トップページsengoku
985コメント359KB

【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その12

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001家臣団の話題も可です2011/02/18(金) 09:46:30ID:HlJow5mC
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな

※下賎の者(百姓)は過疎時のみ構って当て馬にしましょう!
0853人間七七四年2011/05/06(金) 22:50:51.75ID:8gOi8zGR
>>851
連レスになるけど、プロレベルまで熱中しなきゃ趣味にならないのかよ
世の中の才能が無くてもやってる人すべてにいますぐ謝ってこい
0854人間七七四年2011/05/06(金) 23:00:10.58ID:iwmtWX0j
家康の趣味について鷹狩り、香道、囲碁が気晴らしの余暇とか言ってるが
貴殿の家康の趣味に対する印象論を適用するなら、いずれも使命感に燃えてやってると説明することができるぞ。
まず、鷹狩りだが、健康維持のためのスポーツ兼軍事演習兼領内の実情把握のために、気晴らしのふりをして、
しばしば行っていたと説明できる。
と言うか「鷹狩りは、軍事演習の意味合いが強いのだがご存じないのかな?
次に香道だが、この趣味は茶道と違って、基本的に貴族趣味で公家に愛好者が多い。朝廷工作を行う際に、公家に
根回しを行う際の隠れ蓑に使っていたとも説明できる。
最後に、浅野長政とのほほえましいエピソードが伝えられている囲碁の話だが、当時、五奉行において関東、東北
方面の取り次ぎを担当していた浅野長政に取り入るために長政の趣味である囲碁を利用したとも説明できる。
個人の印象論から、家康の”本当”の趣味が云々言うのは全くの無意味ではないかね?
0855人間七七四年2011/05/06(金) 23:03:35.00ID:5hNF6EI8
うん、じゃあ君の言う趣味ってなんなの?
0856人間七七四年2011/05/06(金) 23:07:22.28ID:iwmtWX0j
>>851
文化的功績がないと趣味じゃないとは、どういう了見だ!
素人のカラオケ愛好家とか、釣り人とか、日曜大工とか、園芸家とか
ネットで小説やブログをやってる連中は趣味陣じゃないのかね?
貴殿は不思議な脳みそをしてるな。
0857人間七七四年2011/05/06(金) 23:12:36.33ID:mZ0kSBKu
>>854
そんなこと言ってたら、みんなの趣味が
やりたくないけど軍事的・政治的にやらなければいけないから
やっていた ということになっちゃうよ
ちょっと穿ち過ぎじゃないか?
0858人間七七四年2011/05/06(金) 23:19:32.50ID:lbxxKkDh
>>854
>貴殿の家康の趣味に対する印象論を適用するなら、
>いずれも使命感に燃えてやってると説明することができるぞ
鷹狩は実際に軍事訓練も兼ねてたかもね
香道については、茶道で名物に拘らなかったとされる家康が暹羅から香木を輸入して
個人的に楽しんでいたくらいだから、まあ純粋に好きだったんでしょう
囲碁については自分で対戦するだけじゃなく、本因坊算砂のパトロンになったりしてる
囲碁の保護振興については長政死後も積極的に行なっているから、
何らかの実益があったとしても五奉行に近づくためだったというのはどうだろうか

>個人の印象論から、家康の”本当”の趣味が云々言うのは全くの無意味ではないかね?
それは単に見解の相違だと思うな
「趣味」という言葉の定義自体が上述のように主観的要素を多分に含む以上、
「趣味について語ること」が主観的な観念論に陥るのはごく自然なことだと自分は思う
そのことが無意味だと仰るのなら、まあ無意味なんでしょう
0859人間七七四年2011/05/06(金) 23:22:40.75ID:D/+s84G0
>この時代なら古田織部や小堀遠州、宮本武蔵なども一流の趣味人と言えるだろう
んでその一流の趣味人は、
家康公より数段劣る何十万石くらいの大大名だったのだ?

小大名じゃあ同じ土俵ですら無いから、
天下を取った片手間の趣味が低レベルとか言えないぞ。
0860人間七七四年2011/05/06(金) 23:23:21.65ID:iwmtWX0j
>>857
>>839の印象論を弄れば、こうも言えると鷹狩り、香道、囲碁に関して説明しただけ。
健康で長生きしたいって誰もが持ってる願望だろう。それを家康に限って使命感とか
武芸の鍛錬や古典の研究、薬剤の調合を天下を治める責務とか言い出してるから
そりゃ違うんじゃないかなと思って、こうも言えるぞと書いただけなので気にしないように
0861人間七七四年2011/05/06(金) 23:26:27.64ID:D/+s84G0
おまいらちょっと待て、

家康公は現代で言うとこの、医師レベルじゃないのか?
ガーデニングや日曜大工、カラオケよりもずっと高度だろう?
0862人間七七四年2011/05/06(金) 23:28:28.01ID:8gOi8zGR
>>861
今ちょっとその趣味についての話してませんから勘弁してください
0863人間七七四年2011/05/06(金) 23:29:38.21ID:D/+s84G0
>>860
健康オタクで長生きしつつ、
萌えない後家ばかりの側室に子供生ませたのだから
充分責務と考えていただろう?
0864人間七七四年2011/05/06(金) 23:32:49.23ID:D/+s84G0
>>862
趣味で医師免許まで持ってる国王を
低レベルな趣味と言うバカを諭してるんだから、
大事な事だろう?
0865人間七七四年2011/05/06(金) 23:39:15.45ID:GMfaQu2k
>>852
いや、彼らはあくまで最後まで武士を生業としていた
後世に文化財として評価される程レベルが高かっただけに過ぎない

>>859
何で大名の規模が関係あるんだ
勝手な設定後付けするな
秀吉も意図的に外してるし話にならん
0866人間七七四年2011/05/06(金) 23:47:25.12ID:GMfaQu2k
>>861
だからその医学はどの程度なんだよ
「〇〇の木を煮出して飲むと痛風に効くらしい」とか
家庭の医学読んで治療を施すような民間療法と何が違うんだ?
0867人間七七四年2011/05/06(金) 23:50:38.47ID:mZ0kSBKu
そろそろ飽きてきたな
0868人間七七四年2011/05/06(金) 23:56:47.87ID:8gOi8zGR
というか多分ただの司馬信者だからほっといたほうがいいかも
0869人間七七四年2011/05/07(土) 00:09:47.86ID:U88CB2Ns
>何で大名の規模が関係あるんだ
>勝手な設定後付けするな
>秀吉も意図的に外してるし話にならん
サルに悪趣味以外があるのなら、凄いかもな。
俺は知らんがw


>家庭の医学読んで治療を施すような民間療法と何が違うんだ?
そのレベルじゃないから言い伝えられてるんじゃないのか?
0870人間七七四年2011/05/07(土) 00:12:54.83ID:Ats3x4PX
>>866
「趣味」なんだから民間療法レベルで十分だろw 1回「趣味」の定義を言ってみろw
0871人間七七四年2011/05/07(土) 00:22:00.48ID:7Gs8qqiG
>>866
悲しいことに、当時の医学レベルは、漢方治療がメインだから
それを高度にしたくらいかな?
漢方薬を売ってる店に行ったことあるかな? 
基本的には、問診で顔色、皮膚の色、舌や爪の状態、脈拍、
触診、睡眠時間、食事の内容などの生活習慣まで聞き取って、
相手の体調に合わせた漢方薬を調合する。
それと同じ事を、当時の名医曲直瀬が行っている。
家康の医学の趣味レベルは、この域に達している。
ただ臨床例が足りないので、曲直瀬には、及ばないのは言うまでもない。


0872人間七七四年2011/05/07(土) 00:31:33.26ID:WiCZGTOR
話しは変わるが、秀吉死後に家康が大名家に縁談しまくる話って
「歳だからうっかりしてた」とかあからさまなこと言って煙に巻くけど
某所で「でもそれだと大名家の縁談て誰がしてくれるんだろう
大名家の婚姻がダメだとみんな断絶しちゃうじゃん」と言われてて、それもそうかなあとも思った
秀吉死後、こういう取締ってのは実質誰が担当になってたんだろうか
0873人間七七四年2011/05/07(土) 00:33:35.98ID:D+oXq0j7
>秀吉死後、こういう取締ってのは実質誰が担当になってたんだろうか
秀吉死後の豊臣政権は何をするにも基本五大老五奉行の合議制
家康の婚姻政策が問題になったのは、他の首脳に諮ることなく
独断で大名同士を結びつけたから
0874人間七七四年2011/05/07(土) 00:34:42.39ID:WiCZGTOR
>>873
ああなるほど、独断でやったから批難されたのか 納得できた
でもその10人だと、小田原評定並に一致しなさそうな気がする…
0875人間七七四年2011/05/07(土) 00:50:06.42ID:7Gs8qqiG
>>873
 そもそも、家康の婚姻政策開始のきっかけは、亀井前琉球守の強談判だ。
「うちの娘が適齢期なんで婿さん世話してくれ」
「大名間の私的婚姻は禁止だよ」
「だから、大老筆頭のあんたに婿の世話をしてくれと公式に頼んでるんだが?」
「ええと、公式って?」
「あんた政務を太閤さんから委任されただろう。だから公的な”うちの娘に婿さん世話して
くれ”って申請を政務の代行者にしてるんだが?」
というわけで亀井は、娘を家康の家来の嫁にできたわけで。これが第一のきっかけだな。
次に加藤清正が、水野勝成の妹との結婚を届け出たわけだが、これに対して五大老、五奉行
が審議して許可した形跡がないというか黙認している。
つまり、婚姻に関しては、二つも前例があるので、他の大老や奉行が家康をどうこう言う正当性
がないと考えられるな。
0876人間七七四年2011/05/07(土) 01:11:21.27ID:D+oXq0j7
>婚姻に関しては、二つも前例があるので、
>他の大老や奉行が家康をどうこう言う正当性がないと考えられるな
大名の私婚禁止は文禄四年の家康も連署した『御掟』で明言されてるし、
後に江戸幕府の『武家諸法度』でも厳禁されてる
家康の弾劾状である『内府ちかいの条々』に家康の勝手な縁組を非難する条項がある
封建社会において大名同士の婚姻は即同盟に通じるものである以上、
内々の婚姻は即反逆に繋がるものだと認識された
以上、笠谷和比古氏『関ヶ原合戦』より引用
現に伊達福島蜂須賀の婚姻の際は家康に対し三中老が詰問の使者として訪れ
親家康派と反家康派を二分する大事件となっている
亀井と加藤のケースは根回しがあったから
文句を言われなかったと解釈する方が妥当だろう
0877人間七七四年2011/05/07(土) 01:12:18.27ID:q2Ti0Q3I
つーか家康が勝手に自分の譜代に大名家から嫁を取ったってのと、
自分の養女を大名家に嫁に出したってーだけじゃねーか。
前例も糞もないだろw
0878人間七七四年2011/05/07(土) 01:27:34.62ID:7Gs8qqiG
>>876
 根回しがあったのかな?加藤は反石田の急先鋒だが前田派の人間だから根回しはありそうだが
亀井はどうなんだろう?1万石程度の小大名だからスルーされたのかもしれないな。
 ただ事前の根回しがあったのなら、家康の「歳だから(耄碌して)忘れた」って言い訳は、蜂須賀、福島、
伊達に関して根回しを忘れたって意味にもとれるな。
0879人間七七四年2011/05/07(土) 01:37:44.44ID:D+oXq0j7
「根回し」と言ったのは言葉のチョイスが悪かったね
婚姻を行う大名家相手ではなく、審議権を有する他の大老、
奉行衆への事前の「意見調整」のことね
陰で有力大名と結びつくため、彼らとの婚姻を「根回し」したのが
バレて騒動になったのが上述の伊達福島蜂須賀のケース
正直言うと亀井茲矩のケースはよく知らないが、君の書き込みから判断するに
何ら隠し立てすることなく正々堂々と「五大老筆頭」である家康に
結婚の世話をするように申し込んでるわけでしょ
これでは問題になりようがない
0880人間七七四年2011/05/07(土) 11:19:22.11ID:/IJx4eSG
五大老五奉行の合議って、意見が割れた場合どうするつもりだったんだろ

1.多数決
2.最終的に五大老筆頭の意思に従う
3.合議としての意思決定を行わず、ゴタゴタもめている間は五奉行が独断で必要な政務を行う
0881人間七七四年2011/05/07(土) 12:46:40.71ID:OzaHpK8s
>>880
決まっていない
0882人間七七四年2011/05/07(土) 13:16:21.08ID:/0FEk8vX
ダメじゃん秀吉w
0883人間七七四年2011/05/07(土) 14:49:22.14ID:uSae6YFD
つう事は、全員一致でない限り、否決か掟違反の独断認可しか有り得ないって事ね。

法を根拠にするには、随分稚拙な制度だこと。
0884人間七七四年2011/05/07(土) 15:08:45.44ID:mcvazMtJ
江戸幕府にはそのへんのことが明文化されてたの?
0885人間七七四年2011/05/07(土) 15:19:04.39ID:OzaHpK8s
江戸幕府の老中も特に決まってはいないけどね
0886人間七七四年2011/05/07(土) 15:27:48.49ID:OzaHpK8s
補足すると、徳川家の老中は基本的に輪番制で、重要な事項については合議
話が拗れて妥協も行われなかったときは、将軍の決済を仰ぐという形
こういう場合は基本的には多数意見を将軍は採用したようです
0887人間七七四年2011/05/07(土) 15:33:31.39ID:q2Ti0Q3I
秀吉は大老・奉行の合議によって決定しろとは言ってない。
家康(秀忠)から提出された案件を利家(利長)及び五奉行が承認して決定する。
同様に
利家(利長)から提出された案件を家康(秀忠)及び五奉行が承認して決定する。
となっている。
大老・奉行の合議で決定というのは秀吉死後に決められた物。

つーか、合議ってーのは本来全会一致が原則。
多数決が用いられたのは明治に入ってからだし、
現代の日本だって本来は合意形成型民主主義。
0888人間七七四年2011/05/07(土) 16:25:38.77ID:7Gs8qqiG
そもそも秀吉の制定した(というか増田長盛の発案した)制度が不備だったわけだ。
秀吉の遺言も、そのままとれば、秀頼が十五歳になるまで政務をとりしきれということだから
制度的不備がある五大老五奉行制を超越して政権を安定的に運営するためには、
家康自身が発言力を強化するしかない。
そのために婚姻政策を通じて、発言力拡大を図ったとも言えるかな?
0889人間七七四年2011/05/07(土) 16:47:06.08ID:q2Ti0Q3I
家康に政務を取り仕切れだなんて言ってないぞ
0890人間七七四年2011/05/07(土) 16:56:17.67ID:mVqyxc60
仕切る奴が現れないと何も決まらなくなるからな
0891人間七七四年2011/05/07(土) 17:52:00.61ID:/0FEk8vX
まあそもそも小牧長久手の後に、サルに先譲っただけだから
サルが死ねば次は家康公なのは当然の成行だ。
0892人間七七四年2011/05/07(土) 17:56:22.36ID:D+oXq0j7
>家康に政務を取り仕切れだなんて言ってないぞ
家康には公儀の政務を、利家には秀頼の後見を、というのは秀吉の遺言にあるよ
様々な資料にそのことは記されてるし、実際に家康の婚姻政策が顕在化し問題になったとき、
遺命違反を理由に大老職を辞すように迫った奉行衆に対して家康は
「太閤殿下に秀頼様成人まで政務を任された私を追い出すことこそ遺命違反である」
と逆切れし、最終的には奉行衆を謝罪させてる(『朝野旧聞ホウ藁』より)

やや信憑性には乏しいが、意見が割れたときの仲裁役として
三中老というのも設置されてるし、何か問題が起こったときにリーダーシップをとって
政権を安定化させるということが五大老筆頭である家康の本来の役目
それを家康本人が自身の覇権を狙って他の大老、
奉行衆との衝突を繰り返したのが秀吉薨去→関ヶ原までの権力闘争の背景
制度が不備だったというが、首班に政権を安定させる意思がないのに
安定的に機能する制度なんて存在しないと思うよ
0893人間七七四年2011/05/07(土) 18:07:30.55ID:q2Ti0Q3I
>>892
秀吉が家康に命じたのは伏見での「諸職御肝煎」。
これは伏見で日常行われていた庶務を統括するといった程度の内容で
自分に代わって政務を執る様に命じたような物じゃない。
> 「太閤殿下に秀頼様成人まで政務を任された私を追い出すことこそ遺命違反である」
これも太閤が決めた大老職を解く事が遺命違反だと言っているわけで、
政務を任された私を〜なんて話じゃない。

秀吉は飽く迄家康と利家の二頭体制を敷いたのであって
家康個人に特別な権限を与えたわけじゃないよ。
0894人間七七四年2011/05/07(土) 18:17:21.44ID:D+oXq0j7
なんというか、「政務を執る」という言葉の定義に若干ズレがあるだけで、
自分と君は大体同じことを言ってると思うんだけどどうかな
「公儀の政務」ってのは五大老五奉行制度の合意を重視するという
原則を乱さない範囲での政務の統括という話で、
生前の秀吉のような超法規的な存在ではないのは当然
0895人間七七四年2011/05/07(土) 18:21:30.05ID:7Gs8qqiG
>.>893
秀吉が家康に命じたのは伏見での「諸職御肝煎」。
これは伏見で日常行われていた庶務を統括するといった程度の内容
具体的には、どういうことか教えてくれないかな?
利家の役目は、秀頼の養育係だから天下の政治を担うわけじゃないし
君の言い方じゃ家康は、伏見近辺の奉行的な役割をやらされるだけのようにとれる。
そうすると天下の政治は、残る三大老と五奉行が仕切ることになるのか?
具体的に、三大老と五奉行が天下の諸政を仕切るって文献でも残ってるのかな?
浅学なので、教えていただけると助かりますので、よろしくお願いいたします。
0896人間七七四年2011/05/07(土) 19:13:10.27ID:WiCZGTOR
細川さんの手紙の本だと、秀忠の時代だと割とその時に当たっていた年寄りが決めた感じ?
秀忠が亡くなった後、家光が全員の意見を聞いてから決めろ ということにしたので
案件が即パンク状態になって困った とか書いてあったな
0897人間七七四年2011/05/07(土) 19:49:29.51ID:OzaHpK8s
>>896
その辺はいわゆる輪番制という奴ではないかと
家光の指示は二元政治の解消するための行為なんでしょうな
0898人間七七四年2011/05/08(日) 14:33:39.93ID:Jrb29DDz
一芸に秀でていただけの武将(大名ですら無い)で
天下人と比較する>>851 とかの根性も理解出来ないが

対津波・地震の家に引越しても居ないくせに
政府の震災対応がどうとか文句垂れてる国民性って、
武士道の精神には反して居ないの?
0899人間七七四年2011/05/08(日) 15:16:53.79ID:mZNtN90s
天下人である秀吉と比較したら「俺は知らん」とか言って逃げちゃった人?
つうか東日本大震災における政府の対応と家康がどう関係するの?
0900人間七七四年2011/05/08(日) 15:45:26.73ID:Jrb29DDz
下品な茶室で文化的には最悪なのが分かるのだが
武芸にでも秀でていたのか?

無理やり関白になってるくらいだから
権力無しに認められる功績があるとは思わん。
0901人間七七四年2011/05/08(日) 15:49:57.35ID:mZNtN90s
当時の公家の日記では黄金の茶室も肯定的に評価されてるよ
「こんなの利休の目指した茶道じゃねー」という評価は、
偽書である『南方録』によって清貧の思想が極端に強調された結果生まれたもの
つうか上で秀吉の文化的功績については詳しく書いてるじゃん
豊臣家も江戸幕府も全て滅び去った現代でもその芸術について高く評価されてますよ
0902人間七七四年2011/05/08(日) 16:54:55.69ID:Jrb29DDz
「原発増やせ」ってのも肯定的な評価くらいあるだろうがwww

お前みたいなバカは、マトモに相手したくないが
暇だからサルの多趣味とやらのキーワードを教えてくれれば
どんなもんか見てやるって言ってんだよ( ´,_ゝ`)
0903人間七七四年2011/05/08(日) 17:06:10.73ID:mZNtN90s
秀吉の多趣味については>>824>>850-851で既に述べられてるじゃん
「辞世」「大村由己」「北大路魯山人」「武家茶道」「能筆」「作能」
以上のキーワードと「秀吉」を合わせて検索してみれば君のような人間でも理解できると思うよ
貴殿の目の前にある四角い箱を是非有効活用することを強くお勧めする
家康との比較から離れた秀吉の趣味の話はいい加減スレ違いだから繰り返さない

つうか君の一連の書き込みってぶっちゃけこのスレのレベルだけじゃなくて
家康ファンそのものの印象まで悪化させてるから、
いい加減消えた方が君のためだけじゃなくてこのスレのためにも良いと思うけどどうかな?
震災や原発問題について並々ならぬ興味が有るようだから、
それ関連の政治スレにでも行けば幸せになれるんじゃないかな
0904人間七七四年2011/05/08(日) 17:15:51.81ID:xij9//6m
明らかに不自由な日本語でageてる基地外をまともに相手するのもどうかと思うよ。
0905人間七七四年2011/05/08(日) 17:22:41.99ID:MPhRhWab
>>903
まあ、家康ファンの俺ですら、秀吉の多趣味なのはJk的に考えてデフォなのだから
家康オタを装った家康アンチの工作はスルーした方が良いと思うぞ。
秀吉の和歌の巧さ、当意即妙さは、柿泥棒幽斎との和歌の掛け合いとか辞世の名句
で有名だし、利休の侘び寂びvs秀吉の黄金趣味茶道、明智討ちに代表される創作能
とか、文化的趣味に関しては、かなりのレベルに達している。
芸術趣味の秀吉vs実学趣味の家康と両英傑の趣味は好対照をなしているな。
0906人間七七四年2011/05/08(日) 17:26:37.50ID:CJbO1ndc
正直なところをいうと、もう趣味云々の話を引っ張ってるヤツはみんな荒らしにしか思えない
くどいんだよ、いつまで続けるつもりだよ…
0907人間七七四年2011/05/08(日) 17:45:30.30ID:Jrb29DDz
暇だから許してよ。


>>家康ファンの俺ですら、秀吉の多趣味なのはJk的に考えてデフォなのだから
>「辞世」「大村由己」「北大路魯山人」「武家茶道」「能筆」「作能」
>以上のキーワードと「秀吉」を合わせて検索してみれば君のような人間でも理解できると思うよ
からしても、優秀なブレーンが居て、
そいつらに文化活動を奨励したくらいしか分からんのだけど

サル自身が字や能をプロ級に上手かったの?
0908人間七七四年2011/05/08(日) 17:50:48.38ID:MPhRhWab
>>906
家康の女の趣味に関する話は、次スレでやりたいので、今は封印している。
残りのスレは、家康と部下の話で埋めるのも良いかもしれない。
自分的には、めんどくさい三河武士、ややこしい甲州武士、小難しい北条武士
と影の薄い遠州武士、意外に地味な駿河武士、小理屈で意固地な信州武士という
ように家康の部下を分類している。
0909人間七七四年2011/05/08(日) 18:18:35.64ID:VWeUP5rN
そんな高い次元で趣味とか定義したら履歴書に書く趣味とか困るぞお前ら
0910人間七七四年2011/05/08(日) 18:20:13.31ID:CJbO1ndc
>>908
なにその面白そうな話題
めんどくさい三河武士はよく話を目にするけど、他はどういう本をあたったらいいかな
ややこしい甲州武士他の所以が気になるw
0911人間七七四年2011/05/08(日) 19:23:49.82ID:RJ/D8l3R
>>907
小難しい北条武士吹いたw
北条家は礼儀正しくマナー優先なイメージあるし、逸話も説教話が多いな
0912人間七七四年2011/05/08(日) 19:24:12.65ID:RJ/D8l3R
間違えた >>908
0913人間七七四年2011/05/08(日) 19:45:13.07ID:Rm114Ly/
>>907
サルって、大河ドラマの見過ぎか?
だいたい信長は秀吉を「はげねずみ」と呼んでたんじゃなかったか?
0914人間七七四年2011/05/08(日) 20:13:57.18ID:gntc+Sfd
そんな事より、真面目に>>895の回答に興味あるんだが。
「諸職御肝煎」って、日常の庶務統括程度の職務なのかいな?
0915人間七七四年2011/05/08(日) 20:18:53.66ID:L3jw0ddh
なんか家康さんは好きになれない…
なんでかな?
けど、スレを見ちゃう…
なんでかな?
0916人間七七四年2011/05/08(日) 20:32:01.53ID:Pn8P3Buv
>>914
というより政府の「庶務」て何?
0917人間七七四年2011/05/08(日) 20:38:42.18ID:RJ/D8l3R
>>915
「いやよいやよも好きのうち」では?
0918人間七七四年2011/05/08(日) 21:55:32.70ID:gntc+Sfd
>>916
そう言われればそうね。
それも含めて具体的に知りたいトコだね。
0919人間七七四年2011/05/08(日) 23:51:54.10ID:MPhRhWab
>>895 >>914 >.916 の方々が回答を待っておりますので
>>893 のIDq2Ti0Q3I さん、お早めのご返答をお待ちしております。

こちらは、ややこしい甲州侍の二大巨頭 
モンスタークレーマー曲淵庄右衛門老人と生還率だけは100%の横田甚五郎殿
をモスボールしてお待ちしております。


0920人間七七四年2011/05/09(月) 07:19:31.61ID:R+SuqivG
庶務っていうと、本業以外の事務の事だろ。
>>893の言葉尻だけとれば、国政とは関係ない事務総責任者みたいな感じ?

俄かに信じがたいのだが・・・。史料でもあんのかね?
0921人間七七四年2011/05/09(月) 07:46:35.60ID:JLHJ97/Z
その諸職云々の前の条目で家康利家の2人での政務処理が命じられてるから
その次の条の諸職と書かれた家康一人に付与された政務権限のレベルが
彼がいうところの庶務レベルのものであるという推論も秀吉の名代権が与えられた
かのような解釈よりは妥当とおもうけど
0922人間七七四年2011/05/09(月) 10:25:00.18ID:FI8daPcE
>>921
名代権はないでしょうな、しかし家康と利家が表記される場合に先ず、
家康を先に記すのは家康を上位とするという意味である
0923人間七七四年2011/05/09(月) 10:38:02.36ID:WASzczzC
>庶務っていうと、本業以外の事務の事だろ。
真面目な話、「担当する部署のない業務」
0924人間七七四年2011/05/09(月) 10:53:22.30ID:FI8daPcE
豊臣政権に担当部署ってあったかな
0925人間七七四年2011/05/09(月) 11:43:23.02ID:U5hgeful
>>921
ここで求められてるのは、推論じゃないでしょ。

推論でいいのならば、
名実ともに筆頭大老である家康に、
庶務程度の責任者をわざわざ任ずる方に違和感がある。
0926人間七七四年2011/05/09(月) 17:55:01.39ID:02cWnWaw
ヒストリアで言ってた、身内の護り刀として村正授けてたから
村正嫌いじゃなかった ってどの程度信憑性あるの?
0927人間七七四年2011/05/09(月) 21:10:06.48ID:eOd/q4Cg
読み流してたんだけどさぁ、実は結構重要じゃね?>諸職御肝煎

家康に与えられた権限の範囲次第で、
「家康の婚姻政策」は、それ自体が違法なのか、
単なる手続違反なのかって話になるよねぇ。
0928人間七七四年2011/05/09(月) 21:14:31.86ID:pgzJjUDp
当時の家康の役割を1つ例に挙げると、秀吉が死んだ結果、太政大臣左大臣右大臣が
空席になって内大臣の家康がその時点の最上位になった上に大臣任官要件を満たす
公卿が居なくなってしまい、朝廷人事が麻痺してしまうので家康が内大臣として主導して
菊亭晴季の右大臣還任してもらったりして立て直しに奔走していた。
0929人間七七四年2011/05/09(月) 21:22:51.88ID:FI8daPcE
元々、勝手婚姻の禁止は文禄四年の「御掟」にある項目だけど、
秀吉死亡前の誓詞条目には記載がなかったりする
0930人間七七四年2011/05/09(月) 22:59:36.83ID:QO/9gt6g
秀吉に縁故政策が悪だという意識は全くないだろ
妹や母も政治の具として利用するし、
秀頼を後継者にするためならどんな虐殺も厭わない
秀吉にとって政治とコネは分かち難く結びついてる
0931人間七七四年2011/05/09(月) 23:46:17.40ID:57vZ7gf5
諸職御肝煎
スレ立てるまでもない質問スレに答えらしきものがあったぞ。
なんでも朝廷との折衝役だそうだ。
職務内容は、転載すると
1,官職の推薦権(家康が窓口になって朝廷に奏上、認可を得る)
2,朝廷の諸儀式における費用の負担を豊臣家が担う際の折衝
3,朝廷の要求を豊臣公儀に伝達し、討議した回答を朝廷に伝える。
というものらしい。

で、家康が何で、そんな役を割り振られたかというと
5大老のうち利家には秀頼の傳役任せ大阪城の西の丸に入らせた
もう1人の家康には大阪城から遠ざけるために伏見に入る必要の有る朝廷との折衝を任せた
というのが理由だそうだ。
0932奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/05/09(月) 23:49:21.22ID:4ezNrsZR
その当時の武家筆頭役くらいの認識でいいんじゃないか。
0933人間七七四年2011/05/10(火) 00:14:00.28ID:AZnTWg6i
そもそも当時の朝廷と折衝や調整をするに見合う状況の武家って
家康しか適任が居なくね?
0934人間七七四年2011/05/10(火) 00:22:29.96ID:D9Ktmtar
とりあえず、庶務職員のリーダーではないって事ねw
0935人間七七四年2011/05/10(火) 01:45:49.65ID:aucSNe64
>>895
>428 名前: 人間七七四年 投稿日: 2011/05/08(日) 23:56:12.21 ID:MPhRhWab
>秀吉が資に際して家康に命じたのは伏見での「諸職御肝煎」とは
>どういう仕事なのでしょうか?

>431 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2011/05/09(月) 00:17:25.37 ID:57vZ7gf5
>>430
> ありがとうございます。つまり豊臣公儀における朝廷との折衝を一任されたわけですね。
> 具体的には、浅学なので、このような例しか浮かばないのですが、これ以外にもありますでしょうか?
>1,官職の推薦権(家康が窓口になって朝廷に奏上、認可を得る)
>2,朝廷の諸儀式における費用の負担を豊臣家が担う際の折衝
>3,朝廷の要求を豊臣公儀に伝達し、討議した回答を朝廷に伝える。
なんで聞いてきたといわないのか不思議だし、当初の庶務程度という認識は誤ってたってことになるな
0936人間七七四年2011/05/10(火) 21:40:59.01ID:lPyt/aCo
>>926
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E6%AD%A3#.E5.A6.96.E5.88.80.E4.BC.9D.E8.AA.AC.E3.81.AE.E6.B5.81.E5.B8.83

0937人間七七四年2011/05/10(火) 21:41:50.65ID:H8X3yLIt
関ヶ原後の豊臣家は、徳川から政権移譲されても果たしてやっていけたんだろうか
何となくもうその時から豊臣政権内はボロボロなイメージがあって
徳川寄りでなくとも、もう無理だろ…と思ってしまうんだよな
0938人間七七四年2011/05/10(火) 21:59:43.39ID:ATQMmuLL
>>937
全国の蔵入地を管理する豊臣公儀最強の人間計算機、長束正家処刑済み
豊臣公儀における土木行政担当兼裁判担当、増田長盛を関東に幽閉
五奉行一の切れ者、オールラウンダー石田三成処刑済み
五奉行のトップ浅野長政、徳川内府に取り込まれ、手下も同然
残る前田は、京都担当で影響力無しというか潜在的反豊臣

豊臣公儀に政権運営の能力無し!
0939人間七七四年2011/05/11(水) 09:58:12.62ID:7OVGn1F4
>残る前田は、京都担当で影響力無しというか潜在的反豊臣
そうなのか?
0940人間七七四年2011/05/11(水) 23:02:39.81ID:hcv3c/8Q
>>939
 三法師君(織田の秀信くん)に石田陣営に行くなと秀信の家老を通じて忠告した。
 西軍側の内部情報を増田と同じように家康に漏洩した。
 京都奉行の職をあっさりと徳川の武将に引き継いだ。
 何故か、奉行集の内で、一人だけ中立扱いを受けて本領安堵。
 
 
0941人間七七四年2011/05/12(木) 00:47:49.81ID:6Mg7bPnp
大藩外様って、どうして分家させなかったんだろう?
数十万石程度で飛び地にしとけば、安全なのに、、、
0942人間七七四年2011/05/12(木) 04:55:54.47ID:iy+nTa6i
>>941
池田「・・・」
浅野「・・・」
伊達「・・・」
0943人間七七四年2011/05/12(木) 09:00:24.16ID:67TInmPc
このスレでこんなこと書くと非難が恐ろしいが、今Wikiを見直していたが
どうも家康の略歴があまりに完璧すぎて釈然としないのだが・・
やはり時の人ともなると自身を神格化したがるのかねぇ
所々に無様な部分を垣間見せて苦労人を強調させるところなんて
いかにも昔話が好きな家康らしくてさ
人生の後半なんていかにも聖人君子て感じで好きになれんし
ぶっちゃけ作ってる感いっぱいだよ
俺的には武光誠や池宮彰一郎の説のほうが、むしろしっくりくるな
0944人間七七四年2011/05/12(木) 10:18:28.64ID:nlnFwdvm
失敗を徹底的に学んだだけの結果でしょ。

大奥が暴走しない様にするのだけ
忘れたのが残念だが、、、
0945人間七七四年2011/05/12(木) 10:25:04.52ID:hWxhaqV1
大奥を独立させたのは秀忠の時代ですから
0946人間七七四年2011/05/12(木) 10:39:32.33ID:hxVnHIOS
>>943
織田信長には「信長公記」があるが、
家康に関する史料はほとんどが死後に書かれている。
神格化したのは本人ではなく幕府の関係者、御用学者たちだろう。
0947人間七七四年2011/05/12(木) 10:59:38.93ID:hWxhaqV1
「家忠日記」「慶長記」「駿府記」「当代記」色々あるのだが
0948人間七七四年2011/05/12(木) 11:48:28.61ID:GYsr9nRc
よく失敗もしてるし完璧な聖人君子ではないだろ
失敗を受け入れて学んだ人だからこそ天下取れた訳で
0949人間七七四年2011/05/12(木) 12:01:48.41ID:nlnFwdvm
バカとサルが調子に乗って一発屋に終わってたのを
冷静に反省したんだろうな。


信康の斬った侍女って「小侍従」じゃないの?
古い偉人としてしか説明が無い(′・_・`)
0950人間七七四年2011/05/12(木) 13:08:31.29ID:EAF5bWIt
>>943
完璧すぎるのが気に入らないのか、
聖人君子らしく作ってるのが気に入らないのか、どっちなんだろうね

家康が嫌いというアンチはたくさんいるし、
そういう言い方のほうが「しっくりくる」
0951人間七七四年2011/05/12(木) 20:24:05.15ID:LjVPgILA
実際家康公は極悪非道の豊臣を倒した聖人だしなあ
0952人間七七四年2011/05/12(木) 20:54:14.33ID:z2Pc6rxo
家康公は大好きだが、別にそこまで聖人君主で無くともいい
失敗して反省して我慢して、時には卑怯な手も使ったけど
天下泰平の世を築いた偉大なる江戸幕府創立者さ
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。