【瀧川】滝川一益ら滝川氏を語る【忍者】
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0027人間七七四年
2011/04/03(日) 03:15:45.67ID:tN+NgnjV将軍や将軍側近の細川氏らとの縁を繋いだのと、美濃近江周辺の国人と様々な形で繋がっていたのを買われたんだと思う。
相撲の番付みたいなものはないからね。
その時々で前後はあるし任された仕事が長引いてしまえば次の仕事は与えられにくい。
そういう意味では城を与えられた時期や切り取った土地の処分権、どの程度の与力を与えられたかみたいな部分からの印象で序列をイメージするところはあると思う。
本能寺の変直前では秀吉の中国攻略作戦が一気に前進しかかっていて、そこに光秀と信長本人が増援で行く形になっていたから序列は秀吉、光秀と考えるのが妥当かな。
そのまま中国攻略が秀吉を中心に行われ毛利を下していれば秀吉が勝家、光秀、一益を置き去るほど加増されたと思われる。
その後粛清に合う可能性も劇的に高まっただろうけど…
丹羽、池田に関しては若い頃から信長の側近で、畿内の制圧に目処がついた頃には信長の子息が出陣する際に彼らを現場で支えるような役割が与えられている。
これは後継者の育成とその後継者を支える老臣の関係作りを始める意味合いもあったと思われる。
一益が光秀、秀吉に遅れを取ったのは長島での苦戦が大きかっただろうね。
それでも厳しい戦線を生き残り関東の攻略を任される機会を与えられたんだから、相当な信頼を受けていたのは間違いない。
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