秀吉のお声がかりで三傑を10万石以上にしても、家康は何ら不安を感じなかったろうな。
忠勝は、祖父、父、叔父と一族を失っていて、部下のほとんどを家康から与力という形で
付けられてるから独立しようがない。榊原康政も陪臣上がりで、家臣構成も忠勝と同じ
井伊直政も家康の寵童上がりで甲州者を赤備えとして与えられてるから、これも同じ。
三河武士や遠州の寵童の実態を知らなかった秀吉にしてみれば、お得意の主と重臣を
離間させる策を施したつもりだったんだろうな