戦国ちょっといい話25
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0897人間七七四年
2011/04/13(水) 03:16:06.99ID:/MNHOddX「戦国よくある主従の話」
藤堂高虎の生涯最大の苦戦は、大阪夏の陣であった。
徳川家康から先陣をまかされ、奮闘の末討ち取った首級は700を越えた。
しかし、自軍の痛手も大きく、主だった武将70人余が討ち死にとなった。
翌日の先鋒の辞退を申し入れると、家康もそれを受け入れざるをえなかったほどである。
藤堂新七郎良勝は、高虎の従兄弟であり、高虎がもっとも頼みとする勇将であった。
新七郎は両親亡き後、高虎の父に引き取られ二人は共に育った。
大阪夏の陣での戦死者の四十九日の法要が営まれたその日。
高虎は、新七郎の遺族らと法要の膳を囲み、その武勇伝を語っていた。
「新七郎は、戦場を経ること13回、強く勇ましいこと他に並ぶ者はなかった。
毎度大きな手柄をあげ、何度も加増を申し渡したが、一度として頑として受け取らなかった。
夏の陣は14回目の大いくさだった。
いくさの前に二万石の加増を申し渡したが、例によって固辞する。
わしがついに怒ると、
この戦いが勝利しその凱旋ののちにこそ褒美を頂きましょう、と笑っておった。
今となっては、それが何としても悔やまれる!」
そう言うと、高虎は泣いた。泣いて、泣いて、泣いた。
身の丈6尺の大男が、(携帯電話のごとく)その身を二つに折って泣き伏した。
もはや食事どころではなく、ついに膳は取り下げられたという。
亡くすに惜しい家臣はどこの家にもいた。
戦国にいたるところで繰り広げられたであろう、主従の話のひとつである。
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