0079人間七七四年
2011/05/16(月) 10:32:18.72ID:uWDJzLGE武田旧臣って意味なら、土屋・向井・依田らがいる
旗本でいいなら信玄血筋で竜芳系や盛信系、上杉の信清系とか
0080人間七七四年
2011/05/16(月) 15:04:45.20ID:zEpqxiYX穴山も木曽もざまあだなw
天目山で勝頼に殉じた土屋昌恒の嫡男は大名に出世
高遠城で散った仁科盛信の嫡男は徳川の旗本となる
0082人間七七四年
2011/05/16(月) 17:37:09.92ID:i+856xkwまあ、依田もとっとと改易されているけどね。改易された時期は木曾と
同じぐらいだし。
>>81
木曾は与力大名ですらなく家康の臣下で、家康の転封に伴う転封だからねい。
まあ、しょうがない。
0083人間七七四年
2011/05/16(月) 18:27:11.38ID:1/Il1nU/小山田は判断遅らせたせいで信長の心証を悪くしたよね
0084人間七七四年
2011/05/16(月) 19:00:31.46ID:958HJvEv「こんなことなら新府城で戦えば良かった」って思っただろうね
0085人間七七四年
2011/05/16(月) 19:43:25.53ID:dB9EFBT2天正十年
織田の甲州征伐によって武田家は滅亡寸前に追い込まれていた。
窮地に陥った武田勝頼に真田昌幸が申して曰く
「私の所持している上州我妻の岩櫃城へ一旦お移りください。まず安心でありましょう。
そのわけは内藤修理亮は同国箕輪に居住し、武田左馬之介信豊は信州小諸に在城しています。
それ故是より路次の便りよく、我妻の城地は要害が勝れてよく、軍兵三千は籠ることができます。
弾丸硝石をしっかりと用意し、兵糧を多く蓄えたなば、どれほどの大軍が攻めようとも
昌幸が沼田に在城し、信州戸石には両人の小倅を以て守らせ、私の謀によって御籠城されれば、
中々落ちる城ではございません。
二三年のうちに敵方の変化を見計らった上で交付に御旗を入れられるのがよろしいでしょう。
まず一度御城を明け渡し、私の謀に従って岩櫃に御籠城なされるように。」
この意見に修理と左馬之介も同意したため勝頼は岩櫃入りを決断し
昌幸と修理に各々の城へと戻って籠城の準備を始めるよう命じた。
すでに各地でる落人狩りが始まり、道中の糧秣の確保にも苦労する有様であったが
昌幸は妻や一族を引き連れて岩櫃を目指した。
途中信州小諸で昌幸を迎えるべく甲州を目指していた湯本・鎌原・横谷・西久保・和田・恩田・金子といった
沼田の侍たち出会うことができ
昌幸は岩櫃城へと入って籠城の手配を始めた。
が、そこに勝頼父子が岩櫃ではなく岩殿城へと向かった末に裏切られ
天目山で死したという知らせが入り、昌幸は歯噛みして残念がった。
0086人間七七四年
2011/05/16(月) 22:25:06.05ID:FATqdjp9裏切りが間違っていたわけじゃないだろう
まあ裏切るならもっと早くして秋山を挟撃とかしたら
もっと待遇良かっただろうけど
0087人間七七四年
2011/05/16(月) 23:03:37.77ID:i+856xkw木曾はどんなに多く見積もってもせいぜい1万石以下の所領の安堵に
過ぎないからなぁ。もし武田が続くのなら、同じ所領でも親族衆
扱いされるのでずっとマシということも言えただろうに…
0088人間七七四年
2011/05/17(火) 01:34:19.49ID:ebo/aZ4N0089人間七七四年
2011/05/17(火) 01:40:54.06ID:HJYKvvCw0090人間七七四年
2011/05/17(火) 02:59:24.83ID:ljKTZZWF0091人間七七四年
2011/05/17(火) 07:06:40.74ID:+hWLmQCu0092人間七七四年
2011/05/17(火) 09:50:10.89ID:b7kIdgvP0094人間七七四年
2011/05/17(火) 13:42:13.68ID:LCSIbL6s木曾も真田もド付きの外様だけど、木曾は親族衆でもある。
真田より格上。ただ、幸隆、昌幸が上野攻略で勢力伸ばしていた
真田と違って、織田と直接やりあうハメになる木曾谷じゃ
勢力伸ばしようがなかったから、所領は真田より狭いけどね。
0095人間七七四年
2011/05/17(火) 21:13:05.98ID:VXBoFM4q穴山はわからんが、木曽は武田に味方した状態では生き残れないから
真っ先に潰されるよりはいい選択をしたはず
0096人間七七四年
2011/05/18(水) 01:55:00.36ID:yarQ6VkX0097人間七七四年
2011/05/18(水) 08:16:29.20ID:ILq45rNo0098人間七七四年
2011/05/18(水) 09:23:42.06ID:69cZ8Iftまあ武田攻めにおける木曽の功績が大きかったのはわかるが流石に
過分だったし本能寺後にこうなるのは止む無し
0099人間七七四年
2011/05/18(水) 20:43:39.51ID:nfybr3gA滝川一益と森長可から手に入れた信州の豪族の人質を利用しようとしていたんだよな。
なんかせこいなあ
0100人間七七四年
2011/05/18(水) 22:15:19.07ID:mpfO5pxZ身の程知らずもいいところだが。
0101人間七七四年
2011/05/18(水) 23:02:35.44ID:0nrtdVPb天正十八年(1590)の小田原の陣後、家康は関八州に所替えとなったが、この折、家康傘下の義昌は家康の命のもとに、
豊かな山林資源を抱える父祖以来の木曽谷から下総国海上郡阿知戸一万石に移封をみた。
この転封によって、多くの譜代の家臣を流浪させるほどに経済的にも逼迫した義昌は、文禄四年(1595)阿知戸城で不遇な晩年を終えたと伝えられる。
父義昌とともに阿知戸に移住した長子の義利は、叔父の上松義豊との間に不和を生じて、これを殺害するなど粗暴な振る舞いが多く、
ために義昌死没後まもなくの慶長五年(1600)頃に、家康は義利を追放して阿知戸を直轄地にした。
木曽氏の改易は義利の暴虐もあっただろうが、江戸に近い下総に外様大名が存在することを嫌った徳川氏の政策の結果とも考えられる。
義利の改易後、義利の母真竜院(信玄の娘)は末子の義通を伴って木曽に帰り黒沢に陰棲した。以後、木曽氏の消息を史料上から知ることはできない。
ここに至って、木曽谷を根拠地に戦国大名として覇を唱えた木曽氏は歴史の表舞台から脱落し、歴史の陰に埋没してしまったのである。
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/kiso_k.html
0103人間七七四年
2011/05/19(木) 00:48:51.48ID:i3vVW4Dgただ、このときには長可も信州の豪族の人質を木曾義昌に引き渡しているので(一益も
同様に木曾領を通過している)、義昌が実際に長可暗殺を謀ったかどうかは別としても、
そう悪い取引でもないんだよな。
実際義昌はこの人質を手札にして勢力拡大を目論むわけだし・・・・。
0105人間七七四年
2011/05/19(木) 11:09:25.94ID:5cSYEmx4あららなのは確かだけど、あの状況で松本に返り咲いた小笠原の威光が
すごかったというべきかもしれない。
しっかし、wikipediaに長野では名君とされているとあるけど、どこを
どう評価すれば名君になるんだか…
0106人間七七四年
2011/05/20(金) 18:29:33.60ID:XmqJ8s7c0107人間七七四年
2011/05/20(金) 22:52:34.59ID:MIBMcwGD0109人間七七四年
2011/05/21(土) 01:15:39.48ID:nJKmem2P0110人間七七四年
2011/05/21(土) 04:18:27.58ID:/XPGlbDhでも、正直、偶然だと思うが?
穴山の横死や断絶も木曽のお家騒動も裏切りとはなんの関係もない。
因果応報ということにしたい気持ちはわかるけど。
あと真田はともかく諏訪はちょっと違うぞ。
そもそも諏訪は完全に武田の統制化なので裏切りようがないし、
最初は武田が諏訪頼重を騙まし討ちにして甲斐で腹を切らせたのに武田への忠誠もクソもない。
0111人間七七四年
2011/05/21(土) 04:20:59.67ID:/XPGlbDh>>107式の理屈が正当なら
武田信玄が諏訪家を裏切ったから武田家が滅んだんだろう。
0112人間七七四年
2011/05/21(土) 05:05:24.93ID:SKxNGkwGやっぱり裏切りはタイミングだな
0113人間七七四年
2011/05/21(土) 05:18:17.10ID:/AvFpYFb0114人間七七四年
2011/05/21(土) 09:10:11.35ID:p4Ul7yek諏訪も重臣が旧領回復を進言してたし
0115人間七七四年
2011/05/21(土) 18:08:01.21ID:YlTDRMTW0116人間七七四年
2011/05/21(土) 19:09:28.28ID:A/yrtgCE本当に会津と長州って未だに争ってるんだろうか
0117人間七七四年
2011/05/22(日) 03:22:13.58ID:NHiSulvM与えるという織田信忠の廻状を信じて姿を現わし、首を刎ねられた。
記録に残っている大物だけで四十名ほどである。実際はその十倍か二十倍はあったであろう。
0118人間七七四年
2011/05/22(日) 05:53:41.44ID:NHiSulvM金丸昌義 (?〜1582) 武田家準一門。金丸家嫡流。勝頼に従い天目山に討死
0120人間七七四年
2011/05/22(日) 18:00:38.07ID:hOVXxkNC一時期天下を牛耳ったんだよ
0121人間七七四年
2011/05/22(日) 23:54:40.43ID:NHiSulvM0122人間七七四年
2011/05/23(月) 12:15:07.77ID:MSXJkJlR裏で信長と通じていたという話を聞いたこともあるけど
0123人間七七四年
2011/05/23(月) 12:18:07.11ID:pFScrH/Iもし岩殿で徹底抗戦してたら真田はあっさり織田に降伏して岩殿に兵出してただろうね
0124人間七七四年
2011/05/23(月) 19:53:36.67ID:BE1EEnT7たしか見た感じ前面に一枚岩が聳え立ち、あんがい難攻不落っぽいが…
織田軍を撃退するのは無理だよな
0126人間七七四年
2011/05/24(火) 00:02:43.68ID:D30Ff+9D天目山の戦いってのは3月11日だけではないのかな
0127人間七七四年
2011/05/24(火) 23:08:28.08ID:3fwUNM9f真田が迎え入れを考えていた岩櫃城も、さらに半端ない。
どうやっても大軍を送り込めない地形だし、岩殿城よりやっかいかと思った。
>>126
1日だけかと。wiki編集者の間違いでは。2日前は小山田の裏切りに遭った日のはず。
0128人間七七四年
2011/05/24(火) 23:16:57.09ID:3fwUNM9f0129人間七七四年
2011/05/25(水) 02:07:31.59ID:h2f5vQyY天正10年甲州崩れの際、次々と離反する武田家臣達
武田家墳墓の地、天目山へと落ち延びる勝頼一向。
そこに一騎の武者が追いかける。
名は小宮山友晴 かって勝頼の近習や一門を非難した事によって
謹慎処分を受けていたものである。
しかし武田家滅亡を聞き、最期のご奉公と勝頼一行に駆けつける。
友晴着到を受けた勝頼は涙を浮かべ、労を労ったという。
人間の興亡には、勇もあり、怯もあり、美もあり、醜もある。
0130人間七七四年
2011/05/25(水) 02:26:52.69ID:h2f5vQyYWikipediaの記載ミスでは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BF%A1%E8%8C%82
小宮山 友晴(こみやま ともはる、生年不詳 - 天正10年3月9日(1582年4月11日))
0131人間七七四年
2011/05/25(水) 02:40:10.84ID:ZJ1xku1nこれまた武田遺臣が大量にいる八王子にも小宮なんて地名があるし
小宮神社なんてものすらあるので、八王子にも来ているのかなぁと
思ったんだけど、八王子の小宮ってもっと由緒古くて、平安時代まで
遡れるんだな。
ttp://www.aa.alpha-net.ne.jp/suza43/rekishi.htm
0132人間七七四年
2011/05/25(水) 19:26:16.63ID:kaeQwQGoありがとうございました
そうですかやはり誤記ですよね
生年不詳だけど小宮山友晴の年齢は50歳位なのかな
ところで、勝頼一行滅亡の顛末(従者の人数や討死した武者の名前、勝頼自身が自決あるいは乱戦中に斬殺されたとか説が色々)を記した文献ってのは
●武田三代軍記
●甲陽軍鑑
●理慶尼記
●甲乱記
●惣見記
●信長公記
●勝沼古事記
など様々あるようなんですが、どれが一番信頼性は高いと言えるのでしょうか?
0133人間七七四年
2011/05/25(水) 22:50:39.24ID:SCBm9VBA最期については、勇戦したは美化含みにしろ、勝頼が具足櫃に座って動けなかったは無いと思う。
大善寺と駒飼、田野の距離、勝頼の年齢やらを考えて。
小山田寝返りは僅か1日ほど前で、最低その時点までは勝頼自身の食料まで滞ったとは考えづらいし。
数日前まで滞在した大善寺を、手ぶらで送り出されたとも思えないのもある。
その時点で困窮していたら、女人を何人も連れて行かないだろう。
侍女ですら田野まで着いて行ってる以上、食料が優先され、30代の勝頼が「動けなかった」は……
0134人間七七四年
2011/05/25(水) 23:56:34.53ID:U2AYH1b3飢えじゃなくて、絶望で憔悴して動けなかった(動かなかった)ってのはあるかもよ
家臣らはまだ忠義心という心の支えがあるが、勝頼に何が残っているのか
0135人間七七四年
2011/05/26(木) 00:17:24.95ID:NI0/J0Pd丁寧でわかりやすい長文ありがとうございます
飢えと疲れで動けず…云々は「三河後風土記」が元らしいですね
確かに、遡って1週間ずっと山中を彷徨してた訳ではなく、大善寺やら駒飼らで逡巡してたのですからそこまで疲労困憊してるとは考えづらいですね
あるとしたら家臣の離反や人心崩壊を目の当たりにみて諸行無常の諦念を抱き茫然自失となっていたとかかな
あと、武田家重宝の御旗楯無は塩山市の雲峰寺と菅田天神にあるということなんですが、天目山の戦い直前に信勝が元服の儀を御旗楯無の前で挙げたとする伝承が本当ならば、どうやってその四面楚歌の状況から略奪されずに済んだのでしょうか?
くだらん質問ばかりですみませぬ
0136人間七七四年
2011/05/26(木) 00:35:30.59ID:+vnePTF+楯無については、wikiに結構、詳しく書いてあるから、参考にして良いと思う。
正直言って、はっきりしないというのが結論かと。
「小桜韋威鎧」は、1つではないのもあり……
0138人間七七四年
2011/05/26(木) 01:12:43.43ID:+vnePTF+儀礼用があって、儀式にはそちらを使ったとも考えられるけど……聞いたことはないね。
0139人間七七四年
2011/05/27(金) 06:41:44.96ID:UEGH3XVI小山田に追い返されたときにドサクサに紛れて逃げた奴が
食料をくくりつけた馬を使って逃げたらしいよ。
まあ、滞在した寺で少しは飯は食わせてはもらっただろうけど、
あんまり満足できるものでもないと思うよ。
あと、あんまり季節も天候も良くない中、山の中、歩いてれば
疲労して当然だと思うが。精神的なものもあったろうけど。
前スレにもあったが、山梨の山中で遭難した人物が五月にもかかわらず凍死した零もあるそうだし。
0140人間七七四年
2011/05/27(金) 09:18:38.31ID:nWPbs7lNGWに来たときは雪積もってたし
0141人間七七四年
2011/05/27(金) 12:04:15.29ID:njkDggR7大善寺、駒飼は屋内滞在だし、山中にいたのなんて最期のわずかな時間に過ぎない。
0142人間七七四年
2011/05/27(金) 12:14:24.10ID:njkDggR7イメージ的には甲信で同じだけど、むしろ西東京に近いもの。
0143人間七七四年
2011/05/27(金) 13:06:18.64ID:njkDggR7駒飼に数日滞在、小山田裏切り発覚の翌日に出発、その翌日朝には田野で滅亡なので。
駒飼から3km程度なうえ、田野は山中というよりまだ山麓という地で、道もあったのだから行程としては緩い。
食料にしろ前記の通り、裏切りから丸1日程度の余命。発覚後に馬で大半の食料を持ち去られたとして、飢えるほどの時間はない。
ところで、天候が良くない中…って、最期に行軍した3月10日は雨だったの?
季節にしろ、現代ながら山梨のその辺では、もう桜が散ろうかって時期な気がするけど。
0144人間七七四年
2011/05/27(金) 16:16:05.18ID:iW5cRXo5高遠城陥落したあとに行けるのか?
真田昌幸はどの道で帰ったのか?
でも、岩櫃方面に逃げれば最悪恥も外聞もかなぐり捨てれば上杉景勝が庇護してくれる可能性ってのはないもんか。北条よりは可能性高いと思うんだが。
0145人間七七四年
2011/05/27(金) 18:27:43.56ID:m4w06jRT勝頼が生きてるから無理?
一番良いのは勝頼は小山田を頼って信勝に上州に逃げさせるのがよかったかな
0146人間七七四年
2011/05/27(金) 21:24:16.98ID:bhVIrDde0147人間七七四年
2011/05/27(金) 21:40:50.54ID:3pHmsXoi本能寺みたいなのが起きれば甲州の回復くらい出来るかも
0148人間七七四年
2011/05/28(土) 00:54:01.12ID:2i+BE5TF0149人間七七四年
2011/05/28(土) 01:00:58.61ID:Il5vztBm森みたいに本領(厳密には弟の領地だが)が不安で帰った場合もある
特に甲信は信忠配下が多く、彼らにとっては主君を二重に失ったようなもの
0150人間七七四年
2011/05/28(土) 04:40:58.28ID:kkpxcvl3計算だけ言えば、一方は真田、一方は小山田で再起を期すのが、確率高いからねぇ。
>>148
優先度が低かった、っていうのが現実かも。
織田の連中にとって、武田は邪魔であっても、甲信の領土自体はさほど旨味がある土地とも感じてなかっただろうし。
取って僅かな時間のよく知らない土地、知らない連中がいる土地。一旦、撤退するのが賢いとも思える。
0151人間七七四年
2011/05/28(土) 06:13:29.37ID:ift2QfaT0152人間七七四年
2011/05/28(土) 13:44:05.25ID:iummxbJf0153人間七七四年
2011/05/28(土) 14:23:53.70ID:JW+4YFyR0154人間七七四年
2011/05/28(土) 18:29:19.92ID:h+y/kuQj0155人間七七四年
2011/05/28(土) 18:35:11.09ID:2lxcSVmo0156人間七七四年
2011/05/28(土) 22:36:25.05ID:Z+u7RFfG>勝頼近習の逃避行を映像化した作品ってありましたっけ?
無い
ただし、もしかしたら「おんな風林火山」( >>62 >>64 >>70)にあるかも?????
0158人間七七四年
2011/05/29(日) 00:46:37.36ID:H5savFZy0159人間七七四年
2011/05/29(日) 09:31:28.24ID:bVRiF51C0160人間七七四年
2011/05/29(日) 12:14:10.25ID:X3T22Y2v川尻の政策みてると、むしろまだ戦後処理中と言えるし
仮定の話で、本能寺のような事件が起きるのが武田滅亡後から
2〜3年後のことだったら、また変わったと思う
0161人間七七四年
2011/05/29(日) 12:52:41.42ID:mn/PoU7bキレたか、面子的に帰るに帰れなかったのかもw
0162人間七七四年
2011/05/29(日) 16:16:51.95ID:NCm6mcLI過去レス見てなかったスマン
やっぱそうなんだ、本能寺は腐るほどあるのによ。
ま、三文役者に演じてもらうのもどーかと思うし、それぞれのイメージを育んでたほうがいいか
0163人間七七四年
2011/05/29(日) 18:40:22.87ID:sgU+w6thしかし、あの混乱までは制御できなかった。
結果的にはさっさと逃げ出すのがベストだったろうな。
0164人間七七四年
2011/05/29(日) 20:42:09.19ID:2wS2FzZE0165人間七七四年
2011/05/29(日) 21:32:33.73ID:mn/PoU7b織田の支配強めるために散々やった直後で、
あげく武田旧臣を囲っている徳川が、狙いを定めて突っついてる状況じゃ……
0166人間七七四年
2011/05/29(日) 22:51:17.75ID:L8j6zTYU0167人間七七四年
2011/05/30(月) 04:18:25.03ID:SCNjUsWG旧朝倉家臣なんて一揆の餌にされちまったぞw
0168人間七七四年
2011/05/30(月) 07:52:02.61ID:QzEyXAXJ0169人間七七四年
2011/05/30(月) 08:07:02.99ID:rUjajMEvである「武藤家」を名乗るのを許されている。
当時はかなりの忠義心があったんじゃないかな。
確か信玄子飼いの同僚は5人程度いて、生き残っていた最期の1人が昌幸だった
はず。
変わり身がどうのは、武田が滅んでしまったかだと思う。
0170人間七七四年
2011/05/30(月) 10:18:34.64ID:vyl82gLn0171人間七七四年
2011/05/30(月) 16:22:29.23ID:Dmxtvh4o0172人間七七四年
2011/05/31(火) 00:16:30.78ID:e4bOSvXA0173人間七七四年
2011/05/31(火) 00:54:44.75ID:qCUsu6vy逆に時勢を読めるがゆえに
ちょうどいいタイミング自体ないと判断したのかも
終盤に裏切っても恩恵ないし
長篠前じゃ織田徳川に組するには位置が悪い
0175人間七七四年
2011/05/31(火) 01:55:54.97ID:UQ9ogEKr継いだことも、勝頼の影響があったろうし。
0177人間七七四年
2011/05/31(火) 07:12:46.27ID:Nw8xLJ2Y0178人間七七四年
2011/05/31(火) 10:29:35.22ID:YAycwTAH本来なら長兄信綱嫡男、つまり幸隆嫡孫に家督が回るべきでしょ
ちなみに次兄昌輝にも男子はいます
勝頼と昌幸のウマがあったかはわからんが、武田・真田家中が昌幸家督を許す環境だったのは確か
0179人間七七四年
2011/05/31(火) 11:44:05.39ID:ugjK/MLH0182人間七七四年
2011/05/31(火) 12:37:02.21ID:7p2Ytw77岩櫃城代を真田にそのまま任せようとすれば昌幸が継ぐしかない
0185人間七七四年
2011/05/31(火) 13:10:44.54ID:CLfiSSDMそっか
ま、真田信勝も逐電したとか斬殺されたとかで、はかばかしい活躍もなかったのではありまするが
0186人間七七四年
2011/05/31(火) 13:52:53.36ID:7p2Ytw77武田に義理立てというかどうか
0187人間七七四年
2011/05/31(火) 20:15:50.16ID:boRkwwnl一発逆転狙うなら、あの直接対決しかなかったとはいえ。
0189人間七七四年
2011/05/31(火) 21:36:05.66ID:boRkwwnl次ぐにふさわしい年齢の弟やらがいたという話は知らないが。
0190人間七七四年
2011/05/31(火) 21:46:14.89ID:YAycwTAH年齢だけなら継いでもおかしくない弟が二人いたが、そいつらも養子に出されてるから昌幸には勝てんな
0192人間七七四年
2011/06/01(水) 04:50:12.60ID:WlKNlNAQhttp://katsuyoritosa.web.fc2.com/
武田勝頼土佐の会
こんなのあるんだ
0193人間七七四年
2011/06/01(水) 19:59:12.93ID:ZZMtl5FY恥ずかしくないのかね?
0194人間七七四年
2011/06/01(水) 21:11:47.38ID:gd6fLZag0195人間七七四年
2011/06/01(水) 22:42:20.97ID:aGb+A7cm本家ですら信玄や昌幸の血は引いてないからなあ
0196人間七七四年
2011/06/01(水) 23:04:15.35ID:87nnkfyf0197人間七七四年
2011/06/01(水) 23:42:22.18ID:je6rhpet昌幸の場合、竜朱印状の奏者をつとめたこともあるなど、若いころから武田氏のそば近くにあったわけだし、
彼が真田氏を継ぐほうが勝頼にとってもプラスとなる面は多いだろう。
馬があったかどうかは別としても勝頼は真田昌幸を重用しているな。
>>195
国持クラスの大名ですら藩祖の血を引いていないケースもあるくらいだしな。
0200人間七七四年
2011/06/03(金) 20:36:00.74ID:KoLFIYsE0201人間七七四年
2011/06/03(金) 20:40:27.19ID:BSV5TAKDやるなら穴山とつるんどけよと
0202人間七七四年
2011/06/03(金) 22:05:54.23ID:oalE/xZZ0203人間七七四年
2011/06/03(金) 22:08:23.86ID:7RZn+vP6しかし、小山田信茂の家臣に阻まれ、やむなく今度は田野へ抜ける大菩薩峠を目指し武州の北嶺を越えようとした。
が、ここも北条軍らに遮られ追撃を受けてしまう。
詮なく、武州の箱根ヶ崎に撤退し様子を見ようとしたところ、今度は別の北条軍に攻められ、ついに一族は勝頼の安否不明のまま滅んでしまったといわれている。
武州上野原の豪族加藤丹後守信景一族
0204人間七七四年
2011/06/03(金) 23:08:42.15ID:DoKn+9f0言い訳家譜じゃなくて滅んでるのか、せつないな
0205人間七七四年
2011/06/04(土) 03:26:47.12ID:woohBj7h負けるにしろ
0206人間七七四年
2011/06/04(土) 03:58:29.29ID:kwlR9GBJ0207人間七七四年
2011/06/07(火) 13:17:27.99ID:/8LKQLBW0208人間七七四年
2011/06/07(火) 20:28:07.21ID:JCkLDcfv0209人間七七四年
2011/06/08(水) 00:07:43.72ID:l6yMEdloパッとしない逸話もあるけど、親父よりも史料に出てくるのは信豊のほうが
多いんじゃないか?勝頼期にはかなり重要な地位を占めてたようだし。
0210人間七七四年
2011/06/08(水) 14:38:37.48ID:mNyIJwYt上杉との同盟とかで取り次ぎ役してますね
0211人間七七四年
2011/06/08(水) 18:49:07.48ID:wRZw0qac0212人間七七四年
2011/06/08(水) 20:45:52.02ID:l6yMEdlo柴辻俊六氏は「なお議論の余地はあるが」後世のものだろうとし、最近ミネルヴァから
出た『武田勝頼』(笹本正治氏)でも特に考察はないけど、柴辻説を引用している。
0213人間七七四年
2011/06/13(月) 16:26:56.52ID:UyXCU9I30214人間七七四年
2011/06/13(月) 22:56:21.46ID:1/4phLNM0215人間七七四年
2011/06/14(火) 16:38:04.22ID:ojKfBNuMその後北条と手切れした理由は何?
甲相越で不戦条約的な事出来なかったんだろうか
0216人間七七四年
2011/06/14(火) 17:54:00.76ID:s2n0TdzE0218人間七七四年
2011/06/14(火) 21:55:20.54ID:iGYMMkt5敵の味方は敵ってことじゃねえの?
北条自身が落ち目の武田より織田と通じたいってのもあっただろうが(景虎支援に消極的だった一因でもあるかと)
0219人間七七四年
2011/06/14(火) 23:02:36.04ID:bk6x0T1g中途半端に侵略するより
佐竹で牽制も出来るし上杉も援軍少しは出すでしょ
0221人間七七四年
2011/06/15(水) 08:04:15.54ID:rztiUn68北条は織田にかなりの土下座外交してた。でも、織田にとっては
まともな同盟国としてみられていなかったようで、武田攻め後の仕置きでは
北条が攻め込んだ駿東 -> 徳川へ
北条が厩橋城などに圧力をかけた上野 -> 滝川一益
北武蔵、下総の国人衆 -> 滝川一益参りをしている
と言った具合で、恩賞がないどころか、傘下の国人衆を切り崩されている始末。
本能寺の変がなかったら、北条は伊豆・相模ぐらいまでしか
安堵されなかったんじゃないかという説もあるぐらい。
0222人間七七四年
2011/06/15(水) 20:37:23.97ID:CotAlGlJ0223人間七七四年
2011/06/15(水) 21:18:01.20ID:rztiUn68織田相手に土下座外交をしたのにも関わらずああだったのと、
秀吉が一貫して北条に敵対的だったのと、武田攻め前後に比べれば
北条もひょっとすると倍近くになるぐらいに巨大化したのと。
上野のごく一部と下野の一部と常陸以外の関東全域が勢力圏だし、
徳川・伊達とは同盟関係にあったし。
0224人間七七四年
2011/06/15(水) 22:01:32.33ID:ppDOYyp3あれだけ下手に出る外交政策が、短期でまとまったとは思えないよね。
交渉以前に、国内の意見を一致させるまでに、相当な時間がかかるはず。小田原評定の家だしw
武田と手切り後のあっという間の徳川・織田との提携を見るに、事前交渉が十分にあったとしか思えないわ。
0225人間七七四年
2011/06/15(水) 22:47:46.49ID:rztiUn68本能寺の変後の北条の動きもとんでもなく速い。
6月2日に本能寺の変だったけど、神流川の戦いはそのちょうど2週間後の
6月16日。しかも、そのたったの2週間で5万人以上動員。
0226人間七七四年
2011/06/16(木) 01:13:35.36ID:hYWOySOK武蔵付近なんて、関東制圧が悲願の北条にとって、いつかは必ず奪還すべく考えていた地だろうし、
元々地の利もあり、何か機会があれば、いつでも攻撃できるような計画くらいは事前にあったと思われる。
あと、5万はないよね、実際。
0227人間七七四年
2011/06/19(日) 19:38:04.51ID:U+dimFEq0228人間七七四年
2011/06/21(火) 15:44:50.92ID:iJT59+dx武田滅亡なんて夢にも思ってないから
事態の急展開に付いていけず
心構えなんて北条には無かったから織田の力が図れず動揺したんだと思う。
しかし秀吉の時は充分な時間が与えられていたからね。
しかも真田にちょっかい出したらあんなに秀吉がキレるとも思ってないから既成事実を作っちゃえとか条件闘争の交渉材料を作ろうとしただけでしょ。
それに長宗我部や島津は本領安堵されてるから反抗しても伊豆と相模くらいは安堵されんだろみたいな甘さもあったかも。
0229人間七七四年
2011/06/22(水) 08:29:46.80ID:N55rH6pS北条だけで籠城じゃ結局負けるのは当然というか
ただ信長の浅井・朝倉征伐以降それまでの常識を越えた侵攻スピードの戦いが起きてる事実を
北条が見誤ってたのは確かだろうね
0230人間七七四年
2011/06/22(水) 08:47:07.48ID:MzkmZ4/D尾張兵は弱兵だったっていう話だけど実際はよく訓練されてた気がする
やっぱ徳川史観で神君の活躍なくして、信長公の立身はなかった!っていうアレかね
0231人間七七四年
2011/06/22(水) 16:07:38.10ID:tCp2+ZIq0232人間七七四年
2011/06/22(水) 19:51:08.33ID:Lkfi/X4N小田原城は強襲で落城したことはないわけで
0233人間七七四年
2011/06/23(木) 03:28:57.55ID:I+ypMESY島津なら薩摩だし長宗我部なら土佐なわけだし一応
0234人間七七四年
2011/06/25(土) 18:19:26.14ID:YhxIh+Ck0235人間七七四年
2011/06/26(日) 00:35:08.54ID:0Y4sqilP0236人間七七四年
2011/06/26(日) 02:46:19.45ID:0Y4sqilP岩村城の救援に勝頼直卒3000くらいの兵で後詰めとかできなかったものか
信忠は若いから付け入る隙もありそうだが
ここで秋山だけでも救出していれば山県、馬場等を失った勝頼にとってだいぶ違ったと思うんだが
0237人間七七四年
2011/06/26(日) 08:05:10.36ID:BohoYIwTと言っておくだけで良かったと思うんだよね。
美濃・駿河を放棄して、北条に集中しても。
0238人間七七四年
2011/06/26(日) 10:35:05.46ID:B/UNEGWlこの時代占領地を放棄するのはかなり難しいんだろうけど
秋山って元々高遠城の城代だし勝頼とは何かと接点あるんだよな
0239人間七七四年
2011/06/26(日) 17:26:53.26ID:4thw/0eq0240人間七七四年
2011/06/26(日) 18:17:37.50ID:gaC6JBbb・北条との手切れ
・北条への対応で高天神への後詰もできず
・朝敵指定
・浅間山の大爆発
すべてがからんで滅ぶべくして滅んだ
0241人間七七四年
2011/06/26(日) 18:59:14.55ID:4thw/0eq0242人間七七四年
2011/06/26(日) 19:00:52.66ID:ga/FF0a0そうなんだ、そういうディテールって考え出すとちょっと面白いな
天井裏とかチェックする係いたんだろうなw
0243人間七七四年
2011/06/26(日) 19:09:08.11ID:gaC6JBbbと誰もが思っていたみたいな状況だったとのこと
0244人間七七四年
2011/06/26(日) 19:35:43.00ID:s7m1tUw+0245人間七七四年
2011/06/26(日) 20:59:30.98ID:We4wsB320246人間七七四年
2011/06/27(月) 01:59:37.74ID:wFFlaEZeむしろ信忠を若僧と思って舐めていたんじゃね?
勝頼はもちろん秋山も
長篠の余勢を駆って織田軍が岩村城に押し寄せてくるのは十分予想出来たのに何の手も打ってなかったし
0247人間七七四年
2011/06/27(月) 02:24:28.73ID:9zkiSGoG0248人間七七四年
2011/06/27(月) 02:30:19.45ID:G+JO8D9R0249人間七七四年
2011/06/27(月) 02:54:16.94ID:LhJR2B/B後詰めが出来ないのなら織田の軍勢が来ると知ったときにさっさと撤退させればよかったのにねえ
秋山が逆さ磔という惨めな最期になったのは完全に勝頼のせいだと思う
0250人間七七四年
2011/06/27(月) 08:57:47.56ID:ZLtJ7DmA木曽への牽制の意味でも、岩村は簡単には抜かせられない地だ。
いくら秋山が貴重でも、あそこで戦わずに撤退させることはできない。
0251人間七七四年
2011/06/27(月) 10:03:00.71ID:v4RAZJ0Mそこだよな
でもそうなら意地でも後詰めしなきゃいけないわけで
勝頼も御親類衆があてにならないことは長篠で嫌というほど思い知らされたんだから
直卒で救出に向かうべきだったと思う。
信忠の性格を考えると包囲を解いて撤退は考え辛いし
城には歴戦の秋山もいるわけで結構面白いことになりそう
ただ信忠を敗走させても信長が出てくるだろうし甲府〜岩村の距離考えると東美濃の維持は困難だわな
0252人間七七四年
2011/06/27(月) 10:19:00.72ID:TbppxpAX0253人間七七四年
2011/06/27(月) 10:43:13.01ID:v4RAZJ0M信長は当然勝利だと宣伝するだろうし武田の威信は失墜したかな
織田徳川が追撃した場合三増峠や三方原のように返り討ちにあってたかも知れないけど
0254人間七七四年
2011/06/27(月) 12:03:21.91ID:20Yt/Aev統制が効かない状態になったんじゃないかとも思える
信玄以来甲斐国内に多大な負担強いて他国に出兵して
ただでさえ不満がくすぶってたし
0255人間七七四年
2011/06/27(月) 20:54:53.70ID:B2qB3jt/恐ろしい軍事力だな
0256人間七七四年
2011/06/28(火) 08:23:22.31ID:jw1mxZER0257人間七七四年
2011/06/28(火) 18:31:35.25ID:nyHGQ9My長篠の被害そのものよりも、その後の政策による不信任のストレスが相次ぐ離反につながった気がする
逆に家臣団の寝返りがなければ、あの時点では、まだ滅びるところまではいかなかったかも
0258人間七七四年
2011/06/28(火) 20:07:36.33ID:Eulbf6GYそうは言ってもあの侵攻を内戦作戦で各個撃破するのはほぼ無理だろ信忠撃破しても信長が出張ってきてるし
0259人間七七四年
2011/06/28(火) 20:31:33.72ID:9LZ9ZN1B東は徳川に任せて放置が美濃を完全に確保して以降の基本方針だったんだし。
寝返りを前提に徳川が大規模侵攻を打診してきたので、乗っかったんだと思う。
0260人間七七四年
2011/06/28(火) 22:04:14.42ID:RbzJsQSg後回しにされていれば、本能寺みたいに何か激変して、生き延びられた可能性は高まるかねぇ。
0261人間七七四年
2011/06/28(火) 23:06:36.22ID:Hit98A2iしかし、木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で
かといって長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし
なんか、長篠で、ってか鳶ノ巣砦落とされた時点で、すでに詰んでたのかも
0262人間七七四年
2011/06/28(火) 23:44:26.31ID:7zjPHd4h>長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし
通説のように家臣団が開戦に反対してたなら、不満が高まるってことは無いのじゃないの?
出陣組、特に山県や馬場が反対組なら、まさか高坂ら居残り組が不満を言うわけないし
>木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で
木曽の寝返りの一因は新府築城だから、しなければ歴史は変わったかも
問題は穴山のほうで、あいつが裏切らなければ信濃で決戦くらいはできたやも
0263人間七七四年
2011/06/28(火) 23:52:52.35ID:Eulbf6GY織田、徳川、北条に完全に包囲されて後詰めも期待できないとなると・・・
どっちにしろ信長が死んでくれないことにはその内詰みそうだね
0264人間七七四年
2011/06/29(水) 06:51:54.35ID:dwjSUaGI上杉もそう簡単には墜ちないんじゃないかね。
後方で反乱起こしてる人はとりあえず押さえの軍を置いてりゃなんとかなるレベルだし。
武田が徳川に削りきられる前にどれだけ北条領を切り取って勢力確保できるか、
というチキンレースになりそうだな。
0265人間七七四年
2011/06/29(水) 07:50:29.21ID:tyJ5eHlK徳川が攻め寄せる度に甲信から軍勢出してたらキリがない
家康は勝頼が出てくれば逃げるんだし
ただどこかで徳川は叩いておかないといけないね
0266人間七七四年
2011/06/29(水) 09:28:31.08ID:QLnxVo05これちょっと意味分かんないですね
0267人間七七四年
2011/06/29(水) 09:56:35.33ID:hAYpXuqX勝頼としては決戦で家康を討ち取って状況打開するしかないのだけど、それがわかってる家康は避けた
長篠後でも徳川単独相手なら武田有利だったろうからね
遠征して救援に来る武田に対して、近所に出かける気分の徳川は一時的に引いても潜在的に相手城を囲み続けてるようなもの
0268人間七七四年
2011/06/29(水) 18:49:52.86ID:F48mnKPCそういった勝頼中心の政策をしないで、うまく家臣達の利権を守りつつ、領内を統治できていれば。
前スレの方がいうように織田徳川の大規模攻撃そのものが、あの時点では起きずに、歴史も変わっていた可能性はあるよね
0269人間七七四年
2011/06/29(水) 19:57:09.16ID:/rtb3IVuそれを行わないのなら、軍備再建できずに領地を削られ
最後にやはり大離脱と大侵攻くらって史実より早く滅亡することに
0270人間七七四年
2011/06/29(水) 20:13:46.92ID:ecxCEE4I好き勝手動かれたら史実より早くに潰れそうだ
というかそういうのは本来親父の信玄がやるべきだったんだろうけどな<中央集権化
0271人間七七四年
2011/06/29(水) 20:39:43.03ID:tfPyRMdg長篠で仮に見事撤退ができていればの仮定が成立するなら、
駿河は穴山でなく、山県の統率下にあったはずだから、寝返りの可能性は限りなく低くなる気がする。
0272人間七七四年
2011/06/29(水) 21:04:28.10ID:JpCFcYUxそもそも木曽がそこまで武田に義理立てなくてはいけない理由がわからない。
0273人間七七四年
2011/06/29(水) 21:23:34.66ID:tfPyRMdg武田への義理立てというより、木曽の家名や名誉的な意味で、最低な行いって方がウエイト大きいかと。
結果的に家を潰してしまっているのも、裏切った意味がなかったとなるし。
0274人間七七四年
2011/06/29(水) 23:28:54.28ID:5naOXnB0山県なら駿府の目の前まで徳川に削られることはなかっただろうね
>>272
一応一門扱いじゃなかったっけ?
0275人間七七四年
2011/06/29(水) 23:30:18.34ID:5naOXnB0因果応報と言うべきか
0276人間七七四年
2011/06/30(木) 07:01:16.08ID:T5oKB+8r0277人間七七四年
2011/06/30(木) 21:42:01.81ID:/RWhFZtj足利義昭が追放されて浅井、朝倉、長島一向宗が壊滅した以上あえて信長と対決する意味あったのかね?
信長と和睦したら勢力伸ばすには上杉正面しかないけどさ
信勝は織田と繋がりあるし上手く立ち回れば浅井亡き後美味しいポジション占められたような気もするんだが
0278人間七七四年
2011/06/30(木) 22:56:25.43ID:D6ild+6f0279人間七七四年
2011/06/30(木) 23:12:45.94ID:/RWhFZtjあのまま信長が死んでなかったら家康どうなったんだろ
0280人間七七四年
2011/07/01(金) 04:02:23.61ID:i/PR74kK畿内の勢力が概ね叩かれたからとりあえず本願寺勢力としては
畿内にいる織田主力を畿内の外へ誘き出す
↓
その間に畿内で反抗を試みる+各地の戦力の整理
↓
武田軍が織田軍に多少なり出血させれればラッキー
だった。
結果は主力が畿内から出でも余剰戦力のある織田軍になすすべ無し
武田軍、織田軍に出血もさせれず惨敗と悲惨な結果だけが残った。
0281人間七七四年
2011/07/01(金) 04:14:43.07ID:i/PR74kK流石に徳川に養子送り込んだりはしないと思うけど国替えくらいはあるかも?
っとは言っても移動する土地も1582年時じゃ限界あるからなぁ
九州は島津大友は恭順しめしてるし
北条は不信抱きつつも土下座外交してるし
伊達は奥州勢引き連れて揃って恭順だろうし
移動出来そうなのは
毛利領
上杉領
長宗我部領
肥後肥前等の空白地
くらいしか残ってない
0282人間七七四年
2011/07/01(金) 14:21:31.86ID:iuiBJB0G中国→九州に飛ばされるくらいは、余裕でありそうだ。
0283人間七七四年
2011/07/01(金) 18:41:47.38ID:F6qwAJKm0284人間七七四年
2011/07/01(金) 18:56:09.62ID:zD9MDftj0285人間七七四年
2011/07/01(金) 19:16:03.60ID:tLGv5XSs逆だろ。
山がちで盆地だから、国自体が一つの城みたいなもんだ。
実際、天正10年の武田攻め意外は全て攻め込んだ連中をさんざんに破ってる。
0286人間七七四年
2011/07/01(金) 19:36:43.04ID:T7ygIssd諏訪と北条には大敗している。
0287人間七七四年
2011/07/01(金) 22:23:56.73ID:i1lu/zPG武田は信玄以降籠城戦の経験は殆どないのに
0288人間七七四年
2011/07/02(土) 01:11:56.73ID:vNB6i56P新府城建設は穴山の進言で云々ってのがあるけど本当かいな、彼奴はいつから謀反の思惑があったのか、マッチポンプじゃないか
0289人間七七四年
2011/07/02(土) 06:28:00.04ID:z4i7F7E1武田の信濃支配の象徴で、遠江、三河への進出拠点である高遠城が敵の攻撃を受けて、あっさり落ちたんだから。信玄公が苦労して獲った信濃を放棄し、信玄公が何度も進撃していった棒道を逆に甲斐に向かって大軍が侵攻してくるという衝撃。
0290人間七七四年
2011/07/02(土) 09:22:41.41ID:/5mSY0/fあれあくまで甲州街道沿いに諏訪方面から攻め込んでくる前提なんだよな
穴山の裏切りで甲斐方面が動揺した時点で新府城の士気が崩壊したのも当然というか
勝頼的には元諏訪四郎だったことに何か期待でもしてたのかな?
0291人間七七四年
2011/07/03(日) 12:28:08.49ID:OA8BGNus防衛線を整理する
徳川方面に打って出る
浜松と岡崎城下を焼き払い青田刈り
家康が単独で決戦を挑むor信長に泣きついて織田徳川連合軍と決戦
勝頼も長篠とは違って慎重だから野戦陣地に突っ込むようなことはあり得ない
織田徳川連合軍4万vs武田軍2万
0292人間七七四年
2011/07/03(日) 14:20:50.24ID:CxTQ4FR30293人間七七四年
2011/07/03(日) 14:24:32.32ID:8glUSEBY0294人間七七四年
2011/07/03(日) 16:27:26.86ID:xA4wAry3真田昌幸
武田信豊
土屋昌恒?
もう勝頼が直接7000位率いてヒットエンドランやって徳川に嫌がらせするくらいしか
0297人間七七四年
2011/07/03(日) 23:38:18.61ID:QsRTvU1a0298人間七七四年
2011/07/04(月) 11:29:31.49ID:DZeAXI0X特に野戦なんて命令に手足の如く動き臨機応変に状況の変化に対応できる武将がいてこそでしょ
前備 武田信豊
本隊 武田勝頼 参謀 真田昌幸
右備え 武田信廉
左備え 武田信勝 土屋昌恒
予備 穴山信君
みたいなことになるよ
もちろん陣形はもっと複雑だけど
もう木曽とか御坂峠とか峠防御専門にしか使えなさそう
0299人間七七四年
2011/07/04(月) 15:58:37.33ID:+dY1td9G0300人間七七四年
2011/07/04(月) 19:56:56.00ID:Giue8ddF高橋招運の岩屋城はたった763人の兵で島津三万に対して半月粘り、島津の兵を数千道連れにした。
長篠の奥平は兵500で勝頼一万五千に対して一ヶ月も粘ってついに落ちなかった。
長谷堂城の志村は兵1000で二万の上杉を退けた。
それに比べると仁科はあまりに情けなさすぎる。
どこが奮戦なのかさっぱりわからない。
0301人間七七四年
2011/07/04(月) 21:24:25.66ID:fg4r0nSx0302人間七七四年
2011/07/04(月) 21:45:17.49ID:7XeAmro4確かに…時間的には田野の戦とあんま変わらんな
高遠城は籠城戦には向いてないのか
バンザイ突撃したのか
仁科は嫌いじゃないからあんま悪口は言いたくないけど、半日で落城はちょっとな
シンデレラ城でも落城しなさそう
0303人間七七四年
2011/07/04(月) 22:01:30.19ID:QDsFM5vH上野方面担当は真田でしょ
昌幸って戦術的には神懸かり的だけど調略部分ではどうだったんだろうか
親父は調略のプロだったけど
0304人間七七四年
2011/07/04(月) 22:04:59.69ID:+dY1td9G兵力差からしてどうせ一日で落ちるなら信忠の首とってやんよって事。
突撃して織田の一族の首とったりもしたけど、力及ばず。
しかも信忠は本陣に居なくて総大将なのに絡めてで前線指揮とってたという。
0305人間七七四年
2011/07/04(月) 22:09:55.23ID:+dY1td9G調略も上手いよ。
つか親父同様に信濃上野にまたがっていた、
海野氏ネットワークを活用するのが上手かった感じ。
戦術的には小国人にも負けることもあって神懸かり的てのは講談の中の話だな。
0306人間七七四年
2011/07/04(月) 22:29:41.27ID:yqbWL3hA織田軍の侵入にともない、武田領の伊奈、飯田方面は総崩れおこしているぞ。
続々と寝返って、高遠城も内部からの寝返りで開城…のはずだったが、不発。
強襲となった。
0307人間七七四年
2011/07/05(火) 03:56:00.99ID:vFKc0TDWなんかもう勝手気ままに武士の本懐遂げたって感じだな
信玄の息子として
確かに信盛の戦いぶりはあの甲州崩れの中では輝いてるけど
高遠城には勝頼が岩殿に落ち延びるって話は届いてたんだろうか?
もし知ってたなら信盛の役目はやはり持久戦だったと思うのだが
0308人間七七四年
2011/07/05(火) 12:03:24.84ID:O34glHQZ0309人間七七四年
2011/07/05(火) 12:20:29.09ID:3Ut9WDmx信忠の首とるのって嫌がらせくらいにしかならんと思うんだけど
0310人間七七四年
2011/07/05(火) 12:24:18.09ID:O34glHQZ0311人間七七四年
2011/07/05(火) 12:45:07.62ID:wjZaXmUO0312人間七七四年
2011/07/05(火) 12:47:15.79ID:3Ut9WDmx実際は信忠以下甲斐征伐軍が勝手に侵攻しただけで、信長は本隊が合流するまで待てよと命令してる筈だけど
それに信忠討って、それで終わりじゃないでしょう
信長が後ろに控えてるんだもん
過去ログからさんざん言われてるけど、もう詰んでるのよ
0313人間七七四年
2011/07/05(火) 12:53:21.45ID:O34glHQZ0314人間七七四年
2011/07/05(火) 13:04:50.23ID:wjZaXmUOその場合織田の後継者は信雄なんだろうけど
信長は自分の死んだ後を考えて凄い粛正しそうだな
柴田なんかは昔の謀反の罪問われて切腹とかありそうだ
0315人間七七四年
2011/07/05(火) 16:19:32.20ID:r5UDFhkf1日で落ちてしまったのは、結果的に勝頼の万事休すに繋がったけど、
裏切りなく、城として徹底抗戦して、武田の誇りを最期に守った的な意味合いは大きいと思う。
0316人間七七四年
2011/07/05(火) 17:04:26.82ID:N++Y9NHI0317人間七七四年
2011/07/05(火) 17:07:31.95ID:INU28oEs0318人間七七四年
2011/07/05(火) 22:19:57.35ID:7SesJfDgあそこで木曽を叩いていれば内戦作戦で各個撃破の可能性もあったけど
0319人間七七四年
2011/07/05(火) 22:20:33.48ID:j+Sbsfri敵には後詰がある
こんな状況だったら最後のお願い以外に打つ手ないよな
0320人間七七四年
2011/07/05(火) 22:34:31.57ID:7SesJfDg結局織田の天下統一になったんだろうね
信長も甲江和与を勝頼が求めた時に受け入れておけば良かったのに
0321人間七七四年
2011/07/06(水) 11:15:59.03ID:266r1iqH信長・家康にいわゆる宣戦布告をしなかったようで
それでいて甲江和与結んでくれってのは、ちと虫が良すぎるような
いかに乱世といえど、最低限のルールはあるわけだし
その点では、これもまた信玄の負の遺産か
0322人間七七四年
2011/07/06(水) 12:40:58.32ID:M7oyFPK1本能寺無かったら家康がどういう末路をたどったか興味あるけど
甲江和与が成立していた場合
○ 対上杉に武田を使える
○ 北条も織田と同盟
○ 葦名、佐竹辺りも接触してくる可能性が高い→戦わずして東北諸大名を影響下に
もし伊達辺りが反抗すれば北条、徳川、武田による奥州侵攻
とかありそう
東はほぼ平定したような物じゃね?
0324人間七七四年
2011/07/06(水) 22:14:52.49ID:j8CuuGbK0325人間七七四年
2011/07/06(水) 22:19:19.51ID:ByjjE3I60326人間七七四年
2011/07/06(水) 22:48:34.90ID:guSsasxx良くて甲斐信濃二国安堵だろうけど
0327人間七七四年
2011/07/06(水) 23:36:42.71ID:7T6fr+c9それで生き残ったとしても信濃は取り上げられんじゃね?
いいとこ甲斐のみ安堵だろ。
んで後で難癖付けられて転封。
0328人間七七四年
2011/07/06(水) 23:45:06.21ID:guSsasxx0329人間七七四年
2011/07/06(水) 23:46:40.93ID:gz5cCrQFよくて甲斐と諏訪郡のみ安堵かな、その後養子を入れられて乗っ取り。
悪くすれは府中を取り上げられて郡内と河内の二郡のみとか
0330人間七七四年
2011/07/06(水) 23:47:40.27ID:sjewjsIZ0331人間七七四年
2011/07/07(木) 02:54:18.78ID:HbhTcdbz0332人間七七四年
2011/07/07(木) 03:06:21.45ID:ccq64NgV信忠は松姫のために正室開けてたとかいう話は本当だろうか?
信長は形だけでも家督を譲ってるし信忠と上手く付き合えば悪くは無さそうだね
上杉とガチで戦うハメになりそうだけど
0333人間七七四年
2011/07/07(木) 07:03:49.52ID:Q8M611Ej0334人間七七四年
2011/07/07(木) 09:34:53.11ID:fHyowlnv御館の乱直後だったはずだしボロボロだろ
0335人間七七四年
2011/07/07(木) 10:51:41.88ID:nY4jMHhl皇族だか公家だかが正室として内定していて
甲州崩れ後も松姫に関しては何も動かなかったから
ただのこじつけロマンスだな。
0336人間七七四年
2011/07/07(木) 10:59:09.95ID:zRRqEfZm0337人間七七四年
2011/07/07(木) 13:47:37.64ID:mRFQXEl3信忠が武田攻めでやる気全開だったのも松姫を手に入れるためと考えれば納得がいく
0338人間七七四年
2011/07/07(木) 15:06:52.43ID:qigZtlSh甲斐源氏という家柄もありーの、文通でやりとりはあったけど
戦国時代はもっとドライだと思うんだよね
秀吉が主家を乗っ取ったり、鬼武蔵が信雄のバカ殿など主君ではござらん!と言ったり
豊家恩顧の大名が旧主家の為に働かなかったりとかね
0340人間七七四年
2011/07/07(木) 15:55:56.47ID:0FNgZP5v蘆名、最上「俺たちを忘れてもらっては困るぜ!」
0341人間七七四年
2011/07/07(木) 15:56:46.94ID:rcdhDGO2>>339を仮に何とかしても、さらに沼田方面から滝川も加勢できるし。
0342人間七七四年
2011/07/07(木) 16:29:25.23ID:JByxMEA1信長もそうだがこの時代運も重要だわな
景勝について言えば新発田の乱抑えるために数年かかってるわけで大したレベルじゃないと思う
義理の兄が信長にあっさり滅亡させられたおかげで本能寺に繋がったわけで
0343人間七七四年
2011/07/07(木) 20:29:21.65ID:pipYADUs丸山氏によれば、史実でも勝頼は佐竹を通じて織田との和解に努めたみたいなんだけど、
信長はてんで相手にしてなかったみたいだからなあ。
0344人間七七四年
2011/07/07(木) 20:34:13.52ID:pipYADUs0345人間七七四年
2011/07/07(木) 21:22:44.82ID:4X//xxJd0346人間七七四年
2011/07/07(木) 22:28:02.96ID:ITo/sPtZ畠山さんの肖像画のイメージで考えてないよな?
0347人間七七四年
2011/07/07(木) 22:43:54.54ID:YwJlsQXp母親似なら美人の確率は高い
0348人間七七四年
2011/07/08(金) 17:06:23.38ID:kyyg0TSf0349人間七七四年
2011/07/08(金) 17:43:18.22ID:Tq9rMFy10350人間七七四年
2011/07/10(日) 12:53:04.75ID:T3jYIY2Y0351人間七七四年
2011/07/10(日) 18:05:23.26ID:GnUPYE/m0353人間七七四年
2011/07/10(日) 18:29:42.02ID:fXnGlQs/勝頼は小山田の元に向かったわけだし
小山田が勝頼裏切って斬首されてるのを考えると真田が同じ事して許されるとも思えないが
余程前から通じてたという事になれば話は別だが
0354人間七七四年
2011/07/10(日) 18:39:42.83ID:hMusKoRP赤座や朽木や小川は全没収された。
真田がある程度前から連絡してれば問題ない。
小山田は土壇場すぎた。
0355人間七七四年
2011/07/10(日) 21:28:06.53ID:lg33Q8um信玄時代の重臣の子でも、山県・馬場は殺されてるけど、内藤・高坂・真田は許されてるし
いくら信長だって家臣まで皆殺しにしてきたわけじゃないしね
0356人間七七四年
2011/07/10(日) 22:33:51.75ID:uFdFY52q0357人間七七四年
2011/07/10(日) 22:38:50.10ID:L4P0ccYw国人=活かす
0358人間七七四年
2011/07/11(月) 11:31:57.80ID:r4oEO9vu国人はほぼ地頭上がりで地域の名士なんだから
靡かない国人は排除しないとどうしようもない
郷士レベルの武将ならさしたる影響力もないからどうとでもなるが
0359人間七七四年
2011/07/11(月) 20:10:59.72ID:SsJqgj550360人間七七四年
2011/07/11(月) 20:18:21.28ID:lN1Bu7Y5殺した数の大小で価値を決める人間は偽善者です
0361人間七七四年
2011/07/11(月) 20:23:59.94ID:C2YKcP0Cまぁ信玄も佐久でやらかしてるけど
年齢とともに丸くなっていくのが常識だろうね
戦国武将といえども
信長の場合は残虐性をアピールしてひれ伏させる道を選んだみたいだけど
でも信長の言うように比叡山とか石山本願寺とかもう宗教施設じゃなくて軍事施設だしねー
酒を飲み妾を蓄え何が神に仕えてるのか?という信長の主張もあながち
0362人間七七四年
2011/07/13(水) 01:39:23.34ID:LVe6Z5Rt飯田城とか支城群がまともに機能してれば各個撃破の可能性もあり得たのに
0363人間七七四年
2011/07/13(水) 02:10:47.01ID:o/Ky8ufYさらに不落の小田原城もある。
0364人間七七四年
2011/07/13(水) 05:54:29.40ID:a5bAqSek0365人間七七四年
2011/07/13(水) 08:08:08.07ID:IG1UyMBo0366人間七七四年
2011/07/13(水) 10:20:43.27ID:0O0poNdy何が問題って駿河任せてる穴山が対応できてないのが問題
まぁこの頃には内通してたんだろうけど
0367人間七七四年
2011/07/13(水) 14:41:00.80ID:j9dFBeQTこの時点で穴山や信廉、信豊を粛清しようとしたら、武田はその時点で滅ぶ。
0368人間七七四年
2011/07/13(水) 22:21:11.35ID:9v16sCz70369人間七七四年
2011/07/13(水) 23:47:59.13ID:fbH1JwhE義信付きの老将飯富兵部みたいなのはいなかったっけ
0370人間七七四年
2011/07/14(木) 00:42:29.33ID:jUvRTa46勝頼には高遠時代に付属された家臣(安部勝宝、小原兄弟、秋山紀伊守など)がおり、彼らは
やはり勝頼との結びつきも堅固だったようで、最期まで行動を共にしているな。有力な家臣で
勝頼期というと、竜朱印の奏者を多く務める跡部勝資あたりが目立つかな。
その勝資にしても、動向をみると信玄子飼いという感が強いが。
0371人間七七四年
2011/07/14(木) 02:34:06.37ID:xCHdUFfu甲陽軍艦でディスられてるけど跡部は諏訪で戦死してるんだから
勝頼に殉じた数少ない武将の一人だろうね
0372人間七七四年
2011/07/14(木) 07:16:00.79ID:R+j7jN03高坂家と仲良くなかったとか?
0373人間七七四年
2011/07/14(木) 07:18:34.02ID:q+3tGkXG信玄と重臣を持ち上げて、勝頼とその取り巻きが駄目だったから武田が滅んだ、
ってことにしたかったんじゃね?
徳川家内旧武田家臣団としては。
0374人間七七四年
2011/07/14(木) 08:19:19.46ID:AY04tHcg0375人間七七四年
2011/07/14(木) 09:05:15.91ID:JAXQcT3h北条氏政もそうだがこの世代はディスられ過ぎだな
0376人間七七四年
2011/07/14(木) 10:13:58.45ID:OElQQwxw武田家の歴史は内訌とクーデターの歴史であり、そんな甘くは無い。
0378人間七七四年
2011/07/14(木) 14:28:55.79ID:tgfd7aQ7土屋や真田、石田小山田、仁科の家は、あり得ないレベルの出世をしたり、それなりの地位を得て、
穴山、郡内小山田、木曽の家は、揃って散ってるあたりだと思う。
0379人間七七四年
2011/07/14(木) 14:52:16.37ID:JAXQcT3h穴山に至っては死んで誰も惜しんでないというのがw
穴山に期待されたポジションは依田さんがこなしてくれたし
0380人間七七四年
2011/07/14(木) 18:52:26.15ID:Iq8dKrLL森長可に連れ去られたまま戻って来なかったら良かったのに
0381人間七七四年
2011/07/14(木) 18:54:34.50ID:R+j7jN03あの鬼武蔵が生かしておいてもいいかwと思った程度の器量だったと考えるんだ
0382人間七七四年
2011/07/14(木) 22:09:44.01ID:qp5V+sAU0383人間七七四年
2011/07/14(木) 22:19:07.61ID:mk2Cs48A0384人間七七四年
2011/07/15(金) 18:51:07.56ID:LPjdVdsu0385人間七七四年
2011/07/15(金) 19:08:13.65ID:1bj43Qxe0386人間七七四年
2011/07/15(金) 20:03:14.22ID:hsy2b/if0387人間七七四年
2011/07/17(日) 09:38:02.79ID:HGpbVFa10388人間七七四年
2011/07/18(月) 16:31:21.52ID:fY4EupWa謙信死後に信長の甥にあたる武田信勝に家督譲ったり人質の勝長を返還したりしたけどもう相手にされなかったんだよね。
0389人間七七四年
2011/07/19(火) 00:35:21.61ID:+/jnzoKt0390人間七七四年
2011/07/19(火) 00:41:03.03ID:Jor12QjH信玄は群雄割拠の時代で砥石崩れとか上田原の敗戦後でもまだ建直しの余裕があったけどさ
勝頼はなんかいかにもジリ貧って感じだったもんな
信玄でも苦戦した謙信相手に戦っても勝ち目はないと思ったのかな
0391人間七七四年
2011/07/19(火) 06:22:11.43ID:Kitl4s6w0392人間七七四年
2011/07/19(火) 10:10:03.70ID:BDkj7K/N0393人間七七四年
2011/07/19(火) 11:14:20.97ID:Y5fGett0その頃が戦歴の始まりの勝頼もどうにかなると思ったんだろう。
逆に言えばぐるりと強国に囲まれた武田家は信玄も同様に
危ない橋をわたらなければ勢力拡大できない地勢だったと言えると。
0394人間七七四年
2011/07/19(火) 11:26:39.75ID:uu/yVUguあの時点で織田と組んだ場合北条も織田に接近すると思うけど
奥信濃と西上野で上杉と激突するだけじゃね?
0395人間七七四年
2011/07/19(火) 12:31:36.64ID:BDkj7K/N0396人間七七四年
2011/07/19(火) 20:12:33.53ID:+F9FfPXf0397人間七七四年
2011/07/19(火) 20:18:08.35ID:lpy7PH5t0398人間七七四年
2011/07/19(火) 20:38:06.64ID:UJtCa8UI義信の場合、粛正に走りかねない。
0399人間七七四年
2011/07/19(火) 22:38:35.32ID:+mc55GvE実際はどうだかよくわからんみたいだけど
0400人間七七四年
2011/07/20(水) 00:55:32.37ID:YKsGnYOeあくまでも北進して上杉と戦うか、斉藤氏末期の美濃へ向かうか
まあ信濃や信玄恩顧の武将の反乱とかでそれどころじゃなくなる可能性大だが
あの時点は信玄をして危険をはらんだ南進をするしかないくらい手詰まりだったのでは
0401人間七七四年
2011/07/20(水) 01:01:05.27ID:j4BmgzJW飛騨を攻略したあと美濃に攻め入るかもしくは越中に進出して一向宗を傘下に収め上杉を挟撃するか
0402人間七七四年
2011/07/20(水) 02:45:14.18ID:FqLWYjly実際駿河を得たけど貴重な時間を失ったわけだし
ただ美濃に直接攻め入るのは兵站面で無理がありそうだが
0403人間七七四年
2011/07/20(水) 03:01:45.96ID:YKsGnYOe飛騨なんて獲っても得られる物が少ないだろうし
今川の機嫌損ねるのを覚悟で三河攻めとか駄目だったのかな
駿河侵攻で今川・北条とガチバトルよりはマシな気がするが
0404人間七七四年
2011/07/20(水) 03:09:24.85ID:FqLWYjlyなんか今川攻めて北条とも戦って上野にも手を出した頃って西進する気配なかったのにさ
なんで包囲網に参加したんだろうね
0405人間七七四年
2011/07/20(水) 18:47:58.18ID:51t/AYPn0406人間七七四年
2011/07/22(金) 21:02:44.33ID:FvudLsGd0407人間七七四年
2011/07/22(金) 21:44:06.08ID:dA8Nkcq00408人間七七四年
2011/07/22(金) 22:06:20.35ID:AzZEOSld信玄時代のワンセットで最後まで戦った感じだし
0409人間七七四年
2011/07/22(金) 22:11:23.01ID:1ww5tTzH信玄政策の踏襲などせずに織田徳川と戦わなければよかった。
0410人間七七四年
2011/07/23(土) 00:52:56.98ID:ESYL9fsW0411人間七七四年
2011/07/23(土) 07:08:44.45ID:KYY8iHIG残さなかっただろうから、んなこたぁ無理ですな
ムリムリカタツムリですな
0412人間七七四年
2011/07/23(土) 07:41:24.55ID:tGAp+9Lqいや、穴山とかの分家筋はみんな甲斐源氏だろ。
江戸時代まで穴山が残ったら、武田に改姓してたんじゃないかね。
0413人間七七四年
2011/07/23(土) 08:23:43.08ID:xNzwgoHW0414人間七七四年
2011/07/23(土) 11:15:52.58ID:s4WCNXzv上田原で板垣、甘利がラッキーにも戦死してくれて後は婚姻で懐柔していっただけの話で
勝頼時代になってその矛盾が噴出しただけとも言える
勝ってる内はなり潜めてたみたいだけどさ
0415人間七七四年
2011/07/23(土) 14:20:47.73ID:POIsctBM個人としては優しい人だったんだろうなあとは思う。
戦も父親の信玄や信長よりも上手かったとは思うけど、いかせん戦略面
というか外交面がダメダメだからなあ。
信長は戦上手ではないが戦略面でそれをカバーしてあそこまで行った。
よく言われる戦術<<戦略を見事に体現した2人だよね。
0417人間七七四年
2011/07/24(日) 00:12:42.47ID:tH1uHJPJ0418人間七七四年
2011/07/24(日) 00:33:18.86ID:tw3uP27z0419人間七七四年
2011/07/26(火) 01:24:35.45ID:FJDJ9e7zそれでも織田軍が侵攻してきたら、甲斐、信濃の守護は武田であり、侵略の不当性を信長に訴えるべき。
0420人間七七四年
2011/07/26(火) 03:20:41.08ID:XcldNZOU0421人間七七四年
2011/07/26(火) 05:30:12.10ID:OKLGF3ej攫ってった幼児を人質にしてる奴が大義名分とか、テラワロス
あと、勝頼の代でも守護職貰えてるの?
朝廷優先の信長論理だと、国司の方が守護より優先な気もするな。
0422人間七七四年
2011/07/26(火) 21:14:29.14ID:WJM5bmgn官位すら大膳大夫を自称したもものの正式な官途を得られず
死ぬまで無位無冠の悲哀を味わった
ぶっちゃけそうなったの信玄のせいだけだけどね
0423人間七七四年
2011/07/28(木) 14:25:54.62ID:gwA7MSHd0424人間七七四年
2011/07/28(木) 16:48:03.49ID:82JMGhTC尾張と美濃の平野を抱えた織田とは、最初から質が違いすぎる。
0425人間七七四年
2011/07/28(木) 18:35:07.89ID:dDVDtQon飽きた
0426人間七七四年
2011/07/28(木) 18:40:05.43ID:Vu8k2daG0427人間七七四年
2011/07/28(木) 19:17:02.58ID:f0PIPDu+0428人間七七四年
2011/07/28(木) 19:51:11.03ID:B+HN1HcXしかし、徳川があっという間に整備したものがなんで北条にはできなかったのかね?
戦闘で手一杯だったから?
0429人間七七四年
2011/07/30(土) 07:36:30.99ID:yPcMWF9sそんな事はあるまい。
幕末近くにすら「池袋村の女」という怪異話しがある。
近代以前の東京なんて池袋すらポツンとした村であるほどで、
関東はそこまで発展してない。
0430人間七七四年
2011/07/30(土) 17:54:33.21ID:URfXFBFu0431人間七七四年
2011/07/30(土) 23:02:46.23ID:uG9ey9470432人間七七四年
2011/07/30(土) 23:33:11.61ID:xtXmFaCF0433人間七七四年
2011/07/30(土) 23:49:32.94ID:Qpow4bVy0434人間七七四年
2011/07/31(日) 19:12:06.55ID:C4NxGSKw0436人間七七四年
2011/08/01(月) 06:03:22.56ID:5qnrkJRK京都で
武田幕府ひらく
気がする
関東は、北条と同盟を結び直しそうだな
0437人間七七四年
2011/08/01(月) 09:37:12.09ID:C9ZEo/Fr大義名分が無くなって織田が武田に変るだけ
0438人間七七四年
2011/08/03(水) 23:04:47.09ID:glUvX7Ix0439人間七七四年
2011/08/05(金) 03:37:14.06ID:mhKdRfLi0440人間七七四年
2011/08/05(金) 04:25:11.28ID:GeF+SGuj0441人間七七四年
2011/08/05(金) 10:31:54.86ID:qg7LE4j+ただし大部隊を率いるのには不向きなのは事実で
関ヶ原の秀忠隊も難儀している。
0442人間七七四年
2011/08/05(金) 12:21:00.46ID:ilF6b1IS0443人間七七四年
2011/08/05(金) 14:35:54.26ID:3MrNJjtZ大軍での侵攻に失敗、カウンターが正しい。
0444人間七七四年
2011/08/05(金) 19:47:33.05ID:hEoylKUpなんかいまだに駿河攻めが武田主導で始まったと思っているようだが
実際は今川が上杉と組んで武田を包囲する戦略を進めていたのであって、
最後通牒ともいうべき三河共同出兵(家康倒すの協力するから、三河半分を武田に、という話)
も拒否されて塩止めも起こり、今川上杉の同盟と武田包囲戦略が固まってきた1568年末の段階では
もう武田には先制攻撃で今川を撃たなければ、逆に武田が撃たれる状況でしかなかった
それから北条は当時上杉と関東諸侯連合相手の戦いを有利に進めており、
関東方面では詰めの段階にまで入っていたから
武田としても北条が介入してこれない、もしくは事情を話せばわかってくれるかもしれない、という
観測があったようだ
ここら辺の事情は北条側でも「氏真が武田に攻められたのは上杉に通じたせいかも。仕方ない事だね。」と言ってる書状がある事や
武田が深沢書状で「そもそもなんで俺らが戦ってるわけ?これまで武田と北条は上杉相手に各地で一緒に戦ってきたでしょ?
もともと今回の戦いは氏真が上杉に通じて武田を撃とうとしたのが原因でしょ?こっちは随分と今川に兵を出すのを我慢してたんだよ!」
って述べている事から裏付けられる
んで結局北条氏康が有利に進めていた関東戦線の権益を上杉に丸ごと渡して
対武田戦争に入った事はかなり意外な事だったはず
0445人間七七四年
2011/08/05(金) 19:50:27.29ID:hEoylKUpそりゃ入り口の木曽が敵になってたからだろ
出口入り口が味方になってれば十分可能
現に織田勢は木曽を手引きとしてそこから入ってきてる
武田も信玄死後の東美濃攻防では
信玄時代に美濃方面の入り口である岩村を押さえてあったから
特に難儀しないで東美濃まで入っている
0447人間七七四年
2011/08/05(金) 20:24:36.02ID:jRf8QDY9守護は家じゃなくてあくまで個人に与えられるものだから、自動的には継承されないよ。
義昭に連絡が付けば継承させてもらえただろうけど、なんせはるか広島の鞆にいるからなー。
0449人間七七四年
2011/08/05(金) 21:00:15.17ID:qg7LE4j+>>442
だから進路に選んだんでしょ。
当初の作戦では美濃を制した井伊が合流する手はずになっていて
出口の安全も確保出来てる予定だった。
難儀したって言うのは遅参で秀忠は強行軍したけど、増水で軍が動かなくなって
結局わずかな供回りだけで家康の元に出向いたってこと。
0450人間七七四年
2011/08/05(金) 21:17:20.64ID:qg7LE4j+先鋒の今福が木曽で破れてその報告で、
すでに織田の先鋒が木曽に入って固めてることを知ってあきらめただけ。
信玄時代にも一度は運よく侵攻を防いでるし、
長久手のときは上田以上の戦力差で徳川の別働隊を破ってたりと
木曽は要害であり大軍にとっては難地。
0451人間七七四年
2011/08/05(金) 22:45:28.08ID:3MrNJjtZ0452人間七七四年
2011/08/05(金) 23:48:51.69ID:qg7LE4j+そこから交戦不可になる理由である穴山の寝返りがいかに重大事だったかと言うことです。
0453人間七七四年
2011/08/06(土) 02:53:19.87ID:OwBkbJ7Y信豊や信廉は裏切ったとまでは言えないけど城捨てて逃げてるからなぁ
0455人間七七四年
2011/08/07(日) 14:26:49.60ID:CYkcva1j0456人間七七四年
2011/08/07(日) 14:27:14.06ID:TIQkhTmT0457人間七七四年
2011/08/08(月) 21:18:32.63ID:2eDloEAU0458人間七七四年
2011/08/09(火) 09:55:01.31ID:vOkJkxTe0459人間七七四年
2011/08/09(火) 10:19:01.57ID:kHjxqCQx上杉滅亡しなくて良かったね
0460人間七七四年
2011/08/09(火) 14:49:37.89ID:9J6a9PpZほとんどが自害してる。なかには空腹で動けないところを討ち死にした人まで。
0461人間七七四年
2011/08/09(火) 16:36:03.87ID:jVmKAWxF0462人間七七四年
2011/08/09(火) 19:21:17.71ID:HqPsJ+PW0463人間七七四年
2011/08/09(火) 21:36:03.12ID:q8dhk13t0464人間七七四年
2011/08/09(火) 21:39:33.90ID:LoZknrRp穴山室は、夫に先立たれたとはいえ、将軍の子を養育する立場になった。
木曽室は、隠遁とはいえ子と静かに生活。
松姫は、無理に結婚もさせられず、預かった子を立派に送り出し、武田の菩提を弔えた。
菊姫は、五大老の妻で実子なしながら敬愛された。
0465人間七七四年
2011/08/10(水) 21:37:01.23ID:05kXjoEP恐ろしいスピードだよ
0466人間七七四年
2011/08/10(水) 22:09:50.97ID:f20hmkpO浅井朝倉の滅亡スピードに比べると
0467人間七七四年
2011/08/11(木) 05:54:37.27ID:EZnAGNVj0468人間七七四年
2011/08/11(木) 06:39:46.70ID:07B2Ec9o0469人間七七四年
2011/08/11(木) 06:59:39.37ID:8Kh6a797最初の前提条件が変った以上一度撤退が正解だったんだろうけど
0470人間七七四年
2011/08/11(木) 07:23:41.09ID:YnKHGlTb長篠時点ではまだそこまで切羽詰まってないよな。
北条との同盟も堅固で、上杉方面も落ち着いてるし。
最初から織田との決戦を指向していた場合、北条から援軍もらって上杉を抑えた上で、
全力投入するべきだっただろうね。
0471人間七七四年
2011/08/11(木) 07:29:42.34ID:07B2Ec9o次々と滅ぼされていくのを目の当たりにしていたら、プレッシャー半端ないだろ。
0472人間七七四年
2011/08/11(木) 09:44:46.79ID:BusOVV5Y他の政策も長篠までは信玄の政策を忠実に継続してる
長篠も信玄以来の基本路線の内と見るのが妥当と思う
0473人間七七四年
2011/08/11(木) 13:44:44.83ID:2xxUfw14長篠ですら戦力差3倍
織田が他所でコケない限り戦力差は開くいっぽうだろ
信玄が俗にいう西上作戦で無理して集めたのが25000 15000だって余裕残しての数字ってわけじゃない
もっとも設楽原の地形から、両軍の兵力は実際は巷説の半分ぐらいではないかという説もあるけど
0474人間七七四年
2011/08/11(木) 18:52:26.17ID:nKdDnJoY西上が無理って何の話だ?
普通に信長大ピンチで方々手ふさがりになってピーピーいってるし
信玄死亡がなければ信長終了でおしまい
長篠までの活動は基本的に信玄西上の時の包囲網戦略による
美濃決戦が信玄死亡で出来なくなったので
徳川相手の地道な削減に切り替えられただけ
戦略としては信玄西上の戦略とはまるで別物だな
>>473
無理してって何の話だ?
長篠での1万5千は1575年には上杉が関宿攻防や北陸戦線がひと段落したから
対策として本国に1万以上残しての数字だってわかってんのか?
十分に余裕残しての数字だわ
武田は西上の時の半分の石高でしかない第四次川中島でも2万の兵出してるし、その後の西上野戦、今川戦、北条戦と
2万以上の兵力を普通にだしてるわ
どこが無理して集めた兵力なんだか説明してほしいもんだな
0476人間七七四年
2011/08/11(木) 21:10:48.92ID:2xxUfw14防衛兵力残さなければならない状況を余裕とは言わないし
0477人間七七四年
2011/08/11(木) 21:54:37.15ID:BusOVV5Y0479人間七七四年
2011/08/11(木) 22:02:28.38ID:6vuU9++r長篠が起こった1575年では丁度上杉が手空きになったからな
どこに動くか不明だったため、警戒のために守備兵力が必要になった
>>476
北条相手の第二次薩睡峠では対峙兵力が1万8千になってる
しかも後方に守備兵もいたから駿河に展開した武田の総兵力は2万近い
その後の北条相手の戦いでも小田原遠征・三増峠と2万の兵力で進軍してる
さらにそれ以前の1566年の箕輪攻めでも2万の兵を動員してる
いずれにせよ、信玄西上で2万5千の兵力を無理して集めただの、
武田は1万5千で余裕が無いなんて無理もいいところ
0480人間七七四年
2011/08/11(木) 22:08:00.13ID:6vuU9++r東美濃方面で展開した兵力が5千だから
合計兵力は3万5千ほどになるな
なんだ、十分4万近くだせるな
>>478
寿命なんてものは不確定要素だから無理でもなんでもないな
0481人間七七四年
2011/08/12(金) 04:49:40.23ID:qaWN10Fm川中島で2万というのがそもそも眉唾な可能性がw
本来はもっと少なかった可能性がある
つか物によれば諏訪攻めの段階で万を超える兵だったりするし
0482人間七七四年
2011/08/12(金) 07:37:38.14ID:TjCEWYs80483人間七七四年
2011/08/12(金) 08:20:21.50ID:pHh27wAK対織田は信長が開戦回避して終わり
長篠の戦力差は信長を決戦に引き釣り出せるものだったけど、できれば過半は欲しかったな 3倍は荷が重かった
0484人間七七四年
2011/08/12(金) 08:34:32.02ID:GT0GfH5cどこに勝ち目見出してたのかは知らんが
陣前出撃されて総崩れになったのも当たり前
0485人間七七四年
2011/08/12(金) 10:59:07.88ID:PUKoUxKHわからないのは信玄厨のだがさんくらいだ
0486人間七七四年
2011/08/12(金) 16:10:27.12ID:e+NNyljYそれを推しての征西が無理じゃなくてなんなんだ?
0487人間七七四年
2011/08/12(金) 20:52:22.73ID:/64y1/8w突然発病した、もしくは病状が急変した、んじゃね?
0488人間七七四年
2011/08/12(金) 20:55:02.53ID:/64y1/8wほぼ同数でも、野戦築城してる相手に正面から仕掛けたら駄目じゃね?
って、長篠城落とすのが目的なら、信長+家康の正面に3万おいて、残り1万で長篠落とせばいいのか。
0489人間七七四年
2011/08/12(金) 21:15:16.25ID:pHh27wAK軍勢4万って前提ならほぼ間違いなく史実より早く長篠城は落とせる それこそ織田軍が来る前に
史実通り対陣したとしても鳶ノ巣山に兵も避けただろうから酒井の奇襲失敗、あるいは奇襲策自体が無くなる
でも信玄時代にすら動員したこと無い4万を勝頼に求めるのは酷では
0490人間七七四年
2011/08/12(金) 21:50:33.38ID:7c620Hou4万いても一度に攻め込める人数は限られているぞ
0491人間七七四年
2011/08/12(金) 23:51:11.12ID:Lxt5japH当時の武田は上杉との決戦の為に、今川・北条国境の兵すら動員して
領国総動員したから2万を集められた、って感じだったかな
>>485
そんな無謀な突撃で
現に壊滅しておいて、それでやらねばならないとか思ってるのは織田厨の廃人ニートさんくらいだ
>>486
進歩しまくった現在の医学でさえ死ぬ時期なんて正確にわからんぞ
まして戦国時代に何を期待してるんだ?
>>489
信玄時代の最高動員なら3万5千か。
しかし、勝頼も高天神で2万5千は動員してるから
史実とはまた違った展開になりそう
てか、史実でさえも「勝頼がそのまま川を前にして、鳶の巣山に陣をしいていれば織田勢はどうしようも無かった」
と信長公記でいわれてるから
やりようはあったみたいだけどな
0492人間七七四年
2011/08/13(土) 10:11:45.39ID:S/7LI1qK収穫逓減の法則とかあったな
たとえ一対一の状況になるとはいえ、後ろに十人挑戦者が控えるのと、廿人控えるのじゃ戦意の面で圧迫できるんじゃないか
0493人間七七四年
2011/08/13(土) 10:24:12.24ID:nyL8SBWFこれも史実かどうか分からないぞ
実際にはその半数ぐらいであったかもよ
川中島の2万は領国総動員に加え一応自分の領土内での防衛戦
また後の遠征時と比べると兵の策源地からの距離も比較的近いからだな
一応石高基準で1万石につき450とか500もあるから
動員するだけなら信玄でも5万とか動員出来たのか?
しかし領内の男子総動員したという北条でさえ200万石越えで防衛戦なのに
10万人はいっていなかったらしいから
1万石につき450とか500というのは基準となる石高が緩い検地で行われただけか
宗氏みたいに借金含めて石高以外の収入が大量にあったからか
関ヶ原の黒田大坂の陣の豊臣みたいに貯蓄を切り崩したか
0494人間七七四年
2011/08/13(土) 11:45:10.24ID:UR6x+Kpy長篠城に限っていえば鳥居さん次第w
4万の兵に見つかる前に後詰の来援を知ることが出来るかどうか
0495人間七七四年
2011/08/14(日) 03:54:39.86ID:++QqF2d2根拠不明
根拠も無いのに半数だとかいわれてもわけわかめとしか
甲陽軍鑑によると、武田領国最盛期の軍団は最低で3万3千、限界動員して5万2千だそうだな
北条の防衛戦はあちこちに分散して兵力を配備したからな気がするが
本城小田原に5万6千がいて籠城し、後は関東の広い領域の城に分散して配備してたから
合計すれば10万近くいくんじゃないか
伊豆韮山城とか戦後まで持ちこたえてるしな
0496人間七七四年
2011/08/14(日) 10:27:07.47ID:UrZhh/Nwそういった軍記等による兵力のいい加減さをどうにかするために
某上洛スレは一定の基準として石高を用いるようになったんだったな
石高基準も問題はあれどそれでも軍記の数字をそのまま使うよりはまだマシだってことで
0497人間七七四年
2011/08/14(日) 10:41:33.81ID:dZ5bc5Pt本筋に戻しつつ関連話で。
木曽の反乱から武田滅亡までの一般に知られてる兵力は両軍とも信用していいの?
0498人間七七四年
2011/08/14(日) 11:00:49.19ID:JsVzeP31通説の兵力数は軍記の中からありえそうな数字を抽出してるだけ
信用できるものではない
0499人間七七四年
2011/08/14(日) 14:08:02.43ID:K1AWgD6E0500人間七七四年
2011/08/14(日) 14:17:44.88ID:a56fPd9z織田は基本的に西進方針で、北陸以外は濃尾ラインを維持してたから
信忠軍団がすっぽりと甲信上に配置されて中央が手薄になったのが本能寺の遠因でもあるし
0501人間七七四年
2011/08/17(水) 22:10:02.12ID:04ti4s/G一門筆頭が寝返る軍に味方したい奴いないだろうし
0502人間七七四年
2011/08/18(木) 21:33:20.94ID:R2KfBT950503人間七七四年
2011/08/22(月) 08:58:00.92ID:vEqf5GtU0504人間七七四年
2011/08/22(月) 09:12:22.27ID:KC2MkZ86儲かってる(勝ってる)・・・わらわらと人が集ってくる
儲からなくなる(負けてる)・・・蜘蛛の子散らすように・・
0505人間七七四年
2011/08/22(月) 18:41:09.53ID:Wa2yYil1武田滅亡時に
勝頼と共に天目山で果てた100人(とそこへ行くまでに倒れて果てた人物)と
高遠城の戦いで散った仁科盛信と1500人の兵以外は
ある意味、全て武田の裏切り者だと思いますが?
武田勝頼の召集に応じなかったり、
「自分の所領や城を守るため」とかいう連中は
所詮は口実で勝頼を見捨てて、自分のために行動したと言えます。
武田信豊や信廉、そのほか大勢の武田の将兵も全て裏切り者なのではないですか?
0506人間七七四年
2011/08/22(月) 18:41:35.62ID:Wa2yYil10507人間七七四年
2011/08/22(月) 19:49:36.24ID:oS5qasUBそれは違うな。
裏切ったと言えばまるで武田を見限った人々が悪いような言い方だが、
実際は武田に付いたほうが得策と思える状況を武田が作り出せなかったのが悪いんだ。
つまりお客さんが武田から織田に乗り換えたという感覚に近い。
0508人間七七四年
2011/08/22(月) 21:18:11.90ID:wiFbTRNPあんたのいう通りかもね
0509人間七七四年
2011/08/23(火) 00:12:46.36ID:53/QAc3v負けるとわかってて仕える価値もないようなやつに
ついていくなんて馬鹿のすること。
0510人間七七四年
2011/08/23(火) 01:08:38.98ID:gmOGNu9c離反反乱続出なんだよね
凄いよ
0511人間七七四年
2011/08/23(火) 01:27:56.80ID:fRASuO6j0512人間七七四年
2011/08/23(火) 04:00:25.55ID:xROOq5Di余力あるうちは新しい包囲網模索したりする割にちょっと苦しくなると土下座外交するし
(当然無視されたけど)
末期の豊臣政権並に場当たり的で頼り無さ過ぎ。
0513人間七七四年
2011/08/23(火) 11:11:56.15ID:L0u2azw/超巨大勢力とやり合うにはちょっと足らなかったというか
謙信があの期に及んで関東出兵しようとしてたとか空気読めてなかったのも痛いね
0514人間七七四年
2011/08/23(火) 12:38:56.41ID:zL4plCFC0515人間七七四年
2011/08/23(火) 14:50:58.10ID:xROOq5Di日和見したり謙信についたりしたら面白いんだけど…
0516人間七七四年
2011/08/23(火) 14:52:42.36ID:C6Emm4r0一向宗とも和睦していながら今さら関東管領の責務とか言われても家臣も困惑しただろうね
0517人間七七四年
2011/08/23(火) 15:48:27.02ID:fgIW33XU0518人間七七四年
2011/08/25(木) 02:44:16.24ID:DfyfT4ZV0519人間七七四年
2011/08/27(土) 03:26:51.84ID:DskXgzwEただ戦略家としてダメだったのが戦国大名として痛かった。
信長は戦術家としてなら中の上だったと思うが戦略家としてはピカイチだった。
よく言われる戦略>戦術を体現している2人だと思う。
0520人間七七四年
2011/08/27(土) 06:16:48.64ID:QmH0cwKe0521人間七七四年
2011/08/27(土) 06:44:48.84ID:+A3ELHjC大兵力だとそこそこってかんじ。
指揮官として優秀、戦術家として中の上、戦略家として優秀ってかんじかな。
勝頼は大きい兵力でもうまく動かせるよね。
0522人間七七四年
2011/08/29(月) 23:38:42.21ID:quE1vq2B桶狭間以外でも稲生とか斎藤義龍戦とか光秀救出戦では見事な軍事的成功を収めてる。
手傷を負いながらも怯まないあたり、そういう場面では猛将的な部分があったのかもしれない。
0523人間七七四年
2011/08/30(火) 00:12:53.62ID:r9BdcTTM猛将だけ 信忠
0524人間七七四年
2011/08/30(火) 02:13:43.00ID:QiNXSVWoっか武田宗家の直々所領って実際どれくらいなん?
小山田、穴山やら有力な国人の所領を除いた武田家の力ってかなり低いんじゃね?
0525人間七七四年
2011/08/30(火) 03:16:13.11ID:r3XJFEvGすごい重圧や逆境のなかで織田家を運営してきた事で、
決断力や実行力、想像力も研%
0526人間七七四年
2011/08/30(火) 03:16:29.18ID:r3XJFEvGすごい重圧や逆境のなかで織田家を運営してきた事で、
決断力や実行力、想像力も研かれたでしょう。
信忠は大成功したワンマン親父の指導下で、
プレッシャーもなく、常に相手より大軍での行動。
生まれつき能力があるかどうかは知らんが、
研かれてきたとは思えない。
信雄よりは、上手くやっていたとはおもうけど、
1つ1つの戦の目的や意味が理解できていないから、
本能寺の時に1番大切な「生き残る」を選択出来ていない。
0527人間七七四年
2011/08/30(火) 10:17:28.89ID:wSvPUa3sわざわざ少数の指揮を磨く必要もないと思うけど
求められる物がそもそも違うのだから
只、本能寺は武田を滅ぼした時がイメージとして鮮烈だったのかもな
死ねる時に死ねないとみたいな
IFとして10回全部同じ行動はとらないかも?
0528人間七七四年
2011/08/30(火) 11:50:33.55ID:wBkzPKA8秀吉も当然呼応するわけで明智の劣勢は明らか
明智滅亡後に秀吉の扱いが焦点になりそう
いきなり信忠側近に権力が集中すれば当時方面軍司令だった柴田あたりも気分のいいものではないだろうし
0529人間七七四年
2011/08/30(火) 18:59:24.34ID:B0aXyRhy二千人くらい護衛がいたというから逃げるだけならできてたよね?
0530人間七七四年
2011/08/30(火) 19:49:28.73ID:kw2jKzF4敗北の経験がなかったとは言え、この辺はマイナスポイント
0531人間七七四年
2011/08/30(火) 19:50:23.41ID:qc7JdwSS0532人間七七四年
2011/08/30(火) 20:40:01.35ID:iuJOLGwU0533人間七七四年
2011/08/31(水) 01:49:10.22ID:PWckZYK4超優秀な部下が反乱起こしたら普通に退路封鎖されてるかも!?
ってなるし、それよりも信長が脱出する可能性にかけたのかもしれん
あるいは丹羽軍の救援待ちとか
0534人間七七四年
2011/08/31(水) 02:07:38.45ID:SG6fRSa2武田攻めでの高遠城の件といい本能寺の変の件といい信忠は近視眼的だわな
本能寺も逃げなかった理由は信長見捨てて自分だけ逃げたら恥ずかしいとかそんなレベルでしょどーせ
0535人間七七四年
2011/08/31(水) 02:33:07.50ID:PWckZYK4>>524
確かに、武田宋家の直接的な支配地域ってどれくらいなんだろな…
それ考えると織田家の直領尾張岐阜100万石以上って半端ない
0537人間七七四年
2011/08/31(水) 10:09:00.73ID:7IRhdVT+秀忠も結構似たような逸話もあるし、偉大な父を持つ優秀な二代目ってのはそんなものかも知れない
後は何だかんだで子供に甘い信長と厳しい家康の教育の差かと
0538人間七七四年
2011/08/31(水) 10:16:25.69ID:NWNINpSN実際に親父に腹切らされた訳だし
信忠だけ色眼鏡で見すぎだよ
0539人間七七四年
2011/08/31(水) 11:03:58.37ID:ifeQ3Kat秀忠が生き残って信忠が死んだのはお付きの家臣の差だろうね
秀忠とかもし生き残った勝頼が信濃で秀忠の進軍邪魔したら戦死レベルだろうな
戦ではゴミ過ぎる
0540人間七七四年
2011/08/31(水) 20:29:46.79ID:X+qoPoyAどこでそんな最前線まで出たんだろうなー。
どう考えても出なくて良い状況で前線に出て怪我してるね。
0542人間七七四年
2011/08/31(水) 21:12:45.03ID:V13mMENX0543人間七七四年
2011/08/31(水) 21:22:28.04ID:rNdBryT0上田攻めや大阪夏の陣では本陣まで襲われたって話もあるから、その時くらいか
あるいは太閤死後直後の江戸行き前後に記録に残ってない何かがあったか
0544人間七七四年
2011/08/31(水) 22:30:14.09ID:Pj9BksCH0545人間七七四年
2011/08/31(水) 23:09:43.71ID:X+qoPoyAそんな記録がないのが謎。
0546人間七七四年
2011/09/01(木) 00:35:14.82ID:ohkkBL72天下取った後の秀吉は信長評は点が辛いけど信長の勇猛さは認めているからな。
まあ彼の勇猛さは天下統一の地ならしに必要不可欠だったと思う。
信忠が逃げなかったのは仕方ないかなとは思う。
明智光秀は彼が謀反を起すなら事前準備は完璧だと思われる位に優秀で
まさか暴発のような謀反とは予測出来なかっただろうし。
逃げる事に関しては神レベルのオヤジがやられたんなら直一層無理だと感じるだろうし。
0547人間七七四年
2011/09/01(木) 00:36:18.66ID:4xp8mB1D0548人間七七四年
2011/09/01(木) 08:43:58.13ID:KhgBAM7M異説!徳川秀忠関ヶ原突撃編
0549人間七七四年
2011/09/01(木) 10:28:23.68ID:5w/Aux26二代目の辛い所ではある
0550人間七七四年
2011/09/01(木) 16:01:10.08ID:eRFv14yk槍持てっ!
お付き「まーた始まった」
0553人間七七四年
2011/09/02(金) 13:45:10.66ID:DL9eKdu40554人間七七四年
2011/09/02(金) 17:39:23.97ID:tKOIjS720555人間七七四年
2011/09/02(金) 17:45:06.33ID:VWxk4swi0557人間七七四年
2011/09/02(金) 19:56:21.16ID:HK5hZHU20558人間七七四年
2011/09/02(金) 21:44:31.56ID:W0xQW3YX0559人間七七四年
2011/09/03(土) 00:10:34.64ID:/w6rMELW0561人間七七四年
2011/09/03(土) 15:52:54.31ID:bUnYvlli甲斐には昔から毛坊主と呼ばれる剃髪していない僧侶がいたらしいが
0562人間七七四年
2011/09/03(土) 17:10:21.93ID:xpfeygFR0563人間七七四年
2011/09/03(土) 17:44:02.58ID:43VZMkpJ0564人間七七四年
2011/09/03(土) 17:54:17.77ID:dlcPI9oL0566人間七七四年
2011/09/04(日) 03:57:08.36ID:+XEG1AuX0567人間七七四年
2011/09/04(日) 14:17:36.32ID:RMFx7KwCカルト似非宗教法人は税金払ってないよ
0568人間七七四年
2011/09/26(月) 13:01:29.30ID:us2BFddN上原城の大広間に信玄の金切り声がとどろいた。
駿河探題穴山梅雪が徳川へ寝返ったという報が入ったのだ。
木曽義昌に続き、親族衆筆頭の穴山までが裏切り、大広間の武田家臣は
武田の終わりが近いことを感じ、誰もが放心状態で下を向いていた。
信玄がよろめきながら立ち上がり、城外に向かおうとしたときだった。
さらにもう一人、憔悴しきった顔の伝令が姿を見せた。
「申し上げます!」
「何じゃ!」。信玄は次の凶報が何か想像もつかないようだった。
「高遠城、織田信忠の軍勢に攻撃され、落ちました!。
城主、武田勝頼様、討死!」
次の瞬間、大広間中に響く大きな音がしたかと思うと、信玄が仰向けに
倒れていた。
「御館様!」
武田の重臣達は、信玄の周りへ輪になって駆け寄った。
「高遠まで落され、わしの生涯は一体何だったのじゃ!」
信玄は起き上がろうとしながら叫んだ。
信玄は再び立ち上がり、城外へ駆け出すと、ただちに馬を走らせた。
杖突峠を駆け下りてくる織田軍に怯えながらの撤退であった。
「設楽ヶ原さえなければ・・・」
馬上の信玄は悔いた。
天正元年(1573年)、西上途中に病に倒れた信玄は、信濃を経由し、
何とか躑躅ヶ崎館に帰陣した。信玄は3ヶ月ほど生死の境を彷徨ったが、
奇跡的に病状が回復。翌天正2年には、馬上にまたがって出陣できるほどの
健常体にまで回復した。
しかし、信玄の健康が回復したとき、既に浅井・朝倉は滅亡し、足利義昭は
京を追われ、信長包囲網は瓦解していた。信玄は天正3年、徳川方に奪われた
長篠城奪回のため三河に出陣、後詰にやってきた織田・徳川連合軍と
設楽ヶ原で対陣した。
結果、織田・徳川連合軍の馬防柵に阻まれ、馬場、山県、内藤、原など
歴戦の重臣を一気に失ってしまったのだった。
未完成の新府城へ到着したとき、1万いた武田軍は1千にまで減っていた。
「どうするのじゃ!」信玄が叫んだとき、小山田信茂が進言した。
「我が岩殿城にお越しくださいませ。」
そのとき真田昌幸が横から「我が岩櫃城で上杉殿と再起を図るのが
上策」と申し出た。
信玄は「小笠原・村上のように越後へ落ち延びるのだけは嫌じゃ!。
甲斐を棄てるわけにはいかん!」と岩殿行きを決断したのだった。
0569人間七七四年
2011/09/26(月) 13:50:08.34ID:uYnGXH4b震源が生きてれば寝返りはないよw
0570人間七七四年
2011/09/26(月) 21:37:01.52ID:Vr5PBi1V0571人間七七四年
2011/09/26(月) 22:06:11.90ID:BwsujCSG0572人間七七四年
2011/10/05(水) 18:25:19.60ID:0lWyOWhY>超優秀な部下が反乱起こしたら普通に退路封鎖されてるかも!?
私は光秀という人が好きですが、「超優秀」は過褒でしょう。
「秀」くらいだと思います。
0573人間七七四年
2011/10/16(日) 22:31:26.29ID:1D3Byzoh0574人間七七四年
2011/10/16(日) 23:02:02.02ID:3hxy3koX0575人間七七四年
2011/10/17(月) 00:15:07.76ID:6/NtTHgh0576人間七七四年
2011/10/17(月) 02:20:37.34ID:iUyQ7Eotって言って棒で首を突っついた。
ってのをなんかの本で見た
0579人間七七四年
2011/10/19(水) 16:01:21.82ID:r1u990e+0580人間七七四年
2011/10/19(水) 22:22:16.22ID:h9MjoO+N0581人間七七四年
2011/10/19(水) 22:57:04.64ID:P4a3WS2yそれより飛び方が問題だと思うんだ
ドロップキックかライダーキックか真空飛び膝蹴りか・・・
0582人間七七四年
2011/10/20(木) 01:17:36.52ID:vdRjMXcl0583人間七七四年
2011/10/21(金) 18:40:20.32ID:pJ42G0540584人間七七四年
2011/10/24(月) 16:52:42.79ID:sjdoSwuo亡者や首をわざと邪険に扱い「お前は弱かったから負けたのだ。
死してなお我らに報復をしようなどどいう気を起こすなよ」
・・・という意味あいから、ソザツに扱いかつ呪詛的なキツイ言葉でいましめ
死後の報復を逃れる、というような首実検の儀礼もある。
信長が勝頼の首を邪険に扱ったのは後者の例だと解説する資料本もあるが、
真実は不明かと。
0585人間七七四年
2011/10/24(月) 21:06:18.95ID:WsedGCxkと首を鞭で打った、って逸話があるな。
お前は陶の反乱の時に完全な共謀者だろう!と突っ込んでやりたいが。
0586まる
2011/10/25(火) 10:12:45.87ID:kvXnXkC70587人間七七四年
2011/10/28(金) 15:33:44.83ID:+cJeP4tQ0588人間七七四年
2011/10/28(金) 18:40:12.91ID:nzwpzAW+秀吉と光秀で同じような話を聞いたことがあるな
・・・ということは、本能寺の変の黒幕は・・・
0589人間七七四年
2011/10/28(金) 23:37:07.28ID:Abh5vgF1なーんてのも多いからな
0590人間七七四年
2011/10/29(土) 15:39:03.63ID:dyeKmwdM0591人間七七四年
2011/10/29(土) 17:34:09.91ID:Sb0RcwVkまあ本能寺後にあっさりと甲斐を帰服させてるから家康が武田残党への懐柔策をしっかりやったのは間違いないだろうけどそれに比べて織田が格別酷いことをしたというのは眉唾物だね
0592なろう
2011/11/11(金) 10:14:09.88ID:3HDum29O0593人間七七四年
2011/11/11(金) 22:01:08.05ID:9Gr1ArWk0594人間七七四年
2011/11/14(月) 18:40:28.69ID:+8A7c4Bw0595人間七七四年
2011/11/18(金) 22:14:15.07ID:c6xaAUQX0596人間七七四年
2011/11/19(土) 18:56:16.41ID:N0tpxUYS田野で野糞する勝頼を想像すると涙が出る。。。
0597人間七七四年
2011/11/19(土) 19:09:53.33ID:dqDr1JPZ信玄なんかの息子として生まれてきたのがいけなかった…
0598人間七七四年
2011/11/20(日) 13:21:48.34ID:HM0XAixz0599人間七七四年
2011/11/23(水) 22:41:41.32ID:+IibB7CU0600人間七七四年
2011/11/24(木) 09:16:05.07ID:DecQ8Zs6アンチ信玄は醜いのう
0601人間七七四年
2011/11/24(木) 09:40:58.90ID:ab67qHo70602人間七七四年
2011/11/24(木) 19:11:38.15ID:Abk5xlxA岩村城を見捨てる
上杉後継争いで北条との同盟を切る
高天神城への援軍を送らず見捨てた
など勝頼の失敗が完全に原因でしょ。
0603人間七七四年
2011/11/25(金) 02:29:07.26ID:PmwlmwGs0604人間七七四年
2011/11/25(金) 03:47:51.53ID:QKNknrV8昔のやつには居た気がするんだが
0606人間七七四年
2011/11/25(金) 19:20:47.81ID:+JkgSWyZ3月11日はなんかある
0607人間七七四年
2011/11/25(金) 20:36:44.63ID:prJJytdj0609人間七七四年
2011/11/26(土) 18:43:36.36ID:jHgjSM8R>長篠の戦いで敗北
>岩村城を見捨てる
>高天神城への援軍を送らず見捨てた
以上は織田と戦うから起こったことで原因は開戦した信玄じゃないかね
国力が織田>>武田の状態で開戦しその差を誤差程度しか埋めれずに死去とか見通し甘すぎ
0610人間七七四年
2011/11/26(土) 19:00:13.35ID:tw2UYmVi信玄が隠せと遺言したのももちろん悪かったが
0611人間七七四年
2011/11/26(土) 21:14:35.03ID:BSb1f2WA0612人間七七四年
2011/11/27(日) 02:28:06.83ID:7Ej+Dobz信長の政治力って抜けてるんだよな
やばくなると天皇でも何でも使って停戦する
やばくなるとリセットボタン並にチート
0613人間七七四年
2011/11/27(日) 12:54:35.50ID:2tx+n3+P志賀の陣で朝倉に土下座した時に
将軍チートに頼って和議してもらい難を逃れている。
0614人間七七四年
2011/11/27(日) 13:18:09.58ID:NeGCLAhZ0615人間七七四年
2011/11/27(日) 13:43:47.40ID:BNpgbaTfついには幼君大樹様義尋に頼り幕府継続に必死ワロタ
0616人間七七四年
2011/11/27(日) 16:25:26.22ID:hakxTxcrいや元就は大凶日は戦をしてはならないと言う決りを守らず
軍を解いていた陶を卑怯な襲い方をしたから
タタリが恐ろしくて首を奉っただけだよ。
他にも尼子と呪術合戦したときに
尼子怨敵屈服の僧達の大合唱を眺めて
元就は「あれマジ怖ぇ・・・ありゃあ効き目抜群だわ」とか言ってる。
そもそも元就は太陽教みたいな太陽崇拝者で息子達にも
朝起きたら絶対に朝日に向かって拝めと命じてるくらいだし。
0617人間七七四年
2011/11/27(日) 23:03:11.98ID:ZUW4XA54それでも最終的にはあの時代の最大勢力になったんだから大したもの。
信長の揚げ足取りばっかやっててよく飽きないな?虚しくないかw?
0618人間七七四年
2011/11/27(日) 23:22:44.84ID:NFFOVRtp軍事力も劣る対抗勢力が政治力もなく包囲網瓦解したりしてるのをどう見るか
0622人間七七四年
2011/11/28(月) 09:04:07.93ID:d0YaTCfy悔しかったらお前も朝廷や将軍使えよ
0623人間七七四年
2011/11/28(月) 11:32:45.57ID:debTWBHq将軍家や朝廷に頼ら無いと連戦連敗。
安国寺からもあいつ長くねーなと予言されてるほど増長。
そんなダメ長は己を神だと勘違い始めて
最後は家臣に殺され
別の家臣に家を乗っ取られるバカ死に。
0624人間七七四年
2011/11/28(月) 11:52:39.19ID:DMrKJuqa0625人間七七四年
2011/11/28(月) 12:11:37.58ID:xL/Q/+tbhttp://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1322329580/
0626人間七七四年
2011/11/28(月) 12:18:25.17ID:xL/Q/+tb家族や家臣にまで太陽教を創始して信心を強要する
教祖元就>>616重度に気持ち悪いどころか迷惑すぎだが
信長もハ見寺を作って自分を神と思って
拝観料まで家臣から取って礼拝させたからな。
カルト教祖化する大名って最悪だわ。
0627人間七七四年
2011/11/28(月) 15:04:22.99ID:debTWBHq寄生虫、宿り木、小判鮫でしかない。
0628人間七七四年
2011/11/28(月) 15:06:03.57ID:27Bx0YYM0629人間七七四年
2011/11/28(月) 15:15:47.42ID:l10fdn+z古今そうだろ、自分を貴人貴種にして正当性を訴える
0630人間七七四年
2011/11/28(月) 16:59:40.10ID:xL/Q/+tb信長なんて公記にも3回も御狂いなされたとか書かれてるしw
0631人間七七四年
2011/11/28(月) 18:14:03.94ID:l10fdn+zって言っとけばいいのか?
「カルト」と「教祖」(としておこう、信長の事)は同じ意味じゃないぞ
それに将軍への弾劾状読んだ信玄が舌を巻いたとか(記憶あやふや)、その狂った人間に侍としての筋が無いといわれた信玄公はどうなる?
0632人間七七四年
2011/11/28(月) 18:49:11.79ID:xL/Q/+tbバーカ書いてあるからwww
織田厨が信長公記をまったく読まずに書いてる無知ぶりがまた露呈w
>>信玄が舌を巻
バッカだな、それ二次史料の当代記(松平忠明著1624年以降成立)
に出てくる逸話であって史実じゃないからwww
織田厨のくせに
いい加減な書きこみばかりすんなやwww
0633人間七七四年
2011/11/28(月) 18:54:52.19ID:l10fdn+z織田厨の癖にいい加減な書き込みするなってのはおかしいんじゃないか?
織田厨だからこそじゃなくて?
0634人間七七四年
2011/11/28(月) 19:47:49.71ID:ojIlhRS3何が通じてないのか疑問ではあるが、
もともと信長は浅井のときといい、自分で火をつけて離反されたら逆切れ、というパターンが多いので
勝頼への官位叙任・将軍一字拝領をつぶし、両属だった美濃岩村をいきなり取り込んできた信長の所業からすれば
侍の筋云々など信長に言われたところで信玄にしてみたら痛くもかゆくもないだろう
侍としての筋を踏み外した男、とは信玄のほうでも信長の事を評しているしな
0635人間七七四年
2011/11/28(月) 20:21:08.88ID:i+gkmcKk日本語通じんアホに何言っても始まらんから放置した方がいいよ
単に日頃のうだつの上がらない状況に対するストレスを信長叩くことで解消してるだけの奴なんだから
0636人間七七四年
2011/11/28(月) 20:34:56.96ID:l10fdn+z文章推敲した方がいいと思うぞ?
全部武田の思い込みだろそれ
明確に信長が主導で関与したなんて史料あるんかいね
>>635
ころころIDも変わるしな
0637人間七七四年
2011/11/28(月) 22:39:42.79ID:yx0za9oC信長の悪事は綺麗な悪事ですね。
さすが先天的池沼織田厨w
0638人間七七四年
2011/11/28(月) 23:23:22.70ID:l10fdn+z0639人間七七四年
2011/11/29(火) 00:10:17.13ID:14cV4inG気に喰わない
これで虐殺して回るんだから
信長なんて武士の道を踏み外しまくりだろ。
おまけに僧まで殺戮し神仏を穢す悪行。
信長は叡山の僧が堕落とかもっともらしいこと言ってるが
元を糾せば信長が比叡山の領地を横領しまくってたのが原因だし
信長の上洛依頼を本願寺や比叡山は出して支援して協力してたのに
信長に利用されて騙されたのが僧侶側だし。
おまけに上京まで燃やして恫喝略奪大会やって
桂川は逃げ遅れた民衆の死体でいっぱい。
こんなクズ長を怒るのは信玄でなくても
普通の人間なら当たり前だわな。
0640人間七七四年
2011/11/29(火) 00:10:54.01ID:D1ZK1C3s0641人間七七四年
2011/11/29(火) 01:19:40.76ID:aPqkpHz80642人間七七四年
2011/11/29(火) 02:54:16.13ID:sOBHeRT3織田包囲網 平松
時代の変化に対応できない奴らが死ぬだけの話
0643人間七七四年
2011/11/29(火) 03:25:11.14ID:Q+Q6HmSa文盲さんには読めなかった?
思い込みじゃないだろ
将軍の任命権剥奪や岩村乗っ取りにおける動きとか
信長の命令ででてるんだから
自演乙
いっとくけど俺は>>632とは別人だから
そうやって自分に都合の悪いことを書く人間を一人認定して
信長に都合悪い事から目を背けて曲解し続けてるだけの織田厨ニートが
何いってんだか、って感じだな
0644人間七七四年
2011/11/29(火) 03:28:04.56ID:Q+Q6HmSaへー、河尻とか織田信広の岩村派遣とか書状にあるし、
将軍の任命権剥奪が信長の命令ででてる事も公記にあるが
いい加減思い込みで書くのやめろ
>>642
信長が時代の変化の何に対応したのやら
てか、信長なんて政策は丸投げ放任ばっかりの癖に
そうやって都合のいいときだけ、そのときそのときで
優勢な政治家の権威に寄生しようとする信長厨はさもしい限り
0645人間七七四年
2011/11/29(火) 11:25:03.87ID:r8fI43cw>>643
ないないw
あるっていうなら史料名だせってのw
>>644
公記アテにならんっていったの武田厨だろw
0646人間七七四年
2011/11/29(火) 12:05:20.66ID:BypaRwfc0647人間七七四年
2011/11/29(火) 17:58:10.59ID:14cV4inG0648人間七七四年
2011/11/29(火) 18:35:44.57ID:a5SK2a+Z公記をさんざんひけらかしながら
公記に都合悪いこと書いてあるとなると
記述否定とか阿呆ですか?所詮織田厨なのかもしれないが
単純に考えても将軍の任命権剥奪したり両属の城に軍隊派遣して接収するとか、
そういうレベルの事が織田家中で大名である信長以外にできるの?
もしかして、信長はそういったことまで家臣が独断で行えるほど君主権力弱かったといいたいの?
0649人間七七四年
2011/11/29(火) 22:01:42.12ID:r8fI43cw公記がアテにならないなら一切採用するなよw
都合のいいところつまみ食いしてるの自白しちゃったよこのひとw
屁理屈言ってないで織田信長が主導したって根拠だせっての
ちなみに公記がアテにならないのは以下のことから明らか
一次史料以外は
読むとミスジャッジへ誘われて
無意識に誤判断を常識として
刷り込まれるから読まない方が中立性が保たれる。
信長公記を含め軍記なんて悪影響しかない。
公記なんて太田が信長厨なのを
隠しもせずにマンセーしまくり褒め称え
負けを勝ちに歪曲してるデタラメ本
0650人間七七四年
2011/11/29(火) 22:10:30.69ID:D1ZK1C3s0651人間七七四年
2011/11/29(火) 23:09:17.95ID:5TocpKCBそれは美質だと思うけどね。
勝頼もそれが出来れば滅亡は避けられたんじゃないかな。
0653人間七七四年
2011/11/30(水) 05:04:17.03ID:ZOmJtjMb俺は別に公記が「一切あてにならない」とはいってないけど?
何他人と同一認定してんのww
本当に自分の敵が一人だとおもいたがってるんだなww馬鹿すぎww
普通に公記でも信長に都合の悪いところ書いてあったり
整合性が取れるところは使っていいんじゃないの
でないと信長政権とか存在自体が謎だらけ、資料少なすぎてww
だから公記w
あ、信長ってこういった重要事項まで家臣が独断で行えるくらいに君主権力ガタガタだったんですねw
さすがは適当放任体制でワロスw
本能寺一発で崩壊して誰も織田家を守ろうとしなかったのも納得だわww
0654人間七七四年
2011/11/30(水) 19:38:51.18ID:d6WWGRD/0655人間七七四年
2011/11/30(水) 20:57:44.35ID:6XeVpN/+0656人間七七四年
2011/12/01(木) 02:42:50.53ID:+ovC4ROW0658人間七七四年
2011/12/01(木) 08:50:22.90ID:4e5XxG/w勝頼を積極的裏切った穴山、木曽、小山田がそのご悲惨な末路をたどってるのは因果応報だなぁ
あの甲州攻めで内戦作戦で次々に織田、徳川、北条を撃破とか信玄でも無理だろうね
木曽の離反とその後の信豊の敗北ですでに終わってた感じ
若いころの勝頼なら3000位直卒で木曽討伐してただろうけど信豊に任せたのが運の尽き
最後にまともに戦えずに滅亡するとか・・・
0660人間七七四年
2011/12/01(木) 16:36:48.67ID:geMZdhtj1582年2月 武田征伐
1590年 小田原征伐
1591年 大崎葛西の乱〜九戸政実
0661人間七七四年
2011/12/02(金) 19:02:16.30ID:TeCvsSZH0662人間七七四年
2011/12/03(土) 00:20:02.81ID:zkX0WBc2圧倒的劣勢の最前線なので木曽義昌だけはどう考えても裏切ったほうが良いだろう
その後だって所領もあるし、ちゃんと畳の上で死ね訳だしね
0663人間七七四年
2011/12/03(土) 09:00:48.47ID:5vWJYztq0664人間七七四年
2011/12/03(土) 15:23:50.62ID:bWOOvJANその後に木曽は森長可に脅迫され
上杉の後援でやってきた小笠原貞種に
信長や家康から安堵された安曇郡と筑摩郡をごっそり奪われ
しかもそいつと対立した小笠原貞慶が
家康から安曇郡と筑摩郡を安堵されて完全に涙目の木曽・・・
最後は街道収入や木材収入も無い
現在の千葉県旭市(下総国海上郡阿知戸)1万石に飛ばされる木曽・・・
まぁ穴山や小山田みたいに殺されないだけマシだったけどな。
0665人間七七四年
2011/12/03(土) 15:26:06.76ID:ACWoEw6B0666人間七七四年
2011/12/04(日) 09:05:16.06ID:/y3/hvsm0667人間七七四年
2011/12/11(日) 16:18:42.93ID:iWwfIr4k0668人間七七四年
2011/12/11(日) 21:23:05.49ID:jDhv03MIなんだかやるせないよね
0669人間七七四年
2011/12/11(日) 22:46:14.91ID:ppd9UiGR0670人間七七四年
2011/12/12(月) 23:49:36.33ID:XLNc+V270671人間七七四年
2011/12/24(土) 00:09:27.70ID:ejr6RWP3長篠のトラウマかな。
0673人間七七四年
2011/12/24(土) 00:56:04.68ID:J5wJSPTy徳川北条とは確かに戦っていたが織田軍主力とは長篠以降は本格的に事を構えていない。
だから織田相手という言い方は若干おかしいな。まぁ徳川に大量の援助はしていたがな。
武田の最期は経済的に行き詰まったのと敵を増やしすぎて内部の動揺が拡大し
とどめが織田の大軍の心理的圧迫だろうね
0674人間七七四年
2011/12/24(土) 01:35:06.99ID:k0y26PSF0675人間七七四年
2011/12/24(土) 05:26:44.25ID:AKsY8ZD+また浅間山ネタですか?
京で浅間山噴火が武田滅亡の凶兆されたのは解るが、甲斐信濃が動揺したというソースは無いの?
0676人間七七四年
2011/12/24(土) 15:27:58.01ID:ejr6RWP3甲斐信濃に織田軍が攻めてきたときは、ほうとう食い逃げの逃亡兵ばかりだし。
0677人間七七四年
2011/12/24(土) 16:03:58.82ID:3zoaF2rJ織田厨さんはぜったいに認めようとはしないだろう。
京からでも群馬県の噴火が観測されてるほどの規模は洒落にならないと思う。
0678人間七七四年
2011/12/24(土) 17:20:01.71ID:15qTPH4K京都から広島に落ちた原爆を視認した並みの距離だからな…
そりゃあ武田将兵にとっちゃ戦してる場合じゃないわ。
0679人間七七四年
2011/12/24(土) 17:22:51.61ID:FEKCn8tW0680人間七七四年
2011/12/24(土) 20:59:31.25ID:8hEL1+eP0681人間七七四年
2011/12/24(土) 22:00:10.70ID:FEKCn8tW0682人間七七四年
2011/12/24(土) 22:15:44.58ID:6kjZtd6iそんなに大変なら北条は戦争どころじゃないでしょ?
0683人間七七四年
2011/12/24(土) 22:24:37.96ID:FEKCn8tWまとめると、武田だけが軍事行動起こせないほどの被害を受けて、周囲の越後上杉相模北条遠江徳川近江織田は被害受けずに軍事行動起こせたと
具体的にどんな被害があったのよ?
聞いてあげるから史料明示して説明してごらん?
0684人間七七四年
2011/12/24(土) 22:33:50.56ID:nXXZNSuU本当なら逆に武田の寿命が伸びたと思うわ
0685人間七七四年
2011/12/25(日) 03:01:11.69ID:31g+7DCE・長篠の戦い
・新府築城
・信濃喪失
を見たらどう思っただろうか。
0686人間七七四年
2011/12/25(日) 03:11:01.92ID:Djc1QHc30687人間七七四年
2011/12/25(日) 08:17:18.92ID:JQWAzn0e甲府のほぼ真北に位置してる。
被害の中心は武田領国。
北条は出陣見合わせで、
実際に出陣したのは20日。
しかも織田の猛進を聞いて、やべぇと焦っての出陣に過ぎない。
富士山と勘違いしてるバカみたいだが、
浅間山に近いのは由良氏であり北条じゃない。
上杉は景勝の16日越中出馬予定が延期。
織田厨はなにも知らないくせに
言い加減な書き込みを断言口調で書くからクソなんだよな。
0688人間七七四年
2011/12/25(日) 08:43:25.34ID:kGwlV7ym甲斐って広いんだねー
0689人間七七四年
2011/12/25(日) 09:38:43.47ID:JvSmC59u0690人間七七四年
2011/12/25(日) 10:10:57.04ID:f6sIb6wP>>688の言うような大規模なのに、同心円を描くとほぼ越後全土含むのに、上杉は元気に走り回ってるから
北条領なんか上野のごく一部と武蔵にちょろっとかかるぐらい
で、具体的にどんな影響が出たのかも未だに出てこない
普通噴火の影響って数日そこらで変わるもんじゃないよw
いい加減こじつけでしたって認めなよw
ついでに言うと武田は何度も何度も出陣延期とかしてるから
そのたびに浅間山噴火してたんか?w
そういう日常的に延期してたんだから、たまたま延期が重なっただけだよw
君は占いとか信じちゃうタイプかな?w
0691人間七七四年
2011/12/25(日) 10:53:55.45ID:31g+7DCE0692人間七七四年
2011/12/25(日) 11:09:06.76ID:31g+7DCE0693人間七七四年
2011/12/25(日) 11:13:19.73ID:7RsSUaX8勝頼にとって最大の誤算だろう
0696人間七七四年
2011/12/25(日) 12:18:16.96ID:LWomy4Hm土屋とか言う人に赤兎か、それが無理でも百段でも与えてやれればな
そうじゃないんだから千でも伝説もんだろ?
0698人間七七四年
2011/12/25(日) 14:03:21.58ID:qHCZ9zbMなるほど。確かに噴火のせいで、
上杉と北条は出陣延期してんだな。
木曾の謀反に噴火が重なり、
武田領国は混乱してしまったんだろうな。
0699人間七七四年
2011/12/25(日) 17:19:06.24ID:4TQq5wrAWW2末期の東海地震とか菅政権の大震災とか
的確にとどめ刺しに来るな
0700人間七七四年
2011/12/25(日) 18:19:36.14ID:RgzgQfMc昔の人は天災を神の啓示と思って
自らの政と不徳を恥じて心を改める感受性があったが
いまの政治家や支配階級は想定外wとか言ってクソすぎだよね。
0701人間七七四年
2011/12/25(日) 18:25:15.94ID:4TQq5wrAポンペイとか繁栄中に天変地異で壊滅した例もあるけど
やはり悪政+天災のコンボは人々の記憶に残りやすいんだろうな
飢饉とかも悪政とリンクしやすいし
0702人間七七四年
2011/12/25(日) 23:02:32.36ID:JvSmC59u準一門だし影響のでかさは凄まじい。
更に重要な防御拠点が根刮ぎ無くなるんだからどうしようもない。
木曾はまだ遠いとして駿河素通りされたらもう甲斐は守りきれない。
0703人間七七四年
2011/12/26(月) 00:02:50.08ID:ZRtbMSFC0705人間七七四年
2011/12/26(月) 00:35:08.79ID:yLQWjEa9勝頼もここまで裏切り起きるとは想定外だったろうし
0706人間七七四年
2011/12/26(月) 00:38:14.40ID:UCIwX9bK信濃の玄関口に陣取る木曽義昌が寝返って、
その木曽義昌に軍を派遣して討伐できなかった時点で
武田家の命運なんて尽きたも同然
謀叛者に負けた武田というのが武田家内外に伝わった
0707人間七七四年
2011/12/26(月) 00:42:16.84ID:yLQWjEa90708人間七七四年
2011/12/26(月) 06:16:15.96ID:N9bm0S35勝頼が鉄砲に突撃した代償は重かった。
0709人間七七四年
2011/12/26(月) 08:56:04.85ID:njgtpd+zそりゃあ噴火で後背地たる本国甲斐を含めた北信濃と西上野が混乱したら
木曾討伐どころじゃないだろ。
率いてきた兵力の大半は地元が気にかかり
おちつかせようとするべく帰ろうとするだろ。
地元に守りを押し付けて帰られたら
次々と自落するわな。
諏訪湖近辺から進軍出来ずに、
しかも高遠城を見捨てて勝頼が本国へ帰るなんてのは
まさに噴火で混乱し治安悪化した甲斐の姿が垣間見えるだろ。
0710人間七七四年
2011/12/26(月) 11:47:04.88ID:CWhgPhmA武田征伐を開始した時の信長公記だけだけどな。
火山噴火の事実を覆い隠して、悪政悪政ってやたら強調してて
明らかに作意が見え透いてる。
むしろ織田の方が数万以上の大虐殺を越前でやったり
上京を燃やして略奪恐喝したりと大逆悪政をしてるけどな。
0711人間七七四年
2011/12/26(月) 11:47:53.59ID:e1NCVvzb噴火といっても小さな噴火で火山灰降る範囲も限定的だったでしょう。
武田好きで何でも噴火の仕業にしたいんだろうけど見苦しいよ。
0713人間七七四年
2011/12/26(月) 11:53:00.63ID:WX1pliAb幾らはっきりしたソースが無いからって、『だろ』ばっか使ってると妄想丸出しだな
因みに1582年の噴火は大噴火ではない
0716人間七七四年
2011/12/26(月) 12:55:06.05ID:CWhgPhmA>>711
京からの観測で天あかくと書かれ
浅間山までの距離は約400キロであり
西国なら広島の原爆の爆発を京から視認できたのに相当する。
さらに雪ことことしきなどと書かれているのは
京に噴火の粉塵が降ってきたということ。
和仁親王が体調を崩されて天に祈祷をしているなど
浅間山噴火は京でも只事でない状況になってる。
>>713
被害記録がちゃんと残ってるか、残ってないかで
大噴火か噴火かを気象庁が判断してるだけで、
寺社を通して庶民の戸籍登録が為されている
江戸時代の天明3年大噴火は
川越松平藩と幕府勘定奉行所の記録も去ることながら
かなり詳しい絵図付きの記録が残っているから大噴火認定をされており、
浅間山噴火での詳細記録と言うのは残念ながら非常に珍しい。
武田滅亡の混乱から噴火の状況記録は京での視認記録しかないのが現状であり
武田滅亡という大事件を誘発した以上は大噴火の可能性は大いにありうる。
>>715
事実の羅列に過ぎないが。
0717人間七七四年
2011/12/26(月) 13:14:29.45ID:CWhgPhmA藤原宗忠の日記で天仁元年8月25日に京から東方天色甚赤と視認される。
9/5に上野国の国司から朝廷に浅間山噴火とその被害詳細について報告を受けている。
この朝廷への報告詳細により大噴火認定を受けている。
京で浅間山噴火が視認されている共通点が見出せる。
0718人間七七四年
2011/12/26(月) 21:21:17.77ID:5DztXtfK風向き次第では関東全部やばい。
なのにどうして他の国が全く被害を受けていないのか?
0719人間七七四年
2011/12/26(月) 21:26:59.76ID:+MazXnCo当時の武田に、わざわざリスクを犯してまで即攻めしなければならな脅威はないし
噴火で大混乱してるのに岩櫃行きを薦める馬鹿もいない
0720人間七七四年
2011/12/26(月) 21:37:35.09ID:ZMSD+msX「可能性がある」
針小棒大とはまさにお前のためにあるような言葉だなw
京都から観察できるほどの大規模な噴火なのに、武田領土に集中して被害が出ている
そして影響があるといいつつ、軍事行動のオクレをあげているが、それ以外の被害記録はその他の国どころか武田家にも残されていないと
ちょっと考えてみなよ?
君の家が大爆発しました
神奈川県だから名古屋あたりからもその模様が観察できました
でも他に記録はありません
あったのは電車が遅れたということだけ
これでさあ・・・大噴火?可能性?w
面白い思考だよなw
0721人間七七四年
2011/12/27(火) 03:10:26.32ID:WBi5iNQu何を勘違いしているのかは知らんが、木曽討伐に派遣されたのは武田信豊、今福筑前といった信濃衆だぞ。
積雪で思うように進軍できないうちに織田の援軍を得た木曽義昌と鳥居峠で接触して敗北。
だから甲斐本国の連中と比べて信濃国の連中の寝返りが多いんだよ。実際戦って負けてるから。
0722人間七七四年
2011/12/27(火) 03:30:23.06ID:KWWVj+b/こんな大勢力があんなに簡単に崩れるとは信長自身思ってなかっただろうな
0724人間七七四年
2011/12/27(火) 17:04:21.15ID:mhunsbe2武田信豊は父の信繁を継いでるから信濃に領地なんて無いだろ。
兄弟は信濃国佐久郡の望月氏を継いでるが、
そこは浅間山に激近いし上野国に隣接してる。
それと今福筑前守は駿河国久能城主だし。
信濃衆とする根拠はなんだ?
だいたい武田信豊が木曽討伐に向かったのと
今福筑前守が織田を迎撃した話は完全に別物なのに見事に混同してるし。
まず信豊が鳥居峠で木曽に敗北って甲陽軍鑑の話だろ・・・
しかもその時はまだ織田軍は来てないし
後詰の勝頼2万は諏訪で軍議をするが
信廉は派遣先の伊那から無断で甲府に帰るし
諏訪に帰ってきた信豊も病気と言って軍議欠席がちで勝頼は諏訪で立ち往生。
そのうち織田軍がやってきたが、やはり諏訪で動けずにいたら
穴山が謀反した報が入り、勝頼を見捨てる者続出し軍は崩壊。
この武田軍の混乱ぶりは、すでに余震や小規模噴火が多発していたので
諏訪から動けない状況になっていたのではなかろうか。
公記の記事に従うと2/2に木曽討伐に15000で勝頼が出陣したとされる。
2/6に木曽が信長に援軍を求めてるのが史料でわかる。
それを受けて信忠が2/11に岐阜を出陣してるのも史料でわかる。
2/14火山噴火
公記に従うと14日に信忠は岩村に到着して滝川や川尻を差し遣わせる。
公記によれば14日に松尾城の小笠原が織田に味方すると言うので
団や森らが先陣として木曽峠を越えて松尾城落城させ(飯田地域平定)
さらに進んで2/16に今福筑前守が織田と交戦して鳥居峠で敗北とされる。
公記によれば伊奈口節所に滝が沢要害を構えて下条伊豆守が守備してたが
2/6に下条伊豆を裏切り家老の下条九兵衛が逆心
し川尻与兵衛を岩村口に引き入れたとする。
2/7に高倉永相が村井貞勝から信濃半分をすでに制圧したと聞いている。
これについては2/6に武田軍が木曽氏討伐に出撃を受けて
木曽氏が織田に援軍要請している段階なので非常に怪しい記述。
事実としても岩村口に位置してると思われるので最前線の一砦が
侵攻前の調略段階ですでに内通してたのだろうし
こんなところが落ちたレベルは大した問題じゃないのはわかる。
信濃半国制圧は2/14の松尾城を落としてもまだまだ達成できない話で
2/7現在でそれはありえないし、それに付随したウソが滝が沢要害話ではなかろうか。
やはり14日がターニングポイントになってるのは認めざるを得ない。
0725人間七七四年
2011/12/27(火) 17:41:45.61ID:M+4jMW0p疑問なんだけど、
「噴火の粉塵とか火砕流とかそう言う影響は微細
一番影響を与えたのは噴火が起きたという事そのものが与えた精神的ショックで、武田軍は崩壊した
決して織田軍の影響ではない」
っていう理解でいいのかな?
0726人間七七四年
2011/12/27(火) 20:31:27.20ID:Cpzxl3ac0727人間七七四年
2011/12/27(火) 20:40:40.40ID:u3X5xFRp0729人間七七四年
2011/12/27(火) 22:17:20.45ID:WjnkoY7a0730人間七七四年
2011/12/27(火) 22:25:00.44ID:x/mD7Nwj織田側は強大な経済力を背景に年中軍隊を無理なく動員出来るのに対し、
甲信駿上程度の経済力で年中軍を動かすには限界がある。
織田徳川に対抗すればする程、武田はやせ細っていき最後は折れる。
そういう運命。
0731人間七七四年
2011/12/27(火) 23:42:17.40ID:u3X5xFRp0732人間七七四年
2011/12/27(火) 23:51:31.74ID:cPBpyvHLミッドウエーで大敗しなくても結局はというのと同じじゃ?
0733人間七七四年
2011/12/28(水) 00:03:07.99ID:RT6PT3X/信長公記や甲陽軍鑑
つか、この時の大筋の流れしってりゃわかる話なんだけども
>>724
>>それと今福筑前守は駿河国久能城主だし
それ親父の方じゃなかったか?親父も筑前守とかで混同したとかならすまんが。
>>木曽氏が織田に援軍要請している段階なので非常に怪しい記述。
別に怪しくもなんともない。
そもそも織田にとっては木曽救援は甲斐征伐の一環で、武田征伐と木曽救援が同時に行われている。
それが証拠に信長公記で木曽御加勢の人間は織田源五、織田、織田孫十郎、稲葉彦六、梶原平次郎、塚本小大膳、水野藤次郎、簗田彦四郎、丹羽勘助で
既に信濃方面の各所で展開していた森勝蔵、団平八、河尻与兵衛の名前はなく、もちろん主力たる織田信忠、滝川一益の名もなし。
村井が色をつけて「しなの半分」と言ったのも、既に武田征伐そのものが行われると決まっていたからこそだろ。
0734人間七七四年
2011/12/28(水) 01:27:51.57ID:0bm8mf67京都まで見えるような噴煙が上る噴火でも、火砕流や火山灰は大した事ない
可能性はあるものなぁ。特に浅間山の場合はしょっちゅうそういう噴火を起こしているし。
たとえば、1947年の噴火は噴煙の高さ12kmもある噴火だったけど、死者はあまり
多くなく11人、農作物への被害もそれほど大きくはなかった模様。
1958年の噴火は噴煙の高さが7〜8kmだったけど、死者はなし。ってな具合。
0735人間七七四年
2011/12/28(水) 08:15:35.97ID:ax4lKcLn信用性ゼロだろ。
公記は攻め滅ぼした側の正当化だし、
甲陽は何から何まで勝頼が悪いと無理くり理由を考えてる。
そんなのが悪政なんて書いてたとかでソースになるかよ。
一次史料だせよ。
軍記ものは滅びた原因に悪政と書くのは常套句だし。
金がないってのも、本を読むと御館の乱で景勝側に買収された勝頼を根拠にしてるくらい。
しかし政治外交で利害が絡むのは当たり前。
そんなのは根拠にならない。
美濃の臨済宗の大動員かけて斉藤義龍と対抗したほどの人望ある快川紹喜が、
甲斐を離れなかったのは
勝頼が取り立てて悪政をしてたと言い切れない証拠だと思うが。
0736人間七七四年
2011/12/28(水) 10:01:50.76ID:FAY9EEYrしょっちゅう被害の少ない噴火を起こしてて武田征伐の時もそうだったなら、噴火と滅亡の関連性は薄いってことだな
0737人間七七四年
2011/12/28(水) 10:11:56.74ID:ax4lKcLn京都から赤い空と噴煙が観測されたが、
大したこたとなかったとする実例ソースは?
そもそも京で観測された浅間山噴火は天仁元年(1108年)と天正10
年の噴火だけだろが。
0739人間七七四年
2011/12/28(水) 11:37:32.51ID:Mmf0ptPy前から聞いてるんだが、それなら信濃甲斐大混乱の実例ソースを早く出せよ
噴火が武田滅亡に関わる大事件なら、史料が残ってない事自体がおかしい
0740人間七七四年
2011/12/28(水) 12:06:57.95ID:1fgJPa7O0741人間七七四年
2011/12/28(水) 13:16:39.93ID:DOu4gWGF0743人間七七四年
2011/12/28(水) 19:18:25.90ID:N3LLRzwl>>716の
>さらに雪ことことしきなどと書かれているのは
>京に噴火の粉塵が降ってきたということ。
と、「雪=火山灰だ!」という強引な話しか無いんですが。
0744人間七七四年
2011/12/28(水) 19:24:33.18ID:bVu0rL0b特別な大雪とかで無い限り
天候の話は書かれてないよ。
0745人間七七四年
2011/12/28(水) 20:48:14.31ID:qh1/uV/f0746人間七七四年
2011/12/28(水) 22:56:09.48ID:RT6PT3X/噴火厨はいい加減に武田は織田に滅ぼされたことを強く認識するべき
0748人間七七四年
2011/12/29(木) 00:34:09.43ID:XhpKf5gx0749人間七七四年
2011/12/29(木) 00:45:40.72ID:F+5iQ+oE0750人間七七四年
2011/12/29(木) 01:31:26.62ID:c9cIjoTdもし本能寺が起こると仮定するならば上杉から3000くらい兵借りて川中島経由で信濃に乱入
真田昌幸が呼応して甲斐信濃切り取ってた可能性も
0751人間七七四年
2011/12/29(木) 01:54:24.64ID:51ZYrfic0752人間七七四年
2011/12/29(木) 01:54:40.48ID:WJdcp+jP真田に裏切られて上杉・北条・徳川いずれかへの手土産にされる可能性もあるが…
0753人間七七四年
2011/12/29(木) 02:06:48.76ID:c9cIjoTd甲信抑えてればどうなるか分からんよ
実際には甲信も抑えた徳川が北条との同盟のお陰で背後の憂いなく西に集中できたけど
武田・上杉が堅固に同盟維持してるわけで柴田、徳川、織田、羽柴の力関係にかなり影響出るでしょ
0754人間七七四年
2011/12/29(木) 03:39:30.96ID:F+5iQ+oE上杉家臣として甲信で勢力伸ばす勝頼の姿がありそうだ
0755人間七七四年
2011/12/29(木) 06:06:07.56ID:c9cIjoTd0756人間七七四年
2011/12/29(木) 08:12:13.70ID:3fMHFhTaまあ法度の条文見る限り農民には容赦ないとは思えるが
例えば逃散した農民の分は村で補ってはらえとか
農民との話し合いには応じない村が崩壊するようだったら一応応じるとか
棟別銭が異常に高いとか
勝山記の民の嘆きとか
一次史料にもある農民の逃散とか身売りとか
ただそれじゃあ他の大名はどうなのってなると逃散身売りなんて探せば見つかるし
話し合いには応じないと規定しながら訴訟があったり訴訟じゃ埒があかないと勝頼に直訴したり
棟別銭が高いのも甲斐は貨幣の価値が低い可能性もあるしなんともいえん
0757人間七七四年
2011/12/29(木) 08:18:41.44ID:3fMHFhTa基本火山灰は上野などに向かって
甲斐方面に向かったことなんてなかったと思うが
それに1582年は大噴火じゃないだろ
死者を出した噴火の時のような噴火堆積物は見つかっていないんじゃ
0759人間七七四年
2011/12/29(木) 09:50:32.55ID:F+5iQ+oEむしろ駿河方面の方が戦闘多かった気もするけどな
0760人間七七四年
2011/12/29(木) 10:03:02.85ID:X6VUrkW4実際は劣勢になったので慌てて講話しようとしたとしか思えん
0761人間七七四年
2011/12/29(木) 11:10:41.98ID:3fMHFhTa1582年に噴火した時は主力は既に信濃に移動していたんじゃ
更に言うなら火山灰で動きが封じられるような噴火でもないんだから
動けないってことはないだろ
もし交通が阻害されるようなら真田なんか実際には領国に戻れないわけだし
それほどの噴火だったなら夏になっても移動不可で北条が信濃に侵入すること出来なかったはずだし
まあ仮にそうだったなら最後に勝頼が真田じゃなく小山田選んだのは必然とも言えるか
0762人間七七四年
2011/12/29(木) 12:11:03.55ID:CGmv5az3勝頼が生きているだけでなぜ甲信を抑えられるのか
そんな事ができるんだったらそもそも武田攻めの時ああいう事になっていない
武田と上杉が同盟結んでいようが、秀吉が織田家を乗っ取るのを阻止しない限り、国力からして史実通りの展開しかありえない
0763人間七七四年
2011/12/29(木) 14:43:13.09ID:BWlJMdgZ領地で災害起きたのに帰らないで戦争し続ける領主なんて、
現在でも失脚だろ。
信豊、真田、内藤、小幡、木部、和田、安中、依田、
みんな上野衆
0764人間七七四年
2011/12/29(木) 14:47:09.76ID:CgBe+nwQ武田が再興されると仮定するなら秀吉にとってはプラスだろうね
武田的には秀吉と同盟して徳川を挟撃できる絶好のチャンスだし
0765人間七七四年
2011/12/29(木) 15:30:03.26ID:HQbIH/8b要害だといっても、戦略的な価値がそこまで高いとは思えんのだけど
0766人間七七四年
2011/12/29(木) 15:44:06.73ID:51ZYrfic諏訪原城を取られてるから防衛線としては機能して無いわで
純軍事的には無益なところではあるが
対織田徳川戦の唯一残った成果であり、徳川にとっては精神的楔だから
破棄するにはおしいわな
0767人間七七四年
2011/12/29(木) 16:09:09.65ID:CGmv5az3いいや。
主家が大規模な攻撃を受けてるってのに、それを見捨てて、実害もない災害のために領地に帰る方がおかしいw
0768人間七七四年
2011/12/29(木) 17:10:40.27ID:exayN7x4火山灰が降り積もるぐらいなら少しぐらいはその痕跡が残っているはず。
0769人間七七四年
2011/12/29(木) 20:19:32.95ID:5uIi7c4O1108年の大噴火と武田征伐の時だけ。
1108年の時は上野国司が大被害をのちに朝廷に報告。
これは動かない事実。
0770人間七七四年
2011/12/29(木) 23:19:13.04ID:xV461J94噴火が始まるのと被害が出るのとで時差があることすら知らないような無知っぷりを
晒すのが大好きな変態なのか、お前は。
0771人間七七四年
2011/12/29(木) 23:36:03.49ID:rpCWBdHWただでさえ落ちぶれ出してた武田が攻撃受けてる時に何キロにも昇る噴煙眺めてたら
「もう勝頼終わりじゃね?」って気分になるでしょ
現代でも大津波見て「菅直人はやっぱり疫病神」って思うんだし
0772人間七七四年
2011/12/29(木) 23:45:16.99ID:XhpKf5gx0773人間七七四年
2011/12/30(金) 00:00:00.76ID:sf2KmjOu0774人間七七四年
2011/12/30(金) 00:51:47.91ID:3zWax0Gtそんなもんはあくまでメンタル面の後付設定だよ
噴火がなければ元気100倍で織田軍を撃退できたと言えるのか?
0775人間七七四年
2011/12/30(金) 01:00:50.95ID:QF4gIMwe噴火は滅亡の要因の一つでいいんじゃねーの?
噴火で滅亡ってのも噴火は何の影響もないってのも極端な結論だろ
0776人間七七四年
2011/12/30(金) 02:06:51.76ID:uTCVrNwiいいえ事実です。
噴火が無かった場合は、史実よりもマシな戦いになり、やはり織田に敗れるでしょう。
0777人間七七四年
2011/12/30(金) 07:02:50.54ID:qcC5OVcb0778人間七七四年
2011/12/30(金) 08:16:11.55ID:TE0PdU2F浅間山噴火で東空が赤いことに、
京では武田滅亡の予兆だと考えられていたし、
平山優氏の同時代史料からみた武田勝頼の評価の中でも、
浅間山噴火は東国異変の象徴と考えられていて、
武田の家臣達は天に見放された勝頼を
支えようとはしなかったと書いているし。
0779人間七七四年
2011/12/30(金) 08:28:04.78ID:aVG3Fwedこんなの解釈の仕方で何んとでもなる話
0780人間七七四年
2011/12/30(金) 11:46:52.48ID:ke+CWghb噴火が無ければもう少し違ってたろうな。
0781人間七七四年
2011/12/30(金) 11:57:59.17ID:fCuid9Ez京でも観測できるような噴火が理由なら何で信長は驚いたんだ?w
崩れて当然と思うのが普通だろww
0782人間七七四年
2011/12/30(金) 12:57:18.01ID:E33jn4C3城から立ち上る気や天候・天文が地上に与える影響
悪日や大凶日や易や暦
呪術やクジ引きおみくじの神託とか
人為を越える自然界の意思を恐れ祈祷してた時代だからね。
そりゃあ火山なんて噴火した日にゃあ
武田滅亡の天意だって驚いただろうね。
もう勝頼なんてどうでもいいやって離散するのもわかる。
0783人間七七四年
2011/12/30(金) 13:14:08.08ID:KGfcy9/u絶好じゃね?
噴火するほど勝頼は天命にも見放された
なんでかかなかったの?
まさか知らなかったわけでもなかろうに
上杉も記していない、徳川も記していない、織田もしかり
敵の凶事は味方の吉事
宣伝しないわけが無い
0784人間七七四年
2011/12/30(金) 13:25:56.84ID:8QASyYQU攻めいる方も攻めいる方で不安に駆られると思うが
0785人間七七四年
2011/12/30(金) 13:28:15.95ID:E33jn4C3だから噴火という天意=武田の悪政が原因で天が怒ったに違いない
こういう図式でロクに根拠も述べられず
ただ悪政だ悪政だと記される羽目になってるじゃん。
0786人間七七四年
2011/12/30(金) 14:18:57.70ID:8QASyYQUいやでも信虎追放の時も妙法寺記によるなら100年に一度の天災なのに
軍鑑には書いていないから、勝頼の時も書いていなくてもおかしくないのか?
考えてみれば、
他にも軍鑑は50年代後半の飢饉や60年代後半の飢饉のこともないし、
洪水のこともない。
それらに対する武田家の行動も書いていないし。
とはいえ軍鑑以外の織田徳川北条系にも書いていないがな。
家忠日記とか地震とかの災害事項もいろいろ記録しているのに、
この噴火のことは書いていない。
0787人間七七四年
2011/12/30(金) 14:41:11.28ID:KGfcy9/u意味が分からない、主に等号の前後の関係が
もう一回書き直してくれ
噴火という天意=武田の悪政?
噴火という天意=武田の悪性が原因で天が怒ったに違いない?
>>786
信玄上げが目的だからじゃね
0789人間七七四年
2011/12/30(金) 14:58:46.14ID:gbgD4A4Fいくら喚いても、
公家の日記から噴火の記述が消えるわけではありませんけど…
0790人間七七四年
2011/12/30(金) 15:13:22.72ID:8QASyYQUそれの物理的な影響となるとほとんどゼロに近いかと。
人間への精神的な影響にしても良く分からない程度。
仮に武田家の人間にのみ影響があったとして、もし噴火が無ければと考えても、
戦略的にはほぼ詰み状態でどうにもならない、武田の滅亡は確定的、
織田の本隊が来るまで持ちこたえられればいい程度じゃないか?
木曽穴山の寝返りが無ければの方が影響は大きいと思う。
0791人間七七四年
2011/12/30(金) 17:43:10.83ID:E33jn4C3しかも諏訪まで出陣した勝頼は謎の軍隊崩壊を起こして
木曽討伐どころじゃなくなってしまった。
その謎が火山噴火しか考えられないじゃん。
0792人間七七四年
2011/12/30(金) 18:00:21.19ID:KGfcy9/u0794人間七七四年
2011/12/30(金) 20:21:29.87ID:3zWax0Gt強いて言うなら徳川家の駿河侵攻が捗ったくらいか
木曽に謀叛を起こされ、討伐しようとしたら既に織田軍が侵入
勝頼が諏訪に立ち往生している間にポンポン信濃衆が寝返り武田家終了
0795人間七七四年
2011/12/30(金) 20:56:26.18ID:ke+CWghbお前ら時代を先取りしてておいらは安心だ。
大噴火対策を本格検討
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111230ddm001040056000c.html
「平和な時代が続きすぎた。日本の火山は今後活発化する」。多くの火山学者の
共通した見方だ。小山氏は言う。「『3・11』で災害に想定外があることを
大きな犠牲を払って皆が理解した。確率が低くても規模や被害が非常に大きい
現象には備えが必要だ」
0797人間七七四年
2011/12/31(土) 15:33:04.17ID:y6Pp+Eo0簡単に息子殺すしw
まあ山梨を高速から見りゃこりゃダメだわとか解るけどな。
まあ精々信濃の佐久辺りで我慢して信長に臣従してれば保身が出来たはずなのにw
オヤジ追い出す→息子殺す→無駄な戦を何度も長野で→病気なのに無理に遠征
珍玄の実情は余りそう能力無いだろうさ
0798人間七七四年
2011/12/31(土) 16:04:42.79ID:gloeHvY/2012年2月号の日経サイエンスの地震の特集記事に富士山の活動の年表が出てるぞ(P42)参考にしてみてくれ。
これだと16世紀の初期に噴火してて、次の大噴火まで200年のスパンがあるな。
富士山の噴火と南海トラフや相模トラフの関連性が見られるから、天正期に巨大地震若しくは大地震の記録が出てくれば、武田攻めの時の武田の脆さの理由が見えてくるのかも。災害が滅亡の原因とするならばだけど。
ライトな歴史好きだが、自分の専攻分野(防災・地震)絡むと楽しいな。
0799人間七七四年
2011/12/31(土) 16:49:21.73ID:aEVH4OsC遠征前からすでに病の体だとするのは甲陽軍鑑のネタ。
実際には突然の容態変更による
急死に近かったのではないかと思われる。
0800人間七七四年
2011/12/31(土) 17:03:51.00ID:DN56EAjp0802人間七七四年
2011/12/31(土) 18:07:39.73ID:UYdQL6DB地震と噴火が同時に起こるとも限らんし、だいたいプレートの歪みによるエネルギーの蓄積が放出されまで時間差もあるから、
むしろ天正期だと狭すぎて俺のできる計算じゃあ、16世紀に噴火を引き起こす地震があったんじゃないかと言えるレベルで・・・
ごめん、引っ込みます。
0803死
2011/12/31(土) 18:20:49.09ID:PFSwDUDG下から山梨まで走ってもダメだこりゃって思うわw
あの地形じゃな
近畿地方も走ったけど美濃〜近江までは障害無かったぞ
0804人間七七四年
2011/12/31(土) 22:58:43.60ID:VckicZIK勝頼の防御構想は、北条や毛利と比べると酷すぎた。
織田の進入経路は、木曽谷、伊那、駿河方面と3つあるのに、
伊那方面と駿河方面しか固めず手落ちもいいところ。
挙げ句に新府城とか意味不明な立地。
どうせなら諏訪湖畔に巨大陣地でも造れば組織的な防衛ができた。
結局木曽谷抜かれて、伊那谷に集めた信濃衆は降伏、上野衆は天災か何かで逃亡。
勝頼とその側近たちには根本的に防衛の軍事センスが欠落していたと思う。
0805人間七七四年
2011/12/31(土) 23:38:39.83ID:VKaltv/Fでも最後の遠征、最初は夏には出兵するはずだったのが、
最終的に10月になってしまったから、何らかの体の不調でもあったんじゃないか?
0806人間七七四年
2012/01/01(日) 02:12:09.89ID:oflSjFEv0807人間七七四年
2012/01/01(日) 04:37:15.81ID:Z4VP74Yo駿河は一国がほぼ健在だったし、木曽路はかって織田軍を撃退したこともある要害
しかもどちらも主将は一門
新府築城以前の防御構想に手抜かりはない
どんな堅城も門番が裏切ったら無力
0808人間七七四年
2012/01/01(日) 07:49:56.71ID:RemgNBFE0809人間七七四年
2012/01/01(日) 08:00:55.35ID:86IZD0bX夏とは明言してなくね?
飛騨攻略と美濃調略、越中の武田派支援と
信玄が上洛戦前の準備に念を入れてたからね。
>>806
謙信が生きていた時は、
まだ余裕あった。
ホントにヤバくなったのは北条との同盟崩壊と石山本願寺が信長と和睦してから。
0810人間七七四年
2012/01/01(日) 08:08:46.32ID:86IZD0bX街道が駿河や諏訪や上野、北信濃に行くのに都合がよい場所と研究家には評価が高いわけだが。
諏訪では上野戦線や北信濃戦線を放棄すると
誤ったシグナルを該当国人に与えてしまうだけだろ。
木曽谷は親類の木曽氏に任せてたんだから、
勝頼が固めないといけない理由は無い。
0811人間七七四年
2012/01/01(日) 09:56:37.31ID:6PKC9PJd0812人間七七四年
2012/01/01(日) 10:40:06.25ID:QQNN8t36>>809
武田が夏に出兵すると明言しているのは浅井朝倉側だな
事前での調整ではそうなっていたのが遅れたのか
ただの宣伝文書か
あと武田自身出兵が遅れたがとか書状で言っているので
最初の計画ではもっと早めの時期だった可能性は高い
0813人間七七四年
2012/01/01(日) 11:51:43.29ID:pdHilBYi勝長の返還をてこにした和睦を申し込んだ時点で信長に「武田弱し」と
見切られてはいたんだろうな。
0814人間七七四年
2012/01/01(日) 12:12:24.34ID:6mHv87zS勝頼も和睦を申し込むくらいなら信長に臣従誓うくらいの覚悟がないとな。
当時の織田と武田の力関係で対等の和睦なんて無理だろ。
まぁそんなことしたら臣従する前に武田があっという間に空中分解してしまうだろうけど。
0815人間七七四年
2012/01/01(日) 12:23:37.81ID:jNeW+xps内ヶ島氏が滅亡したという天正地震だっけ?
>>811
信長は勝頼が最後の決戦を挑んでくるとみていたようだけど、
実際はそれすらできなかったからなあ
0816人間七七四年
2012/01/01(日) 12:28:36.86ID:a95gEW7U7月末に三河の奥平定能を味方にしてるし
三河侵攻が円滑に進むように地ならしをしてた。
8/11に関東攻めの口実で信濃衆に軍事動員をかけてるし
ただ9/10に本願寺が織田と本願寺の和睦交渉の話を報告してんのよ。
それで一時的に軍事行動の発動を止めたのかもね。
9/26には山県昌景が先陣として甲府を出発してるし
晩秋出陣って感じだから遅れはしたかもしれないが
夏出陣の約束は守ったと言ってもよいと思うが。
ちなみにこの時期に信長が甲越和与を斡旋してきていたとする
年代規定は
柴辻氏が辻褄が合わないとして2008年の講演と2009年の論文で
元亀元年から元亀2年に関する書状だと主張し、
それに反論した者は今のところいないので除外。
0817人間七七四年
2012/01/01(日) 12:30:58.97ID:a95gEW7U×晩秋出陣って感じだから
○晩夏出陣って感じだから
0818人間七七四年
2012/01/01(日) 12:46:07.07ID:QQNN8t36>9/10に本願寺が織田と本願寺の和睦交渉の話を報告してんのよ
これは年代規定に疑問が出されている。
1572年9月26日は現在の暦に直すと
11月半ばでとても夏とは言えない。
0819人間七七四年
2012/01/01(日) 15:20:02.08ID:HZwH4rUm閏1月を追加してわざわざ調整したんだから、
11月のわけねーだろ。
調整する意味が全くなくなるとかわからないの?
根本が理解出来てない。
頭悪過ぎ。
0820人間七七四年
2012/01/01(日) 16:52:46.31ID:QQNN8t36その言葉そっくりそのまま返します。
何のために閏月があると思っているのか?
あまり適当なこと書かないで少しは調べてから書いて欲しい。
0821人間七七四年
2012/01/01(日) 17:00:40.16ID:h0a426fv元亀3年9月26日はグレゴリオ暦が1572年11月11日
ユリウス暦が 1572年11月1日
西暦ではどう見ても11月です。
というわけで818の方が正しい、気候的にはすでに秋。
0822人間七七四年
2012/01/01(日) 19:05:33.23ID:6PKC9PJd5千人と40人じゃ本能寺みたいじゃん。
0823人間七七四年
2012/01/01(日) 19:53:26.31ID:a95gEW7U>>夏に出兵すると明言しているのは浅井朝倉側
残念ながら私、その該当書状を知らないので、
良かったらどんな内容で、いつ誰が誰に出したものなのか
おしえてください。
0824人間七七四年
2012/01/01(日) 21:26:55.94ID:7FYmnVH/越中の寺社宛の書状と混ざっていないか?
>>823
>>夏に出兵すると明言しているのは浅井朝倉側
浅井は違うと思う。
浅井の方は20日以内に信玄は出馬するという
1572年9月5日の島宛の長政書状のならあるが。
信玄の出馬は10月入っているけど山県は一日間に合わなかったぐらいだから遅れたと言うほどでもないとおもうし、
どっちにしても既に秋だ。
病気で遅れたは、信玄の越中の寺社宛の書状で
越中救援のため越後へ攻めこもうとしたが病気で延期していたところ
謙信が(越中から?)去ったので引き上げた、一旦徳川を攻めて抑えこんだら、
そちらに出兵する
っていうのならあるな。
朝倉側はちょっとわからない。
0825人間七七四年
2012/01/01(日) 23:01:40.88ID:Iy7WIunN2009年5.31記念講演:柴辻俊六
武田信玄の上洛戦略と織田信長
「通説では四月二十一日に本隊が長篠城下に着陣したとされており(5)、...」
(5)芝辻「武田勝頼」(新人物往来者、二〇〇三年)。
自分の本を通説なんて言っちゃうあたり、誰からも相手されてないだけじゃねw
お前が自分のレスを根拠としてもって来ても誰も相手してくれなかっただろ?w
0827人間七七四年
2012/01/02(月) 10:21:03.63ID:QtK2+xjT話すりかえてんなよ、ボケw
どうも武田厨は自分に都合よく改竄する癖があるな
こりゃ今まで引用してきたのも怪しいわw
0828人間七七四年
2012/01/02(月) 10:26:38.97ID:t9BFid8a>「通説では四月二十一日に本隊が長篠城下に着陣したとされており(5)、...」
あとこれは上の文章の詳細は
>(5)芝辻「武田勝頼」(新人物往来者、二〇〇三年)。
に書いてありますって意味だから、そんな突っ込むようなところか?
0829人間七七四年
2012/01/02(月) 10:50:23.31ID:o6aVKUlR長篠城は武田家の鬼門といしか言いようがないな
0830人間七七四年
2012/01/02(月) 11:03:58.33ID:Jl9Zl+li0831人間七七四年
2012/01/02(月) 11:22:59.81ID:o6aVKUlR徳川は高天神城をほっといて諏訪原城を攻めたし
0832人間七七四年
2012/01/02(月) 11:46:01.83ID:t9BFid8a0833人間七七四年
2012/01/02(月) 12:00:14.88ID:QtK2+xjT違和感感じないならそれでいいよw
「報道によれば」と質問して、谷垣の「どこの報道?」に対して「朝日系列の...」という答えで失笑買った朝日の記者と同じレベルの論理ってだけだから
0834人間七七四年
2012/01/02(月) 12:14:07.44ID:o6aVKUlR0835人間七七四年
2012/01/02(月) 12:52:26.80ID:w+V24P0r高天神救援も徳川単独とならって思惑もあろう
0836人間七七四年
2012/01/02(月) 13:05:02.62ID:o6aVKUlR想定戦場も織田・徳川にとって高天神は遠く、逆に長篠は近すぎる
0837人間七七四年
2012/01/02(月) 13:09:57.07ID:7VhLsaRP馬防柵に特攻させた勝頼の責任はあまりにも重い。
0838人間七七四年
2012/01/02(月) 13:14:09.06ID:7VhLsaRPこれやってれば、徳川は1ヶ月で滅亡したのに。
0839人間七七四年
2012/01/02(月) 13:29:43.55ID:w+V24P0r天正2年に織田軍を釣り出せてたらどうなってたかなあ
いくら信長にやる気がなくても武田が城を落とさない限りは進軍するしか無かっただろうし
0840人間七七四年
2012/01/02(月) 14:47:48.79ID:90CoNdWp0842人間七七四年
2012/01/02(月) 17:28:22.23ID:90CoNdWp0844824
2012/01/02(月) 23:07:38.74ID:Jjg8IjMv>>843
>>812はいくつかの書状が混じっているんじゃないかって気はするが、
自分のレスだけで判断はしないで欲しいと思う。
朝倉側の書状までは記憶していないのでそっちにあるのかもしれないし、
自分だって浅井の書状をすべて確認したわけじゃないので。
ただ何かで8月に今月中に武田が出陣してくるって言っていたのがあったような気はする。
0845824
2012/01/02(月) 23:12:19.16ID:Jjg8IjMvでも8月中に出陣は義景のことだった気がするし。
ないほうを証明するのは難しいな。
でもまあ病気で延期したって越中宛に書いているから、それが言い訳じゃないんなら、
>遠征前からすでに病の体だとするのは甲陽軍鑑のネタ。
これはネタじゃなく事実ということだろう。
0846人間七七四年
2012/01/02(月) 23:20:09.19ID:wijLU9kf信玄は花押を書くのがめんどくさい時は、
眼病になったとか、
病になったとか
いい加減な理由つけてサボるからなあ。
その書状に花押が書いてあれば、
ホントに病だったかも知れ無いが。
0847人間七七四年
2012/01/02(月) 23:34:17.85ID:QtK2+xjT宅急便にチョチョイとサインで済ませるのとわけが違うぞ?
当時は書札礼が大事にされてたのに
0848人間七七四年
2012/01/03(火) 00:01:31.77ID:oAHe9oBQ0849人間七七四年
2012/01/03(火) 01:26:54.89ID:hMGQNeQNぷげらやが
0850人間七七四年
2012/01/03(火) 12:07:17.53ID:2A+2oEWw何度もなぞったりしてメンドクサイもんだったから
手に腫れ物ができたからとか言って朱印で済ますケースはけっこうあったが、
2/16の本願寺宛て書状(野田城落城し翌日信濃へ北上)
ではちゃんと花押を書いてるから、すくなくとも体調が悪いってことはなく
健康だったんじゃないかな。
>>841
うーんわからん。そんな書状ほんとにあったのかな。
0851人間七七四年
2012/01/03(火) 12:29:24.96ID:oAHe9oBQそれをウソでごまかせばどうなるか、誰でもわかること。
0852人間七七四年
2012/01/03(火) 13:24:10.85ID:2A+2oEWw花押の価値を高めるのが信玄の狙いだったと言うのが真相だろうし。
そもそもそんなに数も多くない。
眼病→蒲原宮内 あて先不明の2通
手に傷→浦野三河 浦野宮内 大井弾正の3通
取り乱し→大井左馬の1通
0853人間七七四年
2012/01/03(火) 21:29:15.61ID:OOzrjULl0854人間七七四年
2012/01/03(火) 23:49:50.18ID:SjND5o9n0855人間七七四年
2012/01/04(水) 01:35:42.23ID:6E33q3CV余程織田信長にコンプレックス持ってるんだな
織田信長が関係あるのか?
真相だろうというお前の妄想だな、正確に物事はいうように
花押を押した書状はむしろ年代が降るにつれ多くなるから価値を高めるとかはお前の妄想w
いや、願望か?w
花押は約500、晴信朱印はその十分の一
これで価値を高める?w
面白いなw
是非根拠を聞かせてもらおうかw
そして自筆文書は元亀三年四月までのものしか確認されていない
この頃から体調悪いんだろw
しかも現存する朱印書状は祐筆の筆跡と同じで、あえて「自ら筆をとった」なんていってブラフかますあたり、相当体調悪かったんじゃね?w
まあこれも根拠ないけど、少なくとも書状から「信玄は二月十六日まで健康だった!」というのは無理やりすぎるって覚えとけw
0856人間七七四年
2012/01/04(水) 10:10:57.48ID:nc197XvEま、ないと思うけど
0857人間七七四年
2012/01/04(水) 12:31:46.79ID:ZuP2iPx4病だからとか理由つけて朱印にしてたり、
諏訪大社への年賀みたいな習慣みたいなもんも朱印で済ますから、
花押をもらうと有難い感を出してたのは確かなんじゃない。
しかも完全に信玄手書き書状は、
祐筆が留守以外だと、
神に約束してたのに、
聞いたところ関で税をまだ取ってると聞いて驚いた。
いますぐやめさせろとか
結構に緊急性あったり
軍事機密だから祐筆を通さない書状だったり重要な時だし。
自筆文書を基本的に信玄は書かない人。
ちなみに信長の自筆文書は超激レアで数点しか現存してないから、
ほとんど書いてないんだろ。
15歳の細川忠興宛の初陣で武功を挙げたのを褒める信長自筆文書は重要文化財指定されてるほど。
0858人間七七四年
2012/01/04(水) 13:47:43.97ID:2NWlXkV9信玄「今回は健康だから花押書くね」
さて質問です。
花押をもらった方は、これによって「花押だ、ありがたい」と感じるでしょうか?
0859人間七七四年
2012/01/04(水) 14:06:02.84ID:M+joJc4O0860人間七七四年
2012/01/04(水) 15:19:14.22ID:2NWlXkV9924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 14:31:03.52 ID:M+joJc4O
>>891
>>いやそう書いてあるじゃん
はぁ?>>>>現存する今福昌和の起請文は、永禄九年、あるいは永禄十年に出されたもので
これのドコがそう書いてんだwお前は年代を確定できてなかった。
またネットから拾ってきたから、そこに年が書いてないからわからなかったんだろうが。
0861人間七七四年
2012/01/04(水) 17:26:13.31ID:6E33q3CVまず「面倒だから」とかいうくだらない理由で朱印用いたって事を証明するのが先だろw
武田厨の愛する信玄公は「体調わるいんでかけないんっすわwサーセンw」言ってるのになんでお前らがそれを信じてあげないんだw
外交文書の宣伝は文面どおり取るのに、なんで朱印は文面どおり受け取らないんだか武田厨はw
ここからお前ら自身に都合よく恣意的な解釈してるのがみえみえww
花押押されてる書状は1300点中500点で四割近い
これで花押が貴重?wありがたい?w笑わせんなよw
あと、自筆云々に逃げんなよ?w
>>852
>花押の価値を高めるのが信玄の狙いだったと言うのが真相だろうし。
>花押の価値を高めるのが信玄の狙い
>花押の価値
花押だからなw
0862人間七七四年
2012/01/04(水) 17:28:06.19ID:nc197XvE恐らくだが氏は歴史的事実や史料の方から永禄十年だと考えているのだろう。
今福昌和起請文に関しては、実物の彼の起請文内には年号は確認できない。
同じような起請文を書いてる別の武田家臣が永禄十年八月七日とあって、
史料にもそうあるからこいつも多分そうだろうと考えられてるだけで。
0863人間七七四年
2012/01/04(水) 18:15:42.75ID:364qaM1a鴨川氏が仮病を使ったりしてると書いてるから。
>>862
永禄九年の起承文は戦国遺文武田の1007から1010の連番収録されてるから
お前の屁理屈を通した今福のは絶対に九年じゃない。
ここで屁理屈言わずに、
遺文編集してる学者に文句言ってくれ。
いまのところ、
それへの反論論文は読んだことがない。
0864人間七七四年
2012/01/04(水) 18:42:45.39ID:nc197XvE屁理屈も何も最初から永禄十年は書いてある。
永禄十年なんてのは他の武田家家臣の起請文の日付でわかること。
ただ起請文の実物は見たことあるか?
今福昌和のそれからは年号を本来確認することはできないんだよ。
つまりこの起請文だけでは年号を判断することはできない。
恐らくその学者も永禄十年八月七日に武田家家臣が起請文を奉納したという史料の記述と、
他の武田家家臣の起請文が永禄十年八月七日だから、今福のもそれであろうと判断してそこにいれたのだろう。
0865人間七七四年
2012/01/04(水) 19:20:46.77ID:6E33q3CV具体的に?
どの論文でどういう論拠に基づいてどういう論理でそういってるのか明らかにしろよ、できるもんならなw
こう聞くと「相手にする価値無い」とか言って逃げるんだろw
まあ下みたいな人格攻撃しか出来ないやつに聞いたところで無駄だろうがなwwww
535 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 16:24:38.42 ID:364qaM1a
やっぱり織田厨って真性キチガイだな
関ヶ原の西軍の真の首謀者は毛利輝元だったのか?
545 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 17:03:53.34 ID:364qaM1a
>>514
分封問題をタネに家康に、
毛利領に介入されまくって輝元が
屈伏した挙句に
父兄の契りだからな。
どんだけ輝元が悔しかったかわかるな。
【反逆者】 荒木村重 【薄情者】
101 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 17:35:56.93 ID:364qaM1a
>>100
信長は裁判などやってないから、
罪をはかることなど出来ない。
信長領国には最後まで分国法が存在してない。
武田信玄は過大評価されすぎ!!part2
929 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 17:40:52.48 ID:364qaM1a
こりゃ完全に織田厨は
頭がおかしいわ。
曲解と屁理屈とケチをつけてるだけ。
完全に話にならんわ…
上杉景勝VS伊達政宗
906 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 18:01:02.12 ID:364qaM1a
>>904
デタラメ書くなよ。
そんな妄想はお前の頭の中でやれ。
天正10年の武田攻めを語るスレ 3
863 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 18:15:42.75 ID:364qaM1a
>>861
鴨川氏が仮病を使ったりしてると書いてるから。
>>862
永禄九年の起承文は戦国遺文武田の1007から1010の連番収録されてるから
お前の屁理屈を通した今福のは絶対に九年じゃない。
ここで屁理屈言わずに、
遺文編集してる学者に文句言ってくれ。
いまのところ、
それへの反論論文は読んだことがない。
信玄は上洛できるのか?
130 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 18:19:04.32 ID:364qaM1a
織田厨が誤魔化し始めたワロタ
0866人間七七四年
2012/01/04(水) 22:49:46.13ID:6E33q3CV>>539
しかし、
「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
一方の三成にはなんら首謀者としての傍証すらなし。
(三成→直江書状を偽書状とした場合に限り)
546 名前: 539 投稿日: 2012/01/04(水) 22:18:51.61 ID:G2UmPFBW
>>541
何度も言ってるけど、文章改竄するのはやめれば?みっともないよ。
× 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
○ 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高いのではなかろうか。」
文意が変わらないなら原文に正確に転載すればいい。
0867人間七七四年
2012/01/05(木) 10:32:17.46ID:ywpcixfX0868人間七七四年
2012/01/05(木) 10:49:15.39ID:GmUui5sy0869人間七七四年
2012/01/05(木) 12:02:53.59ID:Coj05OML今川攻めも所詮はたなぼた
0870人間七七四年
2012/01/05(木) 18:15:35.09ID:b6UB/6A5だがさんのコピペはうっとうしいだの言われないのにw
0871人間七七四年
2012/01/06(金) 02:34:35.34ID:nd7J59bT0872死
2012/01/06(金) 02:40:38.54ID:+/k95//+家康は武田を高く評価していた
秀吉は勝頼を生かして関東の先鋒に使う考え持ってたようだし
0873人間七七四年
2012/01/06(金) 06:39:07.66ID:/KkYhMzy0875人間七七四年
2012/01/06(金) 09:31:48.79ID:J20Aw3Je史実より徳川が弱体化するのは間違いないが
0876人間七七四年
2012/01/06(金) 13:50:41.04ID:oJHd8nRr秀吉は勝頼を生かして関東の先鋒に使う考え持ってたようだ → ???
0877人間七七四年
2012/01/06(金) 19:03:27.33ID:zyAJYRCe0878死
2012/01/06(金) 19:22:48.78ID:5EQTqTyB秀吉が武田勝頼の滅亡を惜しんだこと
ほれ
家康は武田をお気に入りだったでしょ旧武田の家臣信長に殺されるの
防いでかくまったり
0879人間七七四年
2012/01/06(金) 21:08:22.31ID:V5JcAWQr著者が儒学者
さすがにこれは完全にお察しの信憑性だろ。
0880人間七七四年
2012/01/06(金) 21:19:01.60ID:zyAJYRCeしかし、今に続く勝頼擁護厨の先駆けだな。
0881人間七七四年
2012/01/07(土) 01:59:11.51ID:zIZPJZYeだが並みに気持ちが悪いなお前は
0882人間七七四年
2012/01/07(土) 14:48:47.96ID:E8OcvRu7「光秀!」
甲州軍は、既に二流の軍団に過ぎなかったから、手放しで信忠の働きを誉めるのをためらわれたのも確かだった。
「いつ働いた己れが。失せろ!てろ頭め」
0883人間七七四年
2012/01/08(日) 17:36:19.70ID:9tN4nQ6w0884人間七七四年
2012/01/08(日) 23:15:36.19ID:0eA+PPRW小田原攻めの先兵とか完全になめられているし、落ちるとこまで落ちたとしか見えんな。
0885人間七七四年
2012/01/10(火) 00:51:19.60ID:yK9porRs天下統一後に秀吉が回顧して語ってただけじゃねえの?
0886人間七七四年
2012/01/10(火) 01:07:52.82ID:jdRvNwUr0887人間七七四年
2012/01/10(火) 18:00:03.40ID:esgHaS8q京から北にいけば光秀の領国丹波
京から東にいけば光秀の領国近江坂本
明智謀叛を聞いて信長が是非に及ばずと言った気持ちもわかる。
家康で言うなら本多忠勝や榊原康政が家康に反逆するようなもの。
0888人間七七四年
2012/01/10(火) 20:35:49.62ID:jdRvNwUr武田滅亡前なら東西三河の重鎮である忠次や数正なら光秀並
0889人間七七四年
2012/01/11(水) 00:39:08.17ID:2bXpO+Gjその夜、宿泊した法華寺で酒宴があった。
不意に甲走った信長の怒号が上がったのは、酒宴の半ばである。それが自分にむけられたものだと解ったとき、光秀は一瞬蒼ざめた。
信長は敷皮の上に突っ立ち、日向、ここへ来い、と叫んでいた。
「なにごとか、お気にさわりましたか」
「白々しいことをぬかす」
「われらとは貴様がことか。吐かせ、今度の戦で貴様がどう働いた?」
0890人間七七四年
2012/01/28(土) 17:28:28.16ID:ULroEyD1高遠が落ちたのは三月二日だよな
一度書き直しがされている文書らしいのだが、
書き直しで間違えたか、三月五日まで何かあったのか
どっちなんだろう
0891人間七七四年
2012/01/28(土) 18:24:11.79ID:6RNaz/r10892人間七七四年
2012/01/28(土) 18:45:00.29ID:K4rkc6Xw信忠は確実に領国の美濃に引き返すだろうしね
でも小山田の裏切り後なら結局落ち武者狩りされてそう
小山田の裏切り前なら岩殿城に入城→北条、徳川の動きを見つつ甲斐の再統一かな
ただ信忠が生きてる以上織田家が即崩壊するわけでもなさそうだから信濃はどうだろうね
上杉、上州に居る真田と連携しながら押さえる感じなのかな
光秀と結ぶか信忠に松姫送って恭順するか
0893人間七七四年
2012/01/29(日) 12:42:25.81ID:bfQRfyy/「武田軍」は上原城から新府城への道中で霧散し、新府出発以降は「勝頼一行」でしかない。
0894人間七七四年
2012/01/29(日) 13:08:35.26ID:D3g33PqJ本能寺の教訓から本多や榊原には大領を持たせなかったとも考えられるんだよな
0895人間七七四年
2012/01/29(日) 13:25:27.01ID:0NCgkQVEどうせ上杉も織田との決戦を避けらない状況だから突き出されりゃしないだろうし。
村上と肩を並べて上杉の客将になるのも没落大名らしくていいよね。
上杉落とすまで東国に常駐するわけにいかない信長が京に帰れば本能寺が起きるかもしれないし。
うまくすれば、川尻への一揆の頭目として返り咲けるかもしれない。
徳川の干渉さえ退けられれば、あるいは。
0896人間七七四年
2012/01/29(日) 13:42:13.84ID:zB0rRwcG景勝は武田滅亡の報に接して勝頼保護の指令出してるし
昌幸は以外に義理堅いから、一益を逃がした時のように勝頼逃がしてから
何食わぬ顔してしれっと北条に降伏するだろうし
ただし勝頼生存なら本能寺は起きないか、少なくとも違う形にはなるので
勝頼復権まで予想するのは難しい
0897人間七七四年
2012/01/29(日) 13:46:51.37ID:jIK1uVci甲斐進軍を後回しにして北上すればいいだけだし
0898人間七七四年
2012/01/29(日) 15:05:14.94ID:mNneeRuM上杉も本能寺がなければ確実に滅亡してるし
0899人間七七四年
2012/01/29(日) 17:42:36.14ID:jIK1uVciなら無理ってことだな
0900人間七七四年
2012/01/29(日) 17:48:44.94ID:5rpYCe4f地震とか台風とか
0901人間七七四年
2012/01/29(日) 18:16:04.87ID:8pxjTtEjいくら織田でも補給が続かねえだろ。
0902人間七七四年
2012/01/29(日) 20:19:43.40ID:mVkYCXwkてとこだよな、見捨てればいけるだろうけど。
0903人間七七四年
2012/01/29(日) 20:23:55.24ID:3tK6WBRz勝頼個人が生きてても武田家っていう勢力は滅亡して領土も得たわけだから目的はほぼ達成してるし
0904人間七七四年
2012/01/29(日) 20:35:38.40ID:bfQRfyy/0905人間七七四年
2012/01/29(日) 20:46:20.28ID:jIK1uVciそこが信長との違いだな
北条夫人だけ小山田に預けて(北条に引き渡すの前提)、父子・近臣で駆ければ一応領内だしどうとでもなる
0906人間七七四年
2012/01/29(日) 23:20:59.44ID:YVt3w3qR笹子峠で小山田が裏切ったの知ったんでしょ?
後ろからは織田軍が迫ってるわけであそこから北上しようとしたら今の時代でもかなりきついでしょ
0907人間七七四年
2012/01/29(日) 23:26:50.69ID:4yN9Ir1V武田家臣で地方領主とはいえ滝川の下にすんなり収まりすぎ
0908人間七七四年
2012/01/29(日) 23:39:16.28ID:jIK1uVciちなみに南信の山県・馬場の子らは討ち死にしたとも殺されたとも
0910人間七七四年
2012/01/30(月) 00:11:56.10ID:+7JM3pFV北条家のへの書状はあるけど、なにせ昌幸さんが北条相手に出した書類だから、全然信用出来ないw
0911人間七七四年
2012/01/30(月) 00:24:09.73ID:WHu97vLWまして昌幸さんとなれば妄想の種が尽きない
0912人間七七四年
2012/01/30(月) 00:28:10.23ID:CqN8D11Gどさくさ紛れに上杉の兵借りて海津城あたりまで掠めとって、その後は上杉と共に秀吉と同盟
徳川と対立した秀吉のお陰で最終的には甲信の大名に返り咲き、関東に押し込められた徳川ににらみを利かせる
元々徳川家康と武田勝頼は犬猿の仲だし秀吉にとってはかなり心強そう
0913人間七七四年
2012/01/30(月) 00:45:31.69ID:F8UIGOse織田と誼を通じたい東北諸将も参戦するかも
0914895
2012/01/30(月) 06:40:55.89ID:+7JM3pFVだから、史実通りでも上杉はボコられてるわけで、その間に本能寺が起これば?って話でしょ?
予定外の上杉を壊滅するまで甲州だか信濃だかに信長がずっと張り付いてるわけにもいかないだろうし。
んなことしてたら、毛利方面とかどうなるかわからん。
0915人間七七四年
2012/01/30(月) 08:58:09.42ID:4wOhfVl2光秀「えっ」
どっちにしろ信忠まで帰るとは思えんけどな
0916人間七七四年
2012/01/31(火) 06:38:53.28ID:1VY4W2YP浅間山噴火直撃地が原因だろうから
戦えるような状況じゃなかったんだろ。
0917人間七七四年
2012/01/31(火) 08:15:39.82ID:dxOSYKWI勝頼の首を取るのが目的じゃなくて甲信の支配が目的なんでしょ?
0918人間七七四年
2012/01/31(火) 09:18:12.02ID:hcEq1dYh武田が滅亡さえすれば勝頼なんざどうでもいいって気もするが…
0919人間七七四年
2012/01/31(火) 09:39:42.73ID:pyn6FspO0920人間七七四年
2012/01/31(火) 11:38:04.47ID:b5Z+9c35土地を失うってことじゃね?
0921人間七七四年
2012/01/31(火) 15:14:04.27ID:LZJfaO5L0923人間七七四年
2012/01/31(火) 18:22:06.04ID:ojCAJ8tH0924人間七七四年
2012/01/31(火) 19:35:43.82ID:OGx897a5勝頼が甲信の外に逃げれば完了とみなして、自らは京に戻り本能寺の展開もあり得ると思う。
0925人間七七四年
2012/01/31(火) 20:26:29.01ID:A8EGnByoそれまでの大名と比べたら武田は巨大組織なんだし
0926人間七七四年
2012/01/31(火) 20:47:20.77ID:pOgZGRIS家康が堺見物に行くこともなさそうだ。
0927人間七七四年
2012/01/31(火) 21:17:14.64ID:bGmXD7v1武田の場合、苛性で人心が離れてたからなあ。
信長は合理主義者だから失地回復の危険性が無い以上放置プレイじゃないかな。
0928人間七七四年
2012/01/31(火) 23:15:36.62ID:58S7+mwV逃したのって斎藤龍興や六角くらい?
松永みたいに降るならまだしも(降っても波多野処刑の例もあるし宇喜多の時も文句言ったらしいが)、攻め潰したからには朝倉のように大将首獲るまで追撃しそうだが
勝頼が死ななければ信忠は岐阜なり信濃なりで督戦するだろうから、本能寺のような父子同時襲撃可能な状況になるだろうか
0929人間七七四年
2012/02/01(水) 03:26:22.48ID:m6GpDDi3史実でも森長可が北信濃から春日山に向けて進撃してるけど信忠は京に居たし
0930人間七七四年
2012/02/01(水) 08:30:34.72ID:3aj3MPCb名目上とはいえ、当主として各方面を仕切るためにも、信忠は京に戻ったろう。
2人揃って、長期に必要以上に京を空けると思えない。
まだ不安定な信濃に信忠置き去りにするとも思えないし、岐阜まで戻るなら京に行く。
0931人間七七四年
2012/02/01(水) 10:37:27.15ID:olv4p+VA0932人間七七四年
2012/02/01(水) 12:13:28.74ID:PfRtPQXR0933人間七七四年
2012/02/01(水) 12:17:04.92ID:iqGVvFQG平時は信忠は岐阜、信長は安土に常駐して京には村井が所司代としていたけど
0934人間七七四年
2012/02/01(水) 15:43:06.61ID:jXvFBxfV0935人間七七四年
2012/02/04(土) 22:47:50.30ID:tMG1n7bD0936人間七七四年
2012/02/05(日) 02:36:25.03ID:OdEjU2ajケース1−2 本能寺が起きるも信忠存命
ケース1−3 史実通りに本能寺で信長・信忠死亡
ケース2 新府城放棄→岩殿へ移動中に討ち死に
ケース1−2と1−3はやり方次第でちょっと面白いかもね
0937人間七七四年
2012/02/05(日) 04:26:00.59ID:1bl8ypjh岩櫃籠城で上杉の援軍待ちって手もあるだろ
0938人間七七四年
2012/02/05(日) 04:49:08.28ID:OdEjU2aj0939人間七七四年
2012/02/05(日) 14:03:57.52ID:llHpBnAl0940人間七七四年
2012/02/05(日) 14:28:30.89ID:LRdcPE/f0941人間七七四年
2012/02/07(火) 03:24:32.02ID:KcbumZDw元々100万石以上の領国経営してたんだし使い勝手はよさそう
0942人間七七四年
2012/02/07(火) 03:27:53.93ID:vdBr4p69宇都宮や大友はあっさり潰してるし
0943人間七七四年
2012/02/13(月) 22:30:46.72ID:xdV0LtSw0944人間七七四年
2012/02/14(火) 00:46:29.24ID:FYKiEUD50945人間七七四年
2012/02/15(水) 21:59:55.92ID:uWaUvNKl0946人間七七四年
2012/02/17(金) 17:23:43.43ID:TAKahgdf0947人間七七四年
2012/02/17(金) 18:37:09.01ID:Qobg8iTn0948人間七七四年
2012/02/18(土) 21:16:41.79ID:145ivdSi0949人間七七四年
2012/02/19(日) 00:40:20.20ID:ylv1C0Lp0950人間七七四年
2012/02/19(日) 01:15:57.56ID:ek/EaL0+0951人間七七四年
2012/02/19(日) 06:43:03.55ID:Mj0ks20W旧態依然の経営で時代の流れに対応できずにアボン
0952人間七七四年
2012/02/19(日) 12:03:00.96ID:725bXHVo0953人間七七四年
2012/02/19(日) 15:52:13.86ID:mBrWBBmO0954人間七七四年
2012/02/19(日) 18:30:11.54ID:FXeEj4q70955人間七七四年
2012/02/19(日) 18:50:36.00ID:MOHEK543で子供が大ばくちかけてライバル企業蹴落とそうとしたけど失敗してそのままズルズル・・・
0956人間七七四年
2012/02/19(日) 19:36:24.95ID:NaVswHLf0957人間七七四年
2012/02/19(日) 19:39:07.91ID:725bXHVo0958人間七七四年
2012/02/19(日) 19:44:17.11ID:P+sErgHu武田優位は揺るいでないから
信長は結局、
信玄に屈辱を味わったまま死んだ事実か変わらないんだ。
遠江国高天神城を勝頼に奪われた際の
天正2年6/29の書状で信長は勝頼は若輩だが
信玄の掟を遵守しており表裏も心得ているので油断ならないと
恐れていることからも信玄の武遺は充分すぎるくらいに
信長を警戒させている。元亀4年の信玄西上のトラウマを
信長は引きずっているのがわかる。
元亀4年の信玄西上の時の織田は金も火薬も兵糧も無いので幽斎に調達するように命じたが
無理だったから、信長自らが指揮して京で恐喝略奪して凌いだ。
同じように幽斎には長篠の戦い寸前の時期にも信長が今回は鉄砲の玉薬だけだが
調達を要求していて、この時は調達できるようになっていたのが
5/12の幽斎書状への5/15信長返書書状でわかる。
5/20には玉薬が到着したようで信長はそれに関して「祝着だ」と大喜びし
家康はいよいよ陣城に籠城して討ってでない体制を構築している信長のヘタレぶりにより
長篠城落城の危機に焦り5/20夜に酒井忠次らによる鳶ヶ巣山砦襲撃計画を発動したために
勝頼の攻勢を生み出し、さっそく5/21に長篠の合戦で織田徳川3万との戦が起こってる。
そして5/26岐阜に戻るやさっそく幽斎に詳報して感謝してる。
つまり信長は火薬到着待ちをしていたので
勝頼は19日までに信長を攻撃してれば勝てた。
13日に出馬し、14日に岡崎に信長は到着してた。
連戦連勝の圧倒ぶりを誇る武田軍は足助城・浅賀井・八桑・大沼・田代の諸城を攻略した先遣隊に
作手(新城市)で勝頼が合流し、山縣隊が野田城・ニ連木城を落城させ
吉田城で家康の救援軍を撃退し吉田城へ敗走させ、勝頼隊と合流して長篠城攻め開始。
公記によるとたった15000で出陣して(実数は六千から一万と言われている)
本願寺への義理も充分に果たしたし
ここまでの破竹の勢いでの戦果で満足して帰国すべきだった。
そもそも岡崎城主信康家臣で岡崎町奉行を務めていた大岡弥四郎が
勝頼に通謀し足助城から岡崎に武田軍を招きいれようとしたので奥三河へ勝頼が出てきてる。
しかし発覚してしまい岡崎突入を断念し、ニ連木城・長篠城方面に転進したとされる。
武田の軍事計画が狂ってしまった以上は長居は無用だった。
長篠城攻撃はとりあえず予定を変えたレベルの思いつき。
勝頼は戦略的な方針計画が大きく変更になっているのに
撤退せずに泥縄的に軍事行動を続ける過信による誤判断が大敗につながった。
0959人間七七四年
2012/02/19(日) 20:01:54.63ID:ek/EaL0+0960人間七七四年
2012/02/19(日) 20:13:41.53ID:fAkwWZHc0961人間七七四年
2012/02/19(日) 20:50:51.73ID:jXjzNsMC0962人間七七四年
2012/02/19(日) 21:19:04.49ID:fAkwWZHc0963人間七七四年
2012/02/19(日) 21:54:59.83ID:725bXHVo0964人間七七四年
2012/02/19(日) 22:25:41.24ID:jXjzNsMCなんだそれw
普通に勝頼の体制固めで安堵状出したりと内治に集中してただけだろが。
そういや斎藤義龍が死んだのを知り即日攻め込んでガキに大敗した信長みたいな悪党がいたな。
内政に集中して領内を掌握し、
敵への内通者や謀反を事前に防がないとな。
0965人間七七四年
2012/02/19(日) 23:33:49.91ID:fAkwWZHc信玄が俗にいう上洛戦(笑)に無理して資金調達したの知らないの?
武田の財政難は何も勝頼期に突如始まったわけではない
0966人間七七四年
2012/02/19(日) 23:50:32.58ID:TXveJRJQまただが敗北フラグっぽいんだけど
0968人間七七四年
2012/02/20(月) 17:57:11.72ID:M74H6Oxu>>29
あの場合信玄がさっさと家督を相続させて、
信濃経略にでも専念すればよかった。
まああそこの場合信玄も国人に担ぎ上げられて
跡を継いだ関係上隠居=即引退を国人に迫れる
可能性があったからな。
>>32
無論手当として1万ぐらいは残してると思う。
あの2万5千とかいうのは北条の援軍も入れての
数で北条にも加勢を依頼しないといけないくらい
財政がすでに火の車だったんでないか?
越後と違い海運とか商売っ気がない鉱山と
農業だけの地域だから逆にあの遠征は
一種の経済政策なのかもな。
どこぞの研究者が武田氏の出兵は凶作とか
領内の収穫が悪い時期ほど多発するなんていう
傾向を示してた。
42 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/14(火) 20:56:39.25 ID:unUmC4Bz
黒田じゃなかったか、内政が行き詰ると武田の出兵頻度は上がるって
44 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/14(火) 21:21:01.81 ID:unUmC4Bz
これだけじゃだがさんがキャンキャン喚くので参考に
年々三分?(二)相納申候、其残者致未進候、...
百性等...人馬借申候得共、致難渋候条、...
...彼屋敷御棟別ニ到退屈、逐電申候、同者棟別銭半分も御赦免候ハヽ、家をも造申、所も可到繁盛候、...
なんて文書が元亀三年とされる文書に八月付けで存在する
と、まあ>>41の推測を裏付ける史料も存在する
ついでに金貨の品質を落としてインフレ、銭を鋳潰して弾丸への鋳造、空手形、不統一でかっこ悪いと禁止したのに貧困によるであろう軍装の不統一、
これだけあれば十分だろw
0969人間七七四年
2012/02/22(水) 20:47:42.65ID:A89HLZbl0970人間七七四年
2012/02/22(水) 21:29:23.19ID:bUPYj0u2遠山さんも上杉派の三木に武田の情報をリークしてた
このとき遠山は武田と織田双方に属していた時期
つまり、手紙の仲介だけでどちらに属しているかというのは明確に出来ない
残念だなだがwwww
564 名前: 人間七七四年 投稿日: 2012/02/12(日) 16:52:31.08 ID:MbLadVKE
>>558
誰から誰宛てで日付は?
566 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/12(日) 17:31:36.29 ID:pBmvJOGp
>>564
上越別一、666、668
568 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/12(日) 18:08:05.92 ID:Rwc1jGiw
>>566
素人にはわからない。
内容を描いてくれ。
569 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/12(日) 22:03:27.01 ID:pBmvJOGp
>>568
素人の君に何が分からないの?
意味?
どこの部分が分からないのか書き抜けば、分かる範囲で教えて挙げられるよ
570 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/13(月) 06:33:34.88 ID:nZ9GUH/v
>>564
織田厨は、君の質問には全く返答出来ずに逃げているようだ。
こんな程度の武田厨ですから、お察ししますw
0971人間七七四年
2012/02/22(水) 23:14:54.28ID:PUPSZzad早く全文の転記しろよ!
0972人間七七四年
2012/02/23(木) 03:56:51.64ID:iEALJTpw↓
日付と宛名も出せよ!
↓
その史料は捏造だよ!
or
そんな史料は存在しないよ!
0973人間七七四年
2012/02/23(木) 21:40:13.46ID:xN1q663m0974人間七七四年
2012/02/25(土) 06:53:06.65ID:RASj+pS/0975人間七七四年
2012/02/25(土) 07:57:24.76ID:h4P75uyQ0976人間七七四年
2012/02/25(土) 09:46:17.78ID:QI+xDyUW0977人間七七四年
2012/02/25(土) 10:11:38.95ID:gYrHTqVS0978人間七七四年
2012/02/25(土) 23:12:55.14ID:QI+xDyUW0979人間七七四年
2012/02/25(土) 23:50:23.25ID:AUm7LWfq0980人間七七四年
2012/02/26(日) 07:40:20.75ID:7XYDR53p勝頼と梅雪
同じような構造があるね
0981人間七七四年
2012/02/26(日) 22:07:53.42ID:ohK68+dS0982人間七七四年
2012/02/26(日) 23:49:57.65ID:p81gpRERその人らの現状を目の当たりにしていて、同じ道は選べなかったんだろう。
0983人間七七四年
2012/02/26(日) 23:56:38.89ID:bfW4a1Zx今のうちに言っときますが。
0984人間七七四年
2012/02/27(月) 00:21:04.50ID:Gaklfww4レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。